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2014.05.17 (Sat)

福島原発事故による放射線被爆を経験して考えたこと

福島原発事故による放射線被爆を経験して考えたこと
仙台赤十字病院呼吸器内科
岡山博

要旨:     
福島第一原子力発電所事故が起き、大量の放射性物質が放出されて広範な地域と多数の人が被曝した。
政府や専門家、メディアは、法令で定められている「被曝はできるだけ減らす」という基本を無視して、事故を過小評価する解説を繰り返し重要な事実と資料を隠し、話題にしたり報道することを「不安を煽る」と言って抑圧し、被爆を拡大助長する解説と施策を続けた。

発言の自由と安全がない社会のあり方が福島原発事故の底流にあり、病院も含め日本社会に蔓延して、被害回避や問題解決を阻害している。
福島では、被曝を安心して話題にすることができない。
大規模な放射能汚染にあたって、政府行政と専門家も、一般医療機関や医療従事者も、被曝を回避させ、国民住民を守るために言動すべきであった 

はじめに
東日本大震災と津波を契機に、福島第一原子力発電所は大事故を起こして大量の放射性物質を環境中に放出し、多くの人が被曝した。
放射能汚染と被曝に関して政府や行政、東京電力や被爆医療専門家が指示、解説をした。そして私たち一般臨床医も患者さんなどから解説を求められた。
それらの被曝に関する言動や判断は適切だったろうか。事故後の経過を概括し、専門家と社会はそして私たちは何をすべきだったか、何をすべきでなかったか、福島原発事故後3年間に考えてきたことを述べたい。
    
福島第一原子力発電所事故の経過
2011年3月11日、14時46分 宮城県沖で巨大地震が発生した。福島第一原子力発電所1-6号機のうち運転中だった1,2,3号原子炉は全て緊急停止した。4,5,6号機が休止中だった。
震度6強の地震によって送電線鉄塔倒壊と受電設備等が損傷して外部電源を喪失したが1,2,3,5,6号機で非常用発電機が自動起動した。
津波到達前から1号建家内で放射線量が上昇した。津波後の原子炉冷却停止に引きつづいて汚染物質が放出されて、原発敷地内外で急速に放射線量が上昇し、放射線汚染地域も広がり続けた。

15時36分~津波により、非常用発電機、配電盤等が損傷して1,2,4号機で交流電源と直流全電源喪失。
3,5号機は交流電源を喪失した。6号機は非常用発電機3台のうち1台が残って5,6号機の電源は維持できた。
1-4号機は電力による注水冷却が停止した。
直流電源バッテリーは数時間分しか準備されておらず、停電になって全ての測定や機器の運転が不可能になった。

17時 放射能拡散予測図(SPEEDI)が文部科学省と総理官邸、福島県、アメリカ軍に提供されたが、住民やメディアには3月23日まで公表されなかった。

22時 1号機で、13日には3号機、15日には2号機でメルトダウンが始まった。
21時 政府は3 km 圏内は避難、3-10 km は屋内避難を指示した。
13日と16日に20km 圏内は避難、30km 圏内は屋内避難と拡大した。

3月12日、上昇した原子炉内圧を下げるため超高レベル放射性の原子炉内気体を外界に開放するベントの試みを開始したが成功せず、13日9時に3号機で1回目のベントを行った。その後も3号機と2号機で数回ベントした。
15時 1号機建家が爆発した

3月14日、3号機建家が爆発した
3月15日、4号機の核燃料複合体は点検中のため原子炉から出されて建屋5階の燃料プール内にむき出しの状態で保管されていた。
4号機建家が爆発し燃料プール内に鉄骨やブロックが落下した。燃料プールを支える壁と構造が破損して傾いた。
2号機格納容器内圧が大気圧と同程度に低下(圧力容器と格納容器が外界に貫通)した。

3月16-22日、1-6号機で外部電力供給が回復し始めた。

3月23日、1号炉圧力容器が設計上の耐用上限である302℃を超えて400℃まで上昇し同時に圧力も耐用限度を超えた(原子炉本体が爆発しうる状態)。

4月7日 水素爆発を避けるため1号機で、6月28日2号機で、7月14日3号機で原子炉格納容器に窒素ガス注入を開始した。

9月16日、連鎖的核分裂反応を抑制するため3号機ホウ酸注入を開始した。
       
政府と行政の説明と取り組み
3月11日 21時、政府は「原発敷地内で放射線上昇が測定されたがわずかだ」「爆発的なことが万一生じても、避難している周辺の皆さんに影響を及ぼす状況は生じない。慌てて避難するな」と説明し自宅内待避を指示した。

3月12日東京電力は正門で5.5μSv/h(マイクロシーベルト毎時)と空間放射線が増加したと発表したが、北西方向の敷地内で15時29分に測定された1015μSv/hという超高値は5月まで公表しなかった。

15時36分に1号機建屋で爆発が起きると政府(官房長官)は「水素爆発があったが核爆発ではない。原子炉格納容器は健全に保たれている。落ち着くように」と説明をした。
「核燃料の一部が溶け出た可能性がある」と言及した保安院委員長はまもなく解任された。

 3月15日、3号建屋が爆発した。屋内退避指示の浪江町で330μSv/hと文科省が発表したが、極めて高いこの値はその後話題にされない。

政府は「原子炉格納容器の健全性は確保されており、放射性物質が大量に飛散している可能性は低い」「直ちに避難や屋内退避をする状況ではない。直ちに健康に影響はない。放射能による危険性とは別に、社会的な要請として20 - 30キロ圏内の住民に自主避難を要請する。ただし、屋内待避を要請したときから新たな段階に入っているわけではない」と説明した。

原子力安全委員会が「12日間の放射性ヨウ素による甲状腺内部被曝線量が20 - 30キロ圏で最高500mSvに達する可能性がある」と会見した。
これは外部被曝量の約10倍に当たる。その後政府とメディアはこの甲状腺内部被曝値を話題にせず、呼吸による内部被曝を無視し外部被曝よりもはるかに低いかのように扱った。
原子力安全委員会がその後改組されて、この会見での報告を探すことができない。

3月25日 自主避難を2週間阻害して被爆させた政府は、強く汚染された飯館村住民の自主的避難を認めた。

政府の指示に反して自主的に避難した住民も多かった。
郡山市など福島県内の東京電力社員家族は、11日のうちに県外に緊急避難を始めた。
「爆発前の12日朝、東北電力社員家族が宿舎から避難するのを見た住民は後に続いて飯館村に避難した」と南相馬の方から聞いた。

国際原子力機関(IAEA) と日本政府の考えと取り組み
日本政府は、国際原子機関(IAEA)がまとめたチェルノブイリ被曝の長期影響についての報告をもとにして、放射線被曝対策の方針を作った。
IAEAは被曝による影響を統計的に断定できる論文以外は検討対象から除外して「確実に認められる被曝による影響は若年者の甲状腺癌だけである」と結論した。

この見解に対してウクライナ政府は、がん以外の甲状腺疾患や、甲状腺以外の悪性腫瘍、新生児低体重、先天異常、子供の発育障害、知能発達障害や循環器、呼吸器、消化器疾患の増加、老人性疾患の低年齢化等を報告し「多くの報告を無視したことなどで、IAEAは被曝による健康被害を著しく過小評価している」と批判した。
ロシア、ベラルーシや西ヨーロッパの多くの科学者や関係団体が同様に、IAEAは過小評価していると批判している。

日本政府はこれらの批判が存在しないかのように無視して解説や対策をしている。

IAEA報告は「若年甲状腺がん意外にも未確定の影響が存在する可能性がある」tとも記述しているが、日本政府はIAEA見解を「若年甲状腺がん以外には被曝の影響が存在しないと確定している」と読み替えて使っている。

 以下が日本政府の放射能汚染についての正式の立場である。
「チェルノブイリ程度の被曝は健康に影響ないことが確定している」「ありえない健康被害を考えるのは過剰な心配だ」「健康障害が出た場合は、ストレスが原因だ」「政府・自治体がすべきことは住民に無用な不安を持たせず安心させることである」。

行政は放射線量が低いと推測した作物を選んで測定した。ほうれん草で高い放射線値が出た時、隣の畑の別の作物は測定せず出荷制限しなかった。

強く汚染された水や食物の飲食を禁止し、安全な水・食料を供給することが避難についで大切だった。
汚染されていない水と食料供給に地域の団体や全国から支援活動が長期に行われたが、国や自治体の取り組みは極めて消極的だった。

          事故後の問題点と私の意見
原発から大気中に放出された放射性物質の8~9割は太平洋に運ばれたが、風向によっては5~10倍が陸上を汚染したはずである。
大規模汚染は、西風以外の時に大量の放射性物質が放出された場合に生じた。
最も大規模だった陸地汚染は、プルーム(放射性ほこり)が北西に流され、飯舘村、福島市を超えた時点で風向が南向きに変わって郡山など福島県中通り、栃木、群馬県を汚染した。
風向によっては、放出量が同じ場合レベルに収まった場合でも仙台は現在の郡山と同程度汚染されたはずである。

ベントや、事故の進展で大量の放射性物質が大気中に放出されるときは、大気汚染の現況と汚染予測を知らせることが重要だった。
原発事故時に使うために作られていた放射能拡散予測図SPEEDIやベント実行を住民に知らせず被曝をさせた。
風下20km以遠の住民は避難させないままで、何回もベントをして被曝させた。

その後も原子炉本体や再度の原子炉建家爆発やそれに伴う重大な放射能汚染が起こる危険は何ヶ月も続いた。
事故の見通しと将来の風向きはわからないからすぐに数百キロ以上避難することが最善だった。

化学工場や石油コンビナート事故でも、すぐに行うべきことは緊急避難である。

放射性プルームは数時間で通りすぎるから屋内待機して通り過ぎるのを待ってから避難する選択はありうる。

しかし政府は、一時的待機ではなく無期限長期間の室内待機を指示した。このため住民は空間線量が高い環境で生活を続け、外部被曝と呼吸と食物による内部被爆を受けた。

放射性ほこりの状況や、拡散予想を毎日天気予報で放送することが被爆回避に極めて有用だった。
私も要望した。
しかし「拡散予測は確実ではないので発表すると不安の原因になる」といって天気予報で放送しないまま現在に至っている。
気象学会は「国民が混乱するから、研究者は福島の風向きの情報を出さないこと」と会員に通知した。

 一方ドイツ、スイス、ノルウェー、オーストリア、フランスその他の国の機関が福島の汚染の現況と拡散予報を日本の気象庁が発表した測定データを使って計算し、インターネットで数時間ごとに発表した。
スイスは3年後の現在も毎日詳細な発表を継続し、日本語で見ることができる。
しかし、行政やメディアはこれを参考にせず話題にもしない。

多くの人や組織が避難した。
原発運営に直接責任を持つ保安院職員は事故が起こると福島第一原発現場から福島市に移動した。
大手メディアは50km以内に入らなくなった。
地震津波支援として宮城沖180kmに展開した米国原子力空母は汚染を受けて直ちに撤収した。

地震津波後ドイツが派遣した救援隊は「放射能汚染と原発事故に関して日本政府が正確な情報を提供しないために適切な救援活動ができない」として帰国した。
ドイツ大使館員の多数は本国に避難し大使館業務は縮小して大阪に移した。

大使館を大阪に移した国は多い。

多くの国が、自国民に対し直ちに日本から退去し、不可能な場合は西日本に避難するよう指示し、民間チャーター機を使うなどして国外避難を助け、残った人には頻回に状況解説と被爆防止の指示を出した。
東京駅東海道新幹線ホームは大荷物を持った外国人家族で大混雑が連日続いた。

新聞社や金融機関をはじめ、多くの大企業が本社機能を東京から大阪に移転した。

政府、行政と東京電力は重大な出来事や危険な事実は一部しか公表せず、今後の危険性に言及することは「不安を煽る」として質問や発言をさせないように圧力をかけた。
政府はメルトダウンを長期間否定し続けた。
東京電力は企業秘密と言って様々な測定値や事故関係の情報を公表せず、政府も情報提示を求めず3年後の現在に至っている。

東京電力と政府は緊急事態に対する系統的方針と設備備がなかったために的確な対応ができず事故と被爆が拡大した。
例えば、直流電源を確保するため、従業員の車のバッテリーを集めたが足りず、ホームセンターにバッテリーを買いに行こうとしたが現金がなくてやめた(東京電力テレビ会議公開資料)。
電源車は道路渋滞で到着が遅れ、コンセントが合わず、コードも短くて12日15時まで送電できなかった。

消防車のポンプによる注水が必要になったが原発消防隊は下請けで、関東から取り寄せた消防車の運転要員を配置できなかったり、送水管の接続部が合わないなどで時間を浪費した。

電源喪失後、有効な対策ができていたら、事故はこれほど拡大しなかった可能性がある。

4号機の燃料プールは2012年秋に応急の支えが完成するまで崩壊落下の危険があった。
プールで冷却水が維持できたこと、落下物によって燃料棒が破壊されなかったこと、プールが崩落して日本が瞬時の崩壊にいたらなかったことも、原子炉本体が爆発せずに済んだことなどは偶然の幸運によるものである。

政府とメディアこのような深刻な実態を伝えず、事故と汚染の実態を質問したり話題にすると不安を煽る悪質な人間であるかのように扱った。
テレビは原発事故数日後から「不安を煽らない」ことを優先させて、政府の解説を肯定し、心配無用だという専門家の解説だけを放送し「今後事故が拡大した場合の内容や対策」についてなど必要な質問をしなくなった。

政府やメディアは「放射線値が高いホットスポットが発生などのデマに惑わされないように」と言い「チェーンメールで放射線のデマ拡大」(2011.05.16読売新聞)「千葉と埼玉で測定されている数値は平常時と変わらない。デマなどのメールに気づいたら転送を」(文部科学省)と発言や発信することを抑圧し、相互監視を呼びかけた。

ホットスポットがその後千葉や東京でたくさん確認された。
政府やメディアがデマと言った汚染は事実だった。
政府や行政、放射線医療専門家は放射性物質と被爆が法令で厳格に規制されていることは触れずに「被爆の心配は無用だ」と講演、指導した。被災者の被曝を回避する姿勢がなかった。

行政の主催や後援で「放射能を心配するな、不安を煽る扇動に惑わされるな」という内容で各地で講演会や教育を行った。
事故当時長崎大学教授4月から福島医大副学長として政府の被爆対策の中心として働いた山下俊一氏は「放射能の影響害はニコニコしている人には来ません。くよくよしている人に来ます」(福島県放射線健康リスクアドバイザーによる講演会3月21)と講演し数多くの講演会で「放射線被曝よりも心配するほうが有害」と解説した(被爆回避を勧めず心配するなと強調する講演や解説はインターネット検索でご参照ください)。
積極的に子どもを外で遊ばせたり汚染されている自家野菜を食べることさえ奨めた。

文部科学省は小中高校生に「放射線等に関する副読本」を配り「現在日本人は1000人に300人ががんで死亡する。100ミリシーベルト被爆すると5人増える」などの説明を行い、教師には「100ミリシーベルト以下の低い放射線量と病気との関係については明確な証拠がないことを理解できるようにする」ことを理解させるように指示した。

放射線専門家は「CTやレントゲン検査と比べて、福島原発由来の被曝は少ない」と、本人の利益のために支払うリスクと、他人が勝手に押し付けるリスクを同等に扱う解説・指導をした。

福島県立医大では「被曝に関した研究や調査は(福島医大ではなく)国がすることだ」と実質的に禁止されたと福島医大の医師から聞いた。
研究課題が禁止されるのは、おそらく戦後初めての重大事件である。被爆に批判的な発言が困難になっている福島医大が被曝医療の中心になっている。

政府や自治体によるこれらの消極的取り組みは全て放射線被曝医療の専門家の助言と指導のもとで行われた。

            放射能汚染と被曝対策の考え方と私の意見
(1)空間放射線と外部被曝
 放射線被曝は他の有毒物とは異なり、基準値以下でも無害ではなく被曝をできるだけ少なくすることを全ての放射線関連法令で定めている。

放射性物質を扱う施設は管理区域として明示し、放射線取り扱い者だけ入室許可、年間被曝限度20ミリシーベルト(mSv)、飲食禁止。一般人は許可なく立ち入り禁止し年間1 mSv 以上被爆させてはいけないと定めている。
福島第一原発以外の全原発や事業所等は今もこの法令通りに行っている。

政府は学校における外部被爆許容限度を年間20mSvと決めた。
100 mSvは0.5%の人ががんを新たに生じさせる被曝量である。「一般人に年1mSv以上被爆させることを禁じているのは、放射線を扱う施設を対象にした法律だから施設ではない場所では法は適用されない」と政府は説明した。

「70歳を越すと日本人は3割ががんで死ぬ。0.1%増えても検出できない程少ない」と被曝医療専門家専門家が解説して、多くの医師がそれを自分の判断にした。しかし若年者は発がんが少ないから、若年者だけで比べると被爆によって何倍~何十倍に増える。

0.1%のリスクを承知でそれ以上の利益を得るために0.1%のリスクを選択することは人生でありうる。
しかし、原発事故による被爆は、自分に利益がないのに一方的に強制されるリスクである。
統計データを利用した誤った解釈への誘導がある。

10万人の生徒に責任を持つ自治体首長や教育委員会が、20 mSvを了解すると、100人の生徒ががんになる。
学校で20mSvを基準にすることは多くの反対が起こって撤回した。

 政府は今、高汚染地区を除染して年間20mSv に下げて住民を帰還させようとしている。
放射性セシウムは、電離放射線障害防止規則その他の法令で100Bq/kg超は、一般ごみとして廃棄することを禁止(クリアランスレベル)、1000Bq/kg超は放射性物質として厳重管理を義務付けている。環境中に放置することによる内部被曝や外部被曝による被爆障害を回避するためである。

汚染された量と地域が多すぎて法律通り対処することは現実的でないとして、福島第一原発事故関連は例外として以下の基準を作った。
焼却や除染作業で集められた8000㏃/kg超の放射性物質は、処分場を設置して管理する。8000㏃/kg以下は、通常ゴミと同様にコンクリートなどに混ぜて土木資材にするか埋め立て処分をする。

8000㏃/kg超であっても、人が集めず既に環境に存在しているものは規制していない。

仙台の土壌は300~600㏃/kgが多いが、2000Bq以上のホットスポットはいたるところにある。
福島市はこの数十倍である。
省庁はこの基準を発表してからは「やむを得ない基準」ではなく「心配無用な無害で安全な基準」と読み替えて「批判は復興を妨げる行為」であるかのように指導して強制している。

(2)呼吸による内部被曝
「呼吸で吸入した放射性粒子の多くは気管支粘膜に吸着されて痰として捨てられる(心配するな)」と専門家は誤った解説をした。
呼吸で吸い込んで気管支表面に吸着した微粒子は喉まで運ばれて、一部は痰として喀出されるが大部分は飲み込んで、腸から吸収されて全身に運ばれる。

2011年7月、国と自治体は汚染された稲わらを使用や焼却せず保管するよう指示したが、汚染された草や農作物の野焼きは規制せず被曝を増やした。

(3)食物による内部被曝
 2011年3月29日厚生労働省は、やむを得ず食べることを認めるという意味の食品暫定基準として食品は500㏃/kg、飲み物200㏃/Lと決めた。
健康被害を防ぐために放置、廃棄を禁じている量よりも、食べて良い値の方が高い。

暫定基準値を発表すると政府・行政は「一時的にやむを得ない」ではなく「長期に安全」と読み替えて強弁して説明し強制した。2012年4月に基準値を下げたあとも異論や反論発言を抑圧して現在に至っている。

食品衛生法は「有毒な疑いがある食品は、製造・販売してはならない」と決めている。

消費者が放射能汚染された地域で生産した食品は購入を避けたが廃棄されていない。
給食で強制的に消費させ、安く業者が買って加工食品原料に使っている。

被曝による発がん作用は被ばく線量に概ね比例する確率的作用であるという考えが広く受け入れられている。
被曝はできるだけ減らすことを定めた放射線関連法令も概ねこれに基づいている。確率的作用とは、1人に発がんさせる量の放射線は100人で分けても1万人で分けても一人が発がんするという考えである。

薄めて広げてはいけないというのが放射能に関係した全法律の基本的な考えである。

汚染食品を作らせない、流通させないことが最も大切であった。

「影響があるかどうかわからないレベルを心配するのは非科学的だ」と講演する専門家もいた。
毒かどうかわかる量まで食べろということである。
この論理を使えば有毒量の約1%という一般毒物の規制を守ることも、病院のレントゲン施設の遮蔽も不要だということになる。

これまで、基準値以上の有害物質が検出されると政府やメディアは責任者を批判し、製造、使用責任者を処罰や指導した。
しかし原発事故が起きると政府、行政と放射線医学専門家は、放射性物質の法的規制や管理義務は言及せず、放射性汚染食品は心配せずにもっと食べるように講演、指導した。メディアは異論を放送せずに心配不要という解説だけを長期間放送し続けた。

政府と行政は食品の産地表示をあいまいにさせた。
生産地を都市名ではなく、国産や太平洋産の表示でも可とし、記号表示も可とした。
消費者が店頭でわからなくなった。

 汚染作物を生産と流通を止めず、作らせて「食べて応援」キャンペーンした。
汚染地域で作らせて売れ残ったり、価格低下した分だけを東京電力に補償させた。
だから農家はいやでも作った。作るうちに、汚染は心配するなと発言するようになった。

風評被害という言葉を使わせ、被爆回避の言動を阻害した。

 文部科学省は「市場に流通している食品は、暫定基準以内だから安全。給食に限って何かをすることは考えていない」と言って給食で強制した。
福島や宮城県なども、地産地消
。国は学校給食に国産小麦使用を義務付けた(2013年4月)。
福島県は給食に福島産農作物使用には助成金(2013年4月)。
文科省は国産椎茸の使用を避けずに使うよう指示した(2013年12月)。
2013年、東京都は生徒が校庭に出て遊ぶことを義務付けた。

 母親たちがグループを作って給食と学校環境汚染に取り組んだ。
仙台でも子どもの弁当持参を求めた母親に学校は「給食は教育だから勝手なことは許さない」と強制した。
牛乳を止めて水筒持参させると水筒の水を捨てさせて学校の水道水を飲ませた。
給食の放射能を測定してほしいと要望したが拒否した。

校庭の放射線測定の要望も拒否。
自分たちで測りたい要望には校内に入ることを禁止した。
放射線を話題にしたり測定を要望する親をモンスターペアレンツ扱いした。

「放射能を話題にすると生徒が不安になる。不安にさせる言動をしないように」と生徒の安全や教育について、教師が意見を言うことが禁止された。

給食を残さず食べさせる監視と教育を強制されていることに教師は異議発言ができなくなっている。
教師が被爆について自分の考えを発言する自由と安全がない学校で教育が行われている。
患者給食の放射線について自由に安心して話し合えない病院の状況と似ている。

放射能に汚染されて怯えていた人は「心配するな」と指導に来てくれた専門家の言葉を信じたかったと思う。
一方小さな子供を持つ多くの母親は不安だった。
子供に安全な食材を入手して与えると「県も専門家も心配ないと言っているのに神経質すぎる」と非難されて、家族内で会話もできない状況が多く作られ、驚く程たくさんの方が離婚している。

            原発事故後、私が考え行ったこと
3月12日昼、公衆電話で東京にいる息子に一度だけ通話できた。
「福島原発が極めて危険な状態だ。さらに事故の進展があったら九州の兄弟の所にすぐ避難すること」を伝えた。
2時間もせずに1号機が爆発した。13日朝息子は東京を離れた。

私は医者なので避難せず、大量被爆や殉職しうる覚悟を決めた。
数人の医師としか問題意識が共有できなかった。
私は自宅の窓と換気口を全てビニールで密閉し、風呂などに水を溜めた。

「専門家や行政の指導に従えばよい」と院長が言い、提案や発言は実質的に不可能になった。
病院の窓を閉めて強制換気を止めることと患者給食で福島や宮城産の食材を控えることの提案をすることはできなかった。

何年も前から私には病院で発言する自由と安全はなくなっていた。

政府や被曝医療専門家の偽りと、放射能の基本的知識や被曝の防ぎ方と「同調強要と、異論発言の自由と安全がない日本社会のあり方が、原発事故の底流にある」とツイッターでペンネームで書いた。
それを見て被曝を心配する母親グループの要望を受けて話や講演する機会が増えた。
「講演途中でも異なる考えや質問を歓迎します」と言って話した。
参加者の発言や質疑に講演と同じくらい時間をとった。

そのうちに、文章化や講演映像をインターネット公開したいという要望が増え匿名での発言は不可能になって2011年12月、本名でブログを始めた。

文章書きや講演は基本的に夜間と休日に行った。イ
ンターネットで配信された講演を書きおこしてさっしにして全国に広めてくれて3万部発行された。

原発事故に関した複数大学共同研究に協力した。東北大学として取り組んでいる福島・チェルノブイリプロジェクトの一環として2013年10月、ウクライナを7日間訪問した。極めて有効な訪問だったが内容は省略する。

            おわりに
福島原発事故が起きたとき、私たち一般臨床医は被曝医療の知識は持っていなかったが患者から意見を求められた。
政府やテレビが法的な規制は触れず「心配するな」という解説だけをすることに、患者さんたちは疑問と不安を持っていた。
医師は知らないことや判断できない時は上から目線をやめてその通り話し、責任が持てる範囲で助言や考えを述べられたらよかったと思う。
しかし中には、被曝医療専門医の講演で聞いたまま「この程度の放射線は心配無用」「心配したり質問する患者は心配過剰」と答えたり、質問を封じる対応があった。

原発事故が起きたとき私は「発言の自由と安全がなく、異論発言する人を抑圧侮辱排除する日本社会のあり方が、福島原発事故の底流にある」と書いた。
異論発言者を無視、侮辱、抑圧、排除するという言動傾向は東京電力の原子力発電所に限らず、病院や学校を始め日本社会に蔓延し、事故後の汚染と被曝を回避することを妨げる力としても働いている。
抑圧的言動は問題の解決を妨げ、破綻するまで進む。原発事故後、発言や報道の自由と安全はさらになくなり不健全性は増した。
福島原発事故後3年間を振り返り、また定年退職するにあたり、考えてきたことを書きました。

(追記)被爆についての解説と意見を岡山博ブログに掲載しました。

引用文献
事故後経過と、政府、自治体、東京電力などによる指示や説明個々の事実は新聞やテレビニュースで放映された。全てを引用すると煩雑になるので本文中に記載した以外は、は以下の資料に基づいた。コメントと評価は筆者によるものである。
1. 厄災福島原発1000日ドキュメント. Newton 24巻. 18-103頁.2014
2. 福島第一原子力発電所事故の経緯. Wikipedia(インターネット百科事典)
3. 福島第一原子力発電所事故の影響. Wikipedia


(仙台赤十字病院医学雑誌 2014年4月 掲載。一部修正)
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★呼吸による内部被ばくの件

下記お知らせします。ご参考になれば幸いです。

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表題:現在も東北・関東に降り注ぐ放射性セシウムはどこから飛来しているのか。

原子力規制委員会のサイトhttp://radioactivity.nsr.go.jp/ja/list/195/list-1.html
に放射線モニタリング情報として放射性物質の月間降下量のデータが掲載されています。
平成26年3月のデータhttp://radioactivity.nsr.go.jp/ja/contents/10000/9224/24/195_20140430.pdf
を見ると、現在も放射性セシウム134(半減期2年)、放射性セシウム137(半減期30年)が東北・関東に降り注いでいることがわかります。

このデータからさらにわかることは、すべての県で(降下量が最も多い福島県でさえも)放射性ヨウ素131(半減期8日)が不検出となっていることです。
下記のサイトhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%88%86%E8%A3%82%E5%8F%8D%E5%BF%9C
には核分裂生成物の一覧表があります。
この表からわかるように、もし、福島第一原子力発電所から新たな核分裂生成物が放出され、これが東北・関東に飛来しているのであれば、放射性ヨウ素131が検出されるはずです。
しかし、放射性ヨウ素131は検出されていません。では、放射性セシウムはどこから飛来しているのか。

私は放射性セシウムを含む廃棄物を焼却することで、放射性セシウムを大気中に再拡散させ、これが降下物として検出されていると考えます。
放射性セシウムを含む廃棄物を焼却することで、放射性セシウムを大気中に再拡散させるメカニズムおよび国が定めた測定法では排ガス中の放射性セシウムを検出できないことは
Peace philosophy centre のブログに投稿した記事http://peacephilosophy.blogspot.jp/2013/11/blog-post_22.html
で説明していますので、見ていただければ幸いです。
また、Finance GreenWatchの記事「東京等、関東周辺の大気中セシウム降下継続の原因 一般廃棄物焼却施設からの焼却排ガスか(?)指摘相次ぐ(FGW)」http://financegreenwatch.org/jp/?p=43527
も見ていただければさらに幸いです。
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樗木博一 |  2014-06-12(木) 11:11 | URL [コメント:編集]

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 |  2014-06-10(火) 00:48 |  [コメント:編集]

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