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2012.01.07 (Sat)

論説「よい発表、良い議論を行うために」(転載)

論説「よい発表、良い議論を行うために」転載にあたって
「よい発表、良い議論を行うために」は、10年以上前から発表したかった内容ですが、日本的な社会的事情もあってできず、2011年、東日本大震災直前に、ようやく文章化したものです。
本論は、医学研究発表や症例発表を行う若い医師と、医学関係学会や研究会を主催する、指導的医師・研究者を対象に、日本の諸学会や、研究会を、より有効に健全な議論ができる場にしたいと考えて書きました。

特に、学会や研究会を主催、あるいは座長をする指導的医師や研究者に読まれることを期待しています。
しかし、本論で述べた内容は、研究発表に限らず、日本社会における、様々な会議や会合、個人的な日常会話に共通し、日本社会と日本文化、そこに生き活動している個人と集団の発言・判断・行動様式の傾向として普遍性を持っています。

中国や欧米を始め多くの社会の人が本論を読むと、小学生でさえ自覚してあるいは無意識にやっていることでもあり、あまりにも当たり前の内容が多いために、なぜ文章化し主張するのか分からない部分が多いと思います。

「発表」という言葉を「自分が言葉を言う」と置き換えて、現在の日本社会の文化論として、お読みください。
「言葉と日本社会・歴史・文化」等、削除した未完成文章があります。
いつか、文化論としてまとめたいと考えていますが、何時になるか未定です。ご関心ある方はご連絡下さい。
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論説
良い発表、良い議論を行うために
―健全な発表と議論のためのルールと心得―


Rules and Tips for Presentations and Discussions

仙台赤十字病院呼吸器内科
東北大学臨床教授
岡山 博

Kay words: 発表のしかた、議論のルール、座長の役割
  (仙台赤十字病院医学雑誌20巻1号 p7-15、2011年7月発行、2011年1月寄稿)

要旨
健全で有効な発表や議論をするためには、優れた言葉、論理、議論についての基本的知識と自覚、能力が必要である。発表、議論するとは何か、良い発表、議論とは何か、発表活動に役立つことを企図して、発表と議論の仕方について筆者の考えをまとめ、考察した。
1.発表、議論とは、自らの判断と、その判断が合理的であり価値があることを主張し、相手と結論を共有しようとする言葉の往復である。

2.発表、発言、議論に際しては、相手に敬意を持ち、まっすぐ、真剣、ていねい、誠実な言葉で発言する。

3.意見や質問には、的をはずさない的確な回答をし、それが質問者に了解されること。ごまかしや打算などのルール違反は健全な議論を妨げる。

4.座長、司会者は、良い議論をすることを役割と考え、運営すべきである。



はじめに
 発表(Presentation)とは、新たな知見や判断と、それが発表する価値があることを主張することであり、そこでの発言、議論(Discussion)とは参加者と演者が結論を共有しようとする言葉の往復である。自分の考えや研究結果を口頭あるいは文書発表する際、良い発表とは、1、発表するにふさわしい結論、主張、価値があること、2、事実提示、論理・構成が適切であること、3、質問や意見に対して適切な回答、議論をし、参加者の合意・承認を得ることである。

そのためには、発表の基本姿勢、適切な言葉の選択、適切な言葉の応答が重要である。良い発表、発言、議論に役立つために、発表と議論の基本的あり方考え方と、方法・仕方について、筆者の考えを述べる。
 発表には、口頭発表、教育的講演、シンポジウムなど聴衆に対して直接話すものと、論文発表があるが、本稿ではこれら全てを含めて、「発表」という言葉でまとめて論じる。

 良い発表と議論を行うためには演者だけでなく、発表の会を運営する座長・主催者と質問、反論、発言など会場参加者の適切な関与・参加が必要であり、これについても述べる。
 
発表の仕方
1)発表内容

 研究とは誰もまだ知らないことを明らかにすることである。
「論文・学術発表」とは、それまで誰も知らない新たな事実あるいは判断を提示し、その判断が正当であることと価値があることを論証して主張することである。

研究発表、論文で述べるべきことは、事実と、それが何を明らかにしたかという結論、その論理(根拠)、明らかにしたことの意義である。述べるべきことはほとんどこれに尽きる。それ以外の言葉はこれを述べるための条件作りに過ぎない。

単なる経験発表や、文献紹介は、新たな見解を主張する研究発表ではなく、交流や勉強のための話題・資料提供である。解説や総論も、新たなオリジナルな主張を提示した場合のみ発表といえるが、それがない場合は、資料提供である。
資料提供はそれとして価値があるが、オリジナルな主張を結論とする研究発表とは異なる。

2)発表を行う基本姿勢
発表、講演、講義、発言を行う時の基本は、相手や聴衆に「敬意」を持ち、「まっすぐに」、「真剣に」、「ていねいに」、「誠実に」、発表することである。
敬意とは、相手をみくびり、軽んじないこと。
まっすぐにとは、自分の都合、ごまかしなど打算をいれないこと。
真剣にとは、相手に熱意を持って伝えることと、思考停止をせず全力をかけて、自分としての判断結論を出すこと。
ていねいにとは、自分の言ったことにごまかしがなくそれでよかったかを吟味すること。
誠実にとは、自分を偽らず、相手を偽らず、相手の不利益になることを仕掛けない、相手を陥れないことであるであるが、前四者と重なる内容を含んでいる。

3)言葉の選択
述べるべきことは結論である。個々のパラグラフ(ひとつのまとまりを持った文の小集合。段落に近い)においても発表全体においても、結論・判断を明確に述べる。

留意点を以下に列挙する。
・事実と認識、評価を明確に区別して表現する。客観的に存在している事実は、力強い言葉で明確に表現する。「である」「であった」と表現すべきことを「となった」「と認められた」と表現するのは良くない。

・不要な受動文を使わない。

・論理的であること。個々のパラグラフや、全体の記述中に、相容れないものがあってはいけない。
論理が適切で一貫していることが必要である。
論理的で簡潔、明確な言葉を使う。
一貫しない、論理に矛盾のある言葉を使わない。

・全体の論旨とデータについて責任を持つだけではなく、単語のひとつひとつに責任をもつ。
「言葉が正確ではありませんでしたが言いたかったことは・・・です」ということがあってはいけない。健全な議論を阻害する。

・言葉は明確に断言し、断言した言葉に責任を持つ。
あいまいな言葉を使わない。
「思う」「思われる」「可能性がある」「かもしれない」「示唆された」「考えられた」などはあいまい表現である。「とされている」「と考えられている」の引用もあいまいでまずい。

「感じた」はさらに不適切である。「可能性がある」「かもしれない」などの言葉は、発表者がいくつかの可能性を吟味し、他の可能性を排除した結果残っている可能性について述べる場合と、それまで誰も可能性に気づいていない時に、新たな可能性として「可能性がある」と結論する場合だけ正当である。

「・・・と考えた」もあいまいにする言葉なので避ける。必要な吟味検討をせずに「考えた」と述べるのは適切でない。誰も考えていなかったことを初めて「考えた」場合にのみ「考えた」という結論を述べるべきである。
「私の考え、結論は・・・である」と断定した言葉を結論にすることがよい。この表現であれば、「・・・である」と提示された判断に対し、議論参加者は異議、反論ができる。

一方、「・・・と考えた(という行為)」が結論になると、厳密に正当な議論として「考えた」か、それとも「考えていないのではないか」あるいは、「認識した」「確信した」「可能性の存在に気づいた」「期待した」「思った」などではないかという発表者の行為に対しての質問・議論になる。発表テーマの結論・判断という議論できる言葉を結論として述べるべきである。

「考える」という言葉があいまい表現でなく、断定として使うことはありうる。「あなたは考えないが、私は考える」という意味の場合である。言葉としては正しいが、「なぜならば・・・」と穏やかな言葉で、相手と共有する結論を得ようとする場合以外は、相手を切り捨て議論を拒否するという意思表示であるので、言葉としては正しいが議論の姿勢としては、注意すべき言葉である。

「思われる」「考えられた」「可能性が示唆された」などあいまい語を重ねることはさらにまずい。「考えられる」は、自分の責任で考えたのではなく、自分の責任を離れた自然現象であるかのように二重にあいまいにするので使うべきではない。

・単なる感想や吟味のない、場当たり的な予想や憶測、結論は述べない。だれも気づかなかったことを深く責任もって吟味したうえで予測し、予測したこと自体が発表の重要な結論・主張であることとして書く場合は述べる。

・暗黙の期待、当然のことだろうとして、必要な説明をせず、聴衆や読者に同調を求めることは良くない。含みのある単語や表現、言葉の裏を推測することを期待する言葉は使わない。論旨に必要なことは、責任ある簡潔・明確な言葉で全て表現する。

・接続詞を正確に使うこと。発表・議論は論理的であることが基本である。発表に当たって最も重要な接続詞は「したがって」「なぜならば」である。
「しかし」など、それまでの論理を翻す接続詞を、不適切に使っていることがしばしばある。「しかし」という接続詞はそれまでの文から予測されることに反する結論を述べる時に使う。
「しかし・・・・である」と述べたら、必ず理由を述べ、読者や聴衆の同意を得るための議論展開をする。それまで述べてきたことを、論理も同意も無く、思考回路から切り捨てて押し切る言葉ではない。

・読者・聴衆に対して「期待する」等は相当の内容と決意なしに述べるのは価値がなく、無責任で無礼であり使用すべきではない。

全ての言葉に責任を持って初めて良い発表になり、良い議論が可能になる。

4)引用
他人の論文や言葉の引用に当たっては、自分の論旨に関係する論文を断言して引用、紹介する。
自分で責任を持たない伝聞、状況紹介や他人の意見の紹介、発表者の評価をあいまいにしたままの自分の都合を優先した無責任な紹介はしない。引用文献を明らかにしない引用・伝聞は避ける。

誤った論文もあるので、引用には責任を持つ。不同意を表明しない引用は全て正当であると判断したものとして、引用者に責任がある。
引用文献内容に対する疑問や反論に答える義務がある。応えられない引用はすべきではない。

5)口演発表で留意すべきこと
発表、講演、講義を行う姿勢の基本は口頭発表も文章発表も共通だが、口頭発表で追加留意すべきいくつかのことを述べる。

論文、文書発表では、研究の背景説明など、しっかりした論理と引用が不可欠だが、口演では、全てを精密に述べるよりも、聴衆がその場で「なるほど、なるほど」と納得しながら結論まで無理なく進めることが良い。
精緻さよりも、明快でわかりやすい、納得しやすい口演をおこなう。
すべてを言わなくても構わないが、嘘を言ってはいけない。

言葉は一音節一音節、一語一語はっきり丁寧に発音する。特に、結論・判断である文末と語尾ははっきりしっかり発音する。
声が小さい、もそもそ言う、語尾がはっきりしないなどの発声をすることは、聴衆に伝えようとする熱意不足があることが多い。

「・・・なので~・・」「・・・けれど~・・」と文の途中を無意味に延ばしたり、強く発音すべきではない。結論の先延ばし、責任回避、ごまかしの準備であることが多く、判断、結論を明確に述べることに反する。
強く発音すべきは文末の判断、結論である。
熱意や誠実がない発表や発言はすべきでない。

6)経験交流、調査報告としての発表
症例や調査、統計的な発表は目的によっていくつかのものに分かれる。他人とは異なるあるいはオリジナルな自分の判断を論理的に主張し、承認、合意を得ようとする発表であるかどうかが分岐点である。

第1は、研究・学術発表としての症例報告や調査報告である。
その症例や調査結果を提示することによって、新たな知見、価値ある判断・結論を証明主張するものが学術的な発表である。

第2は、単なる調査結果の提示で、それなりのまとめ、コメントがあっても、独自の強い主張が無ければ基本的には事務報告である。

第3は、経験交流や懇親、勉強会のための、話題提供である。医学会地方会などの多くの症例発表がこれに属する。
発表の場は勉強会・経験交流会と称するのが適切だが、学会、研究会と称することもあり、またこのような単なる経験症例を医学雑誌が掲載することもある。これは学術発表ではなく勉強・交流のための経験の提示である。
新たな発見、新たなあるいは発表者独自の知見や主張がなくても、論理的に考えたことを提示するだけでも了解される。

しかしこの場合でも、報告・提示する事実とともに発表の目的、価値を述べることが望ましい。
経験交流の症例提示は懇談の話題として話すだけでもよいので、その場合は会の目的によって自由に変えてよい。しかし、単なる懇談ではなく、座長・司会がいる公的な会合であれば、上述したことは留意すべきである。
内容のない、形だけの、何時でも使える言葉を「結論」として述べることや、結論と意義付けがあいまいな発表は避ける。

勉強会、交流会、懇親会で経験例を提示、論議することは有意義なことではあるが、このような症例発表と、新たな知見を発表、主張する症例発表を同列の価値があると考えるべきではない。
発表といえるのは、新たな独自の主張を結論とする第1のものだけである。第2、第3はねぎらいの対象ではあるが、新たな結論と価値を主張するものではないので、研究発表や論文という言葉は不適切である。
第2、第3を研究と称することや、その提示が主である集会を学会、研究会と称することに筆者は不同意である。

議論のしかた
1)議論とは何か

口演、講演、シンポジウムの価値は発表の価値だけでなく、発表された内容という共通の認識の上に、共通の結論を目指して良い議論をすることに価値がある。
厳密には、学会発表は発表するだけでなく、発表に対する質問や意見を受けて十分な回答をし、参加者に承認されて初めて発表した実績として成り立つ。
研究方法や論理、結論が不適切で、参加者から承認を得られなければ、正当に発表したことにはならない。参加者に承認されないレベルの低い講演はすべきではない。

健全な議論とは、新たなあるいは異なる提示された意見を出発点として、より正しい共有の結論を見出そうとする言葉の往復である。健全な議論をするためには、(1)一定の共通認識、(2)議論すべき異なる見解、(3)相手に対する信頼と敬意、(4)共通の結論を見つけようという意思が必要である。これがあって初めてよい議論は成り立つ。

講演や発表を聞き、質問をするということは、演者が提供した知識や考えを演者と参加者が共有する過程である。共有された認識を材料に、演者と参加者が対等な関係で議論することが正しい議論の仕方である。
議論をするためには、演者の結論と主張が明確に提示されることと、演者に対して、異なる見解が提示されることが必要である。
演者は質問や意見に対して的確、論理的で誠実な回答をし、再度発言者の意見や了解を求める。認識を整理し、深め、共通する結論を得るために、適切な言葉を往復させるということが議論の基本である。

2)発言、質問、回答、議論の仕方
意見の違いが無くては、良い議論は成立しない。
良い議論をするためには、異なる正当な見解を作り、発言をする能力を高めて良い発言をすることと、良い発言を、主催者、座長、演者、参加者が歓迎し、議論しようという基本姿勢が必要である。発語、発音の留意点は、口演の留意点で述べた。
口演を十分理解しなかったときにする質問・回答は、議論に必要な共通認識を作るための、基本知識や解説の提供を求める単なる解説依頼と解説である。
これだけでは議論ではない。必要なことは解説を聞くことではなく、良い議論をすることである。

まっすぐに、真剣に、ていねいに、誠実に発言、議論する。
的確に的を絞り、簡潔な言葉で意見、異論、質問を簡潔・明確に述べる。
感想や、発表内容と直接結びつかないことなどを述べたり、演説すべきではない。
相手に敬意を持ち、対等の立場で発言する。
過剰な敬語や上下関係を規定する言葉・敬語は避ける。
上下関係を作り、下からの卑屈な姿勢や、上から見下ろす無礼な姿勢で発言すべきではない。
感情表現や打算をいれないニュートラルな言葉、論理的で虚飾のない、明確、ていねい、穏やかな言葉を使うべきである。

質問や異論には、相手に敬意をもち、対等に、的をはずさない的確な回答をし、その回答に対して相手の意見・了解・意見を再度求めること、この言葉の往復が発言、回答、議論の基本的ルールである。
質問にきちんと的を得た回答をせず、質問者に「あなたはどう考えますか」と切り返すなどはすべきではない。
質問に対して、自分が一方的に回答しただけで、質問者が納得していないまま終了すべきではない。
すり替え、ごまかし、威嚇、侮辱あるいは無視して相手に発言をさせず終了させてはいけない。
基本的には、回答が十分であったことを質問者に確認する気概を常に持っているべきである。

自分の回答が了解されず、引き続き質問や異論がある場合は、快く受け入れ、納得しうる回答、議論をすべきである。
一回回答しただけで、それに対する反論や異議申し立てを歓迎しなければ正当に回答したことにはならない。
演者への異論、反論は、敵対的発言でなければ、演者の発言を深めるものとして歓迎、感謝すべきである。
欧米の文化、議論の場ではこのようなとき 演者や座長は“Thank you” と感謝した上で回答、運営することが多い。
敬意を持つということは相手におもねることではない。
相手を軽んぜず、穏やかな言葉で自分の判断と理由を明確に回答し、その回答が的確であったかを質問者に確認承認を得ることを含め、発言者の再発言を求めることである。

日本の多くの学会や研究会では健全な議論が成り立っていない。
多くは質問に対して演者が一回だけ一方的に解説やコメントするだけで、その回答が不適切で質問者が同意しなくても、異議申し立てや、健全な議論に発展させることはほとんどない。
これは質疑応答にさえなっていない。知識を補うためだけの、質問に対する演者の一方的解説であり、異論を無視、排除するためのセレモニーであることが多い。
演者と異なる意見を歓迎しない講演や議論は演者に対する無条件の同調や思考停止を強要するものである。

発表、発言や回答に当たって嘘を言ってはいけない。
事実に反して「予備実験をした」「再現性を確認した」、「ノイズは無視しうるほど小さかった」と言ったり、意思がないのに「今後検討する」あるいは、他人の経験や文献で知った知識を自分が経験したかのように、あるいは少ない経験しかないのに多くの経験をしたスペシャリストであるかのような言葉がその例である。

正当な論点に対する質問、異見とは別に、質問の形で演者に対して以下の指摘がされることがある。結果の信憑性、結果に対する評価に対する異議、非論理性、発表に当たって演者が当然もっていなければいけない知識の不足、理解・考え方の誤りの指摘などである。
これらは質問の形をとっていても、内容は知識や論理、結論の不足を質問者が演者に教えているか強い異議申し立てである。

反論としての質問や異議申し立てが正当である場合、演者は質問者に謝辞を述べ、誤りをその場で撤回し、正すべきである。内容や発言態度によっては聴衆に謝罪すべきものもある。

再検討して答えを出す能力が不十分なために、その場で演者として適切な回答ができない場合は感謝して後日検討し、回答することもよい。言いのがれのために、その意思もなく「検討中」、「今後検討」と答えてごまかすのはよくない。
質問者より知識や考え方が劣っているにもかかわらず、質問者に教えるという態度をとり、知識・認識不足を立場の違いであるかのように意図的に混同してごまかしてはいけない。教育的な講義・講演でも一般口演でも同じである。

意見や質問に回答したときは、自分の回答が質問のポイントをはずしていなかったか、相手が納得しない不十分、おざなりな回答ではなかったかを自己点検する。
十分に回答する時間がない場合、演者は、発表終了後に自ら進んで、質問者が十分納得する回答をすべきである。

知識を得るための質問、解説は講演後でもかまわないが、議論は講演時間の中で、参加者を交えて行うべきである。
時間がないといって座長が発言を制止し、異議申し立てや議論をさせないことが多い。
的を得た回答をせず、「時間がないから」、「あなたの言うことは分かりました。しかし私はあなたに同意しない」と切り捨てる演者がいる。「言われた意味は理解した。分かった」と言葉の意味の理解の確認が必要なのは内容が難しく、理解が困難な場合のみである。そうでなく「分かった」というのは、分かったという結論を言うためではなく、同意、了解しない相手を高圧的に切り捨てることを正当化し見せかけるための言葉である。

「分かった」と言ったら「だから」あるいは「分かったことに基づいて」と続けるべきである。「しかし」と続け、相手や論理を切り捨ててはいけない。

教育的講演は、講演内容と洞察において、聴衆よりも演者が圧倒的に知識や力量が勝っている場合のみ成り立つ。小中学校や高校の授業、大学の講義はその例である。
能力が卓越していなくても、経験して考えたことや、文献を読んで勉強した知識を演者として提供することは価値のあることであるが、この場合は教育的講演ではなく議論のための話題・資料提供とし、提供した後は対等に議論することが良い。研究者あるいは指導者、専門家であるかのように、教師的立場で講演しようということは適切でない。

演者が圧倒的力量を前提に指導的講演をした場合でも、演者に対する反論や、異議の提示があった場合はその時点で、教師・生徒の関係ではなくなるので、対等な立場で議論すべきである。
講演内容が稚拙で、指導になっていない場合でさえ、聴衆に対して「自分は選ばれた講演演者で、自分が上である」と考えて講演し、質問には適切に回答せずに教師として解説しようとする演者がいるが正しくない。

質問に対して正当な回答ができないとき、それを反省・解決しないまま、別の場で次の講演を行う演者がいるがすべきではない。
まじめで的確な異論を受け付けず、適切な回答、議論をする意思と能力がない場合は教育的講演の演者になるべきではない。演者に責任があるとともに、演者を選んだ主催者にも責任がある。

客観的事実や法則の存在や正しさを知る人と知らない人の違いは、知識の違いであって考え方や立場の違いではない。
議論に必要な客観的事実や法則を理解していて初めて議論は可能である。
参加者が議論するための知識が不足している場合、参加者は演者に、対等に知識提供を依頼してよい。演者は参加者に、有効な議論を行うため議論に必要な知識を提供する義務がある。

議論に必要な知識を演者自身がもっていないことに気づいた時は、演者は、質問者、発言者から教えてもらい、謝辞を述べる、その上で議論に復帰する。知識の提供は議論ではなく議論の準備過程である。

議論の対象は知識ではなく論理、考え方である。議論に当たって必要な知識は互いに提供し、知識を共有した上で議論をすることが健全なあり方である。

相手を見下す解説はすべきでない。回答や解説は相手の発言を制止するためではなく、発言を促進、発展させるために行う。
正当な反論をする能力がない時、細かな数値や約束事の知識をひけらかして、論点をすり替え、相手の異論や反論を抑えるべきではない。
正確さを要求することで相手の主張や発言を封じることは、代表的な反則技である。相手の発言を抑えようとする言葉は、全て誤りである。

日本文化では、事実と認識を区別しないこと、知識の有無と意見の区別を明瞭に区別しないことが往々にしてある。これは克服すべきである。この理解なしに正当な議論はできない。
自分の知識・理解不足を、「意見・立場の違いだ」と考えることや、説明されることを拒否して強引に押し切ること、それらを容認することは、健全な議論を阻害する。

議論の前提となる基礎知識を提供しようとすると、「考えを押し付ける」、「理解しないのは、説明のしかたが悪いからだ」、「面倒な話しをもちこむな」などと、説明を受ける人だけでなく、聴衆や座長が、説明する人を非難、排除することがある。誤りである。
知識の欠如は説明する側の責任ではなく、知識がない側の責任である。

会をこのように運営するのは、知識の欠如と考え方の違いを区別しないことと議論のルールを理解せず、恣意的に会や「議論」を進めようという誤った認識と精神に由来するものである。
演劇鑑賞やスポーツ、会食などをするとき、ルールを無視して強引に押し通し、その場を仕切る(コントロール=支配する)人がいると、その場は台無しになる。学会・研究会における発表や議論も同様である。

自由で知的、健全、有効な議論を保障し、行うためには、ルールの理解と自覚と、ルール違反を容認せず、知的で自由な議論の場を保障しあう参加者の自覚と発言が必要である。

議論や論理には、好き嫌いや個人の考え・立場とは関係なく客観的法則があるということを理解していれば、自分の論理が成り立たないときに、自分の論理・判断の敗北を認め取り下げることができる。
この場合、論理の誤りを認め取り下げることは、単に論理の敗北であって、相手に対する人格的屈服や非難を意味しない。一方、論理が破綻しても撤回せず、強引な言動を続けることは容認されるべきでない。
強引に続ければ、議論と会合を破壊することであり、不公正な人物として人格的社会的評価を下げる。

これが健全な議論のあり方であり、欧米では日常的な常識である。
自分の意見に対して異論や反論が出た場合は、「相手の異論が誤りであること」を論証して論破するか、自分の誤りを認めて撤回するかのどちらかだけが正当な回答・対応である。中間はない。
あいまいな言葉を使ってごまかすべきではない。
誤りがあった場合は、自分の誤りを認めて撤回することだけが正当な対応である。

このような議論は健全に行えば、敵対、非難、攻撃など人格的対決にはならず、楽しく議論できる。友好関係は損なわれずむしろ強まる。

主催者・座長の役割
良い議論をするためには、座長と主催者が良い議論をしようという意思を持ち、議論に十分な時間を用意することが必要である。

座長の役割は、参加者からの適切な発言をていねい、適切に取り上げ、良い議論ができるように、発言を生かして、議論を発展させることである。十分な時間を準備したのに、参加者から良い意見や質問が出ない場合は、参加者の一人として座長が良い意見、異論や質問を述べ、議論を引き出すこともよい。参加者に発言させないことや、演者や座長による価値のない時間あわせの発言はすべきではない。

座長の役割は、質問、発言、回答が適切に行われ、ルール違反がないように注意し、健全な議論を進めることに責任を持つべきである。
日本では、演者だけでなく、多くの場合、座長が率先してルール違反を行い、健全な議論を妨げている。
参加者も、議論するのではなく、まるで生徒のように教えていただくことや、相手の価値を低めるたにけちをつける、意見でなく感想を述べることなどを、良い発言であるかのように誤って理解し議論を妨げていることがある。
良い議論をする認識、自覚、技量がないことによる。

共通の結論に達しようという意思がなく、自分の思い込みや経験や教訓、感想を一方的に述べるだけの「活発な」発言は、見た目が活発でも良い議論ではない。
日本では、多くの学会や研究会、シンポジウム、講演会が議論の場として機能していない。まずいことである。

「時間がありませんので」と言って発言を止めさせるのは時間がなくなったからではなく、主催者と座長が、あらかじめ、良い議論をするという意思をもっていないことと、議論のための十分な時間を用意していないことによるものである。
議論するためには、発表の倍か、少なくとも発表と同じ時間を議論の時間として準備することが必要と私は考える。
座長は、「講演がなされ、若干の発言があり、つつがなく終わること」をもって自分の責任を果たしたと考えていることが多いが、誤りである。
良い議論ができたかに関心がなく「多数が参加し、成功しました」とまとめる座長はまずい。良い議論をすることを目標とし、座長の評価の基準にすべきである。共通の結論を目指すことなく、見かけ上活発な発言があっただけの言葉のやり取りだけでは不十分である。

まとめ
学会、研究会などで、発表、議論することをテーマに以下の考えを述べた。
1.発表、議論は、日記や感想、随筆、ひとりごととは異なり、相手やそれまでの一般認識とは異なる自らの判断と、その判断が合理的であり価値があることを主張し、相手と結論を共有しようとする言葉の往復である。

2.発表、発言、質問、回答、議論に際しては、相手に敬意を持ち、まっすぐ、真剣、ていねい、誠実な言葉で発言し、的をはずさない的確な回答を述べ、それが相手に了解されることが大切である。相手を威圧、ごまかし、切り替えし、はぐらかし、無視など、自分の発言や回答に対して、異論や発言を制止することはルール違反で健全な議論を阻害する。

3.座長、司会者は、かみ合った的確で健全な議論をすることを最大の役割と考えて会を運営すべきである。座長が議論を妨げる運営をしてはいけない。

学会や研究会活動において、優れた言葉を使い、健全で有効な発表と議論をするためには、言葉、論理、議論についての基本的知識と能力、自覚を持ち、発言することが必要である。

健全で有効な発表、議論は、一人ひとりが「自分は、自分ならこう考える」という自分の見解と、的確に主張する能力を持って自覚的な発言をし、健全な議論を大切にする文化を持って初めて可能になる。
より深い真実に迫る、知的で自由な発言、健全な議論は楽しくできるものである。
学会発表や論文発表と議論は知的言論活動そのものである。

価値ある学会、研究会活動、発表活動に役立つことを企図して、発表と議論の仕方についてまとめ、考察した。


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 |  2012-12-03(月) 10:50 |  [コメント:編集]

★岡山。新潟**先生Re: リンク

新潟**先生
お読みいただき有難うございます。どうぞお使い下さい。
医師の中で、放射線問題について、まっすぐな問題意識で話をする共通認識やや関係を作られて、敬意と共感です。
もしよろしければ、本名でも匿名でも結構ですので、公開でコメントいただけると、他の方も問題意識を共有してくださったり、私も返信書きやすいです。
あるいは、非公開コメントに、メールアドレスを入れていただけたら、メールお送りします。
これからもよろしくお願いいたします。
     感謝
岡山博
岡山。新潟**先生 |  2012-12-02(日) 13:14 | URL [コメント:編集]

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 |  2012-11-29(木) 15:17 |  [コメント:編集]

★学会発表に役立つ。Re: No title

①本ブログ記事「よい発表、良い議論を行うために」(1/7)は主に若い人が学会発表を行なうことを念頭に書いたものです。役に立つと思うのでどうぞお読み下さい。良ければまたコメント下さい。

②複数の言語を使えると、それぞれ興味深い言葉の使い方や、おかしなことなど考えることが出来ます。現在の日本語のつかわれかた、言葉の選び方など、もし良かったら議論したいです。
良かったらご意見をまた下さい。

・・・以下はご飯と未練は残すな 産からのコメント・・・
大変役に立ちました。そろそろはじめて学会で発表するようになって真剣に読みました。留学生で日本語で発表します。
日本語を勉強するときは、日本語は「考えます」よりは「考えられます」を使うべきだと注意されました。それに慣れていますので、それを使わないことに少し違和感を持ちます。でも、発表の原稿に「考えられます」は少しずつ削除しようと思います。
日本語の「なる」傾向は弱くなっていくということでしょうか。
(英語は「する」言語と比べて)
これからも続けて拝見させていただきます。
岡山。ご飯と未練さん |  2012-11-23(金) 22:26 | URL [コメント:編集]

★No title

大変役に立ちました。そろそろはじめて学会で発表するようになって真剣に読みました。留学生で日本語で発表します。
日本語を勉強するときは、日本語は「考えます」よりは「考えられます」を使うべきだと注意されました。それに慣れていますので、それを使わないことに少し違和感を持ちます。でも、発表の原稿に「考えられます」は少しずつ削除しようと思います。
日本語の「なる」傾向は弱くなっていくということでしょうか。
(英語は「する」言語と比べて)
これからも続けて拝見させていただきます。
ご飯と未練は残すな |  2012-11-22(木) 17:23 | URL [コメント:編集]

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