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2014.03.31 (Mon)

日赤病院退職の挨拶

        仙台赤十字病職員の皆さまへ     2014,4,12

 平成26年3月31日、私の仙台赤十字病院勤務最後の日、病院玄関ホールでお送りいただきました。初めは一人ひとりのかたに握手し一言お話しできましたが、そのうちにあのようにたくさんの皆さんが来ていただいて、お一人ずつ話し握手することができなくなりました。嬉しくも残念でした。
 2人で抱えきれないほどたくさんの花束と、沢山の方から寄せ書きや文章を頂き嬉しかったです。
送る会には出席するか迷っていたのに存外の喜びでした。ありがとうございました。

 私は15年間、患者さんや職員や人々の苦痛を減らすために、打算を入れず偽らず、真っ直ぐ真剣、誠実に仙台赤十字病院で全力で仕事してきました。
 寄せ書きを読ませていただいて私が伝え共有したかった言葉が通じていた方が、私が気付かなかった方の中にも何人もいたと知ってたことも嬉しかったです。

 他人が苦しんでいてもその苦痛に関心を持たず放置する人がいることは、日本でも多くの外国の社会でも程度の差はあるが共通です。
 しかし自分が相手より「上」の立場になったり自分が安全であるとわかると、他人に対して上から目線で人が苦痛になることをわざわざすることは、日本人と日本社会に強い傾向です。
 病気や災害などで辛い目に会うことはやむを得ないこともありますが、他人が苦痛になることを人がしなくなれば、日本人はもっと豊かに幸せになれると考えています。

 欧米でも東洋でも多くの社会では、他人に同調するのではない自分独自の考えや決断を持ち、それを発言してはじめて独立した従属しない尊敬すべき人として認められます。
 話す相手が誰であるかによって発言する内容を変える人は卑屈で友人にしてはいけないという評価はほとんどの社会で共通です。

 今、日本社会は自分の意見を発言する安全と自由がこの数年で更に無くなってきました。
 発言すると嫌な目に会うことを恐れて多くの人が感想は言うが自分の考えを言わなくなって、自由な発言をさせない社会や人のあり方が悪循環的に強まっていると思います。
 自分の気持ちを伝えるが、自分の責任によって自分で吟味して作る自分の決断や考えを発言しないという言動傾向が定着して、自分で吟味したり決断する必要もなくなり、深く考えることも減っているように思います。
 意識しないと少しずつ変化するので気づかないが、最近数年から十年数年はこのような状況は更に悪くなり続けています。一人ひとりが意識しないで悪循環作りに参加していることが殊に問題だと考えています。

「人が支え合う」ということは話題にするのに、人と共にいることによって逆に苦痛が増す日本的な社会と人間関係は貧しいです。変えたいと考えています。
 それを克服した時に、日本の人と社会が昔から持っている優しさや穏やかさは、人を黙らせる力としてではなく人を幸せにしあう力として発揮されると思います。

 私はこれまで、患者さんや職員など目の前の人の苦痛を減らせるようにと考え働いてきました。
 これからは、目の前にいない多くの人の苦痛を減らすためにも働きたい。
 他人の言動を話題にするよりは、「一人ひとりが他人とは別の自分の判断や主張を話し、同調ではなく異なる考えを楽しく話題にする精神文化と、自由に安全に言動することを保証し合う健全な社会」を育てたいです。

 4月7日からは医学とは関係ない、東北大学大学院国際文化研究科の研究者・教員(ただし無給)としての活動も始めました。
 これ以外にもこれまでで多忙でできなかった執筆やいろいろな活動をしたいと考えています。
 どこか病院を探して週1~2回は外来診療をするなど、医者の仕事も継続しようと考えていますが、準備する余裕がなくてまだ未定です。

 どこかで、嬉しいことや辛いこと、考えや豊かな感性を共有したり話ができるかもしれません。
 ありがとうございました。
              2014年4月12日
     岡山 博


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

        日赤病院退職の挨拶     2014,3,31

陽春の候 皆様には益々御清祥のこととお慶び申し上げます。

私は15年間、仙台赤十字病院呼吸器内科医師として、偽らず、打算を入れず、怠けず、真っ直ぐに全力で診療活動をし、このたび定年退職しました。
無事仕事を全うし得たことは医師をはじめ皆様方のご援助ご協力の賜物と心より御礼申し上げます。

退職後も日赤病院で外来診療は手伝おうと考えていましたが「いつ辞めるかそれだけです」と言われ、辞めました。

日本社会は今、恫喝と恐怖感を与えて人を支配し発言の自由と安全がなくなった戦前に酷似していると懸念しています。
政治的動きとともに社会も医療も研究などの分野でも、そして個人の生活や人間関係でも健全さが壊れて攻撃的抑圧的になり、他人を侮辱抑圧し見下して支配したい言動傾向が強まり、自由な発言がより困難になってきました。

私は、相手に敬意を払い相手の名誉と尊厳と安全を犯さず、知的に議論を楽しむ豊かで健全な文化と精神、人間関係を日本社会に育てたいと考えています。
今後は目前の人だけでなく不特定多数の人々の苦痛を減らすための仕事もしようと考えています。

臨床から離れないために、どこか病院を探して週1~2回は外来診療をしたいと考えていますが、未定です。
東北大学国際文化研究所にも通う予定です。

(追)「発言の自由がない日本社会・優れた言葉」と「放射線被曝」を主なテーマに「岡山博ブログ」とTwitterを書いています。

    2014年3月31日

  仙台赤十字病院 呼吸器内科
     岡山博
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22:26  |  優れた言葉・健全な議論  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
2013.08.07 (Wed)

強い精神、力強い言葉とは何か

        強い精神、力強い言葉とは何か

            有権者が民主党政権を作った
民主党政権は多くの国民・有権者の大きな成果だった。
天下りで固めた、社会を食い荒らす財官政の利権体制と、官僚の打算と保身目的で全てを官僚が支配する日本社会をかえるために、有権者は自民党政権を圧倒して民主党政権樹立の大成果を作った

自民党は後は崩壊するだけというほどに、総選挙で圧倒した。
外からの攻撃くらいでは破れないほどの圧倒した力を有権者は民主党政権に与える大成功を勝ち取った。
しかも有権者と自覚的人びとは、この大成功と後退の中で誰も殺されることもなかった。

民主党幹部と議員の多くが、有権者の財産である民主党政権を崩壊させた
民主党幹部と多くの議員が、政財官の政敵が仕掛けた民主党政権攻撃のための小沢攻撃に、目先打算で相乗りして、有権者の財産である民主党政権を崩壊させた。

当然この罪は大きい。

            今、何をなすべきか
今、自覚ある人々がすべきことは何か。
天下りを軸にした政財官の利権構造と官僚支配を止めさせることだ。

なすべき課題は民主党政権以前と同じだ。
選挙で自民党を圧倒して、財官政の利権構造と、国民と社会を損なっている官僚支配をやめさせることだ。
もう一度同じことをすれば良いだけだ。

しかしそれをしていない。
それをやればよいだけ、既に成功し、できることは証明済みだ。

傍観者にならず多数の人が自ら参加するだけで、自民党を崩壊直前まで敗北させることができた。
有権者は、国民・有権者の財産として民主党政権を樹立させた。
日本史の最近百年にないほどの大成果だ。

やればできることは既に証明され、多くの人は知ったはずだ。

しかし現実は、参議院選挙で、安倍自民党が大勝し、原発地域では自民党が議席を独占圧勝している。

何がおかしいのか。
何をすべきなか。何をどうするか。

もう一度国民・有権者のための政権を作って、今度は、目先打算で大局を見失わない、自覚が高く目先打算で動じない政権を作ればよいだけだ。

人々はそのための言動をしているか?
何を獲得するか、そのためにどうするかを忘れていないか?

裏切った民主党を見下して非難することに関心と言動が向きすぎていなかったか?

現実の個別的な状況に流されず、獲得すべきことを見失わずしっかり見すえて、最も重要で基本的目標を獲得するためになすべき言動をする。

これが強い精神だ。

民主党の幹部や議員が敵に取り込まれて政権が崩壊したからといって、民主党政権を作った有権者が負けたわけではない。
人が殺されるなど大きな痛手を被ることさえなく、自民党政権を放逐させることができることまで経験することができ、国民有権者は見て、体験した。

欧米や中国の歴史転換や革命のとき、ここまでできたら大勝利、「あともう一歩!」大歓声だ。
一時の裏切りによる後退などは、人々と、自覚的人々の強い精神・意志があれば、乗り越えられるものだ。

せっかく自民党を放逐して、有権者国民のための有権者による政権を作ったのに、それを生かさない。

それを生かして獲得すべきもっとも重要で基本的なものを獲得するために更に一歩進めることをしない。

政権内部の裏切りによる政権崩壊を見て、自ら獲得すべきものを獲得する目標と気迫と覚悟をどこかに置着忘れてしまい、裏切り者非難に意識の中心が向いてしまう。

獲得できる寸前というより、既に獲得に成功し、人々がその気になれば獲得できることは証明済みだ。

大きな苦痛や困難もなく、人も殺されずに同じことをするだけで取り戻せるのにしない。
これほど弱い精神は、世界の歴史の中で私は知らない。

私の知識不足もあるが、世界史の中で稀にしかない弱い精神だ。
おそらく日本史の中でもこのように簡単に引き下がって、真の目標を置き去りにしてしまうことはそうはなかったと思う。

           強い精神を育て獲得しよう
「目先や個々のことに動じず、もっとも重要な目標を見据えて、そのために言動することと、自分が到達した精神的地点から後退しない自覚と決意」が強い精神だ。

強い精神を育て獲得しよう。

より良き社会、まともな社会と人のありように関心を持ち、主体者として能動的にかかわる自覚ある人から、強い精神を身につける事が大切だ。

自覚ある人が自覚努力して、強い精神を獲得して強い精神の見本と成果を作るべきだ。
その精神を育て、多くの人もそれを獲得することが、まともな健全な社会と人間関係を作るためには不可欠だ。
強い精神がなければ、仮に何かを獲得しても、すぐに取り返されて元に戻ってしまう。

              力強い言葉とは何か
        力強い言葉を獲得し、使おう

力強い言葉とは「すり替えや侮辱彌脅しに動じず、自分の考えをしっかり持って、論理的に、的を外さない主張と相手への反論をする言葉」だ。
自分の主張や批判に対する反論や意見を歓迎して、きちんと論理的な言葉の往復をする。侮辱や圧力に動じず言うべきことを妥協せずにしっかり主張する。

「圧力に負けず自分の主張を弱めない。相手に敬意を持った態度、論理的で丁寧な言葉で議論する。そして同調やあいまいな言葉に逃げない言葉を使う」、これが力強い言葉だ

相手を見下したりののしったり威嚇したり高圧的な態度や言動は力強い言葉ではない。

高圧的な言動や避難、侮辱は、力強い言葉と反対だ。
それは「力強い言葉がない主張を強行するために、相手に発言をさせないように暴力的な発言抑圧をすること」だ。
それは自由で健全な発言の場を壊し、発言の自由と安全を阻害する言動だ。

他人に対して高圧的な言動や、侮辱抑圧的言動は、力強い言動とは逆の、暴力的であいまいで弱い言葉だ。

発言の自由や安全を阻害する言動はすべきでなく、黙認することもまずい。
発言の自由と安全を互いに保障しあって、あいまいさがない誠実な言葉のやり取りをしよう。

力強い言葉を獲得し使おう。

人が侮辱抑圧されず、自分の尊厳を保ち、他人の尊厳を冒さない、人が互いの安全と名誉・尊厳を認めあい、大切にしあう健全な社会を作るには、それを大切にする知性・道義性・勇気・誠実に裏打ちされた強い精神と、それを言動する力強い言葉を獲得し使うことが不可欠だ。

強い精神と力強い言葉を育て発見し獲得して身に着け、使おう。
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2013.08.02 (Fri)

物言えぬ日本社会の中で失ったもの

「物言えぬ日本社会の中で失ったもの」
岡山博医師(仙台赤十字病院呼吸器科、東北大学臨床教授
<物言えぬ社会>「判断する能力、考える能力、怒り、勇気、熱意、 そういうものを日本の社会と日本人が失ってきた」岡山博先生
2013年7月29日 衆議院会館ティモシー・ムソー講演会「福島における動植物の変異とチェルノブイリとの比較」にて

・・・・・以下岡山博発言の一部書き起こし・・・・

私は福島の事故が起きた時に、ツイッターをやっているんですけれども、
ツイッターの自分の自己紹介のところに、
「福島の事故の本当の一番の原因は、自分の意見を自由に安全に発言する事が出来ない」
そういう社会であると。
福島原発の中で「あれ、これはまずい」と考えた人は沢山いたはずです。
しかし、言う事が出来ない。
言うとひどい目に遭う。
だから黙ってしまう。

という事で、自由に安全にものが言えない。
それから真面目な、正当な、変幻(*「安全」)が正)な議論が出来ない。
そういう世の中であることが今回の福島原発の一番の大きな原因で、
そしてそれにはもうひとつセットがあって、
そういうもの言うと危ない社会の中で、
物を言う意思とエネルギーと自覚が無くなってしまって、過剰に適応して、
だから物を言わない。
物を言う必要が無いから判断をする必要が無い。

という中で、判断する能力、考える能力、怒り、勇気、熱意、
そういうものを等しく日本の社会と日本人が失ってきたんじゃないかという事を私は考えています。

それで今、放射能の問題がとても危ないわけですけれども、
危ないことはもうひとつあって、
それは物を言える(*「言えぬ」が正)社会だと感じます。

私は仙台ですが、
事故のあと、小さい子どもを持つお母さんたちがいろいろ心配しても、
学校から言われることは「安全だ、安全だ」
しかしどうも真面目に考えると安全ではない。
しかしそういうことを話題にあげる人がいない。という事でみんな孤立しちゃうんですね。

それで、そういう人たちがどんどん、どんどん集まってきて、
20位グループが出来て、それでいろんな事を始めたんですが、

「学校の給食も危ないから測って欲しい」今(*「と言うが」が正)測らないんですね。
じゃあ、「測らないんだったら弁当を持っていきたい」って言うと、
「給食は教育だから、そんな勝手は許さない」
牛乳は止めたいから水筒を持っていくと、アレルギーがあるからと水筒を持っていくと、
「牛乳飲まないのは良い」と。
だけど「水筒を持ってくるのはダメだ。学校の水を飲め」と言って、
水筒の水を捨てさせるんですね。

それで、「じゃあ測って欲しい。測らないんだったら自分たちで測ってもいいか」というと、
「持ち出し禁止だ」というんです。

それで、持ちだして測った人に対しては、これは窃盗扱いですよ。

それからそこの担任は、別に担任があおったわけでも何でもないんだけど、
「あなたが不安をあおるような事をなにか言ってませんか」といって、教育委員会から注意です。
この注意というのは法的な中身があってね、3回やると処分なんです。

それで今、学校の先生はどういうふうになっているかというと、
ほとんどの先生は関心ない。
もう、関心がある人はとっても辛いです。
こんな給食を食べさせるという事を強制したくない。
だけど給食教育という事で全部食べる事を点検する。
それから「食べなさい」と言う事を命じられる。

それで「給食も含めて放射能の事を考えます」と言いたいけれども、
放射能のことを話題にすると、生徒も親も不安になるから、教師ごとに違う事を言ってはいけないと。

もう戦前と同じなんです。

学校で教師が「言ってはいけない」という事を言われるとか、
「言いたい事を言ってはいけない」というところで子どもが教育されて、
このようなことも恐ろしいことだと、私は考えています。

そして、今度の事故が起きたことの背景には、物言わぬ社会というものがあるんだけれども、
これに懲りて良くなってきているか?というと実は逆で、
ますますもの言えない社会になっていっている。

これ、外からみたら「とても日本って不思議な世界だ」と思うと思います。
こんな事故を起こしたのに、一番それを推進してきた人たちが一番いま威張っている。

これはいろんな考え方があるんじゃなくて、
まともに考える意思と熱意と能力と、どんどん人の社会は失ってきたんじゃないかと。

私はここを何とかしないと、原発の問題だけじゃなくて、
同じような背景の問題がどんどんどんどんこれからも出てくる。
いま、日米の問題なんかもそうだと思うんですね。

という事があって、
学校の先生が、あるいは親が、自分の子どものために給食の話題を家族でする事が出来ない
そういうところまで教育がおこなわれている。
という事を私は一緒に話題にしたいと思います

・・・・・・・・・・・・・・・・・
この文章は
「春を呼ぶフォーラム。ティムシー・ムソー講演会」衆議院議員会館ホール 2013年7月29日で、コメンテータとして私が発言した一部を 書きおこし、ブログみんな楽しくHappyがいいに掲載して下さった記事2013年8月1日の転載です。


岡山博講演とディスカッション録画は 岡山博講演と議論録画

今回の参議院選挙で当選した、川田龍平さんと、山本太郎さんも講演会にこられて、お二人と会場で少しお話しました。


00:36  |  優れた言葉・健全な議論  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
2012.11.20 (Tue)

良い議論をしよう 

     良い議論をしよう/良い議論のしかた
        良い議論がなぜ大切か
  
                                       岡山 博
要約
・日本は、異なった意見を出し、議論する認識が希薄だ。
・準備された結論を無批判にそのまま理解するか、同意同調させるための会合や会議が多い
・有効で健全な会合や議論になっていない。優れた発言が活きない。
・発言の自由と安全が保障されていない
・良い議論とは1)共通の目的を持った人が、2)異なる意見を提示して、3)共通認識を土台として、4)異なる考えを吟味して深め、5)共通の結論を作り、6)最後に共有した結論を確認する。
・他人が気づいていないことを発言し、的をはずさず、簡潔・明瞭な、論理的で敬意ある言葉の往復をして、共通理解を作ることが良い議論。
・良い発言・議論をするためには、まっすぐ、真剣、丁寧、誠実な姿勢が基本だ
・相手の発言内容と発言した人の価値を低めようとする言動は、良い議論を阻害し他人を抑圧するルール違反だ。
・日常の個人的な会話や、日本的な人間関係、社会のあり方にも共通している。
・良い議論をすることは、人が互いを侵害せず尊重しあう、豊かで健全な社会や人間関係を作るためにも不可欠だ。

 はじめに
 議論は、同じ目的をもった人が、異なる意見を提示してはじめて、有効で良い議論ができます。
 異なる意見が出されなければ議論ではありません。
 しかし日本では、異なった意見をたくさん出し、議論して認識を深めて共有する認識を得たり、そこで作られた共有認識を基に共同して方針を作るという共通認識が希薄です。

 多くの会合では、主催者や演者の発言を、そのまま理解することが参加者に求められたり、準備された結論を同意同調させるための会合や会議が、日常的に行われています。
 社会的権限を伴うような会議や会合では、関係者や社会から批判されないための形だけの会議を開くことが日常的に行われています。

 そのような場では、始めからまじめな議論をするつもりがないので、まじめに議論する人は主催者から邪魔扱いされることが多い。
 良い議論をしようと考えて優れた異論を提出すると、無視されたり抑圧されたりすることがあります。
 研究会のように、必ずしも結論や決定をする必要がなく、本来は議論そのものが目的であるはずの会合であっても、質問に対して的確で誠実な回答はなく、質問者が了解しない解説的な見解を言って打ち切って、回答に対しての再発言や異論、議論をさせないことがむしろ一般的です。

 行政や事業所やその他、自主的会合でさえも、何らかの結論や方針をだす必要がある会議では、準備された結論に異議を含む発言は、的確な回答や深める議論が出来ないことがしばしばあります。

 異論発言と異論を発言した人を厄介者扱いして無視し、同調を強要する。
 それでも発言すれば、恫喝、抑圧し、準備された方針を無条件に受け容れないで異論を提出する人には、意見の内容を越えて、永遠にその会議から排除しようとします。

 議論の場といいながら、現実には議論することを阻み、まじめに議論しようという人を抑圧、排除する。
有効で健全な会合や議論になっていないということです。
どれも議論にあたっての、深刻なルール違反です。

 無条件に従うことをしない人に対しては、更に会議とは関係ない分野にまで広げて、会議と関係ない分野からも排除するなど、発言内容無視に留まらない、発言する人の排除、抑圧、加虐行為事が問題です。
 更にそのような行為が批判されずに繰り返されていることは会議の問題に留まらず、社会としても深刻な問題です。

 このような会合では、優れた発言が活きずに捨てられてしまい、深められて実りあるものになりません。
 同時に重要なことは、発言するということの自由と安全が保障されていないということです。

 そのような不健全な会合は、行政の会議でもっとも顕著にみられる。行政だけでなく企業や職場、その他様々な団体、さらには議会や学術的な研究会・学会や自主的な個人の集まりでさえもでも日常的に同様な会合と議論がしばしば行われています。

 有効で健全な会合や議論とは何か、良い議論をするためにすべきこと、良い議論をすることがなぜ大切なのかについて私の考えをまとめました。

I. 良い議論の進め方/議論の価値と目的
      良い議論とは以下のものです
・ 共通の目的を持った人が、
・ 異なる意見を提示して、
・ 共通認識を土台として、
・ 異なる考えを吟味して深めて
・ 共通した結論を結論を作り、
・ 共有した結論を確認して共有する。

           議論のスタートとして何を発言するか
・ 他人が気づいていないか、あるいは共通認識になっていないことを発言する。
・ 新たな自分独自の意見を追加しない同調意見は「意見」とは言いがたい。
・ これを出発点として、以下に述べるように、議論によって内容を深める

         演者や他人の発言に対して、どのような発言や質問をするか
1.他人の発言にについて、自分が、その発言内容に共有・評価できる点を述べる。
  (発言者は、議論を共有したいと考えて発言しており、参加者は共有点があるから会合に参加しているので、意思があれば共有点はみつかる)。
2.提出された異なる意見の中で、自分の考えが異なる点と、根拠を、簡潔明確に述べ、
3.発言した自分の意見について相手に意見を求める。

      自分への意見への回答や、他人の発言に対する発言の仕方
・ 自分に対して発言してくれたことを歓迎し、謝辞を述べる
・ 自分が質問者に同意できる点を述べる
・ その上で、相手の異論・質問に対して、的をはずさず、簡潔で明確な回答をする。
・ 回答したことに対して、質問者の了解か再発言を期待する。

以上のように、的をはずさない、簡潔で明瞭な、論理的で敬意ある言葉の往復をして、共通理解を確認することが良い議論です。

このような良い発言と議論をするために必要なことは以下の基本姿勢です。
1.自分の都合などの打算をいれず、「まっすぐに考える」
2.思考停止や先送りをせず、全力でその場で自分の結論を作ることと、自分の考えを伝える熱意を物という「真剣」
3.自分が判断し、発言したことが正しいかどうかを吟味する「丁寧」
4.すりかえ・ごまかし・相手の信用を低めるなどの策動をしない、上述1-3を基本にした相手と自分に対するあり方としての「誠実」

このような良い発言と議論をするために、どのような言葉を使うか。
・ 相手に敬意を持った言葉。見下し・非難はダメ
・ 知的論理的言葉を使う
・ 感情的言葉は避ける。感情的(emotional)は知的(intellectial)の反対語です。
  相手を非難したい場合は、非難するのではなく、相手に敬意を持った単語と文章を使い、非難しようとする根拠と結論をきちんと述のべ、それに対する相手の反論や解答を歓迎し、快く受けて、受けた反論に的を外さない敬意ある言葉で論理的な回答をする。


II. 会合や議論で、すべきでないこと
前述下こと反することが、議論においてすべきでないことです。

          議論の価値と目的
・ 共通の問題意識と目的を持ち、まじめに議論しようという意思がなければ、健全な議論はできません。

          何を発言するか
・ 共通の結論を得ることを目的とせず、相手を非難することは健全な議論とは別のものです; 相手を批判して真実を明らかにし、相手を打ち負かすための論争は社会的な論争としてありえますが、通常の会合における健全な議論とは別に考えるべきものです。
・ 質問の形をとりながら、質問内容が明確でなく、自分の考えを長時間演説してはいけない。
・ 自分の考えを述べるのは、異論・質問を述べたことに対する演者の回答を得てから、回答に不同意であるとして自分の意見を述べる。
・ しかし、日本の会合では、このような言葉の往復が保障されることが少ないので、はじめの質問の際に、自分の考えを述べることはやむをえない場合が多い。この場合でも演説するのではなく、自分の考えの結論だけを簡潔に述べる。

      自分への意見や、他人の発言に対する発言の仕方
・ それまで自分が気づかなかったことをだれかが発言したら、自分が気づかなかった内容を発言したことに敬意と尊敬を持ち、自分は考えてなかったことなのだからまず考えてみる。
 そして、同意、共有できるものを探して共有して議論を深めるべきです。が、それと逆に、考えもせずに否定する方向で発言を進める人がいます。

・ 例えば、他人の発言や提出された意見や異論を考えて深めようとはせず、発言内容と、発言した人の信用落とししたり否定する方向で、条件反射の如く上から目線で話を進める事によって相手の再発言を封じたりその人の発言内容が取るに足らないもので、発言を続けることが価値がなかのように対応してきちんと回答をしない人がいます。このような人は同じ相手に対して常にそのような姿勢で話します。
 「その発言は好ましくないのではないか」、と穏やかで諭すような言葉で言うか、あるいは高圧的な恫喝的な言葉で言うかは、その場のその人の地位とその人のキャラクターで、幅があります。
 しかし、自分が気づかなかった異論提示について、考えて深めようとせずに、否定して黙らせよう、無視させようとする考え方は共通です。

 このように、相手の発言内容や相手の価値を低める発言をする言動傾向を強く持っている人は、その人が属している小集団の中で出世したい上昇志向性が強い人や、自己顕示欲、支配欲、自分の打算に役立たないことは他人が優れていても互いに讃えあうことをせずに上級者にほめられたい人に多いと思います。

・ 相手の発言内容と発言した人の価値を低めようとするこのような言動は、良い議論を阻害します。
 また、意見を提示した人の価値を低めようという動機と内容を含んだものなので、無礼であり、対等で互いに尊重しあう人間関係や小社会を抑圧します。

・ 抑圧的な発言をする際に、恫喝的あるいは相手に屈辱を与えようとする言動を伴えば、「議論のルール」違反です。
更に、そのよう意味合いを持つ言動は「議論のルール違反」や人のキャラクターの問題を越えて、他人を抑圧し、人格を侵害するものなので、単に会議運営の問題にとどまらない人格抑圧、人権侵害の犯罪と考えるべきレベルの事です(注)。

         会合を主催・運営や、講演をする人がすべきこと
 以上は良い議論をするために誰にも共通な課題です。
 しかし、よい会合や良い議論を実現するために最も簡単なことは、主催者と座長がその意思を持つことです。
 良い議論をしようという自覚を持つ人が、主催者・座長・演者になる機会があるのであれば、その会を、良い議論ができる会として運営することが出来ます。意識して良い会を運営しましょう。
 
 優れた会合を作ることによって、健全な議論をする文化を日本社会に広げることができます(注2)。
具体的には、
・ 講演時間以上に自由発言の時間を準備する。
・ 異論発言を歓迎する。
・ 質問に対しては、的をはずさない簡潔な回答を要求し、
・ その回答を質問者が了解したことを確認する。
・ 知識解説ではなく、議論を求める質問については、演者だけが長時間はなすことをさせずに、演者と質問者が立場も、発言時間も対等にする
・ 演者と会場の発言者がルールにしたがって発言、回答する運営に責任を持つ。

 まとめ
 有効で、健全な議論をするために、私の考えをまとめました。

 本論で述べた内容の多くは、議論に限定されず、日常の個人的な会話や、日本的な人間関係、社会のあり方にも共通しています。
 健全な議論ができない社会は独善的な人々が仕切りやすい、貧しく危険な社会です。
 他人の名誉をわざわざ侵害して侮辱を与える日本的言動傾向は、社会の人々全体の幸福の量を減らし、人の苦痛をわざわざ増やしています。

 良い議論をすることは、人が互いを侵害せず尊重しあう、健全で民主的な社会や人間関係を作るためにも不可欠です。

 気持ちや感情表現を過度に強調せず、言葉・論理・議論を大切にして、言葉・論理・議論についての能力・情熱・自覚を育てることが、日本の人と社会には必要と私は考えています。

(注1) 刑法第230条:「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する」

 日本の刑法は、憲法とは異なり、戦前の刑法を部分的に手直ししただけで、十分民主社会に合致したものといえない部分がある。
 多くの先進国では「侮辱罪」が明確に規定され、他人を侮辱することは強い罰則を伴う刑法犯罪として取り扱い、個人の名誉を法的強制力をもって保障している国が多い。

 一方、日本の刑法には明確な侮辱罪の規定がない。
 名誉毀損がそれに対応していると解説されるが、日本の刑法の名誉毀損は、「公然と公衆の前で」名誉を毀損することだけを対象としており、屈辱や侮辱を与える言動が、多数の人の前で行われなければ、他人の権利を侵害する犯罪として検挙して人権を守るようになっていない。
 名誉というものが、人格そのものにかかわる根源的で貴重なものと考えず、「周囲からどう見られるか」という、日本的精神・考え方が関係していると思います。

刑法第223条(強要。脅迫罪の項目に記載):「生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する」
 
 恫喝的な言動や、人事権を使った強要は本来この脅迫、強要罪に当たるものです。
 しかし、刑法が、明治刑法の改訂版でしかないために個人の名誉と権利を守る点で不十分な点が多い。
「害を加える旨を告知して脅迫し」と書かれていて、「脅迫し危害加えることを言葉では告知」しなければ、脅迫行為を禁止することが明示されていません。

 刑法に明記されていないという問題であると同時に、法務省などの行政による通達や指導による適用解釈が、個人を守る立場で行なわれていないことが関係しています。

 それを良いことに、暴力団や企業経営者が、言葉で明確に告知することを避けながら、恫喝・脅迫的な言動をして、従わないと危害を加えることを暗示して脅迫したり、人事権を使って従業員に損害や屈辱を与えることがしばしば起きています。
 このような状況でも、警察や労働基準局を含めた行政は、ひとり一人の安全と名誉を守る自覚と熱意がありません。
 実際日本では、荒々しい恫喝的言動や、人事権を使った加害行為は、現在、犯罪として検挙されることはほとんどありません。

 近年は就業に関した恫喝や脅迫はパワハラとして対応することを若干するようになったが、個人の安全と名誉が法律と行政の強制力によって十分に守られていません。

 発言した人の価値を低めようとする言動は、良い議論を阻害する言動です。
 これは、意見を提示した人の価値と名誉を低めようという動機と内容を含んだものなので、無礼であり、対等で互いに尊重しあう人間関係や小社会を阻害・抑圧します。

 個人の名誉と人格に対するこのような加虐行為は、物質的損害や、肉体損傷を生じる暴力行為などのような被害が形として深刻で明確な事態になるまでは個人の名誉を守るためには警察や行政は動こうとしません。個人の安全と名誉を守るための行政の取り組みは弱い。
「脅されているだけでは警察や行政は動けないから、暴力行為や、明らかな労働基準法違反行為が実行されて、それを証明できる材料をそろえて相談に来るように」と相談した人が言われるとはよく聞くことです。
 日本は「個人の名誉や精神の安全を守る意思が弱い」という意味でも民主社会、近代社会として後進性が強い社会です。

 外国映画で、マフィアや暴力団が荒々しい言動をせず、いざとなったら一撃で殺す場面がよくあります。
 これは、他人に恐怖心を与えたり、名誉を損なう荒々しい言動自体が犯罪として逮捕されることが一つの背景と思います。

 欧米では暴力団も使えないほどの恫喝・脅迫・継続的に屈辱を与えるなどの犯罪的な言動が、日本では日常生活や、公的・私的会議でさえも罰せられず、本来は犯罪として罰せられるべき言動が黙認され、個人が守られていない。
 そのような恫喝・脅迫・屈辱を与える言動傾向が人と社会の精神に定着して、様々な場で会議や社会が運営されています。
 明確な言葉にしないように気をつけて脅迫や恫喝をする暴力団や経営者は、本来、その時点で犯罪です。

 そのような職場環境では、従業員・職員に恫喝、言外の脅迫をを含む不公正・不公平な言動が、内容が不当労働行為であることを認識しながら、不当行為と処罰されないように、言葉を選んで使って、経営者が職務上の指示を超えて、職員を人格的に”管理”する傾向を強めます。

 経営者が異論発言する人を不当に排除し始めると、自分が排除したことの正当性を主張したいために、排除した人の優れた内容や結果の価値は無視して評価せず、現実離れしたその人の”問題点”をあげつらい吹聴して名誉を貶める不公平・不公正で陰湿な言動を拡大します。そのような情況では、陰湿な嫌がらは解決されず、抑圧に対する恐怖感が職場を支配するようになります

 暴力や脅迫されて金品をとられた結果を持っていかなければ、個人を守らないという日本の行政の民主主義後進性が、個人の名誉と安全を守らない後進的社会と加虐的言動を助長しています。

 「他人の名誉や権利を抑圧することを否定し批判する」見識を持たず、むしろそのような言動を好み、他人を抑圧したい人が、様々な場所で、幹部としての地位を得やすいという不健全な社会であることと、そのような人が更にそのような性向を発揮しやすいというのが現在の日本社会です。

 個人の名誉と、どの個人も人として尊重される、精神が豊かで健全な社会にするためには、それをめざす社会変格のための活動と同時に、優れた発言・議論をする能力・熱意・自覚を日本の人と社会が獲得することが不可欠です。

(注2)私は、講演会で演者として話すとき、
・ 異論発言や講演途中の発言を歓迎し、
・ 講演時間よりも自由発言のための時間を長く取ることを心がけます。
・ このような運営をすることによって、これまでどの会合でも、主催者が驚くほど沢山の発言が出ます。最も最近の講演会は、講演90分、自由発言120分、講演会後会場外での質疑と対話でした。別の研究会では、3人の演者がそれぞれ30分講演したあと自由討論90分と、討論時間を長く取っていただくことができ、良い会になりました。
私が医学部で学生に医学の講義をするときも「沢山質問すること」と、「知識を手に入れることだけでなく、論理的に理解しようとすること」を学生に話してから講義するようにしていますが、その熱意は低い。

                 (2013年6月24日 加筆修正)
17:03  |  優れた言葉・健全な議論  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑
2012.09.19 (Wed)

自由に物を言えない抑圧社会  原発事故と損害を拡大している真の原因

           自由に物を言えない抑圧社会
   原発事故と損害を拡大している真の原因


       日本社会は安全に自由にものを言えない社会だ
• 日本では、職場を始め様々な集団内で、社会的立場が上のものは、全人格的身分として下位の人を支配する。対等な対話・議論をさせない、挨拶や言葉使いまで身分が下であることを強要する。

• 人格的に対等、対等な対話・議論を求めると、話題とは関係ないところで損害と屈辱を与える執拗な嫌がらせを無期限無制限に続ける。日本中いたるところに存在する、日本社会と人間関係の基本的行動様式、管理様式になっている。

• 「自由な発言抑圧と人格抑圧の言動を黙認してはいけない」ということが、社会規範と人々の共通認識になっていない。
・ 日本では、相手に屈辱と損害を与えて支配する程度は、個人のキャラクターで決まってしまう。他人の人格・尊厳を破壊する言動があっても批判されず黙認される。上位のものが人格的に他人を下位のものとして人格や人生まで支配している。

• 個人のレベルでは反民主的・反道徳的・強圧的なボス的言動の横行と、無条件同調強要に過剰適応して自分で判断し自分の考えを発言する意思と能力を失い、他人にもそれを要求しあう人々が多数であるということだ

• 民主社会・近代社会であれば、相手に屈辱を与える言動は、社会規範として必ずそこに存在する人々から批判される。
同時に多くの欧米諸国では法的に侮辱罪として犯罪として扱われる。相手を侮蔑する言動をしてそれを批判されれば、侮蔑した言動を取っていないと十分に釈明しないとその人は社会的地位を失う。

• 全ての人が対等平等にふるまえることを社会が法的に強制力を持って保障し、社会規範として人々が保障しあう。それを前提に社会運営をするのが近代社会、民主社会の原理だ。人格抑圧の言動を黙認し横行する日本社会は反民主的身分社会だ。

• 「自由に発言できない社会」と、「発言する熱意と能力が乏しい」という問題が、福島原発事故を起こし、稚拙な事故対応をして損害拡大を繰り返した底流にある

• 自由に安心して発言できない日本社会のあり方は、原発事故に限らず、殆どの社会問題と、個人の多くの苦痛の基盤になっている
• 殆どの社会問題や、個人間の問題の解決を妨げる原因でもある
• 言葉・論理・議論軽視、異論排除、無条件同調強要を行動原理とする日本社会が福島原発事故の底流、真の原因として存在している。

      原発を造り拡大するために健全な議論や異論発言を抑圧した
• 日本の原発は、導入決定、地域決定、建設、全国への原発建設拡大、原発運営というどの段階でも、健全でまっとうな検討は殆どされなかった。
• 原発導入、拡大の大方針を作ったあとは、「無条件に実行させる」という行動方針で、異論・批判や議論は完全に排除・抑圧して強行してきた。
• 官僚が打算と保身のために大方針を作る。
• あとから表向きの理由をつくる。嘘の理由なので、誤りと指摘されても健全な議論はしない。

• 真の目的を主張せず、表向きの嘘の理屈を振り回して強行する。失敗があっても教訓を分析せずに強行する進め方は帝国陸軍以来続いている。
本来の目的はあいまいになって手段であるはずの方針が自己目的化され強制される。方針の問題点を再検討することを敵視して指示通り動くことを強制し、その遂行で責任を問う。
これは戦後も官僚機構運営に主導されて拡大し、現在の日本社会の行動・運営原理になっている。
日本に著しい傾向だ

• 太平洋戦争で、アメリカ軍は戦闘失敗があると徹底的に原因を分析して教訓を引き出し、同じ失敗を繰り返さないとりくみを、失敗のたびに行った。自軍の被害が最小限になる取り組みを重視した。日本は、過ちを点検して再発しない取り組みはせず、失敗しても同じ方針を強要して損害を増やした。

• ナチスドイツは、「ユダヤ人を虐殺することやユダヤ人の財産を一方的にとりあげることが正しい」と、理由をしっかり主張した。
• 一方日本軍は真の目的を国民に言わず、アリバイつくりのための見せ掛けの説明をして国民と社会を偽ることを基本姿勢とした。
• 「略奪を禁ずる」と見せかけの訓令を出して、実際には「現地調達」を方針として中国や東南アジアの人々から略奪した。略奪の事実にはアリバイつくりの訓令を示して努力していると偽り、食料略奪が不首尾になると現地調達方針を遂行しないと言って現場を叱責した。
• 強制的に特攻隊に自主志願させた上官自身は特攻に参加しない。敵艦まで到達できないとわかっていながらスピードの遅い練習機を特攻機として使い、特攻で死なせることを自己目的化して強制した。二人が不要でも特攻機に二人乗務させて死なせた。機体の故障で帰還すると裏切り者扱いして侮辱攻撃した。
• それまでの方針が誤りだといわせない恫喝をするために、失敗した方針を改めずにどこまでも継続、強制した。

       原発推進論者だけで原発を造り運営した
• 問題点の検討を要望する異論や批判を敵視した。
• 異論無視に加えて、異論発言する人を、敵視・侮辱・排除した。
• その共通認識をもつ原発推進論者だけで現実的には原発政策決定・建設・運営を独占して、原発を拡大してきた

        官僚が作った原発支配の構図
• 同調しない異論に対して、的をはずさない適切な反論や解説を行なわない
• 同調しない人の意見や、主張内容を無条件に、侮辱・抑圧・排除した。
• 同調せずに、異論や問題提起する人を、人格として侮辱・抑圧・排除することを暗黙の基本方針とした
• 同調しない人を排除する姿勢は原発推進者の中で、強固で基本的な暗黙の了解事項となった。

        原発現場での抑圧
• 技術者が、問題を発見したり、改善の提案をすることは歓迎されず、逆に疎まれて不利益を受けたはずだ
• 改善課題を放置し、自由な発言が困難な環境の下で、問題点は発見されても改善されず、放置、蓄積され、発言する熱意も減ったはずだ。
• そして福島原発事故に帰結した。

         原発事故発生後の経過
• 抑圧的基本姿勢は、原発が大爆発を起こした後も続いている
• 原発に批判的意見を敵視・排除する基本姿勢で対処した
• 適切な事故対応をせずに避けられるはずの損害も回避せずに、繰り返し拡大した。
• 世界の全能力を結集して対処しなければならない緊急事態でも、事故の危険性、対処法を提起してきた批判的専門家は排除した。今も続いている
• 原発推進論者だけで事故処理を今も独占している。
• 異論に対する抑圧方針は強化・繰り返して現在に至っている。

         福島原発爆発の直接原因
• 第1番の原発爆発の原因は震度6の地震で送電鉄塔が倒れ、外部電源2系統が全て供給不能になり冷却不能になった。これが大爆発にいたる直接の原因だ。
• 第2は外部電源が破綻したときに緊急用発電が働かなかったこと。津波による緊急用発電機の破壊と、電源車から電力を供給させる為の電線が短すぎ、接続するコネクターの形状が異なっていたために接続できず、電源車から電力が供給できなかったことの2つが電源バックアップ失敗の原因だ。
• 想定外津波による緊急用電源喪失が爆発原因だと東京電力は主張している。緊急発電機の不作動によるバックアップ失敗が爆発の原因と主張するなら、電源車の接続失敗によるバックアップ失敗も津波による緊急用電源破壊と同等の爆発原因だ

         「想定外」の意味
• 地震国日本の原発はリスクが高すぎて、ロイド保険と契約不成立。
• そこで「想定外自然災害による事故では、電力会社は、賠償その他の責任を負わない」という法令を作った。
• 東電が「想定外」と言う言葉を絶対に引っ込めないのはこの法令を生かして、安全管理を怠った電力会社と、歴代官僚を免責し、損害は被害者と国民・税金に負担させるためだ。想定不可能な津波だったから対策できなかったと言っているだけではない。
・「大地震や大津波の危険を指摘して対策を要求してきた人たちがいるのだから「大地震や津波は想定できなかった」と言うなら、想定できない低能力と、想定した意見を排除した2つの責任で処罰されるべきだ。

         事故時の恫喝
• 事故で汚染され、爆発が起きても、最小の可能性だけを説明した
• それ以外の発言は不安をあおると威嚇・恫喝した。スリーマイル事故と比較して考えるなどは過大で悪質な発言だと非難した。
• 事故と放射能汚染が拡大する可能性について、自覚がないマスコミは質問さえしなかった。

        被曝拡大を誘導した
• 国と東電のキャンペーンの下で、避難すべき人が避難せず、高度汚染された自家野菜を食べ続けた。
• 一方で、東電社員家族はきわめて早期に、適切に福島から避難した。関係者がいち早く避難したことは非難すべきではない。住民を避難させなかったことが問題だ。
• 的確な批判をすべきだ

         被曝医療専門家の「解説」
• 「低線量被曝の傷害はない」と考え、主張する専門家がいても良い。
• しかし、異なる考えがあることを紹介せずに「誰もが認める真実だ」と「解説」するのは嘘だからしてはいけない。
• 異なる意見を「煽動するな、不安を持たせるな」と発言抑圧してはいけない
• 特権的な立場で批判意見が存在しないかのように人を欺いて「解説・指導」するのは誤りだ。特権的な立場で、それ以外の考えはないと偽って、他の考えを抑圧することは無条件同調を強要する恐怖社会だ
• 20mSv被曝すれば0.1%が癌死する。日本の全法令の基本的立場。彼らも認める。
• 「日本人の半数は癌になるのだから0・1%が増えても誤差の範囲だ」と言う。
• 「70歳過ぎれば半数が癌」は正しい。癌が非常に少ない若年者について考えれば癌死は何十倍に増える。若年者でも誤差の範囲であるかのように誘導するのは人と社会を欺くものだ
• 人生で何らかの利益を得るために0.1%の生命リスクを覚悟して、判断することはある。利益無しにリスク引き受けを誘導することは、私は犯罪と考える。

        行政幹部
• 10万人に責任を持つ首長や教育委員長が0.1%の癌死を回避せず容認すると、100人が新たに癌死することを意味する。
• 現代社会で、100人が新たに死ぬことを認可するという権限を特定個人は持っていない。行政担当者がそのような権限を持っている認識は問題だ。
• 思考停止と既存路線強行に慣れ、人としての誇りと、行政責任者としての自覚を欠如した行政責任者は、判断の重大さに無関心に、上位者の意向に沿った判断発言をしている。

             福島医大
• 福島医大の医師の1割が辞職した。
• 勤務している医師の多くは家族を福島県外に避難させている。これが被爆に対する福島医大の多くの医師の認識だ。
• しかし、学内で、被曝や汚染を語るのは殆どタブーで自由な議論は抑圧されている。圧力に抗して批判する医師はほとんどいない。
• 被曝に関した調査や研究を実質的に禁止している。抑圧を更に強化して福島医大を、被曝医療の中心にしている。

          母親たちの要求・学校の放射能
• 学校の放射線を測ってほしい→拒否
• 測定と対策に協力したい→拒否
• 自分たちで測りたい→拒否。構内への立入禁止
• 学校周囲を測った。汚染確認→無視
• 「放射能は危険でない」教育を始めた
• 相談した母親をモンスターペアレンツ扱い。2回相談したら「神経過敏だから精神科受診を勧められた」
• 多くの地域で保護者が学校周辺を測定した。汚染が明瞭だ。こうして行政から指示が出て学校も測るようになった。それまで測らなかった反省は無い。ほとんどの学校は、生徒の被曝回避行動をとらず抑圧した
• 測定器が学校に支給された。校長教頭と担当教員以外は使用禁止し、他の職員や保護者が使えない学校もある

         母親たちの要求・学校給食と牛乳
• 給食の安全に疑問を持つ母親。弁当持参→禁止。「給食は教育の一環。勝手な行動は禁止する」残さず食べる教育を強要
• 牛乳飲ませたくない。水筒持参→禁止。別の理由で水筒持参すると水を捨てさせ水道水を飲むことをを強要
• 給食放射能測定を希望→拒否
• 自分たちで測定したい→禁止
• 給食残りを集めて持ち帰って測定→窃盗扱い。被曝に批判的教師を窃盗助長として指導
• 「暫定基準値500Bq/kg以下は安全だから特別の対応はしない(させない)」


          事故経過のまとめ
・行政と電力会社は、原発の設置、拡大、運営、福島原発事故、事故後の対応のどの場面でも、真実を説明せず、議論を抑圧するために、社会と国民に偽りを言って、原発大方針を継続実行し、それまでの失敗を過小評価し隠蔽してきた。
・国民に真実ではなく偽りを言うことが行動様式の基本として現在も続いている。福島では、放射能を心配する言葉を口に出すことも出来ない。恐ろしいほどの言論抑圧社会が現実になっている。

・他人や社会を偽り、異なる発言する人を敵視・排除しては、原発を健全に運営することも、原発事故を健全・合理的に収束させることはできない。
・再点検し安全取り組みを強化して安全性を確認したと言って大飯原発を再稼動させた。
反対意見を敵視・無視して、偽りの説明をして強行した。

・異論を排除して強行するあり方が福島事故の最大の原因だ。これを改善せずに、原発稼動を安全にすることはありえない。
・津波堤防を数メートルかさ上げするなど見せ掛けの対策をして安全になったと偽りの説明を懲りずに繰り返している。

・福島事故が想定外の災害のために起きたという主張から出る唯一の結論は「想定しきれないことで大事故を生ずるから、想定した対策をしても安全を保障できない」という結論だけだ。
・ここでも、自分でも信じていないごまかしを言って、押し切っておけばかまわないという姿勢が貫かれている。

        自由に物をいえない日本の人と社会
• 原発大爆発後も、自由に物が言えない社会を改善していない。逆に強化した。
• 物言えぬ日本社会のあり方は、原発事故に限らず、殆どの社会問題と、個人の多くの苦痛の基盤になっている
• 殆どの社会問題や、個人間の問題の解決を妨げる原因だ
• 自由に物が言えない、嘘・偽り・恫喝・侮辱が批判されず横行する社会は不健全で危険だ

         過剰適応
• 強者に無条件同調を強要する社会に人々は過剰適応した。異論発言や、自分で判断することを恐れる精神を強めた。
• 考えるということは、「本当にそうか」と異論を考えることから始まる。そして答えが出るまで考え続けることだ。
• 多くの日本人は異論発言を避けて同調することを目指し、自由な発言を控えることを繰り返した。そして自分で検討・判断し発言する、能力・熱意、自覚を後退させた。
• 与えられた情況と選択肢の中から、気分で選ぶだけの言動を日常化した。論理を軽視して気持ちで納得することを繰り返した。作られた状況に流されて判断行動をする体質を身につけた。自分の言葉で発言しないと情況に応じて気持ちはかわる。自分の判断を長期に覚えていることはできない。
• その結果、遅い状況変化は気づかず、状況に流されて判断していることに気づかない。それを問題と理解する能力も失う。

         健全な社会とは
• 自由に安全に発言できない。異論を抑圧して強行する社会と、自分で判断して発言行動する能力・勇気・自覚の貧弱は原発問題に限らない。
• ほとんどの社会問題と個人の多くの苦痛の基盤になっている

• 人が大切にされる健全な社会とは、侮蔑・脅迫・恫喝・欺きを容認しない社会だ。

• まじめな発言を抑圧させず、敬意を持った論理的で、核心を外さない議論を楽しむ、知的で健全な文化と精神を育てたい。
• 人の誇りを尊重し踏みにじらせない健全な文化・社会・人格を育てたい

• そのためには
   ①優れた言葉の往復で発言・議論する自覚と能力
   ②相手に対する敬意、論理的議論を楽しむ知性と道義性・勇気
         が必要だ。

         優れた言葉とは
①打算をいれずにまっすぐ考える
②判断先送りしない真剣
③丁寧な思考
④相手に敬意を持った穏やかで論理的な言葉
⑤誠実

考え方・感じ方・判断基準・行動様式の社会の傾向が文化、個人のレベルでは人格です。
優れた人格を大切に育て、健全ですぐれた文化・社会を作りたい
• 言葉、論理、議論を大切にする自覚と能力を人と社会に育てたい。良い議論をしましょう
• 良い議論を行なうためには、共同で共通の認識や結論を作ろうという意思と、異なる意見の提示が不可欠です。
• 優れた異論を発言する自覚と能力を育てたい。
• 論理的な議論を知的ゲームとして楽しむ知性を育てたい

        岡山博からのよびかけ
• 言葉、論理、議論を尊び、楽しむ自覚と能力を育てる文化運動を作りたい。
• 自覚的知識人が役に立てる運動です。

• 以前からの私の希望です。しかしできていない
• 日本をより良く変革するために、最も重要な課題のひとつです。

• そのような文化運動を作りませんか?

(日本科学者会議19回総合学術研究集会 発表要旨に帝国陸軍関係を一部加筆修正した)
18:49  |  優れた言葉・健全な議論  |  TB(1)  |  CM(34)  |  EDIT  |  Top↑
2012.08.10 (Fri)

優れた言葉とは何か

        優れた言葉、優れた文章とは

1.「自分の考え(主張)」が明快であること
2.主張の根拠=事実の提示と論理が明快であること
3.あいまいな言葉や責任回避する言葉を使わず、言葉の全てに責任を持つ
4.真剣で誠実。
5.敬意ある言葉での異論反論を歓迎し、的を外さない回答をする


優れた言葉というものは存在する。
優れた言葉を使おう。
優れた言葉を使って初めて、物事を深く正しく考え吟味することができる。
あいまいな言葉、責任回避の言葉を使うと、正しく真剣に吟味する能力・自覚と、誠実が劣化する。

意見のかわりに気持ちを言うことは、一見穏やかだが、無言の要求をして異論や反論を聞く耳を持たない一方的なことが多い。
意見とは、一方的に言葉を投げつけ、相手の意見を拒否することではない。
それは意見ではなく、独り言か、責任を回避した上でするずるい要求だ。

意見とは、言ったらそれに対しての対等な相手の意見を必ず期待する。
これが健全な意見、言葉のやり取りだ。

相手の気持ちを推測して発言することを互いに要求しあうのではなく、まじめに誠実であれば、相手の気持ちを推測する必要なく、怯えず何でも安心して発言できることが大切だ。

依頼や要求される前に気づいて、思いやりを持ってサービスしあうことよりも、望むことがあれば、望むこととを安心して話題・依頼できることと、友好関係を損なわずに依頼を拒否できる安心感のほうが大切だ。

対等な人格として互いに敬意を持った態度言葉で関係することによってのみ、そのような関係、言葉のやり取りは作られる。

ことがらを整理し、考え、吟味、伝えることと、自分の考えや判断に対する他人の異なる考えや、自分で考えた異論反論に対して考え回答し、考えを往復し、考えを深めることが言葉の最も重要な機能だ。

言葉・論理・議論を軽視して、その時の気持ち偏重で判断・納得する今の日本の傾向は好ましくない。

今の日本は、個人の会話、公的言葉のやり取り、テレビ、報道、会議や議会、行政や裁判、教育の場,
諸学会、研究会にいたるまで、言葉・論理・議論を軽視した優れていない言葉が氾濫している。

健全な言葉のやり取りが殆どできていない。
相手の発言を敬意を持って受けとめ、発言が相手の次の会話によって共通に更に深められ、共有されて次の言葉につなげる会話や議論が少ない。

相手が何を言いたいのかを想像しないと分からない言葉が、言葉のやり取りの基本であってはいけない。

「読み直さないと本当は何を言っているかわからない言葉はフランス語ではない」というフランス人の言葉に対する認識と誇りがあるそうだ。
あいまいさの無い明確な言葉、論理的で、反論や異論を歓迎して会話議論を尊重し楽しむ知性を重視するという精神のありようだ。

自覚的な人々の大部分が強い認識・自覚を共有して持ち、多くの人々の言動パターンになり、社会の大切な規範となっている。

これが文化だ。

相手の気持ちを察しあうことを要求する文化は、相手の無言の要求に怯え、強者に従属し、自分で判断する自覚と能力に乏しい従属的な精神を育て易い。

日常会話や会議、教育、テレビ、報道・・・日本社会はどこでも優れていない言葉が氾濫している。

言葉、論理、議論、吟味という言葉の最も重要な機能に関する自覚と能力を育てる教育、ことに小学校教育で必要だ。

表現された言葉どおりの内容を言葉通りに理解し、その言葉にまっすぐな言葉を使って反応発言するという、万国共通の言葉の機能を理解し、使う能力と自覚を育てる言葉教育、国語教育が必要だ。

言葉の約束事に関する知識や、正しい日本語の使い方、相手の気持ちや言葉の背景、行間を推測することは、言葉教育、国語教育の中心とすべき課題ではない。

小学校教育に限らない。
優れた言葉を使う能力を育てるためには、ひとり一人の自覚と、学校教育・社会教育が大切だ。
                 (2012年8月16日 修正)
17:56  |  優れた言葉・健全な議論  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑
2012.07.12 (Thu)

丁寧で敬意ある、回答を期待する言葉を

         ―――健全で誠実な議論、対話をするために――― 
   丁寧・誠実で敬意ある、回答を期待する言葉でのコメントをお待ちします

       (LEMONさんから頂いたコメントへの返信です。普遍性を持つ内容なので記事として載せます)

 私は、議論をする際に、異なる意見があったほうがより豊かになると考えています。
 だから、より豊かな思考・吟味・議論をするために、異論を提示されることを歓迎します。

 LEMON さんから頂いたコメントは、「健全な議論をして、共同してより深い結論を得よう」というご主張でしょうか。
 それとも、内容を共同で吟味しようというのではなく、私がこの内容で発言したり主張したりする「私の行為」や、「私という人格が存在していること」が気に入らず、なじって、非難して、私が「発言主張すると言う行為」(や私と言う人間が生存していること)をやめろと要求・主張されているのでしょうか。

 健全な議論をするためには、論理的で穏やかな言葉を使い、相手に敬意を持ったことば・態度で主張し、自分が今言った意見に対する相手の意見をまじめに期待して聞くことが健全な議論をするために必要なルールです。

 LEMON さんが提示された話題は、まじめに議論する価値があるテーマです。
 そして私もそれに関して考えています。

 LEMON さんの本意が、そのような健全な議論をしようというのであれば、私は歓迎して、LEMON さんと私の間で、的を外さない、論理的で真剣、丁寧な言葉の往復=議論をしたいです。

 そのためには、健全な言葉のやり取りが必要です。
 相手(私)の人格を、なじったり侮蔑、禁止する言葉ではなく、私の意見に対して、論理的に穏やかな言葉と敬意を持った態度で異論・批判をご主張ください。

 黙らせようという主張は議論ではなく、議論を抑圧・阻害するものです。

 発言を抑圧する言動を容認・黙認しては、自由に意見を言える社会を作り維持することはできません。

 慣れ親しんでしまって気づいてていない人も多いですが、今の日本は自由に発言できない恐怖社会です。

 他人と異なる意見を言わないようにしつけ、教育された結果、私たちひとり一人が、他人と異なる異論を発言することに怯えたり、他人が異論を発言することを抑圧する言動パターンが身についています。

 本当は、他人と違うことを言って初めて「自分の」意見ですから、その意味では、他人が意見を述べることを抑圧する判断、言動傾向です。

 このような言動傾向が、私たちひとり一人の判断や言動に強く身についてしまっています。
 
 自由(な社会)を維持するためには「自由を抑圧・破壊する言動」の自由だけは存在しません。
 自由を抑圧することに対して、そこに存在した人が例外なく批判し、続けさせない自覚・決意・言動をすることによってだけ、自由が維持できます。

 そのような意味で、今の日本社会は、社会も人も、発言の抑圧を看過して、個人の行動や発言の自由を軽視、抑圧が当たり前に存在してしまっている不健全・恐怖社会です。
 自由な議論をさせない、拒否抑圧するといのは、きわめて危険な社会になることを意味します。

 自由に意見を言うことを抑圧、非難することは自由な議論、精神の自由と相容れません。

 精神と言動の自由はひとり一人の幸せと名誉と、社会が健全であるために基本的で不可欠なものです。

 今の日本は、健全な議論をさせない、自由にまじめな意見を言わせない、互いに抑圧しあう不健全な社会だと考えています。

 相手の発言を抑圧し、異論は黙らせ、排除するという行動原理が、福島原発事故の最も重要な原因と私は考えています。
 原発事故がおきてから、まずい対応を繰り返して、避けられることも避けずに、事故と損害を繰り返し拡大させている、政府や、官僚、東京電力の不適切な対応の底流にもこれがあります。

 福島原発事故に限らず、日本の多くの社会的問題も、個人的な人間関係を含む苦痛も、それを作り、解決を妨げている底流として、殆どの問題の底流になっています。

 この問題は日本社会とひとりひとりが克服すべき課題で、これを克服すると、ずっと良い社会になり、個人もひとりひとりが誇りを持って生き、人としての名誉を不当に蹂躙されない、ずっと苦痛が少ない、豊かな人間関係ができると思います。

 別の表現をするなら、これを解決せずに多くの問題は解決しません。

 例えば、大飯原発で新たに津波対策をしたといっても、「異論排除、異論を発言する人を敵視する」行動規範と精神をもつ人たちが、これまでどおり、原発の政策や運営を独占していれば、原発事故原因のもっとも重要な問題は解決・改善されていないと私は考えます。

 LEMONさんと共同してあらたな考えを手に入れるために、互いに敬意を持った態度で、まじめに考えを深め合って議論が出来たらうれしいです。
  
 LEMONさんが提起されたテーマは、議論して深める価値がある課題です。

 LEMONさんの考えがあり、私も考えがあり、健全で誠実な言葉をやり取りすると、より良い共通の結論を作れるかも知れません。

 LEMONさんの主旨がもしそのようなものであれば、なじったり発言するなと迫るのではなく、丁寧で敬意ある言葉・自分の発言に対する相手の意見をまじめに丁寧に期待して聞くという文章にして、もう一度、どうぞコメントください。

(追伸)この文章は、やり込めようという主旨や敵意を持っていません。
 裏読みをせず、言葉どおりお読みください。

LEMON 様

・・・・・・・以下はLEMONさんのコメント・・・・・
ご自分では、放射能をさけるためにどのような努力されてますか
私たちは仙台住んでます。
ひどく汚染されても先生方のように、家族を遠くに逃がす金銭的余裕はありません。
先生は、チェルノブイリの汚染された人々を実際7みたのですか?
20年間見てこられ、現地のお医者様や親、子供たちの保養活動してこられた野呂みかさんが一番心に響きます。
保養や汚染された食べ物をさけてきた結果、健康な子供を生んでそだててます。先生はお医者さんなのに、希望はあたえないんですか?人は病気であれどんな状況であれ希望があれば生きていけます。
希望がなくて癌と告知された人がわざわざ治療受けるでしょうか?
>お願いです。ひとから希望を奪わないでください
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2012.01.07 (Sat)

論説「よい発表、良い議論を行うために」(転載)

論説「よい発表、良い議論を行うために」転載にあたって
「よい発表、良い議論を行うために」は、10年以上前から発表したかった内容ですが、日本的な社会的事情もあってできず、2011年、東日本大震災直前に、ようやく文章化したものです。
本論は、医学研究発表や症例発表を行う若い医師と、医学関係学会や研究会を主催する、指導的医師・研究者を対象に、日本の諸学会や、研究会を、より有効に健全な議論ができる場にしたいと考えて書きました。

特に、学会や研究会を主催、あるいは座長をする指導的医師や研究者に読まれることを期待しています。
しかし、本論で述べた内容は、研究発表に限らず、日本社会における、様々な会議や会合、個人的な日常会話に共通し、日本社会と日本文化、そこに生き活動している個人と集団の発言・判断・行動様式の傾向として普遍性を持っています。

中国や欧米を始め多くの社会の人が本論を読むと、小学生でさえ自覚してあるいは無意識にやっていることでもあり、あまりにも当たり前の内容が多いために、なぜ文章化し主張するのか分からない部分が多いと思います。

「発表」という言葉を「自分が言葉を言う」と置き換えて、現在の日本社会の文化論として、お読みください。
「言葉と日本社会・歴史・文化」等、削除した未完成文章があります。
いつか、文化論としてまとめたいと考えていますが、何時になるか未定です。ご関心ある方はご連絡下さい。
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論説
良い発表、良い議論を行うために
―健全な発表と議論のためのルールと心得―


Rules and Tips for Presentations and Discussions

仙台赤十字病院呼吸器内科
東北大学臨床教授
岡山 博

Kay words: 発表のしかた、議論のルール、座長の役割
  (仙台赤十字病院医学雑誌20巻1号 p7-15、2011年7月発行、2011年1月寄稿)

要旨
健全で有効な発表や議論をするためには、優れた言葉、論理、議論についての基本的知識と自覚、能力が必要である。発表、議論するとは何か、良い発表、議論とは何か、発表活動に役立つことを企図して、発表と議論の仕方について筆者の考えをまとめ、考察した。
1.発表、議論とは、自らの判断と、その判断が合理的であり価値があることを主張し、相手と結論を共有しようとする言葉の往復である。

2.発表、発言、議論に際しては、相手に敬意を持ち、まっすぐ、真剣、ていねい、誠実な言葉で発言する。

3.意見や質問には、的をはずさない的確な回答をし、それが質問者に了解されること。ごまかしや打算などのルール違反は健全な議論を妨げる。

4.座長、司会者は、良い議論をすることを役割と考え、運営すべきである。



はじめに
 発表(Presentation)とは、新たな知見や判断と、それが発表する価値があることを主張することであり、そこでの発言、議論(Discussion)とは参加者と演者が結論を共有しようとする言葉の往復である。自分の考えや研究結果を口頭あるいは文書発表する際、良い発表とは、1、発表するにふさわしい結論、主張、価値があること、2、事実提示、論理・構成が適切であること、3、質問や意見に対して適切な回答、議論をし、参加者の合意・承認を得ることである。

そのためには、発表の基本姿勢、適切な言葉の選択、適切な言葉の応答が重要である。良い発表、発言、議論に役立つために、発表と議論の基本的あり方考え方と、方法・仕方について、筆者の考えを述べる。
 発表には、口頭発表、教育的講演、シンポジウムなど聴衆に対して直接話すものと、論文発表があるが、本稿ではこれら全てを含めて、「発表」という言葉でまとめて論じる。

 良い発表と議論を行うためには演者だけでなく、発表の会を運営する座長・主催者と質問、反論、発言など会場参加者の適切な関与・参加が必要であり、これについても述べる。
 
発表の仕方
1)発表内容

 研究とは誰もまだ知らないことを明らかにすることである。
「論文・学術発表」とは、それまで誰も知らない新たな事実あるいは判断を提示し、その判断が正当であることと価値があることを論証して主張することである。

研究発表、論文で述べるべきことは、事実と、それが何を明らかにしたかという結論、その論理(根拠)、明らかにしたことの意義である。述べるべきことはほとんどこれに尽きる。それ以外の言葉はこれを述べるための条件作りに過ぎない。

単なる経験発表や、文献紹介は、新たな見解を主張する研究発表ではなく、交流や勉強のための話題・資料提供である。解説や総論も、新たなオリジナルな主張を提示した場合のみ発表といえるが、それがない場合は、資料提供である。
資料提供はそれとして価値があるが、オリジナルな主張を結論とする研究発表とは異なる。

2)発表を行う基本姿勢
発表、講演、講義、発言を行う時の基本は、相手や聴衆に「敬意」を持ち、「まっすぐに」、「真剣に」、「ていねいに」、「誠実に」、発表することである。
敬意とは、相手をみくびり、軽んじないこと。
まっすぐにとは、自分の都合、ごまかしなど打算をいれないこと。
真剣にとは、相手に熱意を持って伝えることと、思考停止をせず全力をかけて、自分としての判断結論を出すこと。
ていねいにとは、自分の言ったことにごまかしがなくそれでよかったかを吟味すること。
誠実にとは、自分を偽らず、相手を偽らず、相手の不利益になることを仕掛けない、相手を陥れないことであるであるが、前四者と重なる内容を含んでいる。

3)言葉の選択
述べるべきことは結論である。個々のパラグラフ(ひとつのまとまりを持った文の小集合。段落に近い)においても発表全体においても、結論・判断を明確に述べる。

留意点を以下に列挙する。
・事実と認識、評価を明確に区別して表現する。客観的に存在している事実は、力強い言葉で明確に表現する。「である」「であった」と表現すべきことを「となった」「と認められた」と表現するのは良くない。

・不要な受動文を使わない。

・論理的であること。個々のパラグラフや、全体の記述中に、相容れないものがあってはいけない。
論理が適切で一貫していることが必要である。
論理的で簡潔、明確な言葉を使う。
一貫しない、論理に矛盾のある言葉を使わない。

・全体の論旨とデータについて責任を持つだけではなく、単語のひとつひとつに責任をもつ。
「言葉が正確ではありませんでしたが言いたかったことは・・・です」ということがあってはいけない。健全な議論を阻害する。

・言葉は明確に断言し、断言した言葉に責任を持つ。
あいまいな言葉を使わない。
「思う」「思われる」「可能性がある」「かもしれない」「示唆された」「考えられた」などはあいまい表現である。「とされている」「と考えられている」の引用もあいまいでまずい。

「感じた」はさらに不適切である。「可能性がある」「かもしれない」などの言葉は、発表者がいくつかの可能性を吟味し、他の可能性を排除した結果残っている可能性について述べる場合と、それまで誰も可能性に気づいていない時に、新たな可能性として「可能性がある」と結論する場合だけ正当である。

「・・・と考えた」もあいまいにする言葉なので避ける。必要な吟味検討をせずに「考えた」と述べるのは適切でない。誰も考えていなかったことを初めて「考えた」場合にのみ「考えた」という結論を述べるべきである。
「私の考え、結論は・・・である」と断定した言葉を結論にすることがよい。この表現であれば、「・・・である」と提示された判断に対し、議論参加者は異議、反論ができる。

一方、「・・・と考えた(という行為)」が結論になると、厳密に正当な議論として「考えた」か、それとも「考えていないのではないか」あるいは、「認識した」「確信した」「可能性の存在に気づいた」「期待した」「思った」などではないかという発表者の行為に対しての質問・議論になる。発表テーマの結論・判断という議論できる言葉を結論として述べるべきである。

「考える」という言葉があいまい表現でなく、断定として使うことはありうる。「あなたは考えないが、私は考える」という意味の場合である。言葉としては正しいが、「なぜならば・・・」と穏やかな言葉で、相手と共有する結論を得ようとする場合以外は、相手を切り捨て議論を拒否するという意思表示であるので、言葉としては正しいが議論の姿勢としては、注意すべき言葉である。

「思われる」「考えられた」「可能性が示唆された」などあいまい語を重ねることはさらにまずい。「考えられる」は、自分の責任で考えたのではなく、自分の責任を離れた自然現象であるかのように二重にあいまいにするので使うべきではない。

・単なる感想や吟味のない、場当たり的な予想や憶測、結論は述べない。だれも気づかなかったことを深く責任もって吟味したうえで予測し、予測したこと自体が発表の重要な結論・主張であることとして書く場合は述べる。

・暗黙の期待、当然のことだろうとして、必要な説明をせず、聴衆や読者に同調を求めることは良くない。含みのある単語や表現、言葉の裏を推測することを期待する言葉は使わない。論旨に必要なことは、責任ある簡潔・明確な言葉で全て表現する。

・接続詞を正確に使うこと。発表・議論は論理的であることが基本である。発表に当たって最も重要な接続詞は「したがって」「なぜならば」である。
「しかし」など、それまでの論理を翻す接続詞を、不適切に使っていることがしばしばある。「しかし」という接続詞はそれまでの文から予測されることに反する結論を述べる時に使う。
「しかし・・・・である」と述べたら、必ず理由を述べ、読者や聴衆の同意を得るための議論展開をする。それまで述べてきたことを、論理も同意も無く、思考回路から切り捨てて押し切る言葉ではない。

・読者・聴衆に対して「期待する」等は相当の内容と決意なしに述べるのは価値がなく、無責任で無礼であり使用すべきではない。

全ての言葉に責任を持って初めて良い発表になり、良い議論が可能になる。

4)引用
他人の論文や言葉の引用に当たっては、自分の論旨に関係する論文を断言して引用、紹介する。
自分で責任を持たない伝聞、状況紹介や他人の意見の紹介、発表者の評価をあいまいにしたままの自分の都合を優先した無責任な紹介はしない。引用文献を明らかにしない引用・伝聞は避ける。

誤った論文もあるので、引用には責任を持つ。不同意を表明しない引用は全て正当であると判断したものとして、引用者に責任がある。
引用文献内容に対する疑問や反論に答える義務がある。応えられない引用はすべきではない。

5)口演発表で留意すべきこと
発表、講演、講義を行う姿勢の基本は口頭発表も文章発表も共通だが、口頭発表で追加留意すべきいくつかのことを述べる。

論文、文書発表では、研究の背景説明など、しっかりした論理と引用が不可欠だが、口演では、全てを精密に述べるよりも、聴衆がその場で「なるほど、なるほど」と納得しながら結論まで無理なく進めることが良い。
精緻さよりも、明快でわかりやすい、納得しやすい口演をおこなう。
すべてを言わなくても構わないが、嘘を言ってはいけない。

言葉は一音節一音節、一語一語はっきり丁寧に発音する。特に、結論・判断である文末と語尾ははっきりしっかり発音する。
声が小さい、もそもそ言う、語尾がはっきりしないなどの発声をすることは、聴衆に伝えようとする熱意不足があることが多い。

「・・・なので~・・」「・・・けれど~・・」と文の途中を無意味に延ばしたり、強く発音すべきではない。結論の先延ばし、責任回避、ごまかしの準備であることが多く、判断、結論を明確に述べることに反する。
強く発音すべきは文末の判断、結論である。
熱意や誠実がない発表や発言はすべきでない。

6)経験交流、調査報告としての発表
症例や調査、統計的な発表は目的によっていくつかのものに分かれる。他人とは異なるあるいはオリジナルな自分の判断を論理的に主張し、承認、合意を得ようとする発表であるかどうかが分岐点である。

第1は、研究・学術発表としての症例報告や調査報告である。
その症例や調査結果を提示することによって、新たな知見、価値ある判断・結論を証明主張するものが学術的な発表である。

第2は、単なる調査結果の提示で、それなりのまとめ、コメントがあっても、独自の強い主張が無ければ基本的には事務報告である。

第3は、経験交流や懇親、勉強会のための、話題提供である。医学会地方会などの多くの症例発表がこれに属する。
発表の場は勉強会・経験交流会と称するのが適切だが、学会、研究会と称することもあり、またこのような単なる経験症例を医学雑誌が掲載することもある。これは学術発表ではなく勉強・交流のための経験の提示である。
新たな発見、新たなあるいは発表者独自の知見や主張がなくても、論理的に考えたことを提示するだけでも了解される。

しかしこの場合でも、報告・提示する事実とともに発表の目的、価値を述べることが望ましい。
経験交流の症例提示は懇談の話題として話すだけでもよいので、その場合は会の目的によって自由に変えてよい。しかし、単なる懇談ではなく、座長・司会がいる公的な会合であれば、上述したことは留意すべきである。
内容のない、形だけの、何時でも使える言葉を「結論」として述べることや、結論と意義付けがあいまいな発表は避ける。

勉強会、交流会、懇親会で経験例を提示、論議することは有意義なことではあるが、このような症例発表と、新たな知見を発表、主張する症例発表を同列の価値があると考えるべきではない。
発表といえるのは、新たな独自の主張を結論とする第1のものだけである。第2、第3はねぎらいの対象ではあるが、新たな結論と価値を主張するものではないので、研究発表や論文という言葉は不適切である。
第2、第3を研究と称することや、その提示が主である集会を学会、研究会と称することに筆者は不同意である。

議論のしかた
1)議論とは何か

口演、講演、シンポジウムの価値は発表の価値だけでなく、発表された内容という共通の認識の上に、共通の結論を目指して良い議論をすることに価値がある。
厳密には、学会発表は発表するだけでなく、発表に対する質問や意見を受けて十分な回答をし、参加者に承認されて初めて発表した実績として成り立つ。
研究方法や論理、結論が不適切で、参加者から承認を得られなければ、正当に発表したことにはならない。参加者に承認されないレベルの低い講演はすべきではない。

健全な議論とは、新たなあるいは異なる提示された意見を出発点として、より正しい共有の結論を見出そうとする言葉の往復である。健全な議論をするためには、(1)一定の共通認識、(2)議論すべき異なる見解、(3)相手に対する信頼と敬意、(4)共通の結論を見つけようという意思が必要である。これがあって初めてよい議論は成り立つ。

講演や発表を聞き、質問をするということは、演者が提供した知識や考えを演者と参加者が共有する過程である。共有された認識を材料に、演者と参加者が対等な関係で議論することが正しい議論の仕方である。
議論をするためには、演者の結論と主張が明確に提示されることと、演者に対して、異なる見解が提示されることが必要である。
演者は質問や意見に対して的確、論理的で誠実な回答をし、再度発言者の意見や了解を求める。認識を整理し、深め、共通する結論を得るために、適切な言葉を往復させるということが議論の基本である。

2)発言、質問、回答、議論の仕方
意見の違いが無くては、良い議論は成立しない。
良い議論をするためには、異なる正当な見解を作り、発言をする能力を高めて良い発言をすることと、良い発言を、主催者、座長、演者、参加者が歓迎し、議論しようという基本姿勢が必要である。発語、発音の留意点は、口演の留意点で述べた。
口演を十分理解しなかったときにする質問・回答は、議論に必要な共通認識を作るための、基本知識や解説の提供を求める単なる解説依頼と解説である。
これだけでは議論ではない。必要なことは解説を聞くことではなく、良い議論をすることである。

まっすぐに、真剣に、ていねいに、誠実に発言、議論する。
的確に的を絞り、簡潔な言葉で意見、異論、質問を簡潔・明確に述べる。
感想や、発表内容と直接結びつかないことなどを述べたり、演説すべきではない。
相手に敬意を持ち、対等の立場で発言する。
過剰な敬語や上下関係を規定する言葉・敬語は避ける。
上下関係を作り、下からの卑屈な姿勢や、上から見下ろす無礼な姿勢で発言すべきではない。
感情表現や打算をいれないニュートラルな言葉、論理的で虚飾のない、明確、ていねい、穏やかな言葉を使うべきである。

質問や異論には、相手に敬意をもち、対等に、的をはずさない的確な回答をし、その回答に対して相手の意見・了解・意見を再度求めること、この言葉の往復が発言、回答、議論の基本的ルールである。
質問にきちんと的を得た回答をせず、質問者に「あなたはどう考えますか」と切り返すなどはすべきではない。
質問に対して、自分が一方的に回答しただけで、質問者が納得していないまま終了すべきではない。
すり替え、ごまかし、威嚇、侮辱あるいは無視して相手に発言をさせず終了させてはいけない。
基本的には、回答が十分であったことを質問者に確認する気概を常に持っているべきである。

自分の回答が了解されず、引き続き質問や異論がある場合は、快く受け入れ、納得しうる回答、議論をすべきである。
一回回答しただけで、それに対する反論や異議申し立てを歓迎しなければ正当に回答したことにはならない。
演者への異論、反論は、敵対的発言でなければ、演者の発言を深めるものとして歓迎、感謝すべきである。
欧米の文化、議論の場ではこのようなとき 演者や座長は“Thank you” と感謝した上で回答、運営することが多い。
敬意を持つということは相手におもねることではない。
相手を軽んぜず、穏やかな言葉で自分の判断と理由を明確に回答し、その回答が的確であったかを質問者に確認承認を得ることを含め、発言者の再発言を求めることである。

日本の多くの学会や研究会では健全な議論が成り立っていない。
多くは質問に対して演者が一回だけ一方的に解説やコメントするだけで、その回答が不適切で質問者が同意しなくても、異議申し立てや、健全な議論に発展させることはほとんどない。
これは質疑応答にさえなっていない。知識を補うためだけの、質問に対する演者の一方的解説であり、異論を無視、排除するためのセレモニーであることが多い。
演者と異なる意見を歓迎しない講演や議論は演者に対する無条件の同調や思考停止を強要するものである。

発表、発言や回答に当たって嘘を言ってはいけない。
事実に反して「予備実験をした」「再現性を確認した」、「ノイズは無視しうるほど小さかった」と言ったり、意思がないのに「今後検討する」あるいは、他人の経験や文献で知った知識を自分が経験したかのように、あるいは少ない経験しかないのに多くの経験をしたスペシャリストであるかのような言葉がその例である。

正当な論点に対する質問、異見とは別に、質問の形で演者に対して以下の指摘がされることがある。結果の信憑性、結果に対する評価に対する異議、非論理性、発表に当たって演者が当然もっていなければいけない知識の不足、理解・考え方の誤りの指摘などである。
これらは質問の形をとっていても、内容は知識や論理、結論の不足を質問者が演者に教えているか強い異議申し立てである。

反論としての質問や異議申し立てが正当である場合、演者は質問者に謝辞を述べ、誤りをその場で撤回し、正すべきである。内容や発言態度によっては聴衆に謝罪すべきものもある。

再検討して答えを出す能力が不十分なために、その場で演者として適切な回答ができない場合は感謝して後日検討し、回答することもよい。言いのがれのために、その意思もなく「検討中」、「今後検討」と答えてごまかすのはよくない。
質問者より知識や考え方が劣っているにもかかわらず、質問者に教えるという態度をとり、知識・認識不足を立場の違いであるかのように意図的に混同してごまかしてはいけない。教育的な講義・講演でも一般口演でも同じである。

意見や質問に回答したときは、自分の回答が質問のポイントをはずしていなかったか、相手が納得しない不十分、おざなりな回答ではなかったかを自己点検する。
十分に回答する時間がない場合、演者は、発表終了後に自ら進んで、質問者が十分納得する回答をすべきである。

知識を得るための質問、解説は講演後でもかまわないが、議論は講演時間の中で、参加者を交えて行うべきである。
時間がないといって座長が発言を制止し、異議申し立てや議論をさせないことが多い。
的を得た回答をせず、「時間がないから」、「あなたの言うことは分かりました。しかし私はあなたに同意しない」と切り捨てる演者がいる。「言われた意味は理解した。分かった」と言葉の意味の理解の確認が必要なのは内容が難しく、理解が困難な場合のみである。そうでなく「分かった」というのは、分かったという結論を言うためではなく、同意、了解しない相手を高圧的に切り捨てることを正当化し見せかけるための言葉である。

「分かった」と言ったら「だから」あるいは「分かったことに基づいて」と続けるべきである。「しかし」と続け、相手や論理を切り捨ててはいけない。

教育的講演は、講演内容と洞察において、聴衆よりも演者が圧倒的に知識や力量が勝っている場合のみ成り立つ。小中学校や高校の授業、大学の講義はその例である。
能力が卓越していなくても、経験して考えたことや、文献を読んで勉強した知識を演者として提供することは価値のあることであるが、この場合は教育的講演ではなく議論のための話題・資料提供とし、提供した後は対等に議論することが良い。研究者あるいは指導者、専門家であるかのように、教師的立場で講演しようということは適切でない。

演者が圧倒的力量を前提に指導的講演をした場合でも、演者に対する反論や、異議の提示があった場合はその時点で、教師・生徒の関係ではなくなるので、対等な立場で議論すべきである。
講演内容が稚拙で、指導になっていない場合でさえ、聴衆に対して「自分は選ばれた講演演者で、自分が上である」と考えて講演し、質問には適切に回答せずに教師として解説しようとする演者がいるが正しくない。

質問に対して正当な回答ができないとき、それを反省・解決しないまま、別の場で次の講演を行う演者がいるがすべきではない。
まじめで的確な異論を受け付けず、適切な回答、議論をする意思と能力がない場合は教育的講演の演者になるべきではない。演者に責任があるとともに、演者を選んだ主催者にも責任がある。

客観的事実や法則の存在や正しさを知る人と知らない人の違いは、知識の違いであって考え方や立場の違いではない。
議論に必要な客観的事実や法則を理解していて初めて議論は可能である。
参加者が議論するための知識が不足している場合、参加者は演者に、対等に知識提供を依頼してよい。演者は参加者に、有効な議論を行うため議論に必要な知識を提供する義務がある。

議論に必要な知識を演者自身がもっていないことに気づいた時は、演者は、質問者、発言者から教えてもらい、謝辞を述べる、その上で議論に復帰する。知識の提供は議論ではなく議論の準備過程である。

議論の対象は知識ではなく論理、考え方である。議論に当たって必要な知識は互いに提供し、知識を共有した上で議論をすることが健全なあり方である。

相手を見下す解説はすべきでない。回答や解説は相手の発言を制止するためではなく、発言を促進、発展させるために行う。
正当な反論をする能力がない時、細かな数値や約束事の知識をひけらかして、論点をすり替え、相手の異論や反論を抑えるべきではない。
正確さを要求することで相手の主張や発言を封じることは、代表的な反則技である。相手の発言を抑えようとする言葉は、全て誤りである。

日本文化では、事実と認識を区別しないこと、知識の有無と意見の区別を明瞭に区別しないことが往々にしてある。これは克服すべきである。この理解なしに正当な議論はできない。
自分の知識・理解不足を、「意見・立場の違いだ」と考えることや、説明されることを拒否して強引に押し切ること、それらを容認することは、健全な議論を阻害する。

議論の前提となる基礎知識を提供しようとすると、「考えを押し付ける」、「理解しないのは、説明のしかたが悪いからだ」、「面倒な話しをもちこむな」などと、説明を受ける人だけでなく、聴衆や座長が、説明する人を非難、排除することがある。誤りである。
知識の欠如は説明する側の責任ではなく、知識がない側の責任である。

会をこのように運営するのは、知識の欠如と考え方の違いを区別しないことと議論のルールを理解せず、恣意的に会や「議論」を進めようという誤った認識と精神に由来するものである。
演劇鑑賞やスポーツ、会食などをするとき、ルールを無視して強引に押し通し、その場を仕切る(コントロール=支配する)人がいると、その場は台無しになる。学会・研究会における発表や議論も同様である。

自由で知的、健全、有効な議論を保障し、行うためには、ルールの理解と自覚と、ルール違反を容認せず、知的で自由な議論の場を保障しあう参加者の自覚と発言が必要である。

議論や論理には、好き嫌いや個人の考え・立場とは関係なく客観的法則があるということを理解していれば、自分の論理が成り立たないときに、自分の論理・判断の敗北を認め取り下げることができる。
この場合、論理の誤りを認め取り下げることは、単に論理の敗北であって、相手に対する人格的屈服や非難を意味しない。一方、論理が破綻しても撤回せず、強引な言動を続けることは容認されるべきでない。
強引に続ければ、議論と会合を破壊することであり、不公正な人物として人格的社会的評価を下げる。

これが健全な議論のあり方であり、欧米では日常的な常識である。
自分の意見に対して異論や反論が出た場合は、「相手の異論が誤りであること」を論証して論破するか、自分の誤りを認めて撤回するかのどちらかだけが正当な回答・対応である。中間はない。
あいまいな言葉を使ってごまかすべきではない。
誤りがあった場合は、自分の誤りを認めて撤回することだけが正当な対応である。

このような議論は健全に行えば、敵対、非難、攻撃など人格的対決にはならず、楽しく議論できる。友好関係は損なわれずむしろ強まる。

主催者・座長の役割
良い議論をするためには、座長と主催者が良い議論をしようという意思を持ち、議論に十分な時間を用意することが必要である。

座長の役割は、参加者からの適切な発言をていねい、適切に取り上げ、良い議論ができるように、発言を生かして、議論を発展させることである。十分な時間を準備したのに、参加者から良い意見や質問が出ない場合は、参加者の一人として座長が良い意見、異論や質問を述べ、議論を引き出すこともよい。参加者に発言させないことや、演者や座長による価値のない時間あわせの発言はすべきではない。

座長の役割は、質問、発言、回答が適切に行われ、ルール違反がないように注意し、健全な議論を進めることに責任を持つべきである。
日本では、演者だけでなく、多くの場合、座長が率先してルール違反を行い、健全な議論を妨げている。
参加者も、議論するのではなく、まるで生徒のように教えていただくことや、相手の価値を低めるたにけちをつける、意見でなく感想を述べることなどを、良い発言であるかのように誤って理解し議論を妨げていることがある。
良い議論をする認識、自覚、技量がないことによる。

共通の結論に達しようという意思がなく、自分の思い込みや経験や教訓、感想を一方的に述べるだけの「活発な」発言は、見た目が活発でも良い議論ではない。
日本では、多くの学会や研究会、シンポジウム、講演会が議論の場として機能していない。まずいことである。

「時間がありませんので」と言って発言を止めさせるのは時間がなくなったからではなく、主催者と座長が、あらかじめ、良い議論をするという意思をもっていないことと、議論のための十分な時間を用意していないことによるものである。
議論するためには、発表の倍か、少なくとも発表と同じ時間を議論の時間として準備することが必要と私は考える。
座長は、「講演がなされ、若干の発言があり、つつがなく終わること」をもって自分の責任を果たしたと考えていることが多いが、誤りである。
良い議論ができたかに関心がなく「多数が参加し、成功しました」とまとめる座長はまずい。良い議論をすることを目標とし、座長の評価の基準にすべきである。共通の結論を目指すことなく、見かけ上活発な発言があっただけの言葉のやり取りだけでは不十分である。

まとめ
学会、研究会などで、発表、議論することをテーマに以下の考えを述べた。
1.発表、議論は、日記や感想、随筆、ひとりごととは異なり、相手やそれまでの一般認識とは異なる自らの判断と、その判断が合理的であり価値があることを主張し、相手と結論を共有しようとする言葉の往復である。

2.発表、発言、質問、回答、議論に際しては、相手に敬意を持ち、まっすぐ、真剣、ていねい、誠実な言葉で発言し、的をはずさない的確な回答を述べ、それが相手に了解されることが大切である。相手を威圧、ごまかし、切り替えし、はぐらかし、無視など、自分の発言や回答に対して、異論や発言を制止することはルール違反で健全な議論を阻害する。

3.座長、司会者は、かみ合った的確で健全な議論をすることを最大の役割と考えて会を運営すべきである。座長が議論を妨げる運営をしてはいけない。

学会や研究会活動において、優れた言葉を使い、健全で有効な発表と議論をするためには、言葉、論理、議論についての基本的知識と能力、自覚を持ち、発言することが必要である。

健全で有効な発表、議論は、一人ひとりが「自分は、自分ならこう考える」という自分の見解と、的確に主張する能力を持って自覚的な発言をし、健全な議論を大切にする文化を持って初めて可能になる。
より深い真実に迫る、知的で自由な発言、健全な議論は楽しくできるものである。
学会発表や論文発表と議論は知的言論活動そのものである。

価値ある学会、研究会活動、発表活動に役立つことを企図して、発表と議論の仕方についてまとめ、考察した。


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2012.01.02 (Mon)

新しい年

現実は過去の結果。現実は未来の原因。

 知性と、勇気があって初めて、現実をより優れたものに変革しうる。
 知性とは、打算や都合をいれず何が正しいかをまっすぐに吟味する能力と熱意。

 特権的地位や利権を確保し続けるために、国民が自分で判断・決断する能力と熱意を失わせるために続けてきた国民愚民化政策=教育、マスコミ、身分制的嫌がらせを行動原理とする職場社会を通じて「正しい」と「勇気」は殆ど日本人と日本社会の意識からなくなった。
 正義と勇気が消え、かわりに「目先何が得か、損しないか」「いやな目に合わないためにタブーにして話題にしない心得」。
 「自分で考え決断し発言、行動する」という、人としての基本的な誇り・尊厳を失い、「相手の顔色を見て発言を変えるのは卑屈で信用できない」事実は無頓着。愚民化の手のひらの上で、圧力や周囲に進んで同調して、この当たり前のことを回避する精神の蔓延。

 重要な一つがわかれば全部が分かることはないが、重要なことが分かると、更に正しく吟味する扉が開かれる。
 自分の中の優れたものを深め、正しくないものを丁寧に発見して一つ一つ克服し、前進する
20:51  |  優れた言葉・健全な議論  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑
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