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2013.11.15 (Fri)

②ウクライナ報告 コルストン市、ルグニ町

ウクライナ報告ー3  コルストン市、ルグニ町

        10月8日、9日 コロストンン市、ルグニ町訪問
高校教師ユーリーさんがコロストン市とルグニ町の沢山の地域と施設訪問と沢山の方たちと面会、質問する機会を準備してくれて、丸2日間同行してくれた。

コロストン市はチェルノブイリ原発から西に直線で110 km。
市街地を約1時間散策した。市庁舎や、ウクライナ正教会を遠望。整備されたかなり広い公園を少し歩いた。
市庁舎前には、今もレーニン像が立っていた。

         ウクライナ風ホテルに2泊
独立した昔の民家風の木造建築。1棟3人ずつ2棟に6人宿泊した。
構造の基本はログハウス。丸太を横向きに積み上げて壁にしている。

元NHKディレクター 馬場朝子さんと、このホテルで合流し交流と意見交換をした。
馬場さんは NHK・ETV特集 「チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告(2)ウクライナは訴える」をコロステンで取材し2012年09月23日に放映された。
この時の取材の様子はNHKディレクター 山内太郎氏との共著「低線量汚染地域からの報告」として出版された(NHK出版)。
(追記:馬場さんがこの時取材した、トNHKETV特集「原発事故 国家はどう補償したのか~チェルノブイリ法23年の軌跡」 が2014年8月23日、放送された。多くのことを知り考える材料を提供する優れたドキュメント。私も画像出演している)

馬場さんは、熊本の高校を卒業後、モスクワ大学に入学、卒業後1977年NHKに入社。
主にソ連やロシア関係の番組制作や取材をし、2011年NHK退職し独立して、現在は制作した番組をNHKに提供している。
今回は「チェルノブイリ法」取材のためウクライナを取材中だ。
彼女とプシュパラール先生が交流があり、今回コロステンでの意見/情報交換となった。

リハビリテーションセンター訪問
 知的障害を含む障碍者のためのリハビリセンター
 チェルノブイリ事故と直接関係ないので省略

           ルグニ町訪問
チェルノブイリから西に110kmのコロステン市からさらに西に約20kmの町。
コロステン市より放射能汚染が強い。
990km2。人口 17000人 事故前36000人。

町全体が、自主的避難の権利があるゾーン3で、その中に強制避難のゾーン2の地区が4つある。
町の人口は現在も毎年500人ずつ減っている。
人口減少の約半数が移住による減少で、残り約半数が出生数と死亡数の差による自然減だという説明だった。
平均寿命も低下し、死亡率も増えているが特に出生数の減少が著しいということのようだ。
ウクライナ全体が平均寿命短縮と出生率低下の傾向があり、国全体の人口も減少し続けている。

             ルグニ町の役所訪問
敬意訪問の予定だったが、副町長と、社会保護部長ともう一人3人の方が歓迎して迎えてくた。
町の現状説明や約2時間質疑応答をしてくれた。

副町長ともう一人の方は気さくで好人物だったが3人目の方は、身なりもきちんとして、威厳を持つ表情で、昔のソ連の官僚はこんなではなかったろうかと思った。
しかし話し始めると、威圧的や権威を示して抑圧しようということはなく終始、的を外さない質疑応答と友好的で快適な良い対話をしてくれた。

行政のこの3人の方だけでなく、学校の生徒でもどこでも共通で気持ち良い言葉の往復ができて快適だった。
質問して的を外さず的確な回答はここだけでなく、今回ウクライナ訪問であった人たちはずっとどこでもそうだった。
このような対話、回答の仕方は一夜漬けではできないことだ。

私たちの質問に的確に答えてくれた。
病気のことなど具体的なことはわからないので、この後の病院訪問で聞くようにと勧めてくれた。
回答に必要な時はその場で資料を取り寄せて資料を直接見せてくれて、説明してくれた。

町全体が自主は何移住の権利が個人に認められているゾーン3地域だが強制移住のゾーン2の強制移住地区が4つある。
このゾーンわけに基づいて放射能対策と被ばく者補償をしている。

しかしゾーンが指定され、強制移住や自主的移住権や被爆者に様々な補償をする制度が出来上がったのは大惨事後3年以上たってからだ。
ゾーンの設定は1989年にソ連で制度を作った当時の空間線量・被ばく量で決めた。
ゾーン制定当時の年間被曝5ミリシーベルト以上をゾーン2 強制移住地域、1~5mSvは自主的避難の権利がある地域と決め対策が始められた。

しかし、ゾーン決定とそれを基準にした対策が開始されたて1年しないうちに、ソ連が崩壊した。
社会システムと経済が混乱しソ連の後ろ盾を失った状態で、1991年から放射能対策はウクライナ政府が行っている。

現在の空間線量は、制定当時より低下しているが、ゾーンが決められた後はゾーンの変更は行わず、空間線量が減った今も対策や補償格下げをおこなわずに当時の汚染レベルに基づいたゾーンわけに基づいて対策が行われている。

制定当時年間被曝5ミリシーベルト以上は、ゾーン2、強制移住区域、年間1~5ミリシーベルトはゾーン3で個人の意思によって移住が認められる移住の権利がある地域と定められた。

移住する場合は、新たな住居や移転費用は全額補償される。
しかし、新たに職を探すなどの保証などは十分にはされなかったようだ。

避難移住する場合は、国が住居を買い上げる。
この買い上げ価格に国が新たに負担して移住先住居を保障する。

ウクライナ政府によるチェルノブイリ被ばく対策は1991年から始まった。
92までに3年以上汚染地域、ゾーン1,2,3の地域に住んでいた人を補償・保障する制度。

住居保障  住居保障  自分で選んだ場合は上限がある 
一人当たり13.05m2 + 10.5m2/家族
月200円食費補助と燃料費の50%
29000人が17000 に減った。昨年は500人が減りその50%が避難移転
ゾーン2 強制避難地区。ルグニ町内に4地区ある。人口はそれぞれ200人~300人程度だった。
1地区は全員避難移住し、現在人はいない。
他の3地区は移住拒否者が13人~35人くらいが残って今も住んでいる。
避難移住下がその後戻ってきた人もいる。

ルグニ町で癌と甲状腺疾患は日常的だという。
昔と比べ、老人の病気が若い人でも起きる。老年病の若年化。子どもの病気が治りにくくなっている。詳しいことは病院で聞くとよいと言っていた。

7~18歳は サナトリウムに年25日~6週間くらい保養に行く権利があり、70%が毎年参加している。
6歳以下は親の同伴が可能。無料。世界の募金と基金で運営している。

サナトリウムで保養したときに療養と、診断、必要あれば治療を受ける。
ここで見つかる異常は多い。

町民全員に年1回、ホールボディーカウンターで内部被曝の検査をしている。
質問すると何度も必要な書類を取り寄せて説明してくれた。

いくつか質問すると、全員の個人の生データーリストを見せてくれた!
1ページ40人分くらい
時間がなかったので3~4ページをざっと見た。正確に記録さず、おおよその感じでは、
成人のホールボディー計測値の70%くらいは900~4000Bq。 。
500以下は1割程度しかいない。
半数は2000~3000Bq 以上。
6000以上も2~3割くらい。
みせてもらったページにはなかったが、最高は153000Bq !ということだった。 

大人で2000Bq であれば20Bq程度のセシウムを毎日摂取していると推測される。

当初(1991年)の許容基準は19000Bq だった。
その後基準は大人は13200Bq、子どもは8200Bqに下げた。最近は3000以上は注意としているとのことだ。

食品規制をしているが、森でとってきて食べるキノコやベリーや自家菜園は規制できないと言っていた。
基準値そのものが高いが、それも守られていない。

ソ連が崩壊すると、コルホーズ、ソホーズという大規模集団ぬ上も解体された。
現在の農村は、大規模な商品作物栽培は少なく、私が見た範囲はすべて自給自足的農村だった。

農民はほとんど自給自足的な食品を食べている。さらに近所の山に行ってベリーやキノコを採って食べる。
貧しくて食物をあまり買う余裕がないという面もあるが、ウクライナの人たちは、山に行ってベリーやキノコ採りをすることが好きだ。
採れたら、格別のものとして喜んで食べ、友人にもプレゼントする。

昭和30年ころの穏やかな日本にそっくりだ。
商品流通に乗らないこのような山の幸を規制することとは難しく、経済状態やキノコ採りが大切な文化になっている中ではさらにそうだ。
市場を通さない農作物や山菜摂取がセシウム内部被曝の主因だ。

福島市や郡山市より汚染が軽いルグニ町のチェルノブイリ事故28年の現実だ。

系統的全員検査ではないが、福島でのホールボディーカウンターの値は幸いにもこれよりはるかに低い。
これは国が食品を厳しく規制しているからというよりは、日本では農業地帯での自給自足的な食生活や、山野で採取した食物摂取が低いことと、消費者と食品業者が、政府が出したセシウム食品基準 100Bq/kgによらず、それよりずっと低い値の食物を選んで消費や流通させていることが大きな要因と考える。
政府基準の100Bq/kg の米を毎日200g 食べると 全身ではおおよそ2000Bq になる。(米飯として食べるときはは精米しといでから食べるのでこれより低くなる。1日2食米飯を食たり、せんべいや米粉を材料にした食品を食べると米摂取はもっと多い)。

通訳に同行してくれている若手物理学者アントンさんは以下のように言っていた。
キノコやベリーはむかしから日常生活の一部になっている。
摘んで自分たちでも食べるが、買付業者に売る。
良い稼ぎになる。この収入を生活費などに当てている。
その場で果物などは、棒状の放射線測定器を差し込んで測定する。
基準値以上の場合、ブルーベリーは食用ではなく染料、インクの材料として買い付けられている。

        ルグニ町の学校訪問
義務教育の6歳から17歳まで11学年の生徒が同じの学校で学んでいる。生徒数250人の学校。
最高学年のクラスの授業を中止し、校長先生をふくむ4人の先生とともに私たちと交流する集会を開いてくれた。

私たちは制限なく何でも質問できた。
私たちのメンバーから出された質問で、原発をやめるべきと答えた生徒が半数、代わりの電源を造るまでは原発はやむを得ないが半数。原発を積極的に進めるはゼロだった。
将来、健康などに不安があるかについてはほぼ全員が不安だと答えた。
生徒たちからも、私たちにも質問が出た。
私には、福島の被災者に日本政府はどのようなことをしているかという質問があった。
授業を討論会に振り替えたり、自由に発言や質mぉんが出たりということは日本では考えられないことだ。

生徒たちは感情的な言葉を使わず、自分の状況の説明と自分の考えを、しっかり丁寧に友好的に発言した。
二人の少女の発言は特に印象深かった。

集会後、校長室で先生たちと30分ほど懇談した。
「生徒たちにとって癌や様々な病気は特別の話題ではない(ほど多い)。一昨年は白血病がふたりでて、一人は死亡した。
昨年から今年の1年間ではがんが2人見つかった。
がんがみつかった2人とも先ほどの会に参加している。これから会って話しても構わない」と校長先生が言った。

お願いすると、二人の少女を呼び、紹介したあとで「教師生がいると話がしずらいかもしれない」と言って先生方は退席されて、私たちは16歳または17歳のふたりの少女と話した。
ふたりともとても聡明だ。彼女たちは親友であるらしかった。

一人はサマーキャンプで甲状腺がんが見つかって手術をうけた。
甲状腺ホルモンが作れなくなったので甲状腺ホルモンを現在も今後もずっと服薬し続ける。
転移して残っているかもしれない甲状腺がんに対して、放射性ヨウ素I-131で服薬治療を続けていると言っていた。

原発事故で放射性ヨウ素を内部被曝すると被曝した人の一部に甲状腺がんができる。
放射性ヨウ素で甲状腺がんを治療するというのは、服薬した放射性ヨウ素から出た放射線を浴びた甲状腺がんが残らず死滅するだけの大量の放射性ヨウ素を内服する。

原発事故による放射性ヨウ素祖による内部被曝よりも桁違いに多い量を服薬して内部被曝させて甲状腺細胞を死滅させる。
これが甲状腺がんに対する放射性ヨウ素を使った治療だ。

彼女の今後の人生は、それだけの被ばくを受けた体とともに存在する。

もう一人の16または17歳の少女は、骨格筋の悪性腫瘍(肉腫)ということだ。
現在抗がん剤治療を受けている。
面会後知ったことだが、抗がん剤治療のため、頭髪はぬけてかつらということだった。
骨格筋肉腫は甲状腺がんと違って生命予後は悪い。今後何年も生きるのは難しいだろう。

ふたりとも自分の病気を理解している。
今後のことも理解していると思う。
そのような二人が、自分の状態と自分の考えを感情的な表現や投げやりなところはなく、まっすぐにしっかりきちんと話した。
(追記:骨格筋 肉腫の少女アンナさんは2014年5月に亡くなった)

悪性腫瘍頻度があまりにもおおいので、平均して毎年2人悪性腫瘍がふたりみつかることは想像しにくいが、ひとまず毎年ふたり見つかると仮定して考えると以下のようになる。
250人の中で毎年ふたり;2/250= 0.008 (0.8%)
ひとりの子供は11年間在籍するから、11年の間に悪性腫瘍が見つかる可能性は0.008 x 11 =0.088
子供は11年の在学中に悪性腫瘍になる可能性は 8.8% (10000人に880人) !
ガンは1つの細胞からはっせいし、診断される大きさになるまで多くは10年以上かかることをかんがえると卒業後数年間に見つかる可能性も高い。入学前に発症することもありうる。
これらを総合すると10% 以上の子供が成長期に悪性腫瘍になる計算になる。
日本で18歳までに悪性腫瘍(がん + 肉腫 + 白血病)になる頻度は1万人に1~2人である。
ことを単純に比較すると1000倍になる。
子供の10% が悪性腫瘍になるのはあまりにも多すぎて信じがたい。おそらく私たちが聞いた2年間は特別多かったのではないかと想像するが確認できていないので不明である。
毎年の悪性腫瘍が平均すると仮にこの1/4、つまり2年に一人だったとしても100人に2.5人ということになりこれでも極めて高い。
上述したように、福島でおホールボディーかうんたーによる内部被爆値は、ルグニ街より明らかに低いので、ルグニ街と比べると被曝による健康障害はル具にまちより少ないとすいsくできる。
しかしる具に街の子供の悪性腫瘍は極めて多いのでそれより少ないとしても、注視すべきである。
子供たちに汚染食物を与えない取り組みが重要である。

        ルグニ中央病院訪問
チェルノブイリ大惨事前から勤めている男性病理医師イワンさんと女性内科医師・副院長が対応してくれた。
約1時間質問し、話しをした。
「病院がカバーする人口はルグニ町17000人。95床。医師28人、内科医2人」。

病院の診療圏:人口17210人、990平方キロ
95床。内科医 2人全医師28人。
検査室 簡単な血液検査、尿検査しかできない。
赤血球白血球血算と血液の簡単な生化学検査 1日約100人
胃カメラ検査は毎週他の病院から来て検査しているようだった。

国が貧しく、心電計やレントゲン機会も40年前のものを使っている。
気管支鏡など高度の診療は行っていない。問題がある患者は高レベルの病院に紹介する。

女性副院長と、大惨事当時を知るふたりの医師の説明を聞き質問をし、答えてもらった。
医師が説明してくれたのは、この病院についてのことだ。
高汚染地域全体や、ウクライナ全体のことについては話題にしないまま終わった。

説明してくれたのは、大きな母集団を分析した統計ではなくこの病院で原発事故当時から働いている医師として、この病院で治療した患者全体についての記録と、診療を行ってきたイワン医師の印象だ。

1986年4月26日大惨事直後の記憶。イワン先生の話.
「4月28日、ピクニックに行って、ソーセージの上にほこりのようなものが落ちてきた。空に雲のようなものが見えた。
外国放送などで事故を知ってからも人々は無頓着だったが、官僚の家族が避難したのを見て初めて不安になった」

「大惨事のあと、癌が2倍に増えた。死因の中で癌は4位から2位になった。
昔はなかった癌が出ている。甲状腺がんが0から2例、白血病が0から多数、悪性リンパ腫は2年で3人。癌以外の甲状腺疾患も増えた。甲状腺結節が0から多数に増えた。

平均寿命が約10年短くなった。
健康な子供が激減した。気管支炎など、子どもの病気が治るまで時間が長びく。
老人の疾患が若い人で起こるようになった;疾患が若年化した。高血圧など循環器疾患や糖尿病、骨や軟骨の疾患が増えた」と言っていた。

「IAEA は、長期的影響は若年者甲状腺がん以外の放射線被ばく障害を認めていないが」と質問した。
イワン医師は「疾患は増え、若年化し内容は明らかに変わっている。IAEA は正しくない」と回答された。

その後病院内を見学した。
入院している病室の中まで入って見せてくれた。

検査室とレントゲン室も見た。
検査室では簡単な血液検査と尿検査しかできない。
レントゲン機械は2台とも40年前のドイツ製だ。
レントゲン設備に高感度モニターはなく解像度が荒い昔のテレビかフィルムに撮影されたものしか見ることができない。

そのため画像も悪く、詳しい検査はできない。患者も医師も被ばく量が多いはずだ。
古い機械なのでメインテナンスのため1日おきにしか使えないと言っていた。

「ウクライナは経済的に貧しいので検査機器が買えず40年前のレントゲンと心電計を使ってる。簡単な血液検査と尿検査程度しかできない。問題ある患者が出たらキエフ等の大病院に紹介する。日本から心電計や簡易型の血糖測定器や尿試薬など援助してもらえたらありがたい」と医師は言っていた。

翌日ルグニ中央病院を再訪問しこの二人の先生と昨日の続きの質疑をした。
イワン医師は、ルグニ病院の過去のすべての悪性腫瘍の記録を自分のノートに控えていた。

大惨事前の20年間と、大惨事後のたくさん種類がある悪性腫瘍患者の統計まとめており、それを持参し見せてくれた。医師からそのコピーをいただいた。

大惨事以降、がん死2倍。死因の4位から2位に
甲状腺がん 0から多数
白血病 0から多数
甲状腺結節 0から多数
その他20以上の悪性新生物の大惨事前後の発生数比較など。

「気管支炎や消化器病など、子どもの病気がよくなるのが長くかかる。
老年病が早い年齢におこるようになった」
小さい病院の内部データだけについての話。

Q: 内部被曝規制が甘すぎるのではないか?
事故当時だけの被ばくではなく、現在の被ばく、特に食料による内部被曝も現在の健康障害に関与しているのではないか?
甲状腺がんだけを認めるIAEAの考えをどう考えるか?
回答「現在の内部ひばくも関係ある。IAEAの評価は正しくない。森で採取したり、売買を通さない自家作物は規制がむずかしい」

           ゾーン2強制避難地区訪問
自主的移住の権利と補償がされるゾーン3のルグニ町とルグニ町内にある強制移住のゾーン2の4地区のうち3地区を2日かけて訪問した。

強制避難と指定された4地区の原発事故前の人口は各2~300人だった。
強制避難の4地区のうち1つの地区は全員が集団避難して現在は無人。
他の3地区は13人から35人の住民が現在生活している。

ゾーン指定されたときに、移住しなかった人が多いが、移住してから戻ってきた人もいる。
大惨事後、1つの地区は集団で移転して新しい集落を作りその後はずっと無人だが、他の3地区はそれぞれ現在13~30数人が住んでいる。
初めから移住しなかった人が多いが一時移住した後戻ってきた人もいる。

強制移住に指定されたゾーン2の3地域は全員が、年金と様々な補償金と補償施策と、自給自足的農業をして暮らしている。
それぞれの地区に看護師がいて、頼りにされている。
看護師は外から移住したのではなく、もともとその地域に住んでいた看護師や、住人が看護資格を取った人たちということだった。

公営バスが町まで運行されている。
電気は通じている。水は井戸。電話は携帯電話を使っている。
暖房や調理などの燃料は一部まきも使うが基本的には石油。
家畜用や農作業関係、戸外などでは、山で採ってきたまきを使っている。
石油や必要な商品は携帯電話で注文すると町の商店から配達してくれる。


汚染されたゾーン2とゾーン3の地域に住んでいた人には、額は多くないが、移住してもしなくても、生活や医療や様々な補償と年金の優遇がある。
燃料代と電気代の50%が補償さる。
これで質素な生活は可能だと言っていた。

第2ゾーン(強制避難地区)に指定された時、人々は「すでに大量被曝を受けているので今更避難しても価値は低い。だから避難移住するのではなく、それぞれの集落に保養や義楽施設を作って快適な生活環境を整備するほうが住民の利益になるのではないか」という意見が住民にも行政にもあった。

そのための施策として例えば200数十人の村にナイトクラブ(という表現をしていたが、村人が気楽に集まって飲んだり話したりできるパブや喫茶店のようなものと思う)やその他の娯楽施設を作って、生活を快適にする施策の方が良いという考えで、ナイトクラブをはじめ具体的な計画もされたそうだ。
しかし最終的には強制避難の方針となったという。

訪問したゾーン2の地域で空間線量は毎時0.33μシーベルトを一時示したが、その後は0.07~0.25μSv/hrで、想像していたよりずっと低かった。3か月前郡山市を訪れた際、除染された公園で常時測定し表示されていた値が0.25μSv/hrだ。
森の中に入っても大差なかった。
道路のすぐわきは広葉樹の森で、紫のブドウや、緑と真っ赤なリンゴが沢山実っていた。

51歳男性はここで奥さんと年金と自給自足で生活している。
子どもや孫たちはキーフなどに移住した。
この人の弟さんは、先日避難先で亡くなって、村に埋葬した。

避難した人の住居や生活費のなにがしかは保障されるが、「新しい環境や仕事探しで苦労したり精神的な苦痛やストレスもあり、無理してかえって健康も壊している」とこの人は言っていた。
ゾーン2で暮らし続けている人はみな同じ考えのようだ。

被曝地域の男性は普通より若い51歳から年金をもらう。女性はさらに若いうちに年金が支給される。額は低いがいろいろの手当てがあり基本的には自給自足なので、つつましい生活はできる。

会ってお話をした強制避難地区に住んでいる方は5~6人だけだったが、顔つきも皮膚も皆65~70歳くらいにみえた。しかしみな50歳代前半だった。
この人たちが偶然、年齢より老けて見えたのか、被爆の影響で老化が進んだのかわからないが印象的だった。

空間線量はさほど高くないが、自家栽培の食物は汚染されているようで、これを毎日食べている。

翌日も別のゾーン3、強制移住地区を訪問し、大惨事直前に新築したという立派な家に入れて歓迎してもらった。
自家製ウオッカや野菜サラダ、キュウリ漬物、豚脂身の塩漬け(ウクライナの郷土料理)、ビンに保存していた山で採ったキノコ料理など、歓迎してくれていろいろだしてくれた。
ウオッカと豚脂身塩漬けはいただいたが、キノコはいかにも放射線が高そうなので遠慮した。

「(こんなゆっくりできるなら)昨日奥さんと山に行ってたくさんキノコを採って来るのだった」と残念そうに言っていた。山にキノコ採りに行くことや、山で採ったものを近所の人や客、知人に提供することはウクライナの人にとって、楽しくうれしいことのようだ。

日本外務省関係で通訳している、キエフ在住の二本松出身の女性は「今年は雨が多く、山のキノコが豊作なのでキーフの人は喜んでいる。私もキノコ採りに行こうと誘われた」と言っていた。

消費生活レベルは貧しいが、激烈な苦痛や不安が少なく、穏やかで温かい生活感覚や、生活レベルは、昭和30年ころの日本の穏やかな農村ととても似ていると思った。

バスが運行されていて町に行くにはこれを利用する。
電気は供給されている。テレビも見ることができる。
携帯電話で注文すると町から商品を車で届けてもらえる。

暖房や調理の燃料は基本的に石油だ。
農作業や家畜のえさ準備やその他の家の外で使う燃料はまきを使う。
ゾーン2かゾーン3に住んで被ばくした人たちは移住してからも、燃料代と電気代が50%補償される。

ルグニ町は人口は激減したが美しい。汚染された環境の中で、人々は穏やかに暮らしているとように見えた。


     夕食
1日同行してくれた・・さんの知り合いの、街道に一軒だけある粗末な小さな食堂に招待してくれた。
街道を通る車の運転手が食べる食堂。売店を兼ねる。

自家製ウォッカを自宅まで取りに行ってごちそうしてくれた。
ビートから作った砂糖に酵母を入れて法治すると2週間で酒になる。それを蒸留する。
全て家で行う。大体うまくいくが時に、アルコール度が十分上がらず失敗することがある。

豚脂肪の塩漬け。豚脂肪の塊を塩漬けあるいは燻製にする。刺身のように切って食べる。
ジャガイモ つぶしてペースト状にして皿に波型に盛りつけたものと、ハンバーグのようなもの。

ボルシチ 家庭や店で非常に違う。
赤い色は、ビート大根の色。ビート大根、表面だけでなく中まで赤い。

自家製ウォッカ  砂糖に酵母を入れ2週間で発酵しこれを蒸留する。家庭で作る。
酵母がよくないとたまに失敗しアルコール分が低いものができ、これは捨てる。

(2014年8月24日修正)
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