2012.03.25 (Sun)
津波瓦礫は全て山積み処分し公園に整備を。津波瓦礫の合理的処分法
岩手・宮城の津波瓦礫は全て集め、
山積み処分して津波記念公園に整備を
津波瓦礫の合理的処分法
要約
・ 津波瓦礫の焼却や広域処分は、瓦礫処分を早めることにならない。やれば莫大な費用と時間を浪費し、復興を妨げる。
・ 莫大な費用をかけて他の地方に運んで処分する合理的理由は無い。広域処分は莫大な浪費だ。瓦礫は全量地元で処分し、貴重な税金は浪費せずに、直接、被災者と被災地の為に使うべきだ。
・ 岩手、宮城の津波瓦礫は遺品として扱い、全て集めて仙台平野の海岸に山積み処分し、大古墳のように整備して、慰霊と津波記念の大公園にするのがよい。
・ 岩手や宮城の海底や海岸にある津波瓦礫の放射能は低いので放射能処理施設で管理しなくてもよいが焼却や拡散してはいけない。
・ 焼却や広域処分は費用と時間を浪費する。かえって放射能処理を妨げる。汚染を拡大する可能性がある。
・ 山積み処分が最も、早く、経済的で安全な合理的処分法だ。
(3月30日修正)
はじめに
岩手、宮城県の津波瓦礫処分について考え方の整理と私の考えを述べる。
津波瓦礫の現状
宮城、岩手県の津波瓦礫は2000万トン。
焼却、埋め立て、建設・土木資材として再利用、他地方へ輸送して焼却等の広域処分などの方針で進められている。
1年かけて、処理されたのはわずか6%。
瓦礫処分遅れの理由
・広域処理の目標は、岩手県で全瓦礫のわずか15%弱、宮城で23%だけだ。
・岩手で瓦礫処理まで20年、宮城で10年の試算がある。
・もし広域処理が瓦礫全体の80%なら、広域処分のスピードを上げれば、被災地の瓦礫処分は早まる。
・しかし計画でさえ全体のわずか15%の広域処分ではその半分が達成されても20年が18年半、10年が9年3ヶ月とわずかに短縮されるだけで、現実の瓦礫処理を早めない。
・岩手、宮城瓦礫の20%だけの広域処分を早めても被災地の瓦礫処分に役立たたず、広域処分は無意実だ。
・被災地の瓦礫処分を早めるには、地元での処分を早めるべきだ。
・瓦礫処分遅れは、地元処分の遅れが原因だ。
・地元処分方針のまずさと政府に熱意無いことが地元処分遅れの原因だ。
・厚労省は現地での焼却炉建設を認めない。
・理由は「がれきには危険な放射能が含まれてる可能性がある。詳細な検討が必要」と。
・一方で、全国には、焼却は問題ないと拡散させて処理させる。
・岩手県岩泉町長:「もともと使ってない土地がたくさんあるのに、どうして急いで瓦礫を全国に拡散するのか?10年、20年と時間をかけて処理した方が雇用確保し、地元に金も落ちる。」
・南相馬市長:「がれきは復興の貴重な財産。護岸工事に使いたいが不足しているので宮城から運んできたいと相談したら、放射線量が不明だから動かせないといったのは官僚」。
・岩手県担当者:「県内に処理施設を増設するなどし、その費用が補助金で賄われ、自前処理ができれば理想的です」
・国は地元には「線量が不明だから動かせない」と言い、一方で他の地方には「瓦礫処理で汚染の心配はない」と言う。
・「国が言った」というのは「官僚が仕切って言った」ということだ。
広域処分はすべきでない
・広域処理は運送費など莫大な経費と時間の浪費と放射能の拡散になる。
・各地に分散するのは除染と逆の行為で、してはいけない国際的合意だ。
・元々、広域処理の合理的必要性は無い。
・各地で瓦礫受け入れが進んでいないことが、瓦礫処理と被災地復興の妨げになっているという政府発表や報道が続いている。偽りである。
・政府の方針でも域外処分予定は20%で80%は地元処理である。
・地元処理が進んでいないことが瓦礫処理が進まない原因だ。
・20%の域外処理は元来不要だが、問題をすり替て国民を偽る政府と、批判せずに政府広報的なことしか伝えない報道は、きちんと事実を知らせずに、世論誘導をしている。
・政府に不都合なことも十分報道して、国民の議論と同意、良識に基づく、健全な復興復旧事業にすべきだ。
焼却処分はすべきではない
・津波瓦礫の放射能は低レベルだが、全体量が多いので拡散すべきではない。
・放射線の確率的発癌作用は、千人に1人癌死させる放射能量は、1万人で分けても10万人で分けても1人が癌死する・個人の発癌確立は減るが全体では変わらない。
・低濃度だからと放射能拡散の総量を増やすと社会全体で癌死はかえって増えるから、放射能を希釈して広げてはいけないという考えで、日本や殆どの国の法律が作られている。
・放射能は食品や大気中に希釈して汚染範囲を拡大してはいけないというのは放射能管理の常識・関係者の合意事項、国際的にも合意事項だ。
・煙の放射能を完全に回収できない焼却施設で燃やすと、大気中に放射能を再拡散する。
・煙の中の放射能がどの焼却場も十分回収するのか、これまで住民や国民を何度も欺いてきた政府の「きちんとやるから安全」という説明が基準どおり実行する保証になるか疑問だ。
・焼却すると、放射能は減らないので、回収した煙と燃え残り灰に全て残る。
・回収した煙と残り灰の重さは焼却前より少なくなるが、放射能は減らないので、kgあたりの放射能は高くなり、かえって処理を困難にする。
・高濃度になった回収煙と残り灰の処分法、処分場を政府は決めていない。
・最終処分の方法と場所を決めない放射能処分はありえない。
・これだけでも、焼却処分をしてはいけない強い理由だ。
・放射線管理の常識と国際合意に反している。
埋め立て素材などとしての再利用
・農地や海への埋め立てに使うと汚染や土質悪化をおこすので、すべきでない。
・十分低レベルのものは土木資材として使うことは可能だ。
・しかし、本当に放射能レベルが低いか、測定や規制が公正かということについて、繰り返し国民を欺いてきた政府の悪い実績が多く、今も続いているので、広く社会的に自由で健全な議論や検討をせずには再利用すべきではない。
・現実は、更に、自由で健全な議論を抑圧する、自由な発言がしにくい社会に誘導された。
・土木・建設素材として再利用することに反対する人を、「復興を邪魔する特殊な、社会から無視されるべき人だ」と、土木素材に再利用させないことが復興を邪魔する異常な人であるかのような、異論を侮辱排除する世論誘導が実際に行われている。
・再利用するとしても、瓦礫の全体量から見ればきわめて少ないので、処分計画に影響を与える量にはならない。
・したがって、瓦礫再利用によって瓦礫処分が早まる、あるいは、再利用を有効な瓦礫対策の1つとして考えるべきではない。
・瓦礫を再利用する場合は、再利用することが直接事業に役立つ場合に限るべきだ。
・事業に直接利益が無ければ、瓦礫を再利用させるために公的補助金が上乗せされて始めて実行される。
浪費
・補助金を出す側と受け取る側に不健全な関係を生じ、税金が浪費されてきた。
・行政と業界の不健全な関係は、瓦礫処理に無効なだけでなく、社会の健全さと合理性を蝕み、利権は社会の健全性を阻害し国民の財産を消耗させる。
・浪費や利権に費やす費用は全て納税者から集める税金だ。
・広域処分や焼却、再利用を行うための補助金は、貴重な税金の浪費になり、被災者と被災地の回復・復興を妨げる。
・利権は真の復興を妨げる。
・浪費をやめて被災者と被災地の為に直接使うべきだ。
・「東京都に搬入瓦礫の焼却をする処分業者は、東京臨海リサイクルパワー株式会社;東京電力 のグループ企業社。ここでも税金から200億円が東電に入る仕組みだ。
瓦礫は全て山積み処分して記念公園に整備を
最も合理的な瓦礫処分法
・津波瓦礫は輸送費をかけず分別せず、地元で全部集めて山積み処分が良い。
・焼却や広域処分よりずっと早く、安く、安全に、全ての大量の瓦礫を処分できる。
・三陸地域は瓦礫を集める土地がないので、津波で被災した仙台平野の海岸に集める。
・湾内海底瓦礫も含めて2000万トン全て集め古墳のように築き、津波避難所をかねた、慰霊と決意の津波記念公園として整備すべきだ。
・放射能はレベルが低いので少量では問題ないが瓦礫の量が莫大なので、総量は無視できない。
・土壌への浸透防止は必要だ。
・しかしそれ以上の厳しい汚染防止、被曝防止対策は不要なので、安い費用でできる。
・集めて積み上げるだけなので費用も時間もかからない。
・土壌汚染・浸透防止のための基礎部分(底)は必ずしも厳重にする必要はなく、水抜き層と水抜きパイプで水抜きを十分に行う。
・底には粘土や吸着剤を敷き、最底部にはコンクリートなどの不浸透資材による底を作る。
・瓦礫は思い出と悲しみの遺品だ。人々の思い出の宝をごみとして処分するのは残念だ。
・ごみとしてだけ考えず、津波で死亡した人たちの遺品として全て集めて丘に築き、慰霊と津波記念の大古墳、記念公園として整備することが良い。
・900m × 600m、平均高 20mの丘に築くと2160万トン収容できる(比重2として計算)。現実的な数字だ。
・ちなみに、仁徳天皇稜は堀も含めて840m×486m、最高高さ34m
・海から海岸の処分場まで堀を作れば、三陸湾内の海上と海底に残された瓦礫も、船で直接移送可能だ。
・裁断してトラック輸送することなく、広域処理や再利用・焼却を主とした処分よりも、はるか経済的に、早く、環境汚染少なく、大量処分が可能だ。
・津波の教訓や歴史、防災の世界的拠点として、被災地元の誇りとなるような世界一の地震・津波資料館を併設することを提案する。
・復興と発展に役立つ。
・公園費用と考えれば高額だが、瓦礫処分費用と考えれば瓦礫焼却や広域処分を含めた政府方針より安くできる。
・瓦礫処理、公園や慰霊モニュメント、文化教育施設と縦割りで考えず縦割り行政の視野の狭さを克服し総合的判断すれば実現可能だ。
・関東大震災復興事業として、横浜市は震災瓦礫を集めて山下公園を作り、5年後大博覧会を開いた。現在は横浜を代表する公園になっている。
・歴史的世界的な平和の決意の場にした広島平和公園と原爆資料館の例もある。世界中から心ある多くの人々が訪れている。
・現在も殆どの瓦礫が始末されずに残っている。
・すぐに、全て一箇所に集めて山積処分の方針を決定して着手すべきだ。
・遅れるほど時間と経費を浪費して、被災地の復興を妨げ、社会を疲弊させ、社会の健全さと活力を阻害する。既に高額の経費が浪費され、浪費の速度は加速されている。
社会と人のあり方
・政府は「規制」と言って実際は逆に汚染容認の基準を作って、放射能と放射線被曝拡大を強制してきた。
・空間線量も、食物暫定基準も、食物新基準もそうだった。
・膨大な放射能ほこりが舞い、翌日に何が起こるか分からない状態でも、「安全だ心配するな、逃げるな、心配せずに自家野菜を食べろ」と言って被曝回避の言動を妨げ、被曝させた。
・政府と東電は今も謝罪も反省も、責任者の処分もしない。処分断罪されるべき人たちが今も原発事故対策を仕切っている。異常な社会だ。
・「被災地のためにも瓦礫受け入れを」と言う政府説明は被災地の困窮と被災地への同情心を利用して、利権と放射能汚染拡大、国民分断化を狙うものではないか。
・他の地域での瓦礫処分が進まないことを差別意識と結び付ける政府や報道の基本姿勢を改めるべきだ。
・瓦礫受け入れに反対する人を「被災者の痛みを共有しない、利己的な人であるかのように言うキャンペーンは、無礼だ。政府が主権者に言うべき言葉ではない。
・瓦礫や政府の言い分を受け容れない人を「利己的な人」として村八分的に侮蔑・無視・排除し、恐怖心を作って異論を言わせないようにしようという政府やマスコミの言論活動は、自由な発言と社会の健全性を脅かし危険だ。
・東京都知事は、放射能瓦礫処理に対する苦情・発言に「黙れ」と恫喝的に一喝した。
・岩手の瓦礫が東京に到着したとき、取材の記者が、私物のガイガーカウンターで測定することも禁止した。
・自治体が住民に納得しうる健全な方針と考えていないから、自治体が住民に納得させられない。
・瓦礫による風評被害は自治体が住民に説得できなければ、自治体に説得専門家を送って“国が対応するという。
・自治体が住民に正当だと考え、説明できないものを強引に行ってよいのか。
・大規模分別を前提にした、政府の瓦礫再利用処分計画は、時間と経費を浪費する。
・被災者の困窮と国民の同情心を利用して、国民と社会を欺き、被災地の瓦礫処分や復興に実質的に役立たない津波瓦礫広域処分と、異論を言う人へのネガティブキャンペーンをやめ、自由で誠実な発言や議論を安心してできる健全な社会運営をすべきだ。
・異論を排除する一方的で、人を欺く「日本人として痛みを共有しよう」という瓦礫広域処理広報に来年度15億円予算は不適切だ。
・知識がない芸能人やアナウンサーがコメントして、コメント・解説した内容には責任をとらず、世論誘導する日本のテレビはおかしい。
・異論を言う人を侮蔑・排除し発言抑圧する社会は健全ではない。
全国の方へ
・「瓦礫を引き受けよう」というのは被災者や被災地支援にならず、復興を阻害するかもしれない。大切な税金を浪費し、復興を阻害する。被災者が財産・仕事・生活を破壊されたままでほとんど放置されている現実から、国民の認識をそらしている。
・利権や打算に結びつかない、直接、被災者個人と被災地の回復に役立つ支援が必要です。
・瓦礫引き受けは被災地支援にはらない。東京電力に好都合の、政府視点で行っている瓦礫引き受けニュースの氾濫は、広域処分に眼が向いて、現地処分を進めない現実や、被災者の就業、生活が殆ど破壊されている現実とその原因を見えなくしている。被災者の復興を阻害していると私は考えます。
・自分や子どもの被曝を危険と考えて引き受け反対を主張する際は、それよりも高い被曝を受けている福島の人や、はるかに高い被曝を受けて、今も原発事故拡大を防ぐための福島原発作業をしている人のことを考えよう。その人たちの被曝を防ぐことを同時に考え、彼らの被曝を下げさせましょう。
・瓦礫引き受け反対するときは、被災地と今も被曝している人々支援・救援を明らかにした上で、受け入れ反対しましょう。利己主義助長、社会の健全性を破壊し、被害者を隠蔽する、東電と幹部、関連業界利権を守るための政府路線を助け、被災者を苦しめる力にならないよう注意して、瓦礫と利権拡散させない活動、がんばってください。
・ 被災地と被災者を支援するには何が有効か・何が阻害するか? 言葉の吟味・責任なしに、自分は批判されないという安全圏は確保して「感想を言う」という風潮に乗ることを卒業しよう。
・ 事実を深く自分で観察・分析し、他人のではなく、自分の判断を決め、機会あるごとに再吟味しましょう。
他人の損害や苦痛を悲しみ、つらく思うという、やさしい感性と、やさしく健全な感性を深め育む知性を育てましょう。その感性に誤りはないかも吟味する、誠実でていねいな知性も大切。
2011年5月以来主張してきたことをまとめた。
本論主旨は「震災モニュメント、鎮魂と研究の場建設を」河北新報持論時論2011年6月11日で提案発言した。
当時、私は余裕がなく、瓦礫処理や震災復興に関係した諸委員会や機関、行政、政治家に働きかけずに終わった。
賛意を持たれ、各機関に関係や働きかけることが可能な方は、本記事をどうぞご利用ください。
(追加)本ブログの別記事「放射性廃棄物は原発付近に集めて管理を。焼却処分はすべきではない。放射性廃棄物処理の正しい戦略と方法」http://hirookay.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
もご参照ください。
(追加)。原爆資料館には保育園、小中高校の修学旅行生、内外からの入館者の大型バスが終日20~30台が駐車していた。5月10日、11日結核病学会:広島平和公園の国際会議場に2日間出席した時の風景です。
山積み処分して津波記念公園に整備を
津波瓦礫の合理的処分法
要約
・ 津波瓦礫の焼却や広域処分は、瓦礫処分を早めることにならない。やれば莫大な費用と時間を浪費し、復興を妨げる。
・ 莫大な費用をかけて他の地方に運んで処分する合理的理由は無い。広域処分は莫大な浪費だ。瓦礫は全量地元で処分し、貴重な税金は浪費せずに、直接、被災者と被災地の為に使うべきだ。
・ 岩手、宮城の津波瓦礫は遺品として扱い、全て集めて仙台平野の海岸に山積み処分し、大古墳のように整備して、慰霊と津波記念の大公園にするのがよい。
・ 岩手や宮城の海底や海岸にある津波瓦礫の放射能は低いので放射能処理施設で管理しなくてもよいが焼却や拡散してはいけない。
・ 焼却や広域処分は費用と時間を浪費する。かえって放射能処理を妨げる。汚染を拡大する可能性がある。
・ 山積み処分が最も、早く、経済的で安全な合理的処分法だ。
(3月30日修正)
はじめに
岩手、宮城県の津波瓦礫処分について考え方の整理と私の考えを述べる。
津波瓦礫の現状
宮城、岩手県の津波瓦礫は2000万トン。
焼却、埋め立て、建設・土木資材として再利用、他地方へ輸送して焼却等の広域処分などの方針で進められている。
1年かけて、処理されたのはわずか6%。
瓦礫処分遅れの理由
・広域処理の目標は、岩手県で全瓦礫のわずか15%弱、宮城で23%だけだ。
・岩手で瓦礫処理まで20年、宮城で10年の試算がある。
・もし広域処理が瓦礫全体の80%なら、広域処分のスピードを上げれば、被災地の瓦礫処分は早まる。
・しかし計画でさえ全体のわずか15%の広域処分ではその半分が達成されても20年が18年半、10年が9年3ヶ月とわずかに短縮されるだけで、現実の瓦礫処理を早めない。
・岩手、宮城瓦礫の20%だけの広域処分を早めても被災地の瓦礫処分に役立たたず、広域処分は無意実だ。
・被災地の瓦礫処分を早めるには、地元での処分を早めるべきだ。
・瓦礫処分遅れは、地元処分の遅れが原因だ。
・地元処分方針のまずさと政府に熱意無いことが地元処分遅れの原因だ。
・厚労省は現地での焼却炉建設を認めない。
・理由は「がれきには危険な放射能が含まれてる可能性がある。詳細な検討が必要」と。
・一方で、全国には、焼却は問題ないと拡散させて処理させる。
・岩手県岩泉町長:「もともと使ってない土地がたくさんあるのに、どうして急いで瓦礫を全国に拡散するのか?10年、20年と時間をかけて処理した方が雇用確保し、地元に金も落ちる。」
・南相馬市長:「がれきは復興の貴重な財産。護岸工事に使いたいが不足しているので宮城から運んできたいと相談したら、放射線量が不明だから動かせないといったのは官僚」。
・岩手県担当者:「県内に処理施設を増設するなどし、その費用が補助金で賄われ、自前処理ができれば理想的です」
・国は地元には「線量が不明だから動かせない」と言い、一方で他の地方には「瓦礫処理で汚染の心配はない」と言う。
・「国が言った」というのは「官僚が仕切って言った」ということだ。
広域処分はすべきでない
・広域処理は運送費など莫大な経費と時間の浪費と放射能の拡散になる。
・各地に分散するのは除染と逆の行為で、してはいけない国際的合意だ。
・元々、広域処理の合理的必要性は無い。
・各地で瓦礫受け入れが進んでいないことが、瓦礫処理と被災地復興の妨げになっているという政府発表や報道が続いている。偽りである。
・政府の方針でも域外処分予定は20%で80%は地元処理である。
・地元処理が進んでいないことが瓦礫処理が進まない原因だ。
・20%の域外処理は元来不要だが、問題をすり替て国民を偽る政府と、批判せずに政府広報的なことしか伝えない報道は、きちんと事実を知らせずに、世論誘導をしている。
・政府に不都合なことも十分報道して、国民の議論と同意、良識に基づく、健全な復興復旧事業にすべきだ。
焼却処分はすべきではない
・津波瓦礫の放射能は低レベルだが、全体量が多いので拡散すべきではない。
・放射線の確率的発癌作用は、千人に1人癌死させる放射能量は、1万人で分けても10万人で分けても1人が癌死する・個人の発癌確立は減るが全体では変わらない。
・低濃度だからと放射能拡散の総量を増やすと社会全体で癌死はかえって増えるから、放射能を希釈して広げてはいけないという考えで、日本や殆どの国の法律が作られている。
・放射能は食品や大気中に希釈して汚染範囲を拡大してはいけないというのは放射能管理の常識・関係者の合意事項、国際的にも合意事項だ。
・煙の放射能を完全に回収できない焼却施設で燃やすと、大気中に放射能を再拡散する。
・煙の中の放射能がどの焼却場も十分回収するのか、これまで住民や国民を何度も欺いてきた政府の「きちんとやるから安全」という説明が基準どおり実行する保証になるか疑問だ。
・焼却すると、放射能は減らないので、回収した煙と燃え残り灰に全て残る。
・回収した煙と残り灰の重さは焼却前より少なくなるが、放射能は減らないので、kgあたりの放射能は高くなり、かえって処理を困難にする。
・高濃度になった回収煙と残り灰の処分法、処分場を政府は決めていない。
・最終処分の方法と場所を決めない放射能処分はありえない。
・これだけでも、焼却処分をしてはいけない強い理由だ。
・放射線管理の常識と国際合意に反している。
埋め立て素材などとしての再利用
・農地や海への埋め立てに使うと汚染や土質悪化をおこすので、すべきでない。
・十分低レベルのものは土木資材として使うことは可能だ。
・しかし、本当に放射能レベルが低いか、測定や規制が公正かということについて、繰り返し国民を欺いてきた政府の悪い実績が多く、今も続いているので、広く社会的に自由で健全な議論や検討をせずには再利用すべきではない。
・現実は、更に、自由で健全な議論を抑圧する、自由な発言がしにくい社会に誘導された。
・土木・建設素材として再利用することに反対する人を、「復興を邪魔する特殊な、社会から無視されるべき人だ」と、土木素材に再利用させないことが復興を邪魔する異常な人であるかのような、異論を侮辱排除する世論誘導が実際に行われている。
・再利用するとしても、瓦礫の全体量から見ればきわめて少ないので、処分計画に影響を与える量にはならない。
・したがって、瓦礫再利用によって瓦礫処分が早まる、あるいは、再利用を有効な瓦礫対策の1つとして考えるべきではない。
・瓦礫を再利用する場合は、再利用することが直接事業に役立つ場合に限るべきだ。
・事業に直接利益が無ければ、瓦礫を再利用させるために公的補助金が上乗せされて始めて実行される。
浪費
・補助金を出す側と受け取る側に不健全な関係を生じ、税金が浪費されてきた。
・行政と業界の不健全な関係は、瓦礫処理に無効なだけでなく、社会の健全さと合理性を蝕み、利権は社会の健全性を阻害し国民の財産を消耗させる。
・浪費や利権に費やす費用は全て納税者から集める税金だ。
・広域処分や焼却、再利用を行うための補助金は、貴重な税金の浪費になり、被災者と被災地の回復・復興を妨げる。
・利権は真の復興を妨げる。
・浪費をやめて被災者と被災地の為に直接使うべきだ。
・「東京都に搬入瓦礫の焼却をする処分業者は、東京臨海リサイクルパワー株式会社;東京電力 のグループ企業社。ここでも税金から200億円が東電に入る仕組みだ。
瓦礫は全て山積み処分して記念公園に整備を
最も合理的な瓦礫処分法
・津波瓦礫は輸送費をかけず分別せず、地元で全部集めて山積み処分が良い。
・焼却や広域処分よりずっと早く、安く、安全に、全ての大量の瓦礫を処分できる。
・三陸地域は瓦礫を集める土地がないので、津波で被災した仙台平野の海岸に集める。
・湾内海底瓦礫も含めて2000万トン全て集め古墳のように築き、津波避難所をかねた、慰霊と決意の津波記念公園として整備すべきだ。
・放射能はレベルが低いので少量では問題ないが瓦礫の量が莫大なので、総量は無視できない。
・土壌への浸透防止は必要だ。
・しかしそれ以上の厳しい汚染防止、被曝防止対策は不要なので、安い費用でできる。
・集めて積み上げるだけなので費用も時間もかからない。
・土壌汚染・浸透防止のための基礎部分(底)は必ずしも厳重にする必要はなく、水抜き層と水抜きパイプで水抜きを十分に行う。
・底には粘土や吸着剤を敷き、最底部にはコンクリートなどの不浸透資材による底を作る。
・瓦礫は思い出と悲しみの遺品だ。人々の思い出の宝をごみとして処分するのは残念だ。
・ごみとしてだけ考えず、津波で死亡した人たちの遺品として全て集めて丘に築き、慰霊と津波記念の大古墳、記念公園として整備することが良い。
・900m × 600m、平均高 20mの丘に築くと2160万トン収容できる(比重2として計算)。現実的な数字だ。
・ちなみに、仁徳天皇稜は堀も含めて840m×486m、最高高さ34m
・海から海岸の処分場まで堀を作れば、三陸湾内の海上と海底に残された瓦礫も、船で直接移送可能だ。
・裁断してトラック輸送することなく、広域処理や再利用・焼却を主とした処分よりも、はるか経済的に、早く、環境汚染少なく、大量処分が可能だ。
・津波の教訓や歴史、防災の世界的拠点として、被災地元の誇りとなるような世界一の地震・津波資料館を併設することを提案する。
・復興と発展に役立つ。
・公園費用と考えれば高額だが、瓦礫処分費用と考えれば瓦礫焼却や広域処分を含めた政府方針より安くできる。
・瓦礫処理、公園や慰霊モニュメント、文化教育施設と縦割りで考えず縦割り行政の視野の狭さを克服し総合的判断すれば実現可能だ。
・関東大震災復興事業として、横浜市は震災瓦礫を集めて山下公園を作り、5年後大博覧会を開いた。現在は横浜を代表する公園になっている。
・歴史的世界的な平和の決意の場にした広島平和公園と原爆資料館の例もある。世界中から心ある多くの人々が訪れている。
・現在も殆どの瓦礫が始末されずに残っている。
・すぐに、全て一箇所に集めて山積処分の方針を決定して着手すべきだ。
・遅れるほど時間と経費を浪費して、被災地の復興を妨げ、社会を疲弊させ、社会の健全さと活力を阻害する。既に高額の経費が浪費され、浪費の速度は加速されている。
社会と人のあり方
・政府は「規制」と言って実際は逆に汚染容認の基準を作って、放射能と放射線被曝拡大を強制してきた。
・空間線量も、食物暫定基準も、食物新基準もそうだった。
・膨大な放射能ほこりが舞い、翌日に何が起こるか分からない状態でも、「安全だ心配するな、逃げるな、心配せずに自家野菜を食べろ」と言って被曝回避の言動を妨げ、被曝させた。
・政府と東電は今も謝罪も反省も、責任者の処分もしない。処分断罪されるべき人たちが今も原発事故対策を仕切っている。異常な社会だ。
・「被災地のためにも瓦礫受け入れを」と言う政府説明は被災地の困窮と被災地への同情心を利用して、利権と放射能汚染拡大、国民分断化を狙うものではないか。
・他の地域での瓦礫処分が進まないことを差別意識と結び付ける政府や報道の基本姿勢を改めるべきだ。
・瓦礫受け入れに反対する人を「被災者の痛みを共有しない、利己的な人であるかのように言うキャンペーンは、無礼だ。政府が主権者に言うべき言葉ではない。
・瓦礫や政府の言い分を受け容れない人を「利己的な人」として村八分的に侮蔑・無視・排除し、恐怖心を作って異論を言わせないようにしようという政府やマスコミの言論活動は、自由な発言と社会の健全性を脅かし危険だ。
・東京都知事は、放射能瓦礫処理に対する苦情・発言に「黙れ」と恫喝的に一喝した。
・岩手の瓦礫が東京に到着したとき、取材の記者が、私物のガイガーカウンターで測定することも禁止した。
・自治体が住民に納得しうる健全な方針と考えていないから、自治体が住民に納得させられない。
・瓦礫による風評被害は自治体が住民に説得できなければ、自治体に説得専門家を送って“国が対応するという。
・自治体が住民に正当だと考え、説明できないものを強引に行ってよいのか。
・大規模分別を前提にした、政府の瓦礫再利用処分計画は、時間と経費を浪費する。
・被災者の困窮と国民の同情心を利用して、国民と社会を欺き、被災地の瓦礫処分や復興に実質的に役立たない津波瓦礫広域処分と、異論を言う人へのネガティブキャンペーンをやめ、自由で誠実な発言や議論を安心してできる健全な社会運営をすべきだ。
・異論を排除する一方的で、人を欺く「日本人として痛みを共有しよう」という瓦礫広域処理広報に来年度15億円予算は不適切だ。
・知識がない芸能人やアナウンサーがコメントして、コメント・解説した内容には責任をとらず、世論誘導する日本のテレビはおかしい。
・異論を言う人を侮蔑・排除し発言抑圧する社会は健全ではない。
全国の方へ
・「瓦礫を引き受けよう」というのは被災者や被災地支援にならず、復興を阻害するかもしれない。大切な税金を浪費し、復興を阻害する。被災者が財産・仕事・生活を破壊されたままでほとんど放置されている現実から、国民の認識をそらしている。
・利権や打算に結びつかない、直接、被災者個人と被災地の回復に役立つ支援が必要です。
・瓦礫引き受けは被災地支援にはらない。東京電力に好都合の、政府視点で行っている瓦礫引き受けニュースの氾濫は、広域処分に眼が向いて、現地処分を進めない現実や、被災者の就業、生活が殆ど破壊されている現実とその原因を見えなくしている。被災者の復興を阻害していると私は考えます。
・自分や子どもの被曝を危険と考えて引き受け反対を主張する際は、それよりも高い被曝を受けている福島の人や、はるかに高い被曝を受けて、今も原発事故拡大を防ぐための福島原発作業をしている人のことを考えよう。その人たちの被曝を防ぐことを同時に考え、彼らの被曝を下げさせましょう。
・瓦礫引き受け反対するときは、被災地と今も被曝している人々支援・救援を明らかにした上で、受け入れ反対しましょう。利己主義助長、社会の健全性を破壊し、被害者を隠蔽する、東電と幹部、関連業界利権を守るための政府路線を助け、被災者を苦しめる力にならないよう注意して、瓦礫と利権拡散させない活動、がんばってください。
・ 被災地と被災者を支援するには何が有効か・何が阻害するか? 言葉の吟味・責任なしに、自分は批判されないという安全圏は確保して「感想を言う」という風潮に乗ることを卒業しよう。
・ 事実を深く自分で観察・分析し、他人のではなく、自分の判断を決め、機会あるごとに再吟味しましょう。
他人の損害や苦痛を悲しみ、つらく思うという、やさしい感性と、やさしく健全な感性を深め育む知性を育てましょう。その感性に誤りはないかも吟味する、誠実でていねいな知性も大切。
2011年5月以来主張してきたことをまとめた。
本論主旨は「震災モニュメント、鎮魂と研究の場建設を」河北新報持論時論2011年6月11日で提案発言した。
当時、私は余裕がなく、瓦礫処理や震災復興に関係した諸委員会や機関、行政、政治家に働きかけずに終わった。
賛意を持たれ、各機関に関係や働きかけることが可能な方は、本記事をどうぞご利用ください。
(追加)本ブログの別記事「放射性廃棄物は原発付近に集めて管理を。焼却処分はすべきではない。放射性廃棄物処理の正しい戦略と方法」http://hirookay.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
もご参照ください。
(追加)。原爆資料館には保育園、小中高校の修学旅行生、内外からの入館者の大型バスが終日20~30台が駐車していた。5月10日、11日結核病学会:広島平和公園の国際会議場に2日間出席した時の風景です。
2012.03.15 (Thu)
放射線被曝問題と発言の仕方、 健全な議論を妨げる日本社会
放射線被曝問題と発言の仕方
―― 健全な議論を妨げる日本社会――
岡山 博
(日本の科学者 Vol.47 No.4 April 2012より転載)
本ブログ転載にあたっての要約
・ 心配せずにストレスを減らして免疫力を高めようということは,がん専門家の主要な関心の対象にはなっていない.悩まず笑うことが,がん予防とがん進行抑制に有効な治療法として認知されてはいない.
・ 医学的に認知させていないことを、医学的常識であるかのように説明して、それを根拠に他人を非難すべきではない.
・ 専門家が,「被曝を深刻に考えることはストレスを増やしてがんを増やすことだ」と言って,被曝を話題にしたり被曝対策をとることを妨げた.
・ その説明を聞いて人びとは,子や孫と高濃度に汚染された自家野菜を食べ続けた.子どもには食べさせたくないという母親は,神経過敏だ,非常識だと非難された
・ 被曝によって生ずる健康被害について,被曝させた行政や東京電力から,被曝した人や被曝を避けるために援助した人達に責任を転嫁した.
・ 被曝させて本来責任を取るべき人たちまでが安心解説をして,被曝を避けようとする人たちの発言や人格まで批判し苦しめている.
・ 福島差別を起こさせないためには,次のことが必要である.1)福島に貧困を作らないこと.2)福島の人たちにこれ以上被曝させないこと. 3)事故に責任ある,東京電力の歴代幹部や官僚が処罰されず優遇されたままの状況と,責任なく被曝させられた被災者の境遇を逆転させること.
・ 「被害が確認されないうちは,ないものとみなす」という考え方、あり方は誤りだ。
・ 言葉,論理,議論を大切にする文化・社会を作ることが,基本的な課題だ。
はじめに
2011 年3 月11 日,地震と津波によって,福島第一原子力発電所の電源が喪失,原子炉冷却水注入が停止した.そしてその後,爆発と放射能汚染を次々に繰り返し,被害が拡大した.
この時期に行うべきだった被曝対策は,①高濃度汚染の可能性がある地域からの避難.②汚染飲食禁止,被災者に安全な水や食料を届ける.③迅速に情報と知識を住民に提供し,自主的避難・被曝対策行動を助ける.④ヨウ素剤服用.⑤避難しない人への援助・指導であった.
しかし,東京電力,政府,メディア,そして放射線被曝医療などの専門家は,「汚染はわずかだ,危険はない.あわてるな」と避難を制止し,テレビ報道などでは,原子炉事故と放射能汚染が拡大する可能性を説明せず,汚染拡大の危険性を指摘する発言は「不安を煽る」として,質問することも話題にすることもしなくなった.
その結果,たくさんの人たちが被曝地から避難する機会を失った.
以上が,福島原発事故によって生じた放射能汚染問題に関する,私の基本認識である.
本誌の〈討論のひろば〉は,このような背景のもとで行われている.
3 月号で坂東昌子氏(*)は「分野を越えた21 世紀型学問の構築」を論じたが,そこで整理された5 項目を共通話題の素材として,私の考えを述べさせていただきたい.
ストレスに関する医学的問題
坂東氏は整理事項の4 で,「ストレスは,免疫力の低下に繋がり,発がんのリスクも増大させることは,昨今の研究が示している.
科学者が放射線の危険性を過大に煽るのは,市民の健康を害する行為であると思う」と述べている.
ストレスが免疫低下につながりうるという動物実験の発表はあるようだ.
しかし私の知る内科,呼吸器科その他の学会や診療現場には「ストレスが免疫を有効に低下させ,発がんを促進する」「ストレスを減らせば発がんを減少できる」という共通認識は存在していない.
1955 年以前,日本では,多くの青年が結核に感染し,8 割は感染に気づかないうちに,自然治癒した.
現在,日本の結核の半数は老人の結核で,ほとんどは,若い頃に治癒し,肺内に存在していた結核菌が,老齢化にともなって免疫が低下して再燃(再発)したものである.
もし,ストレスを生じないように悩まずに生きるだけで十分に免疫機能が保たれるならば,それだけで日本の結核は,半数に減らせることになる.
結核研究・臨床の場で,そのような研究発表や主張する発表を行う専門家はいない.
細胞ががん化したとき,そのほとんどが増殖する前に,免疫を担当するリンパ球によって殺されることはわかっている.
そのようながん細胞を殺す免疫反応を促進するための治療法や治療薬開発は,膨大な費用と労力を使って世界中で研究されているが,医療の基本認識や治療の根本を変えてはいない.
心配せずにストレスを減らして免疫力を高めようということは,がん専門家の主要な関心の対象にはなっていない.
悩まず笑っていると,がんの発生を劇的に減らすと主張する研究者や専門家は私が知る範囲にはなく,がん予防とがん進行抑制に有効な治療法として認知されてはいない.
臨床医は,患者に対して,疾患の現実と今後の見通しについて,正確に説明するようにしている.
日本では,がん患者にがんの事実を知らせないことが普通に行われていた時期があるが,現在は,詳しく説明することがコンセンサスになっている
「ストレスが免疫を抑制してがんを増やすという,当然知っていてしかるべき知識もわからずに人を不安にさせて(免疫機能を低下させ,多くの疾患や発がんを増やして)いる」と医師以外から医師が批判をうけるとすれば重大である.
近年の報道言葉を使うと「不安ストレスを与えたことによってがんを発生させて早く死なせた」と損害賠償を要求されることを意味する.
相応のレベルを持った臨床医が責任をもって言えない内容を正しいと断言し,受け入れない特定の人を侮蔑を込めて批判することは,健全な言論活動ではない.
良識を持ち,患者のために診療している大部分の医師を部外者にして,専門家ではない一般の人びとに対して,「普通に医者が行っている病状説明は,ストレスを増やし,免疫を阻害し,がんを増やすという悪質なものだ」という意味を持つキャンペーン的な講演活動も健全ではない.
ストレスに関する論理と倫理の問題
ストレスと被曝障害に関するもう一つの問題は,論理と倫理の問題である.
これは坂東氏の主張とは離れるが,放射能被曝の現状の中で指導的発言をしている,元長崎大学教授・現福島医大副学長の山下俊一氏ら放射線被曝医療専門家の発言について述べたい.
放射能の恐怖を持つ人に,人生論として,「くよくよせずにいましょう」と言うことはありうる.
しかし,山下氏が専門家として,被曝を受け続けている人たちへの講演内容には以下の問題がある.
「被曝を深刻に考えることはストレスを増やしてがんを増やすことだ」と言って,被曝を話題にしたり対策をとることを妨げたからである.
放射能の恐怖に怯え,何にすがってでもつかの間の安心を求めた人は多い.
「この程度の放射能は大丈夫だ.呼吸しても,野菜を食べても問題ない.心配するほうが放射能より有害だ」という専門家の話をうれしく聴いた人も多いはずだ.
その説明を聞いて人びとは,場合によっては子や孫と高濃度に汚染された自家野菜を食べ続けた.
子どもには食べさせたくないという母親もいたが,すると,神経過敏だ,非常識だと非難された.
専門家の解説に相乗りして,東京電力や国,福島県は,汚染地帯に汚染されてい
ない水や食料を全力で供給することをしなかった.
津波被災した相馬の母親の話: 1 ヵ月以上,知人が郡山や福島などで地場野菜を買い集め車で運んでくれた.
子どもに優先して食べさせた.
高濃度に汚染された野菜であると分かったのは何ヵ月も後のことだ.
いくつかの症状が被爆のためではないか,今後子どもは大丈夫だろうかと怯えている.
汚染の危険を知っていれば食べさせなかった.
このような人を私はたくさん知っている.
好意で野菜を集めて届け続けた人と,子どもに食べ続けさせた母親たちは無念である.
山下氏らの発言内容のもう一つの問題は,「くよくよするから,不安を煽るから,病気になる」と言って,被曝によって生ずる健康被害について,被曝させた行政や東京電力から,被曝した人や被曝を避けるために援助した人達に責任を転嫁したことである.
事故を起こし被曝させた人は非難されず,心配する人が非難され,被曝を回避するための家族会話もできなくなった.
くよくよする人を批判する専門家は,汚染地域に住む人たちに,汚染されていない食料を,東京電力と行政の責任で全力をあげて供給することを要求していない.
被曝医療専門家の研究費や地位は,他の多くの研究分野よりはるかに優遇され,原発推進に関係した国の予算や関連企業からの莫大な出資によって成り立っている.
被曝させて本来責任を取るべき人たちまでが解説をして,被曝を避けようとする人たちの発言や人格まで批判し苦しめている.
風評被害について
坂東氏はまた,「福島の人たちは風評被害を通じて根拠のない偏見に苦しんでいる.
科学者が偏見を煽るようなことはしないように願う」と述べている.
原発事故以降,「風評被害」という言葉が蔓延した.
「風評」とは実体のない,無責任なうわさ話ということである.
食物の放射能汚染を心配することが過剰反応,嘘扱いされ,心配する人は異常,変人,うそつき扱いされ,今も続いている.「風評被害」という言葉を吟味せずに使うことに,私は反対である.
食物の放射能汚染を吟味検討することは,風評ではなく,よく考えるべきことである.
「風評」という言葉も,子どもの給食の放射能を心配する母親を,神経質,モンスターペアレンツとして無視・排除・侮蔑して苦しめる社会風潮を形成する要因になっている.
福島県民は,原発爆発で被曝し,その後も,汚染されたところに住み,汚染されたところで作物を作り,汚染された作物を食べ続けている.
日本社会と文化は,自分の優位性が確保できると,下位の者を引き寄せてわずかな劣位性でも暴き出し,侮蔑・差別して,相手に下位であることを思い知らせ,自分が上位であるという満足を得ようとする傾向が強く,福島は今後,日本社会で差別の対象にされる可能性が高い.
福島差別を起こさせないためには,次のことが必要である.
1)福島に貧困を作らないこと.
高度に汚染された所の人たちに,除染すれば,安全に住めるかのような幻想を与えて時間の引き延ばしをしている.
避難者は,新たな努力対象も定まらず,この状態が続くと,人として生きる熱意も輝きもうせ,経済的にも貧しくなってしまう.
アルコール依存者が増えているとも聞いている.
2)すでに被曝をしてしまった福島の人たちにこれ以上被曝させないこと.地産地消といって汚染された地域で作物を作らせて,これ以上,汚染された食料を福島の人たちに食べさせてはいけない.
東京電力と日本社会が最重要課題として,安全な食品を福島の人びとに供給すべきである.
3)放射能被災者が,財産と仕事,人生を破壊され,明日の展望ももてないという激烈な苦痛を受けているときに,損害を与えた責任を取るべき人たちは,地位・財産・安全を保障され,高い地位の継続を確保した.
事故の責任を取るべき,東京電力の歴代幹部や歴代の高級官僚が処罰されず優遇されたままの状況と,責任なく被曝させられた被災者の境遇を逆転させることが必要である.
これをしなければ,事故の責任者は優位性を維持できるように社会を運営し,福島を排除蔑視する社会になると思う.
この三つが福島を差別社会にしないためにやるべきことと私は考えている.
発がんについて,特にトンデル論文について
坂東氏は「被曝後数年以内に発がんなどしない.~被曝が原因のがん細胞は10 年から数十年後に発がんに至る.それが専門家の常識」と聞いたと書かれ,これを根拠に論を展開されている.
肺がんには4 種類ある.1 個の細胞から1cmになる時間を逆算して求めると,平均的には小細胞がんで約4 年,腺がんで15 年と計算される.ばらつき説明は省略する.
チェルノブイリでは小児は被曝5 年から甲状腺がん発症が急増した.
「悪性腫瘍発症の増加とチェルノブイリ事故による放射性物質の降下は関連があるかもしれない」とトンデル論文を引用し,「これをもって,確固とした証拠にできるだろうか.そんなことは著者自身も主張していない」と,被曝の危険を主張する人を批判した.
イギリス・ウェールズ核再処理工場の周囲で白血病増加が確認された.
原発周辺で小児白血病が有意に増加していることが,2008 年のドイツ政府の大規模調査で確定した.
核施設周辺で白血病が増えることは確定したが,今後,原因が放射能被曝だと断定される可能性は低い.生活・食品・地域環境,経済の変化など,関係しうる多くの可能性があれば,完全な断定はほとんど不可能だからである.
国際放射線防護委員会(ICRP)や原発関係者,専門家は,「確実には証明されていない」ことを,「あるかもしれない」と考えるのではなく「存在しない」こととして無視している.
疫学的研究とは莫大な労力と費用,長時間の調査を要し,二つの事象の因果関係を証明することができても,単一の原因・結果であると証明できることはまれである.
チェルノブイリ事故においても,事故の影響でがんが有意に増えたことが認知されたのは事故の20 年後である.
厳密に言えば,甲状腺がんの増加の原因がチェルノブイリ事故と関連することは確定したが,放射線被曝が原因という断定はおそらくできない.
例えば,「チェルノブイリで被曝が甲状腺がん増加に関与した程度は10%以下で,70%は不安や恐怖感によるストレスが原因,20%は不明である」と主張する人がいて,自説が正しいことを証明せずに勝手な結論を主張し,「反論するなら,間違いだということを証明しろ」と言ったとしても,否定する証明はほとんど不可能である.
欧米であれば,これを誤りと断定することは常識レベルの論理だが,論理学が文化として存在せず,論理より気持ちで納得する日本社会,論理と議論が知識人の教養にさえなっていない日本では,簡単に通用する.
根拠と結論の正しさを証明しない主張をしても批判されない日本の状況では,専門家として,人を欺くどんな結論でも出すことができる.
権威や行政との便宜供与,同調するメディア,講演会や職場などでの脅迫・恫喝を使えばさらに簡単である.
トンデル論文は「どちらか分からない」と主張する論文ではなく、「チェルノブイリ放射能汚染に関係してがんが増えた可能性」を積極的に示した論文である.
この論文を引用して「被曝によってがんが増加した」と断定、引用することは正しくないが,「断定されていないのだから、がんが増加したことは、被曝とは関係ない」と断定・引用することも誤りである.
原発事故以降も岩手,宮城,福島,茨城の農村では,田畑で,車の視界が遮られるほどの煙を出して繰り返しわらや枯れ草を野焼きした.
岩手では,母親たちが行政に繰り返し要望したが「野焼きで放射能が拡散し,被害を与えるということは確認されていない」からと自治体は禁止せず,秋まで繰り返された.
呼吸と,農作物再汚染によって相当の2 次被曝を受けたはずだ.
他県では野焼きは話題にさえならなかった.
今も行政は,反省も謝罪もしていない.
「被害が確認されないうちは,ないものとみなす」とはこのようなことである.
通常のすべての毒性物質は,有害と分かっている値よりはるかに低値で規制されている.
事故以前の食品放射線規制も現在の暫定規制値よりはるかに低く規制されていた.
事故後は「がんを発生させると証明されていないレベルの放射能を心配するのは誤りだ」と,専門家が解説した.
有害と分かる直前の値は不明なので,これは「有害だと分かるレベルまで食べろ,有害と分かったらその少し少ない量まで食べろ」という暴論である.
しかも慢性毒性であれば,分かったときには遅すぎる.
おわりに
現在の日本は,無条件同調強要,自由な発言の抑圧,言葉・議論軽視,異論は無視・排除・侮蔑・嫌がらせが社会を動かす重要な行動原理の一部となっており,これが福島原発事故と,その後の不適切対応で繰り返し被害を拡大していることをはじめ,日本のほとんどの社会問題や,個人の苦痛を改善させない底流になっていると考えている.
健全な議論をするためには,相手をやっつけて自分の優位性を表現したいということではなく,相手に敬意をもち,穏やかで論理的な言葉で発言することと,共同して共通の結論に到達しようという意思が必要である.
言葉,論理,議論を大切にする文化・社会を作ることが,日本社会と人にとって重要で基本的な課題と考える.
(*) 坂東 昌子 氏:1960年京都大学物理学科卒、愛知大学名誉教授。素粒子論。研究と子育てを両立させるため、自宅を開放し、女子大学院生仲間らと共同保育をはじめ、京都大学に保育所設立を実現させたなど、女性研究者の積極的な社会貢献を目指す活動を続けている。06年日本物理学会長。著書多数
本論で書ききれなかった意見については,以下の「岡山博」ブログでご覧いただければ幸いである.
放射線問題について:「被曝をどう避けるか」講演要旨,「放射線被曝を避けるために・野焼き」「, 福島原発事故後おきていること」.
発言と議論の仕方について:「よい発表,良い議論を行うために」.
岡山博
仙台赤十字病院第2 呼吸器内科部長,
東北大学臨床教授
―― 健全な議論を妨げる日本社会――
岡山 博
(日本の科学者 Vol.47 No.4 April 2012より転載)
本ブログ転載にあたっての要約
・ 心配せずにストレスを減らして免疫力を高めようということは,がん専門家の主要な関心の対象にはなっていない.悩まず笑うことが,がん予防とがん進行抑制に有効な治療法として認知されてはいない.
・ 医学的に認知させていないことを、医学的常識であるかのように説明して、それを根拠に他人を非難すべきではない.
・ 専門家が,「被曝を深刻に考えることはストレスを増やしてがんを増やすことだ」と言って,被曝を話題にしたり被曝対策をとることを妨げた.
・ その説明を聞いて人びとは,子や孫と高濃度に汚染された自家野菜を食べ続けた.子どもには食べさせたくないという母親は,神経過敏だ,非常識だと非難された
・ 被曝によって生ずる健康被害について,被曝させた行政や東京電力から,被曝した人や被曝を避けるために援助した人達に責任を転嫁した.
・ 被曝させて本来責任を取るべき人たちまでが安心解説をして,被曝を避けようとする人たちの発言や人格まで批判し苦しめている.
・ 福島差別を起こさせないためには,次のことが必要である.1)福島に貧困を作らないこと.2)福島の人たちにこれ以上被曝させないこと. 3)事故に責任ある,東京電力の歴代幹部や官僚が処罰されず優遇されたままの状況と,責任なく被曝させられた被災者の境遇を逆転させること.
・ 「被害が確認されないうちは,ないものとみなす」という考え方、あり方は誤りだ。
・ 言葉,論理,議論を大切にする文化・社会を作ることが,基本的な課題だ。
はじめに
2011 年3 月11 日,地震と津波によって,福島第一原子力発電所の電源が喪失,原子炉冷却水注入が停止した.そしてその後,爆発と放射能汚染を次々に繰り返し,被害が拡大した.
この時期に行うべきだった被曝対策は,①高濃度汚染の可能性がある地域からの避難.②汚染飲食禁止,被災者に安全な水や食料を届ける.③迅速に情報と知識を住民に提供し,自主的避難・被曝対策行動を助ける.④ヨウ素剤服用.⑤避難しない人への援助・指導であった.
しかし,東京電力,政府,メディア,そして放射線被曝医療などの専門家は,「汚染はわずかだ,危険はない.あわてるな」と避難を制止し,テレビ報道などでは,原子炉事故と放射能汚染が拡大する可能性を説明せず,汚染拡大の危険性を指摘する発言は「不安を煽る」として,質問することも話題にすることもしなくなった.
その結果,たくさんの人たちが被曝地から避難する機会を失った.
以上が,福島原発事故によって生じた放射能汚染問題に関する,私の基本認識である.
本誌の〈討論のひろば〉は,このような背景のもとで行われている.
3 月号で坂東昌子氏(*)は「分野を越えた21 世紀型学問の構築」を論じたが,そこで整理された5 項目を共通話題の素材として,私の考えを述べさせていただきたい.
ストレスに関する医学的問題
坂東氏は整理事項の4 で,「ストレスは,免疫力の低下に繋がり,発がんのリスクも増大させることは,昨今の研究が示している.
科学者が放射線の危険性を過大に煽るのは,市民の健康を害する行為であると思う」と述べている.
ストレスが免疫低下につながりうるという動物実験の発表はあるようだ.
しかし私の知る内科,呼吸器科その他の学会や診療現場には「ストレスが免疫を有効に低下させ,発がんを促進する」「ストレスを減らせば発がんを減少できる」という共通認識は存在していない.
1955 年以前,日本では,多くの青年が結核に感染し,8 割は感染に気づかないうちに,自然治癒した.
現在,日本の結核の半数は老人の結核で,ほとんどは,若い頃に治癒し,肺内に存在していた結核菌が,老齢化にともなって免疫が低下して再燃(再発)したものである.
もし,ストレスを生じないように悩まずに生きるだけで十分に免疫機能が保たれるならば,それだけで日本の結核は,半数に減らせることになる.
結核研究・臨床の場で,そのような研究発表や主張する発表を行う専門家はいない.
細胞ががん化したとき,そのほとんどが増殖する前に,免疫を担当するリンパ球によって殺されることはわかっている.
そのようながん細胞を殺す免疫反応を促進するための治療法や治療薬開発は,膨大な費用と労力を使って世界中で研究されているが,医療の基本認識や治療の根本を変えてはいない.
心配せずにストレスを減らして免疫力を高めようということは,がん専門家の主要な関心の対象にはなっていない.
悩まず笑っていると,がんの発生を劇的に減らすと主張する研究者や専門家は私が知る範囲にはなく,がん予防とがん進行抑制に有効な治療法として認知されてはいない.
臨床医は,患者に対して,疾患の現実と今後の見通しについて,正確に説明するようにしている.
日本では,がん患者にがんの事実を知らせないことが普通に行われていた時期があるが,現在は,詳しく説明することがコンセンサスになっている
「ストレスが免疫を抑制してがんを増やすという,当然知っていてしかるべき知識もわからずに人を不安にさせて(免疫機能を低下させ,多くの疾患や発がんを増やして)いる」と医師以外から医師が批判をうけるとすれば重大である.
近年の報道言葉を使うと「不安ストレスを与えたことによってがんを発生させて早く死なせた」と損害賠償を要求されることを意味する.
相応のレベルを持った臨床医が責任をもって言えない内容を正しいと断言し,受け入れない特定の人を侮蔑を込めて批判することは,健全な言論活動ではない.
良識を持ち,患者のために診療している大部分の医師を部外者にして,専門家ではない一般の人びとに対して,「普通に医者が行っている病状説明は,ストレスを増やし,免疫を阻害し,がんを増やすという悪質なものだ」という意味を持つキャンペーン的な講演活動も健全ではない.
ストレスに関する論理と倫理の問題
ストレスと被曝障害に関するもう一つの問題は,論理と倫理の問題である.
これは坂東氏の主張とは離れるが,放射能被曝の現状の中で指導的発言をしている,元長崎大学教授・現福島医大副学長の山下俊一氏ら放射線被曝医療専門家の発言について述べたい.
放射能の恐怖を持つ人に,人生論として,「くよくよせずにいましょう」と言うことはありうる.
しかし,山下氏が専門家として,被曝を受け続けている人たちへの講演内容には以下の問題がある.
「被曝を深刻に考えることはストレスを増やしてがんを増やすことだ」と言って,被曝を話題にしたり対策をとることを妨げたからである.
放射能の恐怖に怯え,何にすがってでもつかの間の安心を求めた人は多い.
「この程度の放射能は大丈夫だ.呼吸しても,野菜を食べても問題ない.心配するほうが放射能より有害だ」という専門家の話をうれしく聴いた人も多いはずだ.
その説明を聞いて人びとは,場合によっては子や孫と高濃度に汚染された自家野菜を食べ続けた.
子どもには食べさせたくないという母親もいたが,すると,神経過敏だ,非常識だと非難された.
専門家の解説に相乗りして,東京電力や国,福島県は,汚染地帯に汚染されてい
ない水や食料を全力で供給することをしなかった.
津波被災した相馬の母親の話: 1 ヵ月以上,知人が郡山や福島などで地場野菜を買い集め車で運んでくれた.
子どもに優先して食べさせた.
高濃度に汚染された野菜であると分かったのは何ヵ月も後のことだ.
いくつかの症状が被爆のためではないか,今後子どもは大丈夫だろうかと怯えている.
汚染の危険を知っていれば食べさせなかった.
このような人を私はたくさん知っている.
好意で野菜を集めて届け続けた人と,子どもに食べ続けさせた母親たちは無念である.
山下氏らの発言内容のもう一つの問題は,「くよくよするから,不安を煽るから,病気になる」と言って,被曝によって生ずる健康被害について,被曝させた行政や東京電力から,被曝した人や被曝を避けるために援助した人達に責任を転嫁したことである.
事故を起こし被曝させた人は非難されず,心配する人が非難され,被曝を回避するための家族会話もできなくなった.
くよくよする人を批判する専門家は,汚染地域に住む人たちに,汚染されていない食料を,東京電力と行政の責任で全力をあげて供給することを要求していない.
被曝医療専門家の研究費や地位は,他の多くの研究分野よりはるかに優遇され,原発推進に関係した国の予算や関連企業からの莫大な出資によって成り立っている.
被曝させて本来責任を取るべき人たちまでが解説をして,被曝を避けようとする人たちの発言や人格まで批判し苦しめている.
風評被害について
坂東氏はまた,「福島の人たちは風評被害を通じて根拠のない偏見に苦しんでいる.
科学者が偏見を煽るようなことはしないように願う」と述べている.
原発事故以降,「風評被害」という言葉が蔓延した.
「風評」とは実体のない,無責任なうわさ話ということである.
食物の放射能汚染を心配することが過剰反応,嘘扱いされ,心配する人は異常,変人,うそつき扱いされ,今も続いている.「風評被害」という言葉を吟味せずに使うことに,私は反対である.
食物の放射能汚染を吟味検討することは,風評ではなく,よく考えるべきことである.
「風評」という言葉も,子どもの給食の放射能を心配する母親を,神経質,モンスターペアレンツとして無視・排除・侮蔑して苦しめる社会風潮を形成する要因になっている.
福島県民は,原発爆発で被曝し,その後も,汚染されたところに住み,汚染されたところで作物を作り,汚染された作物を食べ続けている.
日本社会と文化は,自分の優位性が確保できると,下位の者を引き寄せてわずかな劣位性でも暴き出し,侮蔑・差別して,相手に下位であることを思い知らせ,自分が上位であるという満足を得ようとする傾向が強く,福島は今後,日本社会で差別の対象にされる可能性が高い.
福島差別を起こさせないためには,次のことが必要である.
1)福島に貧困を作らないこと.
高度に汚染された所の人たちに,除染すれば,安全に住めるかのような幻想を与えて時間の引き延ばしをしている.
避難者は,新たな努力対象も定まらず,この状態が続くと,人として生きる熱意も輝きもうせ,経済的にも貧しくなってしまう.
アルコール依存者が増えているとも聞いている.
2)すでに被曝をしてしまった福島の人たちにこれ以上被曝させないこと.地産地消といって汚染された地域で作物を作らせて,これ以上,汚染された食料を福島の人たちに食べさせてはいけない.
東京電力と日本社会が最重要課題として,安全な食品を福島の人びとに供給すべきである.
3)放射能被災者が,財産と仕事,人生を破壊され,明日の展望ももてないという激烈な苦痛を受けているときに,損害を与えた責任を取るべき人たちは,地位・財産・安全を保障され,高い地位の継続を確保した.
事故の責任を取るべき,東京電力の歴代幹部や歴代の高級官僚が処罰されず優遇されたままの状況と,責任なく被曝させられた被災者の境遇を逆転させることが必要である.
これをしなければ,事故の責任者は優位性を維持できるように社会を運営し,福島を排除蔑視する社会になると思う.
この三つが福島を差別社会にしないためにやるべきことと私は考えている.
発がんについて,特にトンデル論文について
坂東氏は「被曝後数年以内に発がんなどしない.~被曝が原因のがん細胞は10 年から数十年後に発がんに至る.それが専門家の常識」と聞いたと書かれ,これを根拠に論を展開されている.
肺がんには4 種類ある.1 個の細胞から1cmになる時間を逆算して求めると,平均的には小細胞がんで約4 年,腺がんで15 年と計算される.ばらつき説明は省略する.
チェルノブイリでは小児は被曝5 年から甲状腺がん発症が急増した.
「悪性腫瘍発症の増加とチェルノブイリ事故による放射性物質の降下は関連があるかもしれない」とトンデル論文を引用し,「これをもって,確固とした証拠にできるだろうか.そんなことは著者自身も主張していない」と,被曝の危険を主張する人を批判した.
イギリス・ウェールズ核再処理工場の周囲で白血病増加が確認された.
原発周辺で小児白血病が有意に増加していることが,2008 年のドイツ政府の大規模調査で確定した.
核施設周辺で白血病が増えることは確定したが,今後,原因が放射能被曝だと断定される可能性は低い.生活・食品・地域環境,経済の変化など,関係しうる多くの可能性があれば,完全な断定はほとんど不可能だからである.
国際放射線防護委員会(ICRP)や原発関係者,専門家は,「確実には証明されていない」ことを,「あるかもしれない」と考えるのではなく「存在しない」こととして無視している.
疫学的研究とは莫大な労力と費用,長時間の調査を要し,二つの事象の因果関係を証明することができても,単一の原因・結果であると証明できることはまれである.
チェルノブイリ事故においても,事故の影響でがんが有意に増えたことが認知されたのは事故の20 年後である.
厳密に言えば,甲状腺がんの増加の原因がチェルノブイリ事故と関連することは確定したが,放射線被曝が原因という断定はおそらくできない.
例えば,「チェルノブイリで被曝が甲状腺がん増加に関与した程度は10%以下で,70%は不安や恐怖感によるストレスが原因,20%は不明である」と主張する人がいて,自説が正しいことを証明せずに勝手な結論を主張し,「反論するなら,間違いだということを証明しろ」と言ったとしても,否定する証明はほとんど不可能である.
欧米であれば,これを誤りと断定することは常識レベルの論理だが,論理学が文化として存在せず,論理より気持ちで納得する日本社会,論理と議論が知識人の教養にさえなっていない日本では,簡単に通用する.
根拠と結論の正しさを証明しない主張をしても批判されない日本の状況では,専門家として,人を欺くどんな結論でも出すことができる.
権威や行政との便宜供与,同調するメディア,講演会や職場などでの脅迫・恫喝を使えばさらに簡単である.
トンデル論文は「どちらか分からない」と主張する論文ではなく、「チェルノブイリ放射能汚染に関係してがんが増えた可能性」を積極的に示した論文である.
この論文を引用して「被曝によってがんが増加した」と断定、引用することは正しくないが,「断定されていないのだから、がんが増加したことは、被曝とは関係ない」と断定・引用することも誤りである.
原発事故以降も岩手,宮城,福島,茨城の農村では,田畑で,車の視界が遮られるほどの煙を出して繰り返しわらや枯れ草を野焼きした.
岩手では,母親たちが行政に繰り返し要望したが「野焼きで放射能が拡散し,被害を与えるということは確認されていない」からと自治体は禁止せず,秋まで繰り返された.
呼吸と,農作物再汚染によって相当の2 次被曝を受けたはずだ.
他県では野焼きは話題にさえならなかった.
今も行政は,反省も謝罪もしていない.
「被害が確認されないうちは,ないものとみなす」とはこのようなことである.
通常のすべての毒性物質は,有害と分かっている値よりはるかに低値で規制されている.
事故以前の食品放射線規制も現在の暫定規制値よりはるかに低く規制されていた.
事故後は「がんを発生させると証明されていないレベルの放射能を心配するのは誤りだ」と,専門家が解説した.
有害と分かる直前の値は不明なので,これは「有害だと分かるレベルまで食べろ,有害と分かったらその少し少ない量まで食べろ」という暴論である.
しかも慢性毒性であれば,分かったときには遅すぎる.
おわりに
現在の日本は,無条件同調強要,自由な発言の抑圧,言葉・議論軽視,異論は無視・排除・侮蔑・嫌がらせが社会を動かす重要な行動原理の一部となっており,これが福島原発事故と,その後の不適切対応で繰り返し被害を拡大していることをはじめ,日本のほとんどの社会問題や,個人の苦痛を改善させない底流になっていると考えている.
健全な議論をするためには,相手をやっつけて自分の優位性を表現したいということではなく,相手に敬意をもち,穏やかで論理的な言葉で発言することと,共同して共通の結論に到達しようという意思が必要である.
言葉,論理,議論を大切にする文化・社会を作ることが,日本社会と人にとって重要で基本的な課題と考える.
(*) 坂東 昌子 氏:1960年京都大学物理学科卒、愛知大学名誉教授。素粒子論。研究と子育てを両立させるため、自宅を開放し、女子大学院生仲間らと共同保育をはじめ、京都大学に保育所設立を実現させたなど、女性研究者の積極的な社会貢献を目指す活動を続けている。06年日本物理学会長。著書多数
本論で書ききれなかった意見については,以下の「岡山博」ブログでご覧いただければ幸いである.
放射線問題について:「被曝をどう避けるか」講演要旨,「放射線被曝を避けるために・野焼き」「, 福島原発事故後おきていること」.
発言と議論の仕方について:「よい発表,良い議論を行うために」.
岡山博
仙台赤十字病院第2 呼吸器内科部長,
東北大学臨床教授
2012.03.08 (Thu)
給食の放射能問題をどう考えるか 解説と私の意見
給食の放射能問題をどう考えるか
解説と私の意見
要約
・ 個人はどの程度まで放射能を引き受けるか
・ 新基準は、被曝を下げるためではなく、避けられるはずの被爆を、引き続き被曝させ続けさせるものだ。規制強化や、被爆低下にならない。
・ 行政は被曝を避ける活動に感謝し、行政で足りないところをその人たちと共同して行うべきだが、逆に、抑圧している。生徒の被曝を避ける活動に関与した教員や給食職員は、教育委員会から処分につながる強い「指導」を受けている。
・ 宮城県は汚染牛肉出荷停止を、宮城県知事は4週たたずに出荷停止を解除し「数字を消費者は理解できないから(暫定基準以下であれば)安全だと発表するだけで十分だ。」と質問に解答し、汚染牛肉測定値公表を拒否して流通させた。
・ 自治体や企業などの測定は、被曝を避ける保護者や消費者が使いにくい発表の仕方だ。
測定や発表は、被曝回避の為に整理して、経費は汚染食品を生産、流通させないために使うべきだ。
・ 行政や企業の不誠実な対応を受けていながら、無批判に従うべきではない。放射線被曝に加えて、人が大切にされない、不健全な抑圧社会を促進する。
・ 正しくない牛乳メーカーや自治体のやり方が通るのは、保護者や国民の多くが批判せず受け入れるからだ。
・ 子どもの教育をし、給食を運営する学校は、安心して自由にまじめな発言をする自由を保証すべきだ。教師の良心と誠実に基づく発言が抑圧される学校であってはいけない。
(4月14日修正)
はじめに
ままりんさんの給食についての質問に対する解説と私の考えを書きます。
ままりんさんの質問は本ブログ、「被曝をどう避けるか」要旨
に掲載されています。
質問の主旨は「もし先生に小学生の子どもがいたら、仙台市の給食を食べさせますか?」です。
(1) 給食に含まれている放射線がどの程度危険か
(2) 子どもに食べさせるか
について、解説と私の考えを書きます。
放射性元素
重要な放射性元素は以下の3つ。
ヨウ素:3月と4月に摂取した可能性がある。程度は不明。現在は存在しない。
ストロンチウム
・ あまり測っていないので注意。それほど多くはなさそう。
・ 一度摂取したら骨に固まってほとんど排泄されないので摂取しない注意。
・ 特に小魚に注意。海水から海の生き物の特に骨に集まる。
・ 汚染された牧草などを通じて家畜の骨と牛乳に入る。
・ チェルノブイリでは汚染深刻だったが、日本では牧草はあまり使わず輸入飼料などが主なのであまり汚染されていないという解説はある。それについて、私は十分な知識がないので詳しくはわかりません。
セシウム:問題にされているのはセシウムのことなのでセシウムについて書きます。
セシウムとカリウム
・ セシウムは科学的にも放射性物質としてもカリウムに似ている。
・ 全く同じではないが詳しい違いはあまりわかっていない。
・ カリウムは体内の水に溶け、特に細胞内の水に溶けて一定濃度になるように調節されている(本ブログ「セシウム放射線」で解説した)
・ 水に溶けている以外に蛋白やその他の体の構成物質に結合しているものがあれば、それはカリウムとはかなり異なる動きや分布をする可能性があるがあったとしてもかなり少ない。
ここでは結合セシウムは少ないと無視して、カリウムと同じように水に溶けて体内分布するセシウムについて述べます。
・ セシウムがカリウムと同じように水に溶けて、同じように動くとすれば、カリウムと同じように腎臓から時間とともに排泄される。
・ ストロンチウムが骨に固まって排泄されないのとは対照的に、体内に取り込まれたらずっと留まって蓄積されていくことはない。
・ 摂取しなければ体内のセシウムは時間とともに排泄されて減少する。
・ 子どもであれば1ヶ月で約50%、2ヶ月で25%に減少する。
カリウムを基準にして考える
カリウムを基準にして考えると
・ カリウムはかなり強い放射能を持っており、ベータ線とガンマ線を出す。
・ 60kg体重の人で体内に4000ベクレルくらいある。
・ 同じ量のセシウムを毎日摂取すると、血中濃度が上がり、それに伴って尿中排泄が増えやがて1日摂取量と尿中排泄量が同等になって、血液中や細胞内濃度が一定レベルで安定する(定常状態)。
・ 毎日10ベクレル摂取すると、最終的には尿中排泄量も同じ10ベクレルになる。
・ 安定するまでの時間は大人で約3ヶ月、子どもで1ヶ月くらい。
・ 大まかには、安定したとき大人では1日摂取量の150倍くらいのセシウムが安定した量として体内に残り、子どもはその1/2くらいと考えられている。子どもの半減期は大人よりも短いため。
・ 水分やカリウム摂取などいろいろな条件で変動は大きい。
・ 大人が毎日10ベクレル食べると毎日10ベクレル排泄されて、体内に1500ベクレル存在する状態で安定する。
・ 尿中濃度からも見当つけることができる。
・ 血液中のカリウムは一定だが尿中カリウム濃度は血液の1/20から1/4くらい、尿への排泄が条件によって大きく増減するので条件によってはもっと変動する。
セシウムも同じように動くと仮定して推測する
それほど正確ではないが、セシウムも同じように動くと仮定する、と次のように考えることができる。
・ 尿で10ベクレル/Lであれば細胞内セシウムは尿のセシウム濃度が細胞内濃度の1/10の場合は、体重の40%が細胞内液(水)なので、60kg体重であれば約24kgの細胞内液があり、濃度が100ベクレル/Lで体全体では2400ベクレル増える。
・ 15kg体重であれば約6kgの細胞内液、濃度が100ベクレル/Lであれば体全体では600ベクレルくらいセシウムで増えると見積もることができる。
・ もともとあったカリウム放射能が大人では4000が6400ベクレルに、子どもは1000ベクレルが1600ベクレルに、カリウム放射能の60%分の放射能が増えたことになる。
・ 尿中濃度が細胞内濃度の1/5の場合であれば、尿中濃度を使って逆算したセシウムによる放射能の増加分はこの1/2で、カリウム放射能の30%がセシウムによって加わることになる。
・ このような計算はいくつもの仮定をおいて計算するので4倍くらいは誤差の範囲で大体の見当として考える材料にするものです。
セシウムによる放射能被曝をカリウムを基準に考える
・ 体内のカリウムはプラスマイナス15%くらいの変動幅で調節されているから、体重60kgの大人では普通でも600ベクレル程度の変動があることになる。
・ もしカリウムに放射能がなければ、どれくらいがんが減ったり、人間の平均寿命がどれくらい延びるか、誰もカリウム放射線なしの実験をしていないので、カリウムによる被曝の影響は確定できない。
・ 普通に存在しているカリウムの被曝の下で人間はこの程度に生きていることを考えると、カリウムの放射能程度の被曝はあまり問題にしなくても良い量なのかも知れません。
やむを得ないとしてどの程度まで引き受けるか
・ 被曝は少ないほうが望ましいが、カリウム放射能の生理的変動範囲の15%つまり大人で600ベクレルを基準に考えるとその数倍まではあまり問題にしなくても良いかも知れない。
・ カリウムと同じくらいまでは受け入れるという考えも成り立ちうる。
・ 体内に常に存在するカリウム放射能の50%までは受け入れるのもやむをえないと考えれば2000ベクレルになる。成人では1日摂取量の100~150倍のセシウムが溜まった量で定常状態になると考えれば、毎日13~20ベクレル摂取すると2000ベクレルで安定すると計算される。カリウム放射能と同じくらいは我慢しようというのであれば4000ベクレルまではひとまず受け入れよういうことになる。15kgの子どもであればその1/4でそれぞれ500ベクレル、1000ベクレル。
・ シーベルトに変換する係数を使って計算するともっと多い量が許容量とされる。
・ シーベルトの計算は、仮定が更に多くてあまり良い安全の目安にはならないのではないかと推測しています。
どの程度のセシウム放射能がどの程度の障害を生じるかという試算や考え方、意見は様々あり、研究者によって、生体に障害を生じさせるセシウムの量は何百倍も異なっている。広島、長崎の原爆、チェルノブイリとその他いくつかの被曝事故からのデータでは、数が少なすぎて現時点では確実な結論を出せないというのが正しい結論と私は考えています。
現在主張されている、障害を生じさせるセシウム量のいろいろな予測値、危険性は、まじめに考える科学者のだれもが了解する値ではなく、それぞれの専門家や組織が、たくさんの仮定をして推論した上で計算した値であって、確定していないと考えています。
私の考えではカリウムの50%増し位は許容範囲としてよさそうだと考えているが、これは医学的見地というより人の考え方によって異なるので、医学的に客観的に確定する値ではありません。
パンダジェフスキー博士は、チェルノブイリの子どもや、動物実験、死亡した人の病理研究をして、体内カリウム放射能の30%くらいのセシウム放射能が測定された子どもの20~30%に循環器障害や白内障などが生ずると論文発表している。このセシウム量は、上述した私の思考実験から推測した値よりもずっと少ないセシウム放射能うをが生体に有害な作用だという結論で、多くの科学者の考えよりもはるかに少ない量だ。
博士は、この程度に低い低線量被曝もきわめて危険だと考えています。
それが正しいかもしれないし、違うかも知れないが現時点で正しいとも誤りとも断定は難しい。
(追記: 博士と若干の質疑応答の機会を得たが、十分な討議はできなかった。博士の結論を納得了解したり、誤りだと否定するまでの十分な質疑応答はできなかった。)
一方、人生を通してではなく一時的であればカリウムの2倍やそれ以上でも良いという考えがあってもダメと否定するだけの、専門家の多くが了解している医学的に確定された根拠はありません。
前述したようにシーベルトで考えるとずっと多い放射能を許容量としています。
「子どもを守る会」の測定で、給食から約6ベクレル/kgが検出されたこと
・ 「子どもを守る会」の4回の給食測定で3回は検出限界以下、1回だけ約6ベクレル/kgが検出された。4回のうちの1回と、毎回ではないことと、1回で食べる量は300g以下なので放射能は、2ベクレル以下と、たまにこれだけであればさほど多くはないと表現することも可能だ。
・ 1日で食べる全ての飲食物に含まれている総量を考えることが必要。
・ 牛乳は別に書いたように、宮城県ではずっと10ベクレル程度、12月には20ベクレル近く検出されており、200ml では2-4ベクレルを毎日飲んでいる可能性がある。
・ セシウムを含む牛乳を出す牛は毎日同じなので、体内にセシウムを沢山蓄積している牛を特定して、原乳に混ぜないだけで、牛乳のセシウム放射能をずっと少なくできるはずだ。
・ しかし、乳業協会、メーカーはそれをせず、行政や教育委員会もそれをさせていない。
・ 米や大豆、牛肉は500ベクレル/kgに近いものが流通している。きのこも高い。
・ 文科省や教育委員会は、市場で流通している食品は全て基準以下だから安全であり、給食に関しても特別の対応はしないという立場だ。
・ この考えでいけば食品は500ベクレル/kg までは給食に入れてかまわないということ。この基準で給食を提供させてきた。独自にそれより低い基準で管理した自治体もある。
新基準
・ 4月から暫定基準を新基準に改めることにしている。
・ 牛乳に関しては暫定基準が200ベクレル/Lであったものが、新基準では100ベクレル/Lで、乳幼児食品に関しては50/kgと提示されているが、文科省は小児だけ50ベクレルなのは厳し過ぎると反対している。
・ 新基準は暫定基準より厳しくなったといってマスコミは歓迎して報道しているが誤りだ。
・ 放射能汚染のほぼ全体像が見えきて、突発的に高値が出る可能性が低くなったので、現状のままでも何もしなくて良いという値を見定めて書き換えただけの値であると私は考える。
・ 例えば牛乳は100トンくらいクーラーステーションに集めて混ぜてから測っているために、20ベクレル以上出ることは殆どなかった。
・ だから、新基準を100ベクレルとしても、実際に新たな取り組みをすることもなく、放射能を下げることにつながらない。2011年9月、メーカーや製品毎に測定して発表したら、(高値だからだろう)乳業メーカーは倒産すると言って、業界として正式に測定と発表を拒否した。今回は乳業協会が、今後、発表すると表明したのは、安全性を高めるためではなく、発表しても大丈夫と判断したからだ。
・ だから、新基準は、被曝を下げるための取り組みではないと私は考えている。
・ 食品の新基準は500ベクレル/kgだったのを100ベクレルにする方針だ。
・ ほとんどの汚染食品は新基準にしても流通を減らすことにならない。
・ 新たに制限しないで住む数字を基準としてきめただけだから。
・ しかし、ごく一部は新基準にすると放射能が高すぎて売れなくなるものがある。
・ それは既に収穫された米と大豆で、100ベクレル以上のものがかなりある。
・ 新基準では大豆と米については規制の時期を遅らせる、「流通の混乱を避けるために、実施機関を4月からではなく、米は半年、大豆は1年猶予期間を置く」としている。
・ 既に収穫した500ベクレル未満の汚染米は今年の新米が出るまでに売ってしまう、大豆も1年で売ってしまうということだ。他の汚染食品は、新たな取り組みひゃ制限強化をせずに、全て売ることを目的にした数値。
・ だから、新基準は、被曝を少なくするために作った基準ではないと私は考える。
・ すべきことは暫定基準をより厳しくして「暫定基準を続ける」ことではなく、暫定基準を廃止して、原発事故以前の通常の基準、国際的にも通用する通常の基準にすること。
・ 緊急時、安全な食料供給ができない異常な一時期のはずである暫定基準を1ヶ月以上どころか1年も続けていることが、偽り、不誠実で不適切なことだ。
・ 新基準はこの偽り不誠実を更に続け、避けられるはずの被爆を、引き続き避けずに被曝させ続けさせるものだ。
このような偽りを際限なく政府と行政が繰り返している。
自治体が多くの食品放射能を測るようになった
・ これは、住民や子どもの被曝を少なくするために汚染食品をみつけて取り除くためというよりは、被曝を避けたい民間の団体や個人が測定して汚染食を明らかしたことの積み重ねと世論によって自治体も測るようにしたものだ。
・ しかしその発表の仕方は不親切で、住民が汚染食品を除外するためにはわかりにくく、探すのに時間も係り不便な発表の仕方だ。
・ 給食の6ベクレル検出をはじめ、いろいろな食品や、子どもが集まる校庭や公園、ホットスポットなどで高い放射線が初めて検出されたり、安全宣言をした食品から、暫定基準を超える高レベル汚染を検出したり、子どもの尿中セシウムを初めて検出したり、これらは全て政府や行政がはじめに行ったものではなく、民間の個人や団体が行ったものだ。多くの場合、行政はそれに対して協力せず、むしろ妨害的な対応をした。
・ 被曝を減らす意思を行政責任者がもっているなら、行政はこれらの活動に感謝し、行政で足りないところをその人たちと共同して行うべきだ。
・ しかし実際は逆で、行政や教育委員会は、それらの活動を抑圧している。
・ 汚染された地域の地場作物を使用しない、測定してほしいという要望や、給食や牛乳の汚染食品を避けたいから子どもに弁当や水を持たせることさえ禁止した。
・ 弁当持参が「黙認」!されたり、給食食材の放射能測定を行うようになったのも、保護者の強い要望が広がったためだ。
・ 学校や教育委員会は、給食の放射能測定の要望を快く受け入れないだけでなく、ずっと測定せず、保護者が自主的に測定しようとしても協力しない、残った給食を持ち出して測定させることも禁止し、もちだせば泥棒扱いした。
・ 現在でも、教員や給食職員が関与すると教育委員会から強い「指導」を受ける。他のことも含めて3回指導されると、処分されるという恫喝的な「指導」だ。
牛肉汚染
・ 2011年7月、宮城の放射能汚染稲わら飼料が原因で全国各地で牛肉から暫定基準500ベクレル/kg以上のセシウムが検出され、多くのところで牛肉出荷、流通停止になった。
・ 500ベクレル以上と暫定基準を超えた牛肉が給食にも使われたこともわかった。
・ 牛肉汚染の原因となった稲わらの汚染原因は、汚染されたほこりや雨・雪などの降下放射能だ。
・ 宮城県は降下放射能の測定・公表を行っていない、全国で唯一の県だ。
・ 私は2011年5月と8月、県に測定することを2回要望したがいまでも測定・発表していない。
・ 宮城県の環境放射能や、降下放射能軽視が、稲わらと牛肉汚染の背景にある。
・ 宮城県知事は、汚染で牛肉出荷停止をしたあと、「対策をして、宮城の謬肉は安全になった」と4週たたずに解除した。今後当分は全頭検査して安全性を保証する。放射能の測定値は公表しても消費者は理解しないから、暫定基準以下で安全だと発表するだけで十分だ。」と、500 ベクレル未満の牛肉放射線測定値公表を拒否して流通させた。
・ 安全だと言って流通を再開した後も500ベクレル以上の汚染が繰り返し検出されて、その牛肉の出荷は止められたが、500ベクレル未満は出荷されている。
・ 「汚染された飼料をやめるなどの対策をした結果安全になったので出荷停止を解除した」という説明も問題だ。
・ 尿から排泄されることで体内のセシウムは減少する。生理的半減期は人間の大人で3ヶ月程度。生理的半減期は体重が重いほど遅くなるから、体重がずっと重い肉牛では、セシウムの排泄=生理的半減期は更に遅いと推測される。生理的半減期が3ヶ月であれば、セシウム摂取を完全にやめた4週間後でも80%以上が体内に残る。牛ではもっと多く残っている可能性が高い。
・ これを考えると、出荷停止解除直前に測った牛は、放射能を含まない飼料に変えたから4週間で基準より低くなったのではなく、もともとあまり高くない牛を測っただけの可能性が高く、牛肉の汚染が低下したことではないと私は推測する。
・ 実際、解除してからも500ベクレル/kg以上の汚染牛肉が繰り返し検出されてその牛肉だけは、流通を停止されているがきわどく基準値以下で、分かっていながら誌上に流通した宮城県産の汚染牛肉は多かったろうと推測するす。
省庁や自治体などによる放射能測定の問題点
自治体や企業などの測定は、汚染食品を発見して除外する目的ではなく「食べて大丈夫」と示すためか、ひとまず測っていることを示すという姿勢で測定しているために、無駄な測定が多く、汚染を避けるために有効な測定や発表になっていない。
・ 被曝を避ける保護者や消費者が使いにくい発表の仕方だ。
・ 人件費を含めた経費は膨大です。汚染食品に注意しやすい発表にすべきだ。汚染食品を生産、流通させないために使うべきです。
1日摂取量を数ベクレル以下に抑えることは、現在の仙台の状況では注意すればさほど困難ではないと思います。
本来は、行政が住民の安全のために責任を持って汚染食品の生産・流通・消費制限をすべきですが、現在の政府と行政の基本方針は、できるだけ被曝を減らすではなく、できるだけ広く食べさせるという方針のようなので、あてにできません。
しかし、個人が注意すれば可能です。政府や行政の取り組みの問題点については、本ブログ「牛乳放射能」「被曝をどう避けるか 講演要旨」をご参照下さい。
「被曝を減少するために努力して取り組んだが、日本中の食品が少しは汚染されているのでこれ以上放射能を下げるのは非常に困難だ。社会の努力・誠実な取り組みの結果が、現在の給食レベルというのであれば、給食を食べさせるという選択もありうると思います。
しかし、より安全にしたいという保護者の取り組みをモンスターペイシャント扱いして抑圧し、生徒の被曝をまじめに考えようという教師や養護教員、給食職員は圧力を受けて自由に発言をさせず、人事権を使って処分を行うと脅迫し、簡単にできるはずの牛乳放射線を減らすこともせず、要望しても牛乳メーカーは個別牛乳の測定値を測定・公表しない、消費者は理解しないからと言って500ベクレル以下の数字は公表せずに、安全だと流通させる宮城県。
このような不誠実な対応を受けていながら、そのような行政や牛乳メーカの言うがままになっていることは良くないと私は考えます。
避けられるはずの放射線被曝を増やすことに加えて、自分で考え、判断、発言、議論することが抑圧される、不健全な抑圧社会、人が大切にされない、社会を更に促進しいます。
牛乳メーカーや自治体のあり方は正しくないと私は考えますが、これで通ってしまうのは、保護者や国民の多くが批判もせず受け入れるからです。
以上は医学の問題ではなく、一市民としての私の考えです。
医学と離れた一般の問題として考えると
子どもが健康であってほしいと願う保護者の意見や要望をまじめに取り上げて話し合う機会を作らず、モンスターペアレンツ扱いして排除する。
生徒の安全を危惧する教員や給食・養護職員が子どものために提案や発言しようと考えても抑圧する。
本来は学校や行政がやるべきことを、やむを得ずやろうとすると恫喝的指導をうけ、仕事の待遇で不利益をうけるなど、
安心して自由にまじめな発言をする自由がない。
子どもの給食を運営する学校や自治体はそれではいけない、教師の良心と誠実に基づく発言が抑圧される学校であってはいけないと私は考えます。
自由に安心して発言できない、上の人の言うことに無条件同調を要求されることは、給食と教育に限らず、日本社会が持っている重要な問題と考えています。
(まだ未整理文章です。いくつかの言葉や新基準数値を修正しました。3月12日)
放射能花粉②と、放射能問題を話しあうことができずつらい思いをすること③については、稿を改めて後日書きます。書かなかったら請求してください。
解説と私の意見
要約
・ 個人はどの程度まで放射能を引き受けるか
・ 新基準は、被曝を下げるためではなく、避けられるはずの被爆を、引き続き被曝させ続けさせるものだ。規制強化や、被爆低下にならない。
・ 行政は被曝を避ける活動に感謝し、行政で足りないところをその人たちと共同して行うべきだが、逆に、抑圧している。生徒の被曝を避ける活動に関与した教員や給食職員は、教育委員会から処分につながる強い「指導」を受けている。
・ 宮城県は汚染牛肉出荷停止を、宮城県知事は4週たたずに出荷停止を解除し「数字を消費者は理解できないから(暫定基準以下であれば)安全だと発表するだけで十分だ。」と質問に解答し、汚染牛肉測定値公表を拒否して流通させた。
・ 自治体や企業などの測定は、被曝を避ける保護者や消費者が使いにくい発表の仕方だ。
測定や発表は、被曝回避の為に整理して、経費は汚染食品を生産、流通させないために使うべきだ。
・ 行政や企業の不誠実な対応を受けていながら、無批判に従うべきではない。放射線被曝に加えて、人が大切にされない、不健全な抑圧社会を促進する。
・ 正しくない牛乳メーカーや自治体のやり方が通るのは、保護者や国民の多くが批判せず受け入れるからだ。
・ 子どもの教育をし、給食を運営する学校は、安心して自由にまじめな発言をする自由を保証すべきだ。教師の良心と誠実に基づく発言が抑圧される学校であってはいけない。
(4月14日修正)
はじめに
ままりんさんの給食についての質問に対する解説と私の考えを書きます。
ままりんさんの質問は本ブログ、「被曝をどう避けるか」要旨
に掲載されています。
質問の主旨は「もし先生に小学生の子どもがいたら、仙台市の給食を食べさせますか?」です。
(1) 給食に含まれている放射線がどの程度危険か
(2) 子どもに食べさせるか
について、解説と私の考えを書きます。
放射性元素
重要な放射性元素は以下の3つ。
ヨウ素:3月と4月に摂取した可能性がある。程度は不明。現在は存在しない。
ストロンチウム
・ あまり測っていないので注意。それほど多くはなさそう。
・ 一度摂取したら骨に固まってほとんど排泄されないので摂取しない注意。
・ 特に小魚に注意。海水から海の生き物の特に骨に集まる。
・ 汚染された牧草などを通じて家畜の骨と牛乳に入る。
・ チェルノブイリでは汚染深刻だったが、日本では牧草はあまり使わず輸入飼料などが主なのであまり汚染されていないという解説はある。それについて、私は十分な知識がないので詳しくはわかりません。
セシウム:問題にされているのはセシウムのことなのでセシウムについて書きます。
セシウムとカリウム
・ セシウムは科学的にも放射性物質としてもカリウムに似ている。
・ 全く同じではないが詳しい違いはあまりわかっていない。
・ カリウムは体内の水に溶け、特に細胞内の水に溶けて一定濃度になるように調節されている(本ブログ「セシウム放射線」で解説した)
・ 水に溶けている以外に蛋白やその他の体の構成物質に結合しているものがあれば、それはカリウムとはかなり異なる動きや分布をする可能性があるがあったとしてもかなり少ない。
ここでは結合セシウムは少ないと無視して、カリウムと同じように水に溶けて体内分布するセシウムについて述べます。
・ セシウムがカリウムと同じように水に溶けて、同じように動くとすれば、カリウムと同じように腎臓から時間とともに排泄される。
・ ストロンチウムが骨に固まって排泄されないのとは対照的に、体内に取り込まれたらずっと留まって蓄積されていくことはない。
・ 摂取しなければ体内のセシウムは時間とともに排泄されて減少する。
・ 子どもであれば1ヶ月で約50%、2ヶ月で25%に減少する。
カリウムを基準にして考える
カリウムを基準にして考えると
・ カリウムはかなり強い放射能を持っており、ベータ線とガンマ線を出す。
・ 60kg体重の人で体内に4000ベクレルくらいある。
・ 同じ量のセシウムを毎日摂取すると、血中濃度が上がり、それに伴って尿中排泄が増えやがて1日摂取量と尿中排泄量が同等になって、血液中や細胞内濃度が一定レベルで安定する(定常状態)。
・ 毎日10ベクレル摂取すると、最終的には尿中排泄量も同じ10ベクレルになる。
・ 安定するまでの時間は大人で約3ヶ月、子どもで1ヶ月くらい。
・ 大まかには、安定したとき大人では1日摂取量の150倍くらいのセシウムが安定した量として体内に残り、子どもはその1/2くらいと考えられている。子どもの半減期は大人よりも短いため。
・ 水分やカリウム摂取などいろいろな条件で変動は大きい。
・ 大人が毎日10ベクレル食べると毎日10ベクレル排泄されて、体内に1500ベクレル存在する状態で安定する。
・ 尿中濃度からも見当つけることができる。
・ 血液中のカリウムは一定だが尿中カリウム濃度は血液の1/20から1/4くらい、尿への排泄が条件によって大きく増減するので条件によってはもっと変動する。
セシウムも同じように動くと仮定して推測する
それほど正確ではないが、セシウムも同じように動くと仮定する、と次のように考えることができる。
・ 尿で10ベクレル/Lであれば細胞内セシウムは尿のセシウム濃度が細胞内濃度の1/10の場合は、体重の40%が細胞内液(水)なので、60kg体重であれば約24kgの細胞内液があり、濃度が100ベクレル/Lで体全体では2400ベクレル増える。
・ 15kg体重であれば約6kgの細胞内液、濃度が100ベクレル/Lであれば体全体では600ベクレルくらいセシウムで増えると見積もることができる。
・ もともとあったカリウム放射能が大人では4000が6400ベクレルに、子どもは1000ベクレルが1600ベクレルに、カリウム放射能の60%分の放射能が増えたことになる。
・ 尿中濃度が細胞内濃度の1/5の場合であれば、尿中濃度を使って逆算したセシウムによる放射能の増加分はこの1/2で、カリウム放射能の30%がセシウムによって加わることになる。
・ このような計算はいくつもの仮定をおいて計算するので4倍くらいは誤差の範囲で大体の見当として考える材料にするものです。
セシウムによる放射能被曝をカリウムを基準に考える
・ 体内のカリウムはプラスマイナス15%くらいの変動幅で調節されているから、体重60kgの大人では普通でも600ベクレル程度の変動があることになる。
・ もしカリウムに放射能がなければ、どれくらいがんが減ったり、人間の平均寿命がどれくらい延びるか、誰もカリウム放射線なしの実験をしていないので、カリウムによる被曝の影響は確定できない。
・ 普通に存在しているカリウムの被曝の下で人間はこの程度に生きていることを考えると、カリウムの放射能程度の被曝はあまり問題にしなくても良い量なのかも知れません。
やむを得ないとしてどの程度まで引き受けるか
・ 被曝は少ないほうが望ましいが、カリウム放射能の生理的変動範囲の15%つまり大人で600ベクレルを基準に考えるとその数倍まではあまり問題にしなくても良いかも知れない。
・ カリウムと同じくらいまでは受け入れるという考えも成り立ちうる。
・ 体内に常に存在するカリウム放射能の50%までは受け入れるのもやむをえないと考えれば2000ベクレルになる。成人では1日摂取量の100~150倍のセシウムが溜まった量で定常状態になると考えれば、毎日13~20ベクレル摂取すると2000ベクレルで安定すると計算される。カリウム放射能と同じくらいは我慢しようというのであれば4000ベクレルまではひとまず受け入れよういうことになる。15kgの子どもであればその1/4でそれぞれ500ベクレル、1000ベクレル。
・ シーベルトに変換する係数を使って計算するともっと多い量が許容量とされる。
・ シーベルトの計算は、仮定が更に多くてあまり良い安全の目安にはならないのではないかと推測しています。
どの程度のセシウム放射能がどの程度の障害を生じるかという試算や考え方、意見は様々あり、研究者によって、生体に障害を生じさせるセシウムの量は何百倍も異なっている。広島、長崎の原爆、チェルノブイリとその他いくつかの被曝事故からのデータでは、数が少なすぎて現時点では確実な結論を出せないというのが正しい結論と私は考えています。
現在主張されている、障害を生じさせるセシウム量のいろいろな予測値、危険性は、まじめに考える科学者のだれもが了解する値ではなく、それぞれの専門家や組織が、たくさんの仮定をして推論した上で計算した値であって、確定していないと考えています。
私の考えではカリウムの50%増し位は許容範囲としてよさそうだと考えているが、これは医学的見地というより人の考え方によって異なるので、医学的に客観的に確定する値ではありません。
パンダジェフスキー博士は、チェルノブイリの子どもや、動物実験、死亡した人の病理研究をして、体内カリウム放射能の30%くらいのセシウム放射能が測定された子どもの20~30%に循環器障害や白内障などが生ずると論文発表している。このセシウム量は、上述した私の思考実験から推測した値よりもずっと少ないセシウム放射能うをが生体に有害な作用だという結論で、多くの科学者の考えよりもはるかに少ない量だ。
博士は、この程度に低い低線量被曝もきわめて危険だと考えています。
それが正しいかもしれないし、違うかも知れないが現時点で正しいとも誤りとも断定は難しい。
(追記: 博士と若干の質疑応答の機会を得たが、十分な討議はできなかった。博士の結論を納得了解したり、誤りだと否定するまでの十分な質疑応答はできなかった。)
一方、人生を通してではなく一時的であればカリウムの2倍やそれ以上でも良いという考えがあってもダメと否定するだけの、専門家の多くが了解している医学的に確定された根拠はありません。
前述したようにシーベルトで考えるとずっと多い放射能を許容量としています。
「子どもを守る会」の測定で、給食から約6ベクレル/kgが検出されたこと
・ 「子どもを守る会」の4回の給食測定で3回は検出限界以下、1回だけ約6ベクレル/kgが検出された。4回のうちの1回と、毎回ではないことと、1回で食べる量は300g以下なので放射能は、2ベクレル以下と、たまにこれだけであればさほど多くはないと表現することも可能だ。
・ 1日で食べる全ての飲食物に含まれている総量を考えることが必要。
・ 牛乳は別に書いたように、宮城県ではずっと10ベクレル程度、12月には20ベクレル近く検出されており、200ml では2-4ベクレルを毎日飲んでいる可能性がある。
・ セシウムを含む牛乳を出す牛は毎日同じなので、体内にセシウムを沢山蓄積している牛を特定して、原乳に混ぜないだけで、牛乳のセシウム放射能をずっと少なくできるはずだ。
・ しかし、乳業協会、メーカーはそれをせず、行政や教育委員会もそれをさせていない。
・ 米や大豆、牛肉は500ベクレル/kgに近いものが流通している。きのこも高い。
・ 文科省や教育委員会は、市場で流通している食品は全て基準以下だから安全であり、給食に関しても特別の対応はしないという立場だ。
・ この考えでいけば食品は500ベクレル/kg までは給食に入れてかまわないということ。この基準で給食を提供させてきた。独自にそれより低い基準で管理した自治体もある。
新基準
・ 4月から暫定基準を新基準に改めることにしている。
・ 牛乳に関しては暫定基準が200ベクレル/Lであったものが、新基準では100ベクレル/Lで、乳幼児食品に関しては50/kgと提示されているが、文科省は小児だけ50ベクレルなのは厳し過ぎると反対している。
・ 新基準は暫定基準より厳しくなったといってマスコミは歓迎して報道しているが誤りだ。
・ 放射能汚染のほぼ全体像が見えきて、突発的に高値が出る可能性が低くなったので、現状のままでも何もしなくて良いという値を見定めて書き換えただけの値であると私は考える。
・ 例えば牛乳は100トンくらいクーラーステーションに集めて混ぜてから測っているために、20ベクレル以上出ることは殆どなかった。
・ だから、新基準を100ベクレルとしても、実際に新たな取り組みをすることもなく、放射能を下げることにつながらない。2011年9月、メーカーや製品毎に測定して発表したら、(高値だからだろう)乳業メーカーは倒産すると言って、業界として正式に測定と発表を拒否した。今回は乳業協会が、今後、発表すると表明したのは、安全性を高めるためではなく、発表しても大丈夫と判断したからだ。
・ だから、新基準は、被曝を下げるための取り組みではないと私は考えている。
・ 食品の新基準は500ベクレル/kgだったのを100ベクレルにする方針だ。
・ ほとんどの汚染食品は新基準にしても流通を減らすことにならない。
・ 新たに制限しないで住む数字を基準としてきめただけだから。
・ しかし、ごく一部は新基準にすると放射能が高すぎて売れなくなるものがある。
・ それは既に収穫された米と大豆で、100ベクレル以上のものがかなりある。
・ 新基準では大豆と米については規制の時期を遅らせる、「流通の混乱を避けるために、実施機関を4月からではなく、米は半年、大豆は1年猶予期間を置く」としている。
・ 既に収穫した500ベクレル未満の汚染米は今年の新米が出るまでに売ってしまう、大豆も1年で売ってしまうということだ。他の汚染食品は、新たな取り組みひゃ制限強化をせずに、全て売ることを目的にした数値。
・ だから、新基準は、被曝を少なくするために作った基準ではないと私は考える。
・ すべきことは暫定基準をより厳しくして「暫定基準を続ける」ことではなく、暫定基準を廃止して、原発事故以前の通常の基準、国際的にも通用する通常の基準にすること。
・ 緊急時、安全な食料供給ができない異常な一時期のはずである暫定基準を1ヶ月以上どころか1年も続けていることが、偽り、不誠実で不適切なことだ。
・ 新基準はこの偽り不誠実を更に続け、避けられるはずの被爆を、引き続き避けずに被曝させ続けさせるものだ。
このような偽りを際限なく政府と行政が繰り返している。
自治体が多くの食品放射能を測るようになった
・ これは、住民や子どもの被曝を少なくするために汚染食品をみつけて取り除くためというよりは、被曝を避けたい民間の団体や個人が測定して汚染食を明らかしたことの積み重ねと世論によって自治体も測るようにしたものだ。
・ しかしその発表の仕方は不親切で、住民が汚染食品を除外するためにはわかりにくく、探すのに時間も係り不便な発表の仕方だ。
・ 給食の6ベクレル検出をはじめ、いろいろな食品や、子どもが集まる校庭や公園、ホットスポットなどで高い放射線が初めて検出されたり、安全宣言をした食品から、暫定基準を超える高レベル汚染を検出したり、子どもの尿中セシウムを初めて検出したり、これらは全て政府や行政がはじめに行ったものではなく、民間の個人や団体が行ったものだ。多くの場合、行政はそれに対して協力せず、むしろ妨害的な対応をした。
・ 被曝を減らす意思を行政責任者がもっているなら、行政はこれらの活動に感謝し、行政で足りないところをその人たちと共同して行うべきだ。
・ しかし実際は逆で、行政や教育委員会は、それらの活動を抑圧している。
・ 汚染された地域の地場作物を使用しない、測定してほしいという要望や、給食や牛乳の汚染食品を避けたいから子どもに弁当や水を持たせることさえ禁止した。
・ 弁当持参が「黙認」!されたり、給食食材の放射能測定を行うようになったのも、保護者の強い要望が広がったためだ。
・ 学校や教育委員会は、給食の放射能測定の要望を快く受け入れないだけでなく、ずっと測定せず、保護者が自主的に測定しようとしても協力しない、残った給食を持ち出して測定させることも禁止し、もちだせば泥棒扱いした。
・ 現在でも、教員や給食職員が関与すると教育委員会から強い「指導」を受ける。他のことも含めて3回指導されると、処分されるという恫喝的な「指導」だ。
牛肉汚染
・ 2011年7月、宮城の放射能汚染稲わら飼料が原因で全国各地で牛肉から暫定基準500ベクレル/kg以上のセシウムが検出され、多くのところで牛肉出荷、流通停止になった。
・ 500ベクレル以上と暫定基準を超えた牛肉が給食にも使われたこともわかった。
・ 牛肉汚染の原因となった稲わらの汚染原因は、汚染されたほこりや雨・雪などの降下放射能だ。
・ 宮城県は降下放射能の測定・公表を行っていない、全国で唯一の県だ。
・ 私は2011年5月と8月、県に測定することを2回要望したがいまでも測定・発表していない。
・ 宮城県の環境放射能や、降下放射能軽視が、稲わらと牛肉汚染の背景にある。
・ 宮城県知事は、汚染で牛肉出荷停止をしたあと、「対策をして、宮城の謬肉は安全になった」と4週たたずに解除した。今後当分は全頭検査して安全性を保証する。放射能の測定値は公表しても消費者は理解しないから、暫定基準以下で安全だと発表するだけで十分だ。」と、500 ベクレル未満の牛肉放射線測定値公表を拒否して流通させた。
・ 安全だと言って流通を再開した後も500ベクレル以上の汚染が繰り返し検出されて、その牛肉の出荷は止められたが、500ベクレル未満は出荷されている。
・ 「汚染された飼料をやめるなどの対策をした結果安全になったので出荷停止を解除した」という説明も問題だ。
・ 尿から排泄されることで体内のセシウムは減少する。生理的半減期は人間の大人で3ヶ月程度。生理的半減期は体重が重いほど遅くなるから、体重がずっと重い肉牛では、セシウムの排泄=生理的半減期は更に遅いと推測される。生理的半減期が3ヶ月であれば、セシウム摂取を完全にやめた4週間後でも80%以上が体内に残る。牛ではもっと多く残っている可能性が高い。
・ これを考えると、出荷停止解除直前に測った牛は、放射能を含まない飼料に変えたから4週間で基準より低くなったのではなく、もともとあまり高くない牛を測っただけの可能性が高く、牛肉の汚染が低下したことではないと私は推測する。
・ 実際、解除してからも500ベクレル/kg以上の汚染牛肉が繰り返し検出されてその牛肉だけは、流通を停止されているがきわどく基準値以下で、分かっていながら誌上に流通した宮城県産の汚染牛肉は多かったろうと推測するす。
省庁や自治体などによる放射能測定の問題点
自治体や企業などの測定は、汚染食品を発見して除外する目的ではなく「食べて大丈夫」と示すためか、ひとまず測っていることを示すという姿勢で測定しているために、無駄な測定が多く、汚染を避けるために有効な測定や発表になっていない。
・ 被曝を避ける保護者や消費者が使いにくい発表の仕方だ。
・ 人件費を含めた経費は膨大です。汚染食品に注意しやすい発表にすべきだ。汚染食品を生産、流通させないために使うべきです。
1日摂取量を数ベクレル以下に抑えることは、現在の仙台の状況では注意すればさほど困難ではないと思います。
本来は、行政が住民の安全のために責任を持って汚染食品の生産・流通・消費制限をすべきですが、現在の政府と行政の基本方針は、できるだけ被曝を減らすではなく、できるだけ広く食べさせるという方針のようなので、あてにできません。
しかし、個人が注意すれば可能です。政府や行政の取り組みの問題点については、本ブログ「牛乳放射能」「被曝をどう避けるか 講演要旨」をご参照下さい。
「被曝を減少するために努力して取り組んだが、日本中の食品が少しは汚染されているのでこれ以上放射能を下げるのは非常に困難だ。社会の努力・誠実な取り組みの結果が、現在の給食レベルというのであれば、給食を食べさせるという選択もありうると思います。
しかし、より安全にしたいという保護者の取り組みをモンスターペイシャント扱いして抑圧し、生徒の被曝をまじめに考えようという教師や養護教員、給食職員は圧力を受けて自由に発言をさせず、人事権を使って処分を行うと脅迫し、簡単にできるはずの牛乳放射線を減らすこともせず、要望しても牛乳メーカーは個別牛乳の測定値を測定・公表しない、消費者は理解しないからと言って500ベクレル以下の数字は公表せずに、安全だと流通させる宮城県。
このような不誠実な対応を受けていながら、そのような行政や牛乳メーカの言うがままになっていることは良くないと私は考えます。
避けられるはずの放射線被曝を増やすことに加えて、自分で考え、判断、発言、議論することが抑圧される、不健全な抑圧社会、人が大切にされない、社会を更に促進しいます。
牛乳メーカーや自治体のあり方は正しくないと私は考えますが、これで通ってしまうのは、保護者や国民の多くが批判もせず受け入れるからです。
以上は医学の問題ではなく、一市民としての私の考えです。
医学と離れた一般の問題として考えると
子どもが健康であってほしいと願う保護者の意見や要望をまじめに取り上げて話し合う機会を作らず、モンスターペアレンツ扱いして排除する。
生徒の安全を危惧する教員や給食・養護職員が子どものために提案や発言しようと考えても抑圧する。
本来は学校や行政がやるべきことを、やむを得ずやろうとすると恫喝的指導をうけ、仕事の待遇で不利益をうけるなど、
安心して自由にまじめな発言をする自由がない。
子どもの給食を運営する学校や自治体はそれではいけない、教師の良心と誠実に基づく発言が抑圧される学校であってはいけないと私は考えます。
自由に安心して発言できない、上の人の言うことに無条件同調を要求されることは、給食と教育に限らず、日本社会が持っている重要な問題と考えています。
(まだ未整理文章です。いくつかの言葉や新基準数値を修正しました。3月12日)
放射能花粉②と、放射能問題を話しあうことができずつらい思いをすること③については、稿を改めて後日書きます。書かなかったら請求してください。
2012.03.06 (Tue)
放射性廃棄物は、原発付近に集めて管理を 放射性廃棄物処理の正しい戦略と方法
放射性廃棄物は、原発付近に集めて管理を
焼却処分はすべきではない
放射性廃棄物処理の正しい戦略と方法
要約
・ 除染とは、放射能の被害の少ない場所に移動すること
・ 放射能は分子の性質ではなく原子の性質なので、微生物や化学反応で減らすことはできない
・ 除染とは、放射能の被害の少ない場所に移動し、管理すること。管理する場所の放射能は当然増える。どこに集めて増やすかを決めない除染方針は偽り。
・ 偽りを前提として適切な除染処理はできない。
・ 除染を行う際に最初に行うべきことは、最終処分場;どこに、どのような状態で、どの程度の規模に集めて管理するかを決めること
・ 最終処分場を決めない除染は、他の領域を汚染する。全体として考えれば、かえって有害
・ 放射性物質を燃やして、煙として拡散することは有害。絶対にすべきではない
・ 福島の瓦礫や、全国の除染して集めた低レベル放射性廃棄物は、原発付近の一箇所に全て集めて丘に築いて管理すべきだ。
・ 岩手や宮城の海底や海岸の津波瓦礫など、更に低レベルの汚染瓦礫などは放射能処理施設で管理しなくてもよいが焼却や拡散してはいけない。全て集めて遺品として扱い仙台平野の海岸に丘に築き、慰霊と津波記念の大古墳、記念公園として整備することがよい
はじめに
福島、宮城、岩手県や関東地方に拡散した低線量放射能汚染物や瓦礫処理についての考え方と私の考えを述べる。
現在進められている放射性廃棄物対策
・ 福島原発事故によって生じた放射能汚染物は、福島県内だけでも2000万トン以上と見積もられている。評価の仕方によってはその数倍になる。岩手県と宮城県の津波瓦礫も2000万トン以上ある。
・ 福島県以外の宮城、岩手県や関東各県にも低レベル放射能汚染されている津波瓦礫以外に、落ち葉、枯れ草、わら、表土など大量の汚染物がある。
・ これらの汚染物処分として、焼 却、埋め立て、建設・土木資材として消費、中間管理施設での保管管理、放置などが進められている。
放射能とは
・ 放射能は分子の性質ではなく原子の性質なので、微生物や化学反応で減らすことはできない。化学反応とは、原子間結合などのように、原子と原子の関係を変えるもので、原子そのものは変わらない。
・ 放射能は時間とともに減少(減衰)する。この減少する早さ(半減期)は放射性元素ごとに原子の性質として決まっていて、人が変えることはできない。
・ 放射能以外の毒物は、分解や、他の物質と結合などにより毒性を失っていくが、放射能は分子の性質ではなく原子の性質なので、半減期による減衰以外は、何をやっても減少しない。
・ 多くの毒物のように、一時隔離しておけば、やがて分解されて毒性を失うと期待するような、同じ感覚で扱ってはいけない。
・ 人は放射能を減らすことはできない。人ができるのは移動することだけである。
放射能処理、除染とは
・ 除染とは、放射能を減らすことではなくて、人にとって影響の少ない場所に、影響の少ない形に集めて管理すること。
・ 汚染された小領域・空間だけを考えれば、除去・洗浄すれば放射能は減る。しかし、他に移動しただけで、移動した側の放射能は増加する。全体の放射能総量は変わらない。
・ 放射能をどこも増やさずに、どこかの放射能を減らすことはできない。除染とはどこの放射能を増やすかということ。
・ 既に集まって固まっている放射性物質を、焼却して煙として拡散するなどは、かえって有害である。絶対に拡散してはいけない。
だから
・ 除染を行う際にまず行うべきことは、放射能汚染物質の処分場、どこに、どのような状態で、どの程度の規模に集めて管理するか:どこで放射能を増やすかを決めることである。
・ 除染した放射能がどこに行くかを決めない除染は、他の領域を汚染することで、全体として考えれば、多くの場合、かえって放射能汚染を拡散してかえって有害である。
・ 処分場を決めない除染方針は打算と偽りである。
・ 最終処分場の規模と形態を決めない政府・行政は、無自覚無能力か、原発を守るために意図して住民を犠牲にしていると私は考える。
・ 現在の除染方針は、これを分かった上で、意図して現在の方針を出している東京電力と、東電に共同歩調をとる高級官僚が基本方針をつくり、無自覚・無能力の政治家が共同し、操られて作った方針と私は考える。
通常時の放射性廃棄物処理法
・ 放射線を扱う研究施設や医療機関、企業などは、廃棄物処理方法や基準が厳重に法律で決められている。
・ 処理法の基本は、焼却して、残り灰と煙を完璧に回収してビニール袋に詰めた後、ドラム缶にいれ、半減期から計算される十分な時間、地下の貯蔵保管施設で長期間管理する。
・ 焼却の目的は、放射性物質の容積と重さを減らして、必要なドラム缶の量を減らすためである。焼却には、放射能煙を外界に拡散しない、特別の焼却炉が義務付けられている。
・ 広大な敷地を持っている東北大学でさえ、毎年出てくるわずかな汚染物の保管施設確保に苦慮している。
焼却処分はすべきではない
・ 焼却すると、放射能は減らないので、煙と燃え残り灰に全て残る。
・ 煙の放射能を完全に回収できない焼却施設で燃やすと、大気中に放射能を再拡散する。絶対にしてはいけない。
・ 回収した煙と残り灰の重さは焼却前より少なくなるが、放射能は減らないので、kgあたりの放射能は高くなり、かえって処理を困難にする。
・ kgあたり放射能が高くなって、移動、管理が厳しく制限される放射能レベルを超える。これを移動や保管,放置、処分すれば、どれでも放射線に関連した全ての法律に違反する。
・ 2000万トンの放射能汚染物質を焼却した場合、焼却によって出た煙の回収物と焼却灰の重さや容積が仮に1/100 に減ったとしても、回収した煙と残った焼却灰は20万トンと多い。焼却しても放射能は減らないので、1kg 当たり平均放射能は100倍に、場合によっては数千倍になる。
・ 事故後環境を汚染した放射性物質が多いため、密封した上でドラム缶に詰め、全てを地下の格納施設に保管して長期化管理するには莫大な負担が必要になる。実際には多すぎてドラム缶に入れて地下室で長期保管管理は不可能。
・ したがって、焼却して全体を処分することは困難で、実際には、処分されずに放置される放射性物質が多く残ってしまう。
・ 焼却をして容積と重量を減らしても多すぎて、ドラム缶・地下貯蔵施設で収容管理できず、放射能が高レベルになってかえって危険であり、法律違反になるから、焼却すべきではない。
・ 焼却や、再利用を行うためには莫大な費用がかかる。これは新たな利権の材料となり、貴重な税金が莫大に浪費される。浪費せず被災者の生活復興などに使うべきである。
土木資材や、肥料に混ぜて「再利用」すべきではない
・ 放射性物質の管理とは、集めて管理すること。
・ 何かに混ぜて再利用など拡散してはいけない。低線量被曝環境を全国に広げる。
・ 薄めて拡散してはいけないことは、国際的な合意事項である。
・ 公害物質の規制を、濃度規制をしていた60年代までは、有害物質を希釈して大気や河川・海に有害物質を放出したために汚染を激化させた。総量規制にして初めて環境汚染を改善できた。
汚染瓦礫と除染して集めた放射能汚染物をどう処理すべきか
汚染の現状基本認識
・ 原発周囲地域や東北、関東地方に広く汚染している放射能は、原発施設内のような高レベル汚染ではない。
・ これを焼却するとkgあたりの放射能が上がってかえって危険、処理困難になる。
最も実際的で有効な放射能汚染物処理戦略
・ 環境中の汚染物は焼却せず、拡散せず、一箇所に集めて管理する。
・ 全体の量は多いが、重量あたりの放射能は低いので、管理は簡単
・ 数百メートル四方、数十メートル高さの、巨大古墳のような丘に積み上げる。
・ 半減期に従って放射能が減衰するまで管理する。
・ 必要な設備は、風で飛散させない、土壌に浸透させない、立ち入り禁止だけでよい。
・ 風による飛散防止と雨水が浸透して土壌浸透の原因になる廃液を減らすために、表面にビニール、コンクリートなど被うだけでよい。高レベル放射能とは違い、完全密閉は不要なので簡単なものでよい。
・ 汚染物質搬入が終わり、山済みした瓦礫などが圧縮、変形するなどして形が安定するまでは、ビニールシーとで被うだけで間に合う。
・ ビニール膜の目的は、風で飛散させないことと、雨水浸透によって廃液を増やさせないためである。雨水の浸透を止めれば、下部からの汚染水流出はしばらくすればなくなる。
・ 丘の形が安定したら、浸透防止層の上に表面に土を数メートル積めば、植物への放射能吸収をさせずに植物を植えることもできる。
・ 土壌への浸透防止のための基礎部分(底)は必ずしも厳重にする必要はなく、水抜き層と水抜きパイプで水抜きを十分に行う。底には粘土や吸着剤を敷き、最低部にはコンクリートなどの不浸透資材による底を作る。
・ 十分な水抜きをし、その水だけの汚染処理;濃縮してドラム缶管理などをする。管理場所は前述の丘の中に地下室として作る。数十年か百年以上経って立ち入り可能になったら原発事故記念公園に整備する。
・ 海底の津波瓦礫など、汚染がわずかな瓦礫などは放射能処理施設で管理しなくても良いが、焼却すると、管理しなければならないレベルに上がる。
・ 岩手や宮城の低レベル汚染津波瓦礫は、焼却せず、放射性廃棄物処理施設で管理せず、拡散しない対策だけをして、処理できる。津波被害を受けた仙台平野の海岸に全て集めてこれも巨大な丘に築く。土壌への浸透防止は必要だが、厳しい飛散防止や立ち入り禁止は殆ど不必要。安い費用でできる。ごみとしてだけ考えず、津波で死亡した人たちの遺品として全て集めて丘に築き、慰霊と津波記念の大古墳、記念公園として整備することが良い。岩手、宮城の2000万トンを越える瓦礫を全て収容できる。ただ集めて積み上げるだけなので費用も時間もかからない。現在も殆どの瓦礫が始末されずに残っている。すぐに決定して着手すべきだ。遅れるほど時間と復興が遅れ、浪費がかさんで社会が疲弊する。「震災モニュメント、鎮魂と研究の場建設を」河北新報持論時論2011年6月11日で提案発言した。津波瓦礫の処分については改めて後日書くつもりです。
山積み処理法の利点
・ 他地域に汚染を拡散しない。
・ 他の方法よりもはるかに経済的。
・ 無制限に大量のがれきや環境汚染物を回収できる。
・ このため、除染活動を希望する人や団体は、除染で集めた汚染物の処理を心配せずに除染活動ができる。
他の除染戦略の問題点
中間処理施設:
・ 最終処分場の規模と形態を決めることが除染戦略を決める最初にすべきこと。これを決めずに中間処理施設や焼却、その他の方針を言うのは偽りと誤り。
・ 「中間」施設がごまかしの言葉であることはほとんどの国民と関係者は考えている。偽りや誤りを前提にして正しい方針はありえない
・ 偽りと批判させない方針の出し方や、社会のあり方は不健全で、被曝被害と関係費用を拡大するとともに、社会の健全性を損なう。
焼却:
・ 回収しきれない煙による大気汚染と、回収した煙と残り灰のkgあたり放射能が高くなってかえって厄介になることは前述した。
埋め立て・建設資材に使用:
・ 放射能の拡散になる。拡散は除染と逆の行為。
・ すべきではない。国際合意にも、放射能被曝対策の常識にも反している。
・ 全体から見れば建設資材に使っても全体量から見ればわずかで、汚染物質や瓦礫はほとんど減らない。
・ 国民全体の放射線被曝と被害を増やす。社会がまともに理解、考えることと考える能力を妨げる。企業と官僚の利権につながる。利権は、社会の健全性を阻害し国民財産を消耗する。
他の地域に搬送して処分:
・ 各地で瓦礫受け入れが進んでいないことが、瓦礫処理と被災地復興の妨げになっていると言う政府発表やマスコミ報道が続いている。偽りである。
・ 政府の方針でも域外処分予定は20%で80%は地元処理である。地元処理が進んでいないことが瓦礫処理が進まない原因だ。
・ 20%の域外処理は元来不要だが、問題をすり替て国民を偽る政府と、批判せずに同調報道するマスコミは悪質だ。
除染の目的
・ 除染の目的は環境放射能を減らして、人の放射線被曝を減らすこと。
・ 除染活動の対象は、汚染はされているが生活可能な環境の、ホットスポットや子どもが集まるところなどを、被曝をさらに少なくさせるために放射能を減らす目的で行うべき。
・ 放射能レベルが高い地域を除染して、かろうじて住める区域を作ることを目的として、そこで生活を再開すると、かえって被曝を増やす。被曝を増やす除染はすべきでない。
・ 汚染レベルが高いまま、「生活を開始して、それから除染」は法的にも同義的にも違反している。被曝を増やす政府方針と、それを批判しない社会は不道徳で不健全だ。
最終処分場をどこにどう確保するか
・ 福島原発付近の高汚染地域に国と東電の責任で土地を確保する
・ その人と家族のために、被曝させてはいけない。人が住んでよいところではない。
・ 「住民の気持ちを考えると強制もできない」という人がいる。避難しない責任を住民に転嫁する考え方である。
・ 移住する住民の利益にならない場合も、これまで国や行政、電力会社は、ダムや鉄道、工業団地建設、原発建設のために、土地を買収して先祖伝来の土地で生きることを止めさせてきた。多くの場合、多額の土地代金と移転保障をすることによって全て実行した。同じように、十分な経済補償をして、処分場の土地を確保すべきだ。ダムや高速道路建設のための土地収用と同じレベルの補償と取り組み、努力をしていない。本来はダム建設の土地収用費用に加えて、更に賠償費用を加えた額にすべきものだ。
・ 十分な補償をすれば困難ではない。何よりも、住民にとってそこに住むのは有害。「このままふるさとに住んでいたいいか、それとも離れたいか?」と聞くのではなく、「汚染して住めない土地にしてしまいすみません。申し訳ありませんが危険なので移住してください」と事故を起こした東電と政府・行政が謝罪し、お願いして、原発やダムを造ったときと同じような補償をすればできることだ。おそらくずっと簡単なはずだ。
・十分な金も払わず、謝罪もせず、「残ってこのまま住んでいたいか、離れたいか」と言って補償もせずに、「残りたい」と住民に言わせて、住民に責任転嫁すべきではない。
結論
・ 人が住めるが、更に被曝を少なくするための除染をすべき。かろうじてすめる環境を目指す除染は被曝を増やすからすべきではない。
・ 放射能汚染瓦礫、除染で集めた汚染物は、焼却や、再利用という名の拡散をしてはいけない
・ 環境中の低レベル放射能汚染物は大規模最終処分場一箇所に全て集め丘に築いて管理すべき
・ これ以外に合理的な処分法はおそらくない。
2011年5月以来主張してきたことをまとめた。
(追加)本ブログの別記事「岩手・宮城の津波瓦礫は全て山積み処分し公園に整備を。津波瓦礫の合理的処分法」http://hirookay.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
もご参照ください。
焼却処分はすべきではない
放射性廃棄物処理の正しい戦略と方法
要約
・ 除染とは、放射能の被害の少ない場所に移動すること
・ 放射能は分子の性質ではなく原子の性質なので、微生物や化学反応で減らすことはできない
・ 除染とは、放射能の被害の少ない場所に移動し、管理すること。管理する場所の放射能は当然増える。どこに集めて増やすかを決めない除染方針は偽り。
・ 偽りを前提として適切な除染処理はできない。
・ 除染を行う際に最初に行うべきことは、最終処分場;どこに、どのような状態で、どの程度の規模に集めて管理するかを決めること
・ 最終処分場を決めない除染は、他の領域を汚染する。全体として考えれば、かえって有害
・ 放射性物質を燃やして、煙として拡散することは有害。絶対にすべきではない
・ 福島の瓦礫や、全国の除染して集めた低レベル放射性廃棄物は、原発付近の一箇所に全て集めて丘に築いて管理すべきだ。
・ 岩手や宮城の海底や海岸の津波瓦礫など、更に低レベルの汚染瓦礫などは放射能処理施設で管理しなくてもよいが焼却や拡散してはいけない。全て集めて遺品として扱い仙台平野の海岸に丘に築き、慰霊と津波記念の大古墳、記念公園として整備することがよい
はじめに
福島、宮城、岩手県や関東地方に拡散した低線量放射能汚染物や瓦礫処理についての考え方と私の考えを述べる。
現在進められている放射性廃棄物対策
・ 福島原発事故によって生じた放射能汚染物は、福島県内だけでも2000万トン以上と見積もられている。評価の仕方によってはその数倍になる。岩手県と宮城県の津波瓦礫も2000万トン以上ある。
・ 福島県以外の宮城、岩手県や関東各県にも低レベル放射能汚染されている津波瓦礫以外に、落ち葉、枯れ草、わら、表土など大量の汚染物がある。
・ これらの汚染物処分として、焼 却、埋め立て、建設・土木資材として消費、中間管理施設での保管管理、放置などが進められている。
放射能とは
・ 放射能は分子の性質ではなく原子の性質なので、微生物や化学反応で減らすことはできない。化学反応とは、原子間結合などのように、原子と原子の関係を変えるもので、原子そのものは変わらない。
・ 放射能は時間とともに減少(減衰)する。この減少する早さ(半減期)は放射性元素ごとに原子の性質として決まっていて、人が変えることはできない。
・ 放射能以外の毒物は、分解や、他の物質と結合などにより毒性を失っていくが、放射能は分子の性質ではなく原子の性質なので、半減期による減衰以外は、何をやっても減少しない。
・ 多くの毒物のように、一時隔離しておけば、やがて分解されて毒性を失うと期待するような、同じ感覚で扱ってはいけない。
・ 人は放射能を減らすことはできない。人ができるのは移動することだけである。
放射能処理、除染とは
・ 除染とは、放射能を減らすことではなくて、人にとって影響の少ない場所に、影響の少ない形に集めて管理すること。
・ 汚染された小領域・空間だけを考えれば、除去・洗浄すれば放射能は減る。しかし、他に移動しただけで、移動した側の放射能は増加する。全体の放射能総量は変わらない。
・ 放射能をどこも増やさずに、どこかの放射能を減らすことはできない。除染とはどこの放射能を増やすかということ。
・ 既に集まって固まっている放射性物質を、焼却して煙として拡散するなどは、かえって有害である。絶対に拡散してはいけない。
だから
・ 除染を行う際にまず行うべきことは、放射能汚染物質の処分場、どこに、どのような状態で、どの程度の規模に集めて管理するか:どこで放射能を増やすかを決めることである。
・ 除染した放射能がどこに行くかを決めない除染は、他の領域を汚染することで、全体として考えれば、多くの場合、かえって放射能汚染を拡散してかえって有害である。
・ 処分場を決めない除染方針は打算と偽りである。
・ 最終処分場の規模と形態を決めない政府・行政は、無自覚無能力か、原発を守るために意図して住民を犠牲にしていると私は考える。
・ 現在の除染方針は、これを分かった上で、意図して現在の方針を出している東京電力と、東電に共同歩調をとる高級官僚が基本方針をつくり、無自覚・無能力の政治家が共同し、操られて作った方針と私は考える。
通常時の放射性廃棄物処理法
・ 放射線を扱う研究施設や医療機関、企業などは、廃棄物処理方法や基準が厳重に法律で決められている。
・ 処理法の基本は、焼却して、残り灰と煙を完璧に回収してビニール袋に詰めた後、ドラム缶にいれ、半減期から計算される十分な時間、地下の貯蔵保管施設で長期間管理する。
・ 焼却の目的は、放射性物質の容積と重さを減らして、必要なドラム缶の量を減らすためである。焼却には、放射能煙を外界に拡散しない、特別の焼却炉が義務付けられている。
・ 広大な敷地を持っている東北大学でさえ、毎年出てくるわずかな汚染物の保管施設確保に苦慮している。
焼却処分はすべきではない
・ 焼却すると、放射能は減らないので、煙と燃え残り灰に全て残る。
・ 煙の放射能を完全に回収できない焼却施設で燃やすと、大気中に放射能を再拡散する。絶対にしてはいけない。
・ 回収した煙と残り灰の重さは焼却前より少なくなるが、放射能は減らないので、kgあたりの放射能は高くなり、かえって処理を困難にする。
・ kgあたり放射能が高くなって、移動、管理が厳しく制限される放射能レベルを超える。これを移動や保管,放置、処分すれば、どれでも放射線に関連した全ての法律に違反する。
・ 2000万トンの放射能汚染物質を焼却した場合、焼却によって出た煙の回収物と焼却灰の重さや容積が仮に1/100 に減ったとしても、回収した煙と残った焼却灰は20万トンと多い。焼却しても放射能は減らないので、1kg 当たり平均放射能は100倍に、場合によっては数千倍になる。
・ 事故後環境を汚染した放射性物質が多いため、密封した上でドラム缶に詰め、全てを地下の格納施設に保管して長期化管理するには莫大な負担が必要になる。実際には多すぎてドラム缶に入れて地下室で長期保管管理は不可能。
・ したがって、焼却して全体を処分することは困難で、実際には、処分されずに放置される放射性物質が多く残ってしまう。
・ 焼却をして容積と重量を減らしても多すぎて、ドラム缶・地下貯蔵施設で収容管理できず、放射能が高レベルになってかえって危険であり、法律違反になるから、焼却すべきではない。
・ 焼却や、再利用を行うためには莫大な費用がかかる。これは新たな利権の材料となり、貴重な税金が莫大に浪費される。浪費せず被災者の生活復興などに使うべきである。
土木資材や、肥料に混ぜて「再利用」すべきではない
・ 放射性物質の管理とは、集めて管理すること。
・ 何かに混ぜて再利用など拡散してはいけない。低線量被曝環境を全国に広げる。
・ 薄めて拡散してはいけないことは、国際的な合意事項である。
・ 公害物質の規制を、濃度規制をしていた60年代までは、有害物質を希釈して大気や河川・海に有害物質を放出したために汚染を激化させた。総量規制にして初めて環境汚染を改善できた。
汚染瓦礫と除染して集めた放射能汚染物をどう処理すべきか
汚染の現状基本認識
・ 原発周囲地域や東北、関東地方に広く汚染している放射能は、原発施設内のような高レベル汚染ではない。
・ これを焼却するとkgあたりの放射能が上がってかえって危険、処理困難になる。
最も実際的で有効な放射能汚染物処理戦略
・ 環境中の汚染物は焼却せず、拡散せず、一箇所に集めて管理する。
・ 全体の量は多いが、重量あたりの放射能は低いので、管理は簡単
・ 数百メートル四方、数十メートル高さの、巨大古墳のような丘に積み上げる。
・ 半減期に従って放射能が減衰するまで管理する。
・ 必要な設備は、風で飛散させない、土壌に浸透させない、立ち入り禁止だけでよい。
・ 風による飛散防止と雨水が浸透して土壌浸透の原因になる廃液を減らすために、表面にビニール、コンクリートなど被うだけでよい。高レベル放射能とは違い、完全密閉は不要なので簡単なものでよい。
・ 汚染物質搬入が終わり、山済みした瓦礫などが圧縮、変形するなどして形が安定するまでは、ビニールシーとで被うだけで間に合う。
・ ビニール膜の目的は、風で飛散させないことと、雨水浸透によって廃液を増やさせないためである。雨水の浸透を止めれば、下部からの汚染水流出はしばらくすればなくなる。
・ 丘の形が安定したら、浸透防止層の上に表面に土を数メートル積めば、植物への放射能吸収をさせずに植物を植えることもできる。
・ 土壌への浸透防止のための基礎部分(底)は必ずしも厳重にする必要はなく、水抜き層と水抜きパイプで水抜きを十分に行う。底には粘土や吸着剤を敷き、最低部にはコンクリートなどの不浸透資材による底を作る。
・ 十分な水抜きをし、その水だけの汚染処理;濃縮してドラム缶管理などをする。管理場所は前述の丘の中に地下室として作る。数十年か百年以上経って立ち入り可能になったら原発事故記念公園に整備する。
・ 海底の津波瓦礫など、汚染がわずかな瓦礫などは放射能処理施設で管理しなくても良いが、焼却すると、管理しなければならないレベルに上がる。
・ 岩手や宮城の低レベル汚染津波瓦礫は、焼却せず、放射性廃棄物処理施設で管理せず、拡散しない対策だけをして、処理できる。津波被害を受けた仙台平野の海岸に全て集めてこれも巨大な丘に築く。土壌への浸透防止は必要だが、厳しい飛散防止や立ち入り禁止は殆ど不必要。安い費用でできる。ごみとしてだけ考えず、津波で死亡した人たちの遺品として全て集めて丘に築き、慰霊と津波記念の大古墳、記念公園として整備することが良い。岩手、宮城の2000万トンを越える瓦礫を全て収容できる。ただ集めて積み上げるだけなので費用も時間もかからない。現在も殆どの瓦礫が始末されずに残っている。すぐに決定して着手すべきだ。遅れるほど時間と復興が遅れ、浪費がかさんで社会が疲弊する。「震災モニュメント、鎮魂と研究の場建設を」河北新報持論時論2011年6月11日で提案発言した。津波瓦礫の処分については改めて後日書くつもりです。
山積み処理法の利点
・ 他地域に汚染を拡散しない。
・ 他の方法よりもはるかに経済的。
・ 無制限に大量のがれきや環境汚染物を回収できる。
・ このため、除染活動を希望する人や団体は、除染で集めた汚染物の処理を心配せずに除染活動ができる。
他の除染戦略の問題点
中間処理施設:
・ 最終処分場の規模と形態を決めることが除染戦略を決める最初にすべきこと。これを決めずに中間処理施設や焼却、その他の方針を言うのは偽りと誤り。
・ 「中間」施設がごまかしの言葉であることはほとんどの国民と関係者は考えている。偽りや誤りを前提にして正しい方針はありえない
・ 偽りと批判させない方針の出し方や、社会のあり方は不健全で、被曝被害と関係費用を拡大するとともに、社会の健全性を損なう。
焼却:
・ 回収しきれない煙による大気汚染と、回収した煙と残り灰のkgあたり放射能が高くなってかえって厄介になることは前述した。
埋め立て・建設資材に使用:
・ 放射能の拡散になる。拡散は除染と逆の行為。
・ すべきではない。国際合意にも、放射能被曝対策の常識にも反している。
・ 全体から見れば建設資材に使っても全体量から見ればわずかで、汚染物質や瓦礫はほとんど減らない。
・ 国民全体の放射線被曝と被害を増やす。社会がまともに理解、考えることと考える能力を妨げる。企業と官僚の利権につながる。利権は、社会の健全性を阻害し国民財産を消耗する。
他の地域に搬送して処分:
・ 各地で瓦礫受け入れが進んでいないことが、瓦礫処理と被災地復興の妨げになっていると言う政府発表やマスコミ報道が続いている。偽りである。
・ 政府の方針でも域外処分予定は20%で80%は地元処理である。地元処理が進んでいないことが瓦礫処理が進まない原因だ。
・ 20%の域外処理は元来不要だが、問題をすり替て国民を偽る政府と、批判せずに同調報道するマスコミは悪質だ。
除染の目的
・ 除染の目的は環境放射能を減らして、人の放射線被曝を減らすこと。
・ 除染活動の対象は、汚染はされているが生活可能な環境の、ホットスポットや子どもが集まるところなどを、被曝をさらに少なくさせるために放射能を減らす目的で行うべき。
・ 放射能レベルが高い地域を除染して、かろうじて住める区域を作ることを目的として、そこで生活を再開すると、かえって被曝を増やす。被曝を増やす除染はすべきでない。
・ 汚染レベルが高いまま、「生活を開始して、それから除染」は法的にも同義的にも違反している。被曝を増やす政府方針と、それを批判しない社会は不道徳で不健全だ。
最終処分場をどこにどう確保するか
・ 福島原発付近の高汚染地域に国と東電の責任で土地を確保する
・ その人と家族のために、被曝させてはいけない。人が住んでよいところではない。
・ 「住民の気持ちを考えると強制もできない」という人がいる。避難しない責任を住民に転嫁する考え方である。
・ 移住する住民の利益にならない場合も、これまで国や行政、電力会社は、ダムや鉄道、工業団地建設、原発建設のために、土地を買収して先祖伝来の土地で生きることを止めさせてきた。多くの場合、多額の土地代金と移転保障をすることによって全て実行した。同じように、十分な経済補償をして、処分場の土地を確保すべきだ。ダムや高速道路建設のための土地収用と同じレベルの補償と取り組み、努力をしていない。本来はダム建設の土地収用費用に加えて、更に賠償費用を加えた額にすべきものだ。
・ 十分な補償をすれば困難ではない。何よりも、住民にとってそこに住むのは有害。「このままふるさとに住んでいたいいか、それとも離れたいか?」と聞くのではなく、「汚染して住めない土地にしてしまいすみません。申し訳ありませんが危険なので移住してください」と事故を起こした東電と政府・行政が謝罪し、お願いして、原発やダムを造ったときと同じような補償をすればできることだ。おそらくずっと簡単なはずだ。
・十分な金も払わず、謝罪もせず、「残ってこのまま住んでいたいか、離れたいか」と言って補償もせずに、「残りたい」と住民に言わせて、住民に責任転嫁すべきではない。
結論
・ 人が住めるが、更に被曝を少なくするための除染をすべき。かろうじてすめる環境を目指す除染は被曝を増やすからすべきではない。
・ 放射能汚染瓦礫、除染で集めた汚染物は、焼却や、再利用という名の拡散をしてはいけない
・ 環境中の低レベル放射能汚染物は大規模最終処分場一箇所に全て集め丘に築いて管理すべき
・ これ以外に合理的な処分法はおそらくない。
2011年5月以来主張してきたことをまとめた。
(追加)本ブログの別記事「岩手・宮城の津波瓦礫は全て山積み処分し公園に整備を。津波瓦礫の合理的処分法」http://hirookay.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
もご参照ください。
2012.02.27 (Mon)
牛乳放射能 私の考え(1) 「牛乳放射能は減らせる!」
牛乳放射能 私の考え(1)
「牛乳放射能は減らせる!」
今も宮城県の牛乳はセシウム放射能が検出されている。
汚染レベルは10ベクレル/L前後とあまり高くはない。
これをどう考えるか。
現状
・ 現在宮城県は、大崎、登米、白石のクーラーステーションに各100トンくらいに集めて混ぜた原乳の、放射能を測定している。
・ この原乳から10ベクレル/L程度の放射線が検出されている
・ 福島県は4月と5月に飯舘、福島、本宮で検出(10ベクレル以下)されたが、その後検出されていない。
・ 宮城県は4月中旬は測定限界以下だったが4月26日と5月11日、大崎と登米で10以下が検出された。
その後不検出だったが6月下旬から再び検出されるようになり、12月には白石で22、大崎で20と過去最高となった。その後は減少傾向。
牛乳の放射能を減らすことはおそらく簡単だ;海産物や農作物とは違う。
・海産物や農作物、食肉などは出荷されたものが毎回異なるので、放射能汚染は毎回測定しないと予測困難だ。
・ 一方、牛乳は、毎回、同じ牛から牛乳を採る。
・ セシウム汚染飼料を食べて汚染された牛は毎日、セシウム汚染牛乳を出しているはずだ。
・ 一方多くの牛の牛乳はほとんど汚染されていないだろう。
だから
・ 原乳を100トンに混ぜる前に、一地区や、酪農家ごとに原乳を検査すれば、汚染の強い牛を特定することができる(毎回測定は不要。1~2回測定すればほとんどわかる)。
結論
・ 汚染された牛あるいは酪農場を特定し、農家に補償して、その牛乳使用を中止すれば、流通する牛乳の汚染レベルを下げることができる。
・ 放射能で汚染された乳牛を特定して除外し、牛乳の放射線レベルを下げるべきだ。
・ 牛乳業界はなぜやらない? 行政はなぜやらせない?
・ 東電はなぜ委託しない? 国民はなぜやらせない?
・ なぜやらない?それが問題の本質だ
「牛乳放射能は減らせる!」
今も宮城県の牛乳はセシウム放射能が検出されている。
汚染レベルは10ベクレル/L前後とあまり高くはない。
これをどう考えるか。
現状
・ 現在宮城県は、大崎、登米、白石のクーラーステーションに各100トンくらいに集めて混ぜた原乳の、放射能を測定している。
・ この原乳から10ベクレル/L程度の放射線が検出されている
・ 福島県は4月と5月に飯舘、福島、本宮で検出(10ベクレル以下)されたが、その後検出されていない。
・ 宮城県は4月中旬は測定限界以下だったが4月26日と5月11日、大崎と登米で10以下が検出された。
その後不検出だったが6月下旬から再び検出されるようになり、12月には白石で22、大崎で20と過去最高となった。その後は減少傾向。
牛乳の放射能を減らすことはおそらく簡単だ;海産物や農作物とは違う。
・海産物や農作物、食肉などは出荷されたものが毎回異なるので、放射能汚染は毎回測定しないと予測困難だ。
・ 一方、牛乳は、毎回、同じ牛から牛乳を採る。
・ セシウム汚染飼料を食べて汚染された牛は毎日、セシウム汚染牛乳を出しているはずだ。
・ 一方多くの牛の牛乳はほとんど汚染されていないだろう。
だから
・ 原乳を100トンに混ぜる前に、一地区や、酪農家ごとに原乳を検査すれば、汚染の強い牛を特定することができる(毎回測定は不要。1~2回測定すればほとんどわかる)。
結論
・ 汚染された牛あるいは酪農場を特定し、農家に補償して、その牛乳使用を中止すれば、流通する牛乳の汚染レベルを下げることができる。
・ 放射能で汚染された乳牛を特定して除外し、牛乳の放射線レベルを下げるべきだ。
・ 牛乳業界はなぜやらない? 行政はなぜやらせない?
・ 東電はなぜ委託しない? 国民はなぜやらせない?
・ なぜやらない?それが問題の本質だ
2012.02.21 (Tue)
「低線量被曝と専門家の意見」について 仙台在住 さんのご質問に
「低線量被曝と専門家の意見」について
仙台在住 さんのご質問への回答
要約
・ 確率的影響とは?
・ 低線量被曝の影響は確定できないほど小さいから問題ない?
・ わずかな遺伝子ダメージは自己修復するから問題ない?
・ 細胞が傷つくことによって下痢や免疫低下がおきる?
・ 低線量被曝は閾値がある?
本ブログ、講演「被曝をどう避けるか」要旨に関して、「仙台在住」さんからいただいた質問への私の回答です。
「仙台在住」さんのご質問・意見は本ブログ「被曝をどう避けるか」要旨の記事の後に掲載されています。
長くなったので別記事にしました。
■ご質問
「確率的影響とは?」
(回答)確率的影響という言葉について。
重金属や農薬などの毒物を摂取すると半数が死ぬ量を致死量といいます。
10倍に薄めて10人が致死量の10%を摂取すると、死にはしないが何らかの有害な作用があるが、1万倍に薄めて1万人が飲めば誰にもなんの作用もない。
別の言葉で言うと、1人が死ぬ毒を1万人で分けて飲めば誰にも有害ではない。
これが普通の毒物の作用の仕方で、用量依存的影響(正しくは用量依存的作用)といいます。
放射線の発癌に対する確率的作用とは、これとは異なって、幾ら薄めても毒作用が出たときの毒性は変わらず、毒性が現れる頻度が減ることを言います。
100mlの致死量の毒入りジュースがあったとする。それを10Lのジュースに薄めて100mlずつ100人が飲めば、普通の毒の場合は飲んだ大部分の人に弱い毒作用がでる。
1000Lに薄めて1万人が飲めば殆どの人は何の症状も出ない。
これが普通の、用量依存的毒作用。
1本の100mLのジュース缶に毒を入れて999本の缶ジュースの集まりに混ぜたとすると、毒入りジュース缶を飲んだひとりは死ぬが残り999人には作用がない。毒を入れていない9999本のジュース缶に混ぜて1万人が100mLジュースを1缶ずつ飲んでも、さらにどんなにジュース缶を増やしても、1人の人が毒で死ぬ確立は減るが、誰か1人が死ぬことはかわらない。これが放射能の発癌に対する確率的作用です。
放射能汚染食品の流通量を規制しないで、一定濃度以下にして広く流通させてはいけない理由の一つです。
■ご質問
「100mSV以下では影響が良く分かっていないが、分からない程小さいから問題ない。
少しの遺伝子へのダメージは自己修復するから問題ない。
との意見を耳にしますが、この見解は正しいのでしょうか?
学者の方によって見解が異なる様な印象を受けますが先生の見解はいかがでしょうか? 」
(回答)銅やその他の多くの金属イオンは生体微量元素といって、不足すると欠乏症を起こしますが多いと有毒です。
医療分野では微量元素欠乏症はあるのですが、一般社会で問題になるのは、環境汚染による重金属中毒です。
このような、少量では有益だが、過剰では有毒になる重金属も、有害物として環境基準や食品基準が許可される上限値が決められています。
その制限値は、有害と確認できる量よりずっと少なく数%かそれ以下の量で規制されます。
有害量と無害な量の分かれ目は厳密に決定できないので、「有害と証明されていないレベルを避けるのは非科学的だ」というのは「有害な作用が出るまで食べて、有害と分かったらそれより少ない量まで食べろ」という、誤った論理で、まともな理屈ではない暴論です。
これは医学の知識の問題ではなく、人としてまともな考えを持つかどうかという問題なので、「専門家」が特権的に判断して解説する問題ではありません。
「専門家」の暴論に対して「それは誤りだ」と反論するために、医学知識は必要ありません。
反論に対して「専門家」から医学知識のことばで反論や解説があってもそれはすり替えです。
有害な作用があるものは、「これ以下なら害はない」という値を確定・証明して、それよりさらに十分低い値で制限するのが、毒物に対する基本的考え方です。
食品安全や環境基準に関する日本の法律も、国際機関の取り決めもそうなっています。
法律を考えなくても、常識でまともに考えれば当たり前のことです。
■ご質問
以下は私の独学の勝手な解釈ですが↓
「被曝でDNAにダメージ→DNAが修復される過程でミスが起こる場合があり、変異→増殖し、癌化。
変異した細胞を自殺させる遺伝子(P53遺伝子など?)が変異した細胞を自殺させるが、この遺伝子自体、被曝で損傷してしまう恐れもある。 」「つまりどんな少ない被曝でもこのDNAの変異・増殖。または変異した細胞を自殺させる遺伝子(P53?)のダメージによる機能低下などが起こる可能性が高まり、癌などの影響の可能性が上がる。
⇔逆に言えば、低線量被曝の範囲でどれだけ多く被曝をしてもこのDNAの修復ミスと増殖などが無ければ癌化においては問題ないレベルである」
(回答)おおむねその理解で正しいです。「自殺させる遺伝子がコピー間違い(変異)して、自殺させられなくなると、増殖し続ける=がん化する」 がより正しく分かりやすい表現です。より正確にはそのような、増殖開始や、増殖停止、細胞自殺、遺伝子修復などに関係した遺伝子が、細胞増殖に働く方向の変異を起こし、1個の同じ細胞内でそのような遺伝子変異が数個蓄積されたときにがん細胞になる。増殖や遺伝子修復に関係ない遺伝子に変異が生じても発がんには関係しません。変異した遺伝子が設計図になっている蛋白が少し変わるだけです。
■ご質問
「内部被曝ではα線やβ線も加算され、飛程はγ線より短いが、より多くのDNAを切断する危険性がある。
その為、必然的にDNA修復過程でのミスが起こる可能性も上がる。
特にDNAの2重螺旋の両方を切断する場合は1本の切断に比べてリスクが高く、他の切断されたDNAと修復過程で変異結合してしまう場合もある。
⇒つまり同じ放射性物質を外部と内部で比べた場合、内部の方がより影響があると考えられる。(セシウムも外部被曝では1m離れていればγ線の影響のみだが、内部ではβ線の影響もあるなど。)
細胞分裂をする際の、螺旋が1本になった際の被曝ダメージが特にリスクが高く、その為、細胞分裂の多い子供の影響が高いと考えられる。 (注釈:これは内部被曝も外部被曝も同じです。岡山)
「勿論、癌だけでなく細胞が傷つく事によっての下痢や免疫力低下など様々な影響がある。 」
(回答)細胞が傷つくことはありえますが、どの細胞に、どの程度どのような傷か、いつまで続くかが問題です。
低線量被曝で下痢することが確実なら、このようなことが起きているのだろうと想像するとはできますが、その程度の被曝で下痢を生じるだろうかという疑問(否定ではない疑問)もあり、実際に下痢が増えているかどうかが問題です。十分に証明されていないので、推測です。
低線量被曝の結果と示唆、主張されているもののいくつかは被爆の結果であり、いくつかは違うのではないかと推測しています。事実はまだ誰も断言できないものが殆どです。
危険性がないと断言できない間は、危険がありうるものとして、危険を避けるために対処すべきです。
示唆されている危険性を「確定されていないから」といって、無いこととして扱うのは誤りです。同様に、確定できないが強く疑われるという場合は「強く疑う」と言うべきで断言すると誤りになります。
免疫細胞も放射線感受性が高い細胞の一つですが、免疫は複雑で様々な機能があります。
免疫の基礎知識のない人が「免疫を上げる」「免疫を回復する」「免疫の働きを高める」といっている多くのものは、何を根拠に言っているか、免疫のどの作用を言っているのか、疑問です。
ついでに言うと、このような場合、免疫がやりうることは、異常な細胞を破壊することであって、免疫が、変異した遺伝子を時間をかけて修復することはありません。損傷したり、コピーミスを起こした遺伝子の修復は細胞の中の核内で殆ど瞬時に行われます。免疫は大まかには、細胞間や細胞外の出来事です。
免疫細胞の働きには、ある免疫作用を高める働きも抑制する働きもあります。
基本的理解をしていない人が専門的で、専門家が断言しないことを断言したり、聞きかじりの俗論があたかも真実であるかのように語られ、それを前提にして、主張する人がいるだけでなく、多くの人が確認もされていないことを正しいと思い込んで論を進めていることはまずい、危ういと私は考えています。
特に免疫の話題で顕著です。
■ご質問
「私は上記の内容により、どんな少ない被曝でもDNAの変異・増殖の危険性や場合によっては低線量でも健康被害など影響があり、被曝の健康被害には閾値は無いと考えております。
特に内部被曝は危険であり、極力避けるべきであると考えております。
閾値があるという考えが最近は出てきているという話なども見ますが、上記の内容であれば閾値は無く、被曝は今の線量ならば自己修復能力もあるので問題ないという見解は誤りだと考えております。
私の理解では確率的影響とは、少しの被曝でもDNAの変異・増殖などによって確率的によって起こりえる影響であり、被曝の影響は人によって一概にどの程度の線量で起こると言えないと考えております。」
(回答)おおむねその理解で良いです。放射線に関係した日本の全ての法律と、国際合意はその考えを基に作られています。否定する人は法律も否定することです。
DNA変異に対する自己修復機転や、異常細胞を始末する免疫細胞の働きはあってもそれで間に合わなかった分ががんとして出現するのですから、放射線やその他の原因で、遺伝子変異やがん細胞が多くできれば、修復や始末から逃れてがんとして発症するものも増えることになります。免疫やDNA修復が簡単にできるなら、がん治療や予防の再重要課題として研究されるはずですが、そのような研究が最重要課題として専門家の認識にはなっていません。
原発事故までは、その法律どおり実行することを指導してきた専門家が突然、主張を変えてしまいました。今でもその人たちは、放射線実験施設の運用や除染については恐らく法律どおりに指導しているはずです。
閾値は無いということは恐らくそうと私も推測しますが確定されてはいません。法律では可能性が高いと考えて、一般人への被曝を少量から禁止しています。
閾値以下の被曝は被曝量とがん化する割合が比例するかどうかについてはさらに明らかではなく、いろいろな考え方(仮定、想定)がありえます。
ただ被曝量とがん化の割合が比例してもしなくても有害であることは変わりないので、被曝を減らすべきという結論は同じです。
低線量被曝がどの程度影響があるかはまだ分かっていませんが、セシウム放射能はカリウムと比べると考えやすいところがあります。
地球上のカリウムはどこのカリウムも同じ割合で放射能を持っています。カリウムは生体にとって不可欠で、細胞内と細胞外の水に溶けています。
細胞内外の水の量と、それぞれのカリウム濃度は腎臓によってプラスマイナス15%くらいの変動で一定に保たれていますから、体内のカリウム量とカリウムの放射能量も一定に存在しています。
60kgの人で約4000ベクレルです。セシウムとカリウムは性質や体内分布も、放射能の性質も似ています。
大人が毎日40ベクレルのセシウムを食べ続けると、血中濃度が高まって、やがて、1日で食べる量と尿から出る量とが同じになり、体内の総セシウム量は1日摂取量の約100倍、毎日40ベクレル食べ続けると4000ベクレルで安定します。
カリウムの放射能が倍に増えたと同じ見当になります。カリウムの放射能が発がん原因の50%を閉めることはありえませんが発がん原因の10%なのか0.1%なのかは分かりません。
いずれにしても、セシウムを毎日40ベクレル食べ続けるとカリウムの放射能の作用がおおよそ倍になったくらいと想定できます。
セシウムを毎日10ベクレル食べるとカリウムの放射能が25%増えた程度という見当です。
元々体内にあるカリウム放射能の作用があまり大きくなければこの量のセシウムの影響も少ないと考えられます。
カリウム放射能の作用がどの程度なのかは分かりませんが、セシウムによる内部被曝を考える目安として使うことができます。
少量の毒物摂取をどう考えるかについては初めのご質問の回答で書きました。
放射線以外の一般の毒物はうんと減らすと、害は全くありませんから「一定以下の量では全く害がない」という意味で一般の毒物は「閾値がある」ということになります。
「閾値」というのは厳密には、その値になると飛躍的に状態が変わる量をいいます。
例えばアルコールを含んだ空気の温度を徐々に上げていくとある温度で爆発する(突然状態が変わる)というような量(この場合は温度)のことです。
閾値という言葉を、ヘーゲルなど哲学者の言葉で表現すると、(温度の)量的変化が(爆発という)質の変化をもたらす量と表現することがあります。
従って、現在、低線量被曝で使われているような、一定量以上では徐々に効果が現れ始める量を閾値というのは厳密には正しくない使い方です。
仙台在住 さんのご質問への回答
要約
・ 確率的影響とは?
・ 低線量被曝の影響は確定できないほど小さいから問題ない?
・ わずかな遺伝子ダメージは自己修復するから問題ない?
・ 細胞が傷つくことによって下痢や免疫低下がおきる?
・ 低線量被曝は閾値がある?
本ブログ、講演「被曝をどう避けるか」要旨に関して、「仙台在住」さんからいただいた質問への私の回答です。
「仙台在住」さんのご質問・意見は本ブログ「被曝をどう避けるか」要旨の記事の後に掲載されています。
長くなったので別記事にしました。
■ご質問
「確率的影響とは?」
(回答)確率的影響という言葉について。
重金属や農薬などの毒物を摂取すると半数が死ぬ量を致死量といいます。
10倍に薄めて10人が致死量の10%を摂取すると、死にはしないが何らかの有害な作用があるが、1万倍に薄めて1万人が飲めば誰にもなんの作用もない。
別の言葉で言うと、1人が死ぬ毒を1万人で分けて飲めば誰にも有害ではない。
これが普通の毒物の作用の仕方で、用量依存的影響(正しくは用量依存的作用)といいます。
放射線の発癌に対する確率的作用とは、これとは異なって、幾ら薄めても毒作用が出たときの毒性は変わらず、毒性が現れる頻度が減ることを言います。
100mlの致死量の毒入りジュースがあったとする。それを10Lのジュースに薄めて100mlずつ100人が飲めば、普通の毒の場合は飲んだ大部分の人に弱い毒作用がでる。
1000Lに薄めて1万人が飲めば殆どの人は何の症状も出ない。
これが普通の、用量依存的毒作用。
1本の100mLのジュース缶に毒を入れて999本の缶ジュースの集まりに混ぜたとすると、毒入りジュース缶を飲んだひとりは死ぬが残り999人には作用がない。毒を入れていない9999本のジュース缶に混ぜて1万人が100mLジュースを1缶ずつ飲んでも、さらにどんなにジュース缶を増やしても、1人の人が毒で死ぬ確立は減るが、誰か1人が死ぬことはかわらない。これが放射能の発癌に対する確率的作用です。
放射能汚染食品の流通量を規制しないで、一定濃度以下にして広く流通させてはいけない理由の一つです。
■ご質問
「100mSV以下では影響が良く分かっていないが、分からない程小さいから問題ない。
少しの遺伝子へのダメージは自己修復するから問題ない。
との意見を耳にしますが、この見解は正しいのでしょうか?
学者の方によって見解が異なる様な印象を受けますが先生の見解はいかがでしょうか? 」
(回答)銅やその他の多くの金属イオンは生体微量元素といって、不足すると欠乏症を起こしますが多いと有毒です。
医療分野では微量元素欠乏症はあるのですが、一般社会で問題になるのは、環境汚染による重金属中毒です。
このような、少量では有益だが、過剰では有毒になる重金属も、有害物として環境基準や食品基準が許可される上限値が決められています。
その制限値は、有害と確認できる量よりずっと少なく数%かそれ以下の量で規制されます。
有害量と無害な量の分かれ目は厳密に決定できないので、「有害と証明されていないレベルを避けるのは非科学的だ」というのは「有害な作用が出るまで食べて、有害と分かったらそれより少ない量まで食べろ」という、誤った論理で、まともな理屈ではない暴論です。
これは医学の知識の問題ではなく、人としてまともな考えを持つかどうかという問題なので、「専門家」が特権的に判断して解説する問題ではありません。
「専門家」の暴論に対して「それは誤りだ」と反論するために、医学知識は必要ありません。
反論に対して「専門家」から医学知識のことばで反論や解説があってもそれはすり替えです。
有害な作用があるものは、「これ以下なら害はない」という値を確定・証明して、それよりさらに十分低い値で制限するのが、毒物に対する基本的考え方です。
食品安全や環境基準に関する日本の法律も、国際機関の取り決めもそうなっています。
法律を考えなくても、常識でまともに考えれば当たり前のことです。
■ご質問
以下は私の独学の勝手な解釈ですが↓
「被曝でDNAにダメージ→DNAが修復される過程でミスが起こる場合があり、変異→増殖し、癌化。
変異した細胞を自殺させる遺伝子(P53遺伝子など?)が変異した細胞を自殺させるが、この遺伝子自体、被曝で損傷してしまう恐れもある。 」「つまりどんな少ない被曝でもこのDNAの変異・増殖。または変異した細胞を自殺させる遺伝子(P53?)のダメージによる機能低下などが起こる可能性が高まり、癌などの影響の可能性が上がる。
⇔逆に言えば、低線量被曝の範囲でどれだけ多く被曝をしてもこのDNAの修復ミスと増殖などが無ければ癌化においては問題ないレベルである」
(回答)おおむねその理解で正しいです。「自殺させる遺伝子がコピー間違い(変異)して、自殺させられなくなると、増殖し続ける=がん化する」 がより正しく分かりやすい表現です。より正確にはそのような、増殖開始や、増殖停止、細胞自殺、遺伝子修復などに関係した遺伝子が、細胞増殖に働く方向の変異を起こし、1個の同じ細胞内でそのような遺伝子変異が数個蓄積されたときにがん細胞になる。増殖や遺伝子修復に関係ない遺伝子に変異が生じても発がんには関係しません。変異した遺伝子が設計図になっている蛋白が少し変わるだけです。
■ご質問
「内部被曝ではα線やβ線も加算され、飛程はγ線より短いが、より多くのDNAを切断する危険性がある。
その為、必然的にDNA修復過程でのミスが起こる可能性も上がる。
特にDNAの2重螺旋の両方を切断する場合は1本の切断に比べてリスクが高く、他の切断されたDNAと修復過程で変異結合してしまう場合もある。
⇒つまり同じ放射性物質を外部と内部で比べた場合、内部の方がより影響があると考えられる。(セシウムも外部被曝では1m離れていればγ線の影響のみだが、内部ではβ線の影響もあるなど。)
細胞分裂をする際の、螺旋が1本になった際の被曝ダメージが特にリスクが高く、その為、細胞分裂の多い子供の影響が高いと考えられる。 (注釈:これは内部被曝も外部被曝も同じです。岡山)
「勿論、癌だけでなく細胞が傷つく事によっての下痢や免疫力低下など様々な影響がある。 」
(回答)細胞が傷つくことはありえますが、どの細胞に、どの程度どのような傷か、いつまで続くかが問題です。
低線量被曝で下痢することが確実なら、このようなことが起きているのだろうと想像するとはできますが、その程度の被曝で下痢を生じるだろうかという疑問(否定ではない疑問)もあり、実際に下痢が増えているかどうかが問題です。十分に証明されていないので、推測です。
低線量被曝の結果と示唆、主張されているもののいくつかは被爆の結果であり、いくつかは違うのではないかと推測しています。事実はまだ誰も断言できないものが殆どです。
危険性がないと断言できない間は、危険がありうるものとして、危険を避けるために対処すべきです。
示唆されている危険性を「確定されていないから」といって、無いこととして扱うのは誤りです。同様に、確定できないが強く疑われるという場合は「強く疑う」と言うべきで断言すると誤りになります。
免疫細胞も放射線感受性が高い細胞の一つですが、免疫は複雑で様々な機能があります。
免疫の基礎知識のない人が「免疫を上げる」「免疫を回復する」「免疫の働きを高める」といっている多くのものは、何を根拠に言っているか、免疫のどの作用を言っているのか、疑問です。
ついでに言うと、このような場合、免疫がやりうることは、異常な細胞を破壊することであって、免疫が、変異した遺伝子を時間をかけて修復することはありません。損傷したり、コピーミスを起こした遺伝子の修復は細胞の中の核内で殆ど瞬時に行われます。免疫は大まかには、細胞間や細胞外の出来事です。
免疫細胞の働きには、ある免疫作用を高める働きも抑制する働きもあります。
基本的理解をしていない人が専門的で、専門家が断言しないことを断言したり、聞きかじりの俗論があたかも真実であるかのように語られ、それを前提にして、主張する人がいるだけでなく、多くの人が確認もされていないことを正しいと思い込んで論を進めていることはまずい、危ういと私は考えています。
特に免疫の話題で顕著です。
■ご質問
「私は上記の内容により、どんな少ない被曝でもDNAの変異・増殖の危険性や場合によっては低線量でも健康被害など影響があり、被曝の健康被害には閾値は無いと考えております。
特に内部被曝は危険であり、極力避けるべきであると考えております。
閾値があるという考えが最近は出てきているという話なども見ますが、上記の内容であれば閾値は無く、被曝は今の線量ならば自己修復能力もあるので問題ないという見解は誤りだと考えております。
私の理解では確率的影響とは、少しの被曝でもDNAの変異・増殖などによって確率的によって起こりえる影響であり、被曝の影響は人によって一概にどの程度の線量で起こると言えないと考えております。」
(回答)おおむねその理解で良いです。放射線に関係した日本の全ての法律と、国際合意はその考えを基に作られています。否定する人は法律も否定することです。
DNA変異に対する自己修復機転や、異常細胞を始末する免疫細胞の働きはあってもそれで間に合わなかった分ががんとして出現するのですから、放射線やその他の原因で、遺伝子変異やがん細胞が多くできれば、修復や始末から逃れてがんとして発症するものも増えることになります。免疫やDNA修復が簡単にできるなら、がん治療や予防の再重要課題として研究されるはずですが、そのような研究が最重要課題として専門家の認識にはなっていません。
原発事故までは、その法律どおり実行することを指導してきた専門家が突然、主張を変えてしまいました。今でもその人たちは、放射線実験施設の運用や除染については恐らく法律どおりに指導しているはずです。
閾値は無いということは恐らくそうと私も推測しますが確定されてはいません。法律では可能性が高いと考えて、一般人への被曝を少量から禁止しています。
閾値以下の被曝は被曝量とがん化する割合が比例するかどうかについてはさらに明らかではなく、いろいろな考え方(仮定、想定)がありえます。
ただ被曝量とがん化の割合が比例してもしなくても有害であることは変わりないので、被曝を減らすべきという結論は同じです。
低線量被曝がどの程度影響があるかはまだ分かっていませんが、セシウム放射能はカリウムと比べると考えやすいところがあります。
地球上のカリウムはどこのカリウムも同じ割合で放射能を持っています。カリウムは生体にとって不可欠で、細胞内と細胞外の水に溶けています。
細胞内外の水の量と、それぞれのカリウム濃度は腎臓によってプラスマイナス15%くらいの変動で一定に保たれていますから、体内のカリウム量とカリウムの放射能量も一定に存在しています。
60kgの人で約4000ベクレルです。セシウムとカリウムは性質や体内分布も、放射能の性質も似ています。
大人が毎日40ベクレルのセシウムを食べ続けると、血中濃度が高まって、やがて、1日で食べる量と尿から出る量とが同じになり、体内の総セシウム量は1日摂取量の約100倍、毎日40ベクレル食べ続けると4000ベクレルで安定します。
カリウムの放射能が倍に増えたと同じ見当になります。カリウムの放射能が発がん原因の50%を閉めることはありえませんが発がん原因の10%なのか0.1%なのかは分かりません。
いずれにしても、セシウムを毎日40ベクレル食べ続けるとカリウムの放射能の作用がおおよそ倍になったくらいと想定できます。
セシウムを毎日10ベクレル食べるとカリウムの放射能が25%増えた程度という見当です。
元々体内にあるカリウム放射能の作用があまり大きくなければこの量のセシウムの影響も少ないと考えられます。
カリウム放射能の作用がどの程度なのかは分かりませんが、セシウムによる内部被曝を考える目安として使うことができます。
少量の毒物摂取をどう考えるかについては初めのご質問の回答で書きました。
放射線以外の一般の毒物はうんと減らすと、害は全くありませんから「一定以下の量では全く害がない」という意味で一般の毒物は「閾値がある」ということになります。
「閾値」というのは厳密には、その値になると飛躍的に状態が変わる量をいいます。
例えばアルコールを含んだ空気の温度を徐々に上げていくとある温度で爆発する(突然状態が変わる)というような量(この場合は温度)のことです。
閾値という言葉を、ヘーゲルなど哲学者の言葉で表現すると、(温度の)量的変化が(爆発という)質の変化をもたらす量と表現することがあります。
従って、現在、低線量被曝で使われているような、一定量以上では徐々に効果が現れ始める量を閾値というのは厳密には正しくない使い方です。
2012.02.01 (Wed)
メルセゲル2さん「放射能を隔離するならありえる」について
メルセゲル2さん「放射能を隔離するならありえる」について。
要約
ご意見: 「光細菌が放射性物質を体内に取り込んでくれれば、α線とβ線は遮断し、EM菌が放射能に効果があると説明できるのではないか」
私の回答: 細菌は腸から吸収されない。だから組織や臓器、細胞まで細菌が到達して放射能を取り込むことはありえない。
(ブログを使いこなせていません。コメントで記入成功しないので記事で書きました)
メルセゲル2さんのご意見:
「光細菌が放射性物質を体内に取り込んでくれれば、γ線は遮断できなくてもα線とβ線は遮断してくれるのではないのでしょうか。
EM菌が放射能に効果があるという実験結果はこれで説明できるのではないでしょうか。
体内被爆でダメージが大きいのはα線とβ線ではなかったでしょうか。」
私の考え
メルセゲル2さんが、EM菌の作用を
①「腸の中」での作用として考えているのか、それとも
②「腸から吸収された血液や組織(狭義の体内)」
での作用のどちらを考えてのご意見か分からないので、それぞれについて述べます。
①「腸で吸収されず、腸内に存在する放射性物質に対するEM菌の作用」を考えられているとしたら、腸内の放射能はそのまま便として排泄されます。
だから、EM菌が放射性物質を取り込んでも取り込まなくても、あまり関係ありません。
便の中の特定の細菌に仮に放射能が取り込まれて、その結果、細胞の大きさの1/100 mm の遮蔽になったとしても、便の数mm、数cm の遮蔽の方が大きい。
腸管内のEM菌が、放射性物質を取り込んで若干遮蔽したとしても、そのために被曝が減るのは、これから排泄される大便が受ける被曝が少し減るだけです。
それは、臓器や細胞の被曝とは離れたところの出来事です。
便の中の細菌がどのように、体の組織を構成している臓器や細胞の遮蔽になって被曝を減らしますか?
②「光細菌が放射性物質を体内に取り込んでくれれば、γ線は遮断できなくてもα線とβ線は遮断してくれる」
という細菌の働きが、腸から吸収されて、血液中や各臓器、組織の場所で起こる反応と考えられているなら、それは、
腸から細菌が全身の組織や臓器に運ばれて生きているとということで、敗血症の状態です。
=細菌が全身に運ばれて増殖する、きわめて重症な全身性感染症。
有効な治療をしなければ、人は高熱を出して数日で死にます。
EM菌を経口摂取しても、敗血症を起こさないでしょうから、それは、腸から吸収されて全身に運ばれて、臓器や組織中で、増殖・活動していないことを意味します。
敗血症や全身感染症は低線量内部被曝より劇的ではるかに重大な事態です。
つまり、EM菌は腸から吸収されて、全身の細胞の近くに運ばれ、生きていたり増えたりしません。
従ってEM菌の働く場所が、①腸内の作用と考えても、②腸から吸収された体内での作用と考えても、どちらを考えられているとしても、EM菌はメルセゲツ2さんが言われるような作用で、有効には働かないと思います。
お考えをお聞かせください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「以下は、メルセゲツ2さんのご意見ではありませんが、
「酵素やEM菌は放射線・・・」に対するご意見
なのでまとめて掲載します。
(この後の文章は、本ブログ別記事「酵素やEM菌が放射線障害に有効か―まともな常識の整理―」の後のコメント欄に移動しました。)
要約
ご意見: 「光細菌が放射性物質を体内に取り込んでくれれば、α線とβ線は遮断し、EM菌が放射能に効果があると説明できるのではないか」
私の回答: 細菌は腸から吸収されない。だから組織や臓器、細胞まで細菌が到達して放射能を取り込むことはありえない。
(ブログを使いこなせていません。コメントで記入成功しないので記事で書きました)
メルセゲル2さんのご意見:
「光細菌が放射性物質を体内に取り込んでくれれば、γ線は遮断できなくてもα線とβ線は遮断してくれるのではないのでしょうか。
EM菌が放射能に効果があるという実験結果はこれで説明できるのではないでしょうか。
体内被爆でダメージが大きいのはα線とβ線ではなかったでしょうか。」
私の考え
メルセゲル2さんが、EM菌の作用を
①「腸の中」での作用として考えているのか、それとも
②「腸から吸収された血液や組織(狭義の体内)」
での作用のどちらを考えてのご意見か分からないので、それぞれについて述べます。
①「腸で吸収されず、腸内に存在する放射性物質に対するEM菌の作用」を考えられているとしたら、腸内の放射能はそのまま便として排泄されます。
だから、EM菌が放射性物質を取り込んでも取り込まなくても、あまり関係ありません。
便の中の特定の細菌に仮に放射能が取り込まれて、その結果、細胞の大きさの1/100 mm の遮蔽になったとしても、便の数mm、数cm の遮蔽の方が大きい。
腸管内のEM菌が、放射性物質を取り込んで若干遮蔽したとしても、そのために被曝が減るのは、これから排泄される大便が受ける被曝が少し減るだけです。
それは、臓器や細胞の被曝とは離れたところの出来事です。
便の中の細菌がどのように、体の組織を構成している臓器や細胞の遮蔽になって被曝を減らしますか?
②「光細菌が放射性物質を体内に取り込んでくれれば、γ線は遮断できなくてもα線とβ線は遮断してくれる」
という細菌の働きが、腸から吸収されて、血液中や各臓器、組織の場所で起こる反応と考えられているなら、それは、
腸から細菌が全身の組織や臓器に運ばれて生きているとということで、敗血症の状態です。
=細菌が全身に運ばれて増殖する、きわめて重症な全身性感染症。
有効な治療をしなければ、人は高熱を出して数日で死にます。
EM菌を経口摂取しても、敗血症を起こさないでしょうから、それは、腸から吸収されて全身に運ばれて、臓器や組織中で、増殖・活動していないことを意味します。
敗血症や全身感染症は低線量内部被曝より劇的ではるかに重大な事態です。
つまり、EM菌は腸から吸収されて、全身の細胞の近くに運ばれ、生きていたり増えたりしません。
従ってEM菌の働く場所が、①腸内の作用と考えても、②腸から吸収された体内での作用と考えても、どちらを考えられているとしても、EM菌はメルセゲツ2さんが言われるような作用で、有効には働かないと思います。
お考えをお聞かせください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「以下は、メルセゲツ2さんのご意見ではありませんが、
「酵素やEM菌は放射線・・・」に対するご意見
なのでまとめて掲載します。
(この後の文章は、本ブログ別記事「酵素やEM菌が放射線障害に有効か―まともな常識の整理―」の後のコメント欄に移動しました。)
2012.01.26 (Thu)
「酵素やEM菌が放射線障害に有効か」 ――まともな常識の整理――
「酵素やEM菌が放射線障害に有効か」
――まともな常識の整理――
要約
・ 放射能は分子ではなく原子の性質なので細菌や化学反応で減らせない。できるのは移動だけ。だから、EM菌が放射能を取り込んで移動させるというのではなく、取り込んで放射能を減らすことはない。土壌の放射能を減らせない
・ 細菌や酵素は腸から吸収されない。だから経口摂取したEM菌や酵素が、組織や臓器に到達して作用することはない。
「発酵食品(の酵素)が傷ついたDNAを修復する」とTwitterで発言された方に
「①納豆、漬物等にDNAを修復する酵素はあるか、②食物の酵素が分解変性されずに血液に吸収されるか、③DNAが存在する細胞内に入るか」と返信しました。
控えていましたが、自由に怯えることなく発言でき、論理的で健全な議論を保障し、人が敬意を持って関係しあう、健全な社会を作っていくために、批判すべきことはきちんと批判すべきだと考えるようになりました。
Twitter で述べたことを含めて、箇条書きにします。
「EM菌で畑の放射能が減るか」:
減らない。放射能は分子ではなく原子の性質なので、微生物や化学反応、人間の力では減らせない。
できるのは移動だけ(体内を含め、移動の話は今回は省略)。
「減る」という人はそれを証明して全てのまじめな反論に回答する義務がある。
「体内の放射能には?」:
放射線の化学作用の多くは細胞内で起こる。
EM菌(細菌)が人体の細胞で働くためには、腸から吸収されて血液に混じって、全身の細胞に運ばれなければならない。
しかし、細菌は腸から吸収されない。
細菌が腸から組織や血液に入り込んだらすぐ殺菌される。
腸の中には、常に、無害な細菌が沢山いる。
EM菌など、無害な細菌でも、もし、それが吸収されて血液の中で生き続けたら、全身に運ばれて繁殖し、高熱を出して、人は数日で死ぬ(敗血症)。
敗血症を起こしていないということは、細菌が血液中にいないことを意味している。
「EM菌が体の中で放射線による化学反応を減らすか」:
放射能によって生じる障害を減らさない。
放射線障害の機序のほとんどは細胞内で起こる。
(放射能を排泄など移動させることについて今回は省略)。
たとえ、注射して血液中に細菌を入れても、細菌は細胞内に入らない。
「EM菌、味噌、納豆などの酵素は有効か。腸から吸収されるか?」:
誤り。 酵素は大きな蛋白分子。
経口摂取したら小さな分子(アミノ酸)にまで消化分解されて、わずかな蛋白栄養として吸収されるだけ。
もし酵素が腸からそのまま吸収されるなら、酵素たっぷりの生野菜や刺身を食べたら人は死ぬ。
自分の消化酵素も吸収して体中が消化されて死ぬ。
「味噌、納豆などの酵素が人の細胞内で、放射線障害を減らす?」:
誤り。放射線が、過酸化物を作ったりして、DNAなどを損傷するのは細胞の中。
食べた酵素は腸から吸収されない。
仮に注射して血液に入れても、すぐに不活化される。
普通の細胞の細胞膜は通過しないので、細胞内に入らない。
(入るなら、細胞も人も生きられない。詳細は省く)。
「酵素」とは①。
物としては蛋白質の大きな分子。
人も動物も植物も何千種類の酵素を作っている。
微生物が作る酵素の種類は少ない。
DNAは蛋白を作るための設計図(遺伝子)なので、それぞれの酵素(蛋白)の遺伝子もそれぞれ、DNAの特定の場所にある。
「酵素」とは②。
蛋白やDNAや体内のあらゆる物質(分子)を作ったり、壊したり、化学的に変化させる働きを持つ蛋白。
厳密に特定の物質の特定の部位だけに作用する。
蛋白やDNAなどの物質を作る酵素も、壊す酵素も、作用が異なる沢山の種類がある。
酵素の作用で変化を受ける分子(基質)の、細かいひとつひとつの作用点は酵素ごとに厳密に決まっている。
他の物質には全く作用しない。
「酵素」とは③。
例えば唾液やすい臓から分泌される膵液に含まれるアミラーゼはでんぷんを少し分解する。
第1段階で分解されたでんぷんは、更にブドウ糖にまで消化、分解されて腸から吸収される。
吸収されたブドウ糖は血液から細胞に吸収されて更に分解・代謝(生体内で、酵素の作用によって分子が分解したり構造が変わること)されて、最後は水と炭酸ガスとエネルギーになる。
エネルギーを出したり、様々な物質を作る材料になる。
この過程だけでも、何十種類の酵素が関係している。
全ての酵素の構造、作用、作用の仕方、作用の調節や酵素の名前は、全ての酵素で詳しくわかっている。
全ての酵素には、一つ一つ名前がついている。
ここまでは中学理科や、高校生物程度の一般教養的基礎知識。
専門家ではないが、一般的な専門的教養知識とは、蛋白や酵素の構造についての一般的理論や、酵素作用の、数学的、化学的なことを基本的に理解していること。
専門的知識とはいくつかの酵素について、構造も機能も遺伝子も何でも知っていること。
研究者とはその知識を持った上で、実験をして新しい事実を発見し、証明する人。
基礎知識がない人が、科学の世界で承認されている基本的認識を覆す、でまかせ解説をすべきではない。
もし主張が正しいなら、それを証明して論文を2つ書けば世界のどの大学の教授にでもなれるほどの大発見です!
聞きかじりで、正しさを自分で説明できないことを、真実であるとして、でまかせの「解説」や「指示、指導」をしてはいけない。
酵素の正確な作用を言わないで「酵素の働きで」というのは殆ど怪しい。
何事でも、「解説」する人は基本知識を持っていなければいけない。
内容に責任を持たない=正しさを自分で説明できない、聞きかじりの知識で自分が考えることはかまわないが、他を非難したり、他人や社会に断言した解説や指示をすべきではない。
誤っていることを解説する人の分類
① 無知なのに他人に、解説や指示する。テレビアナウンサーも毎日している、日本のメディアも異常。
② でまかせ
③ 誤りと知っていて言う嘘、確信犯。
どれもまずい。なぜまずいか、どれほどまずいか、それが人や社会にどのように作用しているかを、深く考えよう。
解説や指図をする人は、正しさを証明して全ての反論に回答する義務がある。
「聞いたことを言っただけです」は無責任なことばで、これが看過、黙認、通用するまともな社会はない。
これはおそらく日本でしか通用しないことば。
「嘘だというなら嘘と証明しろ」というのは論理を知らない無知の暴論。
これが暴論であるとわかる、論理と知性をもちましょう。
「嘘やでまかせの解説や、主張をしてはいけない」「あざむいてはいけない」ということは、科学知識の問題ではなく、人として、社会としての、誠実さ、まともさの問題。
誤ったことの吹聴は他人の判断を誤らせ、他人と社会に損害を与える。
誤りへの妄信は、自分と社会の知性と健全性を損なう。
人や社会を欺いてはいけない。
真実ではないでまかせを根拠に、他人を非難してはいけない。
嘘やでまかせで他人を批判することを黙認すると、恐怖社会になる。
日本はかなり、自由に発言できない恐怖社会になっている。
――まともな常識の整理――
要約
・ 放射能は分子ではなく原子の性質なので細菌や化学反応で減らせない。できるのは移動だけ。だから、EM菌が放射能を取り込んで移動させるというのではなく、取り込んで放射能を減らすことはない。土壌の放射能を減らせない
・ 細菌や酵素は腸から吸収されない。だから経口摂取したEM菌や酵素が、組織や臓器に到達して作用することはない。
「発酵食品(の酵素)が傷ついたDNAを修復する」とTwitterで発言された方に
「①納豆、漬物等にDNAを修復する酵素はあるか、②食物の酵素が分解変性されずに血液に吸収されるか、③DNAが存在する細胞内に入るか」と返信しました。
控えていましたが、自由に怯えることなく発言でき、論理的で健全な議論を保障し、人が敬意を持って関係しあう、健全な社会を作っていくために、批判すべきことはきちんと批判すべきだと考えるようになりました。
Twitter で述べたことを含めて、箇条書きにします。
「EM菌で畑の放射能が減るか」:
減らない。放射能は分子ではなく原子の性質なので、微生物や化学反応、人間の力では減らせない。
できるのは移動だけ(体内を含め、移動の話は今回は省略)。
「減る」という人はそれを証明して全てのまじめな反論に回答する義務がある。
「体内の放射能には?」:
放射線の化学作用の多くは細胞内で起こる。
EM菌(細菌)が人体の細胞で働くためには、腸から吸収されて血液に混じって、全身の細胞に運ばれなければならない。
しかし、細菌は腸から吸収されない。
細菌が腸から組織や血液に入り込んだらすぐ殺菌される。
腸の中には、常に、無害な細菌が沢山いる。
EM菌など、無害な細菌でも、もし、それが吸収されて血液の中で生き続けたら、全身に運ばれて繁殖し、高熱を出して、人は数日で死ぬ(敗血症)。
敗血症を起こしていないということは、細菌が血液中にいないことを意味している。
「EM菌が体の中で放射線による化学反応を減らすか」:
放射能によって生じる障害を減らさない。
放射線障害の機序のほとんどは細胞内で起こる。
(放射能を排泄など移動させることについて今回は省略)。
たとえ、注射して血液中に細菌を入れても、細菌は細胞内に入らない。
「EM菌、味噌、納豆などの酵素は有効か。腸から吸収されるか?」:
誤り。 酵素は大きな蛋白分子。
経口摂取したら小さな分子(アミノ酸)にまで消化分解されて、わずかな蛋白栄養として吸収されるだけ。
もし酵素が腸からそのまま吸収されるなら、酵素たっぷりの生野菜や刺身を食べたら人は死ぬ。
自分の消化酵素も吸収して体中が消化されて死ぬ。
「味噌、納豆などの酵素が人の細胞内で、放射線障害を減らす?」:
誤り。放射線が、過酸化物を作ったりして、DNAなどを損傷するのは細胞の中。
食べた酵素は腸から吸収されない。
仮に注射して血液に入れても、すぐに不活化される。
普通の細胞の細胞膜は通過しないので、細胞内に入らない。
(入るなら、細胞も人も生きられない。詳細は省く)。
「酵素」とは①。
物としては蛋白質の大きな分子。
人も動物も植物も何千種類の酵素を作っている。
微生物が作る酵素の種類は少ない。
DNAは蛋白を作るための設計図(遺伝子)なので、それぞれの酵素(蛋白)の遺伝子もそれぞれ、DNAの特定の場所にある。
「酵素」とは②。
蛋白やDNAや体内のあらゆる物質(分子)を作ったり、壊したり、化学的に変化させる働きを持つ蛋白。
厳密に特定の物質の特定の部位だけに作用する。
蛋白やDNAなどの物質を作る酵素も、壊す酵素も、作用が異なる沢山の種類がある。
酵素の作用で変化を受ける分子(基質)の、細かいひとつひとつの作用点は酵素ごとに厳密に決まっている。
他の物質には全く作用しない。
「酵素」とは③。
例えば唾液やすい臓から分泌される膵液に含まれるアミラーゼはでんぷんを少し分解する。
第1段階で分解されたでんぷんは、更にブドウ糖にまで消化、分解されて腸から吸収される。
吸収されたブドウ糖は血液から細胞に吸収されて更に分解・代謝(生体内で、酵素の作用によって分子が分解したり構造が変わること)されて、最後は水と炭酸ガスとエネルギーになる。
エネルギーを出したり、様々な物質を作る材料になる。
この過程だけでも、何十種類の酵素が関係している。
全ての酵素の構造、作用、作用の仕方、作用の調節や酵素の名前は、全ての酵素で詳しくわかっている。
全ての酵素には、一つ一つ名前がついている。
ここまでは中学理科や、高校生物程度の一般教養的基礎知識。
専門家ではないが、一般的な専門的教養知識とは、蛋白や酵素の構造についての一般的理論や、酵素作用の、数学的、化学的なことを基本的に理解していること。
専門的知識とはいくつかの酵素について、構造も機能も遺伝子も何でも知っていること。
研究者とはその知識を持った上で、実験をして新しい事実を発見し、証明する人。
基礎知識がない人が、科学の世界で承認されている基本的認識を覆す、でまかせ解説をすべきではない。
もし主張が正しいなら、それを証明して論文を2つ書けば世界のどの大学の教授にでもなれるほどの大発見です!
聞きかじりで、正しさを自分で説明できないことを、真実であるとして、でまかせの「解説」や「指示、指導」をしてはいけない。
酵素の正確な作用を言わないで「酵素の働きで」というのは殆ど怪しい。
何事でも、「解説」する人は基本知識を持っていなければいけない。
内容に責任を持たない=正しさを自分で説明できない、聞きかじりの知識で自分が考えることはかまわないが、他を非難したり、他人や社会に断言した解説や指示をすべきではない。
誤っていることを解説する人の分類
① 無知なのに他人に、解説や指示する。テレビアナウンサーも毎日している、日本のメディアも異常。
② でまかせ
③ 誤りと知っていて言う嘘、確信犯。
どれもまずい。なぜまずいか、どれほどまずいか、それが人や社会にどのように作用しているかを、深く考えよう。
解説や指図をする人は、正しさを証明して全ての反論に回答する義務がある。
「聞いたことを言っただけです」は無責任なことばで、これが看過、黙認、通用するまともな社会はない。
これはおそらく日本でしか通用しないことば。
「嘘だというなら嘘と証明しろ」というのは論理を知らない無知の暴論。
これが暴論であるとわかる、論理と知性をもちましょう。
「嘘やでまかせの解説や、主張をしてはいけない」「あざむいてはいけない」ということは、科学知識の問題ではなく、人として、社会としての、誠実さ、まともさの問題。
誤ったことの吹聴は他人の判断を誤らせ、他人と社会に損害を与える。
誤りへの妄信は、自分と社会の知性と健全性を損なう。
人や社会を欺いてはいけない。
真実ではないでまかせを根拠に、他人を非難してはいけない。
嘘やでまかせで他人を批判することを黙認すると、恐怖社会になる。
日本はかなり、自由に発言できない恐怖社会になっている。
2012.01.22 (Sun)
内部被曝の数値をどう理解するか
内部被曝の数値をどう理解するか
要旨
・ 毎日セシウムを摂取すると全身のセシウムは、1日摂取量の100倍くらいで安定する。毎日100ベクレルセシウムを摂取すると全身で10000ベクレルたまった状態で安定する。食べるのをやめると、徐々に低下する。
・ セシウムとカリウムは似ているので、カリウムは考える基準に使える。カリウム放射能は60kgの人で約4000ベクレルある。
・ 常に4000ベクレルのセシウムが体内にあったとすると、カリウムの放射能が2倍になったと同じ位の作用と考えられる。がんの何%がカリウムによるはわからないが10%以上の可能性は少ない。1%以下かもしれない。そうであればセシウムの4000ベクレルの発がん作用もその程度と考えられる。
:「講演『被曝をどう避けるか』要旨」についてkkko さんからいただいたご質問に応えるスタイルで書きます。
埼玉県のkkko さん、適切なご意見と質問ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・以下、kkko さんのご意見と質問・・・・・・・・・・・・・・
セシウムを毎日摂取した時の計算
> 1年あたりミリシーベルト
> =(1日に食べるBq)×(365日)×0.0073
> 毎日100Bq 食べると 1年で約1ミリシーベルト*
> =100Bq×0.0073=0.73ミリシーベルト
>
> 60kg の成人が毎日食べ続けて平衡状態に達した時の
> 体内セシウム放射能
> 凡そ(1日に食べるBq)x約100
> 毎日100Bq 食べると約1年で
> =10000Bq に落ち着く (Kは60kg 成人で4000Bq)
埼玉県の一般市民です。ブログ記事内の上記内容について二点、質問がございます。
①「平衡状態」というのは、具体的にどのような状態でしょうか?
②「10000Bqに落ち着く」というのは、落ち着いて以降毎日セシウム131と137の影響を計10000Bqぶんずつ受け続ける状態に落ち着くということですか?また、
③最後の括弧内の「K」とは何でしょうか?
④一日に○○Bqのセシウムを摂取し、それを長期間続けた場合、健康にどれほどのリスクをもたらすものなのか。何万分の一の死亡確率なのか、何十分の一の死亡確率なのか。死亡するというのはいつの話なのか。明日なのか80歳を過ぎる頃なのか。砂利道を歩いていて、靴の中に石ころが飛び入るような確率なのか、それとも雨粒を全て避けるような無謀な道なのか。少々誇張しましたが、それでも実際、ただの「危険」や「安全」といった言葉からは、具体的な情報が伝わって来ず、自分の価値観と照らし合わせることも困難です。
> 1年あたりミリシーベルト
> =(1日に食べるBq)×(365日)×0.0073
> 毎日100Bq 食べると 1年で約1ミリシーベルト*
> =100Bq×0.0073=0.73ミリシーベルト
⑤上記2行目の計算式に「1日に食べるBq」を代入することによって、年間のmSvの値が出るのであれば、4行目の計算式から「365日」が抜けているのはどうしてですか? 365を掛ける計算が抜けているとなると、上記の結果の値は「1日あたり」ということになりますが、1日あたり100Bqだとしたら、年間約266mSvの計算になってしまいませんか。
⑥1日に摂取するであろうBqの値から、健康への影響を具体的・数値的に算出できる電卓ソフトなどがあれば、計算の苦手な私のような者でも感覚的に理解しやすく、日常生活に取り入れたり、行動の判断もしやすいのですが……。
こちらのブログのページ左側の計算機によれば、岡山先生も仰るように、
⑦セシウム131と137を毎日100Bqずつ1年間摂取した場合の合計値はおよそ1mSvのようです。が、その1mSvというのは具体的にどれくらい危険なのか。排泄なども考慮に入れて、いつの日かに体内に残留している放射性物質が1mSvぶんだとして、それはつまり、毎日1mSvぶんの健康被害を受けるということなのか。わからない点が多いです。
⑧現状、たとえば、目の前の野菜を食べることがどれほどの危険を伴うのか判断するのに時間がかかりすぎて、日常生活に、何十年後の自分自身の未来に、次以降の世代に、大きな負担をかけてしまいます。私は、できるだけ早く自己判断をして、腑に落ちない感覚を捨て、本来歩みたい方向へ歩き出したいのです。
・・・・・・・・・・・・ 以上、 kkko さん。2012-01-16。 以下、岡山博 の回答 ・・・・・・・・
適切なご質問をいただきありがとうございます。①-⑦と番号を入れさせていただきました。
① から順に書きます。ご質問いただいて見直したところ、⑤に関して重要な記載ミスがありました。ブログもお詫び、訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
①「平衡状態」というのは、具体的にどのような状態でしょうか?
平衡状態というのは出る量と入る量の速さがつり同じでつりあっていて、動かないように見える状態です。厳密には「平衡状態」ではなく「定常状態」と言うほうが正しいのですが、聞きなれない言葉と考えて、少し違うが「平衡状態」と書きました。
セシウムを例に述べます。
通常、放射性セシウムは体内に存在しないので、汚染食品を食べ始めた時には、体内に存在する量はゼロですから、尿中に排泄されません。
だから、セシウムに汚染された食品を食べ始めてしばらくの間は、毎日食べても、尿として捨てられる量はわずかです。
食べ続けると、細胞内にセシウムが蓄積されて濃度が上昇します。細胞内よりはかなり低い濃度で、細胞外液のセシウム濃度も上昇していきます。血液中の濃度(細胞外液の濃度と同じ)が上がるとそれに伴って尿中への排泄が増えます(メカニズムは複雑なので省略)。
このようにして排泄量が増えていくと、あるところで、体から1日で尿などとして排泄される量は、1日に食べる量と等しくなり、その後、毎日同じ量を食べ続ければ、細胞内や、体内のセシウムは増えも減りもせず一定のレベルを保つことになります。
これが平衡(正しくは定常)状態です。定常状態は毎日食べる量と、排泄される早さ(生理的半減期)から、少し難しい式を使って計算できます。記述した値は、成人のセシウム生理的半減期を3~3.5ヶ月として計算したおおよその値です。排泄量を増やしたり(=生理的半減期を短縮する。子どもは短い)、食べる量を減らせば体内に解けているセシウム濃度は低い濃度で定常状態として安定します。
② 「10000Bqに落ち着く」というのは、落ち着いて以降毎日セシウム131と137の影響を計10000Bqぶんずつ受け続ける状態に落ち着くということですか?」
そうです。体内に常に10000 Bq のセシウムがある状態で安定しているので、この状態では10000 Bq (1秒につき、放射線10000回)の被曝を受け続けます。
③「最後の括弧内の「K」とは何でしょうか?」 「K」 は カリウム元素をあらわす元素記号です。ちなみに水素の元素記号は H、 酸素は O、ヨウ素は I 、セシウム は Cs です。 説明不足ですみませんでした。
④と⑤については⑦の後にのべます。
⑥1日に摂取するであろうBqの値から、健康への影響を具体的・数値的に算出できる電卓ソフトなどがあれば、計算の苦手な私のような者でも感覚的に理解しやすく、日常生活に取り入れたり、行動の判断もしやすいのですが……。 NET で「ベクレル シーベルト換算」を検索すると換算ソフトや換算表、解説が、問題意識に応じて、簡単なものから、専門的なものまでがたくさん紹介されています。それをみても良いですが、シーベルトという表現はそれほど厳密な意味を待っていないと私は考えているので、もしその程度のことでよければ、⑤で訂正、説明した式を使うだけで十分で、それも不要かも知れないと思います。
⑦「セシウム131と137を毎日100Bqずつ1年間摂取した場合の合計値はおよそ1mSvのようです。が、その1mSvというのは具体的にどれくらい危険なのか。排泄なども考慮に入れて、いつの日かに体内に残留している放射性物質が1mSvぶんだとして、それはつまり、毎日1mSvぶんの健康被害を受けるということなのか。わからない点が多いです。」
ここで言う1mSvというのは正しくは1mSv/年で一年間に被爆する総量です。1時間当たりだと割り算して 1年は8760時間なので1.14マイクロシーベルト/時となり、被曝が同じレベルで安定した状態であればこの2つの値は同じ意味です。1時間当たり1.14マイクロシーベルト被曝を1年続けていると合計して、1年1mSvの総量になります。被曝レベルが変化している場合は、1時間あたりの被曝量を1時間ずつて8760時間分を1年間続け足し算し続けると1年間の被曝量になります。
Bq (ベクレル)というのは、1秒間に放出される放射線の回数です。人の都合とは関係ない、自然を測った客観的数字です。正確に表現され正確に理解できます。ただ、放射線はいろいろ種類や、エネルギーの大きさ、生体への影響の仕方などが異なりますが、放射線の性質や強さに一切関係なく、1秒間に何回出るかだけを表すので、生体への作用を考えるときは、同時に他の知識が必要です。
一方、Sv (シーベルト)は、低線量被曝の管理という人の便利さの為に、大まかな、便利な目安として、あれこれの想像や仮定をおいてその上でかなり無理に数値化したもので、客観的な数字ではありません。例えば、レントゲンで使う放射線(ガンマ線の続き)とセシウム内部被曝による放射線は、放射線の性質も、生体に与える影響の質も量も全く異なるので、本来は一つの指標で測って比べることができないのですが、被曝管理の利便性のために、いろいろなことを無理に仮定して、共通の単位で無理に表したものです。
放射線被曝ではなく、いろいろな有毒物質の毒作用を例にして考えると分かりやすいです。
有毒なものとは、血圧を下げる、心臓に不整脈を起こす、出血させる、筋肉の力を失わせる、能の働きを抑える、呼吸が止まる、腎臓が破壊されて尿が作れなくなるなど、様々なものがあります。高温や低温、酸素不測などでもよいですが、これらの有害なもの大量に与えたとき、半数の人が死亡する量を測って、死ぬ量を指標に表現して比べることはできます。
しかし、その1/10や1/100くらいの少ない量を与えたとき、殆どの人は死にませんがそれぞれの毒の性質に応じて異なった種類の障害を生じます。この異なった傷害は、種類が違うので、毒性の程度、危険度を比べることはできません。
例えば、危険な不整脈が1分間に5回出たのと、腎機能の70%が損傷した、意識レベルが低下した、などという、異なる種類の、死に至らない有毒作用や、病態を、どちらのほうがが体にとって有害かを比べることはできません。別のたとえでは、不整脈が5回でる障害と同程度の傷害は、指1本の麻痺に価するのかそれとも左の腕と足全体の麻痺と同じ程度のものかというような、比較できません。
このように本来は比較不可能な障害に対して「この不整脈の障害程度は右腕1本の障害と同じ程度の障害だ」というように、あるいは、「1分5回の不整脈を生じさせる毒性の強さは、計算能力を20%に落としてしまう程度に能を傷害する毒物の有害作用の大きさ」として、同じ数字で表現して、同じ数字であれば、同じ程度の毒作用、有害作用としよう」というようなものです。
異なる作用を同じ指標で比べるこという不可能なことを、便宜的に無理して表現しようとして作ったのがシーベルトという単位なので、大きな、多くの、基本的な問題があります。
目安の値を決めた人たちの都合が入り込む可能性もあります。「どのように有害か」を無視して、「とにかくどれくらい有害か」という数字です。だから、ひとまずの目安として使うことは可能ですが、大体の目安でしかありません。
「セシウムの100ベクレルと、ヨウ素の100ベクレルは異なるから、ヨウ素の傷害作用はセシウムの何倍の強さだろうと考え、子どもは大人より感受性が高そうだから、セシウムに関しては子どもは大人の何倍影響があると考えよう」という仮定をたくさん作ってベクレルとして測定された客観的数字に掛け算や足し算をしてはじき出した数字がシーベルトです。
ヨウ素の100ベクレルをシーベルトに計算すると、大人と子どもはベクレルに掛け算する係数が違うと決めてあるので計算によってでた価は、同じ放射能の強さ(ベクレル)であっても、シーベルトの価は子どもと大人では異なります。
仮定が正しくなければ信頼できる数字にはなりませんが、正しい仮定ができるほど、これまでに被曝影響のデータはありませんから、シーベルトであらわされた数字の信憑性はさほど高くありません。
もう一つの問題は、シーベルトを計算するために作った仮定は、ICRPという国際組織が見積もったもので、これを元に日本や多くの国や国際組織の法律や基準が作られています。
ICRPの委員の多くは原子力産業に関係して利益を受けうる立場の団体出身で、ICRPの運営資金の一部はそのようなところから出されていることなどから、シーベルトを算定する係数の決定には、委員の社会的立場が反映され、内部被曝が過小評価されているなどの批判があります。
ヨーロッパの科学者などが作っている民間団体、ECRR は現実の放射線障害は、障害内容によっては、ICRPの見積もりより100倍以上高いと主張しています。
法律や基準として使われているので、シーベルト表示も使いますが、特に内部被曝について指標として使えるほどの信憑性には疑問があり、私はあまり有効ではなく、かえってわずらわしくしているところがあると考えています。
以上のことを理解したとして、ひとまずSv の数字の評価について述べます。
外部被曝で100mSv という価は、被曝すると1000人に5人があらたに癌で死亡することに対応する被曝量です。内部被曝であっても、同じシーベルトであれば生体に対する障害の程度は同じになるようにと作った単位ですから、セシウムの内部被曝20ミリシーベルトも同じように1000人に1人が癌死するはずの被曝量であるはずです。
しかし、ECRRは「ICRP の内部被曝による影響は著しく過小評価しすぎている」と批判していますからその考えによればそれより多くが新たに死ぬ被曝量ということになります。
両者の内部被曝危険性に関する評価は著しく異なっている,つまり内部被曝を評価するシーベルトの値の意味づけの正確さはこの程度です。
私は実際の発癌危険の程度はその間くらいと想像しますがどの程度かは分かりません。分析して結論を出せるだけの十分な被曝データが無いので、恐らく世界の誰も分かりません。
私は、内部被曝だけでなく、外部被曝の指標ももシーベルトにせず、ベクレルのままのほうが客観的で分かりやすいと考えています。そのほうが放射線源の種類とベクレルが分かると、客観的に考えることとができます。
シーベルトで表される数字はその程度の信頼性しかない単位として考える参考にしたら良いと考えています。
それを了解したうえで言えば、ICRP基準にのっとれば、100ミリシーベルト被曝で新たに1000人の中で5人が癌死する、被曝量に比例する確率的作用と考えられているから、1mシーベルトではその1/100ということです。ECRRの考えではそれよりずっと多いとなります。誰も確定できません。
おっしゃるとおり、よく分からないうえに新しい単位と数字を入れてなおさらわずらわしい、その通りと私も考えています。シーベルトの値は絶対視せずに、「現在詳しくは分からないがこのような可能性があると」いう表現が正しいと考えます。
④「一日に○○Bqのセシウムを摂取し、それを長期間続けた場合、健康にどれほどのリスクをもたらすものなのか。何万分の一の死亡確率なのか、何十分の一の死亡確率なのか。死亡するというのはいつの話なのか。明日なのか80歳を過ぎる頃なのか。砂利道を歩いていて、靴の中に石ころが飛び入るような確率なのか、それとも雨粒を全て避けるような無謀な道なのか。」
これが最も重要な問題で、いろいろな考えや主張はありますが、だれもわかりません。日本の文化と日本語は、事実と認識、評価の区別があいまいなことが多いので、更にあいまいにしています。広島・長崎の原爆被爆やチェルノブイリで多くの被曝者が出ましたが、これだけのデータでは少なすぎて、医学的影響を断定することができず、推定するにも不十分で、放射線被曝障害の種類と程度、規模を十分に予測できません。現在のデータと知識では十分な根拠を持って推定することも困難です。
私は、セシウムの放射能の性質と、体内での挙動はカリウムと似ているので、カリウムを基準に考えることができるかもしれないと考えています。
カリウムは生体にとって必須で、通場は 15%以上は変動せず、体内で一定に保たれていますから、カリウムによる内部被曝量は常に一定で、60kg の体重の人は約4000 ベクレル(1秒間に放射線を4000回)被曝しています。
カリウムでもセシウムでも同じで、カリウム放射能は自然に昔からあるから無害ということはなく、カリウムによる放射線被曝生涯をうけながら、私たちは生きています。
被曝はないほうが良いのですが、放射能がないカリウムはないので、カリウムの放射能がない状態での観察はできません。いくつか想像できることはありますが、カリウムの放射能の影響について真実は分かりません。
ひとまず、放射線の様々な影響の中で、考えやすく、危険で目立つ癌について考えてみます。
癌を生じさせる原因はたくさんあります。カリウムの放射線もその一つとして関与しているはずです。カリウムの放射線が癌の原因のどの程度なのかは分かりません。癌の種類や年齢によっても違うとはずです。癌の原因にはたくさんありますから、カリウムが発癌原因の100%ということはありません。カリウム放射能が発癌原因の中で10%程度なのか。1万分の1程度なのか分かりません。
セシウムの放射能と生体内挙動はカリウムと似ているので、セシウムによる内部被曝が起きたとき、おおよそのレベルでは、カリウムの放射能が増えたと置き換えて考えることが可能かも知れません。そうすると、60kgの成人が毎日40Bqのセシウムを食べて、4000 Bqで定常状態になったときには、カリウムの放射線被曝が倍になったと考えて、カリウムによる発癌作用が2倍になったと考えることができます。
発癌原因の10%がカリウム放射線であるとすれば発癌は20%にふえ、1/1000がカリウム放射線によるとすれば2/1000にふえるということです。
このような考えで整理して理解することは可能と思います。
発癌におけるカリウムの関与が高いほうの可能性については、発癌は放射線量に比例し、生体内の複雑な相互作用が同働くかなどは無視して考えると、見当がつきます。
発がんは100%カリウムが原因と仮定した場合、成人が毎日40ベクレルのセシウムを摂取して、セシウム放射能がカリウムと同じ4000ベクレルになって、この内部被曝を一生受けた時に、癌最大値は現在の発癌が倍になると推測することは可能です。
発癌におけるカリウムの関与が少ない場合の可能性については、癌の原因の何パーセントがカリウムなのか分からないのでそれ以上厳密な話にはなりません。
放射線被曝は、ないほうが好ましいが、やむを得ず受け入れるとしたら、いろいろな努力・負担と引き換えにして「いやだけれど、自然のカリウム放射線よりどの程度高いところまでは、我慢して容認するレベルと考えるか」、ということです。
これは個人が目安として活動・生活することでもあり、各人一人一人と社会が考えて相談して社会として決めるべきことでもあって、自然科学としての医学からは離れた問題です。
それを医学の専門家に判断を任せたり、専門家と称する人たちが、特別の権限があるかのようにして決めて解説し、社会と他人を従わせようというのは正しくないというのが私の考えです。
⑤上記2行目の計算式に「1日に食べるBq」を代入することによって、年間のmSvの値が出るのであれば、4行目の計算式から「365日」が抜けているのはどうしてですか? 365を掛ける計算が抜けているとなると、上記の結果の値は「1日あたり」ということになりますが、1日あたり100Bqだとしたら、年間約266mSvの計算になってしまいませんか。
ブログ記事は重要な記載間違いです。ご指摘に感謝し、お詫びして訂正し、その上でご質問に回答します。ブログの記載誤りはお詫び、訂正しました。
ブログでは次のようになっていました。以下はブログ掲載文のコピーと訂正、コメントです。
[放射能の単位
l ベクレル:1秒間に放出される放射線の回数
l シーベルト(旧 REM):
さまざまな仮定・推測をして計算した体に与える影響の大きさの値
実効線量、性質の異なる危険性を、無理に同じ単位で表す
換算法: 核種に対する実効線量係数をかける
例)100 Bqのヨウ素131を1回、経口摂取した場合の被曝量をμSvに変換するには
実効線量係数0.022 (成人)をかける。
100 Bq× 0.022= 2.2 μSv
それを100回摂取した場合は
100 Bq×100 ×0.022=220 μSv
=0.22 mSv
セシウムを毎日摂取した時の計算
1年あたりミリシーベルトは
(誤り): (1日に食べるBq)×(365日)×0.0073
(正しい): (1日に食べるBq) ×0.0073
理由は
1年あたりミリシーベルトは1年に食べるセシウムのベクレルに、0.022 と決められている実効線量係数をかけるとシーベルト。
ここでは実効線量係数 0.022を0.02と簡略して使い、μSv を、mSv表示にするために1/1000倍して0.0073です。
「1日で食べるベクレルに0.0073をかけると1年間で被爆するシーベルト」です
『毎日100Bq 食べると 1年で約1ミリシーベルト*
=100Bq×0.0073=0.73ミリシーベルト』
100 Bqを食べると1回で
100 Bq× 0.022= 2.2 μSv
改めて、適切なご意見と質問ありがとうございます。
・・・ブログの誤り記載は以下のように詳しく説明し訂正しました。・・
放射能の単位
ベクレル:1秒で出る放射線の数
シーベルト(旧 REM):
さまざまな仮定・推測をして計算した体に与える影響の大きさの値
実効線量、性質の異なる危険性を、無理に同じ単位で表す
換算法: 核種に対する実効線量係数をかける
例)100 Bqのヨウ素を1回、経口摂取した場合は、
実効線量係数0.022( (セシウムであれば0.019)(成人)
ヨウ素でもセシウムでも大まかに0.02としてかけると
100 Bq× 0.02= 2 μSv
(100 Bq 食べると2 μSv 被曝する)
セシウムを毎日摂取した時の計算
1年あたりミリシーベルト
=(1日に食べるBq)×(365日)×0.02×1/1000(mSv/ 年)
(×1/1000は μSv を mSvに直すため)
=(1日に食べるBq)× 0.0073(mSv/ 年)
毎日100Bq 食べると
=100Bq×0.0073=0.73 mSv (約 1 mSv)1年で被曝する
60kg の成人が毎日食べ続けて平衡状態に達した時の
体内セシウム放射能は
1日に食べるBq の約100倍(子どもは半減期短いのでそれより低値)で安定する。
毎日100Bq 食べると約1年で 全身に含まれるセシウムは
100Bq ×100 倍=10000 Bq に落ち着く
(60kg 成人で K の4000Bq の 2.5 倍)
・・・・・・・・・・・・・・・・
以上お詫びと訂正、解説です。
ありがとうございました。
岡山博
要旨
・ 毎日セシウムを摂取すると全身のセシウムは、1日摂取量の100倍くらいで安定する。毎日100ベクレルセシウムを摂取すると全身で10000ベクレルたまった状態で安定する。食べるのをやめると、徐々に低下する。
・ セシウムとカリウムは似ているので、カリウムは考える基準に使える。カリウム放射能は60kgの人で約4000ベクレルある。
・ 常に4000ベクレルのセシウムが体内にあったとすると、カリウムの放射能が2倍になったと同じ位の作用と考えられる。がんの何%がカリウムによるはわからないが10%以上の可能性は少ない。1%以下かもしれない。そうであればセシウムの4000ベクレルの発がん作用もその程度と考えられる。
:「講演『被曝をどう避けるか』要旨」についてkkko さんからいただいたご質問に応えるスタイルで書きます。
埼玉県のkkko さん、適切なご意見と質問ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・以下、kkko さんのご意見と質問・・・・・・・・・・・・・・
セシウムを毎日摂取した時の計算
> 1年あたりミリシーベルト
> =(1日に食べるBq)×(365日)×0.0073
> 毎日100Bq 食べると 1年で約1ミリシーベルト*
> =100Bq×0.0073=0.73ミリシーベルト
>
> 60kg の成人が毎日食べ続けて平衡状態に達した時の
> 体内セシウム放射能
> 凡そ(1日に食べるBq)x約100
> 毎日100Bq 食べると約1年で
> =10000Bq に落ち着く (Kは60kg 成人で4000Bq)
埼玉県の一般市民です。ブログ記事内の上記内容について二点、質問がございます。
①「平衡状態」というのは、具体的にどのような状態でしょうか?
②「10000Bqに落ち着く」というのは、落ち着いて以降毎日セシウム131と137の影響を計10000Bqぶんずつ受け続ける状態に落ち着くということですか?また、
③最後の括弧内の「K」とは何でしょうか?
④一日に○○Bqのセシウムを摂取し、それを長期間続けた場合、健康にどれほどのリスクをもたらすものなのか。何万分の一の死亡確率なのか、何十分の一の死亡確率なのか。死亡するというのはいつの話なのか。明日なのか80歳を過ぎる頃なのか。砂利道を歩いていて、靴の中に石ころが飛び入るような確率なのか、それとも雨粒を全て避けるような無謀な道なのか。少々誇張しましたが、それでも実際、ただの「危険」や「安全」といった言葉からは、具体的な情報が伝わって来ず、自分の価値観と照らし合わせることも困難です。
> 1年あたりミリシーベルト
> =(1日に食べるBq)×(365日)×0.0073
> 毎日100Bq 食べると 1年で約1ミリシーベルト*
> =100Bq×0.0073=0.73ミリシーベルト
⑤上記2行目の計算式に「1日に食べるBq」を代入することによって、年間のmSvの値が出るのであれば、4行目の計算式から「365日」が抜けているのはどうしてですか? 365を掛ける計算が抜けているとなると、上記の結果の値は「1日あたり」ということになりますが、1日あたり100Bqだとしたら、年間約266mSvの計算になってしまいませんか。
⑥1日に摂取するであろうBqの値から、健康への影響を具体的・数値的に算出できる電卓ソフトなどがあれば、計算の苦手な私のような者でも感覚的に理解しやすく、日常生活に取り入れたり、行動の判断もしやすいのですが……。
こちらのブログのページ左側の計算機によれば、岡山先生も仰るように、
⑦セシウム131と137を毎日100Bqずつ1年間摂取した場合の合計値はおよそ1mSvのようです。が、その1mSvというのは具体的にどれくらい危険なのか。排泄なども考慮に入れて、いつの日かに体内に残留している放射性物質が1mSvぶんだとして、それはつまり、毎日1mSvぶんの健康被害を受けるということなのか。わからない点が多いです。
⑧現状、たとえば、目の前の野菜を食べることがどれほどの危険を伴うのか判断するのに時間がかかりすぎて、日常生活に、何十年後の自分自身の未来に、次以降の世代に、大きな負担をかけてしまいます。私は、できるだけ早く自己判断をして、腑に落ちない感覚を捨て、本来歩みたい方向へ歩き出したいのです。
・・・・・・・・・・・・ 以上、 kkko さん。2012-01-16。 以下、岡山博 の回答 ・・・・・・・・
適切なご質問をいただきありがとうございます。①-⑦と番号を入れさせていただきました。
① から順に書きます。ご質問いただいて見直したところ、⑤に関して重要な記載ミスがありました。ブログもお詫び、訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
①「平衡状態」というのは、具体的にどのような状態でしょうか?
平衡状態というのは出る量と入る量の速さがつり同じでつりあっていて、動かないように見える状態です。厳密には「平衡状態」ではなく「定常状態」と言うほうが正しいのですが、聞きなれない言葉と考えて、少し違うが「平衡状態」と書きました。
セシウムを例に述べます。
通常、放射性セシウムは体内に存在しないので、汚染食品を食べ始めた時には、体内に存在する量はゼロですから、尿中に排泄されません。
だから、セシウムに汚染された食品を食べ始めてしばらくの間は、毎日食べても、尿として捨てられる量はわずかです。
食べ続けると、細胞内にセシウムが蓄積されて濃度が上昇します。細胞内よりはかなり低い濃度で、細胞外液のセシウム濃度も上昇していきます。血液中の濃度(細胞外液の濃度と同じ)が上がるとそれに伴って尿中への排泄が増えます(メカニズムは複雑なので省略)。
このようにして排泄量が増えていくと、あるところで、体から1日で尿などとして排泄される量は、1日に食べる量と等しくなり、その後、毎日同じ量を食べ続ければ、細胞内や、体内のセシウムは増えも減りもせず一定のレベルを保つことになります。
これが平衡(正しくは定常)状態です。定常状態は毎日食べる量と、排泄される早さ(生理的半減期)から、少し難しい式を使って計算できます。記述した値は、成人のセシウム生理的半減期を3~3.5ヶ月として計算したおおよその値です。排泄量を増やしたり(=生理的半減期を短縮する。子どもは短い)、食べる量を減らせば体内に解けているセシウム濃度は低い濃度で定常状態として安定します。
② 「10000Bqに落ち着く」というのは、落ち着いて以降毎日セシウム131と137の影響を計10000Bqぶんずつ受け続ける状態に落ち着くということですか?」
そうです。体内に常に10000 Bq のセシウムがある状態で安定しているので、この状態では10000 Bq (1秒につき、放射線10000回)の被曝を受け続けます。
③「最後の括弧内の「K」とは何でしょうか?」 「K」 は カリウム元素をあらわす元素記号です。ちなみに水素の元素記号は H、 酸素は O、ヨウ素は I 、セシウム は Cs です。 説明不足ですみませんでした。
④と⑤については⑦の後にのべます。
⑥1日に摂取するであろうBqの値から、健康への影響を具体的・数値的に算出できる電卓ソフトなどがあれば、計算の苦手な私のような者でも感覚的に理解しやすく、日常生活に取り入れたり、行動の判断もしやすいのですが……。 NET で「ベクレル シーベルト換算」を検索すると換算ソフトや換算表、解説が、問題意識に応じて、簡単なものから、専門的なものまでがたくさん紹介されています。それをみても良いですが、シーベルトという表現はそれほど厳密な意味を待っていないと私は考えているので、もしその程度のことでよければ、⑤で訂正、説明した式を使うだけで十分で、それも不要かも知れないと思います。
⑦「セシウム131と137を毎日100Bqずつ1年間摂取した場合の合計値はおよそ1mSvのようです。が、その1mSvというのは具体的にどれくらい危険なのか。排泄なども考慮に入れて、いつの日かに体内に残留している放射性物質が1mSvぶんだとして、それはつまり、毎日1mSvぶんの健康被害を受けるということなのか。わからない点が多いです。」
ここで言う1mSvというのは正しくは1mSv/年で一年間に被爆する総量です。1時間当たりだと割り算して 1年は8760時間なので1.14マイクロシーベルト/時となり、被曝が同じレベルで安定した状態であればこの2つの値は同じ意味です。1時間当たり1.14マイクロシーベルト被曝を1年続けていると合計して、1年1mSvの総量になります。被曝レベルが変化している場合は、1時間あたりの被曝量を1時間ずつて8760時間分を1年間続け足し算し続けると1年間の被曝量になります。
Bq (ベクレル)というのは、1秒間に放出される放射線の回数です。人の都合とは関係ない、自然を測った客観的数字です。正確に表現され正確に理解できます。ただ、放射線はいろいろ種類や、エネルギーの大きさ、生体への影響の仕方などが異なりますが、放射線の性質や強さに一切関係なく、1秒間に何回出るかだけを表すので、生体への作用を考えるときは、同時に他の知識が必要です。
一方、Sv (シーベルト)は、低線量被曝の管理という人の便利さの為に、大まかな、便利な目安として、あれこれの想像や仮定をおいてその上でかなり無理に数値化したもので、客観的な数字ではありません。例えば、レントゲンで使う放射線(ガンマ線の続き)とセシウム内部被曝による放射線は、放射線の性質も、生体に与える影響の質も量も全く異なるので、本来は一つの指標で測って比べることができないのですが、被曝管理の利便性のために、いろいろなことを無理に仮定して、共通の単位で無理に表したものです。
放射線被曝ではなく、いろいろな有毒物質の毒作用を例にして考えると分かりやすいです。
有毒なものとは、血圧を下げる、心臓に不整脈を起こす、出血させる、筋肉の力を失わせる、能の働きを抑える、呼吸が止まる、腎臓が破壊されて尿が作れなくなるなど、様々なものがあります。高温や低温、酸素不測などでもよいですが、これらの有害なもの大量に与えたとき、半数の人が死亡する量を測って、死ぬ量を指標に表現して比べることはできます。
しかし、その1/10や1/100くらいの少ない量を与えたとき、殆どの人は死にませんがそれぞれの毒の性質に応じて異なった種類の障害を生じます。この異なった傷害は、種類が違うので、毒性の程度、危険度を比べることはできません。
例えば、危険な不整脈が1分間に5回出たのと、腎機能の70%が損傷した、意識レベルが低下した、などという、異なる種類の、死に至らない有毒作用や、病態を、どちらのほうがが体にとって有害かを比べることはできません。別のたとえでは、不整脈が5回でる障害と同程度の傷害は、指1本の麻痺に価するのかそれとも左の腕と足全体の麻痺と同じ程度のものかというような、比較できません。
このように本来は比較不可能な障害に対して「この不整脈の障害程度は右腕1本の障害と同じ程度の障害だ」というように、あるいは、「1分5回の不整脈を生じさせる毒性の強さは、計算能力を20%に落としてしまう程度に能を傷害する毒物の有害作用の大きさ」として、同じ数字で表現して、同じ数字であれば、同じ程度の毒作用、有害作用としよう」というようなものです。
異なる作用を同じ指標で比べるこという不可能なことを、便宜的に無理して表現しようとして作ったのがシーベルトという単位なので、大きな、多くの、基本的な問題があります。
目安の値を決めた人たちの都合が入り込む可能性もあります。「どのように有害か」を無視して、「とにかくどれくらい有害か」という数字です。だから、ひとまずの目安として使うことは可能ですが、大体の目安でしかありません。
「セシウムの100ベクレルと、ヨウ素の100ベクレルは異なるから、ヨウ素の傷害作用はセシウムの何倍の強さだろうと考え、子どもは大人より感受性が高そうだから、セシウムに関しては子どもは大人の何倍影響があると考えよう」という仮定をたくさん作ってベクレルとして測定された客観的数字に掛け算や足し算をしてはじき出した数字がシーベルトです。
ヨウ素の100ベクレルをシーベルトに計算すると、大人と子どもはベクレルに掛け算する係数が違うと決めてあるので計算によってでた価は、同じ放射能の強さ(ベクレル)であっても、シーベルトの価は子どもと大人では異なります。
仮定が正しくなければ信頼できる数字にはなりませんが、正しい仮定ができるほど、これまでに被曝影響のデータはありませんから、シーベルトであらわされた数字の信憑性はさほど高くありません。
もう一つの問題は、シーベルトを計算するために作った仮定は、ICRPという国際組織が見積もったもので、これを元に日本や多くの国や国際組織の法律や基準が作られています。
ICRPの委員の多くは原子力産業に関係して利益を受けうる立場の団体出身で、ICRPの運営資金の一部はそのようなところから出されていることなどから、シーベルトを算定する係数の決定には、委員の社会的立場が反映され、内部被曝が過小評価されているなどの批判があります。
ヨーロッパの科学者などが作っている民間団体、ECRR は現実の放射線障害は、障害内容によっては、ICRPの見積もりより100倍以上高いと主張しています。
法律や基準として使われているので、シーベルト表示も使いますが、特に内部被曝について指標として使えるほどの信憑性には疑問があり、私はあまり有効ではなく、かえってわずらわしくしているところがあると考えています。
以上のことを理解したとして、ひとまずSv の数字の評価について述べます。
外部被曝で100mSv という価は、被曝すると1000人に5人があらたに癌で死亡することに対応する被曝量です。内部被曝であっても、同じシーベルトであれば生体に対する障害の程度は同じになるようにと作った単位ですから、セシウムの内部被曝20ミリシーベルトも同じように1000人に1人が癌死するはずの被曝量であるはずです。
しかし、ECRRは「ICRP の内部被曝による影響は著しく過小評価しすぎている」と批判していますからその考えによればそれより多くが新たに死ぬ被曝量ということになります。
両者の内部被曝危険性に関する評価は著しく異なっている,つまり内部被曝を評価するシーベルトの値の意味づけの正確さはこの程度です。
私は実際の発癌危険の程度はその間くらいと想像しますがどの程度かは分かりません。分析して結論を出せるだけの十分な被曝データが無いので、恐らく世界の誰も分かりません。
私は、内部被曝だけでなく、外部被曝の指標ももシーベルトにせず、ベクレルのままのほうが客観的で分かりやすいと考えています。そのほうが放射線源の種類とベクレルが分かると、客観的に考えることとができます。
シーベルトで表される数字はその程度の信頼性しかない単位として考える参考にしたら良いと考えています。
それを了解したうえで言えば、ICRP基準にのっとれば、100ミリシーベルト被曝で新たに1000人の中で5人が癌死する、被曝量に比例する確率的作用と考えられているから、1mシーベルトではその1/100ということです。ECRRの考えではそれよりずっと多いとなります。誰も確定できません。
おっしゃるとおり、よく分からないうえに新しい単位と数字を入れてなおさらわずらわしい、その通りと私も考えています。シーベルトの値は絶対視せずに、「現在詳しくは分からないがこのような可能性があると」いう表現が正しいと考えます。
④「一日に○○Bqのセシウムを摂取し、それを長期間続けた場合、健康にどれほどのリスクをもたらすものなのか。何万分の一の死亡確率なのか、何十分の一の死亡確率なのか。死亡するというのはいつの話なのか。明日なのか80歳を過ぎる頃なのか。砂利道を歩いていて、靴の中に石ころが飛び入るような確率なのか、それとも雨粒を全て避けるような無謀な道なのか。」
これが最も重要な問題で、いろいろな考えや主張はありますが、だれもわかりません。日本の文化と日本語は、事実と認識、評価の区別があいまいなことが多いので、更にあいまいにしています。広島・長崎の原爆被爆やチェルノブイリで多くの被曝者が出ましたが、これだけのデータでは少なすぎて、医学的影響を断定することができず、推定するにも不十分で、放射線被曝障害の種類と程度、規模を十分に予測できません。現在のデータと知識では十分な根拠を持って推定することも困難です。
私は、セシウムの放射能の性質と、体内での挙動はカリウムと似ているので、カリウムを基準に考えることができるかもしれないと考えています。
カリウムは生体にとって必須で、通場は 15%以上は変動せず、体内で一定に保たれていますから、カリウムによる内部被曝量は常に一定で、60kg の体重の人は約4000 ベクレル(1秒間に放射線を4000回)被曝しています。
カリウムでもセシウムでも同じで、カリウム放射能は自然に昔からあるから無害ということはなく、カリウムによる放射線被曝生涯をうけながら、私たちは生きています。
被曝はないほうが良いのですが、放射能がないカリウムはないので、カリウムの放射能がない状態での観察はできません。いくつか想像できることはありますが、カリウムの放射能の影響について真実は分かりません。
ひとまず、放射線の様々な影響の中で、考えやすく、危険で目立つ癌について考えてみます。
癌を生じさせる原因はたくさんあります。カリウムの放射線もその一つとして関与しているはずです。カリウムの放射線が癌の原因のどの程度なのかは分かりません。癌の種類や年齢によっても違うとはずです。癌の原因にはたくさんありますから、カリウムが発癌原因の100%ということはありません。カリウム放射能が発癌原因の中で10%程度なのか。1万分の1程度なのか分かりません。
セシウムの放射能と生体内挙動はカリウムと似ているので、セシウムによる内部被曝が起きたとき、おおよそのレベルでは、カリウムの放射能が増えたと置き換えて考えることが可能かも知れません。そうすると、60kgの成人が毎日40Bqのセシウムを食べて、4000 Bqで定常状態になったときには、カリウムの放射線被曝が倍になったと考えて、カリウムによる発癌作用が2倍になったと考えることができます。
発癌原因の10%がカリウム放射線であるとすれば発癌は20%にふえ、1/1000がカリウム放射線によるとすれば2/1000にふえるということです。
このような考えで整理して理解することは可能と思います。
発癌におけるカリウムの関与が高いほうの可能性については、発癌は放射線量に比例し、生体内の複雑な相互作用が同働くかなどは無視して考えると、見当がつきます。
発がんは100%カリウムが原因と仮定した場合、成人が毎日40ベクレルのセシウムを摂取して、セシウム放射能がカリウムと同じ4000ベクレルになって、この内部被曝を一生受けた時に、癌最大値は現在の発癌が倍になると推測することは可能です。
発癌におけるカリウムの関与が少ない場合の可能性については、癌の原因の何パーセントがカリウムなのか分からないのでそれ以上厳密な話にはなりません。
放射線被曝は、ないほうが好ましいが、やむを得ず受け入れるとしたら、いろいろな努力・負担と引き換えにして「いやだけれど、自然のカリウム放射線よりどの程度高いところまでは、我慢して容認するレベルと考えるか」、ということです。
これは個人が目安として活動・生活することでもあり、各人一人一人と社会が考えて相談して社会として決めるべきことでもあって、自然科学としての医学からは離れた問題です。
それを医学の専門家に判断を任せたり、専門家と称する人たちが、特別の権限があるかのようにして決めて解説し、社会と他人を従わせようというのは正しくないというのが私の考えです。
⑤上記2行目の計算式に「1日に食べるBq」を代入することによって、年間のmSvの値が出るのであれば、4行目の計算式から「365日」が抜けているのはどうしてですか? 365を掛ける計算が抜けているとなると、上記の結果の値は「1日あたり」ということになりますが、1日あたり100Bqだとしたら、年間約266mSvの計算になってしまいませんか。
ブログ記事は重要な記載間違いです。ご指摘に感謝し、お詫びして訂正し、その上でご質問に回答します。ブログの記載誤りはお詫び、訂正しました。
ブログでは次のようになっていました。以下はブログ掲載文のコピーと訂正、コメントです。
[放射能の単位
l ベクレル:1秒間に放出される放射線の回数
l シーベルト(旧 REM):
さまざまな仮定・推測をして計算した体に与える影響の大きさの値
実効線量、性質の異なる危険性を、無理に同じ単位で表す
換算法: 核種に対する実効線量係数をかける
例)100 Bqのヨウ素131を1回、経口摂取した場合の被曝量をμSvに変換するには
実効線量係数0.022 (成人)をかける。
100 Bq× 0.022= 2.2 μSv
それを100回摂取した場合は
100 Bq×100 ×0.022=220 μSv
=0.22 mSv
セシウムを毎日摂取した時の計算
1年あたりミリシーベルトは
(誤り): (1日に食べるBq)×(365日)×0.0073
(正しい): (1日に食べるBq) ×0.0073
理由は
1年あたりミリシーベルトは1年に食べるセシウムのベクレルに、0.022 と決められている実効線量係数をかけるとシーベルト。
ここでは実効線量係数 0.022を0.02と簡略して使い、μSv を、mSv表示にするために1/1000倍して0.0073です。
「1日で食べるベクレルに0.0073をかけると1年間で被爆するシーベルト」です
『毎日100Bq 食べると 1年で約1ミリシーベルト*
=100Bq×0.0073=0.73ミリシーベルト』
100 Bqを食べると1回で
100 Bq× 0.022= 2.2 μSv
改めて、適切なご意見と質問ありがとうございます。
・・・ブログの誤り記載は以下のように詳しく説明し訂正しました。・・
放射能の単位
ベクレル:1秒で出る放射線の数
シーベルト(旧 REM):
さまざまな仮定・推測をして計算した体に与える影響の大きさの値
実効線量、性質の異なる危険性を、無理に同じ単位で表す
換算法: 核種に対する実効線量係数をかける
例)100 Bqのヨウ素を1回、経口摂取した場合は、
実効線量係数0.022( (セシウムであれば0.019)(成人)
ヨウ素でもセシウムでも大まかに0.02としてかけると
100 Bq× 0.02= 2 μSv
(100 Bq 食べると2 μSv 被曝する)
セシウムを毎日摂取した時の計算
1年あたりミリシーベルト
=(1日に食べるBq)×(365日)×0.02×1/1000(mSv/ 年)
(×1/1000は μSv を mSvに直すため)
=(1日に食べるBq)× 0.0073(mSv/ 年)
毎日100Bq 食べると
=100Bq×0.0073=0.73 mSv (約 1 mSv)1年で被曝する
60kg の成人が毎日食べ続けて平衡状態に達した時の
体内セシウム放射能は
1日に食べるBq の約100倍(子どもは半減期短いのでそれより低値)で安定する。
毎日100Bq 食べると約1年で 全身に含まれるセシウムは
100Bq ×100 倍=10000 Bq に落ち着く
(60kg 成人で K の4000Bq の 2.5 倍)
・・・・・・・・・・・・・・・・
以上お詫びと訂正、解説です。
ありがとうございました。
岡山博
2012.01.19 (Thu)
東北電力、マカブゥさんへ
東北電力、マカブゥさんへ
要約
・ 東京電力、東北電力社員家族はすぐに避難してほしかった
・ 電力関係者が先に逃げてもまずくはないが、一般住民に知らせて被曝回避活動に率先しなかったことがまずい。
・ 汚染現場で活動した電力関係者は立派で賞賛されるべきだが、東北電力という企業の対応・行動は問題がある。
・ 政府や東京電力が、「放射能は安全だ、心配するな」と言って住民が被曝回避の言動を抑圧したとき、放射能と原発事故について専門知識と準備がある東北電力は、「危険だ、避難しろ、汚染食料を食べるな」と社会を啓蒙すべきだった。
・ 自覚と誇りを持って生き、発言することは大切だ
はじめに
本ブログ「講演『被曝をどう避けるか』」要旨」にいただいたマカブゥさんのご意見への私の返信です。長文であることと、普遍的内容を多く含むことの為に、返信としてではなく、私の新たな意見として掲載しました。マカブゥさんのご意見は本ブログの「講演『被曝をどう避けるか』要旨」の後に掲載されています。
本論
東京電力、東北電力社員家族はすぐに避難してほしかった
東北電力で、高い自覚と誇りを持って仕事されて、初めて言うことができる言葉、コメントを頂き、ありがとうございます。
マカブゥさんのような自覚と誇りをもって働かれている方がいて初めて、日本の健全な部分が作られていることがよくわかり、日本人として誇らしく、うれしいです。改めて感謝します。
福島原発事故が起きた時、東京電力や、東北電力関係の方やご家族が、もし、いち早く、危険を理解し、避難したのであれば、それはとてもよかったと考えています。汚染拡大の可能性を理解した方が、多くの知人に連絡したのはさらによかったです。
はじめの1ヶ月間、郡山から関東に子どもをつれて避難されたお母さんに「最も被曝したはずの1ヶ月を、郡山から避難できたことは、何ものにも代えられないほどよかった。教えてくれた電力関係者に感謝したら良いと思う」と私は話したことがあります。
私は、東北電力や東京電力関係者が避難したことを非難しません。
東京電力も東北電力も、社員家族を福島から緊急避難させる指示をすべきであったし、どこかの時点で事故と放射能汚染について、一般マスコミよりは専門的な解説や家族などの避難指示をしただろうと思います。
指示や注意を出したとすればそれは正しいことで、出さなかったらまずいのです。
多くの国は、自国民の日本からの退去や関西への避難、汚染食品回避を指示し、日本から避難するための飛行機特別便や搭乗券手配し、汚染されていない食品を供給するなど、具体的取り組みをしました。
「不安を煽る悪質な行為だ」と、誰もフランス政府を非難していません。
フランスなど多くの外国政府や大使館が被曝回避の注意や指示を出したのと同じように、電力会社や日本の政府・自治体が人々に対して、避難や被曝回避の指示や解説をするのは正当であるだけでなくやるべきことでした。公的な関係者だけでなく、被曝被害を少なくするために誰もが考えるべきことでした。
東北電力の方や家族、知人が一人でも多く、少しでも早く避難することと避難できたとしたらそれは良いことです。
だから、「電力関係者も汚染の危険性を知らなかった。避難もしなかった」ということを良いことのように話されるのは少し違います。
東北電力がすべきだったこと
原発事故と放射能汚染について、高度の知識を持っている東北電力は、原子炉冷却が途絶えた時、「電源回復や緊急的な注水よる原子炉冷却が確実に復活するまでは、冷却燃料棒損傷やそれ以降の爆発の可能性が高い」のだから、復旧作業に関係ない社員や家族の避難準備を緊急に開始して、遅くとも初めての爆発があった時点ではすぐに避難指示と行動をすべきです。
電力復興や原発事故回避作業に関わらない東北電力社員や家族はすぐ避難すべきだったし、避難してほしかったと私は考えています。
東京電力の話と一緒にすると分かりにくくなるので、東北電力についてとして私の意見を書きます。
震災翌日の3月12日昼に、福島原発で原子炉冷却ができていないことをテレビで知りました。
私はウラン燃料が破損して事故が拡大する危険があると考え、東京に住む大学生の子どもに、避難準備をすることと、今後原子炉がコントロールされていないことを示す何かが起きたら、九州の兄弟のところに10分の時間も無駄にせずすぐに避難するよう伝えました。
その数時間後の12日午後には、爆発があったので、原子炉がコントロールできない状態にあることがほぼ確実であろうと考えました。子どもにすぐに避難することを指示し、翌13日朝1番の飛行機で九州に避難させました。
公衆電話しか使えず、この空気は既に放射能汚染されているかも知れないと考えながら、貴重な時間を使い、何度も外に長時間並んで電話しました。
更に、自分の判断で、3月12日に自宅の換気口などは全てテープなどで目張りをし、マスク着用と、外で使った上着は部屋に持ち込まないようにしました。
私も避難したかったが医者なので避難しないことを決め、殉死しうると覚悟し、今後会うことはないかもしれないと子どもに話しました。
この時点では政府や東京電力、メディアは、被曝回避の指示や説明をしていません。
危険な事実や危険が拡大する可能性を伝えないテレビ報道しかない状況で、物理と原子力発電についての専門知識は無く、高校生程度の物理知識しかなかった私でも、今後短時間の間に事故が拡大したり、放射能汚染が拡大する危険性があることは分かったので、以上の判断と行動をしました。
東北電力は、事故の状況を少なくともテレビ報道については知ったのですから、初めのニュースからしばらくしてから知った私よりは早く知ったはずです。
放射能と原発事故について専門知識をもち、原発を運用し、原発について社会に対して責任と義務と備えがある東北電力は、あの時、私のような一般人より更に的確に、敏速に対応しえたはずです。
仮に、原発の爆発や、莫大な放射能汚染拡大がその後起こらなかったとしても、緊急避難行動を始めた私の判断は正しかったのですが、現実としても、その判断が全て適切であったことは、その後繰り返した、原発爆発と、放射能汚染の拡大で証明されました。
東北電力は、原発事故や原子力災害に関して、一般の人々や報道機関よりはるかに多くの知識やノウハウと情報を持っています。
東京電力だけでなく、東北電力もその能力を最大に使って、少しでも早く、1人でも多くの人を避難させる最大の行動をすべきでした。
時間の余裕はないので、できるところからどんどんやることと、それとは別系統で広く社会に知らせることです。
その意味では、簡単に知らせることができて、危険になりうる地域の営業所、社員、関連企業にすぐ知らせることは当然のことで、非難されるべきことはありません。
それによって避難した社員や関係者が非難されるべきでなく、「避難できて良かった」ことであり、知人に知らせて、避難させたりしたら讃えられるべきことです。
営業所や職員に避難準備や避難指示を出さなかったら、そのほうが問題です。この時、原子力災害に関して、一般社会の人達よりも飛びぬけた知識と準備を持っているはずの東北電力が、福島県の浜通りや中通りの営業所、関連企業、社員に、次々と起こる変化について、緊急に、「重大な被曝につながるように事故が拡大するかもしれないからすぐ避難するように」という指示や情報提供をしなかったとすれば、「東北電力社員が始めに避難した」というよりも重大問題です。
営業所や社員、関連企業に、電力復旧作業の指示を出し、伝達するルートはあったのですから、できるはずです。
「一般住民を避難させなかったのだから、東北電力社員が先に避難したことはけしからん」と私は考えません。
私が問題にするのは、「東北電力社員が始めに避難する」ことではなくて、「危険が拡大する可能性を住民に知らせ、避難を呼びかけなかったことと、汚染した可能性がある食物を食べさせない取り組みをしなかった」ことです。
住民だけでなく、東北電力の支店や営業所、社員にも知らせず、避難指示を出さなかったら、住民に知らせなかったことに加えて更に非難されるべきことです。
東北電力社員も、会社からの公式な指示であれ、公式指示ではないが、危険だという情報であれ、それを知ったら、家族や、事故処理作業に参加しない人はすぐに避難すべきです。
逃げずにもたもたしていたら、被害拡大の要因になるのでむしろそのときに、避難しなかったらそのほうが批判の対象です。
可能な限り、他人にその情報を伝えて、それで1人でも避難できたら、それは表彰に値します。
『原発事故後起きていること』(本ブログに掲載)の文で、「電力関係者が知人に避難すべきことを伝えたために避難できた人がいて良かった」ことを私は肯定して書きました。
福島の営業所などに、重大な汚染を受ける可能性を知らせ、それに対処することや避難指示を、もし、最後まで(今まで)東北電力が行わず、社員や関係者は、東北電力からの情報はまったく伝えられず、テレビ報道や福島県からの指示でしか行動できなかったのでしょうか。
そうだとしたら、あの時点で事故対応作業に参加しない社員や家族、関係者に避難や汚染食物禁止を指示する決意も能力もない東北電力が原子力発電所を動かしているということはなんなのかという問題になります。
どの時点で、危険が拡大する可能性を知らせ、どの時点で避難指示を出したのか、それとも最後まで全くしなかったのか、もしできれば教えてください。
原発から放出した放射能の大部分は東の太平洋に流れましたが、風向きと天候しだいでは、海に運ばれた大量の放射能が陸を汚染した可能性や、爆発と放射能汚染が更に大規模になる可能性もありました。
実際には大部分の放射能は海に向かい、放射能のごく一部だけが、陸地を汚染しました。南東風から北風に変わって、福島、丸森、白石まで運ばれた放射能の移動が逆転して南向きに変わって、郡山や栃木、群馬を汚染し、被曝回避行動の結果ではなく風向きがかわったために、仙台は強い汚染を逃れました。
仙台が強い汚染を免れ、代わりに郡山や、栃木、群馬が汚染されたと分かったのはずっと後のことです。
あの時点で仙台在住で避難可能な人、特に妊婦や子どもはすぐに避難すべきでした。
12日から3週間くらい、特に数日間は、深刻な汚染を受ける可能性はずっとあったので、私は今でも、子どもを13日に東京から避難させたのは正しかったし、それ以上の迅速な避難行動と呼びかけを東北電力は行うべきだったと考えます。
マカブゥさんのご意見と私の考え
繰り返しになるところは多いですが、マカブゥさんのご意見のひとつひとつについて私の考えを書きます。
「事故当時、福島県内の「東北電力」の社員は、電気復旧のために屋外で作業をしていました。早く電気を灯すために昼夜問わず総力戦で対応していました。 」
そうだっただろうと私も推測、理解します。そして、個々の社員や関連企業のみなさんをねぎらい、讃えます。
この時、東北電力は、「確実ではないが、被曝の可能性があるから、マスクや、帰宅後シャワーなど、被曝対策をしながら復旧作業をするように指示」すべきでした。
被曝軽減の対策と指示もせず、無防備で汚染された環境での作業を指示されて、電力復旧活動に参加した人がいたら、その人は東北電力に抗議し、損害賠償を要求すべきです。
「東電や東北電力は社員と家族を、緊急に福島から避難させた。社員家族から連絡されて、福島県から避難できた一般住民も多い。 一般住民には知らせなかった と述べていますが、少なくとも、「東北電力」の社員全員、原発の事故の情報は、テレビの情報で知りました。 事故が起きた情報は、テレビからの情報しかなく、「東京電力」から情報が提供されたといことは一切ありません」
どの時点までそのような状況、つまり、東北電力からの情報や避難指示が全くない状況が続いたかできればご教示下さい。
社員に対する放射能汚染に関する情報や指示はずっと、現在まで、国や自治体の発表や指示を受けた、あと追い発表と指示しかしなかったのでしょうか。そうだとしたらお粗末で無責任で、そのような企業は原発を運転してはいけないと私は考えます。
東京電力は社員や家族に、福島から避難するように指示し、それによって避難できたという話しをいくつも聞いています。東京電力のことはご存知ないでしょうか。もしわかったら教えていたがけないでしょうか。
社員や関連企業の方個々人の行動は立派でしたが、「福島原発が危険な状態なので、避難や、汚染食物を食べてはいけない、外で使った衣類を部屋に持ち込まない、帰宅したらシャワーすること」などを、東北電力が、社員や関係者に、自治体発表より遅れてしか知らせなかったとしたら、原発を動かしている企業のあり方として問題です。
「福島で屋外作業していた作業員に連絡しましたが、作業員(電力社員、グループ企業社員の方々)は、被爆覚悟で電気の早期復旧に取り組みました。こうした事実だけは知って欲しい。 」
そうだっただろうと私も考えます。個々の社員や関連企業のみなさんをねぎらい、讃えます。
同時に、被曝対策もせずに復旧活動をしたということであれば胸が痛みます。
東京電力の話ですが、長年下請けで原発作業をし、事故後は放射能汚染現場で作業に参加していた人がテレビで「これまで自分たちがやってきた原発が、事故を起こしたのだから、自分たちは逃げないで事故収束作業に参加する」と話されるのを聞いて、その立派さに涙が出そうでした。涙が出たかも知れない。
住民や社員の被曝損害を少なくするために、東京電力だけでなく、東北電力は対策と注意を行うべきでした。東京電力という企業とその幹部は、被曝回避の責任ある行動をせず、住民が被曝を防ぐための努力や言動をむしろ妨害し、保身と責任転嫁の解説や対応を続けました。詳細は省きます。
「東京電力の方はわかりませんが、東北電力については、一般住民に知らせていなかったということは事実ではありません。」
東北電力のあり方に関して問題にするのは、女川原発に限定していません。
東京電力が事故を起こした福島原発周囲には東北電力の営業所や社員、作業員の方がたくさんいます。
一般住民は更にたくさんいます。
被爆の可能性があったのは、原発周辺だけではなく、はるかに広い範囲です。
そのことは、事故と放射能汚染が拡大した現実が証明しています。
仮に、事故が小規模でこれほどの被害に拡大しなかった場合でも、最悪を想定して、避難の為の広報や避難行動のよびかけが必要だったことは同じです。
これまで、日本の原発は柏崎を含めて、たくさんの事故を起こしましたが、最悪を考えての情報提供や対策呼びかけは不十分で、むしろ「不安を煽る行為」として、正確な提供情報を要求する人を逆に侮辱、排除し、事故を起こしてもそこから教訓を得て生かす努力をせず、話題にすることを避けてきました。
被曝対策の対応について私の考えは上述しました。東京電力が、事故と汚染の現実と、事故と汚染が拡大する可能性を、意図して知らせない行動をしたのかどうか、十分な資料を公開していないので、私はわかりません。
どこまで汚染が広がるか分からないあの時点で、被曝を避けさせるために社会に働きかける活動や、汚染された地域に汚染されていない食物を供給することは重要でしたが、東京電力と行政は「不安を煽る」といって逆に妨害しました。
そのために多くの人の善意によって郡山や福島で買い集められた、汚染された地場農産物が、津波と放射能被災地の両方に供給され続けました。善意で決意して、野菜や食物を買い集め相馬の被災知人たちに、福島や郡山で地場野菜を買い集めて送り続けた。送られた方は子どもに優先して1月以上食べさせ続けた。この地場野菜が強く放射能汚染されていただろうと、その人達がわかったのはずっと後です。
善意で食料を送り続けた人と、それを感謝して5歳の子どもに優先して与え続けた母親は無念です。
直接伺った話です。
社会に対して責任を自覚するのであれば、一般人よりは放射能の知識を持つ、東北電力や社員は、東京電力や政府のそのような言動に抗議し、批判すべきでした。
汚染食品を食べてはいけないと主張し、避難援助や、汚染されていない食物供給活動を大規模に行うべきでした。
「女川原発については、震災後の対応について、すべてオープンに公開しています。」
このことも、また、東京電力とは異なって、より健全な気風があると言うことを教えていただいたことと、マカブゥさんがそれに誇りと自覚を持って働いていることも知ることができてうれしく、讃えたいです。
「文化も社風も全く違う会社なのに、同一視されてしまうのが悔しいです。」
東京電力とは異なる健全な社風があるとすれば、それはとてもよいことです。
全て東京電力と同じと断定するのは誤りであるという認識は私も賛成です。
一方、原発を推進してきたことと、その進め方を含め、多くのそして基本的なことで、東北電力は日本の電力業界の一員として東京電力と共通の問題があると思います。詳細は省略します。
電力事業をしている共通の立場として、東京電力のよくない社風と関連して現れた、事故被害を拡大した内容について、東北電力が東京電力の不健全さとは異なる社風があるためにわかることがあれば、公開して批判していただけたらうれしいです。
このような大事故を起こしているのだから、通常の「他社の社内のことはコメントしない」と言う状況ではありません。
「東北電力社員が得ていた情報のレベルは、一般の方と同レベルだったということを言いたかっただけです。文面から見ると、まるで「東北電力」社員が事故の情報を事前に知っていたかのように捉えてしまうように感じました。 社員がテレビからの情報を見て、自主的に判断して、家族を山形や新潟などの実家などに避難させたのは事実です。 なお、会社から家族を避難させろといった指示は一切ありませんでした。 社員各自が自分の頭で判断して自主的に家族を避難させたと思います。 もちろん自分で判断して留まった家族もいます(うちはそうです)。」
マカブゥさんの言われることはそのとおりと思います。言葉通り理解しているつもりです。
その上で私は、電力社員が情報を知り、早く避難したとしても、悪いことではなく、早く避難してほしかったと考えていることは前述しました。
特別に知識と責任がある東北電力が東京電力の福島原発事故に関して、指示や情報提供せずに、テレビで流されたあの程度の「安全」情報しか出さないまま、東北電力で働いている方が、放射能に汚染された空気を呼吸し、被曝しながら、電力回復作業をしていたとしたら、そのほうが問題です。
情報とは、事故の状況変化だけではなく、放射能や原発事故に関する基礎知識を含みます。
一般の人にとって、情報とは今起きている事故の経過だけではなく、放射能汚染についての基本的知識も大切な情報です。
東北電力関係者は、刻々と変わる事故現場の情報は、テレビでしか分からなくとも、「現状は、安心と断言できる状況ではない」と判断できるには十分の基礎知識、「社員各自が自分の頭で判断して自主的に家族を避難させた」という判断をさせる基礎知識はもっています。
事故発生直後から、日本社会は政府や東京電力の「安全、逃げるな、放射線を怖がって心配するな。話題にするのは、現実離れの不安を煽る行為だ」という一方的主張で埋め尽くされました。
「危険性は低い。今後の危険を考えるのは不安を煽ることだから話題にするな」という悪質な解説に反論するだけの基礎知識を、東北電力の技術系社員や東北電力は、一般の人よりも持っています。
「事故の現実は安心できる状態ではない。最悪に備えて、判断行動すべきだ」という考えや、その根拠を伝えられることが、多くの人々にとっては重要な情報でした。
緊急事態で人々が危険回避に役立つ「基礎知識」という大切な情報を、多くの人や社会に努力して提供しただろうか。疑問です。
「世の中に絶対安全がないのは、現場の人間、当事者の人間が一番わかっており、事故が起こらないように、未然に防ぐためにあらゆる努力をしています。これは建設の工事現場でも同じです。人の命は重い。本当に重い。一人の命に家族や多くの仲間がぶらさがっています。」
マカブゥさんのこのような自覚と気迫ある言葉の内容とあり方にほとんど同意、同感で、敬意を持っています。
設計や、建設、運転に関わった現場技術者の方の自覚と能力、努力を私は良いこととしてうれしく認識しています。
東京電力とは異なる健全な社風があるとすればとても好ましいことです。
ただ、現場の一人ひとりの自覚とは別の問題として、東北電力幹部や、東北電力という企業・組織が許容されるほど自覚的であったか、自覚的にふさわしいあり方をしたかと言うことは別のことです。上述しました。
「命の重さ、今回の震災であらためて強く想いました。そのために安全超第一、安全の希求のためにコストを惜しんではいけないと思います。」
同意です。そして安全に十分なコストをかける意思がなかったり、大事故を起こしたときに、当然の賠償や、現状復帰をする意思がないのであれば、はじめから、やるべきではありません。
大きな設備や、大事故を起こしうる施設は、保険をかけて損害に備えることが当然要求されることです。
ところが日本の原子力発電所は、事故を起こした場合、それを補償する十分な保険をかけていません。
世界の保険の大元締めともいえるイギリスのロイド保険に「リスクが高すぎて、地震国日本の原発は保険の対象にならない」と断られ、限定されたごく小額の保険しか契約できませんでした。
これに対して、東京電力を筆頭とする電力業界が行った対策は、「想定外の原因で大事故が起きた場合は、(やむをえないことだから)電力会社は(責任がないと了解して)放射能汚染の被災者に損害補償をしない」という法律を作らせることで、これが実際法律になりました。
福島原発事故がおきてから東京電力が「想定外」という言葉を繰り返して、絶対に引き下がらないのはこのためです。
原子力発電所設置の危険性を重視し、設置と稼動に批判・反対する人はいましたがそのような意見は無視し、発言する人を侮辱し抑圧しました。
地域住民や日本国民は、原子力発電を設置、稼動させる条件として、「想定外のきっかけであれば、大事故がおきても誰も責任を取らず、被害者からも含めた税金で穴埋めする。損害は大きすぎて、実際には国も誰も払うことができないので、その場合は被害者に泣き寝入りさせる」というこの法律を了解して法制化されたのではありません。
殆どの人が認識しない中でこのような仕組みをたくさん作り、そのような法律を作って初めて、原発建設や稼動を可能にしました。
原発事故がおきたら、被害が小範囲ではすまないことは誰でも分かります。
しかし、原発を置く市町村と、そこの漁協が了解すれば社会的合意が取れたと認める法律を作りました。
何千万人ではなく、数万人が対象なら、買収や懐柔、恫喝は簡単です。交付金や協力金など様々な金を使って、合法的な買収と、言葉どおりの買収や脅迫も行い、反対を抑えました。
地元有力者対策は少数なので更に簡単です。
「社会貢献に協力した」と名目も用意されて、貧しい地域では、「原発設置に反対するのは地域を貧しいままにさせてもかまわない異常な人間だ」という評価を与えて、反対しにくい環境を作りました。
女川がそうであるかどうか、私は具体的な知識がありませんが、日本の原子力発電は広くそのように、買収、恫喝、自由な発言抑圧、反対者の地域社会からの排除によって作られてきたことはご存知と思います。
「原発に協力するのは立派なことだ」といわれ、個人的に何千万円提供されて、それでも原発批判を言い続ける立派な人はそう多くはないでしょう。
金や便宜を繰り返し提供され、それを合理化する甘い言葉を繰り返されれば次第に、批判する考えは減少し、肯定的な考えや感情、文化環境を育てます。全員ではなくとも多くの人はこのようにして、原発を肯定していきました。
そして狭い地域の地元民の了解を得たことを、社会の了解として扱う法律を作って作り続けた原発です。
「地域に安定した電気を送る」「電気を通じて地域に貢献する」という誇りを持って仕事をしてきました。」
立派です。聴いて感動します。どうぞその誇りと自覚をこれからも持ちつづけてください。
「今、電力会社=悪と思われている風潮に、心がくじけそうです。電力社員でいることにつらくなります。福島で、雪が降っている中、昼夜問わず、被爆覚悟で電気の復旧に尽力した作業員の方たちの気持ちを考えると、どうしてもやるせなくてコメントしてしまいました。」
私は被曝覚悟で活動された作業員の皆さんを全く、非難していません。
非難とは逆に、讃え、感謝しています。
私が批判しているのは、原発事故と、汚染拡大の可能性があるのに、被曝を避けさせるために、電力会社がなすべき最善の行動と努力をしなかったことと、更には、東京電力や行政、専門家などが共同して、被曝を避けるための活動を抑圧して妨害したことです。
一般の人と比べると、東北電力を始め、電力会社は、原発と原発事故に関して、はるかに大きな知識と準備を持っています。
自覚と誇りとは個人自分自身に属するものです。
正しいか、誤りか、道義に反しないかなど全て、自分の責任で判断し行動して保てるものと考えています。
全ての言動と判断が正しい個人や組織はありえないと私は考えています。
誰か特定の人や集団の代弁者になって、具合の悪いことを正当化したり、正当な批判を妨げる言動をしては、誇りや自覚は本物ではなくなります。
何に対しても健全な批判活動は大切です。批判されることは、人格や存在が全面否定されたことを意味しません。
批判を排除すると、批判を許さない恐怖社会になります。日本社会はそのような面があります。
健全な批判と、侮辱・攻撃を区別せずに、侮蔑や恫喝を含めた態度や言葉で非難し攻撃するという行為や、相手の人が世の中に存在することも認めないような言葉で攻撃・非難をすることは正しくありません。
同様に、正当な批判を、敵対的攻撃と誤認して、敵対的に切り返すことも誤りです。
マカブゥさんのような、自覚と誇りを持つ電力産業の専門家が、これからも、ご自身の為にも、社会の健全性を取り戻し維持するためにも、どうぞ引き続き誇りと自覚を大切に活動してください。
マカブゥさんが非難されていないにも関わらず、くじけるとすれば筋違いの認識と心の動きです。
くじけるどころか、現状のような社会では、私も含めた多くの人から期待、応援されていることを知っていてください。
「今回の東京電力の原発事故で、東北電力が「企業として知りうる情報」なんてものはないです。」
東北電力は一般社会や一般の人と比べると格段に高い原発事故や、放射能に関する基本的知識と準備があります。これを提供して被曝被害を少なくするために活動すべきだったのです。
「社員を一般住民と区別して優先避難させるなんてことはありえないです。というより、震災後、すぐに全社災害復旧体制に切り替わりました。避難どころか全員災害復旧作業に入ったんです。 」
「社員を一般住民と区別して優先避難させたかどうか」が問題なのではなく、社会に対して「逃げろ、食べるな」という働きかけの欠如を問題にしています。
「現場で復旧作業をしていた身としては、本当に悲しい。 後ろから石をぶつけられたようなショックを受けました。」
私は「現場で復旧作業をしていた方」を全く非難していない。
繰り返します。感謝し、讃えて書いています。悲しむのは筋違いの理解と、心の動きです。
悲しまれては困ります。「讃えられた」と誇りと共感を持ってください。
「今回のように間違った情報が伝わってしまっていることが残念です。 訂正して欲しいと切に思います。」
私に話してくださった方が「東北電力の知人から聞いて遠方に家族を避難させた」というのは恐らく本当です。
「又聞きではなく、ご本人から直接、東京電力ではなく東北電力の知人から、さほど親密でない知人なのに夜中緊急に教えてくれたこと」などが鮮烈で印象的なお話でした。「東北電力で上からの逃げろという指示を知人が聞いて」と話してくれたように覚えています。
それが、東北電力の会社の正式指示であったか、社内に流された情報であったか、あるいは放射能の知識のある方たちから個人のレベルで判断してのことなのかは、私は責任取れませんが、「東北電力として正式の方針」とは書いていないので、この記述は残します。ただ、今後この記述を引用する再には、なるべく、マカブゥさんからこのような意見があったことを紹介するようにします。
これまで、原発に批判的な人に対して「原発は安全でないという人間はまともな人間ではない」とでもいうような屈辱的扱いをして排除し、危険だという意見を無視するだけでなく発言する人を攻撃、侮蔑までして原発を造って稼動させ、福島の大事故を起こしました。
技術面でも安全対策の軽視があり、安全対策を話題にすることもタブーのような環境で原発が推進されたのではないかと思います。
原子力発電に批判的な意見や専門家は全て、原発計画や運転の基本戦略の検討などから、完全に排除されてきました。
事故がおきて、世界中の英知を集めて事故対処をしなければいけなくなっても、これまで原発事故を考え対策を要求してきた日本の専門家は、事故がおきてからも事故処理や対策討議の場から排除されたままです。
さほど問題なく冷却できるはずの使用済み燃料プール対策の失策や、炉心への海水注入の遅れなど、東電の打算と保身、責任回避の為に、最悪を予測した対応をせず、そのために必要な対策を遅らせてしまい、事故が拡大した面があります。
それでも事故を起こした責任者は誰も処罰されず、地位も収入も安全も確保しました。
今後も東京電力幹部が高額な収入を得る分までも、税金で埋め合わせする仕組みが殆ど出来上がりました。
作ったのは、東京電力を中心とする電力業界と、その強い影響力下にある官僚機構と政治家、メディアによるものです。私は不当と考えています。
一方で、汚染地域の人は、1年近くたった今も、仕事、家族生活、人生の展望、安全が破壊されたまま殆ど放置されています。
東北電力が健全であるなら、東京電力や、政府、行政のこのような方針に同調すべきではないと考えます。
マカブゥさんへ
東京電力とは異なる東北電力の社風に誇りを持って働いているマカブゥさんは、福島原発事故における東京電力や政府のあり方に対して健全な異論をお持ちではないかと推測します。
通常であれば誇りや自覚だけの問題かも知れませんが、今はその異論を正当に発言されることが、多くの人々の苦痛や損害を減らし、不健全な社会を正すことにつながります。
東北電力にしても、行政や個人にしても、言動や判断が全て完全に正しいという人や社会は世の中にありえないと私は考えています。
立場や都合から離れ、一人のまっすぐで誠実な人として、一つ一つを丁寧に吟味して、一つ一つに関して、正しいか誤りか、道義に反していないか、何をなすべきかしてはいけないかなど、マカブゥさんが引き続き、誇りと自覚を持って、原発に関係して働かれている知識や経験をそのために発揮していただけたらうれしいです。
マカブゥさんから、自覚的で道義性を大切にする、気迫のこもった返信を頂き、感謝します。
私の意図するものも共有できたらうれしいです。
社会がまともになり、人が不必要な苦痛を受けない健全な社会にするために、悲しみや無念、喜びを共有し互いに励まし、喜びあいたいです。
「自由に安全に発言や話し合い提案ができない。母親が子どもの食べ物や給食を心配して学校で話し合うこともできない。学校給食について保護者だけでなく、栄養士や教員も恐怖感なく、自由に、給食の話題を提案することもできない。発言や提案をすると、それによってその後延々と続くと予測される、他人からの屈辱的や、恫喝的対応、人事上の不利益などを相当覚悟しないと発言できない。」これが日本の現実です。
「放射能問題について、まじめに考え話し合って、被曝被害を少なくしよう。人々や子どもに安全な環境にしよう。そのためにもくよくよして落ち込んでしまうのではなく、元気を出してがんばろう」と言わずに、「くよくよするのは放射能の被害より悪い」と言って、被曝をまじめに考え、話しあい、対策を要望することを侮辱、抑圧する専門家の講演がくりかえされ、その解説と主張がメディアにあふれた状況は、基本的には今も続いています。
反対意見はまったくメディアで報道されませんでした。
今は、少し変わってきましたが、今でもテレビで報道される批判的な意見は限られています。「くよくよする人が癌になる」と放射能被曝で起こる被害の原因を、「被曝を受けた人の心の持ちよう」と言って、事故を起こして汚染を拡大させた東京電力や政府から、被害者に責任転嫁するものです。
「環境や食物の放射能汚染は軽度で心配するレベルではない。安心して自家野菜も安心して食べるように。」という講演内容は「有毒な疑いがある食品は、販売、製造してはならない」と定めた食品衛生法をはじめとする多くの法律に違反する違反行為を、自分で行ったことであり、さらに、不特定多数の人々や個人に法律違反を扇動したことも法律違反の犯罪行為であると私は考えています。
「環境や食物の放射能汚染は軽度で心配するレベルではない。安心して自家野菜も安心して食べるように。」と講演した内容の誤りは、今は広く汚染されてしまった現実によって否定されています。
それが判断の誤りなのか、それとも確信を持って嘘をついたのかわかりませんが、責任ある人が有害な判断を社会に繰り返し指示し、その結果多くの人が被曝したのですから、講演を真に受けて、被曝を増やしてしまった人たちに、賠償と謝罪すべきです。
不健全な日本社会の現実
汚染食品を食べさせ食べるように指示、指導した専門家や行政担当者や責任者は、今も賠償と謝罪をしていません。
それに留まらず、そのような責任ある人は、今でも処分も処罰も受けず、今でも、放射能と被曝対策の指導的な地位を保って、社会に号令しています。不健全で異常です。
この状況は、日本社会を外から見直して考えれてみれば、日本の現実が健全でまともな社会でないことがわかります。
社会を健全でまともな社会にしたり、維持するためには知性と勇気が必要です。
マガブゥさんが、すばらしい自覚と誇りを基に、知性と勇気をさらに社会に開いて発揮していただけたらうれしいです。
このブログを、健全な精神を深め、共感、交歓する場にして下さい
私はブログを開くと、卑劣で執拗な非難やいやがらせ、名誉を汚し屈辱を加える人たちがでてくるだろうと思い、それによる苦痛を考えるなど、自分のことを考えました。
ブログを開くことが、「まじめな発言や言語・議論・精神活動を破壊する卑劣な言動を批判し、健全な言葉や精神を共有し、深め、励まし喜びあう場」になることは想定していませんでした
。たくさんの方からご意見をいただいて初めて分かりました。
健全な精神をもっていることが「つらくなったりやるせなくなったり、くじけそうになる」日本社会の中で、想定外のことでした。
私のブログを、健全な精神を深め合い、逆に励ましや力を得たり、交歓する場にしていただけたらうれしいです。
長文になったためお返事が送れて済みませんでした。繰り返しや漢字変換済など、きちんとした文章になっていない点があると思いますが、十分吟味すると更に遅れてしまうので、この段階の文章のお返事とします。これからも宜しくお願いします。
岡山 博
要約
・ 東京電力、東北電力社員家族はすぐに避難してほしかった
・ 電力関係者が先に逃げてもまずくはないが、一般住民に知らせて被曝回避活動に率先しなかったことがまずい。
・ 汚染現場で活動した電力関係者は立派で賞賛されるべきだが、東北電力という企業の対応・行動は問題がある。
・ 政府や東京電力が、「放射能は安全だ、心配するな」と言って住民が被曝回避の言動を抑圧したとき、放射能と原発事故について専門知識と準備がある東北電力は、「危険だ、避難しろ、汚染食料を食べるな」と社会を啓蒙すべきだった。
・ 自覚と誇りを持って生き、発言することは大切だ
はじめに
本ブログ「講演『被曝をどう避けるか』」要旨」にいただいたマカブゥさんのご意見への私の返信です。長文であることと、普遍的内容を多く含むことの為に、返信としてではなく、私の新たな意見として掲載しました。マカブゥさんのご意見は本ブログの「講演『被曝をどう避けるか』要旨」の後に掲載されています。
本論
東京電力、東北電力社員家族はすぐに避難してほしかった
東北電力で、高い自覚と誇りを持って仕事されて、初めて言うことができる言葉、コメントを頂き、ありがとうございます。
マカブゥさんのような自覚と誇りをもって働かれている方がいて初めて、日本の健全な部分が作られていることがよくわかり、日本人として誇らしく、うれしいです。改めて感謝します。
福島原発事故が起きた時、東京電力や、東北電力関係の方やご家族が、もし、いち早く、危険を理解し、避難したのであれば、それはとてもよかったと考えています。汚染拡大の可能性を理解した方が、多くの知人に連絡したのはさらによかったです。
はじめの1ヶ月間、郡山から関東に子どもをつれて避難されたお母さんに「最も被曝したはずの1ヶ月を、郡山から避難できたことは、何ものにも代えられないほどよかった。教えてくれた電力関係者に感謝したら良いと思う」と私は話したことがあります。
私は、東北電力や東京電力関係者が避難したことを非難しません。
東京電力も東北電力も、社員家族を福島から緊急避難させる指示をすべきであったし、どこかの時点で事故と放射能汚染について、一般マスコミよりは専門的な解説や家族などの避難指示をしただろうと思います。
指示や注意を出したとすればそれは正しいことで、出さなかったらまずいのです。
多くの国は、自国民の日本からの退去や関西への避難、汚染食品回避を指示し、日本から避難するための飛行機特別便や搭乗券手配し、汚染されていない食品を供給するなど、具体的取り組みをしました。
「不安を煽る悪質な行為だ」と、誰もフランス政府を非難していません。
フランスなど多くの外国政府や大使館が被曝回避の注意や指示を出したのと同じように、電力会社や日本の政府・自治体が人々に対して、避難や被曝回避の指示や解説をするのは正当であるだけでなくやるべきことでした。公的な関係者だけでなく、被曝被害を少なくするために誰もが考えるべきことでした。
東北電力の方や家族、知人が一人でも多く、少しでも早く避難することと避難できたとしたらそれは良いことです。
だから、「電力関係者も汚染の危険性を知らなかった。避難もしなかった」ということを良いことのように話されるのは少し違います。
東北電力がすべきだったこと
原発事故と放射能汚染について、高度の知識を持っている東北電力は、原子炉冷却が途絶えた時、「電源回復や緊急的な注水よる原子炉冷却が確実に復活するまでは、冷却燃料棒損傷やそれ以降の爆発の可能性が高い」のだから、復旧作業に関係ない社員や家族の避難準備を緊急に開始して、遅くとも初めての爆発があった時点ではすぐに避難指示と行動をすべきです。
電力復興や原発事故回避作業に関わらない東北電力社員や家族はすぐ避難すべきだったし、避難してほしかったと私は考えています。
東京電力の話と一緒にすると分かりにくくなるので、東北電力についてとして私の意見を書きます。
震災翌日の3月12日昼に、福島原発で原子炉冷却ができていないことをテレビで知りました。
私はウラン燃料が破損して事故が拡大する危険があると考え、東京に住む大学生の子どもに、避難準備をすることと、今後原子炉がコントロールされていないことを示す何かが起きたら、九州の兄弟のところに10分の時間も無駄にせずすぐに避難するよう伝えました。
その数時間後の12日午後には、爆発があったので、原子炉がコントロールできない状態にあることがほぼ確実であろうと考えました。子どもにすぐに避難することを指示し、翌13日朝1番の飛行機で九州に避難させました。
公衆電話しか使えず、この空気は既に放射能汚染されているかも知れないと考えながら、貴重な時間を使い、何度も外に長時間並んで電話しました。
更に、自分の判断で、3月12日に自宅の換気口などは全てテープなどで目張りをし、マスク着用と、外で使った上着は部屋に持ち込まないようにしました。
私も避難したかったが医者なので避難しないことを決め、殉死しうると覚悟し、今後会うことはないかもしれないと子どもに話しました。
この時点では政府や東京電力、メディアは、被曝回避の指示や説明をしていません。
危険な事実や危険が拡大する可能性を伝えないテレビ報道しかない状況で、物理と原子力発電についての専門知識は無く、高校生程度の物理知識しかなかった私でも、今後短時間の間に事故が拡大したり、放射能汚染が拡大する危険性があることは分かったので、以上の判断と行動をしました。
東北電力は、事故の状況を少なくともテレビ報道については知ったのですから、初めのニュースからしばらくしてから知った私よりは早く知ったはずです。
放射能と原発事故について専門知識をもち、原発を運用し、原発について社会に対して責任と義務と備えがある東北電力は、あの時、私のような一般人より更に的確に、敏速に対応しえたはずです。
仮に、原発の爆発や、莫大な放射能汚染拡大がその後起こらなかったとしても、緊急避難行動を始めた私の判断は正しかったのですが、現実としても、その判断が全て適切であったことは、その後繰り返した、原発爆発と、放射能汚染の拡大で証明されました。
東北電力は、原発事故や原子力災害に関して、一般の人々や報道機関よりはるかに多くの知識やノウハウと情報を持っています。
東京電力だけでなく、東北電力もその能力を最大に使って、少しでも早く、1人でも多くの人を避難させる最大の行動をすべきでした。
時間の余裕はないので、できるところからどんどんやることと、それとは別系統で広く社会に知らせることです。
その意味では、簡単に知らせることができて、危険になりうる地域の営業所、社員、関連企業にすぐ知らせることは当然のことで、非難されるべきことはありません。
それによって避難した社員や関係者が非難されるべきでなく、「避難できて良かった」ことであり、知人に知らせて、避難させたりしたら讃えられるべきことです。
営業所や職員に避難準備や避難指示を出さなかったら、そのほうが問題です。この時、原子力災害に関して、一般社会の人達よりも飛びぬけた知識と準備を持っているはずの東北電力が、福島県の浜通りや中通りの営業所、関連企業、社員に、次々と起こる変化について、緊急に、「重大な被曝につながるように事故が拡大するかもしれないからすぐ避難するように」という指示や情報提供をしなかったとすれば、「東北電力社員が始めに避難した」というよりも重大問題です。
営業所や社員、関連企業に、電力復旧作業の指示を出し、伝達するルートはあったのですから、できるはずです。
「一般住民を避難させなかったのだから、東北電力社員が先に避難したことはけしからん」と私は考えません。
私が問題にするのは、「東北電力社員が始めに避難する」ことではなくて、「危険が拡大する可能性を住民に知らせ、避難を呼びかけなかったことと、汚染した可能性がある食物を食べさせない取り組みをしなかった」ことです。
住民だけでなく、東北電力の支店や営業所、社員にも知らせず、避難指示を出さなかったら、住民に知らせなかったことに加えて更に非難されるべきことです。
東北電力社員も、会社からの公式な指示であれ、公式指示ではないが、危険だという情報であれ、それを知ったら、家族や、事故処理作業に参加しない人はすぐに避難すべきです。
逃げずにもたもたしていたら、被害拡大の要因になるのでむしろそのときに、避難しなかったらそのほうが批判の対象です。
可能な限り、他人にその情報を伝えて、それで1人でも避難できたら、それは表彰に値します。
『原発事故後起きていること』(本ブログに掲載)の文で、「電力関係者が知人に避難すべきことを伝えたために避難できた人がいて良かった」ことを私は肯定して書きました。
福島の営業所などに、重大な汚染を受ける可能性を知らせ、それに対処することや避難指示を、もし、最後まで(今まで)東北電力が行わず、社員や関係者は、東北電力からの情報はまったく伝えられず、テレビ報道や福島県からの指示でしか行動できなかったのでしょうか。
そうだとしたら、あの時点で事故対応作業に参加しない社員や家族、関係者に避難や汚染食物禁止を指示する決意も能力もない東北電力が原子力発電所を動かしているということはなんなのかという問題になります。
どの時点で、危険が拡大する可能性を知らせ、どの時点で避難指示を出したのか、それとも最後まで全くしなかったのか、もしできれば教えてください。
原発から放出した放射能の大部分は東の太平洋に流れましたが、風向きと天候しだいでは、海に運ばれた大量の放射能が陸を汚染した可能性や、爆発と放射能汚染が更に大規模になる可能性もありました。
実際には大部分の放射能は海に向かい、放射能のごく一部だけが、陸地を汚染しました。南東風から北風に変わって、福島、丸森、白石まで運ばれた放射能の移動が逆転して南向きに変わって、郡山や栃木、群馬を汚染し、被曝回避行動の結果ではなく風向きがかわったために、仙台は強い汚染を逃れました。
仙台が強い汚染を免れ、代わりに郡山や、栃木、群馬が汚染されたと分かったのはずっと後のことです。
あの時点で仙台在住で避難可能な人、特に妊婦や子どもはすぐに避難すべきでした。
12日から3週間くらい、特に数日間は、深刻な汚染を受ける可能性はずっとあったので、私は今でも、子どもを13日に東京から避難させたのは正しかったし、それ以上の迅速な避難行動と呼びかけを東北電力は行うべきだったと考えます。
マカブゥさんのご意見と私の考え
繰り返しになるところは多いですが、マカブゥさんのご意見のひとつひとつについて私の考えを書きます。
「事故当時、福島県内の「東北電力」の社員は、電気復旧のために屋外で作業をしていました。早く電気を灯すために昼夜問わず総力戦で対応していました。 」
そうだっただろうと私も推測、理解します。そして、個々の社員や関連企業のみなさんをねぎらい、讃えます。
この時、東北電力は、「確実ではないが、被曝の可能性があるから、マスクや、帰宅後シャワーなど、被曝対策をしながら復旧作業をするように指示」すべきでした。
被曝軽減の対策と指示もせず、無防備で汚染された環境での作業を指示されて、電力復旧活動に参加した人がいたら、その人は東北電力に抗議し、損害賠償を要求すべきです。
「東電や東北電力は社員と家族を、緊急に福島から避難させた。社員家族から連絡されて、福島県から避難できた一般住民も多い。 一般住民には知らせなかった と述べていますが、少なくとも、「東北電力」の社員全員、原発の事故の情報は、テレビの情報で知りました。 事故が起きた情報は、テレビからの情報しかなく、「東京電力」から情報が提供されたといことは一切ありません」
どの時点までそのような状況、つまり、東北電力からの情報や避難指示が全くない状況が続いたかできればご教示下さい。
社員に対する放射能汚染に関する情報や指示はずっと、現在まで、国や自治体の発表や指示を受けた、あと追い発表と指示しかしなかったのでしょうか。そうだとしたらお粗末で無責任で、そのような企業は原発を運転してはいけないと私は考えます。
東京電力は社員や家族に、福島から避難するように指示し、それによって避難できたという話しをいくつも聞いています。東京電力のことはご存知ないでしょうか。もしわかったら教えていたがけないでしょうか。
社員や関連企業の方個々人の行動は立派でしたが、「福島原発が危険な状態なので、避難や、汚染食物を食べてはいけない、外で使った衣類を部屋に持ち込まない、帰宅したらシャワーすること」などを、東北電力が、社員や関係者に、自治体発表より遅れてしか知らせなかったとしたら、原発を動かしている企業のあり方として問題です。
「福島で屋外作業していた作業員に連絡しましたが、作業員(電力社員、グループ企業社員の方々)は、被爆覚悟で電気の早期復旧に取り組みました。こうした事実だけは知って欲しい。 」
そうだっただろうと私も考えます。個々の社員や関連企業のみなさんをねぎらい、讃えます。
同時に、被曝対策もせずに復旧活動をしたということであれば胸が痛みます。
東京電力の話ですが、長年下請けで原発作業をし、事故後は放射能汚染現場で作業に参加していた人がテレビで「これまで自分たちがやってきた原発が、事故を起こしたのだから、自分たちは逃げないで事故収束作業に参加する」と話されるのを聞いて、その立派さに涙が出そうでした。涙が出たかも知れない。
住民や社員の被曝損害を少なくするために、東京電力だけでなく、東北電力は対策と注意を行うべきでした。東京電力という企業とその幹部は、被曝回避の責任ある行動をせず、住民が被曝を防ぐための努力や言動をむしろ妨害し、保身と責任転嫁の解説や対応を続けました。詳細は省きます。
「東京電力の方はわかりませんが、東北電力については、一般住民に知らせていなかったということは事実ではありません。」
東北電力のあり方に関して問題にするのは、女川原発に限定していません。
東京電力が事故を起こした福島原発周囲には東北電力の営業所や社員、作業員の方がたくさんいます。
一般住民は更にたくさんいます。
被爆の可能性があったのは、原発周辺だけではなく、はるかに広い範囲です。
そのことは、事故と放射能汚染が拡大した現実が証明しています。
仮に、事故が小規模でこれほどの被害に拡大しなかった場合でも、最悪を想定して、避難の為の広報や避難行動のよびかけが必要だったことは同じです。
これまで、日本の原発は柏崎を含めて、たくさんの事故を起こしましたが、最悪を考えての情報提供や対策呼びかけは不十分で、むしろ「不安を煽る行為」として、正確な提供情報を要求する人を逆に侮辱、排除し、事故を起こしてもそこから教訓を得て生かす努力をせず、話題にすることを避けてきました。
被曝対策の対応について私の考えは上述しました。東京電力が、事故と汚染の現実と、事故と汚染が拡大する可能性を、意図して知らせない行動をしたのかどうか、十分な資料を公開していないので、私はわかりません。
どこまで汚染が広がるか分からないあの時点で、被曝を避けさせるために社会に働きかける活動や、汚染された地域に汚染されていない食物を供給することは重要でしたが、東京電力と行政は「不安を煽る」といって逆に妨害しました。
そのために多くの人の善意によって郡山や福島で買い集められた、汚染された地場農産物が、津波と放射能被災地の両方に供給され続けました。善意で決意して、野菜や食物を買い集め相馬の被災知人たちに、福島や郡山で地場野菜を買い集めて送り続けた。送られた方は子どもに優先して1月以上食べさせ続けた。この地場野菜が強く放射能汚染されていただろうと、その人達がわかったのはずっと後です。
善意で食料を送り続けた人と、それを感謝して5歳の子どもに優先して与え続けた母親は無念です。
直接伺った話です。
社会に対して責任を自覚するのであれば、一般人よりは放射能の知識を持つ、東北電力や社員は、東京電力や政府のそのような言動に抗議し、批判すべきでした。
汚染食品を食べてはいけないと主張し、避難援助や、汚染されていない食物供給活動を大規模に行うべきでした。
「女川原発については、震災後の対応について、すべてオープンに公開しています。」
このことも、また、東京電力とは異なって、より健全な気風があると言うことを教えていただいたことと、マカブゥさんがそれに誇りと自覚を持って働いていることも知ることができてうれしく、讃えたいです。
「文化も社風も全く違う会社なのに、同一視されてしまうのが悔しいです。」
東京電力とは異なる健全な社風があるとすれば、それはとてもよいことです。
全て東京電力と同じと断定するのは誤りであるという認識は私も賛成です。
一方、原発を推進してきたことと、その進め方を含め、多くのそして基本的なことで、東北電力は日本の電力業界の一員として東京電力と共通の問題があると思います。詳細は省略します。
電力事業をしている共通の立場として、東京電力のよくない社風と関連して現れた、事故被害を拡大した内容について、東北電力が東京電力の不健全さとは異なる社風があるためにわかることがあれば、公開して批判していただけたらうれしいです。
このような大事故を起こしているのだから、通常の「他社の社内のことはコメントしない」と言う状況ではありません。
「東北電力社員が得ていた情報のレベルは、一般の方と同レベルだったということを言いたかっただけです。文面から見ると、まるで「東北電力」社員が事故の情報を事前に知っていたかのように捉えてしまうように感じました。 社員がテレビからの情報を見て、自主的に判断して、家族を山形や新潟などの実家などに避難させたのは事実です。 なお、会社から家族を避難させろといった指示は一切ありませんでした。 社員各自が自分の頭で判断して自主的に家族を避難させたと思います。 もちろん自分で判断して留まった家族もいます(うちはそうです)。」
マカブゥさんの言われることはそのとおりと思います。言葉通り理解しているつもりです。
その上で私は、電力社員が情報を知り、早く避難したとしても、悪いことではなく、早く避難してほしかったと考えていることは前述しました。
特別に知識と責任がある東北電力が東京電力の福島原発事故に関して、指示や情報提供せずに、テレビで流されたあの程度の「安全」情報しか出さないまま、東北電力で働いている方が、放射能に汚染された空気を呼吸し、被曝しながら、電力回復作業をしていたとしたら、そのほうが問題です。
情報とは、事故の状況変化だけではなく、放射能や原発事故に関する基礎知識を含みます。
一般の人にとって、情報とは今起きている事故の経過だけではなく、放射能汚染についての基本的知識も大切な情報です。
東北電力関係者は、刻々と変わる事故現場の情報は、テレビでしか分からなくとも、「現状は、安心と断言できる状況ではない」と判断できるには十分の基礎知識、「社員各自が自分の頭で判断して自主的に家族を避難させた」という判断をさせる基礎知識はもっています。
事故発生直後から、日本社会は政府や東京電力の「安全、逃げるな、放射線を怖がって心配するな。話題にするのは、現実離れの不安を煽る行為だ」という一方的主張で埋め尽くされました。
「危険性は低い。今後の危険を考えるのは不安を煽ることだから話題にするな」という悪質な解説に反論するだけの基礎知識を、東北電力の技術系社員や東北電力は、一般の人よりも持っています。
「事故の現実は安心できる状態ではない。最悪に備えて、判断行動すべきだ」という考えや、その根拠を伝えられることが、多くの人々にとっては重要な情報でした。
緊急事態で人々が危険回避に役立つ「基礎知識」という大切な情報を、多くの人や社会に努力して提供しただろうか。疑問です。
「世の中に絶対安全がないのは、現場の人間、当事者の人間が一番わかっており、事故が起こらないように、未然に防ぐためにあらゆる努力をしています。これは建設の工事現場でも同じです。人の命は重い。本当に重い。一人の命に家族や多くの仲間がぶらさがっています。」
マカブゥさんのこのような自覚と気迫ある言葉の内容とあり方にほとんど同意、同感で、敬意を持っています。
設計や、建設、運転に関わった現場技術者の方の自覚と能力、努力を私は良いこととしてうれしく認識しています。
東京電力とは異なる健全な社風があるとすればとても好ましいことです。
ただ、現場の一人ひとりの自覚とは別の問題として、東北電力幹部や、東北電力という企業・組織が許容されるほど自覚的であったか、自覚的にふさわしいあり方をしたかと言うことは別のことです。上述しました。
「命の重さ、今回の震災であらためて強く想いました。そのために安全超第一、安全の希求のためにコストを惜しんではいけないと思います。」
同意です。そして安全に十分なコストをかける意思がなかったり、大事故を起こしたときに、当然の賠償や、現状復帰をする意思がないのであれば、はじめから、やるべきではありません。
大きな設備や、大事故を起こしうる施設は、保険をかけて損害に備えることが当然要求されることです。
ところが日本の原子力発電所は、事故を起こした場合、それを補償する十分な保険をかけていません。
世界の保険の大元締めともいえるイギリスのロイド保険に「リスクが高すぎて、地震国日本の原発は保険の対象にならない」と断られ、限定されたごく小額の保険しか契約できませんでした。
これに対して、東京電力を筆頭とする電力業界が行った対策は、「想定外の原因で大事故が起きた場合は、(やむをえないことだから)電力会社は(責任がないと了解して)放射能汚染の被災者に損害補償をしない」という法律を作らせることで、これが実際法律になりました。
福島原発事故がおきてから東京電力が「想定外」という言葉を繰り返して、絶対に引き下がらないのはこのためです。
原子力発電所設置の危険性を重視し、設置と稼動に批判・反対する人はいましたがそのような意見は無視し、発言する人を侮辱し抑圧しました。
地域住民や日本国民は、原子力発電を設置、稼動させる条件として、「想定外のきっかけであれば、大事故がおきても誰も責任を取らず、被害者からも含めた税金で穴埋めする。損害は大きすぎて、実際には国も誰も払うことができないので、その場合は被害者に泣き寝入りさせる」というこの法律を了解して法制化されたのではありません。
殆どの人が認識しない中でこのような仕組みをたくさん作り、そのような法律を作って初めて、原発建設や稼動を可能にしました。
原発事故がおきたら、被害が小範囲ではすまないことは誰でも分かります。
しかし、原発を置く市町村と、そこの漁協が了解すれば社会的合意が取れたと認める法律を作りました。
何千万人ではなく、数万人が対象なら、買収や懐柔、恫喝は簡単です。交付金や協力金など様々な金を使って、合法的な買収と、言葉どおりの買収や脅迫も行い、反対を抑えました。
地元有力者対策は少数なので更に簡単です。
「社会貢献に協力した」と名目も用意されて、貧しい地域では、「原発設置に反対するのは地域を貧しいままにさせてもかまわない異常な人間だ」という評価を与えて、反対しにくい環境を作りました。
女川がそうであるかどうか、私は具体的な知識がありませんが、日本の原子力発電は広くそのように、買収、恫喝、自由な発言抑圧、反対者の地域社会からの排除によって作られてきたことはご存知と思います。
「原発に協力するのは立派なことだ」といわれ、個人的に何千万円提供されて、それでも原発批判を言い続ける立派な人はそう多くはないでしょう。
金や便宜を繰り返し提供され、それを合理化する甘い言葉を繰り返されれば次第に、批判する考えは減少し、肯定的な考えや感情、文化環境を育てます。全員ではなくとも多くの人はこのようにして、原発を肯定していきました。
そして狭い地域の地元民の了解を得たことを、社会の了解として扱う法律を作って作り続けた原発です。
「地域に安定した電気を送る」「電気を通じて地域に貢献する」という誇りを持って仕事をしてきました。」
立派です。聴いて感動します。どうぞその誇りと自覚をこれからも持ちつづけてください。
「今、電力会社=悪と思われている風潮に、心がくじけそうです。電力社員でいることにつらくなります。福島で、雪が降っている中、昼夜問わず、被爆覚悟で電気の復旧に尽力した作業員の方たちの気持ちを考えると、どうしてもやるせなくてコメントしてしまいました。」
私は被曝覚悟で活動された作業員の皆さんを全く、非難していません。
非難とは逆に、讃え、感謝しています。
私が批判しているのは、原発事故と、汚染拡大の可能性があるのに、被曝を避けさせるために、電力会社がなすべき最善の行動と努力をしなかったことと、更には、東京電力や行政、専門家などが共同して、被曝を避けるための活動を抑圧して妨害したことです。
一般の人と比べると、東北電力を始め、電力会社は、原発と原発事故に関して、はるかに大きな知識と準備を持っています。
自覚と誇りとは個人自分自身に属するものです。
正しいか、誤りか、道義に反しないかなど全て、自分の責任で判断し行動して保てるものと考えています。
全ての言動と判断が正しい個人や組織はありえないと私は考えています。
誰か特定の人や集団の代弁者になって、具合の悪いことを正当化したり、正当な批判を妨げる言動をしては、誇りや自覚は本物ではなくなります。
何に対しても健全な批判活動は大切です。批判されることは、人格や存在が全面否定されたことを意味しません。
批判を排除すると、批判を許さない恐怖社会になります。日本社会はそのような面があります。
健全な批判と、侮辱・攻撃を区別せずに、侮蔑や恫喝を含めた態度や言葉で非難し攻撃するという行為や、相手の人が世の中に存在することも認めないような言葉で攻撃・非難をすることは正しくありません。
同様に、正当な批判を、敵対的攻撃と誤認して、敵対的に切り返すことも誤りです。
マカブゥさんのような、自覚と誇りを持つ電力産業の専門家が、これからも、ご自身の為にも、社会の健全性を取り戻し維持するためにも、どうぞ引き続き誇りと自覚を大切に活動してください。
マカブゥさんが非難されていないにも関わらず、くじけるとすれば筋違いの認識と心の動きです。
くじけるどころか、現状のような社会では、私も含めた多くの人から期待、応援されていることを知っていてください。
「今回の東京電力の原発事故で、東北電力が「企業として知りうる情報」なんてものはないです。」
東北電力は一般社会や一般の人と比べると格段に高い原発事故や、放射能に関する基本的知識と準備があります。これを提供して被曝被害を少なくするために活動すべきだったのです。
「社員を一般住民と区別して優先避難させるなんてことはありえないです。というより、震災後、すぐに全社災害復旧体制に切り替わりました。避難どころか全員災害復旧作業に入ったんです。 」
「社員を一般住民と区別して優先避難させたかどうか」が問題なのではなく、社会に対して「逃げろ、食べるな」という働きかけの欠如を問題にしています。
「現場で復旧作業をしていた身としては、本当に悲しい。 後ろから石をぶつけられたようなショックを受けました。」
私は「現場で復旧作業をしていた方」を全く非難していない。
繰り返します。感謝し、讃えて書いています。悲しむのは筋違いの理解と、心の動きです。
悲しまれては困ります。「讃えられた」と誇りと共感を持ってください。
「今回のように間違った情報が伝わってしまっていることが残念です。 訂正して欲しいと切に思います。」
私に話してくださった方が「東北電力の知人から聞いて遠方に家族を避難させた」というのは恐らく本当です。
「又聞きではなく、ご本人から直接、東京電力ではなく東北電力の知人から、さほど親密でない知人なのに夜中緊急に教えてくれたこと」などが鮮烈で印象的なお話でした。「東北電力で上からの逃げろという指示を知人が聞いて」と話してくれたように覚えています。
それが、東北電力の会社の正式指示であったか、社内に流された情報であったか、あるいは放射能の知識のある方たちから個人のレベルで判断してのことなのかは、私は責任取れませんが、「東北電力として正式の方針」とは書いていないので、この記述は残します。ただ、今後この記述を引用する再には、なるべく、マカブゥさんからこのような意見があったことを紹介するようにします。
これまで、原発に批判的な人に対して「原発は安全でないという人間はまともな人間ではない」とでもいうような屈辱的扱いをして排除し、危険だという意見を無視するだけでなく発言する人を攻撃、侮蔑までして原発を造って稼動させ、福島の大事故を起こしました。
技術面でも安全対策の軽視があり、安全対策を話題にすることもタブーのような環境で原発が推進されたのではないかと思います。
原子力発電に批判的な意見や専門家は全て、原発計画や運転の基本戦略の検討などから、完全に排除されてきました。
事故がおきて、世界中の英知を集めて事故対処をしなければいけなくなっても、これまで原発事故を考え対策を要求してきた日本の専門家は、事故がおきてからも事故処理や対策討議の場から排除されたままです。
さほど問題なく冷却できるはずの使用済み燃料プール対策の失策や、炉心への海水注入の遅れなど、東電の打算と保身、責任回避の為に、最悪を予測した対応をせず、そのために必要な対策を遅らせてしまい、事故が拡大した面があります。
それでも事故を起こした責任者は誰も処罰されず、地位も収入も安全も確保しました。
今後も東京電力幹部が高額な収入を得る分までも、税金で埋め合わせする仕組みが殆ど出来上がりました。
作ったのは、東京電力を中心とする電力業界と、その強い影響力下にある官僚機構と政治家、メディアによるものです。私は不当と考えています。
一方で、汚染地域の人は、1年近くたった今も、仕事、家族生活、人生の展望、安全が破壊されたまま殆ど放置されています。
東北電力が健全であるなら、東京電力や、政府、行政のこのような方針に同調すべきではないと考えます。
マカブゥさんへ
東京電力とは異なる東北電力の社風に誇りを持って働いているマカブゥさんは、福島原発事故における東京電力や政府のあり方に対して健全な異論をお持ちではないかと推測します。
通常であれば誇りや自覚だけの問題かも知れませんが、今はその異論を正当に発言されることが、多くの人々の苦痛や損害を減らし、不健全な社会を正すことにつながります。
東北電力にしても、行政や個人にしても、言動や判断が全て完全に正しいという人や社会は世の中にありえないと私は考えています。
立場や都合から離れ、一人のまっすぐで誠実な人として、一つ一つを丁寧に吟味して、一つ一つに関して、正しいか誤りか、道義に反していないか、何をなすべきかしてはいけないかなど、マカブゥさんが引き続き、誇りと自覚を持って、原発に関係して働かれている知識や経験をそのために発揮していただけたらうれしいです。
マカブゥさんから、自覚的で道義性を大切にする、気迫のこもった返信を頂き、感謝します。
私の意図するものも共有できたらうれしいです。
社会がまともになり、人が不必要な苦痛を受けない健全な社会にするために、悲しみや無念、喜びを共有し互いに励まし、喜びあいたいです。
「自由に安全に発言や話し合い提案ができない。母親が子どもの食べ物や給食を心配して学校で話し合うこともできない。学校給食について保護者だけでなく、栄養士や教員も恐怖感なく、自由に、給食の話題を提案することもできない。発言や提案をすると、それによってその後延々と続くと予測される、他人からの屈辱的や、恫喝的対応、人事上の不利益などを相当覚悟しないと発言できない。」これが日本の現実です。
「放射能問題について、まじめに考え話し合って、被曝被害を少なくしよう。人々や子どもに安全な環境にしよう。そのためにもくよくよして落ち込んでしまうのではなく、元気を出してがんばろう」と言わずに、「くよくよするのは放射能の被害より悪い」と言って、被曝をまじめに考え、話しあい、対策を要望することを侮辱、抑圧する専門家の講演がくりかえされ、その解説と主張がメディアにあふれた状況は、基本的には今も続いています。
反対意見はまったくメディアで報道されませんでした。
今は、少し変わってきましたが、今でもテレビで報道される批判的な意見は限られています。「くよくよする人が癌になる」と放射能被曝で起こる被害の原因を、「被曝を受けた人の心の持ちよう」と言って、事故を起こして汚染を拡大させた東京電力や政府から、被害者に責任転嫁するものです。
「環境や食物の放射能汚染は軽度で心配するレベルではない。安心して自家野菜も安心して食べるように。」という講演内容は「有毒な疑いがある食品は、販売、製造してはならない」と定めた食品衛生法をはじめとする多くの法律に違反する違反行為を、自分で行ったことであり、さらに、不特定多数の人々や個人に法律違反を扇動したことも法律違反の犯罪行為であると私は考えています。
「環境や食物の放射能汚染は軽度で心配するレベルではない。安心して自家野菜も安心して食べるように。」と講演した内容の誤りは、今は広く汚染されてしまった現実によって否定されています。
それが判断の誤りなのか、それとも確信を持って嘘をついたのかわかりませんが、責任ある人が有害な判断を社会に繰り返し指示し、その結果多くの人が被曝したのですから、講演を真に受けて、被曝を増やしてしまった人たちに、賠償と謝罪すべきです。
不健全な日本社会の現実
汚染食品を食べさせ食べるように指示、指導した専門家や行政担当者や責任者は、今も賠償と謝罪をしていません。
それに留まらず、そのような責任ある人は、今でも処分も処罰も受けず、今でも、放射能と被曝対策の指導的な地位を保って、社会に号令しています。不健全で異常です。
この状況は、日本社会を外から見直して考えれてみれば、日本の現実が健全でまともな社会でないことがわかります。
社会を健全でまともな社会にしたり、維持するためには知性と勇気が必要です。
マガブゥさんが、すばらしい自覚と誇りを基に、知性と勇気をさらに社会に開いて発揮していただけたらうれしいです。
このブログを、健全な精神を深め、共感、交歓する場にして下さい
私はブログを開くと、卑劣で執拗な非難やいやがらせ、名誉を汚し屈辱を加える人たちがでてくるだろうと思い、それによる苦痛を考えるなど、自分のことを考えました。
ブログを開くことが、「まじめな発言や言語・議論・精神活動を破壊する卑劣な言動を批判し、健全な言葉や精神を共有し、深め、励まし喜びあう場」になることは想定していませんでした
。たくさんの方からご意見をいただいて初めて分かりました。
健全な精神をもっていることが「つらくなったりやるせなくなったり、くじけそうになる」日本社会の中で、想定外のことでした。
私のブログを、健全な精神を深め合い、逆に励ましや力を得たり、交歓する場にしていただけたらうれしいです。
長文になったためお返事が送れて済みませんでした。繰り返しや漢字変換済など、きちんとした文章になっていない点があると思いますが、十分吟味すると更に遅れてしまうので、この段階の文章のお返事とします。これからも宜しくお願いします。
岡山 博
2012.01.13 (Fri)
「被曝をどう避けるか」岡山博講演会映像
「被曝をどう避けるか」岡山博講演会
主催「放射線被曝から子どもを守る会」
2011年12月17日、仙台市医師会館。
ユーストリームで映像が放映されています。2時間半
どうぞご覧下さい。スライド抄録はブログに掲載しています。
ユーストリーム「被曝をどう避けるか」
http://www.ustream.tv/recorded/20032935
主催「放射線被曝から子どもを守る会」
2011年12月17日、仙台市医師会館。
ユーストリームで映像が放映されています。2時間半
どうぞご覧下さい。スライド抄録はブログに掲載しています。
ユーストリーム「被曝をどう避けるか」
http://www.ustream.tv/recorded/20032935
2012.01.07 (Sat)
論説「よい発表、良い議論を行うために」(転載)
論説「よい発表、良い議論を行うために」転載にあたって
「よい発表、良い議論を行うために」は、10年以上前から発表したかった内容ですが、日本的な社会的事情もあってできず、2011年、東日本大震災直前に、ようやく文章化したものです。
本論は、医学研究発表や症例発表を行う若い医師と、医学関係学会や研究会を主催する、指導的医師・研究者を対象に、日本の諸学会や、研究会を、より有効に健全な議論ができる場にしたいと考えて書きました。
特に、学会や研究会を主催、あるいは座長をする指導的医師や研究者に読まれることを期待しています。
しかし、本論で述べた内容は、研究発表に限らず、日本社会における、様々な会議や会合、個人的な日常会話に共通し、日本社会と日本文化、そこに生き活動している個人と集団の発言・判断・行動様式の傾向として普遍性を持っています。
中国や欧米を始め多くの社会の人が本論を読むと、小学生でさえ自覚してあるいは無意識にやっていることでもあり、あまりにも当たり前の内容が多いために、なぜ文章化し主張するのか分からない部分が多いと思います。
「発表」という言葉を「自分が言葉を言う」と置き換えて、現在の日本社会の文化論として、お読みください。
「言葉と日本社会・歴史・文化」等、削除した未完成文章があります。
いつか、文化論としてまとめたいと考えていますが、何時になるか未定です。ご関心ある方はご連絡下さい。
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論説
良い発表、良い議論を行うために
―健全な発表と議論のためのルールと心得―
Rules and Tips for Presentations and Discussions
仙台赤十字病院呼吸器内科
東北大学臨床教授
岡山 博
Kay words: 発表のしかた、議論のルール、座長の役割
(仙台赤十字病院医学雑誌20巻1号 p7-15、2011年7月発行、2011年1月寄稿)
要旨
健全で有効な発表や議論をするためには、優れた言葉、論理、議論についての基本的知識と自覚、能力が必要である。発表、議論するとは何か、良い発表、議論とは何か、発表活動に役立つことを企図して、発表と議論の仕方について筆者の考えをまとめ、考察した。
1.発表、議論とは、自らの判断と、その判断が合理的であり価値があることを主張し、相手と結論を共有しようとする言葉の往復である。
2.発表、発言、議論に際しては、相手に敬意を持ち、まっすぐ、真剣、ていねい、誠実な言葉で発言する。
3.意見や質問には、的をはずさない的確な回答をし、それが質問者に了解されること。ごまかしや打算などのルール違反は健全な議論を妨げる。
4.座長、司会者は、良い議論をすることを役割と考え、運営すべきである。
はじめに
発表(Presentation)とは、新たな知見や判断と、それが発表する価値があることを主張することであり、そこでの発言、議論(Discussion)とは参加者と演者が結論を共有しようとする言葉の往復である。自分の考えや研究結果を口頭あるいは文書発表する際、良い発表とは、1、発表するにふさわしい結論、主張、価値があること、2、事実提示、論理・構成が適切であること、3、質問や意見に対して適切な回答、議論をし、参加者の合意・承認を得ることである。
そのためには、発表の基本姿勢、適切な言葉の選択、適切な言葉の応答が重要である。良い発表、発言、議論に役立つために、発表と議論の基本的あり方考え方と、方法・仕方について、筆者の考えを述べる。
発表には、口頭発表、教育的講演、シンポジウムなど聴衆に対して直接話すものと、論文発表があるが、本稿ではこれら全てを含めて、「発表」という言葉でまとめて論じる。
良い発表と議論を行うためには演者だけでなく、発表の会を運営する座長・主催者と質問、反論、発言など会場参加者の適切な関与・参加が必要であり、これについても述べる。
発表の仕方
1)発表内容
研究とは誰もまだ知らないことを明らかにすることである。
「論文・学術発表」とは、それまで誰も知らない新たな事実あるいは判断を提示し、その判断が正当であることと価値があることを論証して主張することである。
研究発表、論文で述べるべきことは、事実と、それが何を明らかにしたかという結論、その論理(根拠)、明らかにしたことの意義である。述べるべきことはほとんどこれに尽きる。それ以外の言葉はこれを述べるための条件作りに過ぎない。
単なる経験発表や、文献紹介は、新たな見解を主張する研究発表ではなく、交流や勉強のための話題・資料提供である。解説や総論も、新たなオリジナルな主張を提示した場合のみ発表といえるが、それがない場合は、資料提供である。
資料提供はそれとして価値があるが、オリジナルな主張を結論とする研究発表とは異なる。
2)発表を行う基本姿勢
発表、講演、講義、発言を行う時の基本は、相手や聴衆に「敬意」を持ち、「まっすぐに」、「真剣に」、「ていねいに」、「誠実に」、発表することである。
敬意とは、相手をみくびり、軽んじないこと。
まっすぐにとは、自分の都合、ごまかしなど打算をいれないこと。
真剣にとは、相手に熱意を持って伝えることと、思考停止をせず全力をかけて、自分としての判断結論を出すこと。
ていねいにとは、自分の言ったことにごまかしがなくそれでよかったかを吟味すること。
誠実にとは、自分を偽らず、相手を偽らず、相手の不利益になることを仕掛けない、相手を陥れないことであるであるが、前四者と重なる内容を含んでいる。
3)言葉の選択
述べるべきことは結論である。個々のパラグラフ(ひとつのまとまりを持った文の小集合。段落に近い)においても発表全体においても、結論・判断を明確に述べる。
留意点を以下に列挙する。
・事実と認識、評価を明確に区別して表現する。客観的に存在している事実は、力強い言葉で明確に表現する。「である」「であった」と表現すべきことを「となった」「と認められた」と表現するのは良くない。
・不要な受動文を使わない。
・論理的であること。個々のパラグラフや、全体の記述中に、相容れないものがあってはいけない。
論理が適切で一貫していることが必要である。
論理的で簡潔、明確な言葉を使う。
一貫しない、論理に矛盾のある言葉を使わない。
・全体の論旨とデータについて責任を持つだけではなく、単語のひとつひとつに責任をもつ。
「言葉が正確ではありませんでしたが言いたかったことは・・・です」ということがあってはいけない。健全な議論を阻害する。
・言葉は明確に断言し、断言した言葉に責任を持つ。
あいまいな言葉を使わない。
「思う」「思われる」「可能性がある」「かもしれない」「示唆された」「考えられた」などはあいまい表現である。「とされている」「と考えられている」の引用もあいまいでまずい。
「感じた」はさらに不適切である。「可能性がある」「かもしれない」などの言葉は、発表者がいくつかの可能性を吟味し、他の可能性を排除した結果残っている可能性について述べる場合と、それまで誰も可能性に気づいていない時に、新たな可能性として「可能性がある」と結論する場合だけ正当である。
「・・・と考えた」もあいまいにする言葉なので避ける。必要な吟味検討をせずに「考えた」と述べるのは適切でない。誰も考えていなかったことを初めて「考えた」場合にのみ「考えた」という結論を述べるべきである。
「私の考え、結論は・・・である」と断定した言葉を結論にすることがよい。この表現であれば、「・・・である」と提示された判断に対し、議論参加者は異議、反論ができる。
一方、「・・・と考えた(という行為)」が結論になると、厳密に正当な議論として「考えた」か、それとも「考えていないのではないか」あるいは、「認識した」「確信した」「可能性の存在に気づいた」「期待した」「思った」などではないかという発表者の行為に対しての質問・議論になる。発表テーマの結論・判断という議論できる言葉を結論として述べるべきである。
「考える」という言葉があいまい表現でなく、断定として使うことはありうる。「あなたは考えないが、私は考える」という意味の場合である。言葉としては正しいが、「なぜならば・・・」と穏やかな言葉で、相手と共有する結論を得ようとする場合以外は、相手を切り捨て議論を拒否するという意思表示であるので、言葉としては正しいが議論の姿勢としては、注意すべき言葉である。
「思われる」「考えられた」「可能性が示唆された」などあいまい語を重ねることはさらにまずい。「考えられる」は、自分の責任で考えたのではなく、自分の責任を離れた自然現象であるかのように二重にあいまいにするので使うべきではない。
・単なる感想や吟味のない、場当たり的な予想や憶測、結論は述べない。だれも気づかなかったことを深く責任もって吟味したうえで予測し、予測したこと自体が発表の重要な結論・主張であることとして書く場合は述べる。
・暗黙の期待、当然のことだろうとして、必要な説明をせず、聴衆や読者に同調を求めることは良くない。含みのある単語や表現、言葉の裏を推測することを期待する言葉は使わない。論旨に必要なことは、責任ある簡潔・明確な言葉で全て表現する。
・接続詞を正確に使うこと。発表・議論は論理的であることが基本である。発表に当たって最も重要な接続詞は「したがって」「なぜならば」である。
「しかし」など、それまでの論理を翻す接続詞を、不適切に使っていることがしばしばある。「しかし」という接続詞はそれまでの文から予測されることに反する結論を述べる時に使う。
「しかし・・・・である」と述べたら、必ず理由を述べ、読者や聴衆の同意を得るための議論展開をする。それまで述べてきたことを、論理も同意も無く、思考回路から切り捨てて押し切る言葉ではない。
・読者・聴衆に対して「期待する」等は相当の内容と決意なしに述べるのは価値がなく、無責任で無礼であり使用すべきではない。
全ての言葉に責任を持って初めて良い発表になり、良い議論が可能になる。
4)引用
他人の論文や言葉の引用に当たっては、自分の論旨に関係する論文を断言して引用、紹介する。
自分で責任を持たない伝聞、状況紹介や他人の意見の紹介、発表者の評価をあいまいにしたままの自分の都合を優先した無責任な紹介はしない。引用文献を明らかにしない引用・伝聞は避ける。
誤った論文もあるので、引用には責任を持つ。不同意を表明しない引用は全て正当であると判断したものとして、引用者に責任がある。
引用文献内容に対する疑問や反論に答える義務がある。応えられない引用はすべきではない。
5)口演発表で留意すべきこと
発表、講演、講義を行う姿勢の基本は口頭発表も文章発表も共通だが、口頭発表で追加留意すべきいくつかのことを述べる。
論文、文書発表では、研究の背景説明など、しっかりした論理と引用が不可欠だが、口演では、全てを精密に述べるよりも、聴衆がその場で「なるほど、なるほど」と納得しながら結論まで無理なく進めることが良い。
精緻さよりも、明快でわかりやすい、納得しやすい口演をおこなう。
すべてを言わなくても構わないが、嘘を言ってはいけない。
言葉は一音節一音節、一語一語はっきり丁寧に発音する。特に、結論・判断である文末と語尾ははっきりしっかり発音する。
声が小さい、もそもそ言う、語尾がはっきりしないなどの発声をすることは、聴衆に伝えようとする熱意不足があることが多い。
「・・・なので~・・」「・・・けれど~・・」と文の途中を無意味に延ばしたり、強く発音すべきではない。結論の先延ばし、責任回避、ごまかしの準備であることが多く、判断、結論を明確に述べることに反する。
強く発音すべきは文末の判断、結論である。
熱意や誠実がない発表や発言はすべきでない。
6)経験交流、調査報告としての発表
症例や調査、統計的な発表は目的によっていくつかのものに分かれる。他人とは異なるあるいはオリジナルな自分の判断を論理的に主張し、承認、合意を得ようとする発表であるかどうかが分岐点である。
第1は、研究・学術発表としての症例報告や調査報告である。
その症例や調査結果を提示することによって、新たな知見、価値ある判断・結論を証明主張するものが学術的な発表である。
第2は、単なる調査結果の提示で、それなりのまとめ、コメントがあっても、独自の強い主張が無ければ基本的には事務報告である。
第3は、経験交流や懇親、勉強会のための、話題提供である。医学会地方会などの多くの症例発表がこれに属する。
発表の場は勉強会・経験交流会と称するのが適切だが、学会、研究会と称することもあり、またこのような単なる経験症例を医学雑誌が掲載することもある。これは学術発表ではなく勉強・交流のための経験の提示である。
新たな発見、新たなあるいは発表者独自の知見や主張がなくても、論理的に考えたことを提示するだけでも了解される。
しかしこの場合でも、報告・提示する事実とともに発表の目的、価値を述べることが望ましい。
経験交流の症例提示は懇談の話題として話すだけでもよいので、その場合は会の目的によって自由に変えてよい。しかし、単なる懇談ではなく、座長・司会がいる公的な会合であれば、上述したことは留意すべきである。
内容のない、形だけの、何時でも使える言葉を「結論」として述べることや、結論と意義付けがあいまいな発表は避ける。
勉強会、交流会、懇親会で経験例を提示、論議することは有意義なことではあるが、このような症例発表と、新たな知見を発表、主張する症例発表を同列の価値があると考えるべきではない。
発表といえるのは、新たな独自の主張を結論とする第1のものだけである。第2、第3はねぎらいの対象ではあるが、新たな結論と価値を主張するものではないので、研究発表や論文という言葉は不適切である。
第2、第3を研究と称することや、その提示が主である集会を学会、研究会と称することに筆者は不同意である。
議論のしかた
1)議論とは何か
口演、講演、シンポジウムの価値は発表の価値だけでなく、発表された内容という共通の認識の上に、共通の結論を目指して良い議論をすることに価値がある。
厳密には、学会発表は発表するだけでなく、発表に対する質問や意見を受けて十分な回答をし、参加者に承認されて初めて発表した実績として成り立つ。
研究方法や論理、結論が不適切で、参加者から承認を得られなければ、正当に発表したことにはならない。参加者に承認されないレベルの低い講演はすべきではない。
健全な議論とは、新たなあるいは異なる提示された意見を出発点として、より正しい共有の結論を見出そうとする言葉の往復である。健全な議論をするためには、(1)一定の共通認識、(2)議論すべき異なる見解、(3)相手に対する信頼と敬意、(4)共通の結論を見つけようという意思が必要である。これがあって初めてよい議論は成り立つ。
講演や発表を聞き、質問をするということは、演者が提供した知識や考えを演者と参加者が共有する過程である。共有された認識を材料に、演者と参加者が対等な関係で議論することが正しい議論の仕方である。
議論をするためには、演者の結論と主張が明確に提示されることと、演者に対して、異なる見解が提示されることが必要である。
演者は質問や意見に対して的確、論理的で誠実な回答をし、再度発言者の意見や了解を求める。認識を整理し、深め、共通する結論を得るために、適切な言葉を往復させるということが議論の基本である。
2)発言、質問、回答、議論の仕方
意見の違いが無くては、良い議論は成立しない。
良い議論をするためには、異なる正当な見解を作り、発言をする能力を高めて良い発言をすることと、良い発言を、主催者、座長、演者、参加者が歓迎し、議論しようという基本姿勢が必要である。発語、発音の留意点は、口演の留意点で述べた。
口演を十分理解しなかったときにする質問・回答は、議論に必要な共通認識を作るための、基本知識や解説の提供を求める単なる解説依頼と解説である。
これだけでは議論ではない。必要なことは解説を聞くことではなく、良い議論をすることである。
まっすぐに、真剣に、ていねいに、誠実に発言、議論する。
的確に的を絞り、簡潔な言葉で意見、異論、質問を簡潔・明確に述べる。
感想や、発表内容と直接結びつかないことなどを述べたり、演説すべきではない。
相手に敬意を持ち、対等の立場で発言する。
過剰な敬語や上下関係を規定する言葉・敬語は避ける。
上下関係を作り、下からの卑屈な姿勢や、上から見下ろす無礼な姿勢で発言すべきではない。
感情表現や打算をいれないニュートラルな言葉、論理的で虚飾のない、明確、ていねい、穏やかな言葉を使うべきである。
質問や異論には、相手に敬意をもち、対等に、的をはずさない的確な回答をし、その回答に対して相手の意見・了解・意見を再度求めること、この言葉の往復が発言、回答、議論の基本的ルールである。
質問にきちんと的を得た回答をせず、質問者に「あなたはどう考えますか」と切り返すなどはすべきではない。
質問に対して、自分が一方的に回答しただけで、質問者が納得していないまま終了すべきではない。
すり替え、ごまかし、威嚇、侮辱あるいは無視して相手に発言をさせず終了させてはいけない。
基本的には、回答が十分であったことを質問者に確認する気概を常に持っているべきである。
自分の回答が了解されず、引き続き質問や異論がある場合は、快く受け入れ、納得しうる回答、議論をすべきである。
一回回答しただけで、それに対する反論や異議申し立てを歓迎しなければ正当に回答したことにはならない。
演者への異論、反論は、敵対的発言でなければ、演者の発言を深めるものとして歓迎、感謝すべきである。
欧米の文化、議論の場ではこのようなとき 演者や座長は“Thank you” と感謝した上で回答、運営することが多い。
敬意を持つということは相手におもねることではない。
相手を軽んぜず、穏やかな言葉で自分の判断と理由を明確に回答し、その回答が的確であったかを質問者に確認承認を得ることを含め、発言者の再発言を求めることである。
日本の多くの学会や研究会では健全な議論が成り立っていない。
多くは質問に対して演者が一回だけ一方的に解説やコメントするだけで、その回答が不適切で質問者が同意しなくても、異議申し立てや、健全な議論に発展させることはほとんどない。
これは質疑応答にさえなっていない。知識を補うためだけの、質問に対する演者の一方的解説であり、異論を無視、排除するためのセレモニーであることが多い。
演者と異なる意見を歓迎しない講演や議論は演者に対する無条件の同調や思考停止を強要するものである。
発表、発言や回答に当たって嘘を言ってはいけない。
事実に反して「予備実験をした」「再現性を確認した」、「ノイズは無視しうるほど小さかった」と言ったり、意思がないのに「今後検討する」あるいは、他人の経験や文献で知った知識を自分が経験したかのように、あるいは少ない経験しかないのに多くの経験をしたスペシャリストであるかのような言葉がその例である。
正当な論点に対する質問、異見とは別に、質問の形で演者に対して以下の指摘がされることがある。結果の信憑性、結果に対する評価に対する異議、非論理性、発表に当たって演者が当然もっていなければいけない知識の不足、理解・考え方の誤りの指摘などである。
これらは質問の形をとっていても、内容は知識や論理、結論の不足を質問者が演者に教えているか強い異議申し立てである。
反論としての質問や異議申し立てが正当である場合、演者は質問者に謝辞を述べ、誤りをその場で撤回し、正すべきである。内容や発言態度によっては聴衆に謝罪すべきものもある。
再検討して答えを出す能力が不十分なために、その場で演者として適切な回答ができない場合は感謝して後日検討し、回答することもよい。言いのがれのために、その意思もなく「検討中」、「今後検討」と答えてごまかすのはよくない。
質問者より知識や考え方が劣っているにもかかわらず、質問者に教えるという態度をとり、知識・認識不足を立場の違いであるかのように意図的に混同してごまかしてはいけない。教育的な講義・講演でも一般口演でも同じである。
意見や質問に回答したときは、自分の回答が質問のポイントをはずしていなかったか、相手が納得しない不十分、おざなりな回答ではなかったかを自己点検する。
十分に回答する時間がない場合、演者は、発表終了後に自ら進んで、質問者が十分納得する回答をすべきである。
知識を得るための質問、解説は講演後でもかまわないが、議論は講演時間の中で、参加者を交えて行うべきである。
時間がないといって座長が発言を制止し、異議申し立てや議論をさせないことが多い。
的を得た回答をせず、「時間がないから」、「あなたの言うことは分かりました。しかし私はあなたに同意しない」と切り捨てる演者がいる。「言われた意味は理解した。分かった」と言葉の意味の理解の確認が必要なのは内容が難しく、理解が困難な場合のみである。そうでなく「分かった」というのは、分かったという結論を言うためではなく、同意、了解しない相手を高圧的に切り捨てることを正当化し見せかけるための言葉である。
「分かった」と言ったら「だから」あるいは「分かったことに基づいて」と続けるべきである。「しかし」と続け、相手や論理を切り捨ててはいけない。
教育的講演は、講演内容と洞察において、聴衆よりも演者が圧倒的に知識や力量が勝っている場合のみ成り立つ。小中学校や高校の授業、大学の講義はその例である。
能力が卓越していなくても、経験して考えたことや、文献を読んで勉強した知識を演者として提供することは価値のあることであるが、この場合は教育的講演ではなく議論のための話題・資料提供とし、提供した後は対等に議論することが良い。研究者あるいは指導者、専門家であるかのように、教師的立場で講演しようということは適切でない。
演者が圧倒的力量を前提に指導的講演をした場合でも、演者に対する反論や、異議の提示があった場合はその時点で、教師・生徒の関係ではなくなるので、対等な立場で議論すべきである。
講演内容が稚拙で、指導になっていない場合でさえ、聴衆に対して「自分は選ばれた講演演者で、自分が上である」と考えて講演し、質問には適切に回答せずに教師として解説しようとする演者がいるが正しくない。
質問に対して正当な回答ができないとき、それを反省・解決しないまま、別の場で次の講演を行う演者がいるがすべきではない。
まじめで的確な異論を受け付けず、適切な回答、議論をする意思と能力がない場合は教育的講演の演者になるべきではない。演者に責任があるとともに、演者を選んだ主催者にも責任がある。
客観的事実や法則の存在や正しさを知る人と知らない人の違いは、知識の違いであって考え方や立場の違いではない。
議論に必要な客観的事実や法則を理解していて初めて議論は可能である。
参加者が議論するための知識が不足している場合、参加者は演者に、対等に知識提供を依頼してよい。演者は参加者に、有効な議論を行うため議論に必要な知識を提供する義務がある。
議論に必要な知識を演者自身がもっていないことに気づいた時は、演者は、質問者、発言者から教えてもらい、謝辞を述べる、その上で議論に復帰する。知識の提供は議論ではなく議論の準備過程である。
議論の対象は知識ではなく論理、考え方である。議論に当たって必要な知識は互いに提供し、知識を共有した上で議論をすることが健全なあり方である。
相手を見下す解説はすべきでない。回答や解説は相手の発言を制止するためではなく、発言を促進、発展させるために行う。
正当な反論をする能力がない時、細かな数値や約束事の知識をひけらかして、論点をすり替え、相手の異論や反論を抑えるべきではない。
正確さを要求することで相手の主張や発言を封じることは、代表的な反則技である。相手の発言を抑えようとする言葉は、全て誤りである。
日本文化では、事実と認識を区別しないこと、知識の有無と意見の区別を明瞭に区別しないことが往々にしてある。これは克服すべきである。この理解なしに正当な議論はできない。
自分の知識・理解不足を、「意見・立場の違いだ」と考えることや、説明されることを拒否して強引に押し切ること、それらを容認することは、健全な議論を阻害する。
議論の前提となる基礎知識を提供しようとすると、「考えを押し付ける」、「理解しないのは、説明のしかたが悪いからだ」、「面倒な話しをもちこむな」などと、説明を受ける人だけでなく、聴衆や座長が、説明する人を非難、排除することがある。誤りである。
知識の欠如は説明する側の責任ではなく、知識がない側の責任である。
会をこのように運営するのは、知識の欠如と考え方の違いを区別しないことと議論のルールを理解せず、恣意的に会や「議論」を進めようという誤った認識と精神に由来するものである。
演劇鑑賞やスポーツ、会食などをするとき、ルールを無視して強引に押し通し、その場を仕切る(コントロール=支配する)人がいると、その場は台無しになる。学会・研究会における発表や議論も同様である。
自由で知的、健全、有効な議論を保障し、行うためには、ルールの理解と自覚と、ルール違反を容認せず、知的で自由な議論の場を保障しあう参加者の自覚と発言が必要である。
議論や論理には、好き嫌いや個人の考え・立場とは関係なく客観的法則があるということを理解していれば、自分の論理が成り立たないときに、自分の論理・判断の敗北を認め取り下げることができる。
この場合、論理の誤りを認め取り下げることは、単に論理の敗北であって、相手に対する人格的屈服や非難を意味しない。一方、論理が破綻しても撤回せず、強引な言動を続けることは容認されるべきでない。
強引に続ければ、議論と会合を破壊することであり、不公正な人物として人格的社会的評価を下げる。
これが健全な議論のあり方であり、欧米では日常的な常識である。
自分の意見に対して異論や反論が出た場合は、「相手の異論が誤りであること」を論証して論破するか、自分の誤りを認めて撤回するかのどちらかだけが正当な回答・対応である。中間はない。
あいまいな言葉を使ってごまかすべきではない。
誤りがあった場合は、自分の誤りを認めて撤回することだけが正当な対応である。
このような議論は健全に行えば、敵対、非難、攻撃など人格的対決にはならず、楽しく議論できる。友好関係は損なわれずむしろ強まる。
主催者・座長の役割
良い議論をするためには、座長と主催者が良い議論をしようという意思を持ち、議論に十分な時間を用意することが必要である。
座長の役割は、参加者からの適切な発言をていねい、適切に取り上げ、良い議論ができるように、発言を生かして、議論を発展させることである。十分な時間を準備したのに、参加者から良い意見や質問が出ない場合は、参加者の一人として座長が良い意見、異論や質問を述べ、議論を引き出すこともよい。参加者に発言させないことや、演者や座長による価値のない時間あわせの発言はすべきではない。
座長の役割は、質問、発言、回答が適切に行われ、ルール違反がないように注意し、健全な議論を進めることに責任を持つべきである。
日本では、演者だけでなく、多くの場合、座長が率先してルール違反を行い、健全な議論を妨げている。
参加者も、議論するのではなく、まるで生徒のように教えていただくことや、相手の価値を低めるたにけちをつける、意見でなく感想を述べることなどを、良い発言であるかのように誤って理解し議論を妨げていることがある。
良い議論をする認識、自覚、技量がないことによる。
共通の結論に達しようという意思がなく、自分の思い込みや経験や教訓、感想を一方的に述べるだけの「活発な」発言は、見た目が活発でも良い議論ではない。
日本では、多くの学会や研究会、シンポジウム、講演会が議論の場として機能していない。まずいことである。
「時間がありませんので」と言って発言を止めさせるのは時間がなくなったからではなく、主催者と座長が、あらかじめ、良い議論をするという意思をもっていないことと、議論のための十分な時間を用意していないことによるものである。
議論するためには、発表の倍か、少なくとも発表と同じ時間を議論の時間として準備することが必要と私は考える。
座長は、「講演がなされ、若干の発言があり、つつがなく終わること」をもって自分の責任を果たしたと考えていることが多いが、誤りである。
良い議論ができたかに関心がなく「多数が参加し、成功しました」とまとめる座長はまずい。良い議論をすることを目標とし、座長の評価の基準にすべきである。共通の結論を目指すことなく、見かけ上活発な発言があっただけの言葉のやり取りだけでは不十分である。
まとめ
学会、研究会などで、発表、議論することをテーマに以下の考えを述べた。
1.発表、議論は、日記や感想、随筆、ひとりごととは異なり、相手やそれまでの一般認識とは異なる自らの判断と、その判断が合理的であり価値があることを主張し、相手と結論を共有しようとする言葉の往復である。
2.発表、発言、質問、回答、議論に際しては、相手に敬意を持ち、まっすぐ、真剣、ていねい、誠実な言葉で発言し、的をはずさない的確な回答を述べ、それが相手に了解されることが大切である。相手を威圧、ごまかし、切り替えし、はぐらかし、無視など、自分の発言や回答に対して、異論や発言を制止することはルール違反で健全な議論を阻害する。
3.座長、司会者は、かみ合った的確で健全な議論をすることを最大の役割と考えて会を運営すべきである。座長が議論を妨げる運営をしてはいけない。
学会や研究会活動において、優れた言葉を使い、健全で有効な発表と議論をするためには、言葉、論理、議論についての基本的知識と能力、自覚を持ち、発言することが必要である。
健全で有効な発表、議論は、一人ひとりが「自分は、自分ならこう考える」という自分の見解と、的確に主張する能力を持って自覚的な発言をし、健全な議論を大切にする文化を持って初めて可能になる。
より深い真実に迫る、知的で自由な発言、健全な議論は楽しくできるものである。
学会発表や論文発表と議論は知的言論活動そのものである。
価値ある学会、研究会活動、発表活動に役立つことを企図して、発表と議論の仕方についてまとめ、考察した。
「よい発表、良い議論を行うために」は、10年以上前から発表したかった内容ですが、日本的な社会的事情もあってできず、2011年、東日本大震災直前に、ようやく文章化したものです。
本論は、医学研究発表や症例発表を行う若い医師と、医学関係学会や研究会を主催する、指導的医師・研究者を対象に、日本の諸学会や、研究会を、より有効に健全な議論ができる場にしたいと考えて書きました。
特に、学会や研究会を主催、あるいは座長をする指導的医師や研究者に読まれることを期待しています。
しかし、本論で述べた内容は、研究発表に限らず、日本社会における、様々な会議や会合、個人的な日常会話に共通し、日本社会と日本文化、そこに生き活動している個人と集団の発言・判断・行動様式の傾向として普遍性を持っています。
中国や欧米を始め多くの社会の人が本論を読むと、小学生でさえ自覚してあるいは無意識にやっていることでもあり、あまりにも当たり前の内容が多いために、なぜ文章化し主張するのか分からない部分が多いと思います。
「発表」という言葉を「自分が言葉を言う」と置き換えて、現在の日本社会の文化論として、お読みください。
「言葉と日本社会・歴史・文化」等、削除した未完成文章があります。
いつか、文化論としてまとめたいと考えていますが、何時になるか未定です。ご関心ある方はご連絡下さい。
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論説
良い発表、良い議論を行うために
―健全な発表と議論のためのルールと心得―
Rules and Tips for Presentations and Discussions
仙台赤十字病院呼吸器内科
東北大学臨床教授
岡山 博
Kay words: 発表のしかた、議論のルール、座長の役割
(仙台赤十字病院医学雑誌20巻1号 p7-15、2011年7月発行、2011年1月寄稿)
要旨
健全で有効な発表や議論をするためには、優れた言葉、論理、議論についての基本的知識と自覚、能力が必要である。発表、議論するとは何か、良い発表、議論とは何か、発表活動に役立つことを企図して、発表と議論の仕方について筆者の考えをまとめ、考察した。
1.発表、議論とは、自らの判断と、その判断が合理的であり価値があることを主張し、相手と結論を共有しようとする言葉の往復である。
2.発表、発言、議論に際しては、相手に敬意を持ち、まっすぐ、真剣、ていねい、誠実な言葉で発言する。
3.意見や質問には、的をはずさない的確な回答をし、それが質問者に了解されること。ごまかしや打算などのルール違反は健全な議論を妨げる。
4.座長、司会者は、良い議論をすることを役割と考え、運営すべきである。
はじめに
発表(Presentation)とは、新たな知見や判断と、それが発表する価値があることを主張することであり、そこでの発言、議論(Discussion)とは参加者と演者が結論を共有しようとする言葉の往復である。自分の考えや研究結果を口頭あるいは文書発表する際、良い発表とは、1、発表するにふさわしい結論、主張、価値があること、2、事実提示、論理・構成が適切であること、3、質問や意見に対して適切な回答、議論をし、参加者の合意・承認を得ることである。
そのためには、発表の基本姿勢、適切な言葉の選択、適切な言葉の応答が重要である。良い発表、発言、議論に役立つために、発表と議論の基本的あり方考え方と、方法・仕方について、筆者の考えを述べる。
発表には、口頭発表、教育的講演、シンポジウムなど聴衆に対して直接話すものと、論文発表があるが、本稿ではこれら全てを含めて、「発表」という言葉でまとめて論じる。
良い発表と議論を行うためには演者だけでなく、発表の会を運営する座長・主催者と質問、反論、発言など会場参加者の適切な関与・参加が必要であり、これについても述べる。
発表の仕方
1)発表内容
研究とは誰もまだ知らないことを明らかにすることである。
「論文・学術発表」とは、それまで誰も知らない新たな事実あるいは判断を提示し、その判断が正当であることと価値があることを論証して主張することである。
研究発表、論文で述べるべきことは、事実と、それが何を明らかにしたかという結論、その論理(根拠)、明らかにしたことの意義である。述べるべきことはほとんどこれに尽きる。それ以外の言葉はこれを述べるための条件作りに過ぎない。
単なる経験発表や、文献紹介は、新たな見解を主張する研究発表ではなく、交流や勉強のための話題・資料提供である。解説や総論も、新たなオリジナルな主張を提示した場合のみ発表といえるが、それがない場合は、資料提供である。
資料提供はそれとして価値があるが、オリジナルな主張を結論とする研究発表とは異なる。
2)発表を行う基本姿勢
発表、講演、講義、発言を行う時の基本は、相手や聴衆に「敬意」を持ち、「まっすぐに」、「真剣に」、「ていねいに」、「誠実に」、発表することである。
敬意とは、相手をみくびり、軽んじないこと。
まっすぐにとは、自分の都合、ごまかしなど打算をいれないこと。
真剣にとは、相手に熱意を持って伝えることと、思考停止をせず全力をかけて、自分としての判断結論を出すこと。
ていねいにとは、自分の言ったことにごまかしがなくそれでよかったかを吟味すること。
誠実にとは、自分を偽らず、相手を偽らず、相手の不利益になることを仕掛けない、相手を陥れないことであるであるが、前四者と重なる内容を含んでいる。
3)言葉の選択
述べるべきことは結論である。個々のパラグラフ(ひとつのまとまりを持った文の小集合。段落に近い)においても発表全体においても、結論・判断を明確に述べる。
留意点を以下に列挙する。
・事実と認識、評価を明確に区別して表現する。客観的に存在している事実は、力強い言葉で明確に表現する。「である」「であった」と表現すべきことを「となった」「と認められた」と表現するのは良くない。
・不要な受動文を使わない。
・論理的であること。個々のパラグラフや、全体の記述中に、相容れないものがあってはいけない。
論理が適切で一貫していることが必要である。
論理的で簡潔、明確な言葉を使う。
一貫しない、論理に矛盾のある言葉を使わない。
・全体の論旨とデータについて責任を持つだけではなく、単語のひとつひとつに責任をもつ。
「言葉が正確ではありませんでしたが言いたかったことは・・・です」ということがあってはいけない。健全な議論を阻害する。
・言葉は明確に断言し、断言した言葉に責任を持つ。
あいまいな言葉を使わない。
「思う」「思われる」「可能性がある」「かもしれない」「示唆された」「考えられた」などはあいまい表現である。「とされている」「と考えられている」の引用もあいまいでまずい。
「感じた」はさらに不適切である。「可能性がある」「かもしれない」などの言葉は、発表者がいくつかの可能性を吟味し、他の可能性を排除した結果残っている可能性について述べる場合と、それまで誰も可能性に気づいていない時に、新たな可能性として「可能性がある」と結論する場合だけ正当である。
「・・・と考えた」もあいまいにする言葉なので避ける。必要な吟味検討をせずに「考えた」と述べるのは適切でない。誰も考えていなかったことを初めて「考えた」場合にのみ「考えた」という結論を述べるべきである。
「私の考え、結論は・・・である」と断定した言葉を結論にすることがよい。この表現であれば、「・・・である」と提示された判断に対し、議論参加者は異議、反論ができる。
一方、「・・・と考えた(という行為)」が結論になると、厳密に正当な議論として「考えた」か、それとも「考えていないのではないか」あるいは、「認識した」「確信した」「可能性の存在に気づいた」「期待した」「思った」などではないかという発表者の行為に対しての質問・議論になる。発表テーマの結論・判断という議論できる言葉を結論として述べるべきである。
「考える」という言葉があいまい表現でなく、断定として使うことはありうる。「あなたは考えないが、私は考える」という意味の場合である。言葉としては正しいが、「なぜならば・・・」と穏やかな言葉で、相手と共有する結論を得ようとする場合以外は、相手を切り捨て議論を拒否するという意思表示であるので、言葉としては正しいが議論の姿勢としては、注意すべき言葉である。
「思われる」「考えられた」「可能性が示唆された」などあいまい語を重ねることはさらにまずい。「考えられる」は、自分の責任で考えたのではなく、自分の責任を離れた自然現象であるかのように二重にあいまいにするので使うべきではない。
・単なる感想や吟味のない、場当たり的な予想や憶測、結論は述べない。だれも気づかなかったことを深く責任もって吟味したうえで予測し、予測したこと自体が発表の重要な結論・主張であることとして書く場合は述べる。
・暗黙の期待、当然のことだろうとして、必要な説明をせず、聴衆や読者に同調を求めることは良くない。含みのある単語や表現、言葉の裏を推測することを期待する言葉は使わない。論旨に必要なことは、責任ある簡潔・明確な言葉で全て表現する。
・接続詞を正確に使うこと。発表・議論は論理的であることが基本である。発表に当たって最も重要な接続詞は「したがって」「なぜならば」である。
「しかし」など、それまでの論理を翻す接続詞を、不適切に使っていることがしばしばある。「しかし」という接続詞はそれまでの文から予測されることに反する結論を述べる時に使う。
「しかし・・・・である」と述べたら、必ず理由を述べ、読者や聴衆の同意を得るための議論展開をする。それまで述べてきたことを、論理も同意も無く、思考回路から切り捨てて押し切る言葉ではない。
・読者・聴衆に対して「期待する」等は相当の内容と決意なしに述べるのは価値がなく、無責任で無礼であり使用すべきではない。
全ての言葉に責任を持って初めて良い発表になり、良い議論が可能になる。
4)引用
他人の論文や言葉の引用に当たっては、自分の論旨に関係する論文を断言して引用、紹介する。
自分で責任を持たない伝聞、状況紹介や他人の意見の紹介、発表者の評価をあいまいにしたままの自分の都合を優先した無責任な紹介はしない。引用文献を明らかにしない引用・伝聞は避ける。
誤った論文もあるので、引用には責任を持つ。不同意を表明しない引用は全て正当であると判断したものとして、引用者に責任がある。
引用文献内容に対する疑問や反論に答える義務がある。応えられない引用はすべきではない。
5)口演発表で留意すべきこと
発表、講演、講義を行う姿勢の基本は口頭発表も文章発表も共通だが、口頭発表で追加留意すべきいくつかのことを述べる。
論文、文書発表では、研究の背景説明など、しっかりした論理と引用が不可欠だが、口演では、全てを精密に述べるよりも、聴衆がその場で「なるほど、なるほど」と納得しながら結論まで無理なく進めることが良い。
精緻さよりも、明快でわかりやすい、納得しやすい口演をおこなう。
すべてを言わなくても構わないが、嘘を言ってはいけない。
言葉は一音節一音節、一語一語はっきり丁寧に発音する。特に、結論・判断である文末と語尾ははっきりしっかり発音する。
声が小さい、もそもそ言う、語尾がはっきりしないなどの発声をすることは、聴衆に伝えようとする熱意不足があることが多い。
「・・・なので~・・」「・・・けれど~・・」と文の途中を無意味に延ばしたり、強く発音すべきではない。結論の先延ばし、責任回避、ごまかしの準備であることが多く、判断、結論を明確に述べることに反する。
強く発音すべきは文末の判断、結論である。
熱意や誠実がない発表や発言はすべきでない。
6)経験交流、調査報告としての発表
症例や調査、統計的な発表は目的によっていくつかのものに分かれる。他人とは異なるあるいはオリジナルな自分の判断を論理的に主張し、承認、合意を得ようとする発表であるかどうかが分岐点である。
第1は、研究・学術発表としての症例報告や調査報告である。
その症例や調査結果を提示することによって、新たな知見、価値ある判断・結論を証明主張するものが学術的な発表である。
第2は、単なる調査結果の提示で、それなりのまとめ、コメントがあっても、独自の強い主張が無ければ基本的には事務報告である。
第3は、経験交流や懇親、勉強会のための、話題提供である。医学会地方会などの多くの症例発表がこれに属する。
発表の場は勉強会・経験交流会と称するのが適切だが、学会、研究会と称することもあり、またこのような単なる経験症例を医学雑誌が掲載することもある。これは学術発表ではなく勉強・交流のための経験の提示である。
新たな発見、新たなあるいは発表者独自の知見や主張がなくても、論理的に考えたことを提示するだけでも了解される。
しかしこの場合でも、報告・提示する事実とともに発表の目的、価値を述べることが望ましい。
経験交流の症例提示は懇談の話題として話すだけでもよいので、その場合は会の目的によって自由に変えてよい。しかし、単なる懇談ではなく、座長・司会がいる公的な会合であれば、上述したことは留意すべきである。
内容のない、形だけの、何時でも使える言葉を「結論」として述べることや、結論と意義付けがあいまいな発表は避ける。
勉強会、交流会、懇親会で経験例を提示、論議することは有意義なことではあるが、このような症例発表と、新たな知見を発表、主張する症例発表を同列の価値があると考えるべきではない。
発表といえるのは、新たな独自の主張を結論とする第1のものだけである。第2、第3はねぎらいの対象ではあるが、新たな結論と価値を主張するものではないので、研究発表や論文という言葉は不適切である。
第2、第3を研究と称することや、その提示が主である集会を学会、研究会と称することに筆者は不同意である。
議論のしかた
1)議論とは何か
口演、講演、シンポジウムの価値は発表の価値だけでなく、発表された内容という共通の認識の上に、共通の結論を目指して良い議論をすることに価値がある。
厳密には、学会発表は発表するだけでなく、発表に対する質問や意見を受けて十分な回答をし、参加者に承認されて初めて発表した実績として成り立つ。
研究方法や論理、結論が不適切で、参加者から承認を得られなければ、正当に発表したことにはならない。参加者に承認されないレベルの低い講演はすべきではない。
健全な議論とは、新たなあるいは異なる提示された意見を出発点として、より正しい共有の結論を見出そうとする言葉の往復である。健全な議論をするためには、(1)一定の共通認識、(2)議論すべき異なる見解、(3)相手に対する信頼と敬意、(4)共通の結論を見つけようという意思が必要である。これがあって初めてよい議論は成り立つ。
講演や発表を聞き、質問をするということは、演者が提供した知識や考えを演者と参加者が共有する過程である。共有された認識を材料に、演者と参加者が対等な関係で議論することが正しい議論の仕方である。
議論をするためには、演者の結論と主張が明確に提示されることと、演者に対して、異なる見解が提示されることが必要である。
演者は質問や意見に対して的確、論理的で誠実な回答をし、再度発言者の意見や了解を求める。認識を整理し、深め、共通する結論を得るために、適切な言葉を往復させるということが議論の基本である。
2)発言、質問、回答、議論の仕方
意見の違いが無くては、良い議論は成立しない。
良い議論をするためには、異なる正当な見解を作り、発言をする能力を高めて良い発言をすることと、良い発言を、主催者、座長、演者、参加者が歓迎し、議論しようという基本姿勢が必要である。発語、発音の留意点は、口演の留意点で述べた。
口演を十分理解しなかったときにする質問・回答は、議論に必要な共通認識を作るための、基本知識や解説の提供を求める単なる解説依頼と解説である。
これだけでは議論ではない。必要なことは解説を聞くことではなく、良い議論をすることである。
まっすぐに、真剣に、ていねいに、誠実に発言、議論する。
的確に的を絞り、簡潔な言葉で意見、異論、質問を簡潔・明確に述べる。
感想や、発表内容と直接結びつかないことなどを述べたり、演説すべきではない。
相手に敬意を持ち、対等の立場で発言する。
過剰な敬語や上下関係を規定する言葉・敬語は避ける。
上下関係を作り、下からの卑屈な姿勢や、上から見下ろす無礼な姿勢で発言すべきではない。
感情表現や打算をいれないニュートラルな言葉、論理的で虚飾のない、明確、ていねい、穏やかな言葉を使うべきである。
質問や異論には、相手に敬意をもち、対等に、的をはずさない的確な回答をし、その回答に対して相手の意見・了解・意見を再度求めること、この言葉の往復が発言、回答、議論の基本的ルールである。
質問にきちんと的を得た回答をせず、質問者に「あなたはどう考えますか」と切り返すなどはすべきではない。
質問に対して、自分が一方的に回答しただけで、質問者が納得していないまま終了すべきではない。
すり替え、ごまかし、威嚇、侮辱あるいは無視して相手に発言をさせず終了させてはいけない。
基本的には、回答が十分であったことを質問者に確認する気概を常に持っているべきである。
自分の回答が了解されず、引き続き質問や異論がある場合は、快く受け入れ、納得しうる回答、議論をすべきである。
一回回答しただけで、それに対する反論や異議申し立てを歓迎しなければ正当に回答したことにはならない。
演者への異論、反論は、敵対的発言でなければ、演者の発言を深めるものとして歓迎、感謝すべきである。
欧米の文化、議論の場ではこのようなとき 演者や座長は“Thank you” と感謝した上で回答、運営することが多い。
敬意を持つということは相手におもねることではない。
相手を軽んぜず、穏やかな言葉で自分の判断と理由を明確に回答し、その回答が的確であったかを質問者に確認承認を得ることを含め、発言者の再発言を求めることである。
日本の多くの学会や研究会では健全な議論が成り立っていない。
多くは質問に対して演者が一回だけ一方的に解説やコメントするだけで、その回答が不適切で質問者が同意しなくても、異議申し立てや、健全な議論に発展させることはほとんどない。
これは質疑応答にさえなっていない。知識を補うためだけの、質問に対する演者の一方的解説であり、異論を無視、排除するためのセレモニーであることが多い。
演者と異なる意見を歓迎しない講演や議論は演者に対する無条件の同調や思考停止を強要するものである。
発表、発言や回答に当たって嘘を言ってはいけない。
事実に反して「予備実験をした」「再現性を確認した」、「ノイズは無視しうるほど小さかった」と言ったり、意思がないのに「今後検討する」あるいは、他人の経験や文献で知った知識を自分が経験したかのように、あるいは少ない経験しかないのに多くの経験をしたスペシャリストであるかのような言葉がその例である。
正当な論点に対する質問、異見とは別に、質問の形で演者に対して以下の指摘がされることがある。結果の信憑性、結果に対する評価に対する異議、非論理性、発表に当たって演者が当然もっていなければいけない知識の不足、理解・考え方の誤りの指摘などである。
これらは質問の形をとっていても、内容は知識や論理、結論の不足を質問者が演者に教えているか強い異議申し立てである。
反論としての質問や異議申し立てが正当である場合、演者は質問者に謝辞を述べ、誤りをその場で撤回し、正すべきである。内容や発言態度によっては聴衆に謝罪すべきものもある。
再検討して答えを出す能力が不十分なために、その場で演者として適切な回答ができない場合は感謝して後日検討し、回答することもよい。言いのがれのために、その意思もなく「検討中」、「今後検討」と答えてごまかすのはよくない。
質問者より知識や考え方が劣っているにもかかわらず、質問者に教えるという態度をとり、知識・認識不足を立場の違いであるかのように意図的に混同してごまかしてはいけない。教育的な講義・講演でも一般口演でも同じである。
意見や質問に回答したときは、自分の回答が質問のポイントをはずしていなかったか、相手が納得しない不十分、おざなりな回答ではなかったかを自己点検する。
十分に回答する時間がない場合、演者は、発表終了後に自ら進んで、質問者が十分納得する回答をすべきである。
知識を得るための質問、解説は講演後でもかまわないが、議論は講演時間の中で、参加者を交えて行うべきである。
時間がないといって座長が発言を制止し、異議申し立てや議論をさせないことが多い。
的を得た回答をせず、「時間がないから」、「あなたの言うことは分かりました。しかし私はあなたに同意しない」と切り捨てる演者がいる。「言われた意味は理解した。分かった」と言葉の意味の理解の確認が必要なのは内容が難しく、理解が困難な場合のみである。そうでなく「分かった」というのは、分かったという結論を言うためではなく、同意、了解しない相手を高圧的に切り捨てることを正当化し見せかけるための言葉である。
「分かった」と言ったら「だから」あるいは「分かったことに基づいて」と続けるべきである。「しかし」と続け、相手や論理を切り捨ててはいけない。
教育的講演は、講演内容と洞察において、聴衆よりも演者が圧倒的に知識や力量が勝っている場合のみ成り立つ。小中学校や高校の授業、大学の講義はその例である。
能力が卓越していなくても、経験して考えたことや、文献を読んで勉強した知識を演者として提供することは価値のあることであるが、この場合は教育的講演ではなく議論のための話題・資料提供とし、提供した後は対等に議論することが良い。研究者あるいは指導者、専門家であるかのように、教師的立場で講演しようということは適切でない。
演者が圧倒的力量を前提に指導的講演をした場合でも、演者に対する反論や、異議の提示があった場合はその時点で、教師・生徒の関係ではなくなるので、対等な立場で議論すべきである。
講演内容が稚拙で、指導になっていない場合でさえ、聴衆に対して「自分は選ばれた講演演者で、自分が上である」と考えて講演し、質問には適切に回答せずに教師として解説しようとする演者がいるが正しくない。
質問に対して正当な回答ができないとき、それを反省・解決しないまま、別の場で次の講演を行う演者がいるがすべきではない。
まじめで的確な異論を受け付けず、適切な回答、議論をする意思と能力がない場合は教育的講演の演者になるべきではない。演者に責任があるとともに、演者を選んだ主催者にも責任がある。
客観的事実や法則の存在や正しさを知る人と知らない人の違いは、知識の違いであって考え方や立場の違いではない。
議論に必要な客観的事実や法則を理解していて初めて議論は可能である。
参加者が議論するための知識が不足している場合、参加者は演者に、対等に知識提供を依頼してよい。演者は参加者に、有効な議論を行うため議論に必要な知識を提供する義務がある。
議論に必要な知識を演者自身がもっていないことに気づいた時は、演者は、質問者、発言者から教えてもらい、謝辞を述べる、その上で議論に復帰する。知識の提供は議論ではなく議論の準備過程である。
議論の対象は知識ではなく論理、考え方である。議論に当たって必要な知識は互いに提供し、知識を共有した上で議論をすることが健全なあり方である。
相手を見下す解説はすべきでない。回答や解説は相手の発言を制止するためではなく、発言を促進、発展させるために行う。
正当な反論をする能力がない時、細かな数値や約束事の知識をひけらかして、論点をすり替え、相手の異論や反論を抑えるべきではない。
正確さを要求することで相手の主張や発言を封じることは、代表的な反則技である。相手の発言を抑えようとする言葉は、全て誤りである。
日本文化では、事実と認識を区別しないこと、知識の有無と意見の区別を明瞭に区別しないことが往々にしてある。これは克服すべきである。この理解なしに正当な議論はできない。
自分の知識・理解不足を、「意見・立場の違いだ」と考えることや、説明されることを拒否して強引に押し切ること、それらを容認することは、健全な議論を阻害する。
議論の前提となる基礎知識を提供しようとすると、「考えを押し付ける」、「理解しないのは、説明のしかたが悪いからだ」、「面倒な話しをもちこむな」などと、説明を受ける人だけでなく、聴衆や座長が、説明する人を非難、排除することがある。誤りである。
知識の欠如は説明する側の責任ではなく、知識がない側の責任である。
会をこのように運営するのは、知識の欠如と考え方の違いを区別しないことと議論のルールを理解せず、恣意的に会や「議論」を進めようという誤った認識と精神に由来するものである。
演劇鑑賞やスポーツ、会食などをするとき、ルールを無視して強引に押し通し、その場を仕切る(コントロール=支配する)人がいると、その場は台無しになる。学会・研究会における発表や議論も同様である。
自由で知的、健全、有効な議論を保障し、行うためには、ルールの理解と自覚と、ルール違反を容認せず、知的で自由な議論の場を保障しあう参加者の自覚と発言が必要である。
議論や論理には、好き嫌いや個人の考え・立場とは関係なく客観的法則があるということを理解していれば、自分の論理が成り立たないときに、自分の論理・判断の敗北を認め取り下げることができる。
この場合、論理の誤りを認め取り下げることは、単に論理の敗北であって、相手に対する人格的屈服や非難を意味しない。一方、論理が破綻しても撤回せず、強引な言動を続けることは容認されるべきでない。
強引に続ければ、議論と会合を破壊することであり、不公正な人物として人格的社会的評価を下げる。
これが健全な議論のあり方であり、欧米では日常的な常識である。
自分の意見に対して異論や反論が出た場合は、「相手の異論が誤りであること」を論証して論破するか、自分の誤りを認めて撤回するかのどちらかだけが正当な回答・対応である。中間はない。
あいまいな言葉を使ってごまかすべきではない。
誤りがあった場合は、自分の誤りを認めて撤回することだけが正当な対応である。
このような議論は健全に行えば、敵対、非難、攻撃など人格的対決にはならず、楽しく議論できる。友好関係は損なわれずむしろ強まる。
主催者・座長の役割
良い議論をするためには、座長と主催者が良い議論をしようという意思を持ち、議論に十分な時間を用意することが必要である。
座長の役割は、参加者からの適切な発言をていねい、適切に取り上げ、良い議論ができるように、発言を生かして、議論を発展させることである。十分な時間を準備したのに、参加者から良い意見や質問が出ない場合は、参加者の一人として座長が良い意見、異論や質問を述べ、議論を引き出すこともよい。参加者に発言させないことや、演者や座長による価値のない時間あわせの発言はすべきではない。
座長の役割は、質問、発言、回答が適切に行われ、ルール違反がないように注意し、健全な議論を進めることに責任を持つべきである。
日本では、演者だけでなく、多くの場合、座長が率先してルール違反を行い、健全な議論を妨げている。
参加者も、議論するのではなく、まるで生徒のように教えていただくことや、相手の価値を低めるたにけちをつける、意見でなく感想を述べることなどを、良い発言であるかのように誤って理解し議論を妨げていることがある。
良い議論をする認識、自覚、技量がないことによる。
共通の結論に達しようという意思がなく、自分の思い込みや経験や教訓、感想を一方的に述べるだけの「活発な」発言は、見た目が活発でも良い議論ではない。
日本では、多くの学会や研究会、シンポジウム、講演会が議論の場として機能していない。まずいことである。
「時間がありませんので」と言って発言を止めさせるのは時間がなくなったからではなく、主催者と座長が、あらかじめ、良い議論をするという意思をもっていないことと、議論のための十分な時間を用意していないことによるものである。
議論するためには、発表の倍か、少なくとも発表と同じ時間を議論の時間として準備することが必要と私は考える。
座長は、「講演がなされ、若干の発言があり、つつがなく終わること」をもって自分の責任を果たしたと考えていることが多いが、誤りである。
良い議論ができたかに関心がなく「多数が参加し、成功しました」とまとめる座長はまずい。良い議論をすることを目標とし、座長の評価の基準にすべきである。共通の結論を目指すことなく、見かけ上活発な発言があっただけの言葉のやり取りだけでは不十分である。
まとめ
学会、研究会などで、発表、議論することをテーマに以下の考えを述べた。
1.発表、議論は、日記や感想、随筆、ひとりごととは異なり、相手やそれまでの一般認識とは異なる自らの判断と、その判断が合理的であり価値があることを主張し、相手と結論を共有しようとする言葉の往復である。
2.発表、発言、質問、回答、議論に際しては、相手に敬意を持ち、まっすぐ、真剣、ていねい、誠実な言葉で発言し、的をはずさない的確な回答を述べ、それが相手に了解されることが大切である。相手を威圧、ごまかし、切り替えし、はぐらかし、無視など、自分の発言や回答に対して、異論や発言を制止することはルール違反で健全な議論を阻害する。
3.座長、司会者は、かみ合った的確で健全な議論をすることを最大の役割と考えて会を運営すべきである。座長が議論を妨げる運営をしてはいけない。
学会や研究会活動において、優れた言葉を使い、健全で有効な発表と議論をするためには、言葉、論理、議論についての基本的知識と能力、自覚を持ち、発言することが必要である。
健全で有効な発表、議論は、一人ひとりが「自分は、自分ならこう考える」という自分の見解と、的確に主張する能力を持って自覚的な発言をし、健全な議論を大切にする文化を持って初めて可能になる。
より深い真実に迫る、知的で自由な発言、健全な議論は楽しくできるものである。
学会発表や論文発表と議論は知的言論活動そのものである。
価値ある学会、研究会活動、発表活動に役立つことを企図して、発表と議論の仕方についてまとめ、考察した。
2012.01.05 (Thu)
セシウム放射線内部被曝とカリウム (少し詳しい解説、その1)
セシウム放射線内部被曝とカリウム
(少し詳しい解説、その1)
はじめに
福島原発爆発によって莫大な放射能が環境に撒き散らされました。
原発事故後、健康にとって、特に重要な放射能は、放射性ヨウ素、ストロンチウム、セシウムです。放射性ヨウ素の半減期は8日なので、4月初めに存在した放射性ヨウ素は、9ヶ月たった2022年1月では、1/2の33乗、100億分の1と、ほとんどなくなっています。
ストロンチウムとセシウムの半減期は約30年と長いので、福島原発から放出されたストロンチウムとセシウムの地球にある放射能量はほとんど減っていません。現在、食物や環境で測定されている放射能はほとんどがセシウムで、食物や環境のセシウム放射能が減っているのは、地上から減っているのではなくて、別の場所に移動したからです。
ストロンチウムはガンマ線を出さないので測るのが面倒なこともあり、あまり測定、公表していませんが、ストロンチウム汚染がないことや、心配しないでよいことを意味しません。
原発で作られた放射性ストロンチウムの量はセシウムと同程度存在すると考えられますが、大気などへの拡散の仕方が違うので、セシウムが検出されたところには同程度のストロンチウムがあるということでもありません。
放射性ヨウ素、ストロンチウム、セシウムの生体に対する傷害作用が違うのは、放射能・放射線の種類が違うからというよりは、主に放射性物質が生体のどこにどれくらいの期間存在するかということによるものです。
ヨウ素は甲状腺に集まるので、甲状腺傷害や、甲状腺癌の発生頻度を上げます。ストロンチウムは摂取すると、骨に集まって骨の成分として骨に固まってしまうので、排泄は難しく、同じ場所で放射線を出し続けるので、近くにある骨髄細胞が持続的に被曝し続け、白血病など、骨髄で作られる白血球などの血液細胞に傷害が出やすくなります。セシウムは体中の水に溶けて広く分布します。同じベクレル数の放射能を摂取しても、ヨウ素やストロンチウムのように特定の場所に集中的に被曝させるのではなく、全身の細胞が低いレベルで被曝します。
放射線の作用は、様々な物質(分子)の構造を少しこわすことで、紫外線の働きと似ています。紫外線を強くあてると、塗装の色が変わったり、紙やプラスチックががさがさになったりします。
生体内でも蛋白や様々な生体構成物質、遺伝子の本体であるDNAが変異を生じて、体内で様々なことが起きます。
DNAが変異を起こした場合は、その細胞から新しい細胞が作られるとき、新しい細胞にDNAは変異したまま複製されて引きつがれます。
本論ではストロンチウムの話は省略して、セシウムの放射能とカリウムについて述べます。原子炉や核爆発で30種類以上の放射性セシウムが作られますが、その多くは半減期が数日から1秒以下と短く、被曝を避けるうえで重要なのはセシウム134とセシウム137の2つです。前者の半減期は約2年、後者は約30年で、放射線を出すこと以外の元素としての性質は、非放射性のセシウムと同じです。
セシウムの体内分布
ヨウ素は甲状腺細胞のヨウ素を取り込むポンプの働きによって甲状腺に取り込まれます。
ストロンチウムはカルシウムと似ていて、骨の成分として骨の中に固まります。
セシウムは、水に溶けて体中に分布しますが、カリウムと似た分布、挙動をすると考えられています。
セシウムはカリウムと似ていてもまったく同じではないのでカリウムの動態からセシウムを機械的に同じと考えるのは正しくありません。
カリウムについては非常に詳しくわかっており、一方セシウムについては、厳密な測定は十分されていないので、測定されてわかっていることとカリウムの動態からの推測をして考えます。
「セシウムは筋肉に多く含まれる」と解説されることがあります。
大まかには正しいのですが、かなりあいまいな言いかたです。
例えば、屍体から摘出した臓器のセシウム放射能を測定して他の臓器や組織よりも、筋肉組織(骨格筋)のセシウム放射能が高いという研究結果があります。
発表された測定値はおそらく事実と思います(中には嘘を発表する人がいることはご存知の通り)。
おおまかには正しく、重要な知見ですが、これだけで単純に、「骨格筋細胞内のセシウム濃度は他の細胞よりも高い」と結論できません。評価、結論するには以下の考慮すべきことがあります。
・ 骨格筋組織重量の大部分は細胞(骨格筋細胞)である。
一方、腱組織などは、細胞が作った、コラーゲンなどの細胞外成分が大部分を占め、細胞が占める割合は少ない。
多くの組織はこの間にある。
だから、重量あたりの腱組織のセシウム濃度が筋肉より低くても、腱を構成している細胞内のセシウム濃度が低いとはいえない。
また、消化腺など、分泌機能を持つ細胞では、細胞内に分泌顆粒という袋があり、その中には、細胞内液とは組成が異なる成分がある。だから臓器や組織の重さとセシウム放射線を測って計算した重量あたりの放射線量の結果は、正確には細胞内のセシウム量や濃度を意味しない。
・ カリウムの生体内分布:一部は蛋白などと結合して水に溶けない状態で存在するが、カリウムの大部分はイオンとして水に溶けて体中に分布し、細胞内液には細胞外液よりはるかに高い濃度で分布する(約20倍)。
この細胞内外の不均等分布は、主に、①ナトリウムを細胞外に、カリウムを細胞内にエネルギーを使って輸送する細胞膜にあるポンプ蛋白の働きと、②細胞膜がナトリウムを通しにくいために細胞外のナトリウムイオンが高いまま保たれる結果、細胞外の陽イオンが高く、細胞内陽イオンが細胞外液と均等になるように、細胞膜を通過しやすいカリウム(陽イオン)が細胞内に多く移動して分布することなどによる。
・ 細胞膜は脂でできているので、ナトリウムやカリウム、カルシウム、ブドウ糖など、水溶性の物質は細胞膜を透過しない。細胞膜に浮かんで存在しているそれぞれの機能を持つ蛋白と結合したり、それぞれのイオンを通す穴の役割をするイオンチャンネル蛋白を介して、細胞膜を通過する。ナトリウムチャンネル、カルシウムチャンネル、カリウムチャンネルなどはそれぞれ複数の種類があり、細胞の種類による分布や働きが異なる。
・ セシウム放射能が筋肉組織に多く含まれることのメカニズムは、セシウムが細胞内の水に多く溶けて分布していることと、骨格筋組織は細胞成分の割合が多いことによる。
これに加えて、筋細胞は他の細胞よりもセシウム濃度が高い可能性があるが、発表された文献をよく吟味しないと、骨格筋細胞が、他の細胞よりも高濃度にセシウムを含有しているかについて、今、私は断言できない。
・ 細胞内外のセシウムの不均等分布のメカニズムの中心は、セシウムを運ぶポンプの働きよりは、おそらく、セシウムが細胞膜のカリウムチャンネルを通過することだろうと私は推測しているが推測である。推測の理由は省略する。
どの程度までわかっているのか文献を調べればわかるが、今のところ文献を調べるだけの余裕がないから調べていない。
・ セシウムがナトリウムチャンネルは通過せず、カリウムチャンネルを通過することが、セシウムが細胞内に多く分布するメカニズムと考えた場合、複数あるカリウムチャンネルのどれもセシウムの通過させやすさは一様か、異なる種類のチャンネルにおいてカリウムの通過しやすさとセシウムの通過しやすさは同程度かなどの問題がある。
・ 酸素や血流がなくなると、細胞膜にあるナトリウムポンプはエネルギー供給が途絶えて働かなくなり、その結果細胞内から細胞外へのナトリウムくみ出しが減って、細胞内のナトリウム濃度が高まる。
細胞内ナトリウムが増えた結果、細胞内外でのナトリウムイオンの濃度差減少によって細胞内外の陽イオン濃度の不均衡が減少し、その結果、カリウムは細胞内から細胞外へ拡散移動して細胞内濃度は低下する。
おそらくセシウムもカリウムに似た挙動をするだろうがその速さ、程度はカリウムとは異なるだろう。
臓器や細胞によって異なるが、心臓が止まって人が死亡しても、細胞は数時間から数十時間は生きている。
その間、細胞の様々な機能は低下し、やがて死ぬ。死後摘出した臓器はこのような条件で得られたものなので、セシウムがカリウムと似た動きをするのであれば、死後、細胞内のセシウムは細胞外に移動するはずだから、そのとき測定した細胞内のセシウム濃度は正常に細胞が生きている状態から変化している。
細胞外に移動しても、血流が途絶えているので、細胞付近にかなり留まっていると考えれば、臓器の組織重量あたりのセシウム意量はあまり変化しないと考えてもよいかも知れないが断定はできない。
体内カリウムの放射線
カリウムは動植物の体内に多く存在し、細胞機能にとっ基本的で重要な物質です。
大部分は水に溶けて存在し、動物では細胞内液には細胞外液のセシウム濃度の20倍以上の濃度で保たれています。人間の体重の約60%は水で、細胞内に40%、細胞外に20%存在します。
細胞内外の水の量と、細胞内外のカリウム濃度はそれぞれほぼ一定に保たれているので、体全体のカリウム量も一定に保たれていることになります。
地球上のカリウムには1万分の1の放射性カリウムが均等に混じっています。
生体内には一定量のカリウムが存在しますから、人は必ずカリウムによる放射線の内部被曝を受け続けています。生体内の放射能のほとんどはカリウム由来で、60kgの成人では総量3000~4000ベクレルで、無視できるほどは少なくはありません。
生体内でカリウム濃度は通常は15% 程度の変動範囲内に調節されています。
食物に含まれるカリウム摂取が余分なときは尿として排泄され、摂取量が少ないときは、尿中カリウム排泄を減らして、体内のカリウム濃度を保ちます。
腎不全でカリウムを十分排泄できず体内にカリウムが増えすぎたり、食事をとれないなどによって長期にカリウム摂取が減ると、心臓が止まるなど重大な障害を生じます。
「カリウムには放射能があるから、どんな食物にどれくらいのカリウムがあるかを知り、摂取量を下げよう」と考える人がいますが正しくありません。
カリウムは生体にとって絶対に必要な物質で、体内の量は一定に保たれていますから、普通に生活している範囲では食物摂取によるカリウムは沢山摂っても、減らしても、体内のカリウムとカリウムによる放射線被曝は変わりません。
放射能セシウム汚染食物などを介して、体内に少量の放射線セシウムがあった場合、カリウムはセシウム放射線より高レベルであっても、カリウムを飲食すると、余分のカリウムは尿に排泄され、この時セシウムも一緒に排泄される傾向があり、カリウムは一定に保たれ体内セシウムを尿に排泄する効果があります。
カリウムは放射能があるからと考えて、カリウム摂取を減らしてしまうと、尿中排泄カリウムが減り、体内のカリウム量は下げずに、セシウムの排泄を遅らせて、生物学的半減期を延長させ、その結果、セシウムをより長期に体内にとどめることになります。
「①ヒトはカリウムの放射線には適応して進化してきたから、②カリウムは自然放射能だから、生体に有害ではない」と言う人がいますが正しくありません。ガンマ線やベータ線で内部被曝すれば、カリウムによる自然放射能も、セシウムの人工放射能も、作用は同じです。
放射能を持たないカリウムだけの食事をして、カリウムによる内部被曝をなくすことができれば、おそらく、癌や、老化をはじめ多くの健康を害するものが軽減するはずです。しかし放射能を持たないカリウムを入手できないので、1万分の1の放射性カリウムを含むカリウムを食べて生きています。
セシウム放射線被曝の避け方
(後日に続く)
(追加)「セシウム放射線被曝とカリウム(少し詳しい解説)その2」として、「セシウム放射線被曝の避け方」を、また「セシウム放射線被曝とカリウム(簡単な解説)」を後日書くつもりです。
2012年1月
(少し詳しい解説、その1)
はじめに
福島原発爆発によって莫大な放射能が環境に撒き散らされました。
原発事故後、健康にとって、特に重要な放射能は、放射性ヨウ素、ストロンチウム、セシウムです。放射性ヨウ素の半減期は8日なので、4月初めに存在した放射性ヨウ素は、9ヶ月たった2022年1月では、1/2の33乗、100億分の1と、ほとんどなくなっています。
ストロンチウムとセシウムの半減期は約30年と長いので、福島原発から放出されたストロンチウムとセシウムの地球にある放射能量はほとんど減っていません。現在、食物や環境で測定されている放射能はほとんどがセシウムで、食物や環境のセシウム放射能が減っているのは、地上から減っているのではなくて、別の場所に移動したからです。
ストロンチウムはガンマ線を出さないので測るのが面倒なこともあり、あまり測定、公表していませんが、ストロンチウム汚染がないことや、心配しないでよいことを意味しません。
原発で作られた放射性ストロンチウムの量はセシウムと同程度存在すると考えられますが、大気などへの拡散の仕方が違うので、セシウムが検出されたところには同程度のストロンチウムがあるということでもありません。
放射性ヨウ素、ストロンチウム、セシウムの生体に対する傷害作用が違うのは、放射能・放射線の種類が違うからというよりは、主に放射性物質が生体のどこにどれくらいの期間存在するかということによるものです。
ヨウ素は甲状腺に集まるので、甲状腺傷害や、甲状腺癌の発生頻度を上げます。ストロンチウムは摂取すると、骨に集まって骨の成分として骨に固まってしまうので、排泄は難しく、同じ場所で放射線を出し続けるので、近くにある骨髄細胞が持続的に被曝し続け、白血病など、骨髄で作られる白血球などの血液細胞に傷害が出やすくなります。セシウムは体中の水に溶けて広く分布します。同じベクレル数の放射能を摂取しても、ヨウ素やストロンチウムのように特定の場所に集中的に被曝させるのではなく、全身の細胞が低いレベルで被曝します。
放射線の作用は、様々な物質(分子)の構造を少しこわすことで、紫外線の働きと似ています。紫外線を強くあてると、塗装の色が変わったり、紙やプラスチックががさがさになったりします。
生体内でも蛋白や様々な生体構成物質、遺伝子の本体であるDNAが変異を生じて、体内で様々なことが起きます。
DNAが変異を起こした場合は、その細胞から新しい細胞が作られるとき、新しい細胞にDNAは変異したまま複製されて引きつがれます。
本論ではストロンチウムの話は省略して、セシウムの放射能とカリウムについて述べます。原子炉や核爆発で30種類以上の放射性セシウムが作られますが、その多くは半減期が数日から1秒以下と短く、被曝を避けるうえで重要なのはセシウム134とセシウム137の2つです。前者の半減期は約2年、後者は約30年で、放射線を出すこと以外の元素としての性質は、非放射性のセシウムと同じです。
セシウムの体内分布
ヨウ素は甲状腺細胞のヨウ素を取り込むポンプの働きによって甲状腺に取り込まれます。
ストロンチウムはカルシウムと似ていて、骨の成分として骨の中に固まります。
セシウムは、水に溶けて体中に分布しますが、カリウムと似た分布、挙動をすると考えられています。
セシウムはカリウムと似ていてもまったく同じではないのでカリウムの動態からセシウムを機械的に同じと考えるのは正しくありません。
カリウムについては非常に詳しくわかっており、一方セシウムについては、厳密な測定は十分されていないので、測定されてわかっていることとカリウムの動態からの推測をして考えます。
「セシウムは筋肉に多く含まれる」と解説されることがあります。
大まかには正しいのですが、かなりあいまいな言いかたです。
例えば、屍体から摘出した臓器のセシウム放射能を測定して他の臓器や組織よりも、筋肉組織(骨格筋)のセシウム放射能が高いという研究結果があります。
発表された測定値はおそらく事実と思います(中には嘘を発表する人がいることはご存知の通り)。
おおまかには正しく、重要な知見ですが、これだけで単純に、「骨格筋細胞内のセシウム濃度は他の細胞よりも高い」と結論できません。評価、結論するには以下の考慮すべきことがあります。
・ 骨格筋組織重量の大部分は細胞(骨格筋細胞)である。
一方、腱組織などは、細胞が作った、コラーゲンなどの細胞外成分が大部分を占め、細胞が占める割合は少ない。
多くの組織はこの間にある。
だから、重量あたりの腱組織のセシウム濃度が筋肉より低くても、腱を構成している細胞内のセシウム濃度が低いとはいえない。
また、消化腺など、分泌機能を持つ細胞では、細胞内に分泌顆粒という袋があり、その中には、細胞内液とは組成が異なる成分がある。だから臓器や組織の重さとセシウム放射線を測って計算した重量あたりの放射線量の結果は、正確には細胞内のセシウム量や濃度を意味しない。
・ カリウムの生体内分布:一部は蛋白などと結合して水に溶けない状態で存在するが、カリウムの大部分はイオンとして水に溶けて体中に分布し、細胞内液には細胞外液よりはるかに高い濃度で分布する(約20倍)。
この細胞内外の不均等分布は、主に、①ナトリウムを細胞外に、カリウムを細胞内にエネルギーを使って輸送する細胞膜にあるポンプ蛋白の働きと、②細胞膜がナトリウムを通しにくいために細胞外のナトリウムイオンが高いまま保たれる結果、細胞外の陽イオンが高く、細胞内陽イオンが細胞外液と均等になるように、細胞膜を通過しやすいカリウム(陽イオン)が細胞内に多く移動して分布することなどによる。
・ 細胞膜は脂でできているので、ナトリウムやカリウム、カルシウム、ブドウ糖など、水溶性の物質は細胞膜を透過しない。細胞膜に浮かんで存在しているそれぞれの機能を持つ蛋白と結合したり、それぞれのイオンを通す穴の役割をするイオンチャンネル蛋白を介して、細胞膜を通過する。ナトリウムチャンネル、カルシウムチャンネル、カリウムチャンネルなどはそれぞれ複数の種類があり、細胞の種類による分布や働きが異なる。
・ セシウム放射能が筋肉組織に多く含まれることのメカニズムは、セシウムが細胞内の水に多く溶けて分布していることと、骨格筋組織は細胞成分の割合が多いことによる。
これに加えて、筋細胞は他の細胞よりもセシウム濃度が高い可能性があるが、発表された文献をよく吟味しないと、骨格筋細胞が、他の細胞よりも高濃度にセシウムを含有しているかについて、今、私は断言できない。
・ 細胞内外のセシウムの不均等分布のメカニズムの中心は、セシウムを運ぶポンプの働きよりは、おそらく、セシウムが細胞膜のカリウムチャンネルを通過することだろうと私は推測しているが推測である。推測の理由は省略する。
どの程度までわかっているのか文献を調べればわかるが、今のところ文献を調べるだけの余裕がないから調べていない。
・ セシウムがナトリウムチャンネルは通過せず、カリウムチャンネルを通過することが、セシウムが細胞内に多く分布するメカニズムと考えた場合、複数あるカリウムチャンネルのどれもセシウムの通過させやすさは一様か、異なる種類のチャンネルにおいてカリウムの通過しやすさとセシウムの通過しやすさは同程度かなどの問題がある。
・ 酸素や血流がなくなると、細胞膜にあるナトリウムポンプはエネルギー供給が途絶えて働かなくなり、その結果細胞内から細胞外へのナトリウムくみ出しが減って、細胞内のナトリウム濃度が高まる。
細胞内ナトリウムが増えた結果、細胞内外でのナトリウムイオンの濃度差減少によって細胞内外の陽イオン濃度の不均衡が減少し、その結果、カリウムは細胞内から細胞外へ拡散移動して細胞内濃度は低下する。
おそらくセシウムもカリウムに似た挙動をするだろうがその速さ、程度はカリウムとは異なるだろう。
臓器や細胞によって異なるが、心臓が止まって人が死亡しても、細胞は数時間から数十時間は生きている。
その間、細胞の様々な機能は低下し、やがて死ぬ。死後摘出した臓器はこのような条件で得られたものなので、セシウムがカリウムと似た動きをするのであれば、死後、細胞内のセシウムは細胞外に移動するはずだから、そのとき測定した細胞内のセシウム濃度は正常に細胞が生きている状態から変化している。
細胞外に移動しても、血流が途絶えているので、細胞付近にかなり留まっていると考えれば、臓器の組織重量あたりのセシウム意量はあまり変化しないと考えてもよいかも知れないが断定はできない。
体内カリウムの放射線
カリウムは動植物の体内に多く存在し、細胞機能にとっ基本的で重要な物質です。
大部分は水に溶けて存在し、動物では細胞内液には細胞外液のセシウム濃度の20倍以上の濃度で保たれています。人間の体重の約60%は水で、細胞内に40%、細胞外に20%存在します。
細胞内外の水の量と、細胞内外のカリウム濃度はそれぞれほぼ一定に保たれているので、体全体のカリウム量も一定に保たれていることになります。
地球上のカリウムには1万分の1の放射性カリウムが均等に混じっています。
生体内には一定量のカリウムが存在しますから、人は必ずカリウムによる放射線の内部被曝を受け続けています。生体内の放射能のほとんどはカリウム由来で、60kgの成人では総量3000~4000ベクレルで、無視できるほどは少なくはありません。
生体内でカリウム濃度は通常は15% 程度の変動範囲内に調節されています。
食物に含まれるカリウム摂取が余分なときは尿として排泄され、摂取量が少ないときは、尿中カリウム排泄を減らして、体内のカリウム濃度を保ちます。
腎不全でカリウムを十分排泄できず体内にカリウムが増えすぎたり、食事をとれないなどによって長期にカリウム摂取が減ると、心臓が止まるなど重大な障害を生じます。
「カリウムには放射能があるから、どんな食物にどれくらいのカリウムがあるかを知り、摂取量を下げよう」と考える人がいますが正しくありません。
カリウムは生体にとって絶対に必要な物質で、体内の量は一定に保たれていますから、普通に生活している範囲では食物摂取によるカリウムは沢山摂っても、減らしても、体内のカリウムとカリウムによる放射線被曝は変わりません。
放射能セシウム汚染食物などを介して、体内に少量の放射線セシウムがあった場合、カリウムはセシウム放射線より高レベルであっても、カリウムを飲食すると、余分のカリウムは尿に排泄され、この時セシウムも一緒に排泄される傾向があり、カリウムは一定に保たれ体内セシウムを尿に排泄する効果があります。
カリウムは放射能があるからと考えて、カリウム摂取を減らしてしまうと、尿中排泄カリウムが減り、体内のカリウム量は下げずに、セシウムの排泄を遅らせて、生物学的半減期を延長させ、その結果、セシウムをより長期に体内にとどめることになります。
「①ヒトはカリウムの放射線には適応して進化してきたから、②カリウムは自然放射能だから、生体に有害ではない」と言う人がいますが正しくありません。ガンマ線やベータ線で内部被曝すれば、カリウムによる自然放射能も、セシウムの人工放射能も、作用は同じです。
放射能を持たないカリウムだけの食事をして、カリウムによる内部被曝をなくすことができれば、おそらく、癌や、老化をはじめ多くの健康を害するものが軽減するはずです。しかし放射能を持たないカリウムを入手できないので、1万分の1の放射性カリウムを含むカリウムを食べて生きています。
セシウム放射線被曝の避け方
(後日に続く)
(追加)「セシウム放射線被曝とカリウム(少し詳しい解説)その2」として、「セシウム放射線被曝の避け方」を、また「セシウム放射線被曝とカリウム(簡単な解説)」を後日書くつもりです。
2012年1月
2012.01.02 (Mon)
講演「被曝をどう避けるか」要旨
「被曝をどう避けるか」
講師:岡山 博、仙台赤十字病院呼吸器科、東北大学臨床教授
主催:放射線被曝から子どもを守る会
日時:2011年12月17日
ところ:仙台市医師会館ホール
講演の主なスライドのまとめです。。
日本のがん死亡率を正確な文章に修正しました。
2012年1月2日掲載、2012年1月22日修正。
被曝をどう避けるか
放射線と身体への影響についてお話します。
医学知識を知ると深く理解できるが、知らなくても、大丈夫。
被曝を避ける事と、医学的知識は別の話です。
同じ知識を持っていても「放射線を避けるな」と言う人も「避けろ」と言う人もいます
学ぶと言うことは、鵜呑みにする事ではなく、本当にそうかと自分で考え、判断すること
被曝をどう考えるか、避けるためにどうするかを議論しましょう。
講演途中でも、質問や意見、歓迎します。
1. 放射線とは何か
2. 汚染の状況
3. 被曝と生体への影響
4. 被曝を避けるために・議論
・被曝の危険性はどの程度か
・被曝の避け方
家庭が、社会ができること
・環境除染した放射能をどうするか
・農漁業者を守るには?
・心配するなという専門家の意見?
など 何でも
I, 放射線・放射能とは何か
放射線の作用
紫外線に似ている。いろいろな物質を変性する。
例えば
印刷されたインクの色があせる
プラスチックなどぼろぼろになる
生体内でも蛋白やDNAやいろいろな物質を変性させる。
細胞障害ややけど(急性・短期的傷害)
老化、癌、生殖機能、先天異常を増やす(長期的傷害)
放射線の作用
アルファ線、ベータ線、ガンマ線
放射性物質から出る。
放射性物質の種類で
どの放射線が出るか、
いつまで出し続けるかは
原子によって決まっている。
放射線を出す性質は分子ではなく原子の性質。だから
微生物や化学反応でなくしたり減らすことはできない。
放射性元素の性質で時間とともに減少するのを待つだけ(半減期)
除線は、放射能を移動させることしかできない。
放射線の種類
放射性物質から出るエネルギー。
高熱を出し続ける鉄球と考えるとわかりやすい
・α線:陽子2個と中性子2個の粒
・β線:もっと小さな電子1個の粒
・γ線:紫外線の続き(電磁波)
原発のしくみ
U235+n→U236→A+B+2~3n
・ウランの原子核に中性子が衝突すると、
衝突の仕方で何種類もの大きさの2つの原子核と2~3個の中性子に分裂する
・ウランの量と密度が高いと、連鎖反応して爆発、少ないと中性子が核に衝突せず、すり抜けて、反応は停止する。この中間の微妙なところで反応させて熱を取り出す
・火薬を使って水を沸かすことと似ている。多いと爆発、少ないと反応停止し、中間は難しい。
・核分裂で約100種の放射性物質が作られ
・1億倍の放射線と熱が出る
・放射性物質の種類で、アルファ、ベータ、ガンマ線を、いつまで出し続けるかが決まっている。
放射線核種
名称 記号 半減期 放射線の種類
ヨウ素-131 131I 8日 ベータ線、ガンマ線
セシウム-137 137Cs 30年 ベータ線、ガンマ線
ストロンチウム-90 90Sr 29年 ベータ線
プルトニウム-239 239PU 2万4千年 アルファ線
カリウム-40 40K 13億年 ベータ線、ガンマ線
放射性ヨウ素とセシウム137はアルファ線を出さない
アルファ線を出すものはラジウム、ウラン、プルトニウム
II. 放射能汚染の状況
爆発後初期~3月末
膨大な放射能ほこり。風に乗って散らばった。
大きなほこりはゆっくり地面に落ち、小さなほこりは空中に浮遊、世界に拡散。雨や雪が降ると、放射能ほこりはまとまって落下した
呼吸で吸い込み、食物として摂取し、被曝してしまった。
最も多かったのは、ヨウ素。
今は3月末比で 1/100万以下に減少。
甲状腺癌の原因。
癌は確認できる5mm以上に育つまで、癌になってから早いものでも5年以上かかる。
セシウム、ストロンチウムなども拡散
この時期に行うべきだった被曝対策
高度汚染の可能性がある地域からの避難
被災者に安全な水、食料を届ける。汚染飲食禁止
ヨウ素剤服用
避難しない人への指導
・ 汚染食品飲食制限
・ 外出・外気ほこりを避ける。マスク。
・ 体についた放射能を流す。シャワー
・ 家にほこりを持ち込まない。
今の10倍の汚染可能性もあった。この程度で済んだのは偶然ともいえる。
大量の放射能ほこりが風邪で北西に流れ、飯舘村や福島市、宮城県白河市南部と丸森町を強く汚染した。南風が更に続けば、仙台は、飯舘や福島と同様に汚染されたはずだ。
風は南東から北風に急に逆転して、仙台ではなく、郡山や白河、栃木、群馬が汚染された。これがわかったのはずっと後。重大な危険の可能性があったので、福島、仙台は避難や窓閉め、建物の換気停止、外出控え、マスク着用をすべきだった。
外国大使館、東電、国内大企業、マスコミが行った自己防衛対策(正しい)
東電、東北電力は社員家族を福島から緊急避難指示
多くの大使館は、自国民の日本からの退去や
関西への避難、汚染食品回避を指示。退去用飛行機を準備
震災、原発対策のために宮城県沖に出動したアメリカ原子力空母は、放射能汚染を避けるためすぐに、宮城県沖から撤退
多くの大企業は本社機能を東京から大阪に移転
震災報道のため、仙台に拠点を作ったCNN(米)とBBC(英)放送は、すぐに拠点を山形と秋田に避難
国内大手マスコミは、原発50km以内から記者を含め全員撤退、進入禁止。
政府や自治体、東電が実際に行った事
東電、東北電力、政府は、震災当日に、7時間半後の原発爆発と、その後の大爆発、深刻な放射能汚染を予測していた。
原発事故収拾作業から撤退すれば、原子炉の冷却不能が確定し、4基の原子炉が全て爆発することを意味したが、東電は、事故収束の見通しを立てられず原発事故作業からの撤退を内定した。これは総理大臣から拒否され、作業中止は免れ、原子炉冷却作業が続けられた。
東電や東北電力は社員と家族を、緊急に福島から避難させた。社員家族が知人に緊急連絡して、福島県から避難できた一般住民も多い。
一般住民には知らせなかった。
政府とマスコミは「汚染はわずかだ、危険は無い。惑わされるな、あわてるな、家に留まれ」と避難を抑制。危険性を指摘する発現は「不安を煽る」として発現や報道を抑圧した。
その結果、沢山の人が被曝した
・被曝回避の機会を失った。
・子どもを雪であそばせた。
・マスクもしなかった。
・汚染された地域や自家栽培の野菜を食べさせた。
・ヨウ素剤を服ませなかった
・汚染を心配する人を異常者扱い。自由に物言えぬ社会。
その裏で電力会社・大企業、マスコミは
危険を知り、社員避難や会社機能の大阪へ移転など正しい対策をとっていた!
原子炉事故の破局的進行や、高度被曝が20%の可能性で予想される時
・「重大な被曝を受ける可能性がある」と
対策や避難を進めるべきだが
・「高度被曝の可能性は低い。落ち着くように」と
説明し、避難や対策を遅らせ、抑制した
オバマ大統領は、ハリケーンの時、
「判断を遅らせて被害を増やすな、
すぐ決断し避難せよ」と指揮し、住民に呼びかけた
最悪の被害を確認してから行うのは、
危険対策ではなく、判断責任回避し住民に被害拡大
汚染状況、汚染予測を知らせなかった
・批判意見はないかのように無視し、汚染を過小評価する解説を繰り返した。
・政府の「安全解説」に批判的な意見は存在しないかのように報道。
・批判的意見は「扇動」あるいは「風評」と嘘扱い
・政府会見で、事実を求める質問もされなくなった。
・日本政府と気象庁は緊急時のために作った放射線汚染予測を公開しなかった
・日本気象庁の発表データを使って、ドイツ、スイス、オーストリア、台湾など各国の
気象庁が日本の放射線汚染予測図を毎日時間を追って発表。
日本人のために、日本語の発表も
外国の反応など
ウクライナ医学アカデミーロガノフスキー氏「チェルノブイリでの経験がある。協力できると日本大使館に出向いたが門前払いされた」
ドイツ救援チーム3月14日、急きょ帰国した。「日本政府は事実を隠蔽し、過小評価している。」と早期帰国の理由を語った。
ドイツ首相も「日本からの情報は矛盾している」と繰り返した。(2011年3月16日 読売新聞)
被災地のために外国から、緊急供与された放射能測定器40000個が、羽田空港倉庫に保管されたまま、配布されなかった
「子どもたちを20mSvの放射能にさらすのを、今すぐやめてください」在フランス日本大使、仏市民団体「原発をやめる会」他からの抗議の手紙受け取りを拒否(8月31日)
安全だと強弁して事故を起こした責任者が今も、原発事故処理を仕切っている
原発事故の危険性を主張し、事故時の対策を研究・要求してきた国内の専門家は今も排除したまま
現在の大気の汚染状況(推測)
3月爆発後、空中に拡散した放射能粒子は地面に降下するか世界中に拡散した。
当初と比べ、ずっと少なくなった。しかし
今も事故原子炉と原発から放射能が拡散している。
原子炉周辺のがれきや地面に落ちた放射能ほこりが乾いて風で舞うこともある。
普通の状態であればマスクの価値は下がった
現在の地表の汚染状況
地表に落ちた放射能
雨水で流れ、乾いたところに残る。
水がたまって乾いた所のごみや枯れ草に吸着している。雨が降るたびに少しずつ解けて流れ、地面にしみこんでいる。
土にしみこんだセシウムの一部を植物は吸い上げる。葉についた、ほこりや雨の中のセシウムの一部は直接吸収される。
水道水の汚染はおそらく少ない
現在の海の汚染状況
汚染水を大量に海に放出している
海水・海底・ヘドロと、海草・魚が汚染され続けている。
・ヨウ素:80日で 1/ 1000 160日で1/100万に
減る。海草に蓄積。甲状腺に集まる
・セシウム:魚や貝の肉。水に溶ける。
福島海底ヘドロから大量セシウム
・ストロンチウム: ほとんど未測定。
海底、魚の骨に蓄積。食べると骨にたまる。
時間とともに全国に拡散拡大する。
・日本周囲太平洋は注意
現在の地表汚染状況と食物
ヨウ素:大量に放出されたが、放射能はなくなっている
セシウム:大気中セシウムは葉からも吸収された。土やホットスポットのごみ、枯れ草に付着。土中セシウムは植物に吸収される。何十年も続く。海や沼のセシウムは植物や虫、魚に吸収される。
ストロンチウム:汚染された植物や飼料を食べて、動物に吸収され、骨に蓄積され放射線を出し続ける。牛乳や小魚など骨に注意
今は、何から被曝するか
空気中に浮遊する放射能ほこりは少ない。
環境放射線は地面に積もった放射能ほこりからのセシウム、ストロンチウム。放射能ごみをなめたり、ほこりが舞い上がると吸入し内部被曝の原因になる。外部被曝もある。除染
放射能や毒物被害を避ける方法は、毒を避けることが基本。毒を採った上でどう減らすかではない。
食物中のセシウムと、ストロンチウムが重要。
放射線規制
放射線暫定規制値
厚生労働省 3月29日に緊急とりまとめ
・放射性ヨウ素:年間2mSv(甲状腺等価線量としては年間50mSv)
・放射性セシウム:年間5mSv
という実効線量が安全とした
食品放射能暫定基準
暫定基準とは
・緊急事態で、水や食物が手に入らない時、「害を承知で、食べるのもやむをえない」制限
・食べ物が無くてもこれ以上は、食べてはいけない上限。安全な基準ではない。
・飲み物の暫定基準は:海洋投棄を禁止されている原発からの汚染廃水より高い
現在の暫定基準はヨーロッパの緊急時規制値とほぼ同じ
おかしいのは
・汚染地域に、汚染されていない飲食物を緊急に供給しない
・原発爆発直後のまま、緊急事態として続けている
・有害だが緊急時には一時やむをえない値を「安全」という
・被曝を避けるのではなく拡散・拡大させる姿勢と政策。
・汚染されていない地域にも、汚染食品を意図して拡散
食品放射能測定
国や自治体が食品放射能を測定した。
農作物はよく洗い、魚は頭と内臓を取ってから測定するように指示
暫定基準以上の作物が出たら一時出荷停止にし、なるべく早く解除した。暫定基準以下は安全と宣言
同じ地域の、測定しなかった畑の作物や、別の種類の作物は出荷停止しない。
給食など「勝手に」測定することを実質的に禁止した。
汚染の危険を指摘する発言や行動を抑圧
危険性を話題にすることを「風評」と嘘扱い
食品衛生法
第6条 有毒な疑いがある食品は、販売、製造してはならない。
ただし、人の健康を損なうおそれがない場合として厚生労働大臣が定める場合においては、この限りでない。
文部科学省は
「市場に流通している食品は、安全という前提。
給食に限って何かをすることは考えていない」
食物や環境放射能の基準
許容量:法律で決まっている
許容基準を定める目的は; 被曝と被害を少なくするため(世界各国、国際機関、日本の法律全て) 。
緊急時暫定基準: 安全な水や食料がない緊急時に、害を承知でやむを得ず許容する量。緊急時でもそれ以上は摂ってはいけない。安全を意味しない。
鉛や水銀、農薬などの毒物規制は、毒を摂取させないための基準。有害とわかっている量よりはるかに低量で規制=安全管理の原則
ドイツ放射線防護協会
「放射線汚染された食品やゴミを汚染されていないものと混ぜて『安全である』として通用させることを禁止する国際的な合意がある。日本の官庁は希釈禁止に抵触している」(2011年11月)
電離放射線障害防止規則
「放射性物質」とは、40Bq/cm2を超えるもの
汚染した場合、標識し
・1mで0.01ミリシーベルト毎時以下、
・4Bq/cm2 (約400Bq/kgの土、100Bq/kg枯草)
以下、になるまで除去
第29条 清掃を行なうときは、じんあいの飛散しない方法で。
第33条 貯蔵はかぎ閉鎖の貯蔵施設
第35条 焼却は、気体がもれるおそれ、灰が飛散するおそれのない構造の焼却炉
暫定基準値は、法律違反
『放射線障害防止法、3条』;一般人の許容放射線量は年間1ミリシーベルト以下とする。
放射能の単位
ベクレル:1秒で出る放射線の数
シーベルト(旧 REM):
さまざまな仮定・推測をして計算した体に与える影響の大きさの値
実効線量、性質の異なる危険性を、無理に同じ単位で表す
換算法: 核種に対する実効線量係数をかける
例)100 Bqのヨウ素を1回、経口摂取した場合は、
実効線量係数0.022( (セシウムであれば0.019)(成人)
ヨウ素でもセシウムでも大まかに0.02としてかけると
100 Bq× 0.02= 2 μSv
(100 Bq 食べると2 μSv 被曝する)
セシウムを毎日摂取した時の計算
1年あたりミリシーベルト
=(1日に食べるBq)×(365日)×0.02×1/1000(mSv/ 年)
(×1/1000は μSv を mSvに直すため)
=(1日に食べるBq)× 0.0073(mSv/ 年)
毎日100Bq 食べると
=100Bq×0.0073=0.73 mSv (約 1 mSv)1年で被曝する
60kg の成人が毎日食べ続けて平衡状態に達した時の
体内セシウム放射能は
1日に食べるBq の約100倍(子どもは半減期短いのでそれより低値)で安定する
毎日100Bq 食べると約1年で(子どもはもっと早い) 全身に含まれるセシウムは
100Bq ×100 倍=10000 Bq に落ち着く
(60kg 成人で K の4000Bq の 2.5 倍)
III. 放射線被曝と生体への影響
内部被曝の経路
呼吸: 放射性の微粒子や気体を吸い込む
飲食物: 放射性物質が付着した飲食物を摂取する
皮膚や傷口から吸収
内部被曝の危険性
放射線源からの距離が近い
1cm では 10m の100万倍被曝する
体内に、長期間残る
同じ部位の細胞が繰り返し被曝する
蛋白や遺伝子変異、炎症を起こす
老化、骨髄機能抑制(感染、出血、貧血)
癌、先天異常、遺伝的障害
放射線核種による生体影響の違い
ヨウ素
甲状腺に集まる →甲状腺腫・甲状腺癌
半減期 8日
セシウム
細胞内の水に多く溶けて分布→さまざまの癌
半減期 30年、 生物学的半減期 1~2ヶ月
ストロンチウム
カルシウムに似て骨に分布
→白血病・リンパ腫
半減期 29年。Cs137出れば、Sr90存在
被曝の身体への影響、特にDNA損傷と癌について
癌とは何か
正常の細胞は
常に必要なだけ、新しい細胞が増殖し、古い細胞が静かに自ら死んでいく(皮膚では、ふけや垢になる)
細胞が死ななくなって細胞の数が増え続けるのが癌
癌のでき方
1人の人では、どの細胞もまったく同じ遺伝子を持ち、変化しない
①細胞増殖を始める、②止める
③自殺させる、 ④間違ったDNAを修
に関係した数十個の遺伝子がある
1個の細胞内で、これらの遺伝子が3~4個が、間違って異常DNAに変わると、増殖が止まらない、自分で壊れない癌細胞になる
遺伝子に対する、確率的傷害作用
多くの毒物や大量被曝による急性放射線障害は
毒の量が多いほど障害の程度が強くなる
微量では生体に影響は無い
放射線被曝による長期障害は遺伝子(DNA)変異
被曝線量が増えると確率的に傷害の頻度が増える.
被曝線量が減ると傷害の頻度が減るだけ
20ミリシーベルトの被曝で1000人に1人が癌で死亡する.
同量の放射能を1000人で分けても10万人で分けても1人が癌で死亡
ベラルーシ甲状腺癌を、どう評価するか
15歳以下 7人 → 407人 58倍
55~64歳 54 人→ 326人 6倍
「50倍に増えるほど危険だ」と考えるか
「1年で、10万人のうち死亡がわずか数人増えただけだから気にするな」と考えるか
放射線専門医が専門家として判断し、その結論で国民を教育する問題か?
甲状腺癌は少ない癌だから少し増えてもわかった
わかるまでに20年かかった
現在日本では、10万人あたり年間270人、肺がんだけでも、82人/10万人/年が癌で死亡する。全癌死亡や、肺癌は事故前から多いので、被曝によって甲状腺癌と同程度の死亡が増えても、わずかなパーセント増加にしかならず、おそらく証明できない。比較対象にする汚染されなかった地域の人も、食品などによって被曝しているので、比較を難しくする。しかし、事故以前は若年者のがんは少ないので、がんの種類を細かく分けて、年齢別統計を取ると、いくつかのがんでは増加したことが分かる可能性がある。
(参考)
日本の年間死亡数
114万人
907人/10万人
日本の癌死亡
34万人/年
273人/10万人/年
全死亡の30%
日本の肺癌死亡
65000人/年
82 人/10万人/年
男70歳~
500人/10万人/年
イギリス核再処理工場 周囲の白血病増加
「他にも多い地域があるので放射能の影響とはいえない」という反論
1950~89年に乳がんが2倍以上になった地区(郡)
アメリカ
ほとんどが原子力施設160km以内
原発周辺で小児白血病が増加
ドイツ政府の大規模調査 2007 で確定
放射線かどうかは未検討
IV. 被曝を避けるために
食品からの被曝を避けるために
摂取した放射能の害を減らすことよりも、
摂取しないことが基本
汚染食品を避ける
汚染可能性ある地域のものは、
計測された値を知り、自分で評価する
判断を他人に任せない
汚染食品の考え方
1) 「暫定基準以下だから安全」は誤り
2) 「安全安心を示すための測定」はあてにならない
低そうなものを選んで測定している
高く出たら隠す、過小評価する傾向
全体の傾向を意味しない
3) 「汚染を発見し、流通や摂取を避ける」目的の測定が必要
4) 現状では、安全確認できないものを避ける
5) 「安全か?」と他人に評価まで頼るのはやめ、測定値を知って、自分で判断する
食品による内部被曝の避け方
家庭でできること
1.汚染食品を避ける
2.食べる量を減らす。特に過食傾向の人
3.調理法
4.排泄を促す(過剰に重視すべきではない)
放射線元素による違い
ヨウ素
半減期が短いので、今はなくなっている
ストロンチウム
ほとんど測定していない
吸収されると、骨に固まって、いつまでも残る。
とにかく避ける。汚染牛乳、小魚、魚の骨
調理法で解決できない
セシウム 現在最も多い。これは工夫できる
汚染食品の避け方
1) 安全と確認できない食品を避ける
・ 汚染地域の農作物
・ 日本周囲太平洋の海産物
・ 「国産」と言う表示など産地表示があいまいなもの。
・ 国産の加工食品。産地ではなく、加工所を表示している
・ 外食
2) 「安全か?」と他人に頼るのは止め、
測定値を知って、自分で評価する
食品の選び方
・誰に従って安全と思うのではなく、
・放射線の値を聞いて
・安全性は自分で判断する
・ 基準値以下というのは安全を意味しない
・ 測定値を隠す人の安全説明は、さらに危ない。
他人の安全を軽視し、消費者に情報や事実を教えず、判断させず、自由な議論を歓迎せず安全という評価を強要する人を信頼すべきではない
セシウムを避ける調理法
セシウムは生きた細胞内の水に多く溶けている。カリウムに似た分布
生野菜、果物、肉、魚は細胞が大部分。染み出して流し去らなければ、全て残る。
細胞を殺し、水につけておくと細胞から外に染み出す
葉野菜100g を1Lでゆでると1/10に、もう一度ゆでなおすと、1/100に減る。大根や芋など大きな塊は染み出すのに時間がかかる
マカロニをたっぷりの水でゆでると約20%に減る。水を替えてゆでなおすとさらに減る
米をとぐと、ぬかの分を減らせる。といだ後、一晩水につけ翌日2回水を替えてから炊くとさらに減らせると思う
乾燥食品や、焼く料理は、水がなくなるだけでセシウムは全て残る
ヨウ素の避け方
今はほとんどない。
また原発から放出されたら、多いときは逃げる
多くない時は、風下であれば吸入注意、外に出ない。窓閉め、喚起やめる。インフルエンザ用マスク。
食物注意。特に海草に集まる
大量被曝可能性高いときはヨウ素(ヨード)剤内服
ストロンチウムの避け方
少し面倒なのであまり測っていない。
カルシウムに似て、骨に集まる。骨に固まって動かないので、隣の同じ細胞が放射線を浴び続ける。白血病など血液の病気の原因
魚・かに・貝類と、それを食べる魚の骨はさらに濃縮。牧草・骨粉を食べた家畜のミルク、骨
福島海底の泥からセシウム大量に検出されたストロンチウムも多いはず。
汚染の可能性ある魚、特に骨を食べない。小魚
日本周囲の太平洋は汚染の可能性高い
個人で避けた汚染食品はどこへ?
自分で避けた食品は?
廃棄されない。
業者が安く買って使う;加工食品、外食産業
食べたら1000人に1人が癌で死ぬ放射線を
1万人で分けて食べても1人が死ぬ
=癌を起こす確率的作用
薄めて流通する汚染食品の全体量を増やすと→癌は増える。だから
汚染食品を作らせない、流通させないことが最も大切
放射能許容量を考える基準
被曝を避けたいか、それとももっと被曝させたいか
何のために
どの程度まで被曝受け入れると判断するか
俗論や無責任な解説を排除する。
以上が放射能をどこまで受け入れるか
を考える基準。
だから、
事実と根拠は聞くが、評価・判断は自分でする
食品の放射能測定の目的
食品の有毒物や放射能を測るのは
毒物を食べさせないため
・ところが今の日本は
「これくらいは安全だからもっと食べろ」
「不安に思うのは知識不足で、過剰反応」
「食べても安全だ」と言うために、
測定している
IV. 議論しましょう
異なる意見があって始めてよい議論ができます。
私の意見も述べます。
被曝の危険性はどの程度か
被曝を避けるために。家庭でできること、社会としてとりくむこと
除染・汚染処理問題。除染した汚染物をどう処理するか
農漁業者をどう守るか、
「この程度の放射能は安全だ、安心して食べよう」という意見をどう考えるか
その他なんでも質問、発言してください
(後日追加資料)
・ 文部科学省は、震災直前の去年3月3日、東京電力など原発を持つ3社と非公式の会合。東京電力などは文科省に対し、巨大津波の危険を指摘する報告書の内容について、貞観地震に関する記述を修正するよう要求したということです。テレ朝ニュース2012,2,26
・ ハーメルンプロジェクト志田氏「『安全だ、避難は不要だと』と福島県民に説明・指示する県教育庁担当者5人に聞いたうちの3人が『自分のこどもは既に避難させている』」と。
講師:岡山 博、仙台赤十字病院呼吸器科、東北大学臨床教授
主催:放射線被曝から子どもを守る会
日時:2011年12月17日
ところ:仙台市医師会館ホール
講演の主なスライドのまとめです。。
日本のがん死亡率を正確な文章に修正しました。
2012年1月2日掲載、2012年1月22日修正。
被曝をどう避けるか
放射線と身体への影響についてお話します。
医学知識を知ると深く理解できるが、知らなくても、大丈夫。
被曝を避ける事と、医学的知識は別の話です。
同じ知識を持っていても「放射線を避けるな」と言う人も「避けろ」と言う人もいます
学ぶと言うことは、鵜呑みにする事ではなく、本当にそうかと自分で考え、判断すること
被曝をどう考えるか、避けるためにどうするかを議論しましょう。
講演途中でも、質問や意見、歓迎します。
1. 放射線とは何か
2. 汚染の状況
3. 被曝と生体への影響
4. 被曝を避けるために・議論
・被曝の危険性はどの程度か
・被曝の避け方
家庭が、社会ができること
・環境除染した放射能をどうするか
・農漁業者を守るには?
・心配するなという専門家の意見?
など 何でも
I, 放射線・放射能とは何か
放射線の作用
紫外線に似ている。いろいろな物質を変性する。
例えば
印刷されたインクの色があせる
プラスチックなどぼろぼろになる
生体内でも蛋白やDNAやいろいろな物質を変性させる。
細胞障害ややけど(急性・短期的傷害)
老化、癌、生殖機能、先天異常を増やす(長期的傷害)
放射線の作用
アルファ線、ベータ線、ガンマ線
放射性物質から出る。
放射性物質の種類で
どの放射線が出るか、
いつまで出し続けるかは
原子によって決まっている。
放射線を出す性質は分子ではなく原子の性質。だから
微生物や化学反応でなくしたり減らすことはできない。
放射性元素の性質で時間とともに減少するのを待つだけ(半減期)
除線は、放射能を移動させることしかできない。
放射線の種類
放射性物質から出るエネルギー。
高熱を出し続ける鉄球と考えるとわかりやすい
・α線:陽子2個と中性子2個の粒
・β線:もっと小さな電子1個の粒
・γ線:紫外線の続き(電磁波)
原発のしくみ
U235+n→U236→A+B+2~3n
・ウランの原子核に中性子が衝突すると、
衝突の仕方で何種類もの大きさの2つの原子核と2~3個の中性子に分裂する
・ウランの量と密度が高いと、連鎖反応して爆発、少ないと中性子が核に衝突せず、すり抜けて、反応は停止する。この中間の微妙なところで反応させて熱を取り出す
・火薬を使って水を沸かすことと似ている。多いと爆発、少ないと反応停止し、中間は難しい。
・核分裂で約100種の放射性物質が作られ
・1億倍の放射線と熱が出る
・放射性物質の種類で、アルファ、ベータ、ガンマ線を、いつまで出し続けるかが決まっている。
放射線核種
名称 記号 半減期 放射線の種類
ヨウ素-131 131I 8日 ベータ線、ガンマ線
セシウム-137 137Cs 30年 ベータ線、ガンマ線
ストロンチウム-90 90Sr 29年 ベータ線
プルトニウム-239 239PU 2万4千年 アルファ線
カリウム-40 40K 13億年 ベータ線、ガンマ線
放射性ヨウ素とセシウム137はアルファ線を出さない
アルファ線を出すものはラジウム、ウラン、プルトニウム
II. 放射能汚染の状況
爆発後初期~3月末
膨大な放射能ほこり。風に乗って散らばった。
大きなほこりはゆっくり地面に落ち、小さなほこりは空中に浮遊、世界に拡散。雨や雪が降ると、放射能ほこりはまとまって落下した
呼吸で吸い込み、食物として摂取し、被曝してしまった。
最も多かったのは、ヨウ素。
今は3月末比で 1/100万以下に減少。
甲状腺癌の原因。
癌は確認できる5mm以上に育つまで、癌になってから早いものでも5年以上かかる。
セシウム、ストロンチウムなども拡散
この時期に行うべきだった被曝対策
高度汚染の可能性がある地域からの避難
被災者に安全な水、食料を届ける。汚染飲食禁止
ヨウ素剤服用
避難しない人への指導
・ 汚染食品飲食制限
・ 外出・外気ほこりを避ける。マスク。
・ 体についた放射能を流す。シャワー
・ 家にほこりを持ち込まない。
今の10倍の汚染可能性もあった。この程度で済んだのは偶然ともいえる。
大量の放射能ほこりが風邪で北西に流れ、飯舘村や福島市、宮城県白河市南部と丸森町を強く汚染した。南風が更に続けば、仙台は、飯舘や福島と同様に汚染されたはずだ。
風は南東から北風に急に逆転して、仙台ではなく、郡山や白河、栃木、群馬が汚染された。これがわかったのはずっと後。重大な危険の可能性があったので、福島、仙台は避難や窓閉め、建物の換気停止、外出控え、マスク着用をすべきだった。
外国大使館、東電、国内大企業、マスコミが行った自己防衛対策(正しい)
東電、東北電力は社員家族を福島から緊急避難指示
多くの大使館は、自国民の日本からの退去や
関西への避難、汚染食品回避を指示。退去用飛行機を準備
震災、原発対策のために宮城県沖に出動したアメリカ原子力空母は、放射能汚染を避けるためすぐに、宮城県沖から撤退
多くの大企業は本社機能を東京から大阪に移転
震災報道のため、仙台に拠点を作ったCNN(米)とBBC(英)放送は、すぐに拠点を山形と秋田に避難
国内大手マスコミは、原発50km以内から記者を含め全員撤退、進入禁止。
政府や自治体、東電が実際に行った事
東電、東北電力、政府は、震災当日に、7時間半後の原発爆発と、その後の大爆発、深刻な放射能汚染を予測していた。
原発事故収拾作業から撤退すれば、原子炉の冷却不能が確定し、4基の原子炉が全て爆発することを意味したが、東電は、事故収束の見通しを立てられず原発事故作業からの撤退を内定した。これは総理大臣から拒否され、作業中止は免れ、原子炉冷却作業が続けられた。
東電や東北電力は社員と家族を、緊急に福島から避難させた。社員家族が知人に緊急連絡して、福島県から避難できた一般住民も多い。
一般住民には知らせなかった。
政府とマスコミは「汚染はわずかだ、危険は無い。惑わされるな、あわてるな、家に留まれ」と避難を抑制。危険性を指摘する発現は「不安を煽る」として発現や報道を抑圧した。
その結果、沢山の人が被曝した
・被曝回避の機会を失った。
・子どもを雪であそばせた。
・マスクもしなかった。
・汚染された地域や自家栽培の野菜を食べさせた。
・ヨウ素剤を服ませなかった
・汚染を心配する人を異常者扱い。自由に物言えぬ社会。
その裏で電力会社・大企業、マスコミは
危険を知り、社員避難や会社機能の大阪へ移転など正しい対策をとっていた!
原子炉事故の破局的進行や、高度被曝が20%の可能性で予想される時
・「重大な被曝を受ける可能性がある」と
対策や避難を進めるべきだが
・「高度被曝の可能性は低い。落ち着くように」と
説明し、避難や対策を遅らせ、抑制した
オバマ大統領は、ハリケーンの時、
「判断を遅らせて被害を増やすな、
すぐ決断し避難せよ」と指揮し、住民に呼びかけた
最悪の被害を確認してから行うのは、
危険対策ではなく、判断責任回避し住民に被害拡大
汚染状況、汚染予測を知らせなかった
・批判意見はないかのように無視し、汚染を過小評価する解説を繰り返した。
・政府の「安全解説」に批判的な意見は存在しないかのように報道。
・批判的意見は「扇動」あるいは「風評」と嘘扱い
・政府会見で、事実を求める質問もされなくなった。
・日本政府と気象庁は緊急時のために作った放射線汚染予測を公開しなかった
・日本気象庁の発表データを使って、ドイツ、スイス、オーストリア、台湾など各国の
気象庁が日本の放射線汚染予測図を毎日時間を追って発表。
日本人のために、日本語の発表も
外国の反応など
ウクライナ医学アカデミーロガノフスキー氏「チェルノブイリでの経験がある。協力できると日本大使館に出向いたが門前払いされた」
ドイツ救援チーム3月14日、急きょ帰国した。「日本政府は事実を隠蔽し、過小評価している。」と早期帰国の理由を語った。
ドイツ首相も「日本からの情報は矛盾している」と繰り返した。(2011年3月16日 読売新聞)
被災地のために外国から、緊急供与された放射能測定器40000個が、羽田空港倉庫に保管されたまま、配布されなかった
「子どもたちを20mSvの放射能にさらすのを、今すぐやめてください」在フランス日本大使、仏市民団体「原発をやめる会」他からの抗議の手紙受け取りを拒否(8月31日)
安全だと強弁して事故を起こした責任者が今も、原発事故処理を仕切っている
原発事故の危険性を主張し、事故時の対策を研究・要求してきた国内の専門家は今も排除したまま
現在の大気の汚染状況(推測)
3月爆発後、空中に拡散した放射能粒子は地面に降下するか世界中に拡散した。
当初と比べ、ずっと少なくなった。しかし
今も事故原子炉と原発から放射能が拡散している。
原子炉周辺のがれきや地面に落ちた放射能ほこりが乾いて風で舞うこともある。
普通の状態であればマスクの価値は下がった
現在の地表の汚染状況
地表に落ちた放射能
雨水で流れ、乾いたところに残る。
水がたまって乾いた所のごみや枯れ草に吸着している。雨が降るたびに少しずつ解けて流れ、地面にしみこんでいる。
土にしみこんだセシウムの一部を植物は吸い上げる。葉についた、ほこりや雨の中のセシウムの一部は直接吸収される。
水道水の汚染はおそらく少ない
現在の海の汚染状況
汚染水を大量に海に放出している
海水・海底・ヘドロと、海草・魚が汚染され続けている。
・ヨウ素:80日で 1/ 1000 160日で1/100万に
減る。海草に蓄積。甲状腺に集まる
・セシウム:魚や貝の肉。水に溶ける。
福島海底ヘドロから大量セシウム
・ストロンチウム: ほとんど未測定。
海底、魚の骨に蓄積。食べると骨にたまる。
時間とともに全国に拡散拡大する。
・日本周囲太平洋は注意
現在の地表汚染状況と食物
ヨウ素:大量に放出されたが、放射能はなくなっている
セシウム:大気中セシウムは葉からも吸収された。土やホットスポットのごみ、枯れ草に付着。土中セシウムは植物に吸収される。何十年も続く。海や沼のセシウムは植物や虫、魚に吸収される。
ストロンチウム:汚染された植物や飼料を食べて、動物に吸収され、骨に蓄積され放射線を出し続ける。牛乳や小魚など骨に注意
今は、何から被曝するか
空気中に浮遊する放射能ほこりは少ない。
環境放射線は地面に積もった放射能ほこりからのセシウム、ストロンチウム。放射能ごみをなめたり、ほこりが舞い上がると吸入し内部被曝の原因になる。外部被曝もある。除染
放射能や毒物被害を避ける方法は、毒を避けることが基本。毒を採った上でどう減らすかではない。
食物中のセシウムと、ストロンチウムが重要。
放射線規制
放射線暫定規制値
厚生労働省 3月29日に緊急とりまとめ
・放射性ヨウ素:年間2mSv(甲状腺等価線量としては年間50mSv)
・放射性セシウム:年間5mSv
という実効線量が安全とした
食品放射能暫定基準
暫定基準とは
・緊急事態で、水や食物が手に入らない時、「害を承知で、食べるのもやむをえない」制限
・食べ物が無くてもこれ以上は、食べてはいけない上限。安全な基準ではない。
・飲み物の暫定基準は:海洋投棄を禁止されている原発からの汚染廃水より高い
現在の暫定基準はヨーロッパの緊急時規制値とほぼ同じ
おかしいのは
・汚染地域に、汚染されていない飲食物を緊急に供給しない
・原発爆発直後のまま、緊急事態として続けている
・有害だが緊急時には一時やむをえない値を「安全」という
・被曝を避けるのではなく拡散・拡大させる姿勢と政策。
・汚染されていない地域にも、汚染食品を意図して拡散
食品放射能測定
国や自治体が食品放射能を測定した。
農作物はよく洗い、魚は頭と内臓を取ってから測定するように指示
暫定基準以上の作物が出たら一時出荷停止にし、なるべく早く解除した。暫定基準以下は安全と宣言
同じ地域の、測定しなかった畑の作物や、別の種類の作物は出荷停止しない。
給食など「勝手に」測定することを実質的に禁止した。
汚染の危険を指摘する発言や行動を抑圧
危険性を話題にすることを「風評」と嘘扱い
食品衛生法
第6条 有毒な疑いがある食品は、販売、製造してはならない。
ただし、人の健康を損なうおそれがない場合として厚生労働大臣が定める場合においては、この限りでない。
文部科学省は
「市場に流通している食品は、安全という前提。
給食に限って何かをすることは考えていない」
食物や環境放射能の基準
許容量:法律で決まっている
許容基準を定める目的は; 被曝と被害を少なくするため(世界各国、国際機関、日本の法律全て) 。
緊急時暫定基準: 安全な水や食料がない緊急時に、害を承知でやむを得ず許容する量。緊急時でもそれ以上は摂ってはいけない。安全を意味しない。
鉛や水銀、農薬などの毒物規制は、毒を摂取させないための基準。有害とわかっている量よりはるかに低量で規制=安全管理の原則
ドイツ放射線防護協会
「放射線汚染された食品やゴミを汚染されていないものと混ぜて『安全である』として通用させることを禁止する国際的な合意がある。日本の官庁は希釈禁止に抵触している」(2011年11月)
電離放射線障害防止規則
「放射性物質」とは、40Bq/cm2を超えるもの
汚染した場合、標識し
・1mで0.01ミリシーベルト毎時以下、
・4Bq/cm2 (約400Bq/kgの土、100Bq/kg枯草)
以下、になるまで除去
第29条 清掃を行なうときは、じんあいの飛散しない方法で。
第33条 貯蔵はかぎ閉鎖の貯蔵施設
第35条 焼却は、気体がもれるおそれ、灰が飛散するおそれのない構造の焼却炉
暫定基準値は、法律違反
『放射線障害防止法、3条』;一般人の許容放射線量は年間1ミリシーベルト以下とする。
放射能の単位
ベクレル:1秒で出る放射線の数
シーベルト(旧 REM):
さまざまな仮定・推測をして計算した体に与える影響の大きさの値
実効線量、性質の異なる危険性を、無理に同じ単位で表す
換算法: 核種に対する実効線量係数をかける
例)100 Bqのヨウ素を1回、経口摂取した場合は、
実効線量係数0.022( (セシウムであれば0.019)(成人)
ヨウ素でもセシウムでも大まかに0.02としてかけると
100 Bq× 0.02= 2 μSv
(100 Bq 食べると2 μSv 被曝する)
セシウムを毎日摂取した時の計算
1年あたりミリシーベルト
=(1日に食べるBq)×(365日)×0.02×1/1000(mSv/ 年)
(×1/1000は μSv を mSvに直すため)
=(1日に食べるBq)× 0.0073(mSv/ 年)
毎日100Bq 食べると
=100Bq×0.0073=0.73 mSv (約 1 mSv)1年で被曝する
60kg の成人が毎日食べ続けて平衡状態に達した時の
体内セシウム放射能は
1日に食べるBq の約100倍(子どもは半減期短いのでそれより低値)で安定する
毎日100Bq 食べると約1年で(子どもはもっと早い) 全身に含まれるセシウムは
100Bq ×100 倍=10000 Bq に落ち着く
(60kg 成人で K の4000Bq の 2.5 倍)
III. 放射線被曝と生体への影響
内部被曝の経路
呼吸: 放射性の微粒子や気体を吸い込む
飲食物: 放射性物質が付着した飲食物を摂取する
皮膚や傷口から吸収
内部被曝の危険性
放射線源からの距離が近い
1cm では 10m の100万倍被曝する
体内に、長期間残る
同じ部位の細胞が繰り返し被曝する
蛋白や遺伝子変異、炎症を起こす
老化、骨髄機能抑制(感染、出血、貧血)
癌、先天異常、遺伝的障害
放射線核種による生体影響の違い
ヨウ素
甲状腺に集まる →甲状腺腫・甲状腺癌
半減期 8日
セシウム
細胞内の水に多く溶けて分布→さまざまの癌
半減期 30年、 生物学的半減期 1~2ヶ月
ストロンチウム
カルシウムに似て骨に分布
→白血病・リンパ腫
半減期 29年。Cs137出れば、Sr90存在
被曝の身体への影響、特にDNA損傷と癌について
癌とは何か
正常の細胞は
常に必要なだけ、新しい細胞が増殖し、古い細胞が静かに自ら死んでいく(皮膚では、ふけや垢になる)
細胞が死ななくなって細胞の数が増え続けるのが癌
癌のでき方
1人の人では、どの細胞もまったく同じ遺伝子を持ち、変化しない
①細胞増殖を始める、②止める
③自殺させる、 ④間違ったDNAを修
に関係した数十個の遺伝子がある
1個の細胞内で、これらの遺伝子が3~4個が、間違って異常DNAに変わると、増殖が止まらない、自分で壊れない癌細胞になる
遺伝子に対する、確率的傷害作用
多くの毒物や大量被曝による急性放射線障害は
毒の量が多いほど障害の程度が強くなる
微量では生体に影響は無い
放射線被曝による長期障害は遺伝子(DNA)変異
被曝線量が増えると確率的に傷害の頻度が増える.
被曝線量が減ると傷害の頻度が減るだけ
20ミリシーベルトの被曝で1000人に1人が癌で死亡する.
同量の放射能を1000人で分けても10万人で分けても1人が癌で死亡
ベラルーシ甲状腺癌を、どう評価するか
15歳以下 7人 → 407人 58倍
55~64歳 54 人→ 326人 6倍
「50倍に増えるほど危険だ」と考えるか
「1年で、10万人のうち死亡がわずか数人増えただけだから気にするな」と考えるか
放射線専門医が専門家として判断し、その結論で国民を教育する問題か?
甲状腺癌は少ない癌だから少し増えてもわかった
わかるまでに20年かかった
現在日本では、10万人あたり年間270人、肺がんだけでも、82人/10万人/年が癌で死亡する。全癌死亡や、肺癌は事故前から多いので、被曝によって甲状腺癌と同程度の死亡が増えても、わずかなパーセント増加にしかならず、おそらく証明できない。比較対象にする汚染されなかった地域の人も、食品などによって被曝しているので、比較を難しくする。しかし、事故以前は若年者のがんは少ないので、がんの種類を細かく分けて、年齢別統計を取ると、いくつかのがんでは増加したことが分かる可能性がある。
(参考)
日本の年間死亡数
114万人
907人/10万人
日本の癌死亡
34万人/年
273人/10万人/年
全死亡の30%
日本の肺癌死亡
65000人/年
82 人/10万人/年
男70歳~
500人/10万人/年
イギリス核再処理工場 周囲の白血病増加
「他にも多い地域があるので放射能の影響とはいえない」という反論
1950~89年に乳がんが2倍以上になった地区(郡)
アメリカ
ほとんどが原子力施設160km以内
原発周辺で小児白血病が増加
ドイツ政府の大規模調査 2007 で確定
放射線かどうかは未検討
IV. 被曝を避けるために
食品からの被曝を避けるために
摂取した放射能の害を減らすことよりも、
摂取しないことが基本
汚染食品を避ける
汚染可能性ある地域のものは、
計測された値を知り、自分で評価する
判断を他人に任せない
汚染食品の考え方
1) 「暫定基準以下だから安全」は誤り
2) 「安全安心を示すための測定」はあてにならない
低そうなものを選んで測定している
高く出たら隠す、過小評価する傾向
全体の傾向を意味しない
3) 「汚染を発見し、流通や摂取を避ける」目的の測定が必要
4) 現状では、安全確認できないものを避ける
5) 「安全か?」と他人に評価まで頼るのはやめ、測定値を知って、自分で判断する
食品による内部被曝の避け方
家庭でできること
1.汚染食品を避ける
2.食べる量を減らす。特に過食傾向の人
3.調理法
4.排泄を促す(過剰に重視すべきではない)
放射線元素による違い
ヨウ素
半減期が短いので、今はなくなっている
ストロンチウム
ほとんど測定していない
吸収されると、骨に固まって、いつまでも残る。
とにかく避ける。汚染牛乳、小魚、魚の骨
調理法で解決できない
セシウム 現在最も多い。これは工夫できる
汚染食品の避け方
1) 安全と確認できない食品を避ける
・ 汚染地域の農作物
・ 日本周囲太平洋の海産物
・ 「国産」と言う表示など産地表示があいまいなもの。
・ 国産の加工食品。産地ではなく、加工所を表示している
・ 外食
2) 「安全か?」と他人に頼るのは止め、
測定値を知って、自分で評価する
食品の選び方
・誰に従って安全と思うのではなく、
・放射線の値を聞いて
・安全性は自分で判断する
・ 基準値以下というのは安全を意味しない
・ 測定値を隠す人の安全説明は、さらに危ない。
他人の安全を軽視し、消費者に情報や事実を教えず、判断させず、自由な議論を歓迎せず安全という評価を強要する人を信頼すべきではない
セシウムを避ける調理法
セシウムは生きた細胞内の水に多く溶けている。カリウムに似た分布
生野菜、果物、肉、魚は細胞が大部分。染み出して流し去らなければ、全て残る。
細胞を殺し、水につけておくと細胞から外に染み出す
葉野菜100g を1Lでゆでると1/10に、もう一度ゆでなおすと、1/100に減る。大根や芋など大きな塊は染み出すのに時間がかかる
マカロニをたっぷりの水でゆでると約20%に減る。水を替えてゆでなおすとさらに減る
米をとぐと、ぬかの分を減らせる。といだ後、一晩水につけ翌日2回水を替えてから炊くとさらに減らせると思う
乾燥食品や、焼く料理は、水がなくなるだけでセシウムは全て残る
ヨウ素の避け方
今はほとんどない。
また原発から放出されたら、多いときは逃げる
多くない時は、風下であれば吸入注意、外に出ない。窓閉め、喚起やめる。インフルエンザ用マスク。
食物注意。特に海草に集まる
大量被曝可能性高いときはヨウ素(ヨード)剤内服
ストロンチウムの避け方
少し面倒なのであまり測っていない。
カルシウムに似て、骨に集まる。骨に固まって動かないので、隣の同じ細胞が放射線を浴び続ける。白血病など血液の病気の原因
魚・かに・貝類と、それを食べる魚の骨はさらに濃縮。牧草・骨粉を食べた家畜のミルク、骨
福島海底の泥からセシウム大量に検出されたストロンチウムも多いはず。
汚染の可能性ある魚、特に骨を食べない。小魚
日本周囲の太平洋は汚染の可能性高い
個人で避けた汚染食品はどこへ?
自分で避けた食品は?
廃棄されない。
業者が安く買って使う;加工食品、外食産業
食べたら1000人に1人が癌で死ぬ放射線を
1万人で分けて食べても1人が死ぬ
=癌を起こす確率的作用
薄めて流通する汚染食品の全体量を増やすと→癌は増える。だから
汚染食品を作らせない、流通させないことが最も大切
放射能許容量を考える基準
被曝を避けたいか、それとももっと被曝させたいか
何のために
どの程度まで被曝受け入れると判断するか
俗論や無責任な解説を排除する。
以上が放射能をどこまで受け入れるか
を考える基準。
だから、
事実と根拠は聞くが、評価・判断は自分でする
食品の放射能測定の目的
食品の有毒物や放射能を測るのは
毒物を食べさせないため
・ところが今の日本は
「これくらいは安全だからもっと食べろ」
「不安に思うのは知識不足で、過剰反応」
「食べても安全だ」と言うために、
測定している
IV. 議論しましょう
異なる意見があって始めてよい議論ができます。
私の意見も述べます。
被曝の危険性はどの程度か
被曝を避けるために。家庭でできること、社会としてとりくむこと
除染・汚染処理問題。除染した汚染物をどう処理するか
農漁業者をどう守るか、
「この程度の放射能は安全だ、安心して食べよう」という意見をどう考えるか
その他なんでも質問、発言してください
(後日追加資料)
・ 文部科学省は、震災直前の去年3月3日、東京電力など原発を持つ3社と非公式の会合。東京電力などは文科省に対し、巨大津波の危険を指摘する報告書の内容について、貞観地震に関する記述を修正するよう要求したということです。テレ朝ニュース2012,2,26
・ ハーメルンプロジェクト志田氏「『安全だ、避難は不要だと』と福島県民に説明・指示する県教育庁担当者5人に聞いたうちの3人が『自分のこどもは既に避難させている』」と。
2012.01.02 (Mon)
新しい年
現実は過去の結果。現実は未来の原因。
知性と、勇気があって初めて、現実をより優れたものに変革しうる。
知性とは、打算や都合をいれず何が正しいかをまっすぐに吟味する能力と熱意。
特権的地位や利権を確保し続けるために、国民が自分で判断・決断する能力と熱意を失わせるために続けてきた国民愚民化政策=教育、マスコミ、身分制的嫌がらせを行動原理とする職場社会を通じて「正しい」と「勇気」は殆ど日本人と日本社会の意識からなくなった。
正義と勇気が消え、かわりに「目先何が得か、損しないか」「いやな目に合わないためにタブーにして話題にしない心得」。
「自分で考え決断し発言、行動する」という、人としての基本的な誇り・尊厳を失い、「相手の顔色を見て発言を変えるのは卑屈で信用できない」事実は無頓着。愚民化の手のひらの上で、圧力や周囲に進んで同調して、この当たり前のことを回避する精神の蔓延。
重要な一つがわかれば全部が分かることはないが、重要なことが分かると、更に正しく吟味する扉が開かれる。
自分の中の優れたものを深め、正しくないものを丁寧に発見して一つ一つ克服し、前進する
知性と、勇気があって初めて、現実をより優れたものに変革しうる。
知性とは、打算や都合をいれず何が正しいかをまっすぐに吟味する能力と熱意。
特権的地位や利権を確保し続けるために、国民が自分で判断・決断する能力と熱意を失わせるために続けてきた国民愚民化政策=教育、マスコミ、身分制的嫌がらせを行動原理とする職場社会を通じて「正しい」と「勇気」は殆ど日本人と日本社会の意識からなくなった。
正義と勇気が消え、かわりに「目先何が得か、損しないか」「いやな目に合わないためにタブーにして話題にしない心得」。
「自分で考え決断し発言、行動する」という、人としての基本的な誇り・尊厳を失い、「相手の顔色を見て発言を変えるのは卑屈で信用できない」事実は無頓着。愚民化の手のひらの上で、圧力や周囲に進んで同調して、この当たり前のことを回避する精神の蔓延。
重要な一つがわかれば全部が分かることはないが、重要なことが分かると、更に正しく吟味する扉が開かれる。
自分の中の優れたものを深め、正しくないものを丁寧に発見して一つ一つ克服し、前進する
2012.01.01 (Sun)
「福島原発事故後おきていること」 仙台市医師会報 2011年9月
「福島原発事故後おきていること」
仙台市医師会報 2011年9月
仙台赤十字病院呼吸器内科 岡山 博
福島原発事故後、福島中通や浜通に住む患者さんや、身内の方のことを聞く機会が多かった。
原発事故直後、直ちに遠方に避難した、あるいは家族を避難させたと、何人の方から聞いた。
郡山、福島、浜通の方は、東北電力や東京電力の知人から電話などで「すぐ避難するように」と知らされ、子どもとその母親を関西や関東など遠方に避難させた。
別の浜通りの方は原発付近に家があるため、避難訓練を受けたことがあり、緊急事態の予備知識があって、自分の判断ですぐ避難した。
別の方は、原発反対運動に関係して、原発事故の知識を持っており、すぐに自分で判断、通常の3倍の時間かかって、必死の思いで、いわき市に避難したが、既にいわきのかなりの人はさらに遠方に避難し、街は人気が少なくがらんとしていたと言う。
あまり報道されていないが、緊急事態と理解し、すぐ避難した人や家族を避難させた人は少なくない。しかし、ことに中通では政府や県の説明を聞き、避難しない人のほうがはるかに多かった。
3月11日、東電と保安院は、電源喪失によって停止した炉心冷却を再冷却しなければ1~4号炉全て大爆発するのは必至で、爆発に至る過程は、物理化学反応の連続した過程として、時間単位で爆発までの時間経過を正確に予測していた。
既に、燃料棒と炉心融解が始まっていた。再冷却の展望をほとんど失い、冷却できなければ大爆発必至と予測した東電は福島第一原発放棄・職員撤退を内定したが総理大臣に却下された。撤退というのは、4基の原子炉が全て大爆発し、日本全土に近い広範な地域が超高度の放射能汚染、何百何千万人の放射線障害、おそらく日本国壊滅の人類歴史に例のない超大惨事を意味した。
一号炉爆発後、大量の放射線が環境に放出された。多くの人の関心は今どれくらい放射能が出ているか、当面どう対処するか、避難しなくてよいかということと、今後、事故がさらに拡大するのではないか、拡大するとすれば最悪どうなるのか、その場合どうしたら良いかということだった。
しかし原発事故を起こした当事者の東京電力と、国民に対する責任者である政府・保安院は、「原子炉圧力容器や格納容器は健全に保たれている。放射能が放出されたが、直ちに健康に影響はない。落ち着くように、不安を煽らないように」と説明し、事故が拡大するたびに、考えうる最も被害が少ない可能性の説明だけを繰り返し、悪い 可能性は説明せず、住民が悪い可能性に備える援助をせず、むしろ抑制した。
「スリーマイルよりはるかに小規模な福島事故をスリーマイルと比較するのは、不謹慎で不安を煽る」という論調がテレビ、新聞を覆った。直ちに健康に影響はないといいながら、長期の影響はないのかという質問には答えず、今後事故は拡大しないかのように解説し、事故が拡大する恐れはあるのかという疑問さえ、不安を煽るといって質問や、話題にすることが悪であるかのような状況が作られ、メディアも質問せず、保安院・東電の見解だけを伝えた。
事実や今後起こりうる危険性の議論や、避難・被曝防止は政府の言うことだけでよいのかという記事はメディアから消えた。
報道する際は必ず、事故の影響を著しく小さく見積もる解説を加えた。「評価を伝えるのではなく、正確・迅速・客観的事実を伝えることが報道」というあり方は従来より日本のメディアに欠けていたが、原発事故後、メディアは完全に、事実を伝える報道機関ではなく、特定の評価を広める広報機関となった。
政府の発表に批判的な専門家の発言や住民の正当な心配を「不安を煽る」と言って発言させない空気を作り、「悪い危険性も考えるべきだ」という意見はメディアから消えた。
地震直後、電源喪失によって炉心冷却ができなければ、数時間で急速に大惨事のステップが進行することが明らかとなり、3月12日の一回目の爆発が起きる前から、東電や東北電力は原子炉大事故や放射能汚染の危険を広範な浜通の社員家族に知らせ、すぐに避難させた。
これを聞いた心ある東電や東北電力関係者や家族は多くの知人に知らせ。聞いた人は避難できたのは良かった。
一方東電や国、県は、「直ちに健康に影響はない。落ち着くように。不安を煽らないように」と繰り返し、危険な事実と、きわめて危険な大惨事になる可能性を伝えなかった。
この時、電力関係者と同様に、一般住民にも、放射能汚染拡大の可能性と、原発事故がさらに急速に拡大する可能性を知らせれば、自ら避難した人は多かったはずだ。避難機会を生かさず、みすみす被曝させた。
情報が知らされない中で、南相馬市民の多くは、自分の判断ですぐに雪の中を車中泊して飯舘村に避難したが、そこは南相馬よりはるかに厳しい汚染地域だった。
飯舘村に限らず、厳しく汚染された福島や郡山などでも、汚染の危険を知らされない住民と避難者は、マスクをさせず、子どもを外や放射能雪で遊ばせ、老人は汚染された自家野菜を孫に与え続けた。福島や郡山市民の多くもマスクをせず、雪にも濡れ、汚染食品を食べた。
福島県知事は、避難させるには経済負担が大きいことと、福島が汚染されていると思わせたくないために、放射能拡散予測:SPEEDI を公開しないこととを国に要請し、国は外国と首相官邸には知らせたが、国民には公開しなかった。知事は、被曝被害を少なくする取り組みはせず、環境放射線限度の1ミリシーベルトを20ミリシーベルトに引き上げることを国に要請し、福島県の大部分は(20ミリとした暫定基準より低いので)汚染されていないとキャンペーンし、汚染を心配する意見を風評被害、不安を煽ると発言を抑圧した。
宮城県でも「宮城は汚染されていない」という知事の強い信念で、放射能測定は消極的で、全国で宮城県だけが、降下・雨中放射線測定を行なわなかった。
地震で測定器が壊れたという説明だが、測定要望に対して、「測定機械を購入するかどうか検討中。現在購入予定はない。検体を山形県などに持っていって測定するのは、運ぶ人員も必要なので予定はない」と繰り返した。
後日、降下・雨中放射能による稲藁の高度放射能汚染とそれによって肉牛の汚染を全国に拡大させたことが明らかとなり、宮城の肉牛出荷は停止になった。
事故後数日間はともかく、試料を宅急便で他県に依頼するだけで測定は可能である。
8月半ばを過ぎた現在もまだ測定・公表しない状態が続いている。
政府は事故後、食品や飲料水中の暫定放射線量(最大許容限度)を決めた。これまでの日本の、あるいは諸外国や国際機関による基準の数十倍の許容量である。
食品販売は、製造地表示が義務付けられているが、事故後、地名表示から、地名をあらわす企業内の記号表示に変わり、消費者は店頭で、産地確認できなくなった。中には、生産地に、「国産」や、「太平洋」という表示も出現している。
従来から、地産地消として、学校給食には地元農作物を優先しているが、原発事故後も続いている。
家庭の食事は注意できるが給食は選べない。
給食の放射能汚染食品を心配した多くの母親が学校に相談したが、モンスターペアレント扱いされて話し合いにならず、生徒の給食による内部被曝を心配する教師が、学校で提案や話題にすることも困難な状態が現在も続いている。
子供を持つ母親が避難を提案しても義父母や夫から「心配しすぎ。騒ぎすぎだ。県や国は危険でないと言っている」と非難され、実質的な家庭崩壊や、離婚覚悟であるいは実際に離婚に至って、関西や北海道に避難した母親も少なくないと聞いている。福島市や飯舘村など汚染レベルの高い地域で深刻な問題になっている。
原発事故発生後、原子力専門家や、放射線医学専門家がテレビや講演会などで「教育」講演や「解説」をした。
「事故後作った暫定基準以上でも十分安全で、環境や食物に若干放射能が認められるが、直ちに健康に影響はなく、心配する必要はない。
被曝より、心配するほうが健康に悪影響する。心配するのは知識不足で、話題にするのは不安を煽る行為だ」と繰り返した。
飲料水や食物の暫定基準は、それまでの基準や、国際機関や、諸外国の基準の数十倍の放射能を摂取可能とするもので、1年前なら、外国からの食品が国内への移動は認められず、つき返したレベルをはるかに上回る量である。
環境放射線は、一般人が立ち入り禁止の大学の放射能実験施設の管理区域で、放射線使用者が被曝する許容量を可とした基準である。管理区域では飲食は禁止である。
アイソトープ使用の実験でピペットチップを落とすなどして床を汚染すると、黄色いテープで立ち入り禁止を表示し、始末書を書き、除染する義務がある。
それよりはるかに高い密度の汚染が、数十センチ四方ではなく、広範囲、大量に、道路側溝などのホットスポットとしてあちこちに存在している。それを「影響ない、心配するのは知識不足、話題にするのは不安をあおり風評拡大する」と言う。
そのように考え発言する人がいてもよいが、それ以外の考えが存在しないかのように「解説」し、異なる意見は報道せず、社会にオープンな場で、議論をさせなかったのは問題である。
まじめで丁寧な議論は歓迎されず同調了解だけが求められる公的な「講演会」「学習会」が続いた。
原発事故発生後、おきていることを書いた。稿を改めて、状況羅列ではなく、私の意見を書きたいと思います。
仙台市医師会報 2011年9月
仙台赤十字病院呼吸器内科 岡山 博
福島原発事故後、福島中通や浜通に住む患者さんや、身内の方のことを聞く機会が多かった。
原発事故直後、直ちに遠方に避難した、あるいは家族を避難させたと、何人の方から聞いた。
郡山、福島、浜通の方は、東北電力や東京電力の知人から電話などで「すぐ避難するように」と知らされ、子どもとその母親を関西や関東など遠方に避難させた。
別の浜通りの方は原発付近に家があるため、避難訓練を受けたことがあり、緊急事態の予備知識があって、自分の判断ですぐ避難した。
別の方は、原発反対運動に関係して、原発事故の知識を持っており、すぐに自分で判断、通常の3倍の時間かかって、必死の思いで、いわき市に避難したが、既にいわきのかなりの人はさらに遠方に避難し、街は人気が少なくがらんとしていたと言う。
あまり報道されていないが、緊急事態と理解し、すぐ避難した人や家族を避難させた人は少なくない。しかし、ことに中通では政府や県の説明を聞き、避難しない人のほうがはるかに多かった。
3月11日、東電と保安院は、電源喪失によって停止した炉心冷却を再冷却しなければ1~4号炉全て大爆発するのは必至で、爆発に至る過程は、物理化学反応の連続した過程として、時間単位で爆発までの時間経過を正確に予測していた。
既に、燃料棒と炉心融解が始まっていた。再冷却の展望をほとんど失い、冷却できなければ大爆発必至と予測した東電は福島第一原発放棄・職員撤退を内定したが総理大臣に却下された。撤退というのは、4基の原子炉が全て大爆発し、日本全土に近い広範な地域が超高度の放射能汚染、何百何千万人の放射線障害、おそらく日本国壊滅の人類歴史に例のない超大惨事を意味した。
一号炉爆発後、大量の放射線が環境に放出された。多くの人の関心は今どれくらい放射能が出ているか、当面どう対処するか、避難しなくてよいかということと、今後、事故がさらに拡大するのではないか、拡大するとすれば最悪どうなるのか、その場合どうしたら良いかということだった。
しかし原発事故を起こした当事者の東京電力と、国民に対する責任者である政府・保安院は、「原子炉圧力容器や格納容器は健全に保たれている。放射能が放出されたが、直ちに健康に影響はない。落ち着くように、不安を煽らないように」と説明し、事故が拡大するたびに、考えうる最も被害が少ない可能性の説明だけを繰り返し、悪い 可能性は説明せず、住民が悪い可能性に備える援助をせず、むしろ抑制した。
「スリーマイルよりはるかに小規模な福島事故をスリーマイルと比較するのは、不謹慎で不安を煽る」という論調がテレビ、新聞を覆った。直ちに健康に影響はないといいながら、長期の影響はないのかという質問には答えず、今後事故は拡大しないかのように解説し、事故が拡大する恐れはあるのかという疑問さえ、不安を煽るといって質問や、話題にすることが悪であるかのような状況が作られ、メディアも質問せず、保安院・東電の見解だけを伝えた。
事実や今後起こりうる危険性の議論や、避難・被曝防止は政府の言うことだけでよいのかという記事はメディアから消えた。
報道する際は必ず、事故の影響を著しく小さく見積もる解説を加えた。「評価を伝えるのではなく、正確・迅速・客観的事実を伝えることが報道」というあり方は従来より日本のメディアに欠けていたが、原発事故後、メディアは完全に、事実を伝える報道機関ではなく、特定の評価を広める広報機関となった。
政府の発表に批判的な専門家の発言や住民の正当な心配を「不安を煽る」と言って発言させない空気を作り、「悪い危険性も考えるべきだ」という意見はメディアから消えた。
地震直後、電源喪失によって炉心冷却ができなければ、数時間で急速に大惨事のステップが進行することが明らかとなり、3月12日の一回目の爆発が起きる前から、東電や東北電力は原子炉大事故や放射能汚染の危険を広範な浜通の社員家族に知らせ、すぐに避難させた。
これを聞いた心ある東電や東北電力関係者や家族は多くの知人に知らせ。聞いた人は避難できたのは良かった。
一方東電や国、県は、「直ちに健康に影響はない。落ち着くように。不安を煽らないように」と繰り返し、危険な事実と、きわめて危険な大惨事になる可能性を伝えなかった。
この時、電力関係者と同様に、一般住民にも、放射能汚染拡大の可能性と、原発事故がさらに急速に拡大する可能性を知らせれば、自ら避難した人は多かったはずだ。避難機会を生かさず、みすみす被曝させた。
情報が知らされない中で、南相馬市民の多くは、自分の判断ですぐに雪の中を車中泊して飯舘村に避難したが、そこは南相馬よりはるかに厳しい汚染地域だった。
飯舘村に限らず、厳しく汚染された福島や郡山などでも、汚染の危険を知らされない住民と避難者は、マスクをさせず、子どもを外や放射能雪で遊ばせ、老人は汚染された自家野菜を孫に与え続けた。福島や郡山市民の多くもマスクをせず、雪にも濡れ、汚染食品を食べた。
福島県知事は、避難させるには経済負担が大きいことと、福島が汚染されていると思わせたくないために、放射能拡散予測:SPEEDI を公開しないこととを国に要請し、国は外国と首相官邸には知らせたが、国民には公開しなかった。知事は、被曝被害を少なくする取り組みはせず、環境放射線限度の1ミリシーベルトを20ミリシーベルトに引き上げることを国に要請し、福島県の大部分は(20ミリとした暫定基準より低いので)汚染されていないとキャンペーンし、汚染を心配する意見を風評被害、不安を煽ると発言を抑圧した。
宮城県でも「宮城は汚染されていない」という知事の強い信念で、放射能測定は消極的で、全国で宮城県だけが、降下・雨中放射線測定を行なわなかった。
地震で測定器が壊れたという説明だが、測定要望に対して、「測定機械を購入するかどうか検討中。現在購入予定はない。検体を山形県などに持っていって測定するのは、運ぶ人員も必要なので予定はない」と繰り返した。
後日、降下・雨中放射能による稲藁の高度放射能汚染とそれによって肉牛の汚染を全国に拡大させたことが明らかとなり、宮城の肉牛出荷は停止になった。
事故後数日間はともかく、試料を宅急便で他県に依頼するだけで測定は可能である。
8月半ばを過ぎた現在もまだ測定・公表しない状態が続いている。
政府は事故後、食品や飲料水中の暫定放射線量(最大許容限度)を決めた。これまでの日本の、あるいは諸外国や国際機関による基準の数十倍の許容量である。
食品販売は、製造地表示が義務付けられているが、事故後、地名表示から、地名をあらわす企業内の記号表示に変わり、消費者は店頭で、産地確認できなくなった。中には、生産地に、「国産」や、「太平洋」という表示も出現している。
従来から、地産地消として、学校給食には地元農作物を優先しているが、原発事故後も続いている。
家庭の食事は注意できるが給食は選べない。
給食の放射能汚染食品を心配した多くの母親が学校に相談したが、モンスターペアレント扱いされて話し合いにならず、生徒の給食による内部被曝を心配する教師が、学校で提案や話題にすることも困難な状態が現在も続いている。
子供を持つ母親が避難を提案しても義父母や夫から「心配しすぎ。騒ぎすぎだ。県や国は危険でないと言っている」と非難され、実質的な家庭崩壊や、離婚覚悟であるいは実際に離婚に至って、関西や北海道に避難した母親も少なくないと聞いている。福島市や飯舘村など汚染レベルの高い地域で深刻な問題になっている。
原発事故発生後、原子力専門家や、放射線医学専門家がテレビや講演会などで「教育」講演や「解説」をした。
「事故後作った暫定基準以上でも十分安全で、環境や食物に若干放射能が認められるが、直ちに健康に影響はなく、心配する必要はない。
被曝より、心配するほうが健康に悪影響する。心配するのは知識不足で、話題にするのは不安を煽る行為だ」と繰り返した。
飲料水や食物の暫定基準は、それまでの基準や、国際機関や、諸外国の基準の数十倍の放射能を摂取可能とするもので、1年前なら、外国からの食品が国内への移動は認められず、つき返したレベルをはるかに上回る量である。
環境放射線は、一般人が立ち入り禁止の大学の放射能実験施設の管理区域で、放射線使用者が被曝する許容量を可とした基準である。管理区域では飲食は禁止である。
アイソトープ使用の実験でピペットチップを落とすなどして床を汚染すると、黄色いテープで立ち入り禁止を表示し、始末書を書き、除染する義務がある。
それよりはるかに高い密度の汚染が、数十センチ四方ではなく、広範囲、大量に、道路側溝などのホットスポットとしてあちこちに存在している。それを「影響ない、心配するのは知識不足、話題にするのは不安をあおり風評拡大する」と言う。
そのように考え発言する人がいてもよいが、それ以外の考えが存在しないかのように「解説」し、異なる意見は報道せず、社会にオープンな場で、議論をさせなかったのは問題である。
まじめで丁寧な議論は歓迎されず同調了解だけが求められる公的な「講演会」「学習会」が続いた。
原発事故発生後、おきていることを書いた。稿を改めて、状況羅列ではなく、私の意見を書きたいと思います。
2011.12.25 (Sun)
「 放射線被曝を避けるために・野焼き」子どもを守る会いわて投稿記事
放射線被曝を避けるために (放射線被曝から子どもを守る会 いわて HP2011年9月)
仙台赤十字病院呼吸器内科
東北大学臨床教授
岡山 博
原発爆発後初期数週間の放射能汚染
本年3月12日、福島第一原子力発電所が爆発し、その後爆発や漏洩、意図した放出が繰り返され、3月15日から3日間と3月21日から数日間、それぞれ何度も、莫大な放射能が大気中へ放出されました。
放出された放射性物質は、風に乗って運ばれ風下を汚染し、空中に浮いていた放射能ほこりが雨や雪が降るとそれに吸着され、大量に地表に降り注ぎました。
宮城県北部から岩手県南部もこのようにして仙台などの宮城県中部よりも強く汚染され、現在も環境放射能は事故以前の数倍に上がったままです。
爆発直後から2~3週間の間、最も危険だったのは、空気中に浮遊しているヨウ素とセシウムの放射能ほこりを呼吸して吸い込んでしまったことでした。
空気中に存在する放射能は放射性気体と、小さなほこり=固体に吸着した放射能ですが、放射性物質のほとんどはほこりに吸着しており、ほこりの放射能が最大の危険物質でした。
人は一日中呼吸しているので、大気中に放射能などの有毒物質があれば、息を吸うと必ず吸気として吸い込んでしまいます。
水に溶けない気体は吸ってもほとんどすぐに呼気として吐き出されますが、水に溶ける気体は気管支表面や一番奥の肺胞で体の水に溶け、血液に溶けて全身に広がり、蓄積します。
直径が0.01mmより大きな粒子は、肺の一番奥の肺胞までは到達せず、気管支表面の水に吸着し、その後、気管支表面の線毛運動によってベルトコンベアのように連続的にのどまで運び出されます。
運ばれたものが大きく硬い場合は痰として喀出されますが、ほとんどのものは少しずつ連続的にのどまで運ばれるので、気づかずに全て飲み込まれ、放射能のほとんど全部が腸で吸収されて全身に運ばれます。
0.01mm より小さい粒子は肺の一番奥の肺胞まで到達します。
肺胞は線毛運動が無いため、のどまで運んで捨てることはできません。
少しずつ溶けて全て血液に吸収され全身に運ばれます。
石の粉やアスベスト、プルトニウムなど、いつまでたっても溶けない物質は何十年も肺の同じところに留まります。
甲状腺の細胞は、ヨウ素を運び入れるポンプの働きがあるため、肺や腸から吸収されたヨウ素は、甲状腺に集まります。
一方、セシウムは体内の水に溶け体中に運ばれて分布します。
セシウムは体中の水に溶けて分布しますが、細胞外よりは、どの細胞でも細胞内の水に多く分布します。
セシウムは筋肉に多く含まれると説明されていることがありますが、これは筋肉は細胞の割合が多いこと、筋細胞には他の細胞よりやや高濃度に含まれることと、体の中で筋肉の割合が多いので、筋肉の中に多く含まれるという意味です。
この時期、被曝を防ぐには放射能ほこりのない地域へ避難することが最も有効でした。
それができない場合は、マスクをしてほこりの吸入を減らすことでした。
普通のマスクでも大きなほこりは防げます。やや小さなほこりは、花粉症のマスクがさらに有効でした。
目の細かいN95 マスクを適切に使えば0.001mmのほこりでも99.9%を防ぐことができました。
髪の毛や皮膚についたほこりは、シャワーで簡単に洗い流せます。
放射能ほこりが家の中に落ちると、ほこりが外に出るまで、何年も放射能を出し続け、少しずつ舞い上がるほこりを吸入してしまうので、衣服や荷物、髪の毛についた放射能ほこりを家の中に持ち込まないことも大切でした。
次に危険だったのは放射性物質で汚染された食物を飲食したことです。
初期の2~3週間、空気中に放射能ほこりが浮いていた時期は、ほこりはそのまま、あるいは雨や雪に混じって、野菜など、植物の葉に落ちて留まります。
これは水洗いをすれば取り除けますが、水洗が不十分だと食物とともに摂取されて内部被曝を起こします。
時間がたつと葉の表面に留まったセシウムは葉から吸収され、葉だけでなく、葉から茎や実に運ばれ蓄積されました。
これは洗っても取り除くことはできません。
食べてはいけないのですが、それでも食べる場合は、葉のように薄いものであればゆでて細胞を壊し、細胞内のセシウムをお湯にしみださせることができます。
水をかえて、2回ゆでるとかなり減るはずです。
大根やイモ類のように薄くないものは、細胞を壊してもゆでる水までの距離が長いため十分染み出させるのは難しい。
大根を煮て料理しても醤油の色や味がなかなか中までしみとおらないのと同じです。
海産物の放射能についてと、ストロンチウムも大切ですが、本論では省略します。
現在の汚染状況
現在、大気中に浮かんでいる放射能ほこりはずっと減っています。
現在環境中に測定される放射線のほとんど全ては、放射能ほこりが地面に落ちて、地面に留まったセシウムの放射線源からのものです。
3月末と比べると、環境放射能はかなり低くなっていますが、これは放射性物質が取り除かれて減ったのではなく、ヨウ素の放射能が弱くなったためです。
ヨウ素の放射能は半減期が8日で、8日たつと放射能は半分になりさらに8日たつとその半分に、と弱くなって80日たつとはじめの1000分の一に、160日たった現在では、放射ヨウ素の放射能は100万分の1に弱まりほとんどなくなっています。
現在、地表や環境に残っている放射能は大部分がセシウムです。
セシウムの放射能半減期は30年なので1年や2年ではほとんど減りません。
30年たって半分、また30年たってその半分の1/4というように、半減期に従って減る以外には、放射能は自然や人が分解したり減らしたりできません。
普通の毒物は分解されたり何かに吸着して毒性が減りますが、放射能ではそのようなことはまったくありません。
今後、自然に、少し減るのは、放射能が分解されるからではなく、放射能のついた枯れ草やごみがほこりとなって飛び散るか、少しずつ水で流れて地面に入り、やがて湧き水などになって川に入って運び去られて減るだけです。
どちらも急速に減ることは期待できませんし、急速に減ったとしたら、別の場所の放射能汚染を拡大しているということで、望ましくありません。
環境中の放射能を減らそうと言うのであれば、セシウムの放射線源を集め運び去ること以外、放射能を減らすことはできません。
環境の放射線を減らすためには、セシウムで汚染されている枯れ草やごみを取り除くことが最も簡単で効率的です。
放置しておくと、その間、被曝受け続けるだけでなく、少しずつごみや枯れ草から土に移動するので、同じ量のセシウムを除くのに手間や費用が今よりかかります。
今でもセシウムは土に移動しています。
枯れ草やごみだけでなく、今なら、表土を数センチ除去すると環境放射能をかなり減らすことができます。
時間がたつとセシウムはさらに地面の下までしみとおっていくので、除去するなら、早いほど効率的です。
放射能は減らすことも分解することもできません。
人ができることは移動することだけですから、除染というのは、「放射線源を集めどこかに持ち出し集めて管理すること」です。
いくら取り除いても、集めて管理しなければ、別のところに汚染を拡大してしまうので、すべきではありません。
十分な集塵機能を持たない焼却処分は、せっかく集まっている放射能を拡散させてしまうことなので、処分しないことよりも悪いのです。
野焼きについて
子どもたちの放射線被曝を心配しするお母さんたちから、野焼きについて相談をいただきました。
わらや枯れ草に放射能雨が降り注いだ後、水は蒸発しますが、放射能はそのまま残ります。
放射能ほこりが降り、放射能雨・雪でぬれて乾いたわらや枯れ草、水溜りが乾いたごみは、最もセシウム放射能がたまっているところです。
宮城県で雨にぬれた稲わらを全国の牛に食べさせ、牛肉が高度に汚染されていることがわかり、出荷停止になり、稲わらを食べさせるのも禁止されました。
宮城県は知事が「宮城県は汚染されていない」という強い信念を持っており、文部省指示による降下・雨中放射能を今でも測定・発表していないただひとつの県です。
降下放射能の軽視が、稲わらと肉牛のセシウム放射能汚染の背景にはあります。
4月時点で存在し、放射能ほこりが降下し、放射能雨にぬれた植物や枯れ草、枯れ草、わらなどは、強く汚染されています。
これを野焼きすると、放射能は煙になって拡散し、残りは燃えかすや灰になって残ります。
野焼きしているときに見える煙は、気体ではなく、小さな粒子で、これに放射能が含まれています。放射能は目に見えないもっと小さな粒子にも含まれています。
空気中に拡散すれば、それを呼吸して放射能を肺に吸入、吸収してしまいます。
これは、放射能が枯れ草やわらとして、地表に固まって存在し、そこからの放射線で人が外部被曝するより、はるかに危険なので、すべきではありません。
野焼きで出た煙などの放射能ほこりは、原発の大爆発と違い、比較的近くに大部分が降下すると予測されます。
それをまた住民が呼吸し、また農作物や植物を汚染します。
原発爆発によって起こされた放射能拡散と放射能被曝をもう一度繰り返すということです。
原発事故から時間がたち、ヨウ素の放射能はありませんから、ヨウ素剤服用の必要はありませんが、セシウムによる第二次汚染・第二次被曝といえる危険な汚染です。
これから行われようとしている野焼きに、4月時点ですでに存在し、放射能雨にあたったわらや枯れ草が含まれているとしたら危険で、止めるべきです。
止めさせることができなかったら、避難すべきです。
避難できない場合は、マスクをし、家を密閉すべきです。
後でほこりを掃除して家の外に出すよう掃除します。
掃除は、子どもを避難させた上で、良いマスクをして、隙間などのたまったほこりを掃除機で吸い出してもよいが、やりにくい場所は逆噴射して巻き上げるほうがよいかも知れません。
窓は全部開放して、巻き上げたほこりを風で戸外に出します。
目に見える床や家具の表面は、ぬらした新聞紙をそっとの上において、こするのではなくぬれた新聞紙にほこりを吸着させ、そのまま捨てるのがよいと思います。
雑巾で拭くのは、要注意。ふき取って取り除けるのは一部で、床に広げて擦り付けてしまうものもあります。
雑巾に吸着した分だけが床から取り除かれた分です。雑巾についた放射能ほこりを洗い流すのは困難なので捨てるのがいいです。
もし、4月の草やわらが既に野焼きで燃やされてしまったとしたら、放射能のかなりは、煙として大気に拡散し、その後地面に降り注いだはずです。
燃えカスと残り灰には強い放射能が含まれている可能性が高く、きちんと処分すべきです。
煙の中の粒子と、煙になって飛び去らずに残った灰と燃えカスの重さの合計が燃やす前の10%に減っていたら、放射能は減らないので、kgあたりの放射能は10倍になります。
1kgで1000ベクレルだったら、焼いた後は1kgで1万ベクレル、はじめに1万ベクレルだったのなら、焼いた後は1kg10万ベクレルの放射能煙と、放射能灰です。
5月以降に育った稲などの汚染は、大部分が土と水から放射能を吸収して蓄えたものだけなので、4月以前からあった植物やごみよりはかなり少ないはずですが、どの程度危険かは測定してみないとわかりません。
確認するまでは大気中に拡散すべきではありません。
9月になって一関の米から27ベクレル/kgの放射能が検出されました。
稲わらは米粒より多量の放射能を含んでいると予測されます。
環境除染と除染後の放射能汚染物質処分
田畑や道路の水溜り跡のごみなどは、放射能量が多く、放射能実験施設から持ち出し禁止レベルの強い放射能がいたるところに大量にあります。
これも取り除いて除染して、安心して生活できるレベルにすべきです。
放射能はなくすことも減らすこともできません。
人ができるのは移動することだけです。
放射能処理や除染というのは、散らばっている放射性物質を集めて管理するということです。
拡散することは除染・処理と逆のことで、放置よりもまずいことです。
高性能の集塵装置を持つごみ焼却場で焼却すれば、放射能のほとんどを回収することができますが、野焼きでは全て大気に放出、汚染してしまいます。
焼却場で回収はできても、回収した放射能はどこかに集め管理するしかありませんが、集める場所も方法も決まっていません。
高性能でない焼却場で償却すれば放射能を大気中に再放出・拡散汚染します。
したがって、放射能除染をするためにまず第1に行うべきことは、除染して取り除いた放射性物質を「どこに」「どのような形で」「どの程度集めるか」という、処分方法と処分場を決めることです。
これなしに、社会全体の除染の方針を決めることはできませんが、決まっていません。
私は、福島原発近くのできれば東電敷地内に、すべての汚染物質を集め、数百メートル四方以上の巨大な丘に築き、管理することが正しい処分、管理法と考えています。
原発敷地にある超高レベルの放射能とは違い放射能レベルはずっと低いので、地面にしみこまないことと、風で飛ばない対策をするだけで、積み上げておくだけで管理できます。
丘に積み上げるだけなので、無制限に集めることができます。
各地で、地域除染の熱意があれば、集めた汚染物質の保管先を心配せずに、いくらでも除染活動ができます。
処分場の方法や場所、規模を決めない政府は無責任・無能力です。
これ以外の処分法を言うのは打算か、考えが浅く全て誤りだろうと私は考えます。
大規模処理場を作らないということは、今後、環境除染をあまりせず、残りは放置するということです。
一日も早く、原発近くに、汚染物を無制限に集めるという処分場の方針を決めるべきです。
実行するまで、莫大な費用と、放射能拡散を増やしつづけてしまいます。
除染には莫大な費用がかかります。無駄に使うべきではありません。
-----------------------------------------------------------------
(付録)
放射線の安全性、放射線処理を考える参考のために、「電離放射線障害防止規則」の抜粋を示します。
法律の文章を断片的に紹介するため言葉を少し変えていますが内容は元のままです。
現在でも放射能を扱う大学などの実験施設や、事業所、企業はこの基準で放射線を管理し、繰り返し守られないなどの場合は、罰則を受けます。
放射能管理区域から持ち出し禁止量の放射能が、生活環境の中に沢山放置されています。
電離放射線障害防止規則抜粋 (一部語句をかえています)
第二条
「放射性物質」とは、40Bq/cm2を超えるもの。74Bq/g以下の固体のもの及び密封されたものでその数量が3.7メガベクレル以下のものを除く。
第三条
管理区域を標識によって明示しなければならない。外部放射線と空気中の放射性物質合計が三月間につき一・三ミリシーベルトを超えるおそれのある区域。・表面密度が 4Bq/cm2 を超える恐れのある区域。必要のある者以外の者を管理区域に立ち入らせてはならない。取扱い上の注意事項、事故の応急の措置等を掲示しなければならない。施設。遮へい物を設け、密閉する設備を設けなければいけない。
第四条
業務従事者の受ける実効線量が五年間につき百ミリシーベルトを超えず、かつ、一年間につき五十ミリシーベルトを超えないようにしなければならない。
第二十六条
飛沫又は粉末が身体又は衣服、履物に付着しないように
第二十七条
ピンセットなど用具を他の用途に用いてはならない
第二十八条
汚染した場合、直ちに汚染のおそれがある区域を標識し、4Bq/cm2 (注:およそ400Bq/kgの土、80Bq/kg枯草)以下に除去しなければならない。
第二十九条
清掃を行なうときは、じんあいの飛散しない方法で行なわなければならない
第三十三条
貯蔵はかぎ閉鎖の貯蔵施設
第三十五条
焼却は、気体がもれるおそれがなく、かつ、灰が飛散するおそれのない構造の焼却炉
第四十四条
放射性物質を誤つて吸入摂取し、又は経口摂取した者などは、診察又は処置を受けさせなければならない。
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※本論は、「放射線被曝から子どもを守る会 いわて」の皆さんからご要望を頂いて、解説し、私の意見を含め、2011年9月同会ブログに書いたものです。
仙台赤十字病院呼吸器内科
東北大学臨床教授
岡山 博
原発爆発後初期数週間の放射能汚染
本年3月12日、福島第一原子力発電所が爆発し、その後爆発や漏洩、意図した放出が繰り返され、3月15日から3日間と3月21日から数日間、それぞれ何度も、莫大な放射能が大気中へ放出されました。
放出された放射性物質は、風に乗って運ばれ風下を汚染し、空中に浮いていた放射能ほこりが雨や雪が降るとそれに吸着され、大量に地表に降り注ぎました。
宮城県北部から岩手県南部もこのようにして仙台などの宮城県中部よりも強く汚染され、現在も環境放射能は事故以前の数倍に上がったままです。
爆発直後から2~3週間の間、最も危険だったのは、空気中に浮遊しているヨウ素とセシウムの放射能ほこりを呼吸して吸い込んでしまったことでした。
空気中に存在する放射能は放射性気体と、小さなほこり=固体に吸着した放射能ですが、放射性物質のほとんどはほこりに吸着しており、ほこりの放射能が最大の危険物質でした。
人は一日中呼吸しているので、大気中に放射能などの有毒物質があれば、息を吸うと必ず吸気として吸い込んでしまいます。
水に溶けない気体は吸ってもほとんどすぐに呼気として吐き出されますが、水に溶ける気体は気管支表面や一番奥の肺胞で体の水に溶け、血液に溶けて全身に広がり、蓄積します。
直径が0.01mmより大きな粒子は、肺の一番奥の肺胞までは到達せず、気管支表面の水に吸着し、その後、気管支表面の線毛運動によってベルトコンベアのように連続的にのどまで運び出されます。
運ばれたものが大きく硬い場合は痰として喀出されますが、ほとんどのものは少しずつ連続的にのどまで運ばれるので、気づかずに全て飲み込まれ、放射能のほとんど全部が腸で吸収されて全身に運ばれます。
0.01mm より小さい粒子は肺の一番奥の肺胞まで到達します。
肺胞は線毛運動が無いため、のどまで運んで捨てることはできません。
少しずつ溶けて全て血液に吸収され全身に運ばれます。
石の粉やアスベスト、プルトニウムなど、いつまでたっても溶けない物質は何十年も肺の同じところに留まります。
甲状腺の細胞は、ヨウ素を運び入れるポンプの働きがあるため、肺や腸から吸収されたヨウ素は、甲状腺に集まります。
一方、セシウムは体内の水に溶け体中に運ばれて分布します。
セシウムは体中の水に溶けて分布しますが、細胞外よりは、どの細胞でも細胞内の水に多く分布します。
セシウムは筋肉に多く含まれると説明されていることがありますが、これは筋肉は細胞の割合が多いこと、筋細胞には他の細胞よりやや高濃度に含まれることと、体の中で筋肉の割合が多いので、筋肉の中に多く含まれるという意味です。
この時期、被曝を防ぐには放射能ほこりのない地域へ避難することが最も有効でした。
それができない場合は、マスクをしてほこりの吸入を減らすことでした。
普通のマスクでも大きなほこりは防げます。やや小さなほこりは、花粉症のマスクがさらに有効でした。
目の細かいN95 マスクを適切に使えば0.001mmのほこりでも99.9%を防ぐことができました。
髪の毛や皮膚についたほこりは、シャワーで簡単に洗い流せます。
放射能ほこりが家の中に落ちると、ほこりが外に出るまで、何年も放射能を出し続け、少しずつ舞い上がるほこりを吸入してしまうので、衣服や荷物、髪の毛についた放射能ほこりを家の中に持ち込まないことも大切でした。
次に危険だったのは放射性物質で汚染された食物を飲食したことです。
初期の2~3週間、空気中に放射能ほこりが浮いていた時期は、ほこりはそのまま、あるいは雨や雪に混じって、野菜など、植物の葉に落ちて留まります。
これは水洗いをすれば取り除けますが、水洗が不十分だと食物とともに摂取されて内部被曝を起こします。
時間がたつと葉の表面に留まったセシウムは葉から吸収され、葉だけでなく、葉から茎や実に運ばれ蓄積されました。
これは洗っても取り除くことはできません。
食べてはいけないのですが、それでも食べる場合は、葉のように薄いものであればゆでて細胞を壊し、細胞内のセシウムをお湯にしみださせることができます。
水をかえて、2回ゆでるとかなり減るはずです。
大根やイモ類のように薄くないものは、細胞を壊してもゆでる水までの距離が長いため十分染み出させるのは難しい。
大根を煮て料理しても醤油の色や味がなかなか中までしみとおらないのと同じです。
海産物の放射能についてと、ストロンチウムも大切ですが、本論では省略します。
現在の汚染状況
現在、大気中に浮かんでいる放射能ほこりはずっと減っています。
現在環境中に測定される放射線のほとんど全ては、放射能ほこりが地面に落ちて、地面に留まったセシウムの放射線源からのものです。
3月末と比べると、環境放射能はかなり低くなっていますが、これは放射性物質が取り除かれて減ったのではなく、ヨウ素の放射能が弱くなったためです。
ヨウ素の放射能は半減期が8日で、8日たつと放射能は半分になりさらに8日たつとその半分に、と弱くなって80日たつとはじめの1000分の一に、160日たった現在では、放射ヨウ素の放射能は100万分の1に弱まりほとんどなくなっています。
現在、地表や環境に残っている放射能は大部分がセシウムです。
セシウムの放射能半減期は30年なので1年や2年ではほとんど減りません。
30年たって半分、また30年たってその半分の1/4というように、半減期に従って減る以外には、放射能は自然や人が分解したり減らしたりできません。
普通の毒物は分解されたり何かに吸着して毒性が減りますが、放射能ではそのようなことはまったくありません。
今後、自然に、少し減るのは、放射能が分解されるからではなく、放射能のついた枯れ草やごみがほこりとなって飛び散るか、少しずつ水で流れて地面に入り、やがて湧き水などになって川に入って運び去られて減るだけです。
どちらも急速に減ることは期待できませんし、急速に減ったとしたら、別の場所の放射能汚染を拡大しているということで、望ましくありません。
環境中の放射能を減らそうと言うのであれば、セシウムの放射線源を集め運び去ること以外、放射能を減らすことはできません。
環境の放射線を減らすためには、セシウムで汚染されている枯れ草やごみを取り除くことが最も簡単で効率的です。
放置しておくと、その間、被曝受け続けるだけでなく、少しずつごみや枯れ草から土に移動するので、同じ量のセシウムを除くのに手間や費用が今よりかかります。
今でもセシウムは土に移動しています。
枯れ草やごみだけでなく、今なら、表土を数センチ除去すると環境放射能をかなり減らすことができます。
時間がたつとセシウムはさらに地面の下までしみとおっていくので、除去するなら、早いほど効率的です。
放射能は減らすことも分解することもできません。
人ができることは移動することだけですから、除染というのは、「放射線源を集めどこかに持ち出し集めて管理すること」です。
いくら取り除いても、集めて管理しなければ、別のところに汚染を拡大してしまうので、すべきではありません。
十分な集塵機能を持たない焼却処分は、せっかく集まっている放射能を拡散させてしまうことなので、処分しないことよりも悪いのです。
野焼きについて
子どもたちの放射線被曝を心配しするお母さんたちから、野焼きについて相談をいただきました。
わらや枯れ草に放射能雨が降り注いだ後、水は蒸発しますが、放射能はそのまま残ります。
放射能ほこりが降り、放射能雨・雪でぬれて乾いたわらや枯れ草、水溜りが乾いたごみは、最もセシウム放射能がたまっているところです。
宮城県で雨にぬれた稲わらを全国の牛に食べさせ、牛肉が高度に汚染されていることがわかり、出荷停止になり、稲わらを食べさせるのも禁止されました。
宮城県は知事が「宮城県は汚染されていない」という強い信念を持っており、文部省指示による降下・雨中放射能を今でも測定・発表していないただひとつの県です。
降下放射能の軽視が、稲わらと肉牛のセシウム放射能汚染の背景にはあります。
4月時点で存在し、放射能ほこりが降下し、放射能雨にぬれた植物や枯れ草、枯れ草、わらなどは、強く汚染されています。
これを野焼きすると、放射能は煙になって拡散し、残りは燃えかすや灰になって残ります。
野焼きしているときに見える煙は、気体ではなく、小さな粒子で、これに放射能が含まれています。放射能は目に見えないもっと小さな粒子にも含まれています。
空気中に拡散すれば、それを呼吸して放射能を肺に吸入、吸収してしまいます。
これは、放射能が枯れ草やわらとして、地表に固まって存在し、そこからの放射線で人が外部被曝するより、はるかに危険なので、すべきではありません。
野焼きで出た煙などの放射能ほこりは、原発の大爆発と違い、比較的近くに大部分が降下すると予測されます。
それをまた住民が呼吸し、また農作物や植物を汚染します。
原発爆発によって起こされた放射能拡散と放射能被曝をもう一度繰り返すということです。
原発事故から時間がたち、ヨウ素の放射能はありませんから、ヨウ素剤服用の必要はありませんが、セシウムによる第二次汚染・第二次被曝といえる危険な汚染です。
これから行われようとしている野焼きに、4月時点ですでに存在し、放射能雨にあたったわらや枯れ草が含まれているとしたら危険で、止めるべきです。
止めさせることができなかったら、避難すべきです。
避難できない場合は、マスクをし、家を密閉すべきです。
後でほこりを掃除して家の外に出すよう掃除します。
掃除は、子どもを避難させた上で、良いマスクをして、隙間などのたまったほこりを掃除機で吸い出してもよいが、やりにくい場所は逆噴射して巻き上げるほうがよいかも知れません。
窓は全部開放して、巻き上げたほこりを風で戸外に出します。
目に見える床や家具の表面は、ぬらした新聞紙をそっとの上において、こするのではなくぬれた新聞紙にほこりを吸着させ、そのまま捨てるのがよいと思います。
雑巾で拭くのは、要注意。ふき取って取り除けるのは一部で、床に広げて擦り付けてしまうものもあります。
雑巾に吸着した分だけが床から取り除かれた分です。雑巾についた放射能ほこりを洗い流すのは困難なので捨てるのがいいです。
もし、4月の草やわらが既に野焼きで燃やされてしまったとしたら、放射能のかなりは、煙として大気に拡散し、その後地面に降り注いだはずです。
燃えカスと残り灰には強い放射能が含まれている可能性が高く、きちんと処分すべきです。
煙の中の粒子と、煙になって飛び去らずに残った灰と燃えカスの重さの合計が燃やす前の10%に減っていたら、放射能は減らないので、kgあたりの放射能は10倍になります。
1kgで1000ベクレルだったら、焼いた後は1kgで1万ベクレル、はじめに1万ベクレルだったのなら、焼いた後は1kg10万ベクレルの放射能煙と、放射能灰です。
5月以降に育った稲などの汚染は、大部分が土と水から放射能を吸収して蓄えたものだけなので、4月以前からあった植物やごみよりはかなり少ないはずですが、どの程度危険かは測定してみないとわかりません。
確認するまでは大気中に拡散すべきではありません。
9月になって一関の米から27ベクレル/kgの放射能が検出されました。
稲わらは米粒より多量の放射能を含んでいると予測されます。
環境除染と除染後の放射能汚染物質処分
田畑や道路の水溜り跡のごみなどは、放射能量が多く、放射能実験施設から持ち出し禁止レベルの強い放射能がいたるところに大量にあります。
これも取り除いて除染して、安心して生活できるレベルにすべきです。
放射能はなくすことも減らすこともできません。
人ができるのは移動することだけです。
放射能処理や除染というのは、散らばっている放射性物質を集めて管理するということです。
拡散することは除染・処理と逆のことで、放置よりもまずいことです。
高性能の集塵装置を持つごみ焼却場で焼却すれば、放射能のほとんどを回収することができますが、野焼きでは全て大気に放出、汚染してしまいます。
焼却場で回収はできても、回収した放射能はどこかに集め管理するしかありませんが、集める場所も方法も決まっていません。
高性能でない焼却場で償却すれば放射能を大気中に再放出・拡散汚染します。
したがって、放射能除染をするためにまず第1に行うべきことは、除染して取り除いた放射性物質を「どこに」「どのような形で」「どの程度集めるか」という、処分方法と処分場を決めることです。
これなしに、社会全体の除染の方針を決めることはできませんが、決まっていません。
私は、福島原発近くのできれば東電敷地内に、すべての汚染物質を集め、数百メートル四方以上の巨大な丘に築き、管理することが正しい処分、管理法と考えています。
原発敷地にある超高レベルの放射能とは違い放射能レベルはずっと低いので、地面にしみこまないことと、風で飛ばない対策をするだけで、積み上げておくだけで管理できます。
丘に積み上げるだけなので、無制限に集めることができます。
各地で、地域除染の熱意があれば、集めた汚染物質の保管先を心配せずに、いくらでも除染活動ができます。
処分場の方法や場所、規模を決めない政府は無責任・無能力です。
これ以外の処分法を言うのは打算か、考えが浅く全て誤りだろうと私は考えます。
大規模処理場を作らないということは、今後、環境除染をあまりせず、残りは放置するということです。
一日も早く、原発近くに、汚染物を無制限に集めるという処分場の方針を決めるべきです。
実行するまで、莫大な費用と、放射能拡散を増やしつづけてしまいます。
除染には莫大な費用がかかります。無駄に使うべきではありません。
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(付録)
放射線の安全性、放射線処理を考える参考のために、「電離放射線障害防止規則」の抜粋を示します。
法律の文章を断片的に紹介するため言葉を少し変えていますが内容は元のままです。
現在でも放射能を扱う大学などの実験施設や、事業所、企業はこの基準で放射線を管理し、繰り返し守られないなどの場合は、罰則を受けます。
放射能管理区域から持ち出し禁止量の放射能が、生活環境の中に沢山放置されています。
電離放射線障害防止規則抜粋 (一部語句をかえています)
第二条
「放射性物質」とは、40Bq/cm2を超えるもの。74Bq/g以下の固体のもの及び密封されたものでその数量が3.7メガベクレル以下のものを除く。
第三条
管理区域を標識によって明示しなければならない。外部放射線と空気中の放射性物質合計が三月間につき一・三ミリシーベルトを超えるおそれのある区域。・表面密度が 4Bq/cm2 を超える恐れのある区域。必要のある者以外の者を管理区域に立ち入らせてはならない。取扱い上の注意事項、事故の応急の措置等を掲示しなければならない。施設。遮へい物を設け、密閉する設備を設けなければいけない。
第四条
業務従事者の受ける実効線量が五年間につき百ミリシーベルトを超えず、かつ、一年間につき五十ミリシーベルトを超えないようにしなければならない。
第二十六条
飛沫又は粉末が身体又は衣服、履物に付着しないように
第二十七条
ピンセットなど用具を他の用途に用いてはならない
第二十八条
汚染した場合、直ちに汚染のおそれがある区域を標識し、4Bq/cm2 (注:およそ400Bq/kgの土、80Bq/kg枯草)以下に除去しなければならない。
第二十九条
清掃を行なうときは、じんあいの飛散しない方法で行なわなければならない
第三十三条
貯蔵はかぎ閉鎖の貯蔵施設
第三十五条
焼却は、気体がもれるおそれがなく、かつ、灰が飛散するおそれのない構造の焼却炉
第四十四条
放射性物質を誤つて吸入摂取し、又は経口摂取した者などは、診察又は処置を受けさせなければならない。
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※本論は、「放射線被曝から子どもを守る会 いわて」の皆さんからご要望を頂いて、解説し、私の意見を含め、2011年9月同会ブログに書いたものです。
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