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2013.11.12 (Tue)

①ウクライナ、チェルノブイリ訪問報告  序

ウクライナ、チェルノブイリ訪問報告-1  (序、 チェルノブイリ・キエフ)

        はじめに 
東北大学大学院国際文化研究科 教授 プシュパラール ディニル 先生のチェルノブイリ・福島プロジェクトの一環として、2013年10月5日から10月13日まで、フクシマ・チェルノブイリワークショップ参加を含め、チェルノブイリ原発事故に関係して、ウクライナを訪問した。

メンバーは
・プシュパラール 先生。東北大学大学院国際文化研究科 教授
・福本学 先生。東北大学加齢医学研究所教授 
・大山弘一さん。 南相馬市議、元高校教師
と私、岡山博 仙台赤十字病院医師の4人
放射線被曝や被ばく対策、原発についてなど、それぞれ考えが異なる4人のメンバー。
私は1日遅れて10月6日出発し、キーフ(キエフ)で合流した。

日程
10月5日 先発隊出発
10月6日 岡山博出発。先発隊に合流。キーフ泊
10月7日 チェルノブイリ原発訪問 (コロストン市でウクライナ風ホテル宿泊)
10月8日コロストン市リハビリセンター、ルグニ 町周辺の現地調査:自治体関係者、ルグニ中央病院、強制避難地区 (コルストンで宿泊)
10月9日 コルストン「Koroston 市と, ルグニLugyny 町周辺の現地調査:ルグニ学校、ルグニ中央病院(再)、別の強制避難地区、田舎の街道沿いトラック運転手のための小屋のようなレストラン (キーフ泊)
10月10日 (午前は自由。私は教会めぐり)。午後、キーフチェルノブイリ博物館 (キーフ泊)
10月11日10時~17時 フクシマ・チェルノブイリワークショップ(キーフ泊)
10月12日 キーフ出発

I.ウクライナの私の基礎知識と訪問して追加した知識と印象
ウクライナは面積と人口はフランスやドイツ、スペインに匹敵するヨーロッパの大国。
首都はキーフ(キエフ)。
ウクライナのほぼ全体が北海道より北にある。
南部の一部が黒海に面しているが、地中海や太平洋などの大海には面していない。
独自の通貨、独自のウクライナ語を持つ。
面積 日本の1.6倍。山地は西の一部にあるだけで、ほとんどは広大な平地と台地。
1970年代ころまでは世界的な大穀倉地帯だった。
人口 1986年チェルノブイリ原発事故当時約5000万人
    チェルノブイリ事故後、現在は約4600万人に減少し、減少傾向は今も続いている。
歴史 東ヨーロッパ文化の誕生がキーフだった。世界の歴史でキリスト教布教の多くが侵略と強制による布教がほとんどだが、キーフは自主的に検討して選択してギリシャ正教を選び学び受け入れた。
これがやがてビザンチン帝国滅亡後、モスクワを第3のローマとして活動した正統キリスト教(ギリシャ正教→ロシア正教)の母体となった。
その後ウクライナはポーランドやロシアの勢力のもとにおかれるなど複雑、困難な歴史がある。
ロシア革命後はソ連邦の中のウクライナ共和国として存在したが、白ロシア(ベラルーシ)とともに、ウクライナはソ連邦とは別に国際連合に加盟していた。

ソ連時代、ことに70年代までは世界的穀倉地帯。鉄鋼・炭田をもとに製鉄業など鉱工業も盛んだったが鉱物資源は次第に枯渇して鉄鋼業その他、経済は全般的に後退した。
ソ連時代後期は全般的に経済が停滞し、ソ連崩壊後、さらに経済を含めた社会全体の混乱後退があり、独立当時のレベルに回復していない。ソ連時代と比べて、名目GDPも70%程度と現在経済的には豊かではない。
大学卒20歳代大学卒で月収数万円。現在国民の収入や消費生活水準は日本の20~30%くらいか。

官僚によるわいろ社会が横行しているということだった。
ほぼ公然とわいろが要求され、わいろを出さないと、許認可権を使って仕事ができなくさせられるなどの例を、日本人の通訳の方が言っていた。

ウクライナ独立後も、ソ連時代の考え方や制度は残っているものが多い。
医療と教育は無料というソ連時代からの理念を今も維持している。
医療は無料という理念はもっているが、経済的余裕がないために、不完全だ。。
病院に通院、入院して検査や治療は無料で受けられる。
しかし、薬は処方してもらって薬局で自費で買わなければならない。
新しい薬の多くは輸入品で高価なため、だれもが買えるようにはなっていない。

地方の医療レベルは低い。私が訪問した町の病院の印象は以下のようだ。
資金がないため、検査機器がない。検査試薬も少ない。
レントゲンと心電図は40年前の機器を使っている。
レントゲン画像を高解像度モニターで見られないため、画像解像度も悪く、患者も医師も技師も被ばく量が多い。精密な検査はできない。メインテナンスのため週3日しか使えない。
検査室では簡単な血液と尿検査程度しかできない。日本の地方病院の40年前の様子と似ている。
古くなった検査機器を日本から援助して送ってもらえたらと、医師は言っていた。

教育
義務教育は6歳から11年間。
教育は幼稚園から大学、大学院まで無料。さらに奨学金がある。
「教育程度は高い。日本の大学院生ができないようなしっかりした発言を高校生がする。アメリカの一流大学から、優秀な学生を探しにウクライナに来る。そのようにしてアメリカに渡ったウクライナの科学者がすでに5人ノーベル賞をとっている。その時国籍はウクライナではなくアメリカになっている」と、今回訪問のリーダーであるプシュパラール先生が言っていた。
今回高校生を含む多くの人と会話して、なるほどそうだろうと了解した。

今回のウクライナ訪問でたくさんの人と会い、会話した。
必ずしも高等教育を受けた人たちだけではない。
会って話した人の中で、高等教育を受けた人々では、医師、学校の先生や校長先生、若い物理学者、行政の幹部、チェルノブイリ博物館館長、今回の訪問を準備してくれた物理学者、高校の先生、リハビリ施設の先生など。
会話というほどではないが、学会や国政の幹部の方とも会った。

必ずしも高等教育を受けていない人では、高校生、強制避難地区の住民、田舎のレストランの方、チェルノブイリ原発の案内人の方など。

だれと話しても、ごまかしやあいまいさがなく、おだやかなことばできちんとした言葉を使って話し、正統な対話と質疑応答ができた(日本ではほとんどできない)。
Wikipedia ウクライナ)  

        ウクライナ訪問記 : チェルノブイリ、キーフ(キエフ
「ウクライナの放射能対策について、避難移住は強力に行ったが汚染食品制限は不十分だ。食品の放射線規制を強化すべきではないか」という問題意識をもってウクライナを訪問した。
今回の訪問でおそらく答えが出ると思う。

汚染食品制限を厳しくすると農作物のどれだけをやめることになるのか、汚染されていない食品を供給することが経済的に余裕がないウクライナやベラルーシでは難しいことがわかる。

今回の訪問中、ワークショップや機会を見つけて、専門家や関係者と質問や議論をしたいと考えています。7日から3日間チェルノブイリと周辺を訪問予定だ。

       10月6日  キエフ到着
先発の3人は10月5日仙台発。私は1日遅れで10月6日 8時5分仙台空港発、成田、モスクワ経由で現地時間19時40分キーフ空港着。

キーフ空港からバスでキーフ駅に向かう。車内で約30歳の男性が話しかけてくれた。コンピュータ関係の仕事をしていて韓国滞在経験があり英語が通じる。
質問されて、チェルノブイリなど訪問とワークショップの目的と、正教の教会などを訪れたいが時間に余裕がないと話した。
「教会はほとんど行かない。自分は科学者だから宗教を信じておらず無宗教だ」と言っていた。正教の教会に通う人が多いかと想像していたが、後で調べたら、ウクライナ人の70%が無宗教らしい。

キーフ駅から大通りを歩いてホテルに向かった。キーフ駅前の大通りだが通行人は数えるほどと少なく、危険な感じは全くなかった。日本の旅行会社でもらった地図がわかりにくく、道を尋ねたかったが人通りは少ない。

旅行会社の地図がわかりにくく少し迷って15分くらいかかってホテルに着いた。
ウクライナ語表記はキリル文字からローマ字に移行中だと何かで読んだが、ウクライナ語表示は見た範囲はすべてキリル文字だった。ローマ字表記は外国の店の表示くらいだった。

後で尋ねてみたが「キリル文字からローマ字に移行していることはないだろう」とウクライナの人が言っていた。
街路や公共施設とともに、町のいろいろな看板や表示はロシア語ではなくクライナ語で表示されているようだ。
 意味は分からなくても、キリル文字のロシア語読みは知っていたので、地名や建物などの固有名詞や、英語など外国語や外国企業名をキリル文字で表記した外来語がわかり予想外に役立った。
キリル文字初めての実体験。ちょっとうれしい。

 ホテルに18時無事到着。先発の3人に無事合流した。

ピシュパラール先生がホテルの玄関前で待っていてくれた。
のんびりあるいてきたので恐縮した。

ホテルWiFiを使ってメモを書いたが、途中でトラブル。ホテルのWiFi システムのトラブルとわかった。
明日専門家が来て直すということがわかったが時間を浪費した。

夜中、ホテルのそばの24時間営業のスーパーマーケットに行った。
日本の大手スーパーと比べても農作物。畜産物や乳製品など食材が量も種類も豊富で、放射能汚染を考えなければ、高品質で安い。
ウクライナで生産されない、パイナップルやバナナ、グレープフルーツなども豊富に安く並べられているのは驚きだった。

柿を売っていたのも驚き。小学生の頃「黒海で食べた赤い柿」というエッセイを読んだことがあり、その文章の何がおもしろいのか価値があるのかわからず、そのことが印象的でタイトルだけを覚えていたのを思い出した。

果物や野菜は豊富だが、緑や赤の小さいリンゴなど品種改良されていないものが多い。
日本でいえば50年前のリンゴやトマトという感じだった。

買いたいものがたくさんあったが放射能が不安なので控えた。
野菜、果物、乳製品が豊富だ。菓子や加工食品も日本と変わりないように種類も量も豊富に見える。
首都だから特別に商品がそろっているのかもしれない。

魚は海の魚は少ない。あっても乾物が多い。生魚は鯉など淡水魚が多い。
海がほとんどない国で、たくさん輸入する経済力も低いから当然かもしれない。
冷凍や冷蔵食品を流通するシステムが不十分なのかもしれない。

直径30cm位で4人でもたべきれない主食のパンは50円くらいで特に安い。主食のパンは政府が特別援助していると思う。
他のパンも安かったが菓子パン類はわりと高かった。

チーズは日本よりは安いが、人々の収入と経済レベルが低いことと大酪農国であることを考えると安くないと思った。
ウクライナの人にとってチーズは大切な食品のようだ。

ソ連時代は消費物質が欠乏して、マーケットに行ってもチーズは冷蔵庫の底に1種類だけ、数も少しあるだけで、手に入ればよいほうで選択できる状態ではなかったという。

明日の予定もあり、疲れたのでここで就寝。第1日目終わり。

     10月7日   チェルノブイリ原発訪問。
日本からのわれわれ4人のグループと、依頼していた、博士論文執筆中の30歳代前半の物理学者チーヒイー アントンさんが日本語・ウクライナ語通訳として2日半、同行してくれる。

アントンさんは頭脳明晰で博学だ。
世界の5か国以上を訪れたことがある。外国滞在最長は日本の9か月。
日本語をウクライナで勉強したあと日本語勉強のために東京で語学学校に通って、日本語や日本につて勉強した。

適切な日本語単語が出てこないときは近い単語をいろいろ試して、さらに適切な言葉を探し選択を試みる。
日本人の9割以上の人はできないであろう正確な日本語を、正しく的確に厳密な単語の選択をする。

どんなことにも関心と知識があり、それに関して自分で再吟味して自分の考えを持っている。
2日半同行して、原発、放射線のことや、ウクライナや日本の歴史、文化などたくさん話をした。原発についても専門的な会話をした。

運転手含め6人で、キーフのホテルからチェルノブイリ原発を訪問した。
チェルノブイリ原発は首都キーフの北、直線距離で120 km。
ブナ、白樺などの美しい広葉樹の雑木林とアカマツ林が続く。アカマツは植林したものだ。
ロシアのような、針葉樹の大森林ではない。

チェルノブイリ汚染地域 第一ゲート。原発から25㎞。これよりゾーン。
空間線量はゲート付近で0.28μSv/h と高かったが、ゲートから少し離れると0.05と低かった。
今年7月、郡山市を訪れたとき、除染済み公園の空間線量掲示が0.25だったので、その値に近い。

検問所案内人の方:事故後からチェルノブイリ原発で、訪問者への対応や案内説明などをしてい55歳くらい。
この後、私たちの車に同乗して、原発内を案内してくれた。

彼は生きがいを感じ、喜んでチェルノブイリ原発案内の仕事をしている。
「年間56日休暇があり、旅行費用も出る。定期検診と必要なら医療もある。検診で問題がでたら別の職場を準備してくれる」と言っていた。

管理人のかたから説明を聞き、記帳した。
これよりゾーン内は飲食、たばこ禁止、測定器や物を地面に置かない、出るときは靴底の土などをよく落とす、汚染していないか検査して出ることなど。

サインをして、彼が車に同乗して森の中の道を原発に向かった。
ゲートにもう一人かふたり係りの人がいたと思うが、その他訪問者など、見渡す限りだれもいない。

第一ゲート付近は線量が高かったが、少し離れると0.05に下がった。
車で原発に向かった。第1ゲートを出ると空間線量は下がって、旧消防署跡で0.18、原発が見える4号炉から約3kmに近づいてもあまり上がらなかった。多くは0.1μSv/h以下だった。

爆発した4号炉に近づくと空間線量は高くなった。第3ゲートを過ぎて原子炉1~1.5kmkm手前では0.44μSv、 1kmで1.36μSv、 800mで 1.92μSv。4号炉から4~500m位の小さな資料室付近で3~5.46μSv/h。 ここから先は立ち入り禁止。

第1ゲートからチェルノブイリ原発4号炉直前に至るまでと、原発敷地内見学、原発に接したプリピャチを訪問して、再び25㎞ 南の第1ゲートに戻るまで50km以上、数時間の間に遠くから見かけた人も含めて、見た人の数は、警察やトラック運転手と見学者数人の1グループなど、全部合わせても20人程度だった。
予想よりはるかに少なかった。

「発電はしていないが、現在でも毎日2800人の人がチェルノブイリ原発で働いている」と日本のテレビ特集でいっていたので、おそらくそうなのだろうと思うが、広大な敷地やたくさんの建物があるので、私たちが会わなかったのかもしれない。月曜日だったので休日ではなかったと思う。

構内のあちこちで車を止めて撮影した。
案内人の人にいろいろ質問をした
質問するとなんでも答えてくれる。
秘密の様子は全くない。
専門的で知らないことは、「こうかもしれない」とか「知らない」と友好的に説明してくれる。

4号炉は写真で見た通りの外観だが、壁はコンクリートで固められているのではなかった。
4号炉全体がコンクリートの一塊に固められているのではなく、外壁の下1/3くらいの高さ、下の部分は厚いコンクリート壁で覆われ補強されている。その上は普通の十センチ強くらいの普通のコンクリート板を繋げた壁だけだ。
日本に帰国してから得た知識によると、汚染拡大を防ぐために、遠隔操作で急ごしらえで造ったコンクリート壁が石棺ということだ。
だからコンクリートで固めた石棺という理解は誤りで、通常のビルの壁よりも強度はない。壁も厚くない。

急ごしらえで造って25年もたっているので、壁の構造や機能に問題が生じている。
昨年、石棺の屋根の一部が崩落して問題になった。

チェルノブイリ4号炉は石棺として固められ、25年以上たって壁の一部から放射性物質が漏出してくるのを避けるためさらに石棺の上からコンクリート全てをコンクリートで固めて再度補強工事をしていると、私は誤った想像をしていた。

石棺は、コンクリートで一塊に固めた原子炉建屋ではなかった。
石棺という言葉について質問した。「石棺というのはメディアがつけた言い方だ。正しくはシェルター。 コンクリートで固めてしまうわけではない」との返事だった。

             チェルノブイリ原発事故資料室
4号炉から400m位のところにある 20坪弱の小資料室を見学した。ここはカギがかけられて、だれもいない。同行した案内の方がカギを開けて中に入った。
4号炉の模型があった。

模型を見ると、爆発で多くの機材や建物お一部が破壊されてがれきとして散乱したり、壁などの構造物の一部が破損しているが、事故後に作られた構造物はほとんどなく基本的に建物内部や構造、空間は事故以前のままだ。
新しい構造物は、1階から4階まで部屋がコンクリートで埋め固められて柱のようになっているところが2か所くらいあるだけだ。
それ以外は、原発の建物内部の空間は、爆発で破壊された機材や構造物が散乱しているが、建物の基本構造や建物内の空間は残っている。

4号炉建屋の建物内で放射線が高いところは、10Sv/hr という。 短時間いるだけで死ぬ超高レベルの場所がある。

ウクライナの法律に従って、爆発した4号炉も残りの1~3号炉も廃炉にして原子炉は解体撤去する方針という。
4号炉炉解体撤去の具体的方針、手順は事故の後さほど時間がたたないうちに作られ、実際、廃炉に向けて現在作業中だ。最も基本的な解体準備は巨大シェルター建築だ。

シェルターは、基本はかまぼこ形の鉄骨構造を2つ造る。
高さ108m、幅250m。天井には 廃炉作業の中心になる巨大クレーンなどを設置する。

このシェルターは、4号炉から400m位のところで現在建設中だ。2つのうちの1つの外観はほぼ出来上がっている。これを2つ造った後、レール上を4号炉の上まで移動させて、4号炉を完全に覆って解体作業に入るという。

4号炉解体、撤去作業はヨーロッパの基金でヨーロッパの多数の企業が参加して行っている。
シェルター建設だけで1000億円。
4号原子炉解体撤去の完成予定は50年後。

原発事故後、1,2,3号機は発電を続けていると認識していたが、私の認識誤りで、これらはすでに事故後数年で運転を停止し、すべて廃炉、撤去する方針だという。

1,2,3号炉の廃炉、撤去は破壊された4号炉の困難と比べれば、困難は少ないはずだ。
1,2,3号炉の撤去作業も開始しているのか、どのように撤去していくのかについては、質問し損ねた。

4号炉の解体は国際的な援助によって進められているが、1~3号炉はウクライナ政府が自前でやらなければならず、その資金がないために、着工していないのかもしれない。

        プリピャチ訪問
原発で働く人のために原発に隣接して作られた旧プリピャチ市。原子炉から3km。
事故当時の人口約4万5000人。
原発事故長後、ソ連政府が2000台の大型バスを動員して1日で住民を全員退去させたのがこの町だ。
空間線量は0.05 μSv/h と仙台市内の低線量の地域と同程度だった。

よく整備された広場や街路や学校やホテルなどがあり、美しい森に囲まれた美しい町(だったことがわかる)。
ソ連の町は、プリピャチに限らず、学校、文化施設などの建物や公園などはどこの町でも整備されていたという。

観覧車やゴーカートがある遊園地は町のほぼ中央に作られて、事故5日後の5月1日が開園予定だった。
一度も使われることなく、開園直前の状態で廃棄されてそのままになっている。

当時ソ連は生活物資が不足していたが、プリピャチは消費物資も優先的に提供されて、近くの農民たちが買い物に来ていた。

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★Re: No title


コメントありがとうございます。
キエフのチェルノブイリ博物館でしった、このことを話題にすると、経済的に貧しい中で募金して計測器を送ってくれたウクライナ方たちにへの感謝で今も涙が出て声が詰まることがあります。
それと対照的な日本政府と行政を考えると一層です。
感情をいれた表現は好ましくないことです。
一休みして、普通に声が出るまで待つことが何度かありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・

> 岡山先生
>
> はじめまして。初めて投稿いたします。
> 「もうすぐ北風が強くなる」を拝読して、先生のブログを拝見いたしました。
>
>
> 「ウクライナの方々が、募金活動をして、放射線測定器を130台、日本の被災地に送ってくださり、贈られた測定器を使って、南相馬の人たちは自分たちで測定してこの詳細な汚染地図を作った」との話は日本のニュースにでたのだろうか?
>
> 「福島原発事故が起きると、汚染地域で役立つようにと、世界の各地から事故後数日の短期間に4万個の放射線測定器が日本に贈られた。
> これを早く使えるように要望が出たが、国は汚染地域に配って測定や対策に役立たせることをせず、最後まで成田空港の倉庫に保管したまま、被災地で使わせなかった。」なんてほとんどの方が知らないだろう。
>
> 「ウクライナから送られた測定器は南相馬の被災者に直接届けられたから役立った。」は、私のフクシマの友人からも言われたことだ。「寄付は直接、寄付したい市町村へ送ってほしい」と。
>
> また、ある市町村では、住民に役場の方々が「ヨウ素」を配る準備をしていたが、政府から「配るな」との連絡が来て配ることが出来なかったと伺った。
>
> 政府に対して不信感が増していく。
>
> ウクライナ、チェルノブイリの方々、本当にありがとうございます。
>
> そして、岡山先生お疲れ様でした。
岡山 博 |  2013-12-10(火) 10:33 | URL [コメント:編集]

★管理人のみ閲覧できます

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 |  2013-11-14(木) 15:40 |  [コメント:編集]

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★岡山:チェリノブイリ・ウクライナ訪問記

 仙台日赤呼吸器科医師で東北大臨床教授の岡山博氏については、このブログで度々紹介してきました。  氏はこの10月にウクライナとそのチェリノブイリ地域を訪問し、その訪問記録をブログに掲載してくれました。  転載します。  なお、私が段落など改行している箇所があります。また重要と思われる箇所を太字にしています。  一気に読むにはいささか長文かもしれませんが、分割せずそのまま掲載します。 ...
2013/11/13(水) 15:30:33 | もうすぐ北風が強くなる

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