コロナワクチン:重症化は抑えるが、感染は減らせない
TS 様
COVID-19 の話題です。
COVID-19;現在の問題点と今後の展望と取るべき対策について
私は以下のごとく考えています。
(A)注射によるコロナワクチン接種は、
・IgAを産生させない。従って
・病態進展抑制効果はあるが、感染抑制作用はない。ブレークスル―感染は当然起きる(感染しないことを基準にブレークスルーと考えること自体が誤りだ)
・ワクチンによる直接的なウイルス放出抑制はなく、ウイルス放出は間接的な病態進展抑制作用によるだけであって、ウイルス放出効果は限定的だ。
・ワクチンは感染を低下させないが「病態進展抑制作用がある」というこの効果は、通常の急性疾患における(感染や疾患発生はさまたげず、病態の進行を抑制するという)薬剤治療と質的には同等だ。
・ワクチン普及させても、集団免疫はできない
(Aの付録)
感染をへらすというワクチン効果に関する、メディア(専門家を含む)によるニュースや解説や報告では、
・「感染者数」を抑制するデータや解説ではなく
・ウイルス陽性者であった「発症者の頻度」を低下させる効果を指標にしている説明だ。
・オミクロン株では、発症者も減らしていないという報告もある。
(B) COVID-19は収束するか?
・やがて収束する。
何によって?
・集団免疫成立によって収束する。
集団免疫は、如何にして獲得されるか?
・ワクチンでは獲得されない
・COVID-19 感染によって、個人も集団も(感染を免れるという)免疫が獲得される
・多数者の感染があればその後に 集団免疫が獲得される
(C) COVID-19 パンデミック収束のための考え方(基本方針)
・基本戦略は
(a) COVID-19 に対する集団免疫を獲得すること
(b) そのためには、圧倒的多数者が、重症化することなくCOVID-19 に感染する事
(c) 重症化させず感染者を増やすための方針は
・感染した場合に軽症で済ませる(病態の悪化進展をさせないための方策)
・治療薬の実用化(可能であると、ワクチン(予防効果はないが重症化は抑制する))
・弱毒化した変異ウイルスが出現したら、それが集団免疫に役立つかもしれないと考えていたら、それに近いオミクロンが出現した)
・感染後の病態悪化を充分低減しする安価な治療薬だできたら、その時は「感染力が強い弱毒変異ウイルスを積極的に感染させる」という選択もある(「積極的に感染促進の選択しなくても蔓延してしまった」ということになるかもしれない)
・現在ヨーロッパで「ゼロコロナは現実的でないので withコロナ/ニューノーマル」に政策を変えつつあり、好ましい結果につながる可能性がある(本来は、有効な治療薬が経済的にもいきわたった後が望ましい)。しかし、withコロナが適切な方針たりうるのは「ゼロコロナ政策」が非現実的で誤りだからではなく、強い感染力を持つオミクロンという新変異が、低侵襲性弱毒性であるからだ。
ましてや、中国のゼロコロナは失敗だ」という論調は誤りであり悪質だ。
・病態悪化抑制に有効で安価な治療薬が普及するまでの時間稼ぎとして、感染拡大予防は意義がある。
・感染抑制の方法:3密等抑制など感染機会を減らすこと。殊にマスクが重要
・マスクの目的1;主目的はウイルス吸入抑制ではなく、ウイルス放出抑制(効果絶大。結核診療の常識)
・マスクの目的2;
・集団免疫が獲得されるまでに必要な感染者数は変わらないが、感染時期の集中を減らして平準化する事
・平準化の意義1:集中的感染者増による、社会と医療に対する負担減
・平準化の意義2:治療薬開発までの時間確保
・感染抑制/集団免疫を目指したワクチン戦略は誤りである(マスクよりもワクチン重視の戦略が、世界的に超莫大な損失を重ねている)
COVID-19 についてどう考えていますか?
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2022年2月6日
藤田先生
(A)私の論点、問題意識の中心は以下でした
・ワクチンはIgA産生を誘導しないので感染予防作用はないだろう。
・ワクチンは感染予防作用がないので、集団免疫を作ることはできない(ワクチンによって集団免疫を作るという戦略方針は誤りだ)。
・COVID-19 感染者が増えることによって集団免疫が獲得されて、収束する。
・集団免疫を作る為の基本戦略は、
・ワクチンや治療薬開発によって感染しても重症化させない状態を作ることと
・感染性が高く弱毒性変異株の出現と利用(利用するつもりがなくても蔓延してい舞った結果という状況が考えやすい。オミクロンがそうなりつつある。今後も同様な新変異がありうる)
(B)今後も今回のCOVID=19の様なパンデミックは繰り返されるはずなので、きちんと結論と教訓を作るべきだと思います。
ワクチンによって集団免疫を作る戦略を主張した専門家が誤ったときちんと撤回せずに、当然のようになし崩し的に主張や説明を変更するようにならなければよいがと思います。
先生がまっすぐな精神で社会に有意義なご活躍をされていることも、先生と会話や問答できることも、好ましく心強くうれしく存じています。
上記のポイントについても、いつか機会があったらどうぞコメントください(いつか機会があったらで結構です。貴重な先生のお時間を煩わせていることを恐縮しています)。
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2022年2月5日
「ワクチンは感染を抑制しない(だろう。ほぼ確実)。だから集団免疫を作れない」
・COVID-19 pandemicは集団免疫獲得によって収束するが、ワクチン接種では獲得できず、感染することによってIgA誘導を含む免疫が獲得(感染予防)される
・集団免疫獲得には、多数者の感染が必須。
・多数者が軽症感染ですむために有効なことをする
①治療薬(ワクチンも含む)(開発される)
②弱毒型変異ウイルス(オミクロンはその例になる)
説明
・ワクチンは感染予防効果はないが重症化(病状先天)抑制作用があるというのは、通常の急性期疾患に対する治療薬と同じです。
・一義的にはウイルス放出量抑制は恐らくないが、病態の進展抑制による結果として2次的に放出量減少はありうる(著しい減少は期待できない)
・・・
2022年2月4日
藤田先生
COVID-19;今後の展望と取るべき対策について
私は以下のごとく考えています。
(A)注射によるワクチン接種は、
・IgAを産生させない。従って
・病態進展抑制効果はあるが、感染抑制作用はない。ブレークスル―感染は当然起きる(感染しないことを基準として考えること自体が誤りだ)
・ワクチンによるウイルス放出抑制は間接的な病態進展抑制作用によるだけであって、ウイルス放出効果は限定的だ。
・ワクチン普及させても、集団免疫はできない
(Aの付録)
ワクチン効果に関して、メディアによるニュースや解説や報告では、
・「感染者数」を抑制するデータや解説ではなく
・ウイルス陽性者であった「発症者の頻度」を低下させる効果を指標にしている説明だ。
・オミクロン株では、発症者も減らしていないという報告もある。
(B) COVID-19は収束するか?
・やがて収束する。
何によって?
・集団免疫成立によって収束する。
集団免疫は、如何にして獲得されるか?
・ワクチンでは獲得されない
・COVID-19 感染によって、個人も集団も免疫獲得が起きる
・多数者の感染があってその後に 集団免疫が獲得される
(C) COVID-19 パンデミック収束のための考え方(基本方針)
・基本戦略は;感染した場合の、ワクチンと、治療薬(開発)による病態進展(重症化)抑制である
・感染抑制の方法:3密等抑制など感染機会を減らすこと。殊にマスクが重要
・マスクの目的1;主目的はウイルス吸入抑制ではなく、ウイルス放出抑制(効果絶大。結核診療の常識)
・マスクの目的2;
・集団免疫が獲得されるまでに必要な感染者数は変わらないが、感染時期の集中を減らして平準化する事
・平準化の意義1:集中的感染者増による、社会と医療に対する負担減
・平準化の意義2:治療薬開発までの時間確保
・感染抑制/集団免疫を目指したワクチン戦略は誤りである(マスクよりもワクチン重視の戦略が、世界的に超莫大な損失を重ねている)
補)
「インフルエンザワクチンは、感染予防作用はないのではないか」と以前から考えていました。
以前、これに関して先生に質問して教示いただいたとき、ご紹介いただいた文献は、発症抑制効果についての検討であり、感染抑制効果についてではありませんでした。
私の問題意識は解決されないまま、COVID-19パンデミックになりました。
COVID-19 ではたくさんの調査や検討がされてきています。
「ワクチンは感染を抑制しない」と考えるとほとんど納得できるように思いますが、一方ではそれなのにもかかわらず、COVID-19 の解決はワクチン接種による集団免疫獲得であるというような戦略と政策とられ、説明されています。
「ワクチンは感染予防や集団免疫獲得には限定的にしか働かない」ということ考える人はいるだろうに、それをを前提とした、考えや方針がなぜ、私のレベルに届く議論や検討されていないのかもわからないでいる疑問のひとつです。
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沖縄のコロナ蔓延を克服するために ・・・緊急重点課題として、国が取り組むべきだ・・・
・・・緊急重点課題として、国が取り組むべきだ・・・
【沖縄では、新型コロナ蔓延が突出している】
沖縄では5月11日以降、新型コロナ新規感染者数が1日当たり平均100名を超え、10万人当たり新規感染者数は大阪や東京を始め、どの府県よりもはるかに高い値が続いています。
沖縄は海で他県から隔てられて、経済は主に他県からの観光客に依存し、日常生活における隣県との往来は少なく、コロナウイルスも多くは県外からの観光客によってもたらされたと考えられています。県の財政が豊かでないことや、島しょが多いことなどによって医療体制も十分でなく、県民の収入も沖縄県の財政も豊かではなという状況の下で、新規感染者と重症感染者の高値が続いています。
【沖縄の コロナ感染解決のためには、国が緊急重要課題として取り組むことが必用だ。】
このような中でコロナ蔓延が持続しており、沖縄県の努力だけで、コロナ感染を解決することは困難です。
沖縄の新型コロナ対策は、全国と同等の対策ではなく、国の重点政策として必要な資材と人員と十分な資金を提供して沖縄県を援助してコロナ対策にあたるという緊急対策が必要です。
【新規感染者数を減らすために必要なこと。殊にワクチン接種】
新規感染を減らすために必要なことは、迅速にワクチン接種を進め完了することと、感染機会を減らす(行動制限)こと、早期発見と他者への感染予防です。
イギリスやイスラエルは、厳重な社会活動制限と、急速なワクチン接種によって、コロナ蔓延を劇的に鎮静化させることに成功し、感染防止とワクチン接種が極めて有効であることを証明しています。
沖縄県の主要産業は観光業であり、コロナ蔓延による県外からの観光客激減による収入減は、県民全体の経済を悪化させており、沖縄の経済困窮に対し、限られた範囲の個別休業補償では解決困難です。
県外からの収入が断たれて生じている深刻な状況を保障して初めて、コロナ蔓延解決と沖縄県民の生活を含めた解決が可能です。
医療現場のひっ迫の原因は、患者数と重傷者数増加です。
医療現場のひっ迫を改善する最大の方針は患者数を減らすことです。
全国的にも、患者数が増加して、医療現場が対応しきれていません。
現在、日本社会の一部は「感染して病態が悪化した場合に、酸素吸入という初歩的医療さえ受けられない状態で重症化したり死亡する」という異常な社会になってしまっています。
コロナワクチンは(インフルエンザワクチンと違って)感染予防効果が強く、感染した場合でも、重症化抑制作用も強く、接種することによって新規感染と、重症化の両方を強力に改善します。
ワクチン接種によって、非常に感染しにくくなるので、接種された個人にとって大変な利益がありますが同時に、感染者が減ることは感染させる原因が減ることになり、たくさんの人がワクチン接種を受けることは、コロナ感染克服のために最も有効で重要な対策です。
新型コロナワクチンは接種された個人にとっても、社会全体の集団免疫にとっても非常に有益であり、新型コロナ問題克服するために最も重要です。
日本は、世界の中で新型コロナワクチン接種実施が著しく遅れていましたが、ワクチンが確保されて、積極的なワクチン接種活動が始まりました。
ワクチン接種の取り組みは、人的にも経済的にも能力が高い自治体や、ワクチン接種に参加する能力がある大企業が沢山ある地方でワクチン接種が加速されています。
沖縄県は医療で対応しきれないほど、人口当たりの感染者数がとびぬけて多く、他の地方以上にワクチン接種を進めることが重要ですが、県民と自治体の経済的体質が弱く、医療体制も弱い沖縄では、ワクチン接種が遅れています。
新規感染者が多く医療が切迫している沖縄でこそ、他県よりも早く、特別に強力・迅速に実施しなければいけません。
全国的には経済録がある地方自治体や、集団接種に参加できる大起業が多い地方でワクチン接種が進み始めましたが、これらの条件がない沖縄では、自治体の経済力や接種活動ができる大起業に依拠した ワクチン実施の劇的拡大は不可能です。
【沖縄でこそ、迅速なワクチン接種を】
一日当たりの感染者が極めて多く、医療切迫も著しい沖縄では、他県と同様にワクチン接種の取り組みをするのではなく、洪水などの自然災害と同様に、国の緊急の重点施策として実施することが必要です。
イギリスをはじめ、急速にワクチン接種に成功した国は、接種を受ける際の手続きを簡素化したり、職場や学校、地域やスーパーマーケットなど希望者が簡単に接種できる場を作るなどの取り組みをすることで急速なワクチン実施を実現しています。
沖縄でそれを行うために必要なことは、法令や規則を弾力的に運用して実務的作業を簡素化する事、ワクチン接種の場を設定することができる人材と組織を集中させてワクチン接種の場を増やすこと、十分な日当を出して看護師や医師の協力を得ることです。
世界の多くの国が実現していることですから日本でもできるはずです。
県民4割のワクチン接種完了を早急に実現すべきです。40万人(40万件)接種するには、1日1万人接種を40日続けて初めて40万件接種が可能となります。
法令や経済、様々な要因をほとんど無視して、文字通り戦争に突入するくらいの「緊急事態」の決意と体制で取り組まないと、1日1万件接種はほぼ不可能です。
それができないのであれば、1日4000件接種を行い、50日で2割接種を実現し、その後さらに50 日かけて40万人実施を達成すべきです。その後もさらに多くの県民のワクチン接種を進めることです。
1日4000人ワクチン実施を行うためには、決意と体制準備が必要ですが、困難を乗り越えて実施すべきです。
【医療逼迫を緊急に改善すること】
(これは沖縄だけでなく、全国共通の課題です)
既に感染し重症化した感染者に対する医療を提供することも緊急の課題です。
「医師の診察も受けずに観察中の感染者」が、酸素吸入さえされないで死亡することが全国的に繰り返されていますが、簡単な酸素吸入も受けられずに死亡することがあってはいけません。
非入院の感染者の死亡を防ぐためには、
・呼吸状態が悪化した場合、直ちに酸素吸入をする体制をつくることと、
・酸素吸入しても悪化傾向続く場合はただちに入院の体制を作ること、が緊要です。
感染者が呼吸状態悪化/低酸素血症を生じた際になすべきこと
全国共通です。具体的には、
・感染者全員に、パルスオキシメーターを全員に貸与して、毎日数回酸素分圧を測定する。
・非入院の施設には酸素濃縮器を設置し、
・酸素飽和度が92~93%に軽度低下した場合は、酸素吸入を準備あるいは開始する。
・酸素吸入して酸素飽和度が改善してもそれを維持できずに、その後さらに酸素分圧低下傾向が続く場合はただちに入院。
(在宅酸素療法で使っている酸素濃縮器を、医療機関以外の非入院施設に配置する。在宅の場合は、酸素分圧が軽度低下したら施設に移動して酸素吸入体制に移行する。酸素濃縮器使用はさほど高額ではなく、COPD等慢性呼吸不全の患者は在宅で日常的に使われている)
国は、沖縄の新型コロナ感染に対し、大洪水などの甚大な自然災害と同様に、国の重点施策として、緊急に沖縄のコロナ対策をすべきです。
具体的には、全国一律の対策の一つとしてではなく、沖縄県が主体になって対策を行い、国が国策として、自然災害に準じて、必要な資材と人員派遣し沖縄県を援助し財政的に保障することが必要です。
【まとめ】
・沖縄の新型コロナ感染を克服するためには、国の緊急課題として 沖縄のコロナ問題に取り組むことが必要です。
・緊急時にふさわしい取り組みをして、ワクチン接種を迅速に進める。
・酸素吸入がされないまま死亡することをさせない取り組みが必要だ(パルスオキシメーターと酸素濃縮器の才知。増悪時ただちに入院)
・3密をなど、他人との接触機会を強力に減らす。そのために県民と関係業者に補償を充分に行う。
福島原発事故による放射線被爆を経験して考えたこと
経験して考えたこと
仙台赤十字病院呼吸器内科 岡山博
仙台赤十字病医学雑誌。2015年5月。23巻1号, 83-90
要旨:
福島第一原子力発電所事故が起き、多数の人が被曝した。
政府や専門家、メディアは、法令で定められている「被曝はできるだけ減らす」という基本を無視して、被曝を話題にすることさえ過剰反応として抑圧し、被曝回避を軽視する対応をした。
大規模な放射能汚染にあたって、政府行政と専門家も、一般医療機関や医療従事者も、被曝を回避させ、国民住民を守るために言動すべきであった。
Key words: 福島、原子力発電事故、被曝、専門家の言動
はじめに
東日本大震災と津波を契機に、福島第一原子力発電所は大事故を起こして大量の放射性物質を環境中に放出し、多くの人が被曝した。
放射能汚染と被曝に関して政府や行政、東京電力や被爆医療専門家が指示、解説をした。そして私たち一般臨床医も患者さんなどから解説を求められた。
それらの被曝に関する言動や判断は適切だったろうか。事故後の経過を概括し、専門家と社会はそして私たちは何をすべきだったか、何をすべきでなかったか、福島原発事故後3年間に考えてきたことを述べたい。
福島第一原子力発電所事故の経過
2011年3月11日、14時46分 宮城県沖で巨大地震が発生した。福島第一原子力発電所1-6号機のうち運転中だった1,2,3号原子炉は全て緊急停止した。
4,5,6号機が休止中だった。震度6強の地震によって送電線鉄塔倒壊と受電設備等が損傷して外部電源を喪失したが1,2,3,5,6号機で非常用発電機が自動起動した。
津波到達前から1号建家内で放射線量が上昇した。津
波後の原子炉冷却停止に引きつづいて汚染物質が放出されて、原発敷地内外で急速に放射線量が上昇し、放射線汚染地域も広がり続けた。
15時36分~津波により、非常用発電機、配電盤等が損傷して1,2,4号機で交流電源と直流全電源喪失。3,5号機は交流電源を喪失した。6号機は非常用発電機3台のうち1台が残って5,6号機の電源は維持できた。
1-4号機は電力による注水冷却が停止した。直流電源バッテリーは数時間分しか準備されておらず、停電になって全ての測定や機器の運転が不可能になった。
17時 放射能拡散予測図(SPEEDI)が文部科学省と総理官邸、福島県、アメリカ軍に提供されたが、住民やメディアには3月23日まで公表されなかった。
22時 1号機で、13日には3号機、15日には2号機でメルトダウンが始まった。
21時 政府は3 km 圏内は避難、3-10 km は屋内避難を指示した。
13日と16日に20km 圏内は避難、30km 圏内は屋内避難と拡大した。
3月12日、上昇した原子炉内圧を下げるため超高レベル放射性の原子炉内気体を外界に開放するベントの試みを開始したが成功せず、13日9時に3号機で1回目のベントを行った。その後も3号機と2号機で数回ベントした。
15時 1号機建家が爆発した
3月14日、3号機建家が爆発した
3月15日、4号機の核燃料複合体は点検中のため原子炉から出されて建屋5階の燃料プール内にむき出しの状態で保管されていた。4号機建家が爆発し燃料プール内に鉄骨やブロックが落下した。燃料プールを支える壁と構造が破損して傾いた。2号機格納容器内圧が大気圧と同程度に低下(圧力容器と格納容器が外界に貫通)した。
3月16-22日、1-6号機で外部電力供給が回復し始めた。
3月23日、1号炉圧力容器が設計上の耐用上限である302℃を超えて400℃まで上昇し同時に圧力も耐用限度を超えた(原子炉本体が爆発しうる状態)。
4月7日 水素爆発を避けるため1号機で、6月28日2号機で、7月14日3号機で原子炉格納容器に窒素ガス注入を開始した。
9月16日、連鎖的核分裂反応を抑制するため3号機ホウ酸注入を開始した。
政府と行政の説明と取り組み
3月11日 21時、政府は「原発敷地内で放射線上昇が測定されたがわずかだ」「爆発的なことが万一生じても、避難している周辺の皆さんに影響を及ぼす状況は生じない。慌てて避難するな」と説明し自宅内待避を指示した。
3月12日、東京電力は正門で5.5μSv/h(マイクロシーベルト毎時)と空間放射線が増加したと発表したが、北西方向の敷地内で15時29分に測定された1015μSv/hという超高値は5月まで公表しなかった。
15時36分に1号機建屋で爆発が起きると政府(官房長官)は「水素爆発があったが核爆発ではない。原子炉格納容器は健全に保たれている。落ち着くように」と説明をした。「核燃料の一部が溶け出た可能性がある」と保安院委員長は言及したがまもなく解任された。
3月15日、3号建屋が爆発した。
屋内退避指示の浪江町で330μSv/hと文科省が発表したが、極めて高いこの値はその後話題にされない。
政府は「原子炉格納容器の健全性は確保されており、放射性物質が大量に飛散している可能性は低い」「直ちに避難や屋内退避をする状況ではない。 直ちに健康に影響はない。放射能による危険性とは別に、社会的な要請として20 - 30キロ圏内の住民に自主避難を要請する。ただし、屋内待避を要請したときから新たな段階に入っているわけではない」と説明した。
原子力安全委員会が「12日間の放射性ヨウ素による甲状腺内部被曝線量が20 - 30キロ圏で最高500mSvに達する可能性がある」と会見した。これは外部被曝量の約10倍に当たる。
その後政府とメディアはこの甲状腺内部被曝値を話題にせず、呼吸による内部被曝を無視し外部被曝よりもはるかに低いかのように扱った。原子力安全委員会がその後改組されて、この会見での報告を探すことができない。
3月25日 自主避難を2週間阻害して被爆させた政府は、強く汚染された飯館村住民の自主的避難を認めた。
政府の指示に反して自主的に避難した住民も多かった。
郡山市など福島県内の東京電力社員家族は、11日のうちに県外に緊急避難を始めた。「爆発前の12日朝、東北電力社員家族が宿舎から避難するのを見た住民は後に続いて飯館村に避難した」と南相馬の方から聞いた。
国際原子力機関(IAEA) と日本政府の考えと取り組み
日本政府は、国際原子機関(IAEA)がまとめたチェルノブイリ被曝の長期影響についての報告をもとにして、放射線被曝対策の方針を作った。
IAEAは被曝による影響を統計的に断定できる論文以外は検討対象から除外して「確実に認められる被曝による影響は若年者の甲状腺癌だけである」と結論した。
この見解に対してウクライナ政府は、がん以外の甲状腺疾患や、甲状腺以外の悪性腫瘍、新生児低体重、先天異常、子供の発育障害、知能発達障害や循環器、呼吸器、消化器疾患の増加、老人性疾患の低年齢化等を報告し「多くの報告を無視したことなどで、IAEAは被曝による健康被害を著しく過小評価している」と批判した。
ロシア、ベラルーシや西ヨーロッパの多くの科学者や関係団体が同様に、IAEAは過小評価していると批判している。
日本政府はこれらの批判が存在しないかのように無視して解説や対策をしている。
IAEA報告は「若年甲状腺がん意外にも未確定の影響が存在する可能性がある」も記述しているが、日本政府はIAEA見解を「若年甲状腺がん以外には被曝の影響が存在しないと確定している」と読み替えて使っている。
以下が日本政府の放射能汚染についての正式の立場である。
「チェルノブイリ程度の被曝は健康に影響ないことが確定している」「ありえない健康被害を考えるのは過剰な心配だ」「健康障害が出た場合は、ストレスが原因だ」「政府・自治体がすべきことは住民に無用な不安を持たせず安心させることである」。
行政は放射線量が低いと推測した作物を選んで測定した。ほうれん草で高い放射線値が出た時、隣の畑の別の作物は測定せず出荷制限しなかった。
強く汚染された水や食物の飲食を禁止し、安全な水・食料を供給することが避難についで大切だった。
汚染されていない水と食料供給に地域の団体や全国から支援活動が長期に行われたが、国や自治体の取り組みは極めて消極的だった。
事故後の問題点と私の意見
原発から大気中に放出された放射性物質の8~9割は太平洋に運ばれたが、風向によっては5~10倍が陸上を汚染したはずである。
大規模汚染は、西風以外の時に大量の放射性物質が放出された場合に生じた。
最も大規模だった陸地汚染は、プルーム(放射性ほこり)が北西に流され、飯舘村、福島市を超えた時点で風向が南向きに変わって郡山など福島県中通り、栃木、群馬県を汚染した。
風向によっては、放出量が同じ場合レベルに収まった場合でも仙台は現在の郡山と同程度汚染されたはずである。
ベントや、事故の進展で大量の放射性物質が大気中に放出されるときは、大気汚染の現況と汚染予測を知らせることが重要だった。
原発事故時に使うために作られていた放射能拡散予測図SPEEDIやベント実行を住民に知らせず被曝をさせた。
風下20km以遠の住民は避難させないままで、何回もベントをして被曝させた。
その後も原子炉本体や再度の原子炉建家爆発やそれに伴う重大な放射能汚染が起こる危険は何ヶ月も続いた。
事故の見通しと将来の風向きはわからないからすぐに数百キロ以上避難することが最善だった。
化学工場や石油コンビナート事故でも、すぐに行うべきことは緊急避難である。
放射性プルームは数時間で通りすぎるから屋内待機して通り過ぎるのを待ってから避難する選択はありうる。
しかし政府は、一時的待機ではなく無期限長期間の室内待機を指示した。
このため住民は空間線量が高い環境で生活を続け、外部被曝と呼吸と食物による内部被爆を受けた。
放射性ほこりの状況や、拡散予想を毎日天気予報で放送することが被爆回避に極めて有用だった。私も要望した。
しかし「拡散予測は確実ではないので発表すると不安の原因になる」といって天気予報で放送しないまま現在に至っている。
気象学会は「国民が混乱するから、研究者は福島の風向きの情報を出さないこと」と会員に通知した。
一方ドイツ、スイス、ノルウェー、オーストリア、フランスその他の国の機関が福島の汚染の現況と拡散予報を日本の気象庁が発表した測定データを使って計算し、インターネットで数時間ごとに発表した。スイスは3年後の現在も毎日詳細な発表を継続し、日本語で見ることができる。
しかし、行政やメディアはこれを参考にせず話題にもしない。
多くの人や組織が避難した。原発運営に直接責任を持つ保安院職員は事故が起こると福島第一原発現場から福島市に移動した。大手メディアは50km以内に入らなくなった。地震津波支援として宮城沖180kmに展開した米国原子力空母は汚染を受けて直ちに撤収した。
地震津波後ドイツが派遣した救援隊は「放射能汚染と原発事故に関して日本政府が正確な情報を提供しないために適切な救援活動ができない」として帰国した。
ドイツ大使館員の多数は本国に避難し大使館業務は縮小して大阪に移した。大使館を大阪に移した国は多い。
多くの国が、自国民に対し直ちに日本から退去し、不可能な場合は西日本に避難するよう指示し、民間チャーター機を使うなどして国外避難を助け、残った人には頻回に状況解説と被爆防止の指示を出した。
東京駅東海道新幹線ホームは大荷物を持った外国人家族で大混雑が連日続いた。
新聞社や金融機関をはじめ、多くの大企業が本社機能を東京から大阪に移転した。
政府、行政と東京電力は重大な出来事や危険な事実は一部しか公表せず、今後の危険性に言及することは「不安を煽る」として質問や発言をさせないように圧力をかけた。
政府はメルトダウンを長期間否定し続けた。
東京電力は企業秘密と言って様々な測定値や事故関係の情報を公表せず、政府も情報提示を求めず3年後の現在に至っている。
東京電力と政府は緊急事態に対する系統的方針と設備備がなかったために的確な対応ができず事故と被爆が拡大した。
例えば、直流電源を確保するため、従業員の車のバッテリーを集めたが足りず、ホームセンターにバッテリーを買いに行こうとしたが現金がなくてやめた(東京電力テレビ会議公開資料)。電源車は道路渋滞で到着が遅れ、コンセントが合わず、コードも短くて12日15時まで送電できなかった。消防車のポンプによる注水が必要になったが原発消防隊は下請けで、関東から取り寄せた消防車の運転要員を配置できなかったり、送水管の接続部が合わないなどで時間を浪費した。
電源喪失後、有効な対策ができていたら、事故はこれほど拡大しなかった可能性がある。
4号機の燃料プールは2012年秋に応急の支えが完成するまで崩壊落下の危険があった。
プールで冷却水が維持できたこと、落下物によって燃料棒が破壊されなかったこと、プールが崩落して日本が瞬時の崩壊にいたらなかったことも、原子炉本体が爆発せずに済んだことなどは偶然の幸運によるものである。
政府とメディアこのような深刻な実態を伝えず、事故と汚染の実態を質問したり話題にすると不安を煽る悪質な人間であるかのように扱った。
テレビは原発事故数日後から「不安を煽らない」ことを優先させて、政府の解説を肯定し、心配無用だという専門家の解説だけを放送し「今後事故が拡大した場合の内容や対策」についてなど必要な質問をしなくなった。
政府やメディアは「放射線値が高いホットスポットが発生などのデマに惑わされないように」と言い「チェーンメールで放射線のデマ拡大」(2011.05.16読売新聞)「千葉と埼玉で測定されている数値は平常時と変わらない。デマなどのメールに気づいたら転送を」(文部科学省)と発言や発信することを抑圧し、相互監視を呼びかけた。ホットスポットがその後千葉や東京でたくさん確認された。政府やメディアがデマと言った汚染は事実だった。
政府や行政、放射線医療専門家は放射性物質と被爆が法令で厳格に規制されていることは触れずに「被爆の心配は無用だ」と講演、指導した。被災者の被曝を回避する姿勢がなかった。
行政の主催や後援で「放射能を心配するな、不安を煽る扇動に惑わされるな」という内容で各地で講演会や教育を行った。
事故当時長崎大学教授4月から福島医大副学長として政府の被爆対策の中心として働いた山下俊一氏は「放射能の影響害はニコニコしている人には来ません。くよくよしている人に来ます」(福島県放射線健康リスクアドバイザーによる講演会3月21)と講演し数多くの講演会で「放射線被曝よりも心配するほうが有害」と解説した。
被爆回避を勧めず心配するなと強調する講演や解説はインターネット検索でご参照ください)。積極的に子どもを外で遊ばせたり汚染されている自家野菜を食べることさえ奨めた。
文部科学省は小中高校生に「放射線等に関する副読本」を配り「現在日本人は1000人に300人ががんで死亡する。100ミリシーベルト被爆すると5人増える」などの説明を行い、教師には「100ミリシーベルト以下の低い放射線量と病気との関係については明確な証拠がないことを理解できるようにする」ことを理解させるように指示した。
放射線専門家は「CTやレントゲン検査と比べて、福島原発由来の被曝は少ない」と、本人の利益のために支払うリスクと、他人が勝手に押し付けるリスクを同等に扱う解説・指導をした。
福島県立医大では「被曝に関した研究や調査は(福島医大ではなく)国がすることだ」と実質的に禁止されたと福島医大の医師から聞いた。
研究課題が禁止されるのは、おそらく戦後初めての重大事件である。
被爆に批判的な発言が困難になっている福島医大が被曝医療の中心になっている。
政府や自治体によるこれらの消極的取り組みは全て放射線被曝医療の専門家の助言と指導のもとで行われた。
放射能汚染と被曝対策の考え方と私の意見
(1)空間放射線と外部被曝
放射線被曝は他の有毒物とは異なり、基準値以下でも無害ではなく被曝をできるだけ少なくすることを全ての放射線関連法令で定めている。
放射性物質を扱う施設は管理区域として明示し、放射線取り扱い者だけ入室許可、年間被曝限度20ミリシーベルト(mSv)、飲食禁止。一般人は許可なく立ち入り禁止し年間1 mSv 以上被爆させてはいけないと定めている。
福島第一原発以外の全原発や事業所等は今もこの法令通りに行っている。
政府は学校における外部被爆許容限度を年間20mSvと決めた。100 mSvは0.5%の人ががんを新たに生じさせる被曝量である。
「一般人に年1mSv以上被爆させることを禁じているのは、放射線を扱う施設を対象にした法律だから施設ではない場所では法は適用されない」と政府は説明した。
「70歳を越すと日本人は3割ががんで死ぬ。0.1%増えても検出できない程少ない」と被曝医療専門家専門家が解説して、多くの医師がそれを自分の判断にした。しかし若年者は発がんが少ないから、若年者だけで比べると被爆によって何倍~何十倍に増える。
0.1%のリスクを承知でそれ以上の利益を得るために0.1%のリスクを選択することは人生でありうる。しかし、原発事故による被爆は、自分に利益がないのに一方的に強制されるリスクである。統計データを利用した誤った解釈への誘導がある。10万人の生徒に責任を持つ自治体首長や教育委員会が、20 mSvを了解すると、100人の生徒ががんになる。学校で20mSvを基準にすることは多くの反対が起こって撤回した。
政府は今、高汚染地区を除染して年間20mSv に下げて住民を帰還させようとしている。
放射性セシウムは、電離放射線障害防止規則その他の法令で100Bq/kg超は、一般ごみとして廃棄することを禁止(クリアランスレベル)、1000Bq/kg超は放射性物質として厳重管理を義務付けている。環境中に放置することによる内部被曝や外部被曝による被爆障害を回避するためである
汚染された量と地域が多すぎて法律通り対処することは現実的でないとして、福島第一原発事故関連は例外として以下の基準を作った。焼却や除染作業で集められた8000㏃/kg超の放射性物質は、処分場を設置して管理する。8000㏃/kg以下は、通常ゴミと同様にコンクリートなどに混ぜて土木資材にするか埋め立て処分をする。8000㏃/kg超であっても、人が集めず既に環境に存在しているものは規制していない。
仙台の土壌は300~600㏃/kgが多いが、2000Bq以上のホットスポットはいたるところにある。福島市はこの数十倍である。
省庁はこの基準を発表してからは「やむを得ない基準」ではなく「心配無用な無害で安全な基準」と読み替えて「批判は復興を妨げる行為」であるかのように指導して強制している。
(2)呼吸による内部被曝
「呼吸で吸入した放射性粒子の多くは気管支粘膜に吸着されて痰として捨てられる(心配するな)」と専門家は誤った解説をした。
呼吸で吸い込んで気管支表面に吸着した微粒子は喉まで運ばれて、一部は痰として喀出されるが大部分は飲み込んで、腸から吸収されて全身に運ばれる。
2011年7月、国と自治体は汚染された稲わらを使用や焼却せず保管するよう指示したが、汚染された草や農作物の野焼きは規制せず被曝を増やした。
(3)食物による内部被曝
2011年3月29日厚生労働省は、やむを得ず食べることを認めるという意味の食品暫定基準として食品は500㏃/kg、飲み物200㏃/Lと決めた。健康被害を防ぐために放置、廃棄を禁じている量よりも、食べて良い値の方が高い。
暫定基準値を発表すると政府・行政は「一時的にやむを得ない」ではなく「長期に安全」と読み替えて強弁して説明し強制した。2012年4月に基準値を下げたあとも異論や反論発言を抑圧して現在に至っている。
食品衛生法は「有毒な疑いがある食品は、製造・販売してはならない」と決めている。
消費者が放射能汚染された地域で生産した食品は購入を避けたが廃棄されていない。給食で強制的に消費させ、安く業者が買って加工食品原料に使っている。
被曝による発がん作用は被ばく線量に概ね比例する確率的作用であるという考えが広く受け入れられている。被曝はできるだけ減らすことを定めた放射線関連法令も概ねこれに基づいている。
確率的作用とは、1人に発がんさせる量の放射線は100人で分けても1万人で分けても一人が発がんするという考えである。薄めて広げてはいけないというのが放射能に関係した全法律の基本的な考えである。汚染食品を作らせない、流通させないことが最も大切であった。
「影響があるかどうかわからないレベルを心配するのは非科学的だ」と講演する専門家もいた。
毒かどうかわかる量まで食べろということである。この論理を使えば有毒量の約1%という一般毒物の規制を守ることも、病院のレントゲン施設の遮蔽も不要だということになる。
これまで、基準値以上の有害物質が検出されると政府やメディアは責任者を批判し、製造、使用責任者を処罰や指導した。
しかし原発事故が起きると政府、行政と放射線医学専門家は、放射性物質の法的規制や管理義務は言及せず、放射性汚染食品は心配せずにもっと食べるように講演、指導した。
メディアは異論を放送せずに心配不要という解説だけを長期間放送し続けた。
政府と行政は食品の産地表示をあいまいにさせた。生産地を都市名ではなく、国産や太平洋産の表示でも可とし、記号表示も可とした。消費者が店頭でわからなくなった。
汚染作物を生産と流通を止めず、作らせて「食べて応援」キャンペーンした。汚染地域で作らせて売れ残ったり、価格低下した分だけを東京電力に補償させた。だから農家はいやでも作った。作るうちに、汚染は心配するなと発言するようになった。風評被害という言葉を使わせ、被爆回避の言動を阻害した。
文部科学省は「市場に流通している食品は、暫定基準以内だから安全。給食に限って何かをすることは考えていない」と言って給食で強制した。
福島や宮城県なども、地産地消。国は学校給食に国産小麦使用を義務付けた(2013年4月)。福島県は給食に福島産農作物使用には助成金(2013年4月)。文科省は国産椎茸の使用を避けずに使うよう指示した(2013年12月)。2013年、東京都は生徒が校庭に出て遊ぶことを義務付けた。
母親たちがグループを作って給食と学校環境汚染に取り組んだ。
仙台でも子どもの弁当持参を求めた母親に学校は「給食は教育だから勝手なことは許さない」と強制した。牛乳を止めて水筒持参させると水筒の水を捨てさせて学校の水道水を飲ませた。給食の放射能を測定してほしいと要望したが拒否した。
校庭の放射線測定の要望も拒否。自分たちで測りたい要望には校内に入ることを禁止した。放射線を話題にしたり測定を要望する親をモンスターペアレンツ扱いした。
「放射能を話題にすると生徒が不安になる。不安にさせる言動をしないように」と生徒の安全や教育について、教師が意見を言うことが禁止された。給食を残さず食べさせる監視と教育を強制されていることに教師は異議発言ができなくなっている。
教師が被爆について自分の考えを発言する自由と安全がない学校で教育が行われている。
患者給食の放射線について自由に安心して話し合えない病院の状況と似ている。
放射能に汚染されて怯えていた人は「心配するな」と指導に来てくれた専門家の言葉を信じたかったと思う。
一方小さな子供を持つ多くの母親は不安だった。子供に安全な食材を入手して与えると「県も専門家も心配ないと言っているのに神経質すぎる」と非難されて、家族内で会話もできない状況が多く作られ、驚く程たくさんの方が離婚している。
原発事故後、私が考え行ったこと
3月12日昼、公衆電話で東京にいる息子に一度だけ通話できた。「福島原発が極めて危険な状態だ。さらに事故の進展があったら九州の兄弟の所にすぐ避難すること」を伝えた。2時間もせずに1号機が爆発した。13日朝息子は東京を離れた。
私は医者なので避難せず、大量被爆や殉職しうる覚悟を決めた。数人の医師としか問題意識が共有できなかった。私は自宅の窓と換気口を全てビニールで密閉し、風呂などに水を溜めた。
「専門家や行政の指導に従えばよい」と院長が言い、提案や発言は実質的に不可能になった。病院の窓を閉めて強制換気を止めることと患者給食で福島や宮城産の食材を控えることの提案をすることはできなかった。
何年も前から私は病院で自由に発言するということの困難さを感じていた。
政府や被曝医療専門家の偽りと、放射能の基本的知識や被曝の防ぎ方と「同調強要と、異論発言の自由と安全がない日本社会のあり方が、原発事故の底流にある」とツイッターでペンネームで書いた。
それを見て被曝を心配する母親グループの要望を受けて話や講演する機会が増えた。
「講演途中でも異なる考えや質問を歓迎します」と言って話した。参加者の発言や質疑に講演と同じくらい時間をとった。
そのうちに、文章化や講演映像をインターネット公開したいという要望が増え匿名での発言は不可能になって2011年12月、本名でブログを始めた。
文章書きや講演は基本的に夜間と休日に行った。インターネットで配信された講演が小冊子で3万部発行された。
原発事故に関した複数大学共同研究に協力した。東北大学として取り組んでいる福島・チェルノブイリプロジェクトの一環として2013年10月、ウクライナを7日間訪問した。極めて有効な訪問だったが内容は省略する。
おわりに
福島原発事故が起きたとき、私たち一般臨床医は被曝医療の知識は持っていなかったが患者から意見を求められた。
政府やテレビが法的な規制は触れず「心配するな」という解説だけをすることに、患者さんたちは疑問と不安を持っていた。
医師は知らないことや判断できない時は上から目線をやめてその通り話し、責任が持てる範囲で助言や考えを述べられたらよかったと思う。
しかし中には、被曝医療専門医の講演で聞いたまま「この程度の放射線は心配無用」「心配したり質問する患者は心配過剰」と答えたり、質問を封じる対応があった。
原発事故が起きたとき私は「発言の自由と安全がなく、異論発言する人を抑圧侮辱排除する日本社会のあり方が、福島原発事故の底流にある」と書いた。
異論発言者を無視、侮辱、抑圧、排除するという言動傾向は東京電力の原子力発電所に限らず、病院や学校を始め日本社会に蔓延し、事故後の汚染と被曝を回避することを妨げる力としても働いている。
抑圧的言動は問題の解決を妨げ、破綻するまで進む。原発事故後、発言や報道の自由と安全はさらになくなり不健全性は増した。
福島原発事故後3年間を振り返り、また定年退職するにあたり、考えてきたことを書きました。
引用文献
事故後経過と、政府、自治体、東京電力などによる指示や説明個々の事実は新聞やテレビニュースで放映された。全てを引用すると煩雑になるので本文中に記載した以外は、は以下の資料に基づいた。コメントと評価は筆者によるものである。
1. 厄災福島原発1000日ドキュメント. Newton 24巻. 18-103頁.2014
2. 福島第一原子力発電所事故の経緯. Wikipedia(インターネット百科事典)
3. 福島第一原子力発電所事故の影響. Wikipedia
新潟講演動画と記事「被曝回避のためにすべきだったこと」森ゆうこ氏YMH研究会
森さんを応援する方々が全国から参加した。
私を含め3人の講演があり、その後2日間にわたって交流が行われた。
講演は
・ 岡山博 「被曝回避のためにすべきだったこと」、
動画は ⇒ 岡山博講演動画
・ 作家、評論家、元外交官の孫崎享氏 「安倍政権について」
動画は ⇒ 孫崎享氏講演動画
・ 主催者の元参議院議員 森ゆうこ氏、歓迎と挨拶
動画は ⇒ 森ゆうこ氏講演動画
夜の交流会でも、知識、見識、自覚が高い方々が遠方から参加し、第一級の知識見識をもつ建設や各界専門家や医師、自覚的女性の方たちとの会話も、広範な深い知識を得たり、噛み合う対話ができて楽しく有意義でした。
遠方から参加された医師から以下のコメントを頂きました。
感謝。
:「先生の清々しい、気高い、動じない、揺れない、明晰な真実追及の御姿勢と、患者さんたちを思う優しさが会場にあふれしっかりと伝わりました。
原発に関しての本質、根源的な悪「ICRPとIAEAの茶番」をこれほどまでにはっきりと、クリアカットに講義された御講演をお聞きしたことがありません。
・・・・中略
先生の御講演を聞いた人たちは、それを感じてくれます。
最も科学的で最もpureで最も心打たれる、思いやりと愛に溢れられた・・・」
(動画) 加美町「指定廃棄物最終処分場候補地の白紙撤回を求める緊急住民集会」と岡山講演
自覚と熱意ある1000人の参加によって開かれた。平成26年6月28日
<動画>
加美町町長 猪股洋文氏: 経過報告・解説・決意・呼びかけ
岡山博 講演 「放射性廃棄物処理とは何か、何をすべきか、何をしてはいけないか」
講演配布資料(加筆修正)
「放射性廃棄物処理とは何か、何をすべきか何をしてはいけないか」
放射性廃棄物処理とは
放射能(放射線を出す性質)は化学反応などで減らすことはできない。
人ができるのは 移動することだけ。
「放射性廃棄物処理」とは:
・放射性廃棄物を集めて、人や社会に影響が少ない状態にして長期管理すること。
福島原発事故で撒き散らされた放射性物質は:
・各地に分散させてはいけない。汚染されていない地域を汚染してはいけない。
適切で合理的な処分法は
・福島原発付近の、強く汚染されてしまった地区に大規模管理施設を作り、
・全国に散らばった汚染物質は全て1箇所に集めて厳重管理する。
政府方針の重大な問題
福島原発事故で撒き散らされた放射性物質は多すぎて、法律通りに処理できない。
・福島原発事故で生じた放射性物質は、別扱いにする法律を作った(特措法)
・「宮城・栃木・茨城・群馬・千葉県は県ごとに「最終処分場」を造れ」という方針
福島県だけは最終処分場ではなく「中間管理施設」。
・5年以内に造り、他県に最終処分場を造って集めた汚染物は30年以内に全て福島県から撤去する」
・作った本人も、福島のほとんどの人が信用しない人を偽る方針だ。
・偽りに基づいた方針で汚染対策が進められている。
除染やごみ焼却で出た放射性廃棄物は、
・1kgあたり8000ベクレル以下は、通常ゴミと同様に、埋め立て処理、あるいは土木材料として使う」と決めた(特措法)・
福島以外の原発や事業所が、今も行っている法律の規制は
・1kg 100ベクレル以上は一般ゴミとして処理や搬出禁止(クリアランス)
・1kg 1000 ベクレル以上は 特別の施設で鍵をかけて厳重管理(放射性物質)
(被曝による健康被害・環境汚染を防ぐため)
・福島原発事故の放射能汚染物だけ例外扱いして 1kg 8000 ベクレル
・福島原発事故の放射能汚染は、多すぎて法律通りできないから、規制を80倍あまくした。
・安全でないのに、基準を作ったあとは「基準以内だから安全」と強弁して対応している。
・環境中にあったり、個人が除染した汚染物は、規制しない。対応しない。
・仙台でさえ、雨樋に溜まった落ち葉など 1kg 数万ベクレル以上はたくさんある。
・仙台市に要望しても、測定も除去も回収もしない。
ごみ焼却による放射性物質濃縮
・焼却すると放射能は10―20 倍に濃縮される。
・ゴミ処理工場で、1kgあたり500ベクレルのものを焼却すると10000 ベクレルになり埋め立てできない。
・汚染物は一般ゴミと混ぜて薄めて、8000ベクレル以下にして一般ゴミとして埋め立て処分をしている。
・同じことを事業所や原発で行えば、責任者は処罰され、業務停止になる。犯罪を省庁が行い、地方行が従っている。
・行政が日本中に汚染を広げている。
「各県に最終処分場」はだめ
「各県の放射性廃棄物は 各県で処分」
⇒ ・「各県」に分散は「集めて管理」という原則から外れる
・ 福島原発から出た汚染物だから、福島原発(周囲)の汚染された地区に戻す。
「加美町に最終処分場」
⇒ ・ 汚染されていない地域に汚染物を大量に持ち込んではいけない。加美町処分場はだめだ。
・ 厳重管理が必要。現在の政府や県の取り組みでは厳重管理できない。加美町処分場はだめだ。
・ 地面より低い所に大量の汚染物おいてはいけない。雨水や地下水が流れ込んで入った分は必ず外に漏洩して周囲を汚染する。
放射性廃棄物をどうするか
・福島原発付近の、強く汚染された所に大規模処分管理施設を造る
・全国に散らばった汚染物質は、全て1箇所に集めて厳重管理する
・これ以外に合理的処分法はない。都合を入れずまっすぐ考えれば誰でも分かることだ。
<福島原発付近土地確保は可能>
・原発周囲につくる大規模福島「中間施設」を全国対象の施設に切り替えればよいだけだ。
・これまで、原発や火力発電所、高速道路、どれも、土地を売って、住民は土地を離れた。十分保証して土地を譲り受ければ良い(進行中)。
・汚染が続きインフラも産業も破壊されたところに多くの人は戻りたいだろうか?
・強く汚染された土地に戻すことが非人道的だ。
・住民が苦しいのは、原発事故で汚染されたことが原因だ。事故がなかったかのように「元に戻りたいか」という聞き方が誘導質問だ。
これからどうするか
・ 加美町に最終処分場を造らせない。加美町に、放射性汚染物を持ち込ませない。
・ 候補地にされた栗原市、大和町と押し付けあうのではなく共同して、宮城県内に最終処分場を造らせない。栃木、茨城、群馬、千葉の候補地とも共同する。
・ 仙台や県内各地の人、や自治体に訴え共同する。「汚染物を加美町に送り込むな」。
・ 全国の汚染物を全て集めて管理する、最終処分場を福島原発付近に造らせる。
・ 日本全体の問題として、全国の人に訴え共同をよびかける。
集会次第
中新田文化会館(バッハホール)
主催:「放射性廃棄物最終処分場建設に断固反対する会(加美町、JAを含む40数団体)
1.あいさつ
放射性廃棄物最終処分場建設に断固反対する会 会長 髙橋 福継
2.これまでの経過と概要
加美町長 猪股洋文 様
3.講 演
「放射性廃棄物処理とは何か、何をすべきか、何をしてはいけないか」
元仙台赤十字病院呼吸器科医師、元東北大学臨床教授 岡 山 博 様
4.激励のことば
5.国に対する要望・意見
6.閉 会
美味しんぼ騒動: 風評被害だと発言抑圧するのではなく 、調査をして真実を明らかにすべき
調査をして真実を明らかにすべき
岡山 博 ( 元仙台赤十字病院呼吸器科医師、元東北大学臨床教授 )
現時点で、私は被ばくによる鼻血があったかなかったか、両方とも可能性があり断言できない。
原発事故で被ばくした人の数百倍の放射性ヨウ素を、甲状腺ガン治療で飲んでも鼻血は出ない。
この程度の全身被ばくで血小板が減って出血傾向になる可能性はほとんどない。
そこで、被ばくによる鼻血を否定する人は、「被ばくによる鼻血は論理的にありえない」と言う。
しかし、呼吸で吸入した放射性物質の多くが狭い範囲の鼻粘膜から吸収されたり、放射性微粒子が粘膜にしばらく留まったりすれば、局所の細胞は強く被ばくするので出血する可能性はありうる。
この問題で答えを出すべきことは、被ばくによる鼻血があったかなかったかという事実をはっきりさせることだ。
それが確定してはじめて、メカニズムを考えることができる。
子どもの鼻血はしばしばあるから個別的な鼻血の例を集めても答えは出ない。
鼻血は、本人も親も簡単にわかる。だから、「被ばくが強い地域」「被ばくが弱い地域」「被ばくがほとんどない地域」で、大集団の子どもを調べて、80%以上回収する調査を行い、鼻血の頻度と程度を比べると被ばくに関係した鼻血があったか否かが確定できる。
集団の80%以上を回収する調査は、個人や病院が行うことは困難だが、教育委員会が学校単位で行えば簡単だ。
政府と行政は、「この程度の低線量被ばくでは子どもの甲状腺ガン以外に健康への影響はない」という立場で被ばく対策を行っている。
したがって甲状腺ガン以外の鼻血が被ばくによって生じるとなれば政府の対策の根本が崩れるという意味でも確定することは重要だ。
2012年4月、政府と福島県の被ばく対策の中心になっていた山下俊一元福島県立医大副学長に、学校単位で鼻血調査をすることを私は直接提案・要望した。
山下氏は「この程度の被ばくで鼻血は起きません」と言って私の要望を受け入れなかった。
学校での調査をこれからでも行うべきだ。
これで全てはっきりさせることができる。
簡単な調査をしないまま、「鼻血はありえない」「不安を煽る」と言って、真実を明らかにしないことや、当然の疑問も「発言するな」という政府や関係者のあり方は、住民の健康を守ることや、危険に対する対応のあり方として誤りだ。
被ばくした被害者や住民の安全をわざわざ損なうものである。
メディアや多くの人々が、発言・表現の自由を抑圧する側に加担したり、無関心でいたりする状況は、被ばくとともに重大な問題である。
(ママレボ通信2014年5月20日「美味しんぼ騒動をめぐる専門家・表現者たちの声」での発言 http://momsrevo.blogspot.jp/からの コピー)
福島原発事故による放射線被爆を経験して考えたこと
仙台赤十字病院呼吸器内科
岡山博
要旨:
福島第一原子力発電所事故が起き、大量の放射性物質が放出されて広範な地域と多数の人が被曝した。
政府や専門家、メディアは、法令で定められている「被曝はできるだけ減らす」という基本を無視して、事故を過小評価する解説を繰り返し重要な事実と資料を隠し、話題にしたり報道することを「不安を煽る」と言って抑圧し、被爆を拡大助長する解説と施策を続けた。
発言の自由と安全がない社会のあり方が福島原発事故の底流にあり、病院も含め日本社会に蔓延して、被害回避や問題解決を阻害している。
福島では、被曝を安心して話題にすることができない。
大規模な放射能汚染にあたって、政府行政と専門家も、一般医療機関や医療従事者も、被曝を回避させ、国民住民を守るために言動すべきであった
はじめに
東日本大震災と津波を契機に、福島第一原子力発電所は大事故を起こして大量の放射性物質を環境中に放出し、多くの人が被曝した。
放射能汚染と被曝に関して政府や行政、東京電力や被爆医療専門家が指示、解説をした。そして私たち一般臨床医も患者さんなどから解説を求められた。
それらの被曝に関する言動や判断は適切だったろうか。事故後の経過を概括し、専門家と社会はそして私たちは何をすべきだったか、何をすべきでなかったか、福島原発事故後3年間に考えてきたことを述べたい。
福島第一原子力発電所事故の経過
2011年3月11日、14時46分 宮城県沖で巨大地震が発生した。福島第一原子力発電所1-6号機のうち運転中だった1,2,3号原子炉は全て緊急停止した。4,5,6号機が休止中だった。
震度6強の地震によって送電線鉄塔倒壊と受電設備等が損傷して外部電源を喪失したが1,2,3,5,6号機で非常用発電機が自動起動した。
津波到達前から1号建家内で放射線量が上昇した。津波後の原子炉冷却停止に引きつづいて汚染物質が放出されて、原発敷地内外で急速に放射線量が上昇し、放射線汚染地域も広がり続けた。
15時36分~津波により、非常用発電機、配電盤等が損傷して1,2,4号機で交流電源と直流全電源喪失。
3,5号機は交流電源を喪失した。6号機は非常用発電機3台のうち1台が残って5,6号機の電源は維持できた。
1-4号機は電力による注水冷却が停止した。
直流電源バッテリーは数時間分しか準備されておらず、停電になって全ての測定や機器の運転が不可能になった。
17時 放射能拡散予測図(SPEEDI)が文部科学省と総理官邸、福島県、アメリカ軍に提供されたが、住民やメディアには3月23日まで公表されなかった。
22時 1号機で、13日には3号機、15日には2号機でメルトダウンが始まった。
21時 政府は3 km 圏内は避難、3-10 km は屋内避難を指示した。
13日と16日に20km 圏内は避難、30km 圏内は屋内避難と拡大した。
3月12日、上昇した原子炉内圧を下げるため超高レベル放射性の原子炉内気体を外界に開放するベントの試みを開始したが成功せず、13日9時に3号機で1回目のベントを行った。その後も3号機と2号機で数回ベントした。
15時 1号機建家が爆発した
3月14日、3号機建家が爆発した
3月15日、4号機の核燃料複合体は点検中のため原子炉から出されて建屋5階の燃料プール内にむき出しの状態で保管されていた。
4号機建家が爆発し燃料プール内に鉄骨やブロックが落下した。燃料プールを支える壁と構造が破損して傾いた。
2号機格納容器内圧が大気圧と同程度に低下(圧力容器と格納容器が外界に貫通)した。
3月16-22日、1-6号機で外部電力供給が回復し始めた。
3月23日、1号炉圧力容器が設計上の耐用上限である302℃を超えて400℃まで上昇し同時に圧力も耐用限度を超えた(原子炉本体が爆発しうる状態)。
4月7日 水素爆発を避けるため1号機で、6月28日2号機で、7月14日3号機で原子炉格納容器に窒素ガス注入を開始した。
9月16日、連鎖的核分裂反応を抑制するため3号機ホウ酸注入を開始した。
政府と行政の説明と取り組み
3月11日 21時、政府は「原発敷地内で放射線上昇が測定されたがわずかだ」「爆発的なことが万一生じても、避難している周辺の皆さんに影響を及ぼす状況は生じない。慌てて避難するな」と説明し自宅内待避を指示した。
3月12日東京電力は正門で5.5μSv/h(マイクロシーベルト毎時)と空間放射線が増加したと発表したが、北西方向の敷地内で15時29分に測定された1015μSv/hという超高値は5月まで公表しなかった。
15時36分に1号機建屋で爆発が起きると政府(官房長官)は「水素爆発があったが核爆発ではない。原子炉格納容器は健全に保たれている。落ち着くように」と説明をした。
「核燃料の一部が溶け出た可能性がある」と言及した保安院委員長はまもなく解任された。
3月15日、3号建屋が爆発した。屋内退避指示の浪江町で330μSv/hと文科省が発表したが、極めて高いこの値はその後話題にされない。
政府は「原子炉格納容器の健全性は確保されており、放射性物質が大量に飛散している可能性は低い」「直ちに避難や屋内退避をする状況ではない。直ちに健康に影響はない。放射能による危険性とは別に、社会的な要請として20 - 30キロ圏内の住民に自主避難を要請する。ただし、屋内待避を要請したときから新たな段階に入っているわけではない」と説明した。
原子力安全委員会が「12日間の放射性ヨウ素による甲状腺内部被曝線量が20 - 30キロ圏で最高500mSvに達する可能性がある」と会見した。
これは外部被曝量の約10倍に当たる。その後政府とメディアはこの甲状腺内部被曝値を話題にせず、呼吸による内部被曝を無視し外部被曝よりもはるかに低いかのように扱った。
原子力安全委員会がその後改組されて、この会見での報告を探すことができない。
3月25日 自主避難を2週間阻害して被爆させた政府は、強く汚染された飯館村住民の自主的避難を認めた。
政府の指示に反して自主的に避難した住民も多かった。
郡山市など福島県内の東京電力社員家族は、11日のうちに県外に緊急避難を始めた。
「爆発前の12日朝、東北電力社員家族が宿舎から避難するのを見た住民は後に続いて飯館村に避難した」と南相馬の方から聞いた。
国際原子力機関(IAEA) と日本政府の考えと取り組み
日本政府は、国際原子機関(IAEA)がまとめたチェルノブイリ被曝の長期影響についての報告をもとにして、放射線被曝対策の方針を作った。
IAEAは被曝による影響を統計的に断定できる論文以外は検討対象から除外して「確実に認められる被曝による影響は若年者の甲状腺癌だけである」と結論した。
この見解に対してウクライナ政府は、がん以外の甲状腺疾患や、甲状腺以外の悪性腫瘍、新生児低体重、先天異常、子供の発育障害、知能発達障害や循環器、呼吸器、消化器疾患の増加、老人性疾患の低年齢化等を報告し「多くの報告を無視したことなどで、IAEAは被曝による健康被害を著しく過小評価している」と批判した。
ロシア、ベラルーシや西ヨーロッパの多くの科学者や関係団体が同様に、IAEAは過小評価していると批判している。
日本政府はこれらの批判が存在しないかのように無視して解説や対策をしている。
IAEA報告は「若年甲状腺がん意外にも未確定の影響が存在する可能性がある」tとも記述しているが、日本政府はIAEA見解を「若年甲状腺がん以外には被曝の影響が存在しないと確定している」と読み替えて使っている。
以下が日本政府の放射能汚染についての正式の立場である。
「チェルノブイリ程度の被曝は健康に影響ないことが確定している」「ありえない健康被害を考えるのは過剰な心配だ」「健康障害が出た場合は、ストレスが原因だ」「政府・自治体がすべきことは住民に無用な不安を持たせず安心させることである」。
行政は放射線量が低いと推測した作物を選んで測定した。ほうれん草で高い放射線値が出た時、隣の畑の別の作物は測定せず出荷制限しなかった。
強く汚染された水や食物の飲食を禁止し、安全な水・食料を供給することが避難についで大切だった。
汚染されていない水と食料供給に地域の団体や全国から支援活動が長期に行われたが、国や自治体の取り組みは極めて消極的だった。
事故後の問題点と私の意見
原発から大気中に放出された放射性物質の8~9割は太平洋に運ばれたが、風向によっては5~10倍が陸上を汚染したはずである。
大規模汚染は、西風以外の時に大量の放射性物質が放出された場合に生じた。
最も大規模だった陸地汚染は、プルーム(放射性ほこり)が北西に流され、飯舘村、福島市を超えた時点で風向が南向きに変わって郡山など福島県中通り、栃木、群馬県を汚染した。
風向によっては、放出量が同じ場合レベルに収まった場合でも仙台は現在の郡山と同程度汚染されたはずである。
ベントや、事故の進展で大量の放射性物質が大気中に放出されるときは、大気汚染の現況と汚染予測を知らせることが重要だった。
原発事故時に使うために作られていた放射能拡散予測図SPEEDIやベント実行を住民に知らせず被曝をさせた。
風下20km以遠の住民は避難させないままで、何回もベントをして被曝させた。
その後も原子炉本体や再度の原子炉建家爆発やそれに伴う重大な放射能汚染が起こる危険は何ヶ月も続いた。
事故の見通しと将来の風向きはわからないからすぐに数百キロ以上避難することが最善だった。
化学工場や石油コンビナート事故でも、すぐに行うべきことは緊急避難である。
放射性プルームは数時間で通りすぎるから屋内待機して通り過ぎるのを待ってから避難する選択はありうる。
しかし政府は、一時的待機ではなく無期限長期間の室内待機を指示した。このため住民は空間線量が高い環境で生活を続け、外部被曝と呼吸と食物による内部被爆を受けた。
放射性ほこりの状況や、拡散予想を毎日天気予報で放送することが被爆回避に極めて有用だった。
私も要望した。
しかし「拡散予測は確実ではないので発表すると不安の原因になる」といって天気予報で放送しないまま現在に至っている。
気象学会は「国民が混乱するから、研究者は福島の風向きの情報を出さないこと」と会員に通知した。
一方ドイツ、スイス、ノルウェー、オーストリア、フランスその他の国の機関が福島の汚染の現況と拡散予報を日本の気象庁が発表した測定データを使って計算し、インターネットで数時間ごとに発表した。
スイスは3年後の現在も毎日詳細な発表を継続し、日本語で見ることができる。
しかし、行政やメディアはこれを参考にせず話題にもしない。
多くの人や組織が避難した。
原発運営に直接責任を持つ保安院職員は事故が起こると福島第一原発現場から福島市に移動した。
大手メディアは50km以内に入らなくなった。
地震津波支援として宮城沖180kmに展開した米国原子力空母は汚染を受けて直ちに撤収した。
地震津波後ドイツが派遣した救援隊は「放射能汚染と原発事故に関して日本政府が正確な情報を提供しないために適切な救援活動ができない」として帰国した。
ドイツ大使館員の多数は本国に避難し大使館業務は縮小して大阪に移した。
大使館を大阪に移した国は多い。
多くの国が、自国民に対し直ちに日本から退去し、不可能な場合は西日本に避難するよう指示し、民間チャーター機を使うなどして国外避難を助け、残った人には頻回に状況解説と被爆防止の指示を出した。
東京駅東海道新幹線ホームは大荷物を持った外国人家族で大混雑が連日続いた。
新聞社や金融機関をはじめ、多くの大企業が本社機能を東京から大阪に移転した。
政府、行政と東京電力は重大な出来事や危険な事実は一部しか公表せず、今後の危険性に言及することは「不安を煽る」として質問や発言をさせないように圧力をかけた。
政府はメルトダウンを長期間否定し続けた。
東京電力は企業秘密と言って様々な測定値や事故関係の情報を公表せず、政府も情報提示を求めず3年後の現在に至っている。
東京電力と政府は緊急事態に対する系統的方針と設備備がなかったために的確な対応ができず事故と被爆が拡大した。
例えば、直流電源を確保するため、従業員の車のバッテリーを集めたが足りず、ホームセンターにバッテリーを買いに行こうとしたが現金がなくてやめた(東京電力テレビ会議公開資料)。
電源車は道路渋滞で到着が遅れ、コンセントが合わず、コードも短くて12日15時まで送電できなかった。
消防車のポンプによる注水が必要になったが原発消防隊は下請けで、関東から取り寄せた消防車の運転要員を配置できなかったり、送水管の接続部が合わないなどで時間を浪費した。
電源喪失後、有効な対策ができていたら、事故はこれほど拡大しなかった可能性がある。
4号機の燃料プールは2012年秋に応急の支えが完成するまで崩壊落下の危険があった。
プールで冷却水が維持できたこと、落下物によって燃料棒が破壊されなかったこと、プールが崩落して日本が瞬時の崩壊にいたらなかったことも、原子炉本体が爆発せずに済んだことなどは偶然の幸運によるものである。
政府とメディアこのような深刻な実態を伝えず、事故と汚染の実態を質問したり話題にすると不安を煽る悪質な人間であるかのように扱った。
テレビは原発事故数日後から「不安を煽らない」ことを優先させて、政府の解説を肯定し、心配無用だという専門家の解説だけを放送し「今後事故が拡大した場合の内容や対策」についてなど必要な質問をしなくなった。
政府やメディアは「放射線値が高いホットスポットが発生などのデマに惑わされないように」と言い「チェーンメールで放射線のデマ拡大」(2011.05.16読売新聞)「千葉と埼玉で測定されている数値は平常時と変わらない。デマなどのメールに気づいたら転送を」(文部科学省)と発言や発信することを抑圧し、相互監視を呼びかけた。
ホットスポットがその後千葉や東京でたくさん確認された。
政府やメディアがデマと言った汚染は事実だった。
政府や行政、放射線医療専門家は放射性物質と被爆が法令で厳格に規制されていることは触れずに「被爆の心配は無用だ」と講演、指導した。被災者の被曝を回避する姿勢がなかった。
行政の主催や後援で「放射能を心配するな、不安を煽る扇動に惑わされるな」という内容で各地で講演会や教育を行った。
事故当時長崎大学教授4月から福島医大副学長として政府の被爆対策の中心として働いた山下俊一氏は「放射能の影響害はニコニコしている人には来ません。くよくよしている人に来ます」(福島県放射線健康リスクアドバイザーによる講演会3月21)と講演し数多くの講演会で「放射線被曝よりも心配するほうが有害」と解説した(被爆回避を勧めず心配するなと強調する講演や解説はインターネット検索でご参照ください)。
積極的に子どもを外で遊ばせたり汚染されている自家野菜を食べることさえ奨めた。
文部科学省は小中高校生に「放射線等に関する副読本」を配り「現在日本人は1000人に300人ががんで死亡する。100ミリシーベルト被爆すると5人増える」などの説明を行い、教師には「100ミリシーベルト以下の低い放射線量と病気との関係については明確な証拠がないことを理解できるようにする」ことを理解させるように指示した。
放射線専門家は「CTやレントゲン検査と比べて、福島原発由来の被曝は少ない」と、本人の利益のために支払うリスクと、他人が勝手に押し付けるリスクを同等に扱う解説・指導をした。
福島県立医大では「被曝に関した研究や調査は(福島医大ではなく)国がすることだ」と実質的に禁止されたと福島医大の医師から聞いた。
研究課題が禁止されるのは、おそらく戦後初めての重大事件である。被爆に批判的な発言が困難になっている福島医大が被曝医療の中心になっている。
政府や自治体によるこれらの消極的取り組みは全て放射線被曝医療の専門家の助言と指導のもとで行われた。
放射能汚染と被曝対策の考え方と私の意見
(1)空間放射線と外部被曝
放射線被曝は他の有毒物とは異なり、基準値以下でも無害ではなく被曝をできるだけ少なくすることを全ての放射線関連法令で定めている。
放射性物質を扱う施設は管理区域として明示し、放射線取り扱い者だけ入室許可、年間被曝限度20ミリシーベルト(mSv)、飲食禁止。一般人は許可なく立ち入り禁止し年間1 mSv 以上被爆させてはいけないと定めている。
福島第一原発以外の全原発や事業所等は今もこの法令通りに行っている。
政府は学校における外部被爆許容限度を年間20mSvと決めた。
100 mSvは0.5%の人ががんを新たに生じさせる被曝量である。「一般人に年1mSv以上被爆させることを禁じているのは、放射線を扱う施設を対象にした法律だから施設ではない場所では法は適用されない」と政府は説明した。
「70歳を越すと日本人は3割ががんで死ぬ。0.1%増えても検出できない程少ない」と被曝医療専門家専門家が解説して、多くの医師がそれを自分の判断にした。しかし若年者は発がんが少ないから、若年者だけで比べると被爆によって何倍~何十倍に増える。
0.1%のリスクを承知でそれ以上の利益を得るために0.1%のリスクを選択することは人生でありうる。
しかし、原発事故による被爆は、自分に利益がないのに一方的に強制されるリスクである。
統計データを利用した誤った解釈への誘導がある。
10万人の生徒に責任を持つ自治体首長や教育委員会が、20 mSvを了解すると、100人の生徒ががんになる。
学校で20mSvを基準にすることは多くの反対が起こって撤回した。
政府は今、高汚染地区を除染して年間20mSv に下げて住民を帰還させようとしている。
放射性セシウムは、電離放射線障害防止規則その他の法令で100Bq/kg超は、一般ごみとして廃棄することを禁止(クリアランスレベル)、1000Bq/kg超は放射性物質として厳重管理を義務付けている。環境中に放置することによる内部被曝や外部被曝による被爆障害を回避するためである。
汚染された量と地域が多すぎて法律通り対処することは現実的でないとして、福島第一原発事故関連は例外として以下の基準を作った。
焼却や除染作業で集められた8000㏃/kg超の放射性物質は、処分場を設置して管理する。8000㏃/kg以下は、通常ゴミと同様にコンクリートなどに混ぜて土木資材にするか埋め立て処分をする。
8000㏃/kg超であっても、人が集めず既に環境に存在しているものは規制していない。
仙台の土壌は300~600㏃/kgが多いが、2000Bq以上のホットスポットはいたるところにある。
福島市はこの数十倍である。
省庁はこの基準を発表してからは「やむを得ない基準」ではなく「心配無用な無害で安全な基準」と読み替えて「批判は復興を妨げる行為」であるかのように指導して強制している。
(2)呼吸による内部被曝
「呼吸で吸入した放射性粒子の多くは気管支粘膜に吸着されて痰として捨てられる(心配するな)」と専門家は誤った解説をした。
呼吸で吸い込んで気管支表面に吸着した微粒子は喉まで運ばれて、一部は痰として喀出されるが大部分は飲み込んで、腸から吸収されて全身に運ばれる。
2011年7月、国と自治体は汚染された稲わらを使用や焼却せず保管するよう指示したが、汚染された草や農作物の野焼きは規制せず被曝を増やした。
(3)食物による内部被曝
2011年3月29日厚生労働省は、やむを得ず食べることを認めるという意味の食品暫定基準として食品は500㏃/kg、飲み物200㏃/Lと決めた。
健康被害を防ぐために放置、廃棄を禁じている量よりも、食べて良い値の方が高い。
暫定基準値を発表すると政府・行政は「一時的にやむを得ない」ではなく「長期に安全」と読み替えて強弁して説明し強制した。2012年4月に基準値を下げたあとも異論や反論発言を抑圧して現在に至っている。
食品衛生法は「有毒な疑いがある食品は、製造・販売してはならない」と決めている。
消費者が放射能汚染された地域で生産した食品は購入を避けたが廃棄されていない。
給食で強制的に消費させ、安く業者が買って加工食品原料に使っている。
被曝による発がん作用は被ばく線量に概ね比例する確率的作用であるという考えが広く受け入れられている。
被曝はできるだけ減らすことを定めた放射線関連法令も概ねこれに基づいている。確率的作用とは、1人に発がんさせる量の放射線は100人で分けても1万人で分けても一人が発がんするという考えである。
薄めて広げてはいけないというのが放射能に関係した全法律の基本的な考えである。
汚染食品を作らせない、流通させないことが最も大切であった。
「影響があるかどうかわからないレベルを心配するのは非科学的だ」と講演する専門家もいた。
毒かどうかわかる量まで食べろということである。
この論理を使えば有毒量の約1%という一般毒物の規制を守ることも、病院のレントゲン施設の遮蔽も不要だということになる。
これまで、基準値以上の有害物質が検出されると政府やメディアは責任者を批判し、製造、使用責任者を処罰や指導した。
しかし原発事故が起きると政府、行政と放射線医学専門家は、放射性物質の法的規制や管理義務は言及せず、放射性汚染食品は心配せずにもっと食べるように講演、指導した。メディアは異論を放送せずに心配不要という解説だけを長期間放送し続けた。
政府と行政は食品の産地表示をあいまいにさせた。
生産地を都市名ではなく、国産や太平洋産の表示でも可とし、記号表示も可とした。
消費者が店頭でわからなくなった。
汚染作物を生産と流通を止めず、作らせて「食べて応援」キャンペーンした。
汚染地域で作らせて売れ残ったり、価格低下した分だけを東京電力に補償させた。
だから農家はいやでも作った。作るうちに、汚染は心配するなと発言するようになった。
風評被害という言葉を使わせ、被爆回避の言動を阻害した。
文部科学省は「市場に流通している食品は、暫定基準以内だから安全。給食に限って何かをすることは考えていない」と言って給食で強制した。
福島や宮城県なども、地産地消
。国は学校給食に国産小麦使用を義務付けた(2013年4月)。
福島県は給食に福島産農作物使用には助成金(2013年4月)。
文科省は国産椎茸の使用を避けずに使うよう指示した(2013年12月)。
2013年、東京都は生徒が校庭に出て遊ぶことを義務付けた。
母親たちがグループを作って給食と学校環境汚染に取り組んだ。
仙台でも子どもの弁当持参を求めた母親に学校は「給食は教育だから勝手なことは許さない」と強制した。
牛乳を止めて水筒持参させると水筒の水を捨てさせて学校の水道水を飲ませた。
給食の放射能を測定してほしいと要望したが拒否した。
校庭の放射線測定の要望も拒否。
自分たちで測りたい要望には校内に入ることを禁止した。
放射線を話題にしたり測定を要望する親をモンスターペアレンツ扱いした。
「放射能を話題にすると生徒が不安になる。不安にさせる言動をしないように」と生徒の安全や教育について、教師が意見を言うことが禁止された。
給食を残さず食べさせる監視と教育を強制されていることに教師は異議発言ができなくなっている。
教師が被爆について自分の考えを発言する自由と安全がない学校で教育が行われている。
患者給食の放射線について自由に安心して話し合えない病院の状況と似ている。
放射能に汚染されて怯えていた人は「心配するな」と指導に来てくれた専門家の言葉を信じたかったと思う。
一方小さな子供を持つ多くの母親は不安だった。
子供に安全な食材を入手して与えると「県も専門家も心配ないと言っているのに神経質すぎる」と非難されて、家族内で会話もできない状況が多く作られ、驚く程たくさんの方が離婚している。
原発事故後、私が考え行ったこと
3月12日昼、公衆電話で東京にいる息子に一度だけ通話できた。
「福島原発が極めて危険な状態だ。さらに事故の進展があったら九州の兄弟の所にすぐ避難すること」を伝えた。
2時間もせずに1号機が爆発した。13日朝息子は東京を離れた。
私は医者なので避難せず、大量被爆や殉職しうる覚悟を決めた。
数人の医師としか問題意識が共有できなかった。
私は自宅の窓と換気口を全てビニールで密閉し、風呂などに水を溜めた。
「専門家や行政の指導に従えばよい」と院長が言い、提案や発言は実質的に不可能になった。
病院の窓を閉めて強制換気を止めることと患者給食で福島や宮城産の食材を控えることの提案をすることはできなかった。
何年も前から私には病院で発言する自由と安全はなくなっていた。
政府や被曝医療専門家の偽りと、放射能の基本的知識や被曝の防ぎ方と「同調強要と、異論発言の自由と安全がない日本社会のあり方が、原発事故の底流にある」とツイッターでペンネームで書いた。
それを見て被曝を心配する母親グループの要望を受けて話や講演する機会が増えた。
「講演途中でも異なる考えや質問を歓迎します」と言って話した。
参加者の発言や質疑に講演と同じくらい時間をとった。
そのうちに、文章化や講演映像をインターネット公開したいという要望が増え匿名での発言は不可能になって2011年12月、本名でブログを始めた。
文章書きや講演は基本的に夜間と休日に行った。イ
ンターネットで配信された講演を書きおこしてさっしにして全国に広めてくれて3万部発行された。
原発事故に関した複数大学共同研究に協力した。東北大学として取り組んでいる福島・チェルノブイリプロジェクトの一環として2013年10月、ウクライナを7日間訪問した。極めて有効な訪問だったが内容は省略する。
おわりに
福島原発事故が起きたとき、私たち一般臨床医は被曝医療の知識は持っていなかったが患者から意見を求められた。
政府やテレビが法的な規制は触れず「心配するな」という解説だけをすることに、患者さんたちは疑問と不安を持っていた。
医師は知らないことや判断できない時は上から目線をやめてその通り話し、責任が持てる範囲で助言や考えを述べられたらよかったと思う。
しかし中には、被曝医療専門医の講演で聞いたまま「この程度の放射線は心配無用」「心配したり質問する患者は心配過剰」と答えたり、質問を封じる対応があった。
原発事故が起きたとき私は「発言の自由と安全がなく、異論発言する人を抑圧侮辱排除する日本社会のあり方が、福島原発事故の底流にある」と書いた。
異論発言者を無視、侮辱、抑圧、排除するという言動傾向は東京電力の原子力発電所に限らず、病院や学校を始め日本社会に蔓延し、事故後の汚染と被曝を回避することを妨げる力としても働いている。
抑圧的言動は問題の解決を妨げ、破綻するまで進む。原発事故後、発言や報道の自由と安全はさらになくなり不健全性は増した。
福島原発事故後3年間を振り返り、また定年退職するにあたり、考えてきたことを書きました。
(追記)被爆についての解説と意見を岡山博ブログに掲載しました。
引用文献
事故後経過と、政府、自治体、東京電力などによる指示や説明個々の事実は新聞やテレビニュースで放映された。全てを引用すると煩雑になるので本文中に記載した以外は、は以下の資料に基づいた。コメントと評価は筆者によるものである。
1. 厄災福島原発1000日ドキュメント. Newton 24巻. 18-103頁.2014
2. 福島第一原子力発電所事故の経緯. Wikipedia(インターネット百科事典)
3. 福島第一原子力発電所事故の影響. Wikipedia
(仙台赤十字病院医学雑誌 2014年4月 掲載。一部修正)
日赤病院退職の挨拶
平成26年3月31日、私の仙台赤十字病院勤務最後の日、病院玄関ホールでお送りいただきました。初めは一人ひとりのかたに握手し一言お話しできましたが、そのうちにあのようにたくさんの皆さんが来ていただいて、お一人ずつ話し握手することができなくなりました。嬉しくも残念でした。
2人で抱えきれないほどたくさんの花束と、沢山の方から寄せ書きや文章を頂き嬉しかったです。
送る会には出席するか迷っていたのに存外の喜びでした。ありがとうございました。
私は15年間、患者さんや職員や人々の苦痛を減らすために、打算を入れず偽らず、真っ直ぐ真剣、誠実に仙台赤十字病院で全力で仕事してきました。
寄せ書きを読ませていただいて私が伝え共有したかった言葉が通じていた方が、私が気付かなかった方の中にも何人もいたと知ってたことも嬉しかったです。
他人が苦しんでいてもその苦痛に関心を持たず放置する人がいることは、日本でも多くの外国の社会でも程度の差はあるが共通です。
しかし自分が相手より「上」の立場になったり自分が安全であるとわかると、他人に対して上から目線で人が苦痛になることをわざわざすることは、日本人と日本社会に強い傾向です。
病気や災害などで辛い目に会うことはやむを得ないこともありますが、他人が苦痛になることを人がしなくなれば、日本人はもっと豊かに幸せになれると考えています。
欧米でも東洋でも多くの社会では、他人に同調するのではない自分独自の考えや決断を持ち、それを発言してはじめて独立した従属しない尊敬すべき人として認められます。
話す相手が誰であるかによって発言する内容を変える人は卑屈で友人にしてはいけないという評価はほとんどの社会で共通です。
今、日本社会は自分の意見を発言する安全と自由がこの数年で更に無くなってきました。
発言すると嫌な目に会うことを恐れて多くの人が感想は言うが自分の考えを言わなくなって、自由な発言をさせない社会や人のあり方が悪循環的に強まっていると思います。
自分の気持ちを伝えるが、自分の責任によって自分で吟味して作る自分の決断や考えを発言しないという言動傾向が定着して、自分で吟味したり決断する必要もなくなり、深く考えることも減っているように思います。
意識しないと少しずつ変化するので気づかないが、最近数年から十年数年はこのような状況は更に悪くなり続けています。一人ひとりが意識しないで悪循環作りに参加していることが殊に問題だと考えています。
「人が支え合う」ということは話題にするのに、人と共にいることによって逆に苦痛が増す日本的な社会と人間関係は貧しいです。変えたいと考えています。
それを克服した時に、日本の人と社会が昔から持っている優しさや穏やかさは、人を黙らせる力としてではなく人を幸せにしあう力として発揮されると思います。
私はこれまで、患者さんや職員など目の前の人の苦痛を減らせるようにと考え働いてきました。
これからは、目の前にいない多くの人の苦痛を減らすためにも働きたい。
他人の言動を話題にするよりは、「一人ひとりが他人とは別の自分の判断や主張を話し、同調ではなく異なる考えを楽しく話題にする精神文化と、自由に安全に言動することを保証し合う健全な社会」を育てたいです。
4月7日からは医学とは関係ない、東北大学大学院国際文化研究科の研究者・教員(ただし無給)としての活動も始めました。
これ以外にもこれまでで多忙でできなかった執筆やいろいろな活動をしたいと考えています。
どこか病院を探して週1~2回は外来診療をするなど、医者の仕事も継続しようと考えていますが、準備する余裕がなくてまだ未定です。
どこかで、嬉しいことや辛いこと、考えや豊かな感性を共有したり話ができるかもしれません。
ありがとうございました。
2014年4月12日
岡山 博
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日赤病院退職の挨拶 2014,3,31
陽春の候 皆様には益々御清祥のこととお慶び申し上げます。
私は15年間、仙台赤十字病院呼吸器内科医師として、偽らず、打算を入れず、怠けず、真っ直ぐに全力で診療活動をし、このたび定年退職しました。
無事仕事を全うし得たことは医師をはじめ皆様方のご援助ご協力の賜物と心より御礼申し上げます。
退職後も日赤病院で外来診療は手伝おうと考えていましたが「いつ辞めるかそれだけです」と言われ、辞めました。
日本社会は今、恫喝と恐怖感を与えて人を支配し発言の自由と安全がなくなった戦前に酷似していると懸念しています。
政治的動きとともに社会も医療も研究などの分野でも、そして個人の生活や人間関係でも健全さが壊れて攻撃的抑圧的になり、他人を侮辱抑圧し見下して支配したい言動傾向が強まり、自由な発言がより困難になってきました。
私は、相手に敬意を払い相手の名誉と尊厳と安全を犯さず、知的に議論を楽しむ豊かで健全な文化と精神、人間関係を日本社会に育てたいと考えています。
今後は目前の人だけでなく不特定多数の人々の苦痛を減らすための仕事もしようと考えています。
臨床から離れないために、どこか病院を探して週1~2回は外来診療をしたいと考えていますが、未定です。
東北大学国際文化研究所にも通う予定です。
(追)「発言の自由がない日本社会・優れた言葉」と「放射線被曝」を主なテーマに「岡山博ブログ」とTwitterを書いています。
2014年3月31日
仙台赤十字病院 呼吸器内科
岡山博
日本の結核の歴史と熊谷岱蔵先生
岡山 博 仙台赤十字病院 呼吸器内科
はじめに
明治維新後、富国強兵、殖産興業政策のもと、製糸・紡績工場の劣悪な労働環境の中で先ず女工に結核は拡大し、男は人権が存在しない日本的軍隊生活の中で拡大した。
貧しい農村が女工と兵隊の供給地であったが、結核を発病して役に立たなくなった女工と兵士の廃棄場になり、結核は拡大し続けて都市だけでなく農村にも蔓延した。
太平洋戦争直前の昭和16年、第一内科教授熊谷岱蔵教授が初代所長として東北大学抗酸菌病院が作られた。
敗戦後は、戦後占領軍による結核の科学的対策と、社会の民主化、労働条件改善、抗結核薬開発により、結核は激減し、現在は当時の1%以下にまで減少した。
庶民にとって、明治以降太平洋戦争敗戦までの日本は戦争と結核の歴史と考えることさえ可能である。
日本の結核の歴史を、東北大学第一内科と抗酸菌病研究所を率いた熊谷泰造先生のことを含めて、考えてきたことをまとめた。
日本の結核、終戦まで
弥生時代に日本に結核が存在していたことは、分かっている。
縄文時代に結核が存在していたかどうか、米とともに弥生人が大陸から伝えてきたようだが詳細はわからない。
その後も、天皇の記録などで結核が存在していたことと、明治までは大規模な蔓延がなかったこともわかっている。
大規模に結核患者が増えたのは幕末からで、明治になって富国強兵、殖産興業政策による社会になって結核は爆発的に増加し続け蔓延した。
人口が少なく、人々が密集しない農業社会では、結核患者が排菌をしても、感染は広範に拡大しなかった。ちなみに、奈良時代の日本の人口は約450万人と考えられている。
結核排菌患者が存在し、排菌を継続し、換気されず、結核菌が空気中に漂ったまま長時間とどまると空中に漂った結核菌を吸入して、結核感染は拡大する。
結核は感染した1~2割が発症する。治療をしなければ半数弱が死亡する。低栄養や、過労など、感染に対する抵抗力が低下した状態では、感染者における発症割合は増え、発症後の進展も早い。
結核の大蔓延が起こり膨大な人が死ぬのは世界史的には2つのタイプがある。
ひとつは、結核が存在せず人が結核に対する免疫を持っていない社会に結核菌がもたらされた時、もう一つは、換気と栄養状態が悪く、強制的労働環境で多数の人が働かされた場合である。
結核が多い社会では、発症していなくても多くの人は不顕性感染をしており、結核菌に対して免疫を獲得している。
しかし結核が存在しない地域の住民は結核に対する免疫を全く持っていない。
このような結核免疫がない社会に、結核菌がもたらされたとき、結核は蔓延し猛威を振るう。
更に、過酷労働や栄養障害など他の要因が加わればさらに広がる。
このような蔓延は、ヨーロッパ人が南北アメリカ大陸と中南米諸島に結核菌をもたらし、社会を破壊した時に起こった。これについては省略する。
結核大蔓延の最大の原因だったものは、貧しく栄養や過労で体力がない状態で、人が密集し、換気が悪い場所で、長時間労働を強制されたことであった。
この典型が、産業革命以降の、労働者収奪的な大規模工場労働である。
世界的には、結核のすさまじい蔓延は、17世紀産業革命後のイギリスでまずおこった。
ドイツハンブルクでは、産業革命はロンドンより70年遅れたが、結核の急激な増加蔓延も70年遅れておこった。
日本で労働収奪的大規模工場労働と、それに伴って結核が急速に増加し、蔓延していったのは、明治維新後である。
江戸幕府の崩壊とそれに続く明治近代社会への変化は、幕藩体制ひずみの蓄積という内的な要因と世界史的な外的要因の上に起こった。
世界史的要因とは西欧列強によるアフリカ、次いでインド植民地化、東南アジアへ、そして中国(清)への進出支配である。
イギリスは清国の茶などを交易して利潤を上げようと、清に対して交易を要求した。
清は、貿易ではなく朝貢を提示したが、やがて受け入れた。
清の高低を敬い貢物を献上し、皇帝はその10倍くらいの土産を与えるというのが朝貢である。
しかし、清に輸出できるものをイギリスは持っていなかった。
そしてアヘンを売りつけ、中国社会を蝕んだ。清朝がアヘン貿易を禁止したことに言いがかりをつけて、イギリスはアヘン戦争を起こし、清は敗れた。
そして清社会は更にアヘンで蝕まれ、国土も蚕食されて西欧の半植民地にされた。
それまでの2000年間、中国は日本にとって常に偉大な教師であった。
その中華帝国が西欧に敗れ半植民地化されたことは日本にとってすさまじい恐怖であった。
日本が植民地にされていないのは、西欧列強にとって中国が大きな獲物で、日本はそれほど魅力的ではなかったからで、中国分割が進めば次の獲物は日本だと恐れた。
徳川幕府を倒した明治政府の最大課題は、日本が西欧列強の植民地にされないことだった。
そのために、西欧列強国に支配されない強力な軍事国家をめざした。
東アジアで西欧列強に支配されなかったのは日本とタイだった。タイは、内には国民の自覚を高め、外には軍備ではなく、イギリス、フランス、ロシア、中国を相手にして外交によって独立を保持した。
軍備や科学技術を整えるためには、外貨が必要だったが、外貨を獲得できる商品を日本は持っていなかった。
ただひとつあったのが生糸だった。
政府は、モデル製糸工場を作り、士族の娘が働いて成功した後は、民間に払い下げた。
日本中に桑畑を作って蚕を飼い、たくさんの製糸工場を作って製品化した。
明治以降昭和初期まで、日本の工場労働者の過半数は女性で、その過半数は未成年だった。
始めはエリート士族の子女が働いた製糸工場は、民間に払い下げられると、低賃金長時間半奴隷的労働という劣悪な労働をさせる工場になった。
女工は始め士族の子女が多かったが次第に貧しい農村が低賃金女工の供給源になり、やがて農村は、半奴隷的女工の供給地であるとともに結核に罹患した女工の廃棄場になっていった。
当時の製糸(絹)工場や紡績(綿)工場の様子は、「女工哀史」(細井和喜蔵)や、「職工事情」(農商務省工務課)や映画にもなった「ああ野麦峠」(山本茂美)に詳しい。
女工のほとんどは工場の寄宿舎住まい。20畳の部屋に20人が寝る。これを2交代で行う。
工場や寄宿舎の周囲は立派なレンガ塀で囲まれている。
外からの防犯よりは、女工が逃げ出さないためである。
出入り口には、守衛がおり、面会や出入・、門限が厳しく強制され、門限に遅れると厳しい罰則があった。
ほぼ強制的な前借金などで女工はがんじがらめにされていた。
食事副食は、朝は味噌汁と漬物2切れ、昼は豆やひじきなど夕は菜の煮たの、揚げ豆腐、塩鮭切り身などの1つ。
量は少なく1回がけ盛り付けられた。
味噌汁は醤油で色を付け塩出味をつけているだけだったので「味噌をいれてほしい。
味噌汁に全員にわたるだけねぎを入れてほしい」等を要求する争議も起きた。
それくらいだから暖房もなかった。
冬は二人分の布団を合わせて二人一緒に寝た。
おそらく寒さを防ぐために窓も閉めきっていただろう。
労働時間は12時間。体調が悪くても休めず休んだり外出から帰る門限に遅れたりすると罰金など罰則があった。
そのような労働環境の下で、結核は広がり猛威を振るった。
女工の多くは12~18歳で高齢でも23歳だった。
多くは1~2年程度で故郷農村に送り返された。
ほとんどの女工は結核に感染し、2割が発症し、その半数が死んだ。
休ませず働かせて、重症化したり死にそうになると、工場で死なないようにその前に解雇した。
解雇される前に死んだ人も多い。
一般女性と比べて女工の結核死は23倍に上ったという香川県の報告もある。
「どうせ1~2年で帰ってしまうのだから、工場で労働力の保全に気を使うことはない」というのが多くの経営者の認識であった。
「兵器は金がかかるが、兵隊ははがき1枚で手に入る」と言った陸軍の風潮と共通する。
中には倉敷紡績の大原孫三郎のように、工場に女工のための病院を作って市民にも開放し、同時に労働医学研究所を作るなどして、女工たちの健康保全や労働環境改善に取り組む実業家もいた。
製糸工場経営にとって、必要な数の女工を集めることはもっとも重要な業務だった。
消耗品として、女工集めを専門にする下請けの女工集め請負人が沢山、農村に行って若い女性を集めた。
現実とひどく異なる良い偽りの労働条件を言ったり、性的関係を作るなど、偽りだまして集めることも多かった。
中には、結局製糸工場で働くこともなく、遊廓に売られることもあったという。
女工一人をあっせんすると女工の2か月分の給料に値する程度の金が支払われた。
野麦峠は飛騨高山から信州岡谷の製糸工場に働きに行く娘たちが、故郷を最後に振り返る峠だ。
そして、結核で解雇されたりして故郷高山に戻る峠でもあった。
故郷にたどり着けず、ここで死ぬ人もいた。
工場で騙されたり性的虐待を受けて妊娠し、故郷に帰る途中で出産する人もいた。「野麦峠」は「野産み峠」から来ているという俗論があるそうだ。
都市の工場で広まった結核は、結核のために解雇されて故郷に返った女工を介して農村に広まった。
このようにして、日本では、結核は都市だけでなく農村も含めて日本全体に蔓延した。
男の方が結核に抵抗力が低いが、昭和初期まで、男より女の方が結核死亡率が高かったのはこのためである。
男の結核死亡率は女より数年遅れて増加し続けた。
男は主に軍隊で感染し、軍隊内で広まった。重症化すると故郷の農村に返されて、農村での結核蔓延の原因になった。
戦前、政府・行政で結核を担当したのは内務省である。
内務省とは地方行政、治安取り締まりなどの警察、感染症などの衛生という内政を担当した有力官庁である。
軍隊内で結核が激増し続けたために、兵力の消耗を恐れた陸軍は、内務省に結核対策強化を命令したが、軍隊での結核蔓延は改善しなかった。
そこで陸軍は、専門的に結核対策をさせるために厚生省を内務省から独立させた。
結核対策を重視し、厚生省を作らせた中心人物の一人が石井四郎軍医中将である。
石井中将は731部隊の創始者最高責任者として有名である。
731部隊とは、陸軍が生物兵器開発のために満州ハルピンに造った機関。
捕虜や拉致した中国人やロシア人を1本2本と数えて残虐な人体実験を行った。
例えば、裸にして、間隔をあけた杭に縛りつけ、陶器に入れた細菌爆弾を破裂させて、どの距離でどのような爆発をさせると有効かと、爆発から、感染して死ぬまでを記録した。
実験としてのいみもほとんどなく、生体解剖自体を目的とした生体解剖実験も行った。
食物を与えず、井戸水か蒸留水だけ与えた時どのように死んでいくかを観察した。蒸留水だけ飲ませると、「味がついた水をくれ」といって死んでいったという記録が残っている。
猛威を振るった結核は、欧米では、第一次大戦で小さなピークを作った後減少していった。
デンマークやスコットランドでは、それ以前から結核は減少し続けていた。
この時代はまだ抗結核薬は存在していない。
第一次大戦時に結核死が増えて、多くの欧米諸国でピークを作ったのは、戦争とインフルエンザ=スペインかぜによって肺炎を起こしてたくさんの結核患者が死亡したことによる。
第一次大戦は機関銃と戦車が活躍した戦争だ。弾を避けるために塹壕を掘って長時間じめじめした不衛生な塹壕にとどまった。
雨も降った。そこでたくさんの兵士が肺炎で死んだ。
結核がある人は更に死んだ。
兵士以外も食糧事情や不衛生で沢山肺炎で死に、結核有病者は更に死んだ。
スペイン風邪が世界的に大流行し、インフルエンザ関連肺炎で数千万人が死んだ。これが大戦時結核死が増えた理由である。
大戦後欧米諸国の多くで結核が減少していった。
これは大戦とスペイン風邪で結核患者が死亡して、感染源が減少したことも理由であろう。
しかし、結核を減少させ、その後も減少を続けさせた最大の理由は、労働条件が改善したことと、抑圧的な社会が改善されたことである。
第一次大戦を前後して、世界中で労働運動と革命運動がおきた。
大戦前1886年、8時間労働を要求したシカゴの統一ストライキや、1990年の第1回国際メーデーなどの世界的に労働運動が高揚した。
大戦の中で、ドイツ、オーストリア、ロシアなどでは帝政が廃止され、アメリカのシカゴで始まったメーデーは世界に広がった。
労働運動の高揚によって、週休制や1日労働を8時間以内とするなど、労働者を保護する労働法がつくられ、労働条件が改善していった。発言や行動に対する抑圧が緩和された。
欧米で結核死亡率は改善していったが、フランスとオランダでは1940年前後の数年間、結核死が再び増加した。
ナチドイツに占領支配された時期である。
日本でも第一次大戦後、結核死は減少していったが昭和初期から再び増加し敗戦まで増加し続け猛威を振るった。
ナチドイツ占領下のフランスやオランダと同様な抑圧的な社会が日本国民に起こっていたからと思う。
フランスやオランダはナチドイツの占領軍によって言動の自由や栄養や社会生活が破壊されたが、日本では軍と警察が国民を抑圧した。
陸軍は、結核対策強化のために厚生省を作らせた。しかし実態は内務官僚が横滑りしただけで、科学的対策は行われず結核は増え続けた。
熊谷岱蔵先生のこと
明治13年生
東北大学第一内科初代教授、東北大学抗酸菌研究所(現加齢医学研究所)初代所長、
熊谷先生は糖尿病研究で世界的業績を上げていたが、蔓延し人々を苦しめていた結核に関心を移した。
当時、結核は結核菌初感染によって起こるのか、それとも、再感染した時に有害な免疫反応が起こって発症するのかわかっていなかった。
「誰もわかっていないからやってみろ」と、宮城県立第一女子高校検診を担当した中村隆先生(後の第一内科教授)に指示した。
ツベルクリン反応の経時変化を、ツベルクリン反応が(-)、あるいは(+)のまま変化しない、(-)から(+)に変化、(+)から(-)に変化の4郡に分けて解析すると、結核の発症者はほとんど(-)から(+)の群だけに存在することが分かった。
こうしてツベルクリン反応をという極めて単純な方法を用いて、結核が初感染で起こる感染症であることを証明した。
この研究は結核研究にとって最も重要な発見の一つである。
軍隊で結核が蔓延したことに対して、陸軍は、厚生省設置についで東北大学や北海道大学、京都大学等に結核研究所を作らせた。東北大学の抗酸菌病研究所はこのようにして太平洋戦争開戦直前の昭和16年にできた。
初代所長が第一内科教授熊谷岱蔵先生である。
国が熊谷先生に任命した結核研究所の附属病院の規模は約100床であった。
熊谷先生は、結核研究にとどまらず、実際に結核で苦しむ人びとに対して医療を行うべきと考えた。結核病床が圧倒的に不足している中で、熊谷先生は全国の企業や篤志家を回り、献金を募って国が予定した10倍の約1000床の結核病院を作った。
結核に関して熊谷先生のもう一つ話題にすべきは高橋実先生(元坂総合病院院長、日本民主医療機関連合会会長)のことである。
高橋先生は東北大学医学部在学中に、日本共産主義同盟にくわわり、大学内では社会医学研究会を組織して医療制度や職業病の調査活動などを行って検挙された。
退学処分となり、のち教授会により復学が認められた。
復学後、太田正雄(木下杢太郎)皮膚科教授の指導の下に「森鴎外の会」を作り、西洋の合理主義と東洋の論理思想の断絶を埋めたいと考えて活動した。
昭和13年、卒業業後直ちに、熊谷教授の斡旋で、岩手県志和村の診療所に3年間勤務した。
農村のすさまじい困窮の様子を見て、診療の傍ら、小学校児童検診を行い、更に、東北大学熊谷内科の協力のもとに、村当局や住民などと「志和村結核予防会」を作り、全村民を対象にして、ツベルクリン反応、レントゲン、喀痰、血沈検査を含む検診と結核対策を行った。
この結果は、農村の結核と、乳幼児衛生に関してまとめた名著「東北―純農村の医学的分析: 岩手県志和村に於ける社会衛生学的調查」として出版された。
この出版を最大の理由として、高橋先生は治安維持法違反で検挙され懲役2年執行猶予の有罪判決を受けた。
高橋先生がすでに軍や警察からマークされていることを知りながら、高橋先生を排斥せず指導援助した熊谷先生の業績としても記憶されるべきことと思う。
熊谷先生は「慈悲喜捨の心を養い・・・善を尽くし美を尽くす。医業を行うにはこれらの心構えが必要である」と記されている。
志和村3年間の志和村での活動を、高橋先生は戦後昭和21年に「愛は山の彼方に」を出版され、やがて、豊田四郎監督、池部良主演で東宝で映画化された。
同時期、太平洋戦争直前の1941年、京都大学の学生グループが治安維持法違反で大量検挙されている。
保険所所長からの要請にこたえて、たくさんの京大医学部学生が、福井県農村の結核調査をした。
その調査内容に栄養状態調査の項目があった。内務省特別高等警察(特高)は、栄養調査があることに対して(栄養状態が悪いと示すことで)厭戦気分を煽るものだ」として治安維持法違反疑いとして多数の学生を検挙した。
起訴された学生も、不起訴になった人も、卒後、軍医としてではなく、一兵卒として戦死配属させられたり、軍隊内や警察から常に監視をうけた。
このような時代であった。
結核の社会背景を調査するだけで逮捕するような、言動の自由と安全がない社会背景が、結核が蔓延した背景にあると私は考えている。
戦後の結核
戦後、日本に進駐した連合国占領軍は日本政府に科学的結核対策を指示したが、内務省上がりの官僚が指揮する厚生省は役に立たず、占領軍は対策として厚生省に医系課長を増やした。
しかし、有効な活動はできなかった。
厚生省役人を通してでは有効な結核対策はできないと判断した占領軍は、保健所と保健婦を使って直接結核対策を行った。
その後結核は激減し、減少傾向は現在までつづいており、結核罹患率や死亡率は最盛時の1%以下に減少している。
結核に対する有効な薬剤は1943年のストレプトマイシンが初めである。
結核が蔓延しているに日本で活動するためにアメリカ軍はストレプトマイシンを持ってきた。
日本人がアメリカと占領軍に従順なことを見て、占領軍は日本政府にストレプトマイシン製造を許可し命令した。」
連合軍による日本占領が始まり、ストレプトマイシンがもたらされた時期と、結核が激減し始めた時期は重なる。一見ストレプトマイシンが結核を激減させたように見える。しかし違う。
日本人と日本社会は結核薬がもたらされたことを喜んだ。
国産のストレプトマイシンが十分入手できるのには数年かかった。
量産し始めても入手は難しく、闇で入手した。
大学卒月給が数千円の時代1g1万円だった。
当時のストレプトマイシン使用基準は毎日1g注射を3か月である。資産家が財産を半分売って手に入れるという状態だった。
しかし、ストレプトマイシンは期待通りには有効ではなかった。
軽症患者のいくらかは治ったが、重症患者には無効で、中等症患者では一時改善しても再発し、再発した時は耐性化して、ストレプトマイシンは効かなくなっていた。
ストレプトマイシンは国民に大きな希望を与えたが、平均寿命を改善するほどではなかった。
結核が基本的に治ることが多い病気になったのは1960年代、ストレプトマイシン、イソニアチド、パスを含めた多剤併用療法が確立してからであり、1年以内の比較的短期治療で基本的に治る病気になったのは1970年代リファンピシンを含めた多剤併用療法ができてからである。
結核激減の最大の理由は、占領軍の系統的で科学的な結核政策と抗結核薬開発とともに、労働条件改善と社会の民主化だった
治療や予防を含む「結核医療を行う事は国と自治体の義務」であるという結核予防法を作り、結核を減らすために日本社会は全力で取り組んだ。昭和29年には、結核対策に全医療費の27%を使った。このころ、日本人の平均寿命が初めて60歳に届いた。
現在の結核と日本の医療
1980年頃から、厚生省の医療政策は、良い医療をすることではなく、医療費を抑制することが基本目標になった。
更にその後、医療や教育も含めて、すべてを経済採算で評価する市場原理主義、グローバリズムへと拡大させた。
そして「結核医療を行う事は国と自治体の義務」と定めた結核予防法は廃止された。
病院採算性を厳しく追及されて多くの病院で、不採算部門であった結核病棟を廃止した。
文部科学省から厳しく追及されて、大学病院さえも結核病棟を廃止した。
難しい疾患に合併した結核患者は治療を受けることが困難になり、学生は結核患者と接する機会、医師は結核患者を診療して学ぶ機会が少なくなった。
東北大学病院も結核病棟を閉鎖した。
この時東北大学病院長から、仙台赤十字病院に「感染症病棟を工事するので、その間、結核患者を日赤病院で見てほしいい」という要請があった。
工事完成後は、閉鎖前と同じ規模で結核病棟再開する確約を得るために質問したが、回答はなく、完成後も結核病棟は再開されず、結局日赤病院がすべての患者を引き受けることになった。
結核診療が大幅な赤字になる仕組みであることのために多くの病院は結核病棟を閉鎖していった。
多くの病院では、それまでの結核医療の努力と成果を知らない新しく変わった院長が結核病棟を閉鎖させることが多かった。
新しい病院長は結核担当医に対して、「病院の赤字をどう責任とるのだ」と赤字が医師個人の責任であるかのように詰問し、邪魔者扱いして、結核を担当していた医師がいたたまれなくなって病院を辞めるか、不健全な人事を行って、結核診療を熱心に行っていた医師に屈辱を与えて結核病棟閉鎖をさせる病院がいくつもあった。
このような中で、私が勤める仙台赤十字病院も結核病棟を閉鎖した。
結核患者が減少したことは結核担当医をはじめとして担当者と社会が努力したことに負うものだったが、その成果と努力は讃えられることはなく、屈辱をもって追い払われることさえしばしばあった。
市場原理主義が横行し、なんでも経済的赤字黒字だけで評価し、現場で働く人や医師を、知識熱意がない官僚が、支配者のように威張って医療や社会を仕切る社会になった。
多くの医療機関の院長や事務長は、この変化に抵抗せず、むしろ積極的に同調して、病院従業員「管理」を強めた。
病院は「病院従事者が共同して良い医療を行う病院」から「管理者が従業員を強権的に命令管理する病院」に変わっていった。
市場原理主義は日本では独特の面を持っていた。
多くの社会で、良い接客マナーとは、互いに対等で友好的態度で接することだが、日本では、東京オリンピック後、70年代大阪万博ころから、消費者=客が上の身分で商人や従業員は客を上位者として下僕のように使えるのが当然という風潮が急速に作られた。
そして、医療も医療行為を売買する客と店員の関係であるかのような社会精神と患者の言動になった。
このような社会変化に伴って患者は「治って当然で、副作用が出たり、期待通りに治らないと主治医に不信感を持ち非難する」ようになった。
医師が知性と良心に基づいて安心して診療することが困難になり、病院経営者も医師も、良い診療をすることよりも、患者や社会から非難攻撃を受けない医療行為をすることに気を使うようになった。
病院経営者は、自らや病院が非難されにくいことを優先して、安易な対応をし、必ずしも医師や医療従事者を守らないことも増えてきた。
結核に限らず、医師や医療従事者が、道義性と使命感を持って仕事をすることが困難になってきている。
少なからぬ医療従事者や病院経営者はその状況に慣れて、そのような社会状況に適応する判断や精神を強め、社会的自覚が低下してきていると思う。
結核の歴史は、明治以降の日本人の苦しみと、それを克服してきた歴史でもある。
しかし、ほとんどの日本人は、苦しかった歴史と、努力して克服してきた歴史を知らない。
結核に限らず、治療を受けられることに感謝するのではなく、客として、病院や従業員の医師に、注文を付け、依頼するのではなく、「やって当然だろう」と、医師や看護師を非難し命令してやらせようという患者や家族が増えてきた。
「結核は自然に減ってきた」「治ってあたりまえ」で、期待通りの良い結果が出なければ医師や病院を非難する人も増えている。
結核は経過が長い。
戦前の結核は、工場や軍隊で感染した青年に多かった。
現在日本の結核患者の多くは老人である。
若いころ結核に感染して気づかぬうちに自然治癒したり、発病して治療を受けて治癒した結核が、加齢によって免疫などの結核に対する防御機転が低下して、休眠していたわずかな結核菌が再活動して再燃したものである。
日本で結核は今も減少し続けている。
これは1970年ころまで、日本社会が全力で取り組んだことの成果である。1980年以降から現在に至る結核対策の成果ではない。
1990年以降サハラ以南アフリカをはじめとする発展途上国では結核が激増し、その中でも、抗結核菌が無効な多剤耐性結核菌患者が増え、日本でも数は少ないが多剤耐性患者はでている。
人類はまだこの多剤耐性結核に十分対処する手段を持っていない。
多剤耐性結核を考えると、日本で結核がこのまま減少するとは断言できない。
この数十年間、日本社会は、大学や社会、医療分野などを含め、社会のどんな分野でも、指導的立場で働く人が「社会を良くする自覚を失い、自分や、自分たちの病院や大学等の組織の利益」だけを考えて言動するようになった。社会のためという場合のほとんどは、自分の行為を評価するために後から理由付けした、ある意味で、真実真剣がない偽りだ。
日本の医療と社会、文化、精神がこのまま進めば、個々の疾患に対する治療は進歩しても、社会を不健全にしたり、人々を幸せにしない医療になるかもしれない。
結語
戦前の日本を支えた「美しい生糸」は、おびただしい数の女工さんたちの命と人生と引き換えによって生産された。
命と人生と引き換えで作った生糸で得た外貨を使って軍備を強化し、戦争に使った。
明治初年から昭和20年の敗戦までの期間は日本の庶民にとっては「戦争と貧困と結核の歴史」として考えることも可能である。
昭和初期に生まれたほとんどの人は、自分や家族等ごく身近な人が、結核の恐怖におびえた経験を持っている。
終戦頃までに生まれた人の大部分は、家族でなくとも身近な誰かが結核で苦しんだことを親から聞いているはずである。
現代の日本人は自分に都合悪いことや、他人が苦痛の中で努力してなしとげてくれたことによって現在があることを話題にしない傾向がある。
結核だけではない。日本軍が中国で、おぞましい残虐や略奪を行ってきた。沢山の兵士が残虐や暴虐を行ってきたのに、話題にせず伝えないまま年をとり死んでいく。
話題にしないから、それらの歴史はまるでなかったかのように扱われ忘れ去られる。
努力の成果は感謝し喜ぶべきものではなくなった。自動的に自然に改善されたくらいの意識だ。「あって当然」、なければ文句を言う文化と精神になった。
自分では責任あることや他人のためにかかわることなどなにもせず、他人に文句非難を言う人に都合のよい社会運営と精神になった。
結核の恐ろしい体験をした人たちから体験を聞き集めるとしたら、今が最後の機会と考えたが、体験を集めることは断念した
同窓会誌からしばしば投稿のお誘いをいただいたが、長い間、なにも書かないままにしてしまった。最後の機会かもしれないと考え、熊谷岱蔵先生、東北大学第一内科のことにも触れて、日本の結核の歴史について考えてきたことを書きました。
資料
1) 岡山博:結核医療の歴史的成果と近年の後退.仙台赤十字病院医学雑誌.Vol19, 7-19, 2010.
2) 小松良夫:結核.清風堂書店.2000.
(注) 東北大学旧第一内科同窓会誌(平成25年発行)に 掲載した文章に一部加筆修正した。
朝鮮と日本女性は、嘘や脅迫で売春させられた
―― 従軍慰安婦 別の視点から ――
明治以来、日本政府は生糸、綿紡績製品を輸出して外貨を得てその資金で富国強兵を続けた。
製糸工場や紡績工場で働くのは女性だったから、明治から昭和初期まで日本の工場労働者の半数以上は女性(女工)で、その半数以上は未成年だった。
製糸、紡績工場では女工が逃げないように高い塀があり、門に見張りを付けた。
記録「女工哀史」「職工事情」や「ああ野麦峠」など沢山の資料に詳しい。
過酷な労働条件と寄宿舎生活でほとんど全員が結核に感染し2割が発病し、7%が死亡した。そして彼女たちは平均2年で退職したりさせられた。
「どうせ2年で辞める女工に健康管理するのは無駄だ」というのが多くの経営者の考えだった。
経営者の最重要課題は2年で辞めてしまう女工の穴を埋めるために、農村から女性を集めることだった。
紡績会社は女工を請負人に集めをさせることが多く、女工を一人紹介すると女工の約2か月分の給料を手当として請負人に払った。
請負人は夢のような非現実的な嘘の労働条件を説明してだましたり、借金で縛り付けて集めた。
工場に行くための支度金や旅費を借金させて縛り付けた。
全国の農村から少女たちは、良い就職先があると騙されて故郷から離れて生死工場、紡績工場に就職した。
寄宿舎に入ってみると、「良い労働条件が保障されている。学校にも行ける、習い事もできる、たくさん貯金ができる」と説明されたような夢のような労働条件は存在しなかった。
農村で育って初めて親元を離れて町の向上に就職した少女たちは、工場や不当な奴隷的契約の工場から逃げたり解決する能力も条件もなかった。
高額の旅費を借金して日本に来た朝鮮の少女たちは、さらに借金に縛られていた
製糸・紡績工場寄宿舎からの外出は厳しく制限されていて、町の商店よりずっと高い生活用品を買う以外になかった。
代金は借金として蓄積されて、就職の際に意図的に作らされた前借金にさらに追加された。
外出した際の門限の遅れや些細なことでも、罰や罰金が課されて借金は増えた。
借金による束縛は自分の意思による退職をさらに不可能にした。
就業条件の良い製糸工場に就職したつもりだったのに、請負人にだまされて工場には行かずはじめから遊廓に売られた少女たちもいた。
製糸、紡績工場から逃げても収入はなく、遊廓に売られたり借金の方で拘束された女性もいた。
貧困な小作農の少女たちが、親の借金の穴埋めとして遊廓に売られたことは公然の事実だ。
日本の農村の小作農がの娘は親の借金を払うために遊郭に身売りし、借金を払うための売春契約をさせら、借金が払い切るまでの売春契約をさせられた。
このようにして全国の貧しい農村の多くの女性が遊廓に売られて管理売春を強いられた。
遊廓に入ったら、やめることも逃げることも殆ど不可能だった。
彼女たちの一部は従軍慰安婦になったりさせられた。
遊廓を介さないで、従軍慰安婦になった女性もいる。
日本の少女もこのように騙され脅迫されたり。借金で拘束されて遊廓や慰安処で売春した。
日本の農村の少女が騙されたり脅迫されたり、借金・前借金名目で、止める自由がなく拘束強制されて売春させられたのに、半島人と見下された朝鮮女性が日本女性より優遇されて嘘や脅迫や前借金名目で、やめる自由がない強制売春から除外されることはありえない。
嘘や脅しを含めた女工集めや、遊郭への強制・半強制を含む管理売春を強要させられる道筋は、日本女性より朝鮮女性に対しての方が更に過酷だった。
日本人の偏狭な優越感とセットの朝鮮女性に対する蔑視と、高額の渡航費用の前借り金が挑戦の少女たちには日本の少女の困難に加えてさらに追加されていた。
日本の女性は嘘や脅迫、借金のかたで遊廓に売られて売春を強要された。
だから当然、日本の植民地だった朝鮮の女性も同じことをされた。
日本の少女も朝鮮の少女も同じように、拒否できない強迫的状況や嘘や暴力で遊廓に売られ、遊廓であるいは戦場慰安所で辞める自由がない管理強制された売春をした。
朝鮮女性も嘘や脅迫や不当な借金のかたで、遊廓に売られて管理売春を強要され、一部は従軍慰安婦になった。
朝鮮女性の日本人相手の売春行為について、それ以外の答えはない。
朝鮮女性も日本女性と同様に嘘と脅しで売春を強要され、名誉も人としての尊厳も人生も健康・寿命も破壊された。
朝鮮の女性だけが慰安婦にされたと言ったらそれは誤りだ。
しかし「朝鮮の女性が嘘や脅迫で慰安婦にされなかった」というのは誤りであるだけでなく、被害者を貶める加害の上塗りだ。
朝鮮の被害女性が現在、抗議し賠償を求めているが、日本の女性は朝鮮の女性たちのように名誉回復と賠償を訴えることをしていない。
日本の女性にそのような歴史的事実がなかったからではない。
日本の被害者が公然と抗議や名誉回復要求、賠償要求をしていないだけだ。
売春を強要されたり従軍慰安婦になり、名誉と人生を破壊された女性たちが、抗議や賠償培養要求や名誉回復の訴えをしないのは、日本の人と社会が彼女たちを応援したり連帯しないからではないか。
日本人は、自分の安全が確保され相手が自分より目下とみなした時に、侮辱することで偏狭な優越感を得ようとする言動傾向がある。
自分の優位性と安全が確認できると、相手を見下して優越感を得ようとする傾向が強い。
立場が弱い人を見下し更に苦痛の追い打ちをかける傾向が強い。
戦争中に苦痛と屈辱を受けた日本女性がそのような訴えを今日本ですれば、名誉回復や賠償を獲得できず、逆に経済や人間関係や名誉を破壊さるという恐怖心があるためにしないのではないか。
自分より下級とみなしうる人に対して、日本の人と社会が冷淡だからではないか?
「朝鮮女性が嘘や強制で慰安婦にさせられてはいない」と主張する人たちは、日本人の女性が公然と遊廓に売られて、止める自由が無い状況で強制されて管理売春をし、逃げることもできずに多くの女性が無念のうちに死んだ事実を否定するのだろうか?
「遊廓に売られて売春させられた日本の女性も朝鮮の女性も嘘や強制はされなかった、みな自ら自由な判断で遊廓に入った」と主張するのだろうか?
最終的に自分の意志で同意した場合でも、止める自由がなく、不当に借金を増やし、止める自由がない奴隷的拘束を行ったことは奴隷的拘束だ。
それとも「日本人女性は借金のかたや嘘や脅しで契約させられやめる自由がない拘束下で売春を強制されたが、朝鮮女性だけは日本女性とは異なり嘘や脅迫や脅しはなく、全て自由意志だった、やめる自由も保障されていた、強制や嘘はない」と主張するのだろうか?
製糸工場・紡績工場では嘘や借金名目の脅しによる女工集めがあったが、「朝鮮女性に対する女工集めと売春に関してだけは嘘や脅しによる女性集めははなかった、すべて紳士的な自由意思による契約だった」というのだろうか?
日本社会は今、加害者や加害者を正当化する人たちが、被害者に詫びて名誉回復させたり償ったりするのではなく、逆に加害者が被害者を攻撃侮辱する人が増えた。
日本社会は今、そのような言動が批判されないやくざ社会になった。
日本人の中でやくざ的精神・人格が増えているということだ。
異論を言う人は反日と言われて侮蔑非難され、自由に発言できないだけでなく、発言する人の存在さえ脅かされる恐ろしい社会になりつつある。
被害者を守らず逆に恫喝侮辱することを容認する社会は、日本国内で日本人が被害を受けた時にも侮辱恫喝される社会になったということだ。
加害者が被害者に難癖をつけて、侮蔑非難攻撃する精神と言動は危険だ。
真面目に発言する自由と安全がない社会に日本は急速に進んでいる。
このような社会では、個人の名誉、尊厳、人格は無視、蹂躙される。
道義性や良いことをし悪いことをしないという規範、誠実、優しさ、真面目さは打算と暴力によって抑圧されて、一人一人の精神、言動、精神、言動からも消えていく。
既に、日本社会と人々の精神と言動の仕方の現実になっている。
発言の自由と安全が制度的にも保障されなくなって抑圧が制度化されることと、暴力脅迫によって人の発言行動ができない事件が起きるようになったときに、戦前と同じファシズム・恐怖社会が完成する。
今、日本は恐怖社会に向かって急速に進行している。
道義性、知性、自覚、優しさ、勇気のどれも育てず劣化した。
社会と人の精神、まともさが劣化してここまで来た。
その行き着く先は「朝鮮人は強制されて従軍慰安婦になっていない。朝鮮女性が自由意思でやったことだ」と主張する人たちが支配する社会だ。
止めたい。
一人一人の名誉と言動の自由が保障される健全な社会にしたい。
③ウクライナ報告 ワークショップ、チェルノブイリ博物館
10月10日 ワークショップ
ウクライナ国立工科大学,ウクライナ日本センターとの共催で行われた。ウクライナ国立工科大学で,今後の福島のため,チェルノブイリの教訓をどのように生かすべきかを議論する「フクシマ・チェルノブイリワークショップ」が開かれ参加した。この会はユーリ・シチェルバク博士とVolodymyr Tykhyy博士のご尽力で実現した。
日本側参加者は私ども4人と、挨拶された坂田東一駐ウクライナ日本大使。
ウクライナ国立工科大学副学長,セルゲイ・シドレンコ教授の挨拶があった。日本からは、プシュパラール教授,福本学教授と大山弘一南相馬市議が発表した。ウクライナ側からは,チェルノブイリ原発事故の専門家たち5人が発表した。
(文章と写真→ 東北大学HP
私は正式の発表者ではなかったが時間をもらって小発表を行い、ウクライナの各分野の研究者に質問をして、いくつかの疑問を解決するつもりでいた。
私は、今回の訪問に後から誘っていただいて飛び入り参加したので、このワークショップについてよく理解していなかった。
ワークショップは、各界研究者が地涌に発言して問題を掘り下げる会というよりは、フォーマルで格式が高く、開くことに意義がある会だった。
私の疑問を解決する場にはならなかったが、ウクライナの方達の取り組みと熱意は驚きだった。
ワークショップにはテレビ局や新聞社がいくつも取材に来ていた。
東北大学HPより。文章と写真
ワークショップの休憩時間からテレビ記者に呼ばれて、私は会場の外で約20分インタビューに答えた。
私は福島と日本社会の状況を説明し、私の考えを述べた。
インタビューはテレビ記者がウクライナ語で私に質問し、英語に通訳されて英語で行った。
午前の発表が終わると,国家非常事態相主催で、私たち4人を意歓迎するフォーマルな昼食会が開かれた。
立派な昼食会は驚きだった。そこでウォッカが出されたのも楽しい驚きだった。
昼食会の後は、午後の発表プログラムが17時までびっしりあるにウォッカが出た。ストレートで飲む。
私は風邪で咳がひどくて飲めず残念だった。
彼の地では、ウォッカは40%アルコールが旨いと決まっていて、店にあるのもほとんどが、そして乾杯などで出されるものはおそらくすべてが40%アルコールのウォッカだ。どこでもそれをストレートで飲む。
10月11日午前 キーフ市散策、教会訪問
午前自由時間
キーフの街をたくさん歩いた。
世界遺産を含むウクライナ正教とロシア正教の3つの教会を訪問した(略)。
キエフ WIKIPEDIA
10月11日 午後 チェルノブイリ博物館訪問
チェルノブイリ博物館 HP
→ Windows の翻訳機能が使える ウクライナ語→日本語
WIKIPEDIA チェルノブイリ博物館
博物館長と、物理学者 XX先生と、2日半、通訳として同行してくれたアントン チイヒーさんが迎えてくれた。
この博物館は100年以上前に建てられて、以前は消防署だった。
大惨事でキエフの消防士も動員されて活動した。
古い消防署の建物を提供してもらって、消防士たちが大惨事で活動した消防士仲間をたたえる記念館を作ったものが、この博物館のはじまりだ。
その後、大惨事の関係資料が集まるようになって、記念館は国立博物館になって活動を続けている。
当時の政府や行政の問題点を提示し、被曝対策などを訴える博物館の活動は、国の方針と合致しないものもあるが、活動に国から干渉はなく国から独立して自主的に活動しているそうだ。
博物館入口には数台の車が展示してある。大惨事のとき活動した車だ。
福島原発事故に関連した特別展示をしていた。
玄関を入ったホールには、鯉のぼりや、福島被災者と日本人に連帯し支援する、日本語メッセージや、福島原発事故関連資料が展示してある。
福島関連展示は博物館の展示全体の20%位を占めている。
福島原発事故以来、日本人の訪問者が増えてこれまで3000人が訪れたそうだ。
展示の説明録音は日本語も用意されていた。
とても良い説明だったので、文章化したものはないか尋ねたがないとのことだった。費用も人員も不十分なので文章化して出版する予定はないそうだ。
見学順路は、ホールから階段を上がって2階に上がる。
88の標識が階段両側の壁から飛び出して掲示されている。大惨事後住民が避難して消滅した町の名前だ。
階段の床には、赤い実をつけた、リンゴの木が沢山描かれている。
赤い実をつけたリンゴの木の展示は階段だけでなくホールにもあった。
キリスト教カソリックと、カソリックから別れたプロテスタントの解釈では、蛇にさそわれ、イブに勧められて知恵の見であるリンゴをアダムが食べたことが、人間が神を裏切った神に対する人間の原罪で、その原罪に対する罰として人は神から労働や死や、出産の苦しみの罰を与えられたということになっている。
しかし、旧約聖書は本来ユダヤ教の聖書であるが、ユダヤ教では、知恵の実であるリンゴをアダムが食べたことはそれだけのことで、神に対する重大な裏切りとは考えない。リンゴはむしろ生命を象徴するという。
キリスト教はみな、リンゴと原罪と神からの罰をセットにして理解していると思っていたが、正教(ギリシャ正教、ロシア正教、ウクライナ正教)の考え方は、ローマカソリックやプロテスタントとは異なっていて、ユダヤ教の理解に近いらしい。
リンゴは生命の象徴として展示しているようだ。
チェルノブイリという名の語源は、リンゴという言葉と関係あるという説もあるそうだ。
階段を上った正面は教会内部のような展示になっている。
被曝して消滅した教会から資料として寄贈されたものだ。
この博物館でも、他のところでも「大惨事のことは聖書に書かれている」と言っている人がいた。
新約聖書の最後にあるヨハネの黙示録のことだ。
ウクライナの人たちはどこでもだれもが「チェルノブイリ原発事故」と言わずに「大惨事」という言葉を使っていた。
階段を上って正面は教会内部の展示だが、見学順路は階段を上って右に曲がる。
この部屋は、爆発した4号炉の模型と、原発事故で活動した消防士たちの装備と、従事して亡くなった原発職員と、消防士や作業員の何百人の顔写真などが展示されている。
チェルノブイリ事故を起こした4号機は当時最新鋭で、設計をした学者は「高圧系が少ないので、事故をおこす可能性が低い、もっとも安全な原子炉だ。モスクワの中心に造ることも可能だ」と言っていた。
アメリカのスリーマイル事故があった時も「事故はアメリカの原子炉だから起きた。ソ連の原子炉ではあのようなメルトダウン事故は起きない」と言っていたという。
高圧系がないことは事実であっても、その他いろいろな点で、欧米の安全基準では基準以下のところがあったと後でわかった。
以上は展示の説明。
以下は同行してくれた青年物理学者アントンさんの説明。
「核分裂反応は核燃料の間に制御棒を入れてコントロールするが、制御棒の先端20cmの構造は、これを燃料の間に入れると逆に核分裂反応を促進してしまう構造であることが、大惨事の2年以上前にわかっていたが、改造せずに事故まで放置されていた」という。
事故はこうしておこったらしい。
「原子炉の安全性をテストするために、出漁定価作業中の原子炉で、安全性を見る実験をするように指示された。出力低下中の実験ということがまず危険だったらしい。一方で別の指示系統から、電力が不足しているので発電を続けるよう指示が出た。
両方を同時に行うマニュアルはないが、当時のソ連は上級が決定したら、下級の人は異論や議論をすることは困難で、すれば、人事権を使って、不都合な部署に左遷されるという状態だった」という。
健全な発言や議論が自由に安全にできない状況は今の日本とよく似ている。
しかも、核分裂反応を抑えようと、制御棒を入れると、ことにゆっくり入れると、核分裂反応は抑制されるのではなく逆に促進してしまうという構造的な欠陥があった。
このような中で事故がおきた。
爆発したが想定外の事故で、想定されたマニュアルもなかった。
技師たちは、避難するか、事故現場にとどまるかを考えたが多くの技師は留まって、猛烈な被曝を受けながら事故終息のために活動した。
事故を起こした4号炉と3号炉は隣り合って共通の建屋の中にあり直接つながっている。技師たちは、3号炉と4号炉の配管を遮断し、これによって3号炉が爆発することを回避できた。
4号炉は核燃料がメルトダウンして冷却水を沸騰させて水蒸気爆発を起こした。
次には、核燃料容器のジルコニウムが水と反応して大量の水素ガスが発生して、水素爆発おこることが推測された。これも懸命な配管遮断を成功させて、次に起こる水素爆発を回避させたと説明されていた。
その後黒煙が燃える火事の消火や、メルトダウンした燃料が地下の水に接触して再び水蒸気爆発を防ぐために地下の水を除く原子炉直下までのトンネル工事などを行うためにたくさんの人が動員されて被曝し、その後たくさんの人が死亡したり重篤な健康障害を残した。
事故のさらなる拡大がないところまで終息させた後、事故の原因究明が課題だった。
原子炉を運転した技師の数人が、判断ミスをしたために事故を起こしたとして、裁判にかけられて、10年の禁固刑を受けた。やがて、この技師たちの名誉は回復されて、5年で釈放になった。
原発の構造的欠陥を放置した幹部、事故につながるような指揮系統を作り運営した幹部、恐らく無謀な指示を出した幹部の責任は全く問題にされなかったという。
広島・長崎原爆の展示もあった。
たくさんの展示を見て、最後に玄関入口に続くホールに戻り、福島原発事故関係の展示を見た。
福島の被災者と日本人への励まし、連帯、支援の精神に満ちていた。
南相馬市の地図が掲示されていた。南相馬全市を500mの方眼で区切って、すべての方眼の空間線量を測定し色分けして表示してあった。
私はこのような、詳細な汚染地図が存在していることを知らなかった。
だれがどのようにしてこの汚染地図を作ったのかを私は館長さんに尋ねた。
以下は館長さんの説明だ。
「福島原発事故が起きるとすぐに、チェルノブイリの汚染地区の人々は、励ましと支援活動をした。
その一つが、募金活動をして、放射線測定器を130台、日本の被災地に送ったことだ。
日本のチェルノブイリチューブの人たちが協同した。
贈られた測定器を使って、南相馬の人たちは自分たちで測定してこの詳細な汚染地図を作った」という。
福島原発事故が起きると、汚染地域で役立つようにと、世界の各地から事故後数日の短期間に4万個の放射線測定器が日本に贈られた。
これを早く使えるように要望が出たが、国は汚染地域に配って測定や対策に役立たせることをせず、最後まで成田空港の倉庫に保管したまま、被災地で使わせなかった。
贈ってくれた人々と、被災者に対する背信行為だ。
ウクライナの人たちは経済的に貧しい。その人たちが、募金をして贈ってくれたことに私は感謝し感動した。
同時に、世界から短期間のうちに贈られた測定器を被災者のために使わせず、報道を規制して「あわてるな、心配するな」と繰り返し、自主的対策や避難を妨げ、被爆を拡大させた日本政府と行政、日本社会のことの両方を考えて涙が出た。
ウクライナから送られた測定器は南相馬の被災者に直接届けられたから役立った。放射線測定器を、日本政府に託していたら使えなかった。
日本はなんという国だ。
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この訪問でわかった、考えた事、評価したこと、新たに気付いた問題点、解決できないまま今後の問題意識として残っていることなどを、後日追加する予定です。
→ 同行した大山弘一さんのブログ
②ウクライナ報告 コルストン市、ルグニ町
10月8日、9日 コロストンン市、ルグニ町訪問
高校教師ユーリーさんがコロストン市とルグニ町の沢山の地域と施設訪問と沢山の方たちと面会、質問する機会を準備してくれて、丸2日間同行してくれた。
コロストン市はチェルノブイリ原発から西に直線で110 km。
市街地を約1時間散策した。市庁舎や、ウクライナ正教会を遠望。整備されたかなり広い公園を少し歩いた。
市庁舎前には、今もレーニン像が立っていた。
ウクライナ風ホテルに2泊
独立した昔の民家風の木造建築。1棟3人ずつ2棟に6人宿泊した。
構造の基本はログハウス。丸太を横向きに積み上げて壁にしている。
元NHKディレクター 馬場朝子さんと、このホテルで合流し交流と意見交換をした。
馬場さんは NHK・ETV特集 「チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告(2)ウクライナは訴える」をコロステンで取材し2012年09月23日に放映された。
この時の取材の様子はNHKディレクター 山内太郎氏との共著「低線量汚染地域からの報告」として出版された(NHK出版)。
(追記:馬場さんがこの時取材した、トNHKETV特集「原発事故 国家はどう補償したのか~チェルノブイリ法23年の軌跡」 が2014年8月23日、放送された。多くのことを知り考える材料を提供する優れたドキュメント。私も画像出演している)
馬場さんは、熊本の高校を卒業後、モスクワ大学に入学、卒業後1977年NHKに入社。
主にソ連やロシア関係の番組制作や取材をし、2011年NHK退職し独立して、現在は制作した番組をNHKに提供している。
今回は「チェルノブイリ法」取材のためウクライナを取材中だ。
彼女とプシュパラール先生が交流があり、今回コロステンでの意見/情報交換となった。
リハビリテーションセンター訪問
知的障害を含む障碍者のためのリハビリセンター
チェルノブイリ事故と直接関係ないので省略
ルグニ町訪問
チェルノブイリから西に110kmのコロステン市からさらに西に約20kmの町。
コロステン市より放射能汚染が強い。
990km2。人口 17000人 事故前36000人。
町全体が、自主的避難の権利があるゾーン3で、その中に強制避難のゾーン2の地区が4つある。
町の人口は現在も毎年500人ずつ減っている。
人口減少の約半数が移住による減少で、残り約半数が出生数と死亡数の差による自然減だという説明だった。
平均寿命も低下し、死亡率も増えているが特に出生数の減少が著しいということのようだ。
ウクライナ全体が平均寿命短縮と出生率低下の傾向があり、国全体の人口も減少し続けている。
ルグニ町の役所訪問
敬意訪問の予定だったが、副町長と、社会保護部長ともう一人3人の方が歓迎して迎えてくた。
町の現状説明や約2時間質疑応答をしてくれた。
副町長ともう一人の方は気さくで好人物だったが3人目の方は、身なりもきちんとして、威厳を持つ表情で、昔のソ連の官僚はこんなではなかったろうかと思った。
しかし話し始めると、威圧的や権威を示して抑圧しようということはなく終始、的を外さない質疑応答と友好的で快適な良い対話をしてくれた。
行政のこの3人の方だけでなく、学校の生徒でもどこでも共通で気持ち良い言葉の往復ができて快適だった。
質問して的を外さず的確な回答はここだけでなく、今回ウクライナ訪問であった人たちはずっとどこでもそうだった。
このような対話、回答の仕方は一夜漬けではできないことだ。
私たちの質問に的確に答えてくれた。
病気のことなど具体的なことはわからないので、この後の病院訪問で聞くようにと勧めてくれた。
回答に必要な時はその場で資料を取り寄せて資料を直接見せてくれて、説明してくれた。
町全体が自主は何移住の権利が個人に認められているゾーン3地域だが強制移住のゾーン2の強制移住地区が4つある。
このゾーンわけに基づいて放射能対策と被ばく者補償をしている。
しかしゾーンが指定され、強制移住や自主的移住権や被爆者に様々な補償をする制度が出来上がったのは大惨事後3年以上たってからだ。
ゾーンの設定は1989年にソ連で制度を作った当時の空間線量・被ばく量で決めた。
ゾーン制定当時の年間被曝5ミリシーベルト以上をゾーン2 強制移住地域、1~5mSvは自主的避難の権利がある地域と決め対策が始められた。
しかし、ゾーン決定とそれを基準にした対策が開始されたて1年しないうちに、ソ連が崩壊した。
社会システムと経済が混乱しソ連の後ろ盾を失った状態で、1991年から放射能対策はウクライナ政府が行っている。
現在の空間線量は、制定当時より低下しているが、ゾーンが決められた後はゾーンの変更は行わず、空間線量が減った今も対策や補償格下げをおこなわずに当時の汚染レベルに基づいたゾーンわけに基づいて対策が行われている。
制定当時年間被曝5ミリシーベルト以上は、ゾーン2、強制移住区域、年間1~5ミリシーベルトはゾーン3で個人の意思によって移住が認められる移住の権利がある地域と定められた。
移住する場合は、新たな住居や移転費用は全額補償される。
しかし、新たに職を探すなどの保証などは十分にはされなかったようだ。
避難移住する場合は、国が住居を買い上げる。
この買い上げ価格に国が新たに負担して移住先住居を保障する。
ウクライナ政府によるチェルノブイリ被ばく対策は1991年から始まった。
92までに3年以上汚染地域、ゾーン1,2,3の地域に住んでいた人を補償・保障する制度。
住居保障 住居保障 自分で選んだ場合は上限がある
一人当たり13.05m2 + 10.5m2/家族
月200円食費補助と燃料費の50%
29000人が17000 に減った。昨年は500人が減りその50%が避難移転
ゾーン2 強制避難地区。ルグニ町内に4地区ある。人口はそれぞれ200人~300人程度だった。
1地区は全員避難移住し、現在人はいない。
他の3地区は移住拒否者が13人~35人くらいが残って今も住んでいる。
避難移住下がその後戻ってきた人もいる。
ルグニ町で癌と甲状腺疾患は日常的だという。
昔と比べ、老人の病気が若い人でも起きる。老年病の若年化。子どもの病気が治りにくくなっている。詳しいことは病院で聞くとよいと言っていた。
7~18歳は サナトリウムに年25日~6週間くらい保養に行く権利があり、70%が毎年参加している。
6歳以下は親の同伴が可能。無料。世界の募金と基金で運営している。
サナトリウムで保養したときに療養と、診断、必要あれば治療を受ける。
ここで見つかる異常は多い。
町民全員に年1回、ホールボディーカウンターで内部被曝の検査をしている。
質問すると何度も必要な書類を取り寄せて説明してくれた。
いくつか質問すると、全員の個人の生データーリストを見せてくれた!
1ページ40人分くらい
時間がなかったので3~4ページをざっと見た。正確に記録さず、おおよその感じでは、
成人のホールボディー計測値の70%くらいは900~4000Bq。 。
500以下は1割程度しかいない。
半数は2000~3000Bq 以上。
6000以上も2~3割くらい。
みせてもらったページにはなかったが、最高は153000Bq !ということだった。
大人で2000Bq であれば20Bq程度のセシウムを毎日摂取していると推測される。
当初(1991年)の許容基準は19000Bq だった。
その後基準は大人は13200Bq、子どもは8200Bqに下げた。最近は3000以上は注意としているとのことだ。
食品規制をしているが、森でとってきて食べるキノコやベリーや自家菜園は規制できないと言っていた。
基準値そのものが高いが、それも守られていない。
ソ連が崩壊すると、コルホーズ、ソホーズという大規模集団ぬ上も解体された。
現在の農村は、大規模な商品作物栽培は少なく、私が見た範囲はすべて自給自足的農村だった。
農民はほとんど自給自足的な食品を食べている。さらに近所の山に行ってベリーやキノコを採って食べる。
貧しくて食物をあまり買う余裕がないという面もあるが、ウクライナの人たちは、山に行ってベリーやキノコ採りをすることが好きだ。
採れたら、格別のものとして喜んで食べ、友人にもプレゼントする。
昭和30年ころの穏やかな日本にそっくりだ。
商品流通に乗らないこのような山の幸を規制することとは難しく、経済状態やキノコ採りが大切な文化になっている中ではさらにそうだ。
市場を通さない農作物や山菜摂取がセシウム内部被曝の主因だ。
福島市や郡山市より汚染が軽いルグニ町のチェルノブイリ事故28年の現実だ。
系統的全員検査ではないが、福島でのホールボディーカウンターの値は幸いにもこれよりはるかに低い。
これは国が食品を厳しく規制しているからというよりは、日本では農業地帯での自給自足的な食生活や、山野で採取した食物摂取が低いことと、消費者と食品業者が、政府が出したセシウム食品基準 100Bq/kgによらず、それよりずっと低い値の食物を選んで消費や流通させていることが大きな要因と考える。
政府基準の100Bq/kg の米を毎日200g 食べると 全身ではおおよそ2000Bq になる。(米飯として食べるときはは精米しといでから食べるのでこれより低くなる。1日2食米飯を食たり、せんべいや米粉を材料にした食品を食べると米摂取はもっと多い)。
通訳に同行してくれている若手物理学者アントンさんは以下のように言っていた。
キノコやベリーはむかしから日常生活の一部になっている。
摘んで自分たちでも食べるが、買付業者に売る。
良い稼ぎになる。この収入を生活費などに当てている。
その場で果物などは、棒状の放射線測定器を差し込んで測定する。
基準値以上の場合、ブルーベリーは食用ではなく染料、インクの材料として買い付けられている。
ルグニ町の学校訪問
義務教育の6歳から17歳まで11学年の生徒が同じの学校で学んでいる。生徒数250人の学校。
最高学年のクラスの授業を中止し、校長先生をふくむ4人の先生とともに私たちと交流する集会を開いてくれた。
私たちは制限なく何でも質問できた。
私たちのメンバーから出された質問で、原発をやめるべきと答えた生徒が半数、代わりの電源を造るまでは原発はやむを得ないが半数。原発を積極的に進めるはゼロだった。
将来、健康などに不安があるかについてはほぼ全員が不安だと答えた。
生徒たちからも、私たちにも質問が出た。
私には、福島の被災者に日本政府はどのようなことをしているかという質問があった。
授業を討論会に振り替えたり、自由に発言や質mぉんが出たりということは日本では考えられないことだ。
生徒たちは感情的な言葉を使わず、自分の状況の説明と自分の考えを、しっかり丁寧に友好的に発言した。
二人の少女の発言は特に印象深かった。
集会後、校長室で先生たちと30分ほど懇談した。
「生徒たちにとって癌や様々な病気は特別の話題ではない(ほど多い)。一昨年は白血病がふたりでて、一人は死亡した。
昨年から今年の1年間ではがんが2人見つかった。
がんがみつかった2人とも先ほどの会に参加している。これから会って話しても構わない」と校長先生が言った。
お願いすると、二人の少女を呼び、紹介したあとで「教師生がいると話がしずらいかもしれない」と言って先生方は退席されて、私たちは16歳または17歳のふたりの少女と話した。
ふたりともとても聡明だ。彼女たちは親友であるらしかった。
一人はサマーキャンプで甲状腺がんが見つかって手術をうけた。
甲状腺ホルモンが作れなくなったので甲状腺ホルモンを現在も今後もずっと服薬し続ける。
転移して残っているかもしれない甲状腺がんに対して、放射性ヨウ素I-131で服薬治療を続けていると言っていた。
原発事故で放射性ヨウ素を内部被曝すると被曝した人の一部に甲状腺がんができる。
放射性ヨウ素で甲状腺がんを治療するというのは、服薬した放射性ヨウ素から出た放射線を浴びた甲状腺がんが残らず死滅するだけの大量の放射性ヨウ素を内服する。
原発事故による放射性ヨウ素祖による内部被曝よりも桁違いに多い量を服薬して内部被曝させて甲状腺細胞を死滅させる。
これが甲状腺がんに対する放射性ヨウ素を使った治療だ。
彼女の今後の人生は、それだけの被ばくを受けた体とともに存在する。
もう一人の16または17歳の少女は、骨格筋の悪性腫瘍(肉腫)ということだ。
現在抗がん剤治療を受けている。
面会後知ったことだが、抗がん剤治療のため、頭髪はぬけてかつらということだった。
骨格筋肉腫は甲状腺がんと違って生命予後は悪い。今後何年も生きるのは難しいだろう。
ふたりとも自分の病気を理解している。
今後のことも理解していると思う。
そのような二人が、自分の状態と自分の考えを感情的な表現や投げやりなところはなく、まっすぐにしっかりきちんと話した。
(追記:骨格筋 肉腫の少女アンナさんは2014年5月に亡くなった)
悪性腫瘍頻度があまりにもおおいので、平均して毎年2人悪性腫瘍がふたりみつかることは想像しにくいが、ひとまず毎年ふたり見つかると仮定して考えると以下のようになる。
250人の中で毎年ふたり;2/250= 0.008 (0.8%)
ひとりの子供は11年間在籍するから、11年の間に悪性腫瘍が見つかる可能性は0.008 x 11 =0.088
子供は11年の在学中に悪性腫瘍になる可能性は 8.8% (10000人に880人) !
ガンは1つの細胞からはっせいし、診断される大きさになるまで多くは10年以上かかることをかんがえると卒業後数年間に見つかる可能性も高い。入学前に発症することもありうる。
これらを総合すると10% 以上の子供が成長期に悪性腫瘍になる計算になる。
日本で18歳までに悪性腫瘍(がん + 肉腫 + 白血病)になる頻度は1万人に1~2人である。
ことを単純に比較すると1000倍になる。
子供の10% が悪性腫瘍になるのはあまりにも多すぎて信じがたい。おそらく私たちが聞いた2年間は特別多かったのではないかと想像するが確認できていないので不明である。
毎年の悪性腫瘍が平均すると仮にこの1/4、つまり2年に一人だったとしても100人に2.5人ということになりこれでも極めて高い。
上述したように、福島でおホールボディーかうんたーによる内部被爆値は、ルグニ街より明らかに低いので、ルグニ街と比べると被曝による健康障害はル具にまちより少ないとすいsくできる。
しかしる具に街の子供の悪性腫瘍は極めて多いのでそれより少ないとしても、注視すべきである。
子供たちに汚染食物を与えない取り組みが重要である。
ルグニ中央病院訪問
チェルノブイリ大惨事前から勤めている男性病理医師イワンさんと女性内科医師・副院長が対応してくれた。
約1時間質問し、話しをした。
「病院がカバーする人口はルグニ町17000人。95床。医師28人、内科医2人」。
病院の診療圏:人口17210人、990平方キロ
95床。内科医 2人全医師28人。
検査室 簡単な血液検査、尿検査しかできない。
赤血球白血球血算と血液の簡単な生化学検査 1日約100人
胃カメラ検査は毎週他の病院から来て検査しているようだった。
国が貧しく、心電計やレントゲン機会も40年前のものを使っている。
気管支鏡など高度の診療は行っていない。問題がある患者は高レベルの病院に紹介する。
女性副院長と、大惨事当時を知るふたりの医師の説明を聞き質問をし、答えてもらった。
医師が説明してくれたのは、この病院についてのことだ。
高汚染地域全体や、ウクライナ全体のことについては話題にしないまま終わった。
説明してくれたのは、大きな母集団を分析した統計ではなくこの病院で原発事故当時から働いている医師として、この病院で治療した患者全体についての記録と、診療を行ってきたイワン医師の印象だ。
1986年4月26日大惨事直後の記憶。イワン先生の話.
「4月28日、ピクニックに行って、ソーセージの上にほこりのようなものが落ちてきた。空に雲のようなものが見えた。
外国放送などで事故を知ってからも人々は無頓着だったが、官僚の家族が避難したのを見て初めて不安になった」
「大惨事のあと、癌が2倍に増えた。死因の中で癌は4位から2位になった。
昔はなかった癌が出ている。甲状腺がんが0から2例、白血病が0から多数、悪性リンパ腫は2年で3人。癌以外の甲状腺疾患も増えた。甲状腺結節が0から多数に増えた。
平均寿命が約10年短くなった。
健康な子供が激減した。気管支炎など、子どもの病気が治るまで時間が長びく。
老人の疾患が若い人で起こるようになった;疾患が若年化した。高血圧など循環器疾患や糖尿病、骨や軟骨の疾患が増えた」と言っていた。
「IAEA は、長期的影響は若年者甲状腺がん以外の放射線被ばく障害を認めていないが」と質問した。
イワン医師は「疾患は増え、若年化し内容は明らかに変わっている。IAEA は正しくない」と回答された。
その後病院内を見学した。
入院している病室の中まで入って見せてくれた。
検査室とレントゲン室も見た。
検査室では簡単な血液検査と尿検査しかできない。
レントゲン機械は2台とも40年前のドイツ製だ。
レントゲン設備に高感度モニターはなく解像度が荒い昔のテレビかフィルムに撮影されたものしか見ることができない。
そのため画像も悪く、詳しい検査はできない。患者も医師も被ばく量が多いはずだ。
古い機械なのでメインテナンスのため1日おきにしか使えないと言っていた。
「ウクライナは経済的に貧しいので検査機器が買えず40年前のレントゲンと心電計を使ってる。簡単な血液検査と尿検査程度しかできない。問題ある患者が出たらキエフ等の大病院に紹介する。日本から心電計や簡易型の血糖測定器や尿試薬など援助してもらえたらありがたい」と医師は言っていた。
翌日ルグニ中央病院を再訪問しこの二人の先生と昨日の続きの質疑をした。
イワン医師は、ルグニ病院の過去のすべての悪性腫瘍の記録を自分のノートに控えていた。
大惨事前の20年間と、大惨事後のたくさん種類がある悪性腫瘍患者の統計まとめており、それを持参し見せてくれた。医師からそのコピーをいただいた。
大惨事以降、がん死2倍。死因の4位から2位に
甲状腺がん 0から多数
白血病 0から多数
甲状腺結節 0から多数
その他20以上の悪性新生物の大惨事前後の発生数比較など。
「気管支炎や消化器病など、子どもの病気がよくなるのが長くかかる。
老年病が早い年齢におこるようになった」
小さい病院の内部データだけについての話。
Q: 内部被曝規制が甘すぎるのではないか?
事故当時だけの被ばくではなく、現在の被ばく、特に食料による内部被曝も現在の健康障害に関与しているのではないか?
甲状腺がんだけを認めるIAEAの考えをどう考えるか?
回答「現在の内部ひばくも関係ある。IAEAの評価は正しくない。森で採取したり、売買を通さない自家作物は規制がむずかしい」
ゾーン2強制避難地区訪問
自主的移住の権利と補償がされるゾーン3のルグニ町とルグニ町内にある強制移住のゾーン2の4地区のうち3地区を2日かけて訪問した。
強制避難と指定された4地区の原発事故前の人口は各2~300人だった。
強制避難の4地区のうち1つの地区は全員が集団避難して現在は無人。
他の3地区は13人から35人の住民が現在生活している。
ゾーン指定されたときに、移住しなかった人が多いが、移住してから戻ってきた人もいる。
大惨事後、1つの地区は集団で移転して新しい集落を作りその後はずっと無人だが、他の3地区はそれぞれ現在13~30数人が住んでいる。
初めから移住しなかった人が多いが一時移住した後戻ってきた人もいる。
強制移住に指定されたゾーン2の3地域は全員が、年金と様々な補償金と補償施策と、自給自足的農業をして暮らしている。
それぞれの地区に看護師がいて、頼りにされている。
看護師は外から移住したのではなく、もともとその地域に住んでいた看護師や、住人が看護資格を取った人たちということだった。
公営バスが町まで運行されている。
電気は通じている。水は井戸。電話は携帯電話を使っている。
暖房や調理などの燃料は一部まきも使うが基本的には石油。
家畜用や農作業関係、戸外などでは、山で採ってきたまきを使っている。
石油や必要な商品は携帯電話で注文すると町の商店から配達してくれる。
汚染されたゾーン2とゾーン3の地域に住んでいた人には、額は多くないが、移住してもしなくても、生活や医療や様々な補償と年金の優遇がある。
燃料代と電気代の50%が補償さる。
これで質素な生活は可能だと言っていた。
第2ゾーン(強制避難地区)に指定された時、人々は「すでに大量被曝を受けているので今更避難しても価値は低い。だから避難移住するのではなく、それぞれの集落に保養や義楽施設を作って快適な生活環境を整備するほうが住民の利益になるのではないか」という意見が住民にも行政にもあった。
そのための施策として例えば200数十人の村にナイトクラブ(という表現をしていたが、村人が気楽に集まって飲んだり話したりできるパブや喫茶店のようなものと思う)やその他の娯楽施設を作って、生活を快適にする施策の方が良いという考えで、ナイトクラブをはじめ具体的な計画もされたそうだ。
しかし最終的には強制避難の方針となったという。
訪問したゾーン2の地域で空間線量は毎時0.33μシーベルトを一時示したが、その後は0.07~0.25μSv/hrで、想像していたよりずっと低かった。3か月前郡山市を訪れた際、除染された公園で常時測定し表示されていた値が0.25μSv/hrだ。
森の中に入っても大差なかった。
道路のすぐわきは広葉樹の森で、紫のブドウや、緑と真っ赤なリンゴが沢山実っていた。
51歳男性はここで奥さんと年金と自給自足で生活している。
子どもや孫たちはキーフなどに移住した。
この人の弟さんは、先日避難先で亡くなって、村に埋葬した。
避難した人の住居や生活費のなにがしかは保障されるが、「新しい環境や仕事探しで苦労したり精神的な苦痛やストレスもあり、無理してかえって健康も壊している」とこの人は言っていた。
ゾーン2で暮らし続けている人はみな同じ考えのようだ。
被曝地域の男性は普通より若い51歳から年金をもらう。女性はさらに若いうちに年金が支給される。額は低いがいろいろの手当てがあり基本的には自給自足なので、つつましい生活はできる。
会ってお話をした強制避難地区に住んでいる方は5~6人だけだったが、顔つきも皮膚も皆65~70歳くらいにみえた。しかしみな50歳代前半だった。
この人たちが偶然、年齢より老けて見えたのか、被爆の影響で老化が進んだのかわからないが印象的だった。
空間線量はさほど高くないが、自家栽培の食物は汚染されているようで、これを毎日食べている。
翌日も別のゾーン3、強制移住地区を訪問し、大惨事直前に新築したという立派な家に入れて歓迎してもらった。
自家製ウオッカや野菜サラダ、キュウリ漬物、豚脂身の塩漬け(ウクライナの郷土料理)、ビンに保存していた山で採ったキノコ料理など、歓迎してくれていろいろだしてくれた。
ウオッカと豚脂身塩漬けはいただいたが、キノコはいかにも放射線が高そうなので遠慮した。
「(こんなゆっくりできるなら)昨日奥さんと山に行ってたくさんキノコを採って来るのだった」と残念そうに言っていた。山にキノコ採りに行くことや、山で採ったものを近所の人や客、知人に提供することはウクライナの人にとって、楽しくうれしいことのようだ。
日本外務省関係で通訳している、キエフ在住の二本松出身の女性は「今年は雨が多く、山のキノコが豊作なのでキーフの人は喜んでいる。私もキノコ採りに行こうと誘われた」と言っていた。
消費生活レベルは貧しいが、激烈な苦痛や不安が少なく、穏やかで温かい生活感覚や、生活レベルは、昭和30年ころの日本の穏やかな農村ととても似ていると思った。
バスが運行されていて町に行くにはこれを利用する。
電気は供給されている。テレビも見ることができる。
携帯電話で注文すると町から商品を車で届けてもらえる。
暖房や調理の燃料は基本的に石油だ。
農作業や家畜のえさ準備やその他の家の外で使う燃料はまきを使う。
ゾーン2かゾーン3に住んで被ばくした人たちは移住してからも、燃料代と電気代が50%補償される。
ルグニ町は人口は激減したが美しい。汚染された環境の中で、人々は穏やかに暮らしているとように見えた。
夕食
1日同行してくれた・・さんの知り合いの、街道に一軒だけある粗末な小さな食堂に招待してくれた。
街道を通る車の運転手が食べる食堂。売店を兼ねる。
自家製ウォッカを自宅まで取りに行ってごちそうしてくれた。
ビートから作った砂糖に酵母を入れて法治すると2週間で酒になる。それを蒸留する。
全て家で行う。大体うまくいくが時に、アルコール度が十分上がらず失敗することがある。
豚脂肪の塩漬け。豚脂肪の塊を塩漬けあるいは燻製にする。刺身のように切って食べる。
ジャガイモ つぶしてペースト状にして皿に波型に盛りつけたものと、ハンバーグのようなもの。
ボルシチ 家庭や店で非常に違う。
赤い色は、ビート大根の色。ビート大根、表面だけでなく中まで赤い。
自家製ウォッカ 砂糖に酵母を入れ2週間で発酵しこれを蒸留する。家庭で作る。
酵母がよくないとたまに失敗しアルコール分が低いものができ、これは捨てる。
(2014年8月24日修正)
①ウクライナ、チェルノブイリ訪問報告 序
はじめに
東北大学大学院国際文化研究科 教授 プシュパラール ディニル 先生のチェルノブイリ・福島プロジェクトの一環として、2013年10月5日から10月13日まで、フクシマ・チェルノブイリワークショップ参加を含め、チェルノブイリ原発事故に関係して、ウクライナを訪問した。
メンバーは
・プシュパラール 先生。東北大学大学院国際文化研究科 教授
・福本学 先生。東北大学加齢医学研究所教授
・大山弘一さん。 南相馬市議、元高校教師
と私、岡山博 仙台赤十字病院医師の4人
放射線被曝や被ばく対策、原発についてなど、それぞれ考えが異なる4人のメンバー。
私は1日遅れて10月6日出発し、キーフ(キエフ)で合流した。
日程
10月5日 先発隊出発
10月6日 岡山博出発。先発隊に合流。キーフ泊
10月7日 チェルノブイリ原発訪問 (コロストン市でウクライナ風ホテル宿泊)
10月8日コロストン市リハビリセンター、ルグニ 町周辺の現地調査:自治体関係者、ルグニ中央病院、強制避難地区 (コルストンで宿泊)
10月9日 コルストン「Koroston 市と, ルグニLugyny 町周辺の現地調査:ルグニ学校、ルグニ中央病院(再)、別の強制避難地区、田舎の街道沿いトラック運転手のための小屋のようなレストラン (キーフ泊)
10月10日 (午前は自由。私は教会めぐり)。午後、キーフチェルノブイリ博物館 (キーフ泊)
10月11日10時~17時 フクシマ・チェルノブイリワークショップ(キーフ泊)
10月12日 キーフ出発
I.ウクライナの私の基礎知識と訪問して追加した知識と印象
ウクライナは面積と人口はフランスやドイツ、スペインに匹敵するヨーロッパの大国。
首都はキーフ(キエフ)。
ウクライナのほぼ全体が北海道より北にある。
南部の一部が黒海に面しているが、地中海や太平洋などの大海には面していない。
独自の通貨、独自のウクライナ語を持つ。
面積 日本の1.6倍。山地は西の一部にあるだけで、ほとんどは広大な平地と台地。
1970年代ころまでは世界的な大穀倉地帯だった。
人口 1986年チェルノブイリ原発事故当時約5000万人
チェルノブイリ事故後、現在は約4600万人に減少し、減少傾向は今も続いている。
歴史 東ヨーロッパ文化の誕生がキーフだった。世界の歴史でキリスト教布教の多くが侵略と強制による布教がほとんどだが、キーフは自主的に検討して選択してギリシャ正教を選び学び受け入れた。
これがやがてビザンチン帝国滅亡後、モスクワを第3のローマとして活動した正統キリスト教(ギリシャ正教→ロシア正教)の母体となった。
その後ウクライナはポーランドやロシアの勢力のもとにおかれるなど複雑、困難な歴史がある。
ロシア革命後はソ連邦の中のウクライナ共和国として存在したが、白ロシア(ベラルーシ)とともに、ウクライナはソ連邦とは別に国際連合に加盟していた。
ソ連時代、ことに70年代までは世界的穀倉地帯。鉄鋼・炭田をもとに製鉄業など鉱工業も盛んだったが鉱物資源は次第に枯渇して鉄鋼業その他、経済は全般的に後退した。
ソ連時代後期は全般的に経済が停滞し、ソ連崩壊後、さらに経済を含めた社会全体の混乱後退があり、独立当時のレベルに回復していない。ソ連時代と比べて、名目GDPも70%程度と現在経済的には豊かではない。
大学卒20歳代大学卒で月収数万円。現在国民の収入や消費生活水準は日本の20~30%くらいか。
官僚によるわいろ社会が横行しているということだった。
ほぼ公然とわいろが要求され、わいろを出さないと、許認可権を使って仕事ができなくさせられるなどの例を、日本人の通訳の方が言っていた。
ウクライナ独立後も、ソ連時代の考え方や制度は残っているものが多い。
医療と教育は無料というソ連時代からの理念を今も維持している。
医療は無料という理念はもっているが、経済的余裕がないために、不完全だ。。
病院に通院、入院して検査や治療は無料で受けられる。
しかし、薬は処方してもらって薬局で自費で買わなければならない。
新しい薬の多くは輸入品で高価なため、だれもが買えるようにはなっていない。
地方の医療レベルは低い。私が訪問した町の病院の印象は以下のようだ。
資金がないため、検査機器がない。検査試薬も少ない。
レントゲンと心電図は40年前の機器を使っている。
レントゲン画像を高解像度モニターで見られないため、画像解像度も悪く、患者も医師も技師も被ばく量が多い。精密な検査はできない。メインテナンスのため週3日しか使えない。
検査室では簡単な血液と尿検査程度しかできない。日本の地方病院の40年前の様子と似ている。
古くなった検査機器を日本から援助して送ってもらえたらと、医師は言っていた。
教育
義務教育は6歳から11年間。
教育は幼稚園から大学、大学院まで無料。さらに奨学金がある。
「教育程度は高い。日本の大学院生ができないようなしっかりした発言を高校生がする。アメリカの一流大学から、優秀な学生を探しにウクライナに来る。そのようにしてアメリカに渡ったウクライナの科学者がすでに5人ノーベル賞をとっている。その時国籍はウクライナではなくアメリカになっている」と、今回訪問のリーダーであるプシュパラール先生が言っていた。
今回高校生を含む多くの人と会話して、なるほどそうだろうと了解した。
今回のウクライナ訪問でたくさんの人と会い、会話した。
必ずしも高等教育を受けた人たちだけではない。
会って話した人の中で、高等教育を受けた人々では、医師、学校の先生や校長先生、若い物理学者、行政の幹部、チェルノブイリ博物館館長、今回の訪問を準備してくれた物理学者、高校の先生、リハビリ施設の先生など。
会話というほどではないが、学会や国政の幹部の方とも会った。
必ずしも高等教育を受けていない人では、高校生、強制避難地区の住民、田舎のレストランの方、チェルノブイリ原発の案内人の方など。
だれと話しても、ごまかしやあいまいさがなく、おだやかなことばできちんとした言葉を使って話し、正統な対話と質疑応答ができた(日本ではほとんどできない)。
(Wikipedia ウクライナ)
ウクライナ訪問記 : チェルノブイリ、キーフ(キエフ)
「ウクライナの放射能対策について、避難移住は強力に行ったが汚染食品制限は不十分だ。食品の放射線規制を強化すべきではないか」という問題意識をもってウクライナを訪問した。
今回の訪問でおそらく答えが出ると思う。
汚染食品制限を厳しくすると農作物のどれだけをやめることになるのか、汚染されていない食品を供給することが経済的に余裕がないウクライナやベラルーシでは難しいことがわかる。
今回の訪問中、ワークショップや機会を見つけて、専門家や関係者と質問や議論をしたいと考えています。7日から3日間チェルノブイリと周辺を訪問予定だ。
10月6日 キエフ到着
先発の3人は10月5日仙台発。私は1日遅れで10月6日 8時5分仙台空港発、成田、モスクワ経由で現地時間19時40分キーフ空港着。
キーフ空港からバスでキーフ駅に向かう。車内で約30歳の男性が話しかけてくれた。コンピュータ関係の仕事をしていて韓国滞在経験があり英語が通じる。
質問されて、チェルノブイリなど訪問とワークショップの目的と、正教の教会などを訪れたいが時間に余裕がないと話した。
「教会はほとんど行かない。自分は科学者だから宗教を信じておらず無宗教だ」と言っていた。正教の教会に通う人が多いかと想像していたが、後で調べたら、ウクライナ人の70%が無宗教らしい。
キーフ駅から大通りを歩いてホテルに向かった。キーフ駅前の大通りだが通行人は数えるほどと少なく、危険な感じは全くなかった。日本の旅行会社でもらった地図がわかりにくく、道を尋ねたかったが人通りは少ない。
旅行会社の地図がわかりにくく少し迷って15分くらいかかってホテルに着いた。
ウクライナ語表記はキリル文字からローマ字に移行中だと何かで読んだが、ウクライナ語表示は見た範囲はすべてキリル文字だった。ローマ字表記は外国の店の表示くらいだった。
後で尋ねてみたが「キリル文字からローマ字に移行していることはないだろう」とウクライナの人が言っていた。
街路や公共施設とともに、町のいろいろな看板や表示はロシア語ではなくクライナ語で表示されているようだ。
意味は分からなくても、キリル文字のロシア語読みは知っていたので、地名や建物などの固有名詞や、英語など外国語や外国企業名をキリル文字で表記した外来語がわかり予想外に役立った。
キリル文字初めての実体験。ちょっとうれしい。
ホテルに18時無事到着。先発の3人に無事合流した。
ピシュパラール先生がホテルの玄関前で待っていてくれた。
のんびりあるいてきたので恐縮した。
ホテルWiFiを使ってメモを書いたが、途中でトラブル。ホテルのWiFi システムのトラブルとわかった。
明日専門家が来て直すということがわかったが時間を浪費した。
夜中、ホテルのそばの24時間営業のスーパーマーケットに行った。
日本の大手スーパーと比べても農作物。畜産物や乳製品など食材が量も種類も豊富で、放射能汚染を考えなければ、高品質で安い。
ウクライナで生産されない、パイナップルやバナナ、グレープフルーツなども豊富に安く並べられているのは驚きだった。
柿を売っていたのも驚き。小学生の頃「黒海で食べた赤い柿」というエッセイを読んだことがあり、その文章の何がおもしろいのか価値があるのかわからず、そのことが印象的でタイトルだけを覚えていたのを思い出した。
果物や野菜は豊富だが、緑や赤の小さいリンゴなど品種改良されていないものが多い。
日本でいえば50年前のリンゴやトマトという感じだった。
買いたいものがたくさんあったが放射能が不安なので控えた。
野菜、果物、乳製品が豊富だ。菓子や加工食品も日本と変わりないように種類も量も豊富に見える。
首都だから特別に商品がそろっているのかもしれない。
魚は海の魚は少ない。あっても乾物が多い。生魚は鯉など淡水魚が多い。
海がほとんどない国で、たくさん輸入する経済力も低いから当然かもしれない。
冷凍や冷蔵食品を流通するシステムが不十分なのかもしれない。
直径30cm位で4人でもたべきれない主食のパンは50円くらいで特に安い。主食のパンは政府が特別援助していると思う。
他のパンも安かったが菓子パン類はわりと高かった。
チーズは日本よりは安いが、人々の収入と経済レベルが低いことと大酪農国であることを考えると安くないと思った。
ウクライナの人にとってチーズは大切な食品のようだ。
ソ連時代は消費物質が欠乏して、マーケットに行ってもチーズは冷蔵庫の底に1種類だけ、数も少しあるだけで、手に入ればよいほうで選択できる状態ではなかったという。
明日の予定もあり、疲れたのでここで就寝。第1日目終わり。
10月7日 チェルノブイリ原発訪問。
日本からのわれわれ4人のグループと、依頼していた、博士論文執筆中の30歳代前半の物理学者チーヒイー アントンさんが日本語・ウクライナ語通訳として2日半、同行してくれる。
アントンさんは頭脳明晰で博学だ。
世界の5か国以上を訪れたことがある。外国滞在最長は日本の9か月。
日本語をウクライナで勉強したあと日本語勉強のために東京で語学学校に通って、日本語や日本につて勉強した。
適切な日本語単語が出てこないときは近い単語をいろいろ試して、さらに適切な言葉を探し選択を試みる。
日本人の9割以上の人はできないであろう正確な日本語を、正しく的確に厳密な単語の選択をする。
どんなことにも関心と知識があり、それに関して自分で再吟味して自分の考えを持っている。
2日半同行して、原発、放射線のことや、ウクライナや日本の歴史、文化などたくさん話をした。原発についても専門的な会話をした。
運転手含め6人で、キーフのホテルからチェルノブイリ原発を訪問した。
チェルノブイリ原発は首都キーフの北、直線距離で120 km。
ブナ、白樺などの美しい広葉樹の雑木林とアカマツ林が続く。アカマツは植林したものだ。
ロシアのような、針葉樹の大森林ではない。
チェルノブイリ汚染地域 第一ゲート。原発から25㎞。これよりゾーン。
空間線量はゲート付近で0.28μSv/h と高かったが、ゲートから少し離れると0.05と低かった。
今年7月、郡山市を訪れたとき、除染済み公園の空間線量掲示が0.25だったので、その値に近い。
検問所案内人の方:事故後からチェルノブイリ原発で、訪問者への対応や案内説明などをしてい55歳くらい。
この後、私たちの車に同乗して、原発内を案内してくれた。
彼は生きがいを感じ、喜んでチェルノブイリ原発案内の仕事をしている。
「年間56日休暇があり、旅行費用も出る。定期検診と必要なら医療もある。検診で問題がでたら別の職場を準備してくれる」と言っていた。
管理人のかたから説明を聞き、記帳した。
これよりゾーン内は飲食、たばこ禁止、測定器や物を地面に置かない、出るときは靴底の土などをよく落とす、汚染していないか検査して出ることなど。
サインをして、彼が車に同乗して森の中の道を原発に向かった。
ゲートにもう一人かふたり係りの人がいたと思うが、その他訪問者など、見渡す限りだれもいない。
第一ゲート付近は線量が高かったが、少し離れると0.05に下がった。
車で原発に向かった。第1ゲートを出ると空間線量は下がって、旧消防署跡で0.18、原発が見える4号炉から約3kmに近づいてもあまり上がらなかった。多くは0.1μSv/h以下だった。
爆発した4号炉に近づくと空間線量は高くなった。第3ゲートを過ぎて原子炉1~1.5kmkm手前では0.44μSv、 1kmで1.36μSv、 800mで 1.92μSv。4号炉から4~500m位の小さな資料室付近で3~5.46μSv/h。 ここから先は立ち入り禁止。
第1ゲートからチェルノブイリ原発4号炉直前に至るまでと、原発敷地内見学、原発に接したプリピャチを訪問して、再び25㎞ 南の第1ゲートに戻るまで50km以上、数時間の間に遠くから見かけた人も含めて、見た人の数は、警察やトラック運転手と見学者数人の1グループなど、全部合わせても20人程度だった。
予想よりはるかに少なかった。
「発電はしていないが、現在でも毎日2800人の人がチェルノブイリ原発で働いている」と日本のテレビ特集でいっていたので、おそらくそうなのだろうと思うが、広大な敷地やたくさんの建物があるので、私たちが会わなかったのかもしれない。月曜日だったので休日ではなかったと思う。
構内のあちこちで車を止めて撮影した。
案内人の人にいろいろ質問をした
質問するとなんでも答えてくれる。
秘密の様子は全くない。
専門的で知らないことは、「こうかもしれない」とか「知らない」と友好的に説明してくれる。
4号炉は写真で見た通りの外観だが、壁はコンクリートで固められているのではなかった。
4号炉全体がコンクリートの一塊に固められているのではなく、外壁の下1/3くらいの高さ、下の部分は厚いコンクリート壁で覆われ補強されている。その上は普通の十センチ強くらいの普通のコンクリート板を繋げた壁だけだ。
日本に帰国してから得た知識によると、汚染拡大を防ぐために、遠隔操作で急ごしらえで造ったコンクリート壁が石棺ということだ。
だからコンクリートで固めた石棺という理解は誤りで、通常のビルの壁よりも強度はない。壁も厚くない。
急ごしらえで造って25年もたっているので、壁の構造や機能に問題が生じている。
昨年、石棺の屋根の一部が崩落して問題になった。
チェルノブイリ4号炉は石棺として固められ、25年以上たって壁の一部から放射性物質が漏出してくるのを避けるためさらに石棺の上からコンクリート全てをコンクリートで固めて再度補強工事をしていると、私は誤った想像をしていた。
石棺は、コンクリートで一塊に固めた原子炉建屋ではなかった。
石棺という言葉について質問した。「石棺というのはメディアがつけた言い方だ。正しくはシェルター。 コンクリートで固めてしまうわけではない」との返事だった。
チェルノブイリ原発事故資料室
4号炉から400m位のところにある 20坪弱の小資料室を見学した。ここはカギがかけられて、だれもいない。同行した案内の方がカギを開けて中に入った。
4号炉の模型があった。
模型を見ると、爆発で多くの機材や建物お一部が破壊されてがれきとして散乱したり、壁などの構造物の一部が破損しているが、事故後に作られた構造物はほとんどなく基本的に建物内部や構造、空間は事故以前のままだ。
新しい構造物は、1階から4階まで部屋がコンクリートで埋め固められて柱のようになっているところが2か所くらいあるだけだ。
それ以外は、原発の建物内部の空間は、爆発で破壊された機材や構造物が散乱しているが、建物の基本構造や建物内の空間は残っている。
4号炉建屋の建物内で放射線が高いところは、10Sv/hr という。 短時間いるだけで死ぬ超高レベルの場所がある。
ウクライナの法律に従って、爆発した4号炉も残りの1~3号炉も廃炉にして原子炉は解体撤去する方針という。
4号炉炉解体撤去の具体的方針、手順は事故の後さほど時間がたたないうちに作られ、実際、廃炉に向けて現在作業中だ。最も基本的な解体準備は巨大シェルター建築だ。
シェルターは、基本はかまぼこ形の鉄骨構造を2つ造る。
高さ108m、幅250m。天井には 廃炉作業の中心になる巨大クレーンなどを設置する。
このシェルターは、4号炉から400m位のところで現在建設中だ。2つのうちの1つの外観はほぼ出来上がっている。これを2つ造った後、レール上を4号炉の上まで移動させて、4号炉を完全に覆って解体作業に入るという。
4号炉解体、撤去作業はヨーロッパの基金でヨーロッパの多数の企業が参加して行っている。
シェルター建設だけで1000億円。
4号原子炉解体撤去の完成予定は50年後。
原発事故後、1,2,3号機は発電を続けていると認識していたが、私の認識誤りで、これらはすでに事故後数年で運転を停止し、すべて廃炉、撤去する方針だという。
1,2,3号炉の廃炉、撤去は破壊された4号炉の困難と比べれば、困難は少ないはずだ。
1,2,3号炉の撤去作業も開始しているのか、どのように撤去していくのかについては、質問し損ねた。
4号炉の解体は国際的な援助によって進められているが、1~3号炉はウクライナ政府が自前でやらなければならず、その資金がないために、着工していないのかもしれない。
プリピャチ訪問
原発で働く人のために原発に隣接して作られた旧プリピャチ市。原子炉から3km。
事故当時の人口約4万5000人。
原発事故長後、ソ連政府が2000台の大型バスを動員して1日で住民を全員退去させたのがこの町だ。
空間線量は0.05 μSv/h と仙台市内の低線量の地域と同程度だった。
よく整備された広場や街路や学校やホテルなどがあり、美しい森に囲まれた美しい町(だったことがわかる)。
ソ連の町は、プリピャチに限らず、学校、文化施設などの建物や公園などはどこの町でも整備されていたという。
観覧車やゴーカートがある遊園地は町のほぼ中央に作られて、事故5日後の5月1日が開園予定だった。
一度も使われることなく、開園直前の状態で廃棄されてそのままになっている。
当時ソ連は生活物資が不足していたが、プリピャチは消費物資も優先的に提供されて、近くの農民たちが買い物に来ていた。
強い精神、力強い言葉とは何か
有権者が民主党政権を作った
民主党政権は多くの国民・有権者の大きな成果だった。
天下りで固めた、社会を食い荒らす財官政の利権体制と、官僚の打算と保身目的で全てを官僚が支配する日本社会をかえるために、有権者は自民党政権を圧倒して民主党政権樹立の大成果を作った
自民党は後は崩壊するだけというほどに、総選挙で圧倒した。
外からの攻撃くらいでは破れないほどの圧倒した力を有権者は民主党政権に与える大成功を勝ち取った。
しかも有権者と自覚的人びとは、この大成功と後退の中で誰も殺されることもなかった。
民主党幹部と議員の多くが、有権者の財産である民主党政権を崩壊させた
民主党幹部と多くの議員が、政財官の政敵が仕掛けた民主党政権攻撃のための小沢攻撃に、目先打算で相乗りして、有権者の財産である民主党政権を崩壊させた。
当然この罪は大きい。
今、何をなすべきか
今、自覚ある人々がすべきことは何か。
天下りを軸にした政財官の利権構造と官僚支配を止めさせることだ。
なすべき課題は民主党政権以前と同じだ。
選挙で自民党を圧倒して、財官政の利権構造と、国民と社会を損なっている官僚支配をやめさせることだ。
もう一度同じことをすれば良いだけだ。
しかしそれをしていない。
それをやればよいだけ、既に成功し、できることは証明済みだ。
傍観者にならず多数の人が自ら参加するだけで、自民党を崩壊直前まで敗北させることができた。
有権者は、国民・有権者の財産として民主党政権を樹立させた。
日本史の最近百年にないほどの大成果だ。
やればできることは既に証明され、多くの人は知ったはずだ。
しかし現実は、参議院選挙で、安倍自民党が大勝し、原発地域では自民党が議席を独占圧勝している。
何がおかしいのか。
何をすべきなか。何をどうするか。
もう一度国民・有権者のための政権を作って、今度は、目先打算で大局を見失わない、自覚が高く目先打算で動じない政権を作ればよいだけだ。
人々はそのための言動をしているか?
何を獲得するか、そのためにどうするかを忘れていないか?
裏切った民主党を見下して非難することに関心と言動が向きすぎていなかったか?
現実の個別的な状況に流されず、獲得すべきことを見失わずしっかり見すえて、最も重要で基本的目標を獲得するためになすべき言動をする。
これが強い精神だ。
民主党の幹部や議員が敵に取り込まれて政権が崩壊したからといって、民主党政権を作った有権者が負けたわけではない。
人が殺されるなど大きな痛手を被ることさえなく、自民党政権を放逐させることができることまで経験することができ、国民有権者は見て、体験した。
欧米や中国の歴史転換や革命のとき、ここまでできたら大勝利、「あともう一歩!」大歓声だ。
一時の裏切りによる後退などは、人々と、自覚的人々の強い精神・意志があれば、乗り越えられるものだ。
せっかく自民党を放逐して、有権者国民のための有権者による政権を作ったのに、それを生かさない。
それを生かして獲得すべきもっとも重要で基本的なものを獲得するために更に一歩進めることをしない。
政権内部の裏切りによる政権崩壊を見て、自ら獲得すべきものを獲得する目標と気迫と覚悟をどこかに置着忘れてしまい、裏切り者非難に意識の中心が向いてしまう。
獲得できる寸前というより、既に獲得に成功し、人々がその気になれば獲得できることは証明済みだ。
大きな苦痛や困難もなく、人も殺されずに同じことをするだけで取り戻せるのにしない。
これほど弱い精神は、世界の歴史の中で私は知らない。
私の知識不足もあるが、世界史の中で稀にしかない弱い精神だ。
おそらく日本史の中でもこのように簡単に引き下がって、真の目標を置き去りにしてしまうことはそうはなかったと思う。
強い精神を育て獲得しよう
「目先や個々のことに動じず、もっとも重要な目標を見据えて、そのために言動することと、自分が到達した精神的地点から後退しない自覚と決意」が強い精神だ。
強い精神を育て獲得しよう。
より良き社会、まともな社会と人のありように関心を持ち、主体者として能動的にかかわる自覚ある人から、強い精神を身につける事が大切だ。
自覚ある人が自覚努力して、強い精神を獲得して強い精神の見本と成果を作るべきだ。
その精神を育て、多くの人もそれを獲得することが、まともな健全な社会と人間関係を作るためには不可欠だ。
強い精神がなければ、仮に何かを獲得しても、すぐに取り返されて元に戻ってしまう。
力強い言葉とは何か
力強い言葉を獲得し、使おう
力強い言葉とは「すり替えや侮辱彌脅しに動じず、自分の考えをしっかり持って、論理的に、的を外さない主張と相手への反論をする言葉」だ。
自分の主張や批判に対する反論や意見を歓迎して、きちんと論理的な言葉の往復をする。侮辱や圧力に動じず言うべきことを妥協せずにしっかり主張する。
「圧力に負けず自分の主張を弱めない。相手に敬意を持った態度、論理的で丁寧な言葉で議論する。そして同調やあいまいな言葉に逃げない言葉を使う」、これが力強い言葉だ
相手を見下したりののしったり威嚇したり高圧的な態度や言動は力強い言葉ではない。
高圧的な言動や避難、侮辱は、力強い言葉と反対だ。
それは「力強い言葉がない主張を強行するために、相手に発言をさせないように暴力的な発言抑圧をすること」だ。
それは自由で健全な発言の場を壊し、発言の自由と安全を阻害する言動だ。
他人に対して高圧的な言動や、侮辱抑圧的言動は、力強い言動とは逆の、暴力的であいまいで弱い言葉だ。
発言の自由や安全を阻害する言動はすべきでなく、黙認することもまずい。
発言の自由と安全を互いに保障しあって、あいまいさがない誠実な言葉のやり取りをしよう。
力強い言葉を獲得し使おう。
人が侮辱抑圧されず、自分の尊厳を保ち、他人の尊厳を冒さない、人が互いの安全と名誉・尊厳を認めあい、大切にしあう健全な社会を作るには、それを大切にする知性・道義性・勇気・誠実に裏打ちされた強い精神と、それを言動する力強い言葉を獲得し使うことが不可欠だ。
強い精神と力強い言葉を育て発見し獲得して身に着け、使おう。
物言えぬ日本社会の中で失ったもの
岡山博医師(仙台赤十字病院呼吸器科、東北大学臨床教授
<物言えぬ社会>「判断する能力、考える能力、怒り、勇気、熱意、 そういうものを日本の社会と日本人が失ってきた」岡山博先生
2013年7月29日 衆議院会館ティモシー・ムソー講演会「福島における動植物の変異とチェルノブイリとの比較」にて
・・・・・以下岡山博発言の一部書き起こし・・・・
私は福島の事故が起きた時に、ツイッターをやっているんですけれども、
ツイッターの自分の自己紹介のところに、
「福島の事故の本当の一番の原因は、自分の意見を自由に安全に発言する事が出来ない」
そういう社会であると。
福島原発の中で「あれ、これはまずい」と考えた人は沢山いたはずです。
しかし、言う事が出来ない。
言うとひどい目に遭う。
だから黙ってしまう。
という事で、自由に安全にものが言えない。
それから真面目な、正当な、変幻(*「安全」)が正)な議論が出来ない。
そういう世の中であることが今回の福島原発の一番の大きな原因で、
そしてそれにはもうひとつセットがあって、
そういうもの言うと危ない社会の中で、
物を言う意思とエネルギーと自覚が無くなってしまって、過剰に適応して、
だから物を言わない。
物を言う必要が無いから判断をする必要が無い。
という中で、判断する能力、考える能力、怒り、勇気、熱意、
そういうものを等しく日本の社会と日本人が失ってきたんじゃないかという事を私は考えています。
それで今、放射能の問題がとても危ないわけですけれども、
危ないことはもうひとつあって、
それは物を言える(*「言えぬ」が正)社会だと感じます。
私は仙台ですが、
事故のあと、小さい子どもを持つお母さんたちがいろいろ心配しても、
学校から言われることは「安全だ、安全だ」
しかしどうも真面目に考えると安全ではない。
しかしそういうことを話題にあげる人がいない。という事でみんな孤立しちゃうんですね。
それで、そういう人たちがどんどん、どんどん集まってきて、
20位グループが出来て、それでいろんな事を始めたんですが、
「学校の給食も危ないから測って欲しい」今(*「と言うが」が正)測らないんですね。
じゃあ、「測らないんだったら弁当を持っていきたい」って言うと、
「給食は教育だから、そんな勝手は許さない」
牛乳は止めたいから水筒を持っていくと、アレルギーがあるからと水筒を持っていくと、
「牛乳飲まないのは良い」と。
だけど「水筒を持ってくるのはダメだ。学校の水を飲め」と言って、
水筒の水を捨てさせるんですね。
それで、「じゃあ測って欲しい。測らないんだったら自分たちで測ってもいいか」というと、
「持ち出し禁止だ」というんです。
それで、持ちだして測った人に対しては、これは窃盗扱いですよ。
それからそこの担任は、別に担任があおったわけでも何でもないんだけど、
「あなたが不安をあおるような事をなにか言ってませんか」といって、教育委員会から注意です。
この注意というのは法的な中身があってね、3回やると処分なんです。
それで今、学校の先生はどういうふうになっているかというと、
ほとんどの先生は関心ない。
もう、関心がある人はとっても辛いです。
こんな給食を食べさせるという事を強制したくない。
だけど給食教育という事で全部食べる事を点検する。
それから「食べなさい」と言う事を命じられる。
それで「給食も含めて放射能の事を考えます」と言いたいけれども、
放射能のことを話題にすると、生徒も親も不安になるから、教師ごとに違う事を言ってはいけないと。
もう戦前と同じなんです。
学校で教師が「言ってはいけない」という事を言われるとか、
「言いたい事を言ってはいけない」というところで子どもが教育されて、
このようなことも恐ろしいことだと、私は考えています。
そして、今度の事故が起きたことの背景には、物言わぬ社会というものがあるんだけれども、
これに懲りて良くなってきているか?というと実は逆で、
ますますもの言えない社会になっていっている。
これ、外からみたら「とても日本って不思議な世界だ」と思うと思います。
こんな事故を起こしたのに、一番それを推進してきた人たちが一番いま威張っている。
これはいろんな考え方があるんじゃなくて、
まともに考える意思と熱意と能力と、どんどん人の社会は失ってきたんじゃないかと。
私はここを何とかしないと、原発の問題だけじゃなくて、
同じような背景の問題がどんどんどんどんこれからも出てくる。
いま、日米の問題なんかもそうだと思うんですね。
という事があって、
学校の先生が、あるいは親が、自分の子どものために給食の話題を家族でする事が出来ない
そういうところまで教育がおこなわれている。
という事を私は一緒に話題にしたいと思います
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この文章は
「春を呼ぶフォーラム。ティムシー・ムソー講演会」衆議院議員会館ホール 2013年7月29日で、コメンテータとして私が発言した一部を 書きおこし、ブログみんな楽しくHappyがいいに掲載して下さった記事2013年8月1日の転載です。
岡山博講演とディスカッション録画は 岡山博講演と議論録画
今回の参議院選挙で当選した、川田龍平さんと、山本太郎さんも講演会にこられて、お二人と会場で少しお話しました。
被曝を誘導する政府・行政の誤りと偽り
放射線被曝とは何か
―被曝を誘導する政府・行政の誤りと偽り
仙台赤十字病院呼吸器内科医師・東北大学臨床教授 岡山博
福島第1原発爆発前後~3月末の放射能汚染状況
2011年3月11日
地震後、津波の前に1号炉原子炉建屋内の放射線量が急上昇した。
福島第1原発が送電を受ける送電線鉄塔が倒壊し、関連設備が故障して全外部電源を喪失した。
津波と電源車のコンセントが合わずコードも短かすぎて、冷却不可能になった。
21時、原子炉冷却の復旧の見通しが立たず、政府は3km圏避難・10km圏屋内待避を指示した。
3km以上はあわてず落ち着けと自主避難を妨げた。
3月12日
原発正門で放射線検出。原発に重大損傷が生じたことを意味する。この時もその後も、放射線測定値はリアルタイムで発表せず、政府が解釈をして解釈に好都合の発表を続けた。危険を過小評価した解説を常につけ、自主避難を妨げた。
12日5時、10km圏避難を指示し、同時に「原子炉格納容器の損傷はない」と発表。
18時に20km圏避難指示したが、その間に数回のベントと、1号機爆発で避難が遅れた住民が、大量被ばくした。
敷地内超高値、東電が発表したのは5月。
3月13日
「爆発的なことが万一生じても、周辺に影響は生じない」と自主避難を妨げた。
3月14日
3号機建屋爆発。「原子炉格納容器の堅牢性は確保されており、放射性物質が大量に飛散している可能性は低い」と自主避難を妨げた。
3月15日
運転停止中の4号機が爆発した。大量の核燃料は原子炉内ではなく燃料プールにあった。
爆発によって壊れた隔壁から偶然水が流れ込んで、きわどく爆発がまぬかれた。
爆発でプールの土台が傾き、壊れれば重大汚染確実だった。
20キロ浪江町で高値を翌日になって発表した
ベント予定を公表せず、住民や国民は避難や対応ができず被曝した。
3月25日
40km飯館村に自主的避難勧告。外の地域に向けては、毎回「あわてるな」と自主避難を妨げた。「避難は不安をあおる悪質な行為」であるかのような空気がつくられ、避難を妨げた。放射能拡散予測図SPEEDIは政府と福島県、アメリカ軍に提供したが、国民や社会には公開せず、5月2日になって公開した。
事故後数週間は大量の放射能ほこりが放出され、その後も放出され続けた。
放出されたとき、風下は危険だ。風下の人が避難や、対応をするために放射能拡散予想がきわめて有用だ。
天気予報のように、放射能拡散予測放送の要望があった。私も要望した。
しかし「確実な予測ではないので不安の原因になる」といって発表しなかった。
ドイツ、ノルウェー、オーストリア、フランスやそれ以外にも沢山の国の気象庁など外国の機関が数時間ごとに拡散予報を発表した。
日本人が使えることが大きな目的だ。予測システムは各国固有のものだが、予測に使う測定データは日本の気象庁が発表した値を使って計算した。
図1(掲載省略)は、ドイツ気象庁が発表した拡散予測図だ。
このような予測図を天気予報で放送しないために被曝を軽減できなかった。
図2はアメリカ海軍が作った福島原発による海洋汚染図だ。
爆発後数週間の放射能汚染状況
ヨウ素、セシウム、ストロンチウムと、短寿命放射性元素が、膨大な放射能ほこりとして風に乗って散らばった。大きなほこりはゆっくり地面に落ち、小さなほこりは空中に浮遊、拡散した。
雨や雪が降ると、まとまって落下した。
外部被曝とともに、呼吸で吸い込み、食物として摂取し、内部被曝した。政府は内部被曝を無視するか過小評価した。
この時期にすべきだった被曝対策
放射能ほこりが空中にあり、今後事故が拡大するかもしれないこの時期は、高度汚染の可能性がある地域から避難することが何よりも重要で緊急だった。
次に大切なことは、避難するまでの期間、あるいは避難できない人に対して、強く汚染された水や食物の飲食を禁止することと、安全な水・食料を供給することだった。
震災直後時、東京電力と政府の状況認識
東電、東北電力、政府は、震災当日の3月11日、電源喪失が回復せず、原子炉冷却ができなければ、7時間後に原発が爆発することと、その後、連鎖的に大爆発と深刻な放射能汚染が起こることを、確実なこととして予測していた。
東電社員家族は、爆発前から、福島県から避難した。
東電知人から連絡を受けて、福島県から避難できた一般住民も多い
国と東電が繰り返し説明した
「放射能は人体に影響のないわずかのレベルだ」
「原子炉冷却ができていないが、取り組んでいる。だから心配ない」
「水蒸気爆発したが、核爆発も、メルトダウンもしていない。原子炉も格納容器も健全に保たれている」
「レベル5事故ではあるが、スリーマイル事故のレベル5より軽い。
スリーマイルと比較して大げさに話すのは不安を煽る悪質な行為だ」
わざわざ、強く放射能ほこりで汚染された地域に出向いて説明した。
「避難は不要だ。避難指示されていない住民は、避難せずあわてずに家に留まれ」
「放射能より、心配することのほうが有害だ」
「子どもを心配せずに外であそばせろ、自家野菜を食べさせろ。不安を振りまく悪質な扇動に惑わされるな。
全て嘘だった。
嘘を言って、余分な被曝をさせた人たちは、処罰されず、今も行政を動かし、原発事故処理を仕切り、被曝を拡大させている。
気象学会は会員研究者に「国民が混乱するから、研究者は福島の風向きの情報を出さないこと」と通知した。
被曝医療専門家は「胃のレントゲンと比べて、福島原発由来の被曝は少ない」などと「解説」した。
診断という本人の利益のために支払うリスクと、他人が勝手に押し付けるリスクを同等に扱う、人を偽る解説だ。論理も道義も誤りだ。
内部被曝のシーベルトという人為的に決めた単位は、障害を過小評価していることも問題だ。
放射能汚染について言動することが悪であるかのような社会風潮が、政府・福島県・「専門家」と称する人たちやメディアによって作られた。
政府や行政、メディアが、「心配しすぎるな」という放送しかしないなかで、twitter などを使って、多くの情報が発信された。
それに対して、政府やメディアは「ホットスポットが発生などのデマに惑わされないように」、「デマは通告するように」と、発言や発信することを抑圧さえした。
「チェーンメールで放射線のデマ拡大」(2011.05.16読売新聞)
「千葉と埼玉で測定されている数値は平常時と変わらない」、「デマなどのメールに気づいたら転送を」(文部科学省)
政府やメディアが言った「デマ」は、デマやうわさではなく真実だった
「事実を言う人をデマと非難し、住民に被曝を増やした人たちは、責任を取らず、処罰されず、今も指導的立場で、原発塩管理と社会を誘導している。
外国大使館、国内大企業、マスコミが行った自己防衛対策
多くの外国大使館は、自国民の日本からの退去と、退去できない人は西日本に避難することと、汚染食品の摂取制限などの被曝対策を指示した。
震災、原発対策のために宮城県沖に出動したアメリカ原子力空母は、3月14日、放射能汚染受けて、すぐに、宮城県沖から撤退した
国内大手メディアは、原発50km以内から撤退した。国の原発事故の監督責任者である保安院幹部は、福島第一原発に行かなかった。
外資系企業や大企業は社員と家族避難用バスを郡山や福島市に準備した。多くの大企業が本社機能を東京から大阪への移転を開始した。
大手企業福島勤務者の対応
・福島勤務に特別手当支給
・原発に近い地域にはなるべく行かない
・できるだけ宅急便を利用する
・福島県から転勤したい人は即日、転勤を認める
・半年毎に異動
・福島県勤務希望者を中途採用して福島に配属 (2013年)
政府や東電の説明に従った人は被曝回避の機会を失い、大量に被曝した。
被曝回避の機会を失った。子どもを雪であそばせた。
マスクもしなかった。
自家栽培野菜を食べさせた。
国は今も「この程度の放射能は安全。心配するほうが有害だ」と、被ばく防止の言動を妨げている
その裏で政府・電力会社・大企業は危険を知り対策をとっていた!
チェルノブイリ被曝の長期影響について
IAEA と日本政府の考えと立場
チェルノブイリ事故の放射線障害の多くの報告があった。
しかし、放射線被爆障害を検討する際に、「障害が存在すると確実な結論がある医学論文」だけを使った。
統計的に確実と断定できない論文や多くのロシア語の調査報告は論文は存在していないものとして扱い、「甲状腺癌以外の障害で認められるものはない」と結論した。
決めた後は、障害を示す数百の論文が発表されても、実質的に無視している。
日本政府はチェルノブイリ事故程度の被曝では、「甲状腺癌以外の影響は認められるものはない」という結論を、「影響はない」と読み替えて使っている。
放射能汚染について日本政府の基本的立場
うがった推測ではなく、これは日本政府の正式の立場です。
「チェルノブイリ程度の被曝は影響ないと確定している」、
「ありえない健康被害を考えるのは過剰な心配だ」、
「健康障害が出た場合は、心配しすぎたストレスが原因だ」
だから「政府・自治体がすべきことは、住民に無用な不安を持たせず安心させること」、
「被曝回避の取り組みは不要だ」、
「放射線測定や発表は、被曝を避けるためではなく安心させるために行う」
そのために政府が実際に行っていること
・低い物を選んで測定する。
・農作物で高い値が出ても、同じ畑の他の作物は問題にしない
・汚染された食品を除くためではなく、「心配するな」と安心させるために、測定や発表をする。
・放射能が低いと推測したものを選んで測定する。
・高い放射線値が出た場合、同じ畑の測定していない別の作物は出荷制限しない。
・「被ばくしても心配するな」、「健康被害を話題にするのは、不安をあおる悪質な行為」と説明、教育し、メディアにも協力させる。
被曝医療「専門家」は以下のように解説した
政府はこれを基に対策を進めた
・留まろうと思う住民に対して、東電も日本政府も、家族が(避難は不要と)決断しやすいように支援してやる必要がある。
・福島県民は放射能恐怖症です。不安を和らげて心の支えになってやる必要がある 。
・チェルノブイリでは避難住民の寿命が65歳から58歳に低下した。鬱病やアルコール依存症、自殺などのためです。
・ストレスの治療にも努める必要
・「健康上のリスクは全く考えられない」
・チェルノブイリ、セシウムを含む食品で、健康被害は出ていない。
・環境放射能が100マイクロシーベルトを超さなければ、全く健康に影響を及ぼしません。
・暫定規制値は、一生食べ続けても何の影響も出ない
・放射線の危険性を煽る報道が続いている。
・放射線の影響はにこにこ笑っている人には来ない、くよくよしている人に来る
・批判があるが?「そういう人たちは科学者じゃない。医者でも専門家でもない」
放射線被曝について考え方の基本
・被曝は有害。放射性物質は有害物質
・対策は普通の有毒物と同じ
・例えば鉛や水銀などの有毒物は害があるかもしれない1/100位で規制している
・有害な毒物は食べない、吸わない、流通させない、放置せず処分する
放射性廃棄物と環境放射線の法的規制
電離放射線障害防止規則
100Bq/kg超は、無視して放置や一般処分はいけない。
1000Bq/ kg超または40Bq/cm2を超えるものは放射性物質として厳重管理
福島原発以外の原発や事業所、研究機関は今もこの法令通りに管理している。
福島原発に関しては、特別の事態として
・瓦礫処分では8000㏃/kg以下を埋め立てなど通常処分を許可した
食品暫定基準
(~2012年3月、厚生労働省 2011年3月29日)
暫定基準発表後、政府・行政は、暫定基準を「安全を保障する値」と読み替えて、「基準より低く、安全な食品を避けるのは科学的ではなく、過剰な不安だ」と異論や反論発言を抑圧している。
食品暫定基準値(~2012年3月)は、食品が500ベクレル/kg、 飲み物が200ベクレル/kg で、健康被害を避けるため原発から外界に放出、廃棄を禁じている量よりも高い。
法的に100ベクレル/kg超は、原発や事業所で、放置や廃棄を禁止されている(クリアランスレベル)原発から放水を禁止されている量は90ベクレル/L。
食品衛生法では
「食品衛生法第6条 有毒な疑いがある食品は、販売、製造してはならない」
文部科学省は
「市場に流通している食品は、暫定基準以内だから安全。給食に限って何かをすることは考えていない」
宮城県知事は
「安全だと説明すれば十分だ。測定値を言っても消費者は理解できない」と汚染牛肉の出荷停止記者会見で説明した。
消費者が避けた汚染食品はどこへ?
・廃棄されていない! 安く業者が買って加工食品原料に使う! 給食で強制的に消費させる!
・食べたら1000人に1人が癌で死ぬ放射線を1万人で分けても1人が死ぬ(確率的作用)。
・薄めて流通する汚染食品の放射線の全体量を増やすと癌は増える。だから薄めて広げてはいけない。
・汚染食品を作らせない、流通させないことが最も大切。
国の政策は、
・有害を安全と説明し、被曝を避けず拡大させる。
・「規制」ではなく推奨強制して食べさせる。
・汚染されていない地域にも、拡散させる。保留せずに、普通に考えれば誤りとわかる。
汚染食品を規制せず逆に広めるために、原発事故後政府がしたことは?
・産地表示をあいまいにした。産地表示は都市名ではなく、国産や太平洋産でも可とした。
・産地表示を都市名ではなく記号表示で良いとした。(消費者は店頭でわからなくなった)
・安くして加工食品原料に使わせる
・汚染作物を生産と流通を止めず、作らせて「食べて応援」キャンペーン
・汚染地域で生産を止めさせず、作らせて売れ残ったり、価格低下した分だけ保障する。だから
・農家はいやでも作る。作るうちに、東京電力と加害者意識を共有する
福島で、汚染食材を買わないように注意しても、学校給食で強制する
・「教育の一環だから弁当持参などの『勝手は許さない』
・福島など、地産地消
・給食に国産小麦使用を義務付け (2013年4月~)
・福島県は給食に福島産農作物使用には助成金(2013年4月~)
母親たちが、たくさんグループを作って給食汚染に取り組んだ。
教育委員会は以下のように校長に対応させた
・地産地消に不安⇒弁当持参を希望した⇒「給食は教育だから勝手なことは許さない」!
・牛乳を止めて、水筒持参させた⇒水筒の水を捨てさせ、学校の水道水を飲ませた
・給食の放射能を測定してほしい⇒拒否
・給食を自分たちで測定したい⇒不許可!
・生徒が給食を持ち帰って測定⇒窃盗扱い!
・担任教師は給食持ち帰りに無関与だが、不安をあおる言動あったと教育委員会から注意
校庭や環境放射能についての母親たちの取り組みに対して、
学校が行ったこと
・「校庭も給食も安全。不安をあおる言動は異常だ 」、反対意見は存在しないかのような一方的な副読本を配り、講演や説明会を開いた(自治体や教育委員間が強制した)
・心配したり、話題にする親はモンスターペアレンツ扱いした。
・校庭の放射線を測定してほしい⇒拒否
・測らせてほしい⇒立ち入り禁止
・学校周囲の放射線を測ったら高いデータが山積した
・1年して校内の放射線を測定するようになった。測定器を教員や生徒、保護者が自由に使えない学校が多い。
・生徒が校庭で遊ぶことを義務付けた(2013年、東京都)
学校教員
「放射能を話題にすると生徒が不安になる。不安にさせる言動をしないように」生徒の安全や教育について、自分が良いと思うことが禁止されている。
給食の安全が疑問だが、全部残さず食べるよう監視と教育を強制される。
「子供を裏切る、監視と教育をさせられて、教師を辞めたい」
教師が自分の考えを発言する自由と安全がない学校で教育が行われている
福島医大で起きていること
・放射線被曝を話題することができない
・「国がすることだ」と被曝に関した研究や調査を実質的に禁止(憲法23条 学問の自由は、これを保障する)
・医師の10%が退職して福島から避難した
・医師の多くは家族を福島から避難。別居させている
・医師が危険だと判断しても自由な発言や議論ができない大学が、被曝医療の中心になっている
有毒なものを避けることを非難する異常社会
・危険を考えて、避難や、被曝予防措置をとっても外国政府・大企業は批判しないが
・最も被曝を受けている、地元住民が、避難したり被曝対策を話題にすると非難する
・教師が生徒の被曝を心配したり、給食の放射能や、校庭の放射線を話題にすると非難や、処分を受ける異常社会になっている。
・被曝させた加害者が、被害者を非難する社会
・政府に異議ある発言が抑圧される社会になっている。危険です。
(フォーラム・6月11日)
講師略歴(おかやま ひろし)
1948年 茨城県生まれ
1973年 東北大学医学部卒業
1977=1998年 東北大学第一内科
呼吸器、循環器研究
1988―1901年 米NIH(国立衛生研究所)
遺伝子研究
1998-現在 仙台赤十字病院第2呼吸器内科部長
東北大学臨床教授
専門 呼吸器内科(慢性気管支炎、喘息、肺気腫、肺結核など)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国際善隣協会 フォーラム(定例公開講演会、2013年6月11日 東京新橋国際善隣会館)の講演前半部分「放射能と被曝」を省略し、後半の「被曝を誘導する政府・行政の誤りと偽りをまとめたものです。
「善隣2113年7月号 No.433, p10-17, 2013年」に掲載されたものの文章部分だけの転載です(ごく一部修正)。
写真、図付き「善隣」PDFはこちら ↓
http://www.kokusaizenrin.com/latest_zenrinshi.pdf ←クリックすると善隣誌最新号が表示されます。
8月以降に見るときは、 過去の善隣誌をクリックして2013年7月号を開けて下さい
国への要望書:放射性廃棄物処分場について
環境省は、高度に汚染されている、福島第一原子力発電所付近に、きわめて大規模な中間貯蔵施設設置構想を発表し、地元自治体と折衝をしています。
同時に環境省は、
・栃木、茨城、宮城県などをはじめ、汚染廃棄物が多量に存在する、都道府県別に最終処分場を設置、
・福島以外の都道府県では最終処分場、福島では中間貯蔵施設ができるまでの期間として仮置き場設置を進めています。
・比較的低線量廃棄物は、既存の一般廃棄物処理施設を利用した処分と、土木資材への混入利用を進めています。
福島の大規模な中間貯蔵施設構想は以下の点において妥当ですが、妥当でない点があります。
<妥当な点>
・回収、処分すべき放射能汚染物質を2000万トン以上と大量の汚染物質の回収が必要と見積もっていること
・もっとも汚染されている、福島第一原子力発電所付近に、大規模施設を作ること
・もっとも重量・容積が大きい土壌に関して、合理性が乏しい焼却・減容・利用ではなく、土壌をそのままあるいは乾燥処理しただけでの保管を構想していること
<妥当でない点>
・「最終」とすべきところを「中間」施設としていること
・「処分・管理施設」ではなく「貯蔵」としていること
・構想として提示した内容は、「回収、処分、貯蔵・管理」施設である。あたかも、目的が一時的な貯蔵であるかのように見せて、住民と社会を偽る名称である。偽りを含んで正しい処分はできません。偽ることは、住民を軽視、蔑視し、健全な社会運営を阻害するものです。
放射能は減らすことはできず、放射性廃棄物処理とは、集めて管理することです。
各地に作っている貧弱な仮置き場設置・運用と、都道府県ごとの最終処分施設、土木資材への混入利用、一般廃棄物処分場での処分は「集めて管理する」という放射性廃棄物処分の原則に反し、汚染を拡大する側面があります。したがって我々はこれらの施策はやめるべきと考えます。
福島原発事故によって生じた放射性廃棄物処分場に関して、以下(A)(B)を要望します。
(A)大規模処分場構想に関する要望
1. 福島第一原子力発電所周囲に、中間貯蔵施設として構想された大規模施設を全国の放射性廃棄物を対象とした、全国で唯一の大規模な最終処分・管理施設として設置すること。
2. 全国の放射性廃棄物は土木資材への混入利用や、一般廃棄物処理施設での処理、都道府県毎の最終処分場設置、一時的仮置き場の設置・使用など、8000ベクレル/kg以下の放射性物質の埋め立てなど、放射性物質を全国各地に分散させる施策を中止すること。
3. 大規模な最終処分場ができるまでは、国の責任で大規模な仮置き場を直ちに1か所設置し、全国の放射性廃棄物はすべてここに回収して一元的に管理すること。仮置き場は、福島第2原子力発電所とその周囲地域が適切な候補地であり、福島第2原子力発電所敷地と周辺を仮置き場として使用すること。
(B) 討論会と文書による意見発表・討論の場を設けることの要望
広範な 人々の英知、有用な提案を集め検討して、今後の除染と廃棄物処分対策にいかされるように、(1)最終処分場設置と具体的な施設内容についてと、(2)除染と放射性廃棄物処分の具体的な方法をテーマにして、それぞれ討論会を開くことと、文書による意見発表と議論の場を作ることを要望します。
討論会と文書による発表・討論にあたっては、
・参加者・発言者・主催者・司会者が、共同で結論を作るための議論をする意志を共有して参加すること
・意見発表者は一方的に発言して終わるのではなく、個々の発言内容に関して、的を外さない発言・質問・回答を敬意を持った言葉での往復を保障して、共同で結論を作るため運営会の運営を行うことが必要です。
除染と放射性廃棄物処の方法について、多くの提案が存在します。
本提案を作成するなかでも、広範な山林と植物の処分、除線方法としてリグフェノール製造などの技術提案がありました。私たちは、この提案も含めて、広範な人からたくさんの具体的提案を募集し、公開して検討することを要望します
全国自治体への要望書:放射性廃棄物処分について
以下を要望します
・放射性廃棄物を生じた自治体は、自治体住民の危険を避けるためと、自らが周囲に対する新たな汚染源・汚染の責任者とならないためにも、100ベクレル/kg以上の、除染活動や焼却によって生じた廃棄物は、自治体が溜めこまずに、東京電力福島第2発電所に搬送して引き取らせること。
理由
放射能は人の力や化学反応で減らすことはできません。
除染や放射性廃棄物処理とは、放射性物質を、人への影響が少ない所に集めて管理することです。
現在環境省が進めている対策は
(1)都道府県ごとの最終処分施設
(2)土木資材への混入利用、
(3)各地に作っている貧弱な仮置き場設置・運用、
(4)一般廃棄物処分場での処分です。
これらは、「集めて管理する」という放射性廃物処分の原則に反し、汚染を拡大する側面があります。
福島第一原発以外の原発や事業所は、法令によって現在も従来通り、1000ベクレル/kg以上は、埋め立てなどの通常廃棄や放置が禁止されています。健康被害を起こさないためです。
したがって、除染と放射性廃棄物処分は以下のようにすべきです。
(1)全国の放射性廃棄物をすべて回収・管理するための大規模な最終処分場を、福島第一原子力発電所付近に造る
・全国の放射性廃棄物は、1か所に回収し、広範な地域や環境中に拡散すべきではない。
・処分場は責任ある一元的な管理をすべきである。
・環境省が、福島第一原発付近に構想している、「中間貯蔵施設」は2000万トン以上の様々な形状の廃棄物を回収、処分、管理するという極めて大規模な施設です。これを中間的な貯蔵施設としてではなく、全国の汚染廃棄物を回収・管理する最終処分場として運用すべきです。
(2)最終処分場を造るまで、廃棄物は各自治体や個人がかかえこまず、東京電力に引き取らせる
・放射性廃棄物に限らず、他人や社会に有害な廃棄斑が生じた場合は、有害廃棄物を出した個人や事業者が、汚染物除去と廃棄をする義務があります。
・したがって、福島第一原子力発電所事故によって生じた有害物質である、放射性廃棄物は、東京電力がひきとって処分すべきです。
・現在、東京電力も国も、そのような体制をとっていません。
・除染活動や、上下水道施設沈殿物や、ごみ焼却場で、たくさんの放射性廃棄物が出ています。それらは今後更に増加します。
・このような状況において、生じた放射性廃棄物は、不十分な各地の仮置き場などに分散、放置(管理)したり、800ベクレル/kg以下の放射性廃棄物を通常の廃棄物処分や、埋め立て処分をすべきではありません。
事業所や研究所、原発等、福島第一原発以外は、今も従来通り法令に従って、100ベクレル・kg以上は放置や、通常廃棄処理はきんじられ、管理が義務付けられています。健康被害を防ぐためです。
・福島第一原子力発電所以外の放射性物質を扱う全ての事業所や研究機関は、放射性廃棄物は、現在も頑丈な恒久的な放射性管理施設で厳重に管理することを法的に義務付けられています。ビニールで覆って管理することなどは認められていません。
・現在収容管理すべき放射性物質の量は、全国の研究機関や事業所よりも何千何万倍と多いにもかかわらず、「仮」という言葉を使うことによって、厳重な管理施設の義務を免責しています。
・このような施設に多量の放射性廃棄物を集めて貯蔵することは、仮という脱法的名称と、従来は放置や簡易保管が認められず、厳重管理が義務付けられた放射性物質の基準濃度を、数十倍、量的には通常事業所で厳重に管理される数百数千倍の放射性物質の量になります。
従来通りであれば、あるいは福島第一原子力発電所以外では絶対に認められない莫大量の放射性物質を、簡便なビニールシートで覆うだけ等、一時しのぎのきの粗雑な管理をさせています。
管理というよりは、その名称通り、風で飛ばないようにビニールシートで覆うだけ等というような粗雑なごみ置き場です。
・従来の法律を無視して、場当たり的に作った、仮置き場で放射性廃棄物をこのように置おいておくことは法的にも許されるべきではありません。
環境汚染と人体への健康被害を回避し、安全を確保するうえでも、すべきでないことです。
・またこれまでの法律で守られていた基準を、何十倍、何百倍に上げたうえで、各自治体が抱え込むことは、住民に対する義務違反になります。
・したがって生じた放射性廃棄物は、自治体が抱え込むことなく、東京電力に引き取らせるべきです。
本来は東京電力が各自治体に来て、謝罪し、費用負担を明らかにしたうえで実際の汚染廃棄物胥吏事業を依頼、契約し、生じた廃棄物を東京電力が準備した管理施設に回収すべきです。
・各地に「仮置き場」を作って一時保管し、8000ベクレル/kg以下のものは埋め立てて、それ以上は、汚染廃棄物が多い都道府県には、都道府県ごとに最終処分場を造ることが環境省の方針です。これは各地に分散することでもあり、すべきでありません。
・都道府県ごとの処分場を最終処分場としながら、福島の大規模処分場を「中間貯蔵施設」としていることも、整合性がなく場当たりな、いいのがれの方針です。
・東京電力が回収しない現状では、廃棄物の引き取りを東京電力にまず要求し、引き取りに来なければ東京電力に搬送費用を後日請求し、東京電力に搬送して引き取らせるべきです。
福島第一発電所に搬送することが本来のあり方ですが、事故を起こした福島第一発電所に搬送することは、事故処理を妨げることになります。
東京電力本社に搬送しても置いてくる場所がありません。
現時点においては、放射性廃棄物を搬送先としては福島第2原子力発電所が最適です。
福島第2発電所は福島県議会も福島県知事も廃止を要求しています。
福島第2原子力発電所は、福島第1原子力発電所に近く、今回の事故で強く汚染された土地でもあり、職員は放射能管理の知識を持っています。広大な敷地があり、隣接地も広大です。
・放射性廃棄物=有害物質をまき散らされた、個人や事業所自治体は、自らの土地に蓄えず、福島第2原子力発電所に搬送することが、放射性廃棄物処理の原則からも、社会道徳からもすべきことです。
福島第2原発に、全国の放射性汚染物を送りつけて管理させよう
はじめに
政府は、各地に放射性廃棄物「仮置き場」をつくり、汚染された各県毎に最終処分場を造る方針で各県と折衝をすすめています。
福島県には大規模な処分場建設の構想を持っています。
この大規模処分場こそ、放射線処分の中心にすべきです。
しかし政府構想では、福島県内から集められた廃棄物のみを対象とし、「最終処分場」ではなく「中間処分場」としています。
これまで私は「各地の除染作業で集めたり、焼却施設の残灰などの汚染物資は、福島第一付近に、すべて集めて管理する処分場を造るべきだ。政府はこれを作れ」と主張してきました。
これに賛同して下さる方たちが全国的な署名活動を展開し、政府や関係自治体に要望してきました。
この主張は、今でももっとも正しい方針と考えています。
しかし政府と東京電力は、福一付近の土地を、唯一最大の処分場を造るために被災者から買いとってすぐに処分場を造ることを行わず、福一付近の住民も、政府宣伝の下で協力的ではありません。
福島第一原発周囲の高汚染地域の被災地住民方のためにも、「高汚染地域に帰ることを目指してはいけない、汚染されていない地域を政府に準備させて新たな生活を早く始めたほうが良い」と今も考えています。
しかし上述の現状で、上述の要求をするだけでは、各地にそんざいする放射性廃棄物を首里できません。
このような状況の下で、放射能汚染物処分をどう考えるべきか、私は以下のように考えています。
全国の放射性廃棄物は、大規模な最終処分場1か所に回収して処分・管理すべきである。処分場を作る場所は福島第一原発付近の汚染された土地以外にはありえない。
全国各地の「放射性廃棄物 仮置き場」や「最終処分場」の候補とされた地域の人たちは、各地域ごとに放射性廃棄物を留めておくべきではない。
各地に処分場や仮置き場を作る国の計画を受け入れるべきではない。
全国の廃棄物は、東電福島第2原発に送り付け引き取らせる事が最善だ。
放射能処分・除染とは何か
・ 人の力や、化学反応で放射能を減らすことはできない。
・ 人ができるのは放射能を移動することだけ
・ 放射能の処分や除染というのは、人に影響を与えやすい場所から離して集めて管理すること
・ 汚染されていない地域や広範な地域に拡散したり、大気や水、土壌に拡散するのは、放射能処分(集めて管理)とは逆のことで、してはいけない
・ 除染するということは移動することだから、集めて管理する処分場を造って初めて可能になる。除染するためには回収して管理する処分場を造ることが最初に行うべきことだ。
・ 家や道路を洗って放射能を減らしてもその放射能は周囲に移動、拡散して汚染を広げることだ。放置よりも悪いことが多い。
<それまでは福島第2原発に全国の放射性廃棄物を送って管理させよう>
① 拡散は、放射能汚染物質の処分の大原則である「集めて管理」と逆であるから、各地に処分場を造ること自体が、拡散であるからすべきではない。
② 放射能汚染が少ない地域や場所に新たに放射能を持ち込んではいけない。放射性物質もちこみを拒否して、地域を放射能から守るべきだ。
③ 「仮処分場」「中間施設」と表現することで、「ごく一時的で近未来にはどこか最終処分場に移すまで一時的例外的に我慢すればよい」という、幻想を作る
④ 協力、理解を求めるべき住民を初めから欺いて進める方針はすでにその時点で、行政の在り方として正しくない。方針が誤っていることをさらに裏付けるものだ。
④ 近未来に最終処分場に移すなら、初めから最終処分場を造るべきだ。完成するまではそこに仮貯蔵すべきだ。
⑤ 放射性汚染物の処分場は、法令で厳重な設備の規定がある。「仮」「一時的」と言う言葉を使うことによって法令によって定められた厳重な安全対策を逃れさせる。放射能処分場で、「ビニールで覆っているから安全」などというまともな処分場もまともな説明もありえない。
⑦ 千葉を始め各地で出た汚染物質は、書く地域ごとの「仮置き場」におかれているが全国の放射性廃棄物は、直ちに、1か所、(最終)処分場に集めて管理すべきだ。
⑧ 汚染させた加害者は東京電力だから、政府の責任で東京電力に直ちに引き取らせるべきだ。
⑨ 引き取って処分管理する最適地は福島第一原発周囲のもっとも汚染された地域と考える。
⑩ しかし、東京電力も国もそこにすべての汚染物質を集め管理する施設を作っていないし作ろうとしていない。
⑪ そうであれば、各地で集めた汚染物は東京電力に配送、持ち込んで管理させるのが良い。
⑫ 持ち込む先は、福島第2原発だ。
⑬ 広大な敷地がある。
⑭ 福島県知事も福島県議会も、多数の福島県民も福島県で原発を再稼働しないことを求めている。
⑮ 福島第2原発北側に隣接して、原発敷地と同じ広さで地形もよく似た丘陵地がある(衛星写真。第2原発を拡大するための候補地として考えうる広さと地形だ)
⑯ 全国で出た放射能汚染物質は即刻福島第2原発か隣接した丘陵に仮処分場を造って引き取らせる。
⑰ 国や東京電力が、処分場を造るか否かにかかわらず、福島第2原発に送りつけて引き取らせることが、全国で放射能汚染物の処分に困っている自治体や団体、個人がおこなう最善の方法だ。
(資料)
中間貯蔵施設の規模
・容量(推計) 1500 万 m3~2800 万 m3
・必要敷地面積(推計) 約3km2~約5km2
中間貯蔵施設の構成
●受入・分別施設
・重量計量、放射線測定、分別を行う施設(屋内ヤード)
●貯蔵施設
・飛散防止、地下水汚染防止を行う。放射線の遮蔽等を厳重に行
い、敷地境界での追加的被曝線量を管理。
●減容化施設
・焼却施設
(災害廃棄物、除染で発生した草木・汚泥等の焼却・減容用、放
射性物質飛散防止型)
・その他の減容化施設(ふるいわけなどを今後検討)
●常時モニタリング施設
・空間放射線、地下水モニタリング施設
●研究等施設
・減容化、高濃度分離の基礎・実証研究施設
具体的な内容は、今後検討
・・・・以上は環境省構想概要・・・・・
この環境省構想は
・容量(推計) 1500 万 m3~2800 万 m3
・必要敷地面積(推計) 約3km2~約5km2
という極めて大規模なものです。
<A> 私の考えと異なる点や利権・責任逃れにつながりうるという点で、危ういものを含んでいますが、①それくらいの規模でやらないと、処理できないことを認めて、方針としたことと ②福島第一付近の汚染された土地に大規模処分場を造る ③ 除染で集めた大量のづ地は焼却処分などせずにそのまま保管 という意味で正当なものです。
正しくない考え方で重要なものは以下の2点です。
① 最終処分場ではなく、中間施設としていること
② 福島県内の汚染物だけを対象にしていること
基本的なことではなく、技術的なことで私の考えと異なるものもいくつかあります。
私の考えと環境省構想で重要で異なる点のいくつかは以下です
しかしこれは技術的問題なので、基本的な相違とは考えず、今後議論する課題としてよいと思います。
私の考えは以下です。
<積み上げる位置> 土壌から水が浸透しうる、地表より低い位置ではなく、地表よりも高い位置に積み上げる
環境所構想では、福島第一原発付近の丘陵地に大規模施設を作り、地表下に貯蔵するとしています。
<焼却処分を基本にするのではなく、(有毒化学物質を発生しうる一部の廃棄物は、焼却処分や化学処理が必要だが)除染作業などで集めた土壌や等はそのまま積み上げ、植物などは腐敗・分解して流出しない対策(簡単で有効なのは乾かして、そのあと、雨水や土壌から水が浸透しないようにすること)だけをして積み上げる。今回の環境省案では、量が最も多くなる除染で集めた土壌を、「焼却等せずに管理する」としたことは、私の以前からの考えと同じで、評価すべき内容です。
福島第一付近の汚染された土地に、大規模な処分施設を作るという点では、環境省構想は可です。
以上のことから以下が方針になります。
政府に対する要求
①強く汚染されてしまっている福島第一原発付近に
②大規模な最終処分場を造り、
③原発事故で生じた、全国に拡散した放射能汚染物質をすべてここに回収して処分管理する。
(これが、これまで行ってきた署名運動の主張です。時間がたって状況が変化したり修正したほうが良い部分もありますが、基本は同じなのでこれまでの運動はの継続として主張します)
全国の人々、団体、自治体に対する呼びかけ
① 福島第一原発から離れたところで処分。管理すること自体が、放射能拡散なのですべきではない。
② 各地に分散すると、長期的な管理がおろそかになり新たな汚染を生じる
③ 「中間」「一時的」という施設は、長期管理に自覚と対策をおろそかにする。後日移送する施設を造らない口約束は、既成事実を作ってそのまま固定化するという、社会と人々を偽るものだ。
④ 始めから偽りを持った担当者と方針では、正しい放射能処理はできない。偽りを含んだ口約束は社旗の健全も阻害する。
⑤ 放射能処分・管理する施設は、厳重な設置基準や管理規定が法的に決まっている。きわめて不十分な放射能管理施設を既成事実として造るために「一時的」「中間」という名称をつけることによって、安全性を著しく軽視し施設を作るための、放射性物質管理・処分の規定から著しく外れた施設を作る脱法行為だ。
したがって、
① 福島第一付近にただ一つの最終処分場を造らせ、そこに全国に拡散した放射性物質を集め処分・管理させるべきだ。
各地の自治体が引き受けてはいけない。住民の安全を阻害する。
② 有毒物質であれ、悪臭等周囲の生活に有害な物質をまき散らしたら、まき散らした責任者が、謝罪・始末・賠償するのが当然だ。放射能汚染物質も同様だ。
③ だから福島原発から全国にばらまいた放射性物質は東京電力の責任で、謝罪・始末・賠償すべきだ。
④ 東京電力が、汚染物質引き取りを積極的に行っていない現状でも、全国の放射性物質による汚染の回復と、汚染物質回収は東京電力の義務だ。
⑤ 各地に分散した放射性物質は、各地でため込むことは住民に不当な損害を強いるもので、住民の利益のために存在している自治体がこれを行えば、住民のための自治体ではなくなる。
⑥ 自治体が行うべきこと
・除染活動や、ごみ焼却、上下水道施設で集められた放射性物質を東京電力に引き取らせる。
・東京電力が、自らの責務として、始末し引き取らない場合は、集めた放射性物質を自治体が抱え込まず、東京電力に送りつける。除染にかかった費用と、送りつけるための運送費・経費は東京電力に支払わせる。
・支払を拒否する場合は、後日再度要求することを通告する。支払要求を民事・刑事裁判にかける。
汚染させた、有害物質を引き取らせることは、自治体の責務であるだけでなく、汚染された個人や団体等誰もが持っている権利です。
汚染物質を東京電力に送り返す活動は、自治体が責務として行うことと同時に、汚染された住民・個人・団体が行っていくことが正しいと考えます。
・ 政府に対する要求としては、「福島第1原発付近の強く汚染された地域に大規模な放射性物質最終処分管理施設を作り、全国の汚染物質はすべてここで管理する」です。
・ 福島第一原発付近に、全国に分散した放射性物質は福島第一原発周囲の汚染の強い地区に大規模な最終処分場を造ってそこに引き取らせることが正しいが、そのような処分場は現在存在していない。
福島台地原発付近に最終大処分場が存在しない、あるいはそれが完成するまでは、「全国の汚染被害者・自治体は、放射性汚染物質を各地にためっこまず、東京電力に引き取らせる。運搬先は福島第2原発」だということです。福島第2は国に要求することではなくて、全国の人や団体、自治体に呼び掛けるものです。
(注)本稿は、多忙のため未完成ですが、発表を更に遅らせてはいけないと考え掲載しました。2013年2月に書いたものです。
憲法-1.日本人が作った日本国憲法
(Twitterをまとめた)
戦後、連合国GHQは日本政府に民主的憲法作成を命じたが、政府が出した草案は、明治憲法を修正したような非民主的な物だった。1945年12月26日、鈴木安蔵ら憲法研究会が発表した憲法草案をGHQが英語に翻訳し、手を加えて日本政府に提示して造られたのが現在の日本国憲法だ。
現国憲法の基になったのは、明治時代、自由民権運動の中で日本人が作った憲法草案だ。
明治初期、自由民権の大運動が日本中で起こった。
明治政府は集会条例や新聞紙条例、讒謗率等を作り、言論活動を徹底的に禁止弾圧をくり返した。
運動の力をそぐために、憲法と議会開設を国民に約束した。
明治政府は自由民権運動に対して弾圧分断を進めながら国会開設を準備した。
国会開設を前に、自由民権運動の植木枝盛らは憲法草案を発表した。
この憲法案は基本的人権、表現の自由、法の下の平等、男女平等、民主制、社会保障、天皇象徴制が記され、現行憲法はこの憲法案にそっくりだ。
明治政府はこの憲法案を始め、イギリスやフランス憲法の民主的な精神は採用せず、プロシャ憲法を手本にして権力的な憲法を作った。
戦後軍国主義を解体させたアメリカを主体とする占領軍(GHQ)は、日本政府に民主的憲法作成を命じた。
新憲法作成に際して、多くの人や団体が憲法草案を作った。
日本政府がGHQに提出した憲法草案は明治憲法の手直しで、民主社会の基本になる内容ではなかった。
明治時代、自由民権運動の植木枝盛らが作った憲法草案を基に、1945年12月26日、鈴木安蔵らが憲法研究会案を発表した。
日本政府が民主的な憲法を作る意志も能力もないと考えたGHQはこの憲法研究会憲法案を英文に翻訳し、憲法研究会が憲法案を発表したわずか5日後には、この草案を基に手を加えて日本語に再翻訳して、憲法案として日本政府に提示し、これが国会承認を経て憲法になった。
一度英語に訳されたとはいえ、現憲法の骨子は日本人が、しかも自由民権の全国的国民的大運動の中で作った憲法案をもとに作った誇るべきものだ。
現憲法は文体まで、植木枝盛の憲法草案とそっくりだ。
現憲法は国会、政府を経て1947年11月3日承認成立し、平和憲法・民主憲法として圧倒的な日本国民に歓迎されて1948年5月3日発効した。
占領軍から命令された経過を持つ新憲法案だが、もとになったのは、明治政府が退けた自由民権運動で作られ憲法案だ。
憲法制定当時、日本は連合国軍の占領下にあり、日本社会の運営はすべてGHQの命令か承認の基に行われていた。
だから1952年サンフランシスコ講和条約以前に作られた法律や、施策はすべてGHQの指示で行われたものだ。
例えば、戦後軍国主義を止めて民主化した、家父長制を止め法的に男性女性を対等にして女性参政権を保障した、特権身分としての華族制度をやめ、財閥・大地主解体・禁止、教育の民主化。
押し付けられた、強制されたというなら、1952年以前の法令や改革はすべてGHQによる指示・強制だ。
押しつけられたから廃棄すると言うなら、サンフランシスコ条約以前に行われた、軍国主義停止、民主的改革と、そのために作られた法律と制度を全て廃止することになる。
古くは、鎖国を止めて開国をしたのも外国からの強制だ。
軍国主義を好み民主主義を嫌う人たちは、新憲法の内容にケチをつけることができないために、「新憲法は押し付けられたものだ」と侮辱して憲法改正活動=自主憲法制定運動を始めた。
自主憲法を主張する勢力の幹部は、軍備拡張賛成、多くは現在認められている基本的人権を制限したい人たちだ。
その後冷戦で、占領軍は実質アメリカのものとなり、占領政策はアメリカの利益目的に変わった。
朝鮮戦争がおきると米軍の後方戦力として、米国は日本国会にも国民にも知らせず突然、憲法と法律違反の警察予備隊(後に自衛隊)を作らせた。国民が知らないうちに、一晩でアメリカのためにアメリカの指示で作り、国民が知って大反対した。
国民の大多数が歓迎し、日本人の自覚と誇りを高めた憲法と対照的だ。
国民の了解もなく日本国民の税金を使ってアメリカの国益の為の警察予備隊を無法に作った。
日本政府独自の指揮による軍隊ではなく、指揮も装備も全てアメリカに従うアメリカの為の下請け軍隊だ。
警察予備隊は、装備の拡充とともに、自衛隊と名前を変え、憲法を無実化させ、法治社会をも壊し、自衛隊=日本軍を、世界有数の軍隊にした。
戦争責任者として留置されたり公職から追放されていた人たちが、対ソ敵視戦略というアメリカの都合で公職に復帰した。
積極的に戦争拡大指導した岸信介氏が公職を解除され、総理大臣になるなどの中で、平和憲法廃止・自主憲法制定活動を強めた。
自主憲法制定と偽って米国に追従して、強制したはずのアメリカのために改憲と軍備増強を進めてきた。
その中で、核装備準備のために原発も作った。
自主憲法制定=改憲論者と、軍備拡張論者と、原発推進論者の主要人物が重なっているのはそのためだ。
これが現在に至る米国の都合に沿った自主憲法制定改正運動だ。
自衛隊=日本軍を作ってからは「憲法破壊・違憲自衛隊・再軍備」に対する批判を抑圧し、自分の考えを発言する自由と安全の保障がない同調強要、侮辱恫喝が蔓延する社会を作った。
自衛隊を名実共に日本軍として完成させるために、官僚を批判しないマスコミ、戦後日本史を教えない学校、異論抑圧教育システム、法令の基本である憲法を侮辱し破壊する物言えぬ不法社会、実質的に非法治国にした。
強制されたことを嫌うなら、国民を無視して不法にアメリカが一方的に作った自衛隊こそ真っ先に清算すべきだ。
改憲勢力の「強制された」という主張は、憲法が「平和憲法・民主憲法」として国民から強く支持されて正当な批判ができなかったために、再軍備という本当の意志を隠して、「押し付けられた」とケチをつけるために使った人と社会を偽る主張だ。
真意を言わずに別の理由を言ってケチをつけたり責任回避しながら、異論無視抑圧して既成事実を作り強要する反民主的社会運営の仕方と、人格的抑圧を当然のように含む職務上の上下関係は、明治以来の日本の官僚の体質であり、多くの日本人の言動体質にもなっている。
真意を言わずに質問や異論に対して的を外さない回答をせず、すり替え人や社会を欺いて、健全な議論をさせない言動のあり方は、言葉と健全な議論を軽視し、民主主義を危うくする、ずるく無責任なあり方で、変えるべきだ。
軍備が必要だと主張するのではなく、軍隊ではないといって自衛隊を作り既成事実を作って国民に存在を認めさせるという、社会運営と主張は、人と社会を欺くと共に、自らの主張の正当性も否定するものだ。
日本国内では自衛隊だが、始めから国際的にはJapanese Army (日本軍)だ。
従来の自らの主張とさえ合致しない偽り野主張を、脅迫と侮辱的な姿勢で言動する勢力は危険だ
・・・・・以下は付録・・・・・・・・・
敗戦後、「これからは平和で自由な社会になるだろう」と平和憲法を大多数の国民は歓迎した。
食料不足でも希望があり明るかった。
戦前から軍国主義の中心にいた民主主義を嫌う軍国主義勢力は、憲法内容にケチをつけられないので、真の主張を隠して「押しつけ」と言って反憲法運動を進めた。
本心を隠して主張は克服すべき日本の特性だ。
押しつけだから改憲というなら自衛隊と安保条約米軍基地が押しつけだ→鎖国を止めて開国、戦後軍国主義を止めて民主化、家父長制を止め女性参政権保障、財閥解体、特権身分の華族制度廃止、財閥・大地主禁止、教育民主化、すべて押しつけだ。
押しつけなら止めるのか? 止めないから「日本国憲法は押しつけ」というのはすり替え目くらましの理由づけだ。
何度も行われているドイツや米国の憲法改正は、条項追加等で基本は不変だ。
憲法の基本を変更は、国を廃止して新しい別の国を作るに近い。
例えば大戦後のドイツ、ソ連崩壊後ロシア。
敗戦後の日本も近かった。
しかし、軍国主義と国民弾圧をした戦前の官僚機構を温存し、追放された戦前の責任者が米国都合で復活し自民党と官僚機構として権力を握り安倍首相に至った。
人を欺く解説は要注意だ。同意。 RT @noiehoie 「アメリカの憲法だって戦後十数回も変えられてる」、これ、全くの嘘でね、憲法本文は全くの手付かずだし、戦後に行われたのは、憲法の改正ではなく、条項の追加で、しかも全ての条項の追加が、「権力の抑制と権利の拡充」って路線で貫かれている
ドイツ最高裁はこれまで違憲判決を出して数百の法律を執行停止させた。憲法が機能し、法律が厳正に使われている。
日本は憲法第9条違反を始め沢山の違憲状態でも、裁判所が違憲判断し法律停止させたことがない。官僚が憲法や法律を実現するために働かず、官僚が法律抜け穴さがしをして、法律の主旨と逆転した行政を行う。官僚が法の権威と機能を劣化・停止させ手政府が従う日本は非法治国だ。
健全な民主社会にするには、憲法や法律が文面通り実行される当たり前の法治国にすることと、発言の自由と安全が文字通り保障される社会にすることが不可欠だ。
憲法は立法・行政・裁判の国民に対する権限制限とが国民に対する義務を規定する国の根幹法令だ。
国が国民を管理する自民党改憲案は、「基本的人権は永久の権利」を削除、公務員に憲法擁護義務を削除して代わりに「国民の義務」記載を増やしている。危険だ。
隷属と偽りを強要する日本の職場環境
処罰されないぎりぎりを狙って「法で認められている」と強要する経営者
人格的な目下扱い、恫喝をし、対等健全な議論を敵視攻撃する経営者
労働者の名誉と安全、権利を守ろうとしない行政
「労災隠しは犯罪です」と同様に行政が「労働基準法違反は犯罪です」のポスターを事業所に張らせてほしい。
それだけでも職場論同環境は良くなる。
以下は、労働基準法違反の不当な退職と退職条件を要求されて退職した人に関した話だ。
経営者から恫喝や屈辱を与える言動で、退職することを「示唆」されて、在職希望なのにほぼ強制的に退職した。
在職希望なのに自主退職の書類を提出させられた。
後日経営者は「退職を強要してはいない。そんなことをしたら自分の首が飛びます」と言った。
労働基準法など法律違反行為で自分のの首が飛ばないように、労働基準法違反の犯罪行為であることを自覚しながら、問題にされても処罰されない言葉を選んで、注意深く犯罪すれすれのこと自覚している。
退職を強要された人は経営者に抗議して、経営書も否定できない数値的に明確な労働基準法違反措置の一つは撤回されたが、他の具体的違反行為と脅迫・恫喝、侮蔑的対応は清算されないまま退職した。
「不当労働行為をしないように、勤労者を守るために経営者を指導してほしい」と退職前に労働基準局に行って申し入れた。
労働基準局の回答「労働基準法違反で具体的な損害が出たら来てください。そうすれば指導します。今回は撤回されたので指導はしません。恫喝や脅迫的言動は、感情的なことも入り、互いの言い分が平行線になるだけなのでそれだけでは指導できません。この事業所の従業員から同様の訴えがこれまでもあった。記録には残しておきます。」
退職予定者「これまでも人事権を使って恫喝的な職場運営が行われ、改善されず同様のことが何度も続いている。
訴えに来なかった人が多い。同じことがまた起こる」という申し入れを行った
この申し入れに対して労働基準局は「訴えられて初めて行政は動くことができる。不当と感じても、そのままで良いと考えて訴えなければ動くことはしない」
→その後更に人事権を使った経営者の恫喝に怯える職場は悪化した
日本の行政と行政担当者公務員は、法律と、国民個人の安全と名誉を守る自覚、自分で判断する責任と義務の自覚がない。
公務員は上司と上級官庁に嫌われないように、自分で考え判断、言動することを避けて、保身のために何もしないで良いようにと法律の抜け穴を探す。
国民が行政と公務員に法律通りの対応をに期待できなければ法治国でなく官僚支配非民主国だ。
国民一人一人、個人の自由、安全、名誉が尊重され社会的に保障される健全な社会にするためには、行政・公務員の根本的変革必要だ。
そのためには、行政の非民主制と無責任を批判するとともに、日本社会と私たち日本人ひとり一人に身についている考え方と言動のあり方の問題点を良い点と同時に分析し自覚して変えることとが必要だ。
・・・・以上twitter のまとめ。以下はいただいたコメントとやりとりのいくつか。追加修正を含む・・・
・不当な苦痛を受けている仲間を見捨て、人としてのまともさを捨てた人が見込まれ中間管理職になる。「能力を買われた」と思って、人に苦痛を与えて恥じない人間になってのさばる。
こうして人を貶め恫喝し他人の苦痛に平気な日本人が増えた。日本的上下関係が基本にある
・この社会の現状が、トップから中間まで、既にそのタイプがのさばっていますね!そして、上位者の指令には隷従し、下には平気で嘘をつく!更にグローバル支配が進んだTPP後の社会でも、更に幅を利かしそうです!
・ 心当たりがたくさんあり、日本社会を表していると思います。中間管理職がリストラの追い込みや派閥間の圧力がけを行い、そのうち人としての正常な感覚が麻痺し、人格否定や汚い言葉で大勢の前で罵る、二枚舌の常用に抵抗をなくすようです。
・場当たりの言葉でやり過ごす、真意を言わない、他人を偽る事が通用する日本社会と人のあり方を変えなければ人も社会もまともにならない。責任持つ言葉を話し、言葉通り理解して言葉通り対応するのが当然で尊敬しあう社会・人間関係・自分のあり方を作るべきだ。KY等裏よみ大切は健全誠実と両立しない
・日本人は、強いものと周囲に無自覚に同調し、少数者を抑圧侮辱する性向が身についている。正しいことすべきこととしてはいけないことさえ決断しない。感想を言ってあとは流れてついていく。自分は普通と考えて、自分の意見が以前と逆転してさえ気づかない。
・同意!その通りの人が近くにいる。
・私も以前は自分がスレイブ又はサーバントだとは思っていなかったわけで。まぁ覚醒しただけマシか。
・強者への同調・従属をセットにした教育は子どもの正直・優しさ・知性を抑圧する。
自分が考えたことの実現に努力し、自分と相手の名誉と誇りを育てる知性、正義感、勇気、自覚、優しさ、誠実を育てる教育が必要だ。
深く考えず支配されやすい愚民化の教育が加速している。
・自分の頭で考え、自分の心で行動する。これが基本です。
理解者が周りにいなくても動く。これが基本だと思う。
・法律違反でも責任者を処罰しない。日本は法律を文面通り運用せず、法律を適用するかどうか官僚が決める、官僚支配の非法治国だ。「法律通りやってよい?」と上司に聞かないとできない恣意的国家運営。法律通りすると排除。行政がこうだから、職場や事業所どこでもそうだ。
<世界のジョーク>
旧ソ連:法律で許可されていないものは、禁止
アメリカ:法律で禁止されていないものは、自由
ドイツ:全て法律で明文化されている。厳正に法律を運用
日本:法律通りやってよいか、上司に聞かないとわからない
日本人と日本社会は、すべきこと、してはいけないことを判断する自覚も熱意も判断能力も喪失し、規範も失い劣化した。
周囲と上位者の期限を損ねないように周囲に合わせ、自分独自の判断決断を恐れる。多数とは異なる言動は正しくても排除、侮蔑する。
だから上位者の意向と強者個人のキャラクターがその場と人格まで支配する。
自由に発言できない、発言の自由がない、個人を抑圧し復興にする前近代的非民主社会、危ない社会だ。
「未来に生きる子ども・たち孫たちを守るために」横手講演会録画
子ども・たち孫たちを守るために
―いま大人が出来る事は何?―
講演会録画
2013年3月17日(日)横手市かまくら館ホール。
横手講演録画(A)-前半
横手講演録画(A)-後半
(講演会録画(B)前半)
(後半は録音不良)
横手講演会ーその1
横手講演会‐その2
冊子「放射線の影響とこれからのこと」多賀城講演録画と書き起こし
―――知ろう訊こう考えよう―――
講演会in多賀城 岡山博医師
主催 「放射線被曝から子どもを守る会 多賀城」
この文章は、主催者HPの講演録画を見て書き起こし、「アヒンサー:未来に続くいのちのために。原発はいらない」誌 第4号に掲載して下さったものを転載したものです。転載にあたって段落を入れ、図と注釈は省きました。
・・以下、「放射線の影響とこれからのこと」講演と発言録画書き起こし・・・
(岡山 博) どうぞ、途中でも質問してください
今日は、放射能について、あるいは被ばくについての知識の提供と、それに対して、私がどう考えるか。この考えるというのは、みなさん一人ひとり、みんな違っていいことです。なる程と理解するのは知識のところまでです。
本当にその考え方がいいのだろうか、別の考え方もいいのじゃないだろうか、という議論があった方がいいのです。
いい議論が出来るためには、「それは違うのではないか」というのが出てくることがとっても価値があります。
大切なことは、自分で判断することです。私の言っていることはいいこともあるし、悪いこともあるかもしれない。
仮に良いことがあったにしても、こことここは正しそうだと、ここはちょっとあやしいから保留しておくとか、そういう聞き方をしてください。
それで、どうぞ、途中でも質問してください。「それは違うんじゃないか。私だったらこう考える」とか、「自分はうまく理解できない」とか、そういう質問をしてください。
今、福島県立医大が中心になってやっている国の被ばく対策というのは、「被ばくに対するストレスが多い。そのストレスを解除するためにサポートすべきである」という立場です。
それで甲状腺の検査をしているのも、「甲状腺の検査をして、早く病気を見つけて治療をしよう」というのではなくて、「不安があるから検査をします」というのが基本的な立場です。
放射能のこととか専門的な話も少しはします。そういう知識は深く理解すると、より深く理解できてとても楽しいです。考える役に立ちます。
しかし、そういうことがなくても、考えることは十分にできますから、面倒くさい話はとばして、全部覚えてくださらなくても結構です。
放射線とは
放射線というのは紫外線ととても似ています。
紫外線も放射線の一部と考えることが出来ます。
例えば、新聞紙などを日なたに出して置くと、色が黄色くなってボロボロになってきます。
それは新聞紙を作っているいろいろな物質が紫外線で少し壊れて、性質が少し変わるからです。
そういうのを「変性」といいます。
そうではなくて、例えば、新聞紙は火をつけると、ほとんど水蒸気と二酸化炭素と灰になって残りますが、もうこれは始めの新聞紙と全然違いますから、これはまったく別の物質になったものです。
放射線を出す物質を放射性物質といいます。放射性物質から出る放射線というのはアルファー線、ベータ線、ガンマ線というのが主要ですけれども、どういう放射性元素から出るかということによって、放射線の種類と放射能は違っています。
大体100種類くらいの放射性物質が原発で作られます。
放射線を出す能力を放射能といいます。
放射能はだんだん少なくなっていきます。
それを半減期といいます。
ある時間が経つと半分になり、また同じ時間が経つとその半分になるというふうに、ひとりでに減っていきます。半減期の短い放射能はより強力な放射線を出します。
有名なヨウ素131は、半減期が8日です。
8日間経つと半分に減り、また8日間経つとさらに半分の4分の1になる。
それで1回の半減期8日というのを10回やると、80日で大体1000分の1になります。この半減期というのは、放射性元素の性質として決まっていることで、人間が短くしたり弱くしたり、無くしたりすることはまったく出来ない。
それが、普通の毒とまったく違う放射能の性質です。
東電福島原発の爆発
原発では、原子炉の中で燃料のウランが核分裂をしています。
核分裂をするとウランの核が二つにわかれて、この時に元の1億倍もの放射線とたくさんの熱が出ます。
原発1基を1日動かすと、広島原爆の3発分くらいの放射能が出来ます。
それが毎日どんどん、どんどん溜まっていく。
半減期の短いものはどんどん減っていくけれども、半減期の長いものは燃料の中にしっかり残っているわけです。それが厄介な使用済み核燃料です。
3・11では、東電の福島原発で、原子炉の中の核燃料を冷やすことに失敗して、燃料が溶けて、それによって発生した水素が原子炉の外に出てボンと爆発しました。
日本のテレビでは放映されていませんが、インターネットでは良く放映されている3号機の爆発。
上空800㍍まで飛び散って、キノコ雲ができて、上から瓦礫がバラバラ、バラバラ落ちてくる。
原爆とほとんどそっくりです。
細かい砂は風に乗ってウワーっと広がる。
もっと小さいホコリはいつまでも空気中に浮いている。
瓦礫も砂もホコリも、全部放射能がくっついていて、そういうものがあらゆるところに、世界中に広がっていきました。
そして、放射能は空気中にホコリのように浮いていますので、この時、雨とか雪が降りますと、浮いているホコリを全部雨とか雪がくっつけて下に落ちます。
そうすると、空気中に浮いている放射能の量は同じでも、その後、数日から数十年にわたって、地面にどのくらい溜まっているのかというのは、その時の雨と雪とで大いに違ってきます。
逃げるのが一番重要だった
この時期に一番大切だったのは、いま放射能が来ている。危ないから逃げるということと、この後どうなるか分からないから逃げる。
これがとっても大切でした。
日本列島というのは基本的に西風が吹いていますから、爆発して飛んで行った放射能のホコリは、9割が海の方に流れ、海に落ちました。
しかし、空気の流れ、風というのは毎日一定ではないですから、日によって行ったり来たり、南風になったり、北風になったりいろいろします。
だから、陸上を汚染したのは1割だけでしたが、その時低気圧があったりして、東風だったら今の10倍の汚染があった可能性があるのです。
そういうのが分かったのは、ずっと後のことです。
だから、あの時点では、これからいろんな可能性があるということで、できるだけ逃げる、早く逃げるということが非常に大切でした。
それから逃げられない人に対しては、絶対に、危ない放射能を食べるな、水は飲んではいけない。
それからホコリをかぶっているから、家に帰った時には、玄関で全部上着を脱ぎ捨てて、すぐにシャワーを浴びて洗い流すということが、とても重要だったのです。
爆発した直後というのは、数分とか1時間とかいう半減期の短い放射能がたくさんあったのです。
だから爆発したはじめの数時間とか数日というのは、そういう強力な放射能を吸いこんでいた可能性がありました。
空気中に浮いているホコリを吸いこむのは、極めて危険です。
それから、そういうホコリは地面に落ちてきて、水とか野菜を汚すわけです。
この時の放射能はとても高いです。
それを食べるのは極めて危険ですから、当然、そういう物を食べてはいけないです。
しかしこの時に、そういうことに対して国が言ったのは、「直ちに健康に影響はない」と。
「まだ放射能は大したことはない」と。
何か新しいことが起こるたびに、可能性の一番軽いものだけを言って、それ以上の悪くなる可能性とか、それから、すでに悪いけれどもまだ測定されていない、もっと悪い可能性については、発表しないだけではなくて、「もっと悪い可能性はないのか」、「これからもっと悪くなる可能性はないのか」という質問をすることも禁止しました。
「不安をあおる」と。
「そういう人を相手にするな」と。
それでマスコミは、政府とか東京電力に質問することもしなくなりました。
それで「これくらいは安全です」ということだけが出てきました。
このころ専門家という人たちが、盛んにテレビに出て解説しました。
「これくらいは大したことではない」、「心配する方がずっと有害だ」と。
飯舘村は非常に強い放射能汚染を受けた所ですけれど、「心配するな。子どもを外で遊ばせなさい。自分の家で作った野菜は、大したことはないから食べなさい」と、わざわざ食べさせました。
そして「どうなるか分からないから、そんなことをしちゃいけない。危ない」と言った人は、不安をあおるといって、みんな仲間外れにされました。
これは社会からもそうだし、家族の中でもそうです。特に小さい子どもを持ったお母さんが心配すると、爺さん婆さんからよく言われました。
「お前は神経質すぎる。国だって県だって、大丈夫だと言っているじゃないか」と。
そういうことで、家族で話が出来なくなって、ほとんど家庭崩壊のようになった家がたくさんあります。
ともかく、政府とか東京電力が、「これくらいなら大丈夫だ」と言ったことを真に受けて信じた人が、避難しないでたくさん被ばくをしてしまった。飯舘村、福島市でも子どもを平気で雪で遊ばせた、家の野菜を食べさせた、ということが続きました。
東電は爆発することを知っていた!
それでは、国とか東京電力は本当に安全だと考えていたのか。
3・11に地震があって、原発で事故が起きた。
いろいろやっているけれども、うまくいくかどうか分からないという時点で、東京電力は、「あと7時間半したら大爆発する」ということを予測しました。
この時点で、東京電力は従業員の家族を、福島県からすぐ退避させるという行動をとりました。
爆発する前です。
東京電力の家族が、これは大変だということで、自分の知っている人や、少しでも知っている人にどんどん電話をかけまくった。
それで避難できた人がたくさんいます。それは原発のある浜通りだけではなくて、中通りでもそうです。
東電の人たちがさっさと逃げて、けしからんということではなくて、逃げるのはもっとも正しいことなのです。
悪いのは逃げたことではなくて、他の人に逃げるなと言って逃げるのを妨げたこと、逃げるのが大切だというのを、うんとみんなに知らせなかったことです。
逃げたことが悪いのではなく、逃がさなかったことが悪いのです。
パッと正しい反応した外国
この時の外国の反応はすごかったです。
パッとみんな正しい反応 をしています。
ヨーロッパの国はほとんどです。
「日本からすぐ避難しなさい。それが出来ない人は関西に逃げなさい」と。
フランス政府は、すぐにチャーター機を何機も頼んだ。
それからアメリカの原子力空母が宮城県沖に来ました。ところが、福島原発からの放射能のホコリで空母が汚染されたということで、退避しました。
それから、震災報道のために、世界のもっとも優秀な報道機関であるイギリスのBBC放送とアメリカのCNN放送というのが、仙台に震災の報道の拠点を作ったのですけれど、福島原発が爆発したときには、すぐに秋田と山形に拠点を移動しました。
日本の大半のマスコミは、記者の安全のために、50㌔以内に記者を入れないことにしました
。それから多くの日本の大企業が数日後に、東京だって危ないということで、本社機能を大阪へどんどん、どんどん移転しました。だからみんな危ないということを知っていたのです。
フランス政府は日本に住んでいるフランス人のために、去年(2011年)の12月までに8回も勧告をしています。
「検査体制が不安だ。福島や宮城、栃木、茨城の農作物は要注意である。ちゃんと測定されて確認されている物だけを食べなさい。はっきりしていないものは、注意しながら食べなさい」と。
それから、「基本的には日本に行くのはやめなさい。やむを得ない事情で、この4つの県で生活するようなことがあれば、「外からホコリを家の中に持ちこまない。雨の日は外の汚れた放射能の泥を家に入れないために、靴を家の中に持ち込まないように」と。ホコリは放射線を出す塊ですから、そのホコリを捨ててしまえばいい訳です。それを放っておくと、30年してもセシウムは半分になるだけで、ずーっといつまでもその毒があるわけですから、そのホコリを「小まめに小まめに拭き取って捨てなさい。子どもが外で遊ぶのはとっても危険だ。外は放射能だらけだから、外にあるものは決して口に入れないように、子どもが外に居るときは見張っていなさい」などと、日本に居るフランス人のために何度も何度も勧告している。これは正しいことです。
だけど日本の政府とマスコミは、「汚染はわずかだ。危険はない」と。
「あわてるな、家に留まれ、危ないという人は不安をあおる変な人だ」と。
そして「そんな人の話を聞くな」というふうに言ったわけです。
世界で作られた拡散の予測図
放射能はどっちに行くか、どれくらい汚染されるかというのは、その時の風の方向と強さと、それから福島の原発からどれくらいの量が拡散して飛び出しているかということ、この3つで計算されるのです。
それが分かれば、風下から離れることが出来ます。
これは、ドイツの気象庁が発表した予測図です。
爆発して飛んで出た放射能のホコリがどういうふうな広がり方をするかという図です。
日本の気象庁が発表した天気関係のデータを使って計算したものです。
日本政府が原発でどのくらい放射能が出ているかということを発表すれば、ここに直接数字を入れることが出来ます。
しかし、日本政府はそれを発表しませんから、ここまでの割合の予測しか出せなかったのです。それでもこれがあることはとても役に立ちました。
ドイツのような予測図をスウェーデン、台湾、オーストリア、オーストラリアなどが出してくれました。
それをインターネットで見ることが出来たのですが、普通の人は見られなかった。
新聞社とか放送局はそういうのを見て知っているのですけれども、それを放送することをしませんでした。
日本政府も原発事故に備えて、スピーディという予測を作る優秀なコンピュータを大変なお金をかけて作っていたのです。
それを政府はアメリカ軍には伝えたけれども、国民には伝えない。
福島県には届いていたけど、県民に伝えない。ということで、みんな早く逃げることが出来なかったのです。
私が非常に心配していること
現在も放射能はあります。
一つは、原発からまだ放射能のホコリが出ています。
原発から水蒸気がウワーッと上がっていますが、当然あの中には放射能が入っている。
それから非常にレベルの高いホコリもいっぱいありますから、風で当然舞い上がるわけです。
非常に大量です。
それは原発が爆発した時と比べれば、はるかに少ないけれど、しかし、普通の日常的な世界であったら、どの1日があっても世界的な大事故になるようなレベルのものが、今でも出されている。
もう一つ、私が非常に気にしているのは、全国で牛肉が、セシウムで汚染されて出荷停止になった。
その原因は、全国で宮城県の稲わらが牛の飼料にいいというので使っていた。
その稲わらがセシウムで汚染されていたからです。
ということは、稲わらだけじゃなく、周辺にある草や落ち葉が、同じように汚染されているということです。
こういう稲わらや落ち葉を、普通どうしていたかというと、飼料にする以外は、全部野焼きでどんどん燃やしていたのです。
宮城県の稲わらが多い時で1㌔当たり1万数千ベクレルという非常に高い放射能が出ましたけれども、いま、放射能の付いた枯草を野焼きしたら、放射能は煙と一緒に飛んでいくか、後の灰に残るのです。
高速道路を走っていて野焼きの煙で先が見えないことがありますけれど、それはみんな近くに落ちるわけです。
燃やして重さがうんと少なくなって、放射能が全部灰に残って、重さが全体の20分の1に減ったとします。
そうすると放射能は減りませんから、燃やしたために重さ当たりの放射能は20倍になるということです。
今でも野焼きを続けています。
どんどん燃やしています。
私は、この野焼きが危ないと、あちこちで言ったのですけれども、結局ちゃんと取り上げられなくて、野焼きは全然規制されていないのです。
その結果、放射能の煙を呼吸しています。
野焼きだけでなくて、薪ストーブが同じようにとても問題なのです。
農村部とか山間地帯に行くと、自分の敷地内にある木を切って乾かして、それを燃料にしたりいろいろ使っているのです。
それから残った灰は、焼畑農業と同じで、全部肥料として畑に返しているのです。
これは考えればすぐわかることです。
それを規制するということは非常に簡単な話ですけれど、それをやっていないです。
そういうことで、農村地帯の野焼きとかゴミ焼きや薪ストーブ、これによる大気汚染、呼吸器からの内部被ばくは、もしかすると、原発の大爆発によって起きた空気による汚染よりも高いかもしれない。でも、そのデータはまったくありません。それを心配しています。
放射能は消えない
原発の事故が起こる前から文部科学省の指示で、どの県も降下放射能*というのを測っていたのです。
降下放射能というのは、上から落ちてくる放射能です。
普通何マイクロシーベルトというのは、地面からくる放射線ですけれど、降下放射能というのは、放射線を出す粒が空気にフワフワ浮いている。それが落ちたものを測っているのですけれど、福島県と宮城県は地震でこの計器が壊れました。
福島県は2か月もしない内に測り始めたのですが、宮城県は機械が壊れたからと言って、12月まで測りませんでした。
それで、放射能で汚染された稲わらを食べた牛の牛肉がうんと汚染されたのが分かって、その原因は上から落ちてきた降下放射能ですが、これは全然測っていない。
その後、野焼きとかでどのくらい降下放射能があったのか、宮城県はデータをとっていないので、まったく分からないのです。
福島県はばく大です。
山形県も相当やられています。
山形県よりも宮城がはるかにやられているはずなのだけれど、それを東京に持って行って測ればよいことを怠ったのです、宮城県は。
それで現在はどうなっているかというと、フワフワ浮いていた放射能のホコリは風で遠くに飛びます。
雨と雪ではどさっと落ちます。
この放射能はもう消えない。
セシウムなら30年経つと半分になるというだけですから。
それ以外は移動しない限りそこにある。
そうすると、雨で落ちてきたホコリは水と一緒に流れていき、水溜りになります。
水溜りになったものは乾きます。
でも乾くのは水だけで、放射能は全然なくなりませんから、水溜りにどんどん溜まってくる。
それから藁とか枯草というのは水をうんと吸いますから、吸って乾いてを繰り返して、放射能がうんと溜まっていきます。
それから、山の中では放りっぱなしですけれど、公園とかでは人が落ち葉を集めます。当然、落ち葉や草はだんだん腐ったり乾いたりして容積が小さくなっていく。
すると放射能は全然変わらないから、重さ当たりの放射能はどんどん高くなっていく。
そういうようなところが、宮城県にはいたるところにあります。
福島は原発の一番いい立地場所だった
福島原発を東京電力が造った時に、一番いい立地を考えたのです。
その後はだらだらと基準を下げて、どこへでも造るようになりましたけれど。
つまり、事故が起きた時、東京から離れていて、東京が汚染されないで、放射能は海の方へ行く。
太平洋に面していて、放射能が出たら湾の中じゃなくて全部大海に流れ出して、しかも大きな海流で運び出してくれる。
そして、そこへいつでも西風が、陸から海へ吹いている。
そういう立地を福島県に見つけたのです。
その前に茨城県に原発を考えた時も、同じでした。
あの時の風向きで放射能は宮城側に来ました。
その後、白石まで来たところで風向きが北風に変わったので、福島の中通りが汚染されたのです。
もし、この時にあと数時間同じ風向きが続いていたら、仙台は福島と同じです。
これは後になってわかったことです。
だから仙台でも汚染される可能性があったから、仙台の人も福島の人も、あの時点では出来るだけ逃げなければいけなかったのです。
今、福島とか郡山も非常に汚染がひどいのです。立ち入り禁止にできなくても、本当は住んではいけない、それくらいのレベルです。
非常に汚染された海
次は海です。
海は非常に汚染されたのですが、陸地と違って水があって希釈されるし、流れていくものです。
はじめに一番多かったヨウ素は、今はもうほとんどありません。
この図はアメリカ海軍が作ったものです。
黒潮の海流が南から、親潮の海流が北から来ます。
二つの大海流です。
福島から出た汚染水は、親潮の大海流で南に運ばれる
。それで黒潮とぶつかって東に行く。
それから互いがぐるぐるぐるっと渦を巻く。
渦を巻いて仙台に行くのです。
そして空気と違って、海流は常に一定していますから、何か月も同じような状況が続いています。
こういう図があると、どういうふうに注意したらいいか、とすぐにわかるわけですけれど、日本政府は発表しないのです。
「餓死しても食べてはいけない」
今度は食品の問題です。
去年の事故が起きた後、国は暫定基準を作りました。
その内容は、ヨーロッパで作っている暫定基準とほとんど同じものです。
ヨーロッパではなぜ放射能に対してきちんとしたものを持っているかというと、原発事故というよりは、アメリカとソ連の間で核戦争が起きて放射能の汚染が起きた時にどうするか、ということを非常に心配して、真剣に取り組んでいます。
スウェーデンでは、大きな洞窟に飲料水をたくさん貯め込んでいます。
それで、暫定基準というのは、「3日以内くらいに安全なものを支給するから、汚染された水は飲むな、食べるな。どうしてもこれ以上食べないでいると、餓死してしまうかもしれないというときでも、これ以上は食べるな」という基準です。
それとほとんど同じものが、日本政府が発表した暫定基準です。
暫定基準というのは、今言ったように、「餓死しても食べてはいけない。どうしても我慢できないときには、これくらいはやむを得ない」というような基準です。
ところが、日本政府は、「暫定基準は安全だ。これ以下の量を心配するのは、心配し過ぎだ。不安をあおる悪質な行為だ」というふうにずっと言ってきたのです。
宮城県知事は、牛肉が暫定基準以上に汚染されて出荷停止にしましたが、4週間後に解除しました。
詳しいことは言いませんが、あの大きな牛の体の中にあるセシウムが、4週間では1割も減りません。
だから減って解除したのではなくて、禁止した時には高いレベルの牛を測ったから禁止したと。
解除するときにはもともと低い牛を測ったから解除したと。
それだけの話です。
でも、解除してからは全頭検査をすることにしたのです。
検査して解除するという記者会見をした時に、記者から質問が出ました。
「これからどういうふうに安全を確保するのか」と。
知事は「それはちゃんと測って、安全であるということを消費者に知らせる」と。
その時の新聞記者の質問は「測ったら測定値を発表するのか、しないのか」という質問でした。
知事は「消費者はそんなことを言っても理解しないから発表しない。安全だというだけで十分だ。安全であるということは、今の暫定基準よりも高くないことである」と言いました。
だから、500ベクレルまでは食べさせるという基準です。
食べものは、「100ベクレル」で安全
そして、今年(2012年)の4月から、食べ物の放射能が暫定基準から新基準*に変わりました。
飲料水は200ベクレルから10、牛乳は200から50に変わりました。
それで多くのマスコミではこれを歓迎しています。
厳しくなって安全になったからいいだろうと。
私は違うと考えています。
例えば、牛乳は50ベクレルになりましたけれども、牛乳というのは、地域とか農家ごとに測っているのではなくて、たくさんの量を集めて、混ぜたものを測るのです。
だからどこか一軒でうんと高いのがあっても、全体が薄められて、測定値が低くなってくるのです。
そうすると、今まで原発がどうなるか分からないという時期に、一番高いものでも30ベクレルでした。
今はかなり安定してきましたから、大体見通しが立つわけです。そうすると50ベクレルに変えたところで、何もしなくてもいいという値なのです。
普通の食べ物は、今まで500ベクレルだったのを100にしました。
しかし、これには例外が三つあるのです。
米と牛肉と大豆です。政府の説明は、「市場の混乱を避けるために、この三つについては、新しい基準を使うのは遅らせる。
米と牛肉は半年後の9月30日まで、大豆は12月31日までは、今までの基準でよろしい
。加工食品は賞味期限まで売ってよい」と。
米の場合、「新米が出来るまでに、今までの汚染された米は全部売ってしまいなさい。売りきれなかったものは米の粉にしたり、煎餅や餅に加工して商品にしておきなさい。そうすれば今まで通り売って全然構わない」ということです。
この三つの品目が、新しい基準になったことによって、もし、流通量がその分減ったら、はじめて有効だと考えられるわけだけれども、実際は汚染食品の流通は、まったく減らないです。
だから、被ばくを少なくするためにはまったく役に立たない。
それは新基準が被ばくを少なくすることを目的としているのではなくて、「出来るだけ汚染された食品を食べさせる」ために、形の上で決めたものだからだと思います。
別の考え方があったら、どうぞお話して下さい。
原発で 「100ベクレル」は、危険なゴミ
1か月くらい前に、東京電力の新潟県にある柏崎・刈羽原発に、どこかのテレビ局がインタビューしました。
「放射能で汚染されたものを、どういうふうに処理しているのか」と。
そうしたら、「法律通りきちんと、今までの基準でやっています」と。
その基準というのは、「1㌔㌘当たり100ベクレルを超えるものに関しては、原発の敷地から外に絶対出さない。
焼却処分をして容積を減らし、ドラム缶に詰めて何十年も原発の敷地内で保管します」と。
原発の敷地から外に持ち出してはいけない、普通の人を近寄らせてはいけない、これが1㌔㌘100ベクレルです。
これは食べる量でなくて、危険だから、原発から運び出してはいけない基準だということです。
それから、原発は必ず、放射能を空や海に出していますが、この時、汚染水として海に流してはいけない基準は、1㍑つまり1㌔当たり90ベクレルです。
事故の後の飲み物の暫定基準は、200ベクレルでした。原発から海に流してはいけない基準の倍以上でも、飲んでいい、その5倍以上の500ベクレルを食べていいと。
食べていいどころか、心配して食べないというのは不安をあおる行為だと、そういうふうに国は説明しました。
毒物の測定の仕方
新基準が出来る前から、野菜についてどういうふうに取り組んできたかというと、例えば、静岡県、神奈川県でも、キャベツが汚染されているとわかると、仕方がないから測るわけです。
そうして、500ベクレルを超えると、基準を超えているから出荷停止にするのです。
しかし、測った畑は出荷停止にするけれど、その隣の所は測っていないから停止しないのです。
それから同じ畑の中でも、キャベツは測ったけれどほうれん草は測っていないから、ほうれん草は出荷停止にしないのです。
そういう測定の仕方をずっとしてきました。
国とか自治体は、消費者の皆さんに安心していただくために、「安全を証明します」という測り方です。
ところが、毒物の検査というのは、毒がないのかどうか、毒がありそうなところを探して測らなければいけない。
放射能は、一番放射能がなさそうなところを測るものだから、いくら測ってもそれが全体の傾向を示さないのです。
それから、宮城県でも米とか牛肉とかいろいろ汚染されましたけれど、それをコンピュータで県とか国の役所のデータを調べても、最近1週間のデータしか出さないのです。
だけど私たちが本当に知りたいのは、いつごろ、どれくらいまで出ていたのだろうか。その後どうなったのだろうか、ということなのですけれども、それを知らせないのです。
いっぱい測っているけれど、いっぱいクズのようなデータを集めて、肝心のデータを埋もれさせてしまって使えない。これはちょっといい過ぎかも知れない。
いろいろな考え方があります。
国は内部被ばくを無視している
今度は内部被ばくの話です。
外で測って何㍉シーベルトとかいいますが、これは主にセシウムです。
ガンマ線を出すゴミが地面にいっぱいあるわけです。
これを測っているのです。これが外部被ばくになります。
もう一つ、体の中にセシウムを取り入れてしまって、それで被ばくするというのがあります。
これが内部被ばくです。
これは極めて重要です。
国の内部被ばくの危険性に対する評価は非常に低い、あるいはほとんど無視している。
そういう専門家がリーダシップを取って今の政策を作っています。
外部被ばくが心配です
会場からの発言
【内部被ばくの話に入る前に……。娘が通っている幼稚園が裸足での保育を奨励しているのですが、土を測ったらセシウムが100ベクレル。その外部被ばくをとても心配して、何とか説得して娘に靴を履かせているのですが、足に外部被ばくで100ベクレルくらいだと、どのような状況なのかということを、聞いて帰りたかったのですが。】
外部被ばくの場合は、セシウムから出るガンマ線は、これは紫外線とかレントゲンとそっくりです。
光がポッと飛んでくるのです。
普通の光だと、紙1枚でも止められますが、レントゲン線もガンマ線も鉛や鉄の板でないと止められない。
みんな通り抜けていきます。
つまり、靴を履いていてもガンマ線はまったく避けられないのです。
ガンマ線の100ベクレルという量は、そんなに高い量ではないから、それ自体は裸足で歩くかどうかということはあんまり問題にならない。
裸足で歩くと小さい傷を作って、そこから放射能を取り込んでしまって、内部被ばくになるかもしれない。
そちらの方がむしろ問題です。これでいいですか?
被ばくと距離の違い
放射線というのは、例えば、電球で明かりをつけた時に、そのうんと側では明るいけれど、離れると暗くなります。
あるいは電球にうんと近づけると熱いです。離れると熱くないです。」放射線は距離の2乗に比例して少なくなる。
だから1㍍の所で被ばくしたのか、100㍍の所で被ばくしたのかでは、距離が100倍違うから100の二乗、100×100は1万。だから1㍍と100㍍では100倍、1㌢と1㍍でも100倍だから、被ばくとしてはそれぞれ1万倍の違いがあるわけです。
そういう放射能を飲み込んでしまったら、距離はほとんどゼロですから、危ないわけです。
環境で外部被ばくする場合は、そこを通り過ぎてしまえばいいわけだけれども、内部被ばくの場合は、その距離がうんと近づいているから危ないというのと、体に入ったものはずっと残っているわけです。
そういう意味で内部被ばくは厳しい。
セシウムとストロンチウム
セシウムを取り込んだ場合ですと、体の中の水に溶けて存在しています。そしてくるくると体の中を動いていますから、体中をまんべんなく放射線で被ばくさせるわけです。
子どもだとだいたい1か月で半分くらいがオシッコから捨てられて、半分だけ残り、2か月から3か月でその半分くらいになります。
それに対してストロンチウムは、ベータ線だけで、ガンマ線を出さないので、普通の測定機で測るのは難しい、ということを口実にして、あまり測っていないということがあるのです。
セシウムよりは少ないけれども、ストロンチウムもたくさんあるはずで、これは体の中に入ると、ほとんどカルシウムと同じ動きをします。
セシウムのように、水の中に溶けてぐるぐる動くんじゃなくて、骨の中に固まってしまうのです。
固まったが最後出ていきません。
何十年でも残っている、という点で厳しい。
もう一つは、骨というのは体を支える働きとは別に、血液を作る働きがあります。
赤血球も白血球も全部、骨の中で作られています。骨の中にストロンチウムがあると、血液を作っている細胞は、すぐ側から放射線を浴び続けます。
同じ内部被ばくでも、ストロンチウムとセシウムとは被ばくの仕方が大分違うところがあります。
どちらにしても内部被ばくというのは、外から放射線を浴びる外部被ばくと違って、放射能の塊りを飲み込むと、その塊りの大きさと、それがどこにくっつくのか、ということで大いに違うのです。いずれにしても内部被ばくというのは、外部被ばくとは違って特別な意味があります。
それで、初めに放射線は紫外線とちょっと似ていて、いろいろなものを少し壊すということを言ったわけですが、内部被ばくをしていると、体の中のすべての物質を少し壊して、少しボロボロにするのです。
たんぱく質や糖なども少し壊す。皮膚のカサカサしているのもそうですけれど、その中には遺伝子もあるわけです。
普通の細胞というのは、ほとんど毎日一定の数を壊して新しい細胞を作ります。
その新しい細胞を作る時には、遺伝子を全部複製しているわけです。
その遺伝子が一個壊れてしまうと、その細胞から作られてくる細胞の遺伝子は、ぜんぶ壊れっぱなしです。
そうすると、急性障害だけではなくて、時間が経ってからいろいろな障害が出てくる。
その一番代表的なのはがんですが、遺伝子だけではなくて細胞も少し壊れます。
それは老化と同じで、老化に伴ういろんな病気が出てきます。
ところが、日本の政府と政府が根拠としているICRPというところは、こういう作用を全く認めていません。
一切ないと断言しています。
認めているのは長期障害としては、甲状腺がんと白血病だけです。
被ばくを避けるために
それでは、食べ物と空気でどういうようなことを注意すると被ばくが避けられるか、という話です。
フランス政府が日本に住んでいるフランス人のために指導していましたが、それと同じことです。
一番重要なのは、汚染されている物を食べないことです。
本当は、汚染されている危ない物は流通させないというのが一番いいことで、それが一番簡単なのですけれど、日本政府はそれをやっていなくて、むしろ流通させていますから、いろいろ測ってみないと危ない。
それで測って安全だと思うところは食べたらいい。
ただし、国が言うから安全だというのは、ダメです。
さっき言ったように、原発から持ち出してはいけない100ベクレルの5倍、500であっても安全だと言っていますから、ダメです。
そうではなくて、どのくらい放射線が出ているか、そして、それを自分は安全と考えるかどうか、それを自分が決めることです。
まず、危ない所で作られたものは、安全だという根拠がなければ、避けた方がいいです。
これは「原発事故が起きたから、汚染されたってしょうがない」ではなくて、その後の対応の仕方です。
いろんなお母さんたちの運動があって、福島でもちゃんと管理されていて大丈夫な物がある。
ただ、それはちゃんと確認してから食べさせましょうと。
それをしないで地元だからとか、被災地を助けるためにといってやってしまうと危ない。
特に測定するのが、一番危なさそうな物じゃなくて、一番少なさそうなものを狙って測っているから、危ないところがあります。
ストロンチウムは食べない
会場からの発言
【先ほどのストロンチウムのことが、私も気になっていたのですが、例えば、福島の牛乳が不検出で、宮城のよりも安全かもしれないということなのですが、カルシウムと同じように入るということは、牛乳にもストロンチウムが入る可能性があるということ……。】
ストロンチウムはほとんど測っていないので、分かっていないのです。
チェルノブイリ*でたくさんの放射能被害が出ましたが、そのうち最も重要な物の一つがストロンチウム被害です。
チェルノブイリ原発というのは、ソビエトのとても広い、世界で最高レベルの農業地帯の、陸の中にある原発です。
だから放射能が全部陸に落ちたわけです。
原発が爆発した次の日から、いろいろ隠したこともあるのですけれども、日本のように、わざわざ放射能を含んでいる物を持ってきて、食べろなんて馬鹿なことはしていないし、1日で5万人の町を全部移動させるということもやったのです。
ああいう原発の大事故というのを、まだ人間は経験していなかったということもある。
ソビエトの政府が悪かったということもあるけれども、被ばく対策が、特に食べ物の対策が良くなかったのです。
ホコリになって落ちてきた放射能の中に、ヨウ素とストロンチウムとセシウムの三つが最も多いですから、ヨウ素をたくさん吸ったり、食べたりしたために甲状腺がんがたくさん出た。
それからセシウムのためにいろんながんが出た。
そしてストロンチウムが草の表面にいっぱいついた。
それを飼料として牛に食べさせて、牛乳の中にストロンチウムが出て、その牛乳を通してストロンチウムにうんと汚染された。
日本の場合は、一番危ないのは魚です。
ストロンチウムは骨に溜まります。
普通の海草と違って、小魚の骨には固まってしまったストロンチウムが水の中よりもはるかにたくさんあります。それを食べたちょっと大きい魚が全部それを吸収して骨に固まる。それをさらに大きい魚が食べてまた固まる、というふうにして、ストロンチウムの場合はどんどんどんどん生物が濃縮していきます。
これは極めて大切です。
これはヨウ素とかセシウムにはないです。魚は注意で、とにかくストロンチウムの入った物は食べない。
茹でてセシウムを減らす
今、実際に話題になっているのはほとんどセシウムです。
これは細胞の中の水にたくさん溶けています。だから割と調理の仕方で工夫できる。
どういうことかというと、細胞を壊してしまうと、セシウムが中の水といっしょに外に染み出てくる。
だから、茹でるとセシウムは外に流れ出します。
野菜でも麺類でも、3分間茹でるものがあったとします。
そうしたら鍋を二つ用意して、お湯を沸かしておいて野菜を入れる、あるいはそばを入れる。
それで2分間グラグラと茹でます。
そこで、ざるを使って湯をパッと切ります。
新しいお湯をジャーッと入れて、残り1分間茹でる。
そうすると、計算では、1回目で10分の1に、2回目でその10分の1になるので、結局1%まで減らすことが出来る。
これは私のお勧めです。
それから米のヌカ。
ヌカは米の周りにあった膜が乾いたものです。
乾いたというのは水はなくなるけれど、ヌカの中には放射能が残っています。
これはよーく研いで捨ててしまえばいいのです。
ゴシゴシと洗って、粉になったヌカをなくす。そうするとかなり無くなります。
カリウムも有害な放射能
会場からの発言
【セシウムとカリウムを比較して、テレビなんかでも、カリウムがあるから大丈夫なんだと言っていますが、セシウムとカリウムの毒性っていうのは、どういうふうに違うんですか。】
ほとんど同じだと考えていいです。
人間の体はかなり放射能を持っていて、一番多いのはカリウムです。
大体60㌔㌘くらいの体重の人で数千ベクレル持っているのです。
そうすると、そこにセシウムが100ベクレル入ったところで、それほど大きな違いはないのではないかと考えています。
カリウムというのは体にとって非常に重要で、それがないと生きていけないから、カリウムの濃度というのはきちっと調節されているのです。
だから、カリウムをたくさん摂ると、どんどんオシッコになって捨てられる。
少ししか摂らないと、体にとってはとっても大切だから溜め込む。
カリウムはたくさん摂っても、少ししか摂らなくても体の中にある量はあまり変わらないのです。
だから実際に、いま問題になっている食品のセシウムよりはカリウムの放射能は多いです。
それでもセシウムの放射能を避けるための一番の原則は、それを食べないということです。
食べた物を捨てるみたいな努力というのは、あまり重視すべきではない。
いろんなサプリがあるけれども、あれは全部詐欺みたいなもので、あんなのをやってはいけません。
私がお勧めするのは、カリウムをたくさん摂ることです。
そうすると、カリウムと一緒にセシウムが尿に排せつされる。
恐らくカリウムが全然放射能を持っていなければ、人間や動物はもう少し病気が少なくて、もう少し長生きしていると思います。
カリウムは自然の放射能だから、人間の進化の中で適応してきて大丈夫だというけれど、そんなのは正しくなくて、恐らく有害だけれども、それを必要な物として使ってきたというだけの話です。
よろしいでしょうか?
東電がまともな補償をしないために
今、どういうふうに食品の放射能を避けるかということをお話しましたけれども、スーパーに行って、安全な地域の食品を手に入れようと思って買います。
それはそれでいいのですが、被ばくについて関心のある消費者は、汚染された地域の物は買いません。
だから売れる量がうんと減っています。しかし、それは処分されていません。
ということは、誰かが買っているのです。
だから個人で避けることが出来る物はかなりあるのだけれども、避けた分は社会的に避けたことになるかというと、その分誰かが食べているということで、全然避けたことにならない。
なぜ、こういうふうになっているかというと、汚染された野菜や肉、魚などに対して、東電がちゃんと補償していないからです。
それは国がグルになってやっているからです。
つまり、ここは汚染地域だから作るな、流通させるな、食べるな、その分全部補償する、というようにやればいいのだけれど、そうではなくて、非常に高い基準値を作って、それ以下の所では作りなさい、売りなさいと。
それで売れなかった分、あるいは、売ろうとしたけれど値段は安くなった分、その分だけは補償しますと。
これが今のやり方です。
だから農家は汚染した物は作りたくないと思っても、作らないとお金が入ってこない。
多くの農家は、いやだと思いながら作っている。
だから、汚染食品を食べないように注意するだけでは、全体としては全然解決しない。
そういう変な社会のあり方、そういうことを変えないと、本当の解決にはならないと思います。
セシウムの本当の危険性は分かっていない
会場からの発言
【先程のカリウムとセシウムの話なのですが、前テレビで村井宮城県知事さんがカリウムとセシウムの内部被ばくのことを話に出して、はっきりと、カリウムは普通にたくさん体の中にあるものだから、セシウムも全然大丈夫です。心配しないでいいとはっきり言っていたのですけれども。先生のお話を聞いていて、セシウムはそんなに怖わがらなくてもいいものなのかなと、ちょっと今思ってしまったのですけれども、そうではないのですか。】
それについては、セシウムはとても有害だから注意しなければいけないし、避けなければいけないのです。
ただ、セシウムの内部被ばくがどのくらいの量が、どのくらい有害なのかということは、はっきり分かっていないのです。
誰も実験していませんから。
ただ、体にカリウムがあるから、セシウムは大したことはないというのは、全然間違いです。
まして30ベクレルではなくて何百というのを摂ったら、体のカリウムよりはるかに高くなるから、セシウムが安全だという根拠はまったくないです。
実はチェルノブイリの後、たくさんの健康被害があったというのは、「老化が進んだ、いろんながんが増えた、子どもの発育が悪い、先天異常が増えた、早期出産が増えた、低体重の子どもが増えた、知能の伸び方が悪い」など、こういう調査とか論文が何百もあるのですけれども、ただそれをICRPとか日本政府が認めていないのです。
甲状腺がんと白血病だけしか認めていない。
認めていないというのは、知っていても、知らんぷりして認めていないのもあるし、知った上で認めていないのもある。
それは、チェルノブイリの後、被ばくを受けた地域で、そういう健康障害が出たというデータは出せるのだけれども、その原因が放射能なのか、事故の後、ソビエトという国が崩壊してメチャクチャになってしまったので、経済状態が悪くなったためなのか、何が原因なのかが分からないのです。
それで安全だと言っている人たちは、そういう健康障害は全部精神的なストレスの結果だと断言しています。
放射能の汚染をうんと受けた地域で、たくさんの被害が出ているということは事実としてあっても、その原因について放射能だという証拠がないと言って認めない人たちが、精神的なストレスだと断言する証拠もないのに、精神的なストレスだと断言しているのです。
いいですか?
1000人に1人死んでもOK?
チェルノブイリの後で、がんが増えたということですが、私がここでお話しておきたいことの一つは、日本人は70過ぎると、というか日本人の半分はがんになります。
20ミリシーベルト被ばくすると、1000人に一人ががんで死ぬと。
これは国も認めている数字ですが、この1000人に一人ぐらい死んでも、たかが知れているというのです。
なぜかというと、日本人は半分ががんで死ぬから。
これは私はとっても人を欺くひどい理屈だとふうに考えています。
どなたかそれ、なぜ、私が変だと考えたと思いますか? ……。
日本人は半分ががんになり、3分の1はがんで死ぬんだから、1000人に一人くらいがんで死ぬ人が増えても、大して変わらないだろうと。
これはこういうことです。
老人ががんになるというのは老人病です。
一つのがんは年齢が倍になる
と大体30倍出るのです。
年齢が4倍になると900倍。
だから全体で平均すれば、日本人の半分はがんになるけれど、20代、30代でがんになるのは非常に少ないです。
若い人が何十倍も増えてがんで死んでいってもいいというのですか。
それはないでしょうというのが一つ。
それからもう一つは、放射線で1000人に一人がんで死ぬといいましたが、自分の人生であるいは子どもの人生で、1万分の1くらいのリスクだったら決めることは、いくらでもあります。
例えば、子どもを学校に毎日通わせます。
そうすると家で引きこもっているよりは交通事故の危険性は増えます。
だけど、みんなは子どもを学校に行かせる方が、交通事故を心配して引き込ませることよりも利益が大きいことを知っています。
放射能の場合には利益もないのに、勝手に向こうから押し付けてきたものです。
これを当然という、これはとても変なことです。
それからもっとまずいことがあります。
自分の人生で1万分の1のリスクを承知して、何かを手に入れるということはあるけれども、これは個人の判断です。県知事とか教育委員長が自分の責任を持っている人が、例えば生徒が10万人いたとする。その10万人に対して、20㍉シーベルト*被ばくして、1000人に1人死んでもOKよ、と言ったら、100人ががんで死にます。
1000分の1というのはそういう数字です。
個人にとってみれば1000分の1ですけれど、10万人に責任ある人が1000分の1でもOKと言えば、必ず100人死ぬのです。
誰が死ぬのか分からないけれど。
今の社会でその人がやるべきことをやらないで、これくらい構わないと言って、その結果100人が死ぬ。
こういう権限を特定の個人に与えていいのか、平気でそんなことを言っていいのか、言わせていいのか。
これは、ものすごく恐ろしい社会です。
そういう意味で私はまずいと思う。
こういうのは医学の問題でなくて、考え方の問題だから、誰でも考えるとすぐに分かる話です。
自由に、一緒に考えられる社会に
これが最後です。
今の日本の社会というのは、原発が爆発して、放射能の問題が出ても、避難や被ばく措置を日本政府はとらなかった。
外国と大企業は逃げた。それで外国と大企業の人が、危ない所から逃げる、避けるということをやるのは正しくて非難されない。
しかし、福島や郡山から、お母さんだけが子どもを連れて逃げた人がたくさんいますけれど、そういう人たちは非難される。
そういう人たちの中で離婚した人がとても多い。
それから戻った時の理由というのは、安全だから戻ったのではなくて、仕送りがしてもらえなくなったから戻った。
そういう人がとってもたくさんいます。
今、放射能の話をすることがタブーだから、それに対して問題意識を持っている人は、みんな非難されて、家族生活も近所とのつながりも、全部できなくなった。
そういうお母さんたちが学校の給食を、特に牛乳が心配だから測ってほしいと言っても、これはいまは測るようになったけれど、何か月も測らなかったです。
そういうことを申し入れると厄介者扱いされて、2回言いに行った人は、「あなたは気にし過ぎだから、精神科の医者を紹介します」とまで言われた人さえいます。
給食の放射能を測ってほしいと言っても測らないから、子どもに持ってこさせてそれを測ると、これを窃盗扱いにするのです。
そこにいた教師、放射能問題に関心を持って、子どものことを心配していた教師が、別にそれに関わっていないのだけれど、窃盗をそそのかしたと言って教育委員会から指導を受けているのです。
この指導、3回受けると処分です。
学校は子どもに不安を与えてはいけない。だから、勝手なことを言ってはいけないという理由で、学校の先生は放射能のことについて、自分の意見を言うことをすべて禁止されています。
学校の先生が、自分が正しいと考えることを言うこともできないところで、子どもの教育がされているという、これは放射能の問題と同じくらいに、あるいはそれ以上に、とても恐ろしいことだと私は考えています。
さらに深刻なことは、福島県立医大では放射能について話題にすることも出来ない。
研究をすることも出来ない。
実質的には禁止されています。
戦後初めてのことです。
戦前は軍国主義の中でたくさんありましたが、それくらいのことが、いま起きています。
特に異常なのは、事故を起こした責任者らを処罰しないで、今でも原発の事故とそれから原発の指揮をしている。
東電は、原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物じゃない。したがって、除染の責任は持たないと。
基本的に国も認めています。
そして原発の危険性を批判して、こういう対策をすべきだと言ってきた専門家をずーっと排除したままで
す。
今でもそうです。
そのために避けられるべき対応をとらずに、間違いを拡大したのがいくつもあります。
細かいことは省略します。
ということで、自由にものを言ったり、議論したりすることが出来ない社会、本当はこれが一番大きな原発の事故の原因である、と私は考えています。
自分で放射能を避けるための努力をすることはとても必要だけれども、ここまでものが言えない社会を、もっと自由で、安心してものを言って、一緒に考える、そういうことが出来る社会、そういう人間関係を作っていくことが、とても大切だと考えています。
主催者:ここで質問のある方は挙手をして、どうぞお話し下さい。
質問
【多賀城市はまだ土の放射線を測っていないのですけれども、ある保育所で自主的に測ってみたら、400ベクレルくらい出たということを聞いたのですが、どんなことに気を付けたらいいのか教えてほしいのと、セシウムが土や砂に付着して、雨が降ると、セシウムだけがそこから溶けだしていくものなのか、付着したままなのかと。それから、給食は2学期から測ることになったのですけれども、その測定機器は測定限界値が25ベクレルだそうです。その問題点と、最後に、一番聞きたいのですけれど、今年度の予算を見ると、子どもたちの健康を守る予算は、国からは1円も来ないのです。そんなことで多賀城市の子どもの命を誰が守るのですか、って市長さんに詰め寄りましたら、返答がありませんでした。甲状腺がんの検診をするのは、天文学的な知識というか技術がいるから、誰でも出来るもんじゃないみたいなことを言われる先生もいて、じゃあ一体、子どもたちの健康をどんなふうにしたら守っていけるのか、ということを……。】
土とセシウムの話ですけれど、普通の石や土と同じに考えたらいいんです。粘土は顕微鏡で見ると、小さい土がいっぱいあるので、そこに入り込むのです。
石の粉のような砂はつるつるしているから、滑っていくのです。
粘土とか枯葉とかそういうものがいっぱいある所はしっかり溜め込む。
それから全体が細かくなったような石の場合は、割と通っていく。
それでもだいたい1年間に数㌢下に沈んでいいくだけであろうと。
だから地面の表面にあるセシウムというのは、10㌢よりも深い所にはほとんどなくて、いまだったら5㌢の所を取っただけで、ほとんど取れるということです。
その保育園で400ベクレルということですが、いま場所によっては、ゴミが集まって乾くような場所とか、ゴミをどこかにどさっと集めた所というのは、恐らく数万ベクレルの所はいっぱいあると思います。
だから学校、保育園をどうするかということだけではなくて、そういうことの全体が問題なのです。
いま除染活動というのを盛んに言っていますけれど、放射能というのは人間の力では、何をしても全く減らすことができないのです。
勝手に半減期で減るのを待つだけです。
人間の出来る除染活動というのは放射能を移動させることでしかないのです。
だから、除染というのは人間にとって危なさそうなところから集めて、一か所にまとめて管理する、これが除染活動です。
だから除染活動をきちんとやるためには、集めた物を、どこに、どれくらいの量で、どういう形で集めるかという最終処分場です。
最終処分場を決めてから、除染活動というのがはじめて出来るのです。
ところが国はそれをまったくやっていないのです。
これは考えれば非常に簡単です。
東電の福島原発の周りは、人が住んではいけない所ですから、それをきちんと理解して、そこに全部集めて厳重な管理をする。
それ以外に方法はない。
焼却して放射能が何十倍にも濃縮された灰を作ったり、まして、煙にして大気に拡散すべきではありません。
放射能というものは有害な物だから、出来るだけ少なくしなければいけない。
ここまでだったらOKという値はない。放射能に関しては法律は何十もありますけれど、みんなそういうふうになっています。
これが基本です。だから、ここまでは安全というのはないのです。
あとで測れといういろいろな要求が来てから測るようになったけれど、食品の放射能も本当は測ること自体が無駄なのです。
測るのではなくて、はじめから生産させない、流通させない、これが一番なのです。
国の総予算でしょ。国の基本的な立場は、「これくらいの放射能は有害ではない。心配してストレスの方が有害だ。だから国と行政は心配しないように援助することが必要だ。そのために施策をする」と。
だから今くらいの放射能で被ばく障害は出ないから、そんなことに対して対策は必要ない。
そういうことを、本当に、そう言っているんです。
だからそういう予算になります。
酷い話なのです。答えになっているでしょうか、それで。
検査について
質問
【先生のお考えだと、例えば、私は子どものために、もう少ししたら甲状腺エコーとか、エコーはまあ刺激がない検査なので、それは受けさせようかなとか、何か突然死とかも増えたとかいう話を聞いたものだから、心電図ぐらいは刺激のない検査だから受けさせようかなとか、あと腎臓とか膀胱とかに溜まりやすいと聞くものだから、薬局とかでもタンパクとか簡単に調ベられる試験紙とか売っているので、そういうのを買って、自分で定期的に子どものオシッコを調べてみようかなとか、ちょっと思っていたのですけれど、そういうことは必要ないのですか、どうかなあと思って……。】
そういう検査をする価値はあります。
ただ甲状腺がんの場合はちょっと違いますが、他の病気はもともとすでにいっぱいあるものですから。
一般的に、そういう病気をチェックするためにやる、という意味はあると思います。
だから例えば、心電図検査をすることで放射線障害につなげようと、ま、そういう気持ちはわかりますけれども、心電図を見ていると心疾患のあるものは見つけることは出来るという意味で、それをやるのは私はいいと思う。
ただ、仮に何か見つかった時にそれが放射線が原因であったかどうかについては、一人ひとりについては分からなくて、何百人、何千人のうちの数人がそうだっただろうという話になると思います。
親がこどもにできることは?
質問
【これからずっと、放射能とのおつきあいは長いと思うのですけれど、親が子どものために出来ることというのは、食べ物を気を付けてあげるということと、後は何をしてあげたら……。】
一番大切なことは、放射能は危ないかもしれないということを、真面目にみんなで話し合える、学校でもどこでも、そういう社会にすることが一番大切だと思います。
それから放射能は害はない、ストレスだと言って、わざわざ放射能を全国に拡散したり、汚染された食べ物を作らせて売らせたり、こういう悪い政府、社会を変えること。
自分のことを気を付けることはとても大切だけれど、それと同時に、とても異常な社会だから、それを何とかしようということが、一番大切だと思っています。
・・・・・・・・・・・以下、スライドから・・・・・・・・・
政府や東電を信じて従った人は
被ばく回避の機会を失い、大量に被ばくした
・被ばく回避の機会を失った。
・子どもを雪で遊ばせた。
・マスクをしなかった。
・自家栽培野菜を食べさせた。
・ヨウ素剤も服ませなかった。
その裏で政府・電力会社・大企業は
危険を知り対策をとっていた!
内部被ばくが危険な理由
・放射線源からの距離が近い。
・1㌢では10㍍の100万倍被ばくする。
・体内に、長期間残る。
・同じ部位の細胞が繰り返し被ばくする。
・タンパクや遺伝子変異、炎症を起こす。
・老化、骨髄機能抑制(感染、出血、貧血)
・がん、先天異常、遺伝子的障害
食品放射能の避け方
1) 安全と確認できない食品を避ける。
・汚染地域の測定されていない農作物
・日本周囲の太平洋の海産物
・産地表示があいまいなもの
・国産の加工食品
・米、大豆、牛乳の加工食品は長期間注意
・外食
2) 今問題なのは
・ストロンチウム:骨に固まってしまうので、とにかく食べない。
・セシウム:今、最も多い放射能
3) 調理の工夫
4) 「安全か?」と他人に頼るのはやめ、測定値を知って、自分で評価する。
被ばくを避けると非難される!
自由に恐怖感なく発言できない日本社会
・危険を考えて、避難や、被ばく予防措置をとった
外国政府・ 大企業は批判されないが。
・最も被ばくを受けている地元住民は、被ばく対策を話題にするだけで非難攻撃される。
・生徒の被ばくを心配しても、教師が、給食の放射能や 校庭のほこりを話題にすると
非難攻撃や、処分を受ける異常社会になっている。
・被ばくさせた加害者が、被害者を非難する社会。
事故を起こした責任者を罰せず、今も原発事故処理と損害補償問題を仕切っている
原発事故の危険性対策を要求してきた専門家を排除した状態が、今も続いている
電力会社の利益優先で、食品と環境破壊をわざわざ拡大させる政府と官僚
自由にものを言えない社会
これを変えずに真の解決はできない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
講師プロフィール
岡山 博(おかやま ひろし)
略歴:1973年 東北大学卒業、東北大学第1内科、3年間米国NIH
(国立衛生研究所)勤務
研究:遺伝子解析、呼吸器、循環器
現職:1998年より仙台赤十字病院第2呼吸器内科部長
臨床:呼吸器内科(慢性気管支炎、気管支喘息、肺気腫、肺結核など)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
講演会を準備して下さった「放射線被爆から子どもを守る会」と、書き起こし、「未来に続くいのちのために。原発はいらない」誌に掲載して下さった「PKO法『雑則』を広める会」の皆様に感謝いたします。
「放射線の影響とこれからのこと。―――知ろう訊こう考えよう―――」多賀城講演会2012.7.8、録画(講演と質疑)が「放射線被爆から子どもを守る会 多賀城」HPにあります。
よろしければごらん下さい。
http://ameblo.jp/tagajyomiraie/entry-11299713395.html
http://www.youtube.com/watch?v=-iTCYqs7MQ4
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”アヒンサー”とはサンスクリット語で命あるものを傷つけないという意味だそうです
良い議論をしよう
良い議論がなぜ大切か
岡山 博
要約
・日本は、異なった意見を出し、議論する認識が希薄だ。
・準備された結論を無批判にそのまま理解するか、同意同調させるための会合や会議が多い
・有効で健全な会合や議論になっていない。優れた発言が活きない。
・発言の自由と安全が保障されていない
・良い議論とは1)共通の目的を持った人が、2)異なる意見を提示して、3)共通認識を土台として、4)異なる考えを吟味して深め、5)共通の結論を作り、6)最後に共有した結論を確認する。
・他人が気づいていないことを発言し、的をはずさず、簡潔・明瞭な、論理的で敬意ある言葉の往復をして、共通理解を作ることが良い議論。
・良い発言・議論をするためには、まっすぐ、真剣、丁寧、誠実な姿勢が基本だ
・相手の発言内容と発言した人の価値を低めようとする言動は、良い議論を阻害し他人を抑圧するルール違反だ。
・日常の個人的な会話や、日本的な人間関係、社会のあり方にも共通している。
・良い議論をすることは、人が互いを侵害せず尊重しあう、豊かで健全な社会や人間関係を作るためにも不可欠だ。
はじめに
議論は、同じ目的をもった人が、異なる意見を提示してはじめて、有効で良い議論ができます。
異なる意見が出されなければ議論ではありません。
しかし日本では、異なった意見をたくさん出し、議論して認識を深めて共有する認識を得たり、そこで作られた共有認識を基に共同して方針を作るという共通認識が希薄です。
多くの会合では、主催者や演者の発言を、そのまま理解することが参加者に求められたり、準備された結論を同意同調させるための会合や会議が、日常的に行われています。
社会的権限を伴うような会議や会合では、関係者や社会から批判されないための形だけの会議を開くことが日常的に行われています。
そのような場では、始めからまじめな議論をするつもりがないので、まじめに議論する人は主催者から邪魔扱いされることが多い。
良い議論をしようと考えて優れた異論を提出すると、無視されたり抑圧されたりすることがあります。
研究会のように、必ずしも結論や決定をする必要がなく、本来は議論そのものが目的であるはずの会合であっても、質問に対して的確で誠実な回答はなく、質問者が了解しない解説的な見解を言って打ち切って、回答に対しての再発言や異論、議論をさせないことがむしろ一般的です。
行政や事業所やその他、自主的会合でさえも、何らかの結論や方針をだす必要がある会議では、準備された結論に異議を含む発言は、的確な回答や深める議論が出来ないことがしばしばあります。
異論発言と異論を発言した人を厄介者扱いして無視し、同調を強要する。
それでも発言すれば、恫喝、抑圧し、準備された方針を無条件に受け容れないで異論を提出する人には、意見の内容を越えて、永遠にその会議から排除しようとします。
議論の場といいながら、現実には議論することを阻み、まじめに議論しようという人を抑圧、排除する。
有効で健全な会合や議論になっていないということです。
どれも議論にあたっての、深刻なルール違反です。
無条件に従うことをしない人に対しては、更に会議とは関係ない分野にまで広げて、会議と関係ない分野からも排除するなど、発言内容無視に留まらない、発言する人の排除、抑圧、加虐行為事が問題です。
更にそのような行為が批判されずに繰り返されていることは会議の問題に留まらず、社会としても深刻な問題です。
このような会合では、優れた発言が活きずに捨てられてしまい、深められて実りあるものになりません。
同時に重要なことは、発言するということの自由と安全が保障されていないということです。
そのような不健全な会合は、行政の会議でもっとも顕著にみられる。行政だけでなく企業や職場、その他様々な団体、さらには議会や学術的な研究会・学会や自主的な個人の集まりでさえもでも日常的に同様な会合と議論がしばしば行われています。
有効で健全な会合や議論とは何か、良い議論をするためにすべきこと、良い議論をすることがなぜ大切なのかについて私の考えをまとめました。
I. 良い議論の進め方/議論の価値と目的
良い議論とは以下のものです
・ 共通の目的を持った人が、
・ 異なる意見を提示して、
・ 共通認識を土台として、
・ 異なる考えを吟味して深めて
・ 共通した結論を結論を作り、
・ 共有した結論を確認して共有する。
議論のスタートとして何を発言するか
・ 他人が気づいていないか、あるいは共通認識になっていないことを発言する。
・ 新たな自分独自の意見を追加しない同調意見は「意見」とは言いがたい。
・ これを出発点として、以下に述べるように、議論によって内容を深める
演者や他人の発言に対して、どのような発言や質問をするか
1.他人の発言にについて、自分が、その発言内容に共有・評価できる点を述べる。
(発言者は、議論を共有したいと考えて発言しており、参加者は共有点があるから会合に参加しているので、意思があれば共有点はみつかる)。
2.提出された異なる意見の中で、自分の考えが異なる点と、根拠を、簡潔明確に述べ、
3.発言した自分の意見について相手に意見を求める。
自分への意見への回答や、他人の発言に対する発言の仕方
・ 自分に対して発言してくれたことを歓迎し、謝辞を述べる
・ 自分が質問者に同意できる点を述べる
・ その上で、相手の異論・質問に対して、的をはずさず、簡潔で明確な回答をする。
・ 回答したことに対して、質問者の了解か再発言を期待する。
以上のように、的をはずさない、簡潔で明瞭な、論理的で敬意ある言葉の往復をして、共通理解を確認することが良い議論です。
このような良い発言と議論をするために必要なことは以下の基本姿勢です。
1.自分の都合などの打算をいれず、「まっすぐに考える」
2.思考停止や先送りをせず、全力でその場で自分の結論を作ることと、自分の考えを伝える熱意を物という「真剣」
3.自分が判断し、発言したことが正しいかどうかを吟味する「丁寧」
4.すりかえ・ごまかし・相手の信用を低めるなどの策動をしない、上述1-3を基本にした相手と自分に対するあり方としての「誠実」
このような良い発言と議論をするために、どのような言葉を使うか。
・ 相手に敬意を持った言葉。見下し・非難はダメ
・ 知的論理的言葉を使う
・ 感情的言葉は避ける。感情的(emotional)は知的(intellectial)の反対語です。
相手を非難したい場合は、非難するのではなく、相手に敬意を持った単語と文章を使い、非難しようとする根拠と結論をきちんと述のべ、それに対する相手の反論や解答を歓迎し、快く受けて、受けた反論に的を外さない敬意ある言葉で論理的な回答をする。
II. 会合や議論で、すべきでないこと
前述下こと反することが、議論においてすべきでないことです。
議論の価値と目的
・ 共通の問題意識と目的を持ち、まじめに議論しようという意思がなければ、健全な議論はできません。
何を発言するか
・ 共通の結論を得ることを目的とせず、相手を非難することは健全な議論とは別のものです; 相手を批判して真実を明らかにし、相手を打ち負かすための論争は社会的な論争としてありえますが、通常の会合における健全な議論とは別に考えるべきものです。
・ 質問の形をとりながら、質問内容が明確でなく、自分の考えを長時間演説してはいけない。
・ 自分の考えを述べるのは、異論・質問を述べたことに対する演者の回答を得てから、回答に不同意であるとして自分の意見を述べる。
・ しかし、日本の会合では、このような言葉の往復が保障されることが少ないので、はじめの質問の際に、自分の考えを述べることはやむをえない場合が多い。この場合でも演説するのではなく、自分の考えの結論だけを簡潔に述べる。
自分への意見や、他人の発言に対する発言の仕方
・ それまで自分が気づかなかったことをだれかが発言したら、自分が気づかなかった内容を発言したことに敬意と尊敬を持ち、自分は考えてなかったことなのだからまず考えてみる。
そして、同意、共有できるものを探して共有して議論を深めるべきです。が、それと逆に、考えもせずに否定する方向で発言を進める人がいます。
・ 例えば、他人の発言や提出された意見や異論を考えて深めようとはせず、発言内容と、発言した人の信用落とししたり否定する方向で、条件反射の如く上から目線で話を進める事によって相手の再発言を封じたりその人の発言内容が取るに足らないもので、発言を続けることが価値がなかのように対応してきちんと回答をしない人がいます。このような人は同じ相手に対して常にそのような姿勢で話します。
「その発言は好ましくないのではないか」、と穏やかで諭すような言葉で言うか、あるいは高圧的な恫喝的な言葉で言うかは、その場のその人の地位とその人のキャラクターで、幅があります。
しかし、自分が気づかなかった異論提示について、考えて深めようとせずに、否定して黙らせよう、無視させようとする考え方は共通です。
このように、相手の発言内容や相手の価値を低める発言をする言動傾向を強く持っている人は、その人が属している小集団の中で出世したい上昇志向性が強い人や、自己顕示欲、支配欲、自分の打算に役立たないことは他人が優れていても互いに讃えあうことをせずに上級者にほめられたい人に多いと思います。
・ 相手の発言内容と発言した人の価値を低めようとするこのような言動は、良い議論を阻害します。
また、意見を提示した人の価値を低めようという動機と内容を含んだものなので、無礼であり、対等で互いに尊重しあう人間関係や小社会を抑圧します。
・ 抑圧的な発言をする際に、恫喝的あるいは相手に屈辱を与えようとする言動を伴えば、「議論のルール」違反です。
更に、そのよう意味合いを持つ言動は「議論のルール違反」や人のキャラクターの問題を越えて、他人を抑圧し、人格を侵害するものなので、単に会議運営の問題にとどまらない人格抑圧、人権侵害の犯罪と考えるべきレベルの事です(注)。
会合を主催・運営や、講演をする人がすべきこと
以上は良い議論をするために誰にも共通な課題です。
しかし、よい会合や良い議論を実現するために最も簡単なことは、主催者と座長がその意思を持つことです。
良い議論をしようという自覚を持つ人が、主催者・座長・演者になる機会があるのであれば、その会を、良い議論ができる会として運営することが出来ます。意識して良い会を運営しましょう。
優れた会合を作ることによって、健全な議論をする文化を日本社会に広げることができます(注2)。
具体的には、
・ 講演時間以上に自由発言の時間を準備する。
・ 異論発言を歓迎する。
・ 質問に対しては、的をはずさない簡潔な回答を要求し、
・ その回答を質問者が了解したことを確認する。
・ 知識解説ではなく、議論を求める質問については、演者だけが長時間はなすことをさせずに、演者と質問者が立場も、発言時間も対等にする
・ 演者と会場の発言者がルールにしたがって発言、回答する運営に責任を持つ。
まとめ
有効で、健全な議論をするために、私の考えをまとめました。
本論で述べた内容の多くは、議論に限定されず、日常の個人的な会話や、日本的な人間関係、社会のあり方にも共通しています。
健全な議論ができない社会は独善的な人々が仕切りやすい、貧しく危険な社会です。
他人の名誉をわざわざ侵害して侮辱を与える日本的言動傾向は、社会の人々全体の幸福の量を減らし、人の苦痛をわざわざ増やしています。
良い議論をすることは、人が互いを侵害せず尊重しあう、健全で民主的な社会や人間関係を作るためにも不可欠です。
気持ちや感情表現を過度に強調せず、言葉・論理・議論を大切にして、言葉・論理・議論についての能力・情熱・自覚を育てることが、日本の人と社会には必要と私は考えています。
(注1) 刑法第230条:「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する」
日本の刑法は、憲法とは異なり、戦前の刑法を部分的に手直ししただけで、十分民主社会に合致したものといえない部分がある。
多くの先進国では「侮辱罪」が明確に規定され、他人を侮辱することは強い罰則を伴う刑法犯罪として取り扱い、個人の名誉を法的強制力をもって保障している国が多い。
一方、日本の刑法には明確な侮辱罪の規定がない。
名誉毀損がそれに対応していると解説されるが、日本の刑法の名誉毀損は、「公然と公衆の前で」名誉を毀損することだけを対象としており、屈辱や侮辱を与える言動が、多数の人の前で行われなければ、他人の権利を侵害する犯罪として検挙して人権を守るようになっていない。
名誉というものが、人格そのものにかかわる根源的で貴重なものと考えず、「周囲からどう見られるか」という、日本的精神・考え方が関係していると思います。
刑法第223条(強要。脅迫罪の項目に記載):「生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する」
恫喝的な言動や、人事権を使った強要は本来この脅迫、強要罪に当たるものです。
しかし、刑法が、明治刑法の改訂版でしかないために個人の名誉と権利を守る点で不十分な点が多い。
「害を加える旨を告知して脅迫し」と書かれていて、「脅迫し危害加えることを言葉では告知」しなければ、脅迫行為を禁止することが明示されていません。
刑法に明記されていないという問題であると同時に、法務省などの行政による通達や指導による適用解釈が、個人を守る立場で行なわれていないことが関係しています。
それを良いことに、暴力団や企業経営者が、言葉で明確に告知することを避けながら、恫喝・脅迫的な言動をして、従わないと危害を加えることを暗示して脅迫したり、人事権を使って従業員に損害や屈辱を与えることがしばしば起きています。
このような状況でも、警察や労働基準局を含めた行政は、ひとり一人の安全と名誉を守る自覚と熱意がありません。
実際日本では、荒々しい恫喝的言動や、人事権を使った加害行為は、現在、犯罪として検挙されることはほとんどありません。
近年は就業に関した恫喝や脅迫はパワハラとして対応することを若干するようになったが、個人の安全と名誉が法律と行政の強制力によって十分に守られていません。
発言した人の価値を低めようとする言動は、良い議論を阻害する言動です。
これは、意見を提示した人の価値と名誉を低めようという動機と内容を含んだものなので、無礼であり、対等で互いに尊重しあう人間関係や小社会を阻害・抑圧します。
個人の名誉と人格に対するこのような加虐行為は、物質的損害や、肉体損傷を生じる暴力行為などのような被害が形として深刻で明確な事態になるまでは個人の名誉を守るためには警察や行政は動こうとしません。個人の安全と名誉を守るための行政の取り組みは弱い。
「脅されているだけでは警察や行政は動けないから、暴力行為や、明らかな労働基準法違反行為が実行されて、それを証明できる材料をそろえて相談に来るように」と相談した人が言われるとはよく聞くことです。
日本は「個人の名誉や精神の安全を守る意思が弱い」という意味でも民主社会、近代社会として後進性が強い社会です。
外国映画で、マフィアや暴力団が荒々しい言動をせず、いざとなったら一撃で殺す場面がよくあります。
これは、他人に恐怖心を与えたり、名誉を損なう荒々しい言動自体が犯罪として逮捕されることが一つの背景と思います。
欧米では暴力団も使えないほどの恫喝・脅迫・継続的に屈辱を与えるなどの犯罪的な言動が、日本では日常生活や、公的・私的会議でさえも罰せられず、本来は犯罪として罰せられるべき言動が黙認され、個人が守られていない。
そのような恫喝・脅迫・屈辱を与える言動傾向が人と社会の精神に定着して、様々な場で会議や社会が運営されています。
明確な言葉にしないように気をつけて脅迫や恫喝をする暴力団や経営者は、本来、その時点で犯罪です。
そのような職場環境では、従業員・職員に恫喝、言外の脅迫をを含む不公正・不公平な言動が、内容が不当労働行為であることを認識しながら、不当行為と処罰されないように、言葉を選んで使って、経営者が職務上の指示を超えて、職員を人格的に”管理”する傾向を強めます。
経営者が異論発言する人を不当に排除し始めると、自分が排除したことの正当性を主張したいために、排除した人の優れた内容や結果の価値は無視して評価せず、現実離れしたその人の”問題点”をあげつらい吹聴して名誉を貶める不公平・不公正で陰湿な言動を拡大します。そのような情況では、陰湿な嫌がらは解決されず、抑圧に対する恐怖感が職場を支配するようになります
暴力や脅迫されて金品をとられた結果を持っていかなければ、個人を守らないという日本の行政の民主主義後進性が、個人の名誉と安全を守らない後進的社会と加虐的言動を助長しています。
「他人の名誉や権利を抑圧することを否定し批判する」見識を持たず、むしろそのような言動を好み、他人を抑圧したい人が、様々な場所で、幹部としての地位を得やすいという不健全な社会であることと、そのような人が更にそのような性向を発揮しやすいというのが現在の日本社会です。
個人の名誉と、どの個人も人として尊重される、精神が豊かで健全な社会にするためには、それをめざす社会変格のための活動と同時に、優れた発言・議論をする能力・熱意・自覚を日本の人と社会が獲得することが不可欠です。
(注2)私は、講演会で演者として話すとき、
・ 異論発言や講演途中の発言を歓迎し、
・ 講演時間よりも自由発言のための時間を長く取ることを心がけます。
・ このような運営をすることによって、これまでどの会合でも、主催者が驚くほど沢山の発言が出ます。最も最近の講演会は、講演90分、自由発言120分、講演会後会場外での質疑と対話でした。別の研究会では、3人の演者がそれぞれ30分講演したあと自由討論90分と、討論時間を長く取っていただくことができ、良い会になりました。
私が医学部で学生に医学の講義をするときも「沢山質問すること」と、「知識を手に入れることだけでなく、論理的に理解しようとすること」を学生に話してから講義するようにしていますが、その熱意は低い。
(2013年6月24日 加筆修正)
「震災・津波がれき処分に関する提言」を宮城県知事に提出しました
【提案主旨】
・ 宮城県と岩手県のがれきは、湾内海底がれきも含め、一箇所にすべて集めて山積み処分する。三陸海岸は平地が狭いので三陸海岸のがれきも仙台平野海岸一箇所に集める。
・ 集めたがれきを古墳のように築いて、慰霊と決意の震災津波記念大公園として整備する。
・ 世界一の震災津波資料館を併設することを提案します。
【提案理由】
<記念公園として整備することについて>
・ がれきは思い出と悲しみの遺品です。ごみとして処分するのは残念なことです。
・ 集めたがれきは遺品として扱い、古墳のように山積みして津波避難所をかねた震災津波慰霊の大公園として整備する。
・ 津波の教訓や歴史、防災の世界的拠点として、世界一の地震・津波資料館を併設する。
・ 世界一の資料館は、被災者と被災地の誇りを守り育てることを助けます。
・ 世界一の津波資料館は、学術・文化・観光施設として、被災地の経済復興と文化振興発展に有益です。広島平和公園と併設された原爆資料館・国際会議場や、関東大震災瓦礫を埋め立てて造った横浜の山下公園が良い例です。
・ 広域・焼却処理に考案した費用を充当すれば公園と資料館建設は可能です。
<山積み処分について>
・ 震災がれきの焼却と広域処理は、費用と時間を要します。復興費用は直接、被災者と被災地復興に役立つことに重点的有効に使いたいです。
・ 震災がれきは低レベルであっても放射能汚染されているものがあり、焼却処理や広域処理は環境汚染拡散につながる可能性があることと、焼却灰と煙回収物は濃縮されて、かえって安全な放射能処理を妨げます。
・ 宮城や岩手の海底や海岸にある震災がれきに含まれる放射能レベルは低いので、高度な放射能処理施設で管理しなくてもよいが、大量にあるので拡散させないように管理すべきです。震災・津波がれきは山積みし、公園として整備することで十分管理できるレベルです。
・ 具体的な放射能汚染予防対策としては風で飛散させないことと、土壌に浸透させないことです。
・ がれきは地表より高い位置に積み上げ、表面を粘土やコンクリートその他水の浸透を妨げる資材で表面を覆い、排水溝を設けることで、風で飛散することと、汚染水が土壌に浸透汚染することは防止できます。
・ 雨水が浸透しなければ、がれきに元から含まれた水が若干出た後は、新たに汚水ががれきから土壌に排出することはありません。がれきが既にある程度乾いた状態で集められる場合は汚水は出ず、土壌汚染は生じません。がれきを土に埋めると雨水や周囲の土壌から水ががれきに浸透して、やがて、がれきに含まれる放射能をはじめとする汚染水が周囲に流出するので、地表より低い場所に集めて処分・管理することは好ましくありません。
・ 宮城・岩手ではがれきの放射能よりも山野や田畑の枯れ草や落ち葉の放射能のほうが格段に多く、震災・津波がれきに含まれる放射能に関してはこれで十分です。放射性廃棄物の処理と汚染・被曝防止のためには、農地や住宅地の対策をより強化される事を要望します。
・ その際に出た処理物は、別途提案した最終処分場に運び管理することが最善と考えます。
・ 震災がれきは山積み処分が早く、経済的で安全な最も合理的な方法です。
・ 古墳のように、450m × 600m、平均の高さ20mの山に築くと、1080万トン収容できる(比重2として計算)。現実的な数字です。
・ 処分場を海岸に造るので、がれきを海上輸送できることも利点です。
本要望と並行して私は、環境から集められたすべての放射性廃棄物は、福島第一原子力発電所付近に放射性廃棄物最終処分場を設置して長期管理することを別途要望します。
平成24年10月19日
仙台赤十字病院第二呼吸器内科部長
東北大学臨床教授
岡山 博
・・・・・・・・・・・・・・・賛同くださっている皆様へ (岡山 博)・・・・
今後は、ご参加いただいた署名を、総理大臣、宮城県知事や各自治体に提出し、要請を行っていきます。
皆様に、要請行動への運動参加の呼びかけです。
詳細は、本ブログ別記事「放射性廃棄物処分法に関する提言」を宮城県知事に提出しました」の
賛同くださっている皆様へ (岡山 博)
http://hirookay.blog.fc2.com/blog-entry-52.html
をご参照下さい。
直筆署名用紙、web 署名、賛同団体・賛同著名人登録窓口は
震災復興プロジェクト http://savechildproject.web.fc2.com/tunamikinen.html
をご覧下さい。
「放射性廃棄物処分法に関する提言」を宮城県知事に提出しました
放射性廃棄物処分法に関する提言
宮城県知事 村井 嘉浩 殿
震災復興のご尽力ご苦労様です。
震災・津波がれき処理と、除染活動で集めた放射性排気物の処分は、震災復興にとって重要な課題です。
この2つの課題について、以前から考えてきたことをまとめ、提言させていただきました。
おそらくこの2つの案が最良です。
どうぞご検討下さい。
平成24年10月19日
仙台赤十字病院第二呼吸器内科部長
東北大学臨床教授
岡山 博
・・・・以下提出した提案・・・・
放射性廃棄物処分法に関する提言
宮城県知事 村井 嘉浩 殿
仙台市長 奥山 恵美子殿
【提案主旨】
福島第一原発付近に放射性廃棄物大規模処分場を造り、全国の放射性廃棄物をすべて集め、山積み処分して長期管理することを提案します。
この提案を国の方針として行うように国に働きかけされることが望ましいと考えます。
【提案理由】
<山積み処分について>
・ 放射能は人為的に減らすことはできません。放射性廃棄物の処理や除染とは、放射性物質を減らすことではなく、危険の少ない所に移動して管理することです。
・ 放射性廃棄物を管理する際、最初にすべきことは、どこにどれだけどのような形で集めて管理するのかを決めて最終処分場を造ることです。最終処分場を造らずに、処理や除染を行なうことは不可能です。
・ 通常の低レベル放射性廃棄物の処分方法は、そのままあるいは焼却して容積を減らし、ドラム缶に詰めて地下保管室で長期間管理します。しかし、福島原発事故で生じた放射性廃棄物は量が多すぎるために、この方法では処理しきれません。
・ このような方法で処分をおこなうと、保管管理できる量が制限されるために、集める放射性廃棄物の対象を減らしたり除染活動を制限せざるを得なくなります。
・ ドラム缶に入れて保管室で長期管理できないのであれば、焼却して容積・重量を減らすと容積が減った分、比放射能は高レベルになってしまうので、管理の困難さと危険性は焼却前よりもかえって大きくなります。
・ 莫大な量の放射性廃棄物は、福島第一原発付近の高度に汚染されてしまった土地に、すべて山積みして管理することが最も安全で合理的・経済的な処分法です。
・ 450m × 600m、平均の高さ20mの山に築くと、1080万トン収容できます(比重2として計算)。現実的な数字です
・ 山積み処分なので、ほとんど無制限に集めて処分可能です。各地で集めた放射性廃棄物の始末を心配せずに、すべて回収処分することができます。
・ 山積みした土地は放射線管理区域として、数十年以上一般人は立ち入り禁止にし、専門家が管理します。
・ 各県毎に最終処分場を作ることは、以下の点で問題があり、すべきではないと考えます。放射能廃棄物は各地に分散せず、一箇所に全てまとめて処分。管理すべきです。
・ 放射能処分の原則は集めて管理することです。各地に分散することや、希釈して土地・大気・環境に拡散すべきでないということは世界的に放射能処分の原則です。
・ しっかりした管理施設を作らずに各県ごとに処分場を作ると、やがて環境汚染をする可能性があります。周囲の地面より高く積み上げて管理すべきですが、山や谷間、あるいは平地でも、周囲地表より低い位置や、地表や土壌からの流水侵入の危険がある場所での管理はすべきではありません。汚染されていない土地に放射能廃棄物を持ちこむことはすべきではありません。
・ 各県毎の処分場では、管理が不十分になることに加えて、収容能力の制限がでてきます。十分な量を収容できない処分場では、各地の住宅や農地、公共施設などで、十分な除染活動ができません。除染して集めた廃棄物の置き場を心配せずに今後も除染活動をしてより安全な環境を作っていくためには、廃棄物を無制限に収容できる処分・管理施設が必要です。
・ そのためには、既に汚染されてしまった、福島第一原子力発電所付近に、無制限に収容できる大処分場を造ることが最も合理的です。
<処分対象について>
・ 福島県の放射能汚染された震災がれき
・ 各地域での除染活動で集めた放射性廃棄物
・ 全国のごみ焼却場の放射性物質を含んだ焼却灰と煙回収物
<処分・管理方法について>
・ 放射性廃棄物をすべて山積み処分する。土壌浸透防止と風で飛散しない対策を行う。
・ 集めた山の表面から雨水を浸透させない対策、築いた山の表面から雨水が浸透させない対策をすれば、はじめから含まれていた水が漏出した後は汚染水の漏出はなくなります。山積み作業の途中では表面をビニールシートで被い、完成したら水を通さない粘土やコンクリートなどで表面を被って排水溝を作ります。
・ 初期に出る汚染水が土壌に浸透することを防ぐため、施設の底面に水を通さない構造にし、水抜きパイプで集めた汚染水の処理を行うことが必要です。汚染水が出るのは始めの一時期だけなので、完璧なものを造らなくてもよく、大掛かりにせず安い経費で造ることができます。地表より低い位置に集めて管理すると、周囲の土壌からの水の浸透が起こり、それによって廃棄物から汚水が出ることにつながるので、地表より低い位置での処分管理は好ましくありません。地表に山積みして風による飛散防止と、汚水の土壌への浸透を防止することが簡単・安全で合理的処分法です。
・ 廃棄物で築いた山から初期に出る排水は、従来の放射性廃棄物の保管と同様の、濃縮固化してドラム缶で長期管理を行います。雨水や周囲土壌からの水の浸透が無ければ、廃棄物からの汚水は短期間になくなります。
・ 具体的な山積みの仕方や汚染水浸透防止、飛散対策、管理方法などはいろいろな選択肢があります。望ましい構造や方法を専門家が作ることは難しくありません。
<最終処分場の土地確保について>
・ 原発、ダム、高速道路、工業用地など公共的大事業を行なうための大規模土地取得は、これまで繰り返し達成してきたことです。住民の希望による土地売買ではなく、取得する側の都合による土地収用であることと、地域文化と生活基盤をすべて失う代償を考慮して、時価より高額の土地代金を支払い、移転後の生活再建が出来ることも準備して土地取得を行ってきました。同様の取り組みを行うことで、土地取得は可能です。
・ 環境放射能が高く、産業に乏しく子どもを育てるには不安な土地で、これからも住み続けたい人はいるかもしれませんが多くないと思います。
・ 強く汚染された土地に、人は住むべきではありません。住民の健康の為にも、政府は住民に十分な保障をして説得し、処分場の土地を確保すべきと考えます。
平成24年10月19日
仙台赤十字病院第二呼吸器内科部長
東北大学臨床教授
岡山 博
・・・・・・・・・賛同くださっている皆様へ (岡山 博)・・・・
賛同くださっている皆様へ
2つの提案を実現させるために、今後は、いただいた署名を、総理大臣、宮城県知事や各自治体に提出し、要請を行っていきます。。
皆様に、要請行動への運動参加の呼びかけです。
これに限らずどうぞ他の方法や手段を駆使して、活動にご参加ください。
緑の防波堤や、自覚的な活動をされているグループに、協力・協同の働きかけもしてください。地域の著名人や政治家に賛同者として参加要請もお願いします。
並行して署名活動も進めてください。自筆署名だけでなくネット署名でも結構です。
実現を求めるために、一定の間隔で締切ながら、署名簿を提出します。
■皆さんに提案です。
<提案趣旨>
2つの取り組み(片方だけも可)を提案・要請・要求する。
同時に、震災復興プロジェクトで集まったWEB署名と直筆署名(コピー)を提出する。
<対象>
被災地や全国自治体の知事・市町村長、自治体議会議長、国会・自治体議員、漁協その他の関連団体など。
政党や、今後の選挙出馬予定者に、公約・政策にするように提案・要請する価値があります。
<方法>
(A)各地で要請活動をされる方(またはグループ)の名前と震災復興プロジェクト・チーム(都道府県)の名前で、前掲の提言の趣旨を、直接要請していただく。震災復興プロジェクトと無関係の形で行なっても、あるいは参考資料として名前を入れてもどれも良いと思います。他の課題と一緒の要請も可です。
(B)震災復興プロジェクト・チーム(都道府県)として前掲の提言を、メールで要請する。前書きをいれていただくのも好ましいです(なくても可)。どこに要請メールを送ったのか、震災復興プロジェクトまでお知らせください。
情況が急速に変化して流動的です。早いほど有効です。
どうぞ取り組んでください。
取り組みの様子など、震災復興プロジェクトにメールまたは電話にてお知らせください。
提言・署名を提出する際に同封する書面の文例
****市長町長
*** 殿
大震災と津波の大惨事に当たり、被害にあわれた皆様に哀悼を表し、災害復興にご尽力されている皆様に感謝と敬意を申し上げます。
私たちは、できるだけ早く健全な被災地の復興をすることと、震災・津波でなくなった方を慰霊し、大災害の記憶を遺す施策を行うべきと考えています。
私たちは亘理町、岩手県と宮城県の震災津波がれきを集めて古墳のように山積み整備して、震災津波記念の大公園につくり、国立地震津波資料館(研究施設を持った博物館)を併設することを町の方針として国と宮城県に働きかけて実現することを提案し訴えます。
提案趣旨
1.岩手・宮城の震災津波がれきを仙台平野海岸に全て集めて山積みし、大古墳のように整備して、国立震災津波公園を作ること。
2・震災津波記念公園内に世界一の国立地震津波資料館を作ること。
提案理由
(略)
(追伸)1.この提言主旨は、平成24年10月23日、岡山博から宮城県知事に提出しました。
2・同様の提案を宮城県内沿岸部市町長と議会議長に送付、提出します。
3.この提案は多くの科学者や専門家と、津波がれきの広域処分を考える全国の多くの方から支持を受けて、そのために震災復興プロジェクトを作りました。実現するための全国的な署名活動を行なっています。
****チーム(都道府県or市町村)
代表 ○○○○
○○○○
あるいは以下を併記など
震災復興プロジェクトチーム
代表 岡山 博
仙台赤十字病院医師
東北大学臨床教授
ご意見、ご質問、提出する署名のコピー請求は
震災復興プロジェクト震災復興プロジェクトにご連絡下さい。
http://savechildproject.web.fc2.com/index.html
なぜ「秘密会」は行われたか。福島県民健康管理調査検討会
(ママレボHPから転載。http://momsrevo.blogspot.jp/)
「あなたの健康、見守ります」という意味不明なスローガンを掲げ、福島県が昨年6月から実施している「県民健康管理調査」。
この県民健康管理調査の進め方について、専門家らが議論する「検討会」の在り方が、現在大きな問題になっています。
本来、活発な意見交換の場であるはずの「検討会」ですが、事前に県や委員の間で「秘密会」なるものが開かれ、「意見のすり合わせ」や「口止め」などが行われていたことが明るみに出たからです。
*** 以下関連ニュース***
福島健康調査:「結論ありき」県民憤り…検討委「進行表」
http://mainichi.jp/select/news/20121005k0000m040113000c.
福島健康調査:「秘密会」出席者に口止め 配布資料も回収
http://mainichi.jp/select/news/20121003k0000m040155000c.html
原発事故:健康管理調査検討委、福島県が進行表作成認める
http://mainichi.jp/select/news/20121006k0000m040105000c.html
***************
これについて、現在、講演会やブログなどで積極的に“脱・同調強要社会”(意見の同調を強いる社会から脱却しよう)を訴えている仙台赤十字病院医師の岡山博氏にご意見をうかがいました。
○○○○○○○○○○○○以下インタビュー発言○○○○○○○○○○○○○○○
今回、世間やマスコミは、「秘密会」を開いて意見のすり合わせを行っていたことを批判していますが、私自身は起こるべくして起こったことだと考えています。
どういうことかと言うと、問題は大きく分けてふたつあります。
ひとつは、政府や福島県および被ばく対策政策をつくる中心になり、検討会の座長を務めている山下俊一氏らをはじめとする専門家の基本的な考え方の問題です。
日本政府や福島県、および専門家らは「チェルノブイリや福島第一原子力発電所のような低線量被ばくでは、若年者の甲状腺がん以外には健康に影響はない」と断言しています。
ICRPがチェルノブイリの被害をまとめたとき、健康被害を示す多くの調査研究発表がすでにありましたが、「不確実なものは存在しないもの」として扱い、甲状腺がん以外の健康障害は存在しないと結論をくだしました。
甲状腺がん以外の影響はないと決めたあとは、健康被害を示す何百の調査や研究が報告されても再検討をして結論を変えることをしていません。
「甲状腺がん以外の影響はないのだから、それ以外のありもしない健康障害を話題にするのは過剰で不要な心配だ。存在しない健康被害を話題にするのは、不安をあおる悪質な行為だ。
不安を取り除いて安心させることが、行政がすべきことだ」というのが、政策をつくる中心になっている専門家と国・県の立場です。これはうがった見方ではなく、政府や福島県が一貫して説明している公的な見解です。
その証拠に、食品暫定基準や環境放射能、廃棄物放射能などの基準や規制をつくるときにも、「もともと安全で心配ないレベルだが、不安を取り除くために必要以上に厳しい基準をつくった」と、そのたびに説明しています。
国や福島県の被ばく対策政策は全てこの立場でつくられているため、県民健康管理調査においても「秘密会」を開いてまで一貫してこの姿勢を貫こうとしているのです。
ふたつめには、日本社会そのものの在り方が問題です。
今回の「秘密会」のように、本番の会議を問題なく進めるために、事前にすり合わせを行うことは、日本の組織で日常茶飯事に行われています。
本来は、同じ目的をもった人が、異なる意見を提示してはじめて、有効で良い議論ができるのです。異なる意見が出されなければ議論でありません。
しかし日本では、異なった意見をたくさん出して、それによって認識を深め、新しく方針を打ち出そうというのではなく、会議参加者に無条件同調を強要するための会議や、関係者や社会から批判されないための形だけの会議を開くことが日常的に行われています。
そのような場で良い議論をしようと思って優れた異論を提出すると、無視をされたり抑圧されたします。それに屈せずに繰り返していると、会議とは関係ない場所でも異論を述べた人に執拗な嫌がらせし、会議を超えた場からも排除しようとします。つまり、民主主義がないということです。
優れた発言が活きないだけでなく、発言するということの安全が保障されていないのです。これは行政でもっとも顕著にみられることですが、一般企業や小さな内輪のグループでも日常的に同じことが行われています。
記憶に新しいところでは、今年8月下旬に内閣府原子力委員会が原発推進側だけを集めて勉強会と称する「秘密会議」を開いていたことが報道されていました。
(「核燃サイクル:秘密会議問題 原子力委員長が主導 原発依存度「コントロールできる」http://mainichi.jp/feature/news/20120825ddm001010043000c.html)
ですから、こうした日本社会の在り方や行動様式そのものを改善しないと、いつまでたっても今回のようなことはなくなりません。
会議の在り方、社会の在り方を変えるためには、変革の活動と並行して、自分を含め一人ひとりが、言葉・論理・議論を大切にする能力と自覚を育てることが不可欠です。
(文責:和田秀子)
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岡山博先生のインタビューは、「ママレボ」3号でも掲載します。このブログでご紹介した以外のこともたくさん語っていただいておりますので、ご期待ください。
おひさまプロジェクト発足記者会見
がれきの焼却処分と全国での広域処分に反対する「おひさまプロジェクト」を9月9日発足させ、参加しました。
発足後、津波被害を受けた宮城県岩沼市で、記者会見を行ないました。
記者会見内容を、きーこさんがブログ「みんな楽しくHappy♡がいい♪」http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2333.htmlに ustream 録画画像と発言文章化をして下さいました。
以下はその抜粋です。
記者会見画像と全文は同ブログをご覧下さい。
・・・・以下きーこさんブログ「みんな楽しくHappy♡がいい♪」からの抜粋・・・
「地元の人々に十分な補償をしたうえで福島第一原発の近所に集めて管理する」仙台赤十字病院岡山博先生9/9「おひさまプロジェクト」発足記者会見
記者会見参加者
九州ひまわりプロジェクト村上さん(九州)
原 豊典さん(福岡市)
仙台赤十字病院 岡山博先生(宮城県仙台市)
高橋良さん(宮城県仙台市)
秋田大学教育文化学部 村上東教授(秋田市)
こども未来ネット 菅原雪子さん(秋田市)
環境ジャーナリスト青木泰さん(東京)
岡山
去年の原発事故が起きたその時から、それまでの放射線被ばくに対しての常識、つまり、大学、学生、あるいは放射能を使う企業に対して指導してきたことが全部なくなってしまいました。
・放射能は出来るだけ被ばくしてはいけない。
・それから安全な量はない。
・これ位被ばくするととても重大だ。
という事がすべてなくなって、全部「安全」、「心配するな」、「放射能の被ばくよりも心配することの方が有害だ」と言って、心配する人、真面目に考える人を馬鹿者扱いしてきました。
そういう中で防げるはずの被ばくが防げずに拡大しました。
私は政府が説明をしてきたことが「明らかに人を欺いて嘘を言っている」
この事に対して発言しなければいけないと思うようになって発言を始めました。
それからもうひとつがれきに関しては、莫大な量のがれきがありますが、宮城県・岩手県のがれきをわざわざ外に運んで処理しなければならない道理的な理由はありません。
そして、それをまた焼却する理由もありません。
「ゴミとして扱う」これはとても残念なことです。
私は、宮城・岩手のがれきは、全部遺品として、全部集めて山積みにする。
それで岩手県には、場所がありませんから、小さい湾なので。
仙台平野のどこかに、海岸に全部山積みにする。
古墳のように山積みにして、地震と津波の記念公園をつくったらいい。
これが一番。
ただ集めて山積みにするだけですから、最もお金がかかりません。
海岸につくるのでトラックで運ばないで船で運びます。
これはものすごいメリットです。
そして、私は出来ればそこに、世界で最高の津波・地震の資料館を作ったらいい。
これはゴミとしてではなくて、世界に対して被災地の誇りとなるようなものが出来ます。
それからもうひとつは、
がれきを集めるという事は遺品として集めて、遺品として私たちが大切にする。
それをゴミにして邪魔者扱いをしてばらまくという事は、私は道理的にもやるべきではないし、やる理由もないし、やらないでずっと安く合理的に始末が出来ると思います。
私が提案していました。
そしてこのような会が出来て繋がることが出来たことをとても私は喜んでいます。
原(九州住民ネットワーク)
北九州市で80トンのがれきを受け入れて試験焼却をやったんですけれど、この結果、私たちが掴んでいるだけで40件位の健康被害が報告されています
その症状は様々なものでして、北九州市にはひと月ほど前にその報告を出しているんですね。
ところが北九州市は何の調査もしようとしていない。
そこには北川先生という医師のコメントも付けているんですけれど。
先日北九州市の漁協に行きまして、そのことを知らせましたら、ちょうど目の前に北九州市の局長とか水産部長とかが座っていまして、直接話をしたんですけれども、漁協に行きましたら、組合長が非常に驚いてですね、「もう反対は止めようかな、諦めようかな」というような感じだったのが、「ちょっと考え直そうか」という事になりまして、市民と一緒に漁協も「それを調査してくれ」と、はっきり。
「調査が終わるまでは受け入れないようにしてほしい」という要望を北九州市の方に出しております。
それで「もっと情報をどんどん持ってきてくれ」と言われていますので、そういう事をやっていきたいと思っています。
その試験焼却の結果、灰が出たんですけれども、その灰は響灘 (ひびきなだ)という北九州市の地区に埋め立てられる予定なんですね。
北九州市はそういう予定をしているんですけれども、漁協が反対してそれを食い止めてきたんです。
でもその灰は本来どこに捨てられるべきかといえばですね、
東京電力の敷地に置かれるべきだと。
9月1日に小出裕章先生を福岡にお呼びして、講演会をやったんですけれども、小出先生もそのように、「東京電力に責任を取らせることが重要だ」という事を言われています。
それを全国的に進めていきたいと思うんですね。
まずは北九州市に試験焼却によって生じた灰は、東京電力の福島第二発電所、広大な敷地があるそうですけれども、そこにもっていくように北九州市に求めたいと思います。
そういう事を全国的に呼び掛けていくという事を私はやりたいと思っています。
みなさん一緒に東京電力に責任を取らせるようにしましょうじゃありませんか。
あまりにもひどいと思います。
村上(九州ひまわりプロジェクト)
北九州市には80トンの試験焼却灰がいまだに埋め立てるところが無く、
積立基地に置かれたままの状態です。
試験焼却は5月にやりましたが、9月の現在になっても、まだ埋め立てられていません。
岡山:
放射能は、分子のものの性質ではなくて原子の性質なので、
どのような化学反応をしても減らすことはできません。
除染活動、放射能を始末する活動というのは、人が出来ることは移動する事だけです。
だから除染活動は、どこかを減らしたいと思えば何処かを増やすという事がセットなのです。
だから除染活動をやるために一番初めにやることは、処分場をどこにどのような規模でどのような形で処分するのかというのを決めて、その処分場をつくることです。
それなしに処分というのはあり得ない。
これは世界的な常識です。
ところが、最終処分場と、わざわざ「最終」という言葉を付けて、最終処分場ではない中間の仮施設をつくると、このようなことで処分はできません。
初めからこれは人を欺くものですから、やってはいけません。
だから、すべて集める必要があります。
それで放射能の処理というのは、「人がより影響を受けにくいところに、より安全な形で集めて管理する」というのが放射能の管理の基本です。それ以外にはありません。
今までの管理法というのは、ドラム缶に集めて何十年も地下の倉庫に管理するというのが基本でしたけれども、
現在は量が多すぎてこれはできません。
だから出来るとすれば、「福島原発の陸の傍のうんと汚染されたところに集めて山積みにする」
これ以外にありません。
焼却をすると物は少なくなり軽くなるけれども、放射能は軽くならないのでそのまま残るので、
数10倍、場合によっては数100倍濃縮されます。
そうするとかえって管理が困難になります。
これはやってはいけません。
それから放射能は集めて管理するというのが処分ですから、
いろんな場所にもっていくというのは拡散で、これは処分とは全く逆のことです。
やってはいけないことです。
という事で、そもそも拡散をしてはいけない。
空気中に拡散という事もあるし、色々な地方に拡散という事もあります。
それはやるべきではありません。
一カ所に集めて管理する。
場所は福島第一原発の近所以外にはありません。
それで量が何百万トン、
どこまで除染活動を進めるかによっては何千万トンになります。
それを集めて管理する方法は山積み以外にはありません。
だから原発のそばに全て山積みにします。
福島のがれき、それから津波瓦礫ではなくて福島県一帯にある放射性物質、
これは全部山積みにします。
それから全国で除染活動で集まったもの、
燃やしたゴミの中で濃縮された放射能、
これも全部福島に集めます。
これは山積みです。それ以外の方法はないです。
山積みにして、その時の対策というのは
地面に染み込まないことと、空中に風で飛ばないことです。
これは初めに濡れていた分は水として出ますけれども、
上にビニールシート、覆い。
あるいは出来上がってからは粘土とかコンクリートで覆って水が沁みとおって行かないようにすれば、
新たな浸出物はできませんから、これは非常に簡単に管理できます。
それで何十年あるいは何百年も管理する。
これ以外に方法はないので、それ以外の方法は全部、人を欺くか、嘘か、あるいは出まかせです。
私は福島原発のそばに最終処分場をつくって山積みに処分する。
これを何とかやらなければいけない。
それ以外に方法はないと考えています。
村上:
福島の処分の問題とそれと同時に今福島の人々が棄民されている、今本当に棄民、本当に棄民させられていると思います、福島の方々。
そういった方々に避難していただく、保養していただくという事を同時にやっていきたいと思います。
岡山:
地元の人の気持ちを考えると、「故郷を捨てろというのは忍びない」という意見があります。
これはその人たちを可哀想だと思っている人が言うのではなくて、
全然思っていない人が利用して言っているだけだと思っています。
今まで、ダムをつくるにしても、原発をつくるにしても、高速道路をつくるにしても、
故郷を捨てた人が山ほどいます。
全部これは実行してきました。
キチンとお金を払って、その後の生活保障をして、やってきたんです。
まして今、あれほど汚れた地域で、子どもを安全に育てられない、それから産業が無い、そこに本当に、それでも帰ってきたい人がどれだけいるか?
少しはいるかもしれないけれどそんなに多くはない。
それは、十分な補償をするという確約をしないから、そういうふうに言っているだけで、私はそれにつけ込んでいるとても悪質な問題だと思います。
それで、福島の、特にうんと汚染された地域の人のためにも、あそこに帰らないでいいように別のところを国と東電が補償して、今後の生活を補償する。
安心して他に住居が移せるようにそれをやるべきだと思います。
それがセットです。
青木泰(環境ジャーナリスト)
復興予算は19兆円ということです。
がれきを広域処理する費用は完全に無駄使いだし、人が住むことが出来るまで線量を落とすことができない除染費用も無駄だし、予算の使用内容をきちんと見直せば、これから先何十年も帰ることが出来ない地域の住民の方々に手厚い補償をすることは可能な筈です。
原発の爆発により飛び出した放射性核種の量は常識の範囲を超えて大量だし、
今までのように管理することも現実的には無理でしょう。
これからの日本の国土を考えたうえで、より良い解決策を選ぶとすれば、
完全ではないけれども、この方法しかないのではないかと私も思っていました。
わたしは先生のご意見に賛成です。
・・・・以下はきーこさんによる前書き・・・・
福島第一原子力発電所から大量に放出された放射能。
各地でそれを焼却した高濃度に濃縮された焼却灰。
除染のためにはぎ取った土。汚泥。
それらを置いておく場所として、「各都道府県で最終処分場を」と環境省は言います。
「(本来なら福島第一原発だが)福島第二原発の広大な敷地へ」と小出裕章先生はおっしゃいます。
東電の所有物なのだから、東電に返すのが本当だし、東電に責任を取らせるべきだと私も思います。
一番いい方法は東電の敷地内に処分場をつくることだと私も思っています。
だけど、その量はものすごく膨大です。
最初の頃は「チェルノブイリ原発の近くは放射能の墓場になっている」との発言があった小出先生も
とても言いにくそうにしておられていて、最近は「東電の敷地内へ」という言葉でしか話されていません。
私は、先生でさえもが言えない最も現実的な方法があると、ずっと思っていたことがあります。
福島第一発電所近くの地域は、
もう除染も出来ないし、帰ることは不可能だというのが現実です。
膨大な土地が汚染され、これから先半永久的に住むことも出来ずに使えなくなる場所があるという事は
信じたくはありませんが事実です。
放射性物質は出来るだけ一カ所に集めるという原則から考えて、
私は高濃度に汚染された原発近くの土地に
どんどん全国から焼却灰や汚泥その他汚染したものを集めていくしか方法はないだろうと思っていました。
住んでいらっしゃった方のお気持ちを考えてなのか、なぜなのか?
「栃木県矢板市に最終処分場」等のテレビのニュースでも、
誰も「東電の敷地内へ」や「原発近くへ」と一言も発言しない事がとても不思議でした。
そのことについて公にハッキリとお話しされた方は今までいらっしゃらなかったように思います。
今回、仙台赤十字病院の先生が、私がずっと思っていたことを、会見で話して下さいました。
暗黙のうちに了解していて発言できないタブーというものがあります。
小出先生さえもが言い淀むほどの、真実です。
とても勇気が必要な発言だと思います。
がれき問題中心の会見ですが、岡山先生の発言を中心に書き出しました。
・・・以下は、会見動画・・・・・
おひさまプロジェクト記者会見動画
自由に物を言えない抑圧社会 原発事故と損害を拡大している真の原因
原発事故と損害を拡大している真の原因
日本社会は安全に自由にものを言えない社会だ
• 日本では、職場を始め様々な集団内で、社会的立場が上のものは、全人格的身分として下位の人を支配する。対等な対話・議論をさせない、挨拶や言葉使いまで身分が下であることを強要する。
• 人格的に対等、対等な対話・議論を求めると、話題とは関係ないところで損害と屈辱を与える執拗な嫌がらせを無期限無制限に続ける。日本中いたるところに存在する、日本社会と人間関係の基本的行動様式、管理様式になっている。
• 「自由な発言抑圧と人格抑圧の言動を黙認してはいけない」ということが、社会規範と人々の共通認識になっていない。
・ 日本では、相手に屈辱と損害を与えて支配する程度は、個人のキャラクターで決まってしまう。他人の人格・尊厳を破壊する言動があっても批判されず黙認される。上位のものが人格的に他人を下位のものとして人格や人生まで支配している。
• 個人のレベルでは反民主的・反道徳的・強圧的なボス的言動の横行と、無条件同調強要に過剰適応して自分で判断し自分の考えを発言する意思と能力を失い、他人にもそれを要求しあう人々が多数であるということだ
• 民主社会・近代社会であれば、相手に屈辱を与える言動は、社会規範として必ずそこに存在する人々から批判される。
同時に多くの欧米諸国では法的に侮辱罪として犯罪として扱われる。相手を侮蔑する言動をしてそれを批判されれば、侮蔑した言動を取っていないと十分に釈明しないとその人は社会的地位を失う。
• 全ての人が対等平等にふるまえることを社会が法的に強制力を持って保障し、社会規範として人々が保障しあう。それを前提に社会運営をするのが近代社会、民主社会の原理だ。人格抑圧の言動を黙認し横行する日本社会は反民主的身分社会だ。
• 「自由に発言できない社会」と、「発言する熱意と能力が乏しい」という問題が、福島原発事故を起こし、稚拙な事故対応をして損害拡大を繰り返した底流にある
• 自由に安心して発言できない日本社会のあり方は、原発事故に限らず、殆どの社会問題と、個人の多くの苦痛の基盤になっている
• 殆どの社会問題や、個人間の問題の解決を妨げる原因でもある
• 言葉・論理・議論軽視、異論排除、無条件同調強要を行動原理とする日本社会が福島原発事故の底流、真の原因として存在している。
原発を造り拡大するために健全な議論や異論発言を抑圧した
• 日本の原発は、導入決定、地域決定、建設、全国への原発建設拡大、原発運営というどの段階でも、健全でまっとうな検討は殆どされなかった。
• 原発導入、拡大の大方針を作ったあとは、「無条件に実行させる」という行動方針で、異論・批判や議論は完全に排除・抑圧して強行してきた。
• 官僚が打算と保身のために大方針を作る。
• あとから表向きの理由をつくる。嘘の理由なので、誤りと指摘されても健全な議論はしない。
• 真の目的を主張せず、表向きの嘘の理屈を振り回して強行する。失敗があっても教訓を分析せずに強行する進め方は帝国陸軍以来続いている。
本来の目的はあいまいになって手段であるはずの方針が自己目的化され強制される。方針の問題点を再検討することを敵視して指示通り動くことを強制し、その遂行で責任を問う。
これは戦後も官僚機構運営に主導されて拡大し、現在の日本社会の行動・運営原理になっている。
日本に著しい傾向だ
• 太平洋戦争で、アメリカ軍は戦闘失敗があると徹底的に原因を分析して教訓を引き出し、同じ失敗を繰り返さないとりくみを、失敗のたびに行った。自軍の被害が最小限になる取り組みを重視した。日本は、過ちを点検して再発しない取り組みはせず、失敗しても同じ方針を強要して損害を増やした。
• ナチスドイツは、「ユダヤ人を虐殺することやユダヤ人の財産を一方的にとりあげることが正しい」と、理由をしっかり主張した。
• 一方日本軍は真の目的を国民に言わず、アリバイつくりのための見せ掛けの説明をして国民と社会を偽ることを基本姿勢とした。
• 「略奪を禁ずる」と見せかけの訓令を出して、実際には「現地調達」を方針として中国や東南アジアの人々から略奪した。略奪の事実にはアリバイつくりの訓令を示して努力していると偽り、食料略奪が不首尾になると現地調達方針を遂行しないと言って現場を叱責した。
• 強制的に特攻隊に自主志願させた上官自身は特攻に参加しない。敵艦まで到達できないとわかっていながらスピードの遅い練習機を特攻機として使い、特攻で死なせることを自己目的化して強制した。二人が不要でも特攻機に二人乗務させて死なせた。機体の故障で帰還すると裏切り者扱いして侮辱攻撃した。
• それまでの方針が誤りだといわせない恫喝をするために、失敗した方針を改めずにどこまでも継続、強制した。
原発推進論者だけで原発を造り運営した
• 問題点の検討を要望する異論や批判を敵視した。
• 異論無視に加えて、異論発言する人を、敵視・侮辱・排除した。
• その共通認識をもつ原発推進論者だけで現実的には原発政策決定・建設・運営を独占して、原発を拡大してきた
官僚が作った原発支配の構図
• 同調しない異論に対して、的をはずさない適切な反論や解説を行なわない
• 同調しない人の意見や、主張内容を無条件に、侮辱・抑圧・排除した。
• 同調せずに、異論や問題提起する人を、人格として侮辱・抑圧・排除することを暗黙の基本方針とした
• 同調しない人を排除する姿勢は原発推進者の中で、強固で基本的な暗黙の了解事項となった。
原発現場での抑圧
• 技術者が、問題を発見したり、改善の提案をすることは歓迎されず、逆に疎まれて不利益を受けたはずだ
• 改善課題を放置し、自由な発言が困難な環境の下で、問題点は発見されても改善されず、放置、蓄積され、発言する熱意も減ったはずだ。
• そして福島原発事故に帰結した。
原発事故発生後の経過
• 抑圧的基本姿勢は、原発が大爆発を起こした後も続いている
• 原発に批判的意見を敵視・排除する基本姿勢で対処した
• 適切な事故対応をせずに避けられるはずの損害も回避せずに、繰り返し拡大した。
• 世界の全能力を結集して対処しなければならない緊急事態でも、事故の危険性、対処法を提起してきた批判的専門家は排除した。今も続いている
• 原発推進論者だけで事故処理を今も独占している。
• 異論に対する抑圧方針は強化・繰り返して現在に至っている。
福島原発爆発の直接原因
• 第1番の原発爆発の原因は震度6の地震で送電鉄塔が倒れ、外部電源2系統が全て供給不能になり冷却不能になった。これが大爆発にいたる直接の原因だ。
• 第2は外部電源が破綻したときに緊急用発電が働かなかったこと。津波による緊急用発電機の破壊と、電源車から電力を供給させる為の電線が短すぎ、接続するコネクターの形状が異なっていたために接続できず、電源車から電力が供給できなかったことの2つが電源バックアップ失敗の原因だ。
• 想定外津波による緊急用電源喪失が爆発原因だと東京電力は主張している。緊急発電機の不作動によるバックアップ失敗が爆発の原因と主張するなら、電源車の接続失敗によるバックアップ失敗も津波による緊急用電源破壊と同等の爆発原因だ
「想定外」の意味
• 地震国日本の原発はリスクが高すぎて、ロイド保険と契約不成立。
• そこで「想定外自然災害による事故では、電力会社は、賠償その他の責任を負わない」という法令を作った。
• 東電が「想定外」と言う言葉を絶対に引っ込めないのはこの法令を生かして、安全管理を怠った電力会社と、歴代官僚を免責し、損害は被害者と国民・税金に負担させるためだ。想定不可能な津波だったから対策できなかったと言っているだけではない。
・「大地震や大津波の危険を指摘して対策を要求してきた人たちがいるのだから「大地震や津波は想定できなかった」と言うなら、想定できない低能力と、想定した意見を排除した2つの責任で処罰されるべきだ。
事故時の恫喝
• 事故で汚染され、爆発が起きても、最小の可能性だけを説明した
• それ以外の発言は不安をあおると威嚇・恫喝した。スリーマイル事故と比較して考えるなどは過大で悪質な発言だと非難した。
• 事故と放射能汚染が拡大する可能性について、自覚がないマスコミは質問さえしなかった。
被曝拡大を誘導した
• 国と東電のキャンペーンの下で、避難すべき人が避難せず、高度汚染された自家野菜を食べ続けた。
• 一方で、東電社員家族はきわめて早期に、適切に福島から避難した。関係者がいち早く避難したことは非難すべきではない。住民を避難させなかったことが問題だ。
• 的確な批判をすべきだ
被曝医療専門家の「解説」
• 「低線量被曝の傷害はない」と考え、主張する専門家がいても良い。
• しかし、異なる考えがあることを紹介せずに「誰もが認める真実だ」と「解説」するのは嘘だからしてはいけない。
• 異なる意見を「煽動するな、不安を持たせるな」と発言抑圧してはいけない
• 特権的な立場で批判意見が存在しないかのように人を欺いて「解説・指導」するのは誤りだ。特権的な立場で、それ以外の考えはないと偽って、他の考えを抑圧することは無条件同調を強要する恐怖社会だ
• 20mSv被曝すれば0.1%が癌死する。日本の全法令の基本的立場。彼らも認める。
• 「日本人の半数は癌になるのだから0・1%が増えても誤差の範囲だ」と言う。
• 「70歳過ぎれば半数が癌」は正しい。癌が非常に少ない若年者について考えれば癌死は何十倍に増える。若年者でも誤差の範囲であるかのように誘導するのは人と社会を欺くものだ
• 人生で何らかの利益を得るために0.1%の生命リスクを覚悟して、判断することはある。利益無しにリスク引き受けを誘導することは、私は犯罪と考える。
行政幹部
• 10万人に責任を持つ首長や教育委員長が0.1%の癌死を回避せず容認すると、100人が新たに癌死することを意味する。
• 現代社会で、100人が新たに死ぬことを認可するという権限を特定個人は持っていない。行政担当者がそのような権限を持っている認識は問題だ。
• 思考停止と既存路線強行に慣れ、人としての誇りと、行政責任者としての自覚を欠如した行政責任者は、判断の重大さに無関心に、上位者の意向に沿った判断発言をしている。
福島医大
• 福島医大の医師の1割が辞職した。
• 勤務している医師の多くは家族を福島県外に避難させている。これが被爆に対する福島医大の多くの医師の認識だ。
• しかし、学内で、被曝や汚染を語るのは殆どタブーで自由な議論は抑圧されている。圧力に抗して批判する医師はほとんどいない。
• 被曝に関した調査や研究を実質的に禁止している。抑圧を更に強化して福島医大を、被曝医療の中心にしている。
母親たちの要求・学校の放射能
• 学校の放射線を測ってほしい→拒否
• 測定と対策に協力したい→拒否
• 自分たちで測りたい→拒否。構内への立入禁止
• 学校周囲を測った。汚染確認→無視
• 「放射能は危険でない」教育を始めた
• 相談した母親をモンスターペアレンツ扱い。2回相談したら「神経過敏だから精神科受診を勧められた」
• 多くの地域で保護者が学校周辺を測定した。汚染が明瞭だ。こうして行政から指示が出て学校も測るようになった。それまで測らなかった反省は無い。ほとんどの学校は、生徒の被曝回避行動をとらず抑圧した
• 測定器が学校に支給された。校長教頭と担当教員以外は使用禁止し、他の職員や保護者が使えない学校もある
母親たちの要求・学校給食と牛乳
• 給食の安全に疑問を持つ母親。弁当持参→禁止。「給食は教育の一環。勝手な行動は禁止する」残さず食べる教育を強要
• 牛乳飲ませたくない。水筒持参→禁止。別の理由で水筒持参すると水を捨てさせ水道水を飲むことをを強要
• 給食放射能測定を希望→拒否
• 自分たちで測定したい→禁止
• 給食残りを集めて持ち帰って測定→窃盗扱い。被曝に批判的教師を窃盗助長として指導
• 「暫定基準値500Bq/kg以下は安全だから特別の対応はしない(させない)」
事故経過のまとめ
・行政と電力会社は、原発の設置、拡大、運営、福島原発事故、事故後の対応のどの場面でも、真実を説明せず、議論を抑圧するために、社会と国民に偽りを言って、原発大方針を継続実行し、それまでの失敗を過小評価し隠蔽してきた。
・国民に真実ではなく偽りを言うことが行動様式の基本として現在も続いている。福島では、放射能を心配する言葉を口に出すことも出来ない。恐ろしいほどの言論抑圧社会が現実になっている。
・他人や社会を偽り、異なる発言する人を敵視・排除しては、原発を健全に運営することも、原発事故を健全・合理的に収束させることはできない。
・再点検し安全取り組みを強化して安全性を確認したと言って大飯原発を再稼動させた。
反対意見を敵視・無視して、偽りの説明をして強行した。
・異論を排除して強行するあり方が福島事故の最大の原因だ。これを改善せずに、原発稼動を安全にすることはありえない。
・津波堤防を数メートルかさ上げするなど見せ掛けの対策をして安全になったと偽りの説明を懲りずに繰り返している。
・福島事故が想定外の災害のために起きたという主張から出る唯一の結論は「想定しきれないことで大事故を生ずるから、想定した対策をしても安全を保障できない」という結論だけだ。
・ここでも、自分でも信じていないごまかしを言って、押し切っておけばかまわないという姿勢が貫かれている。
、
自由に物をいえない日本の人と社会
• 原発大爆発後も、自由に物が言えない社会を改善していない。逆に強化した。
• 物言えぬ日本社会のあり方は、原発事故に限らず、殆どの社会問題と、個人の多くの苦痛の基盤になっている
• 殆どの社会問題や、個人間の問題の解決を妨げる原因だ
• 自由に物が言えない、嘘・偽り・恫喝・侮辱が批判されず横行する社会は不健全で危険だ
過剰適応
• 強者に無条件同調を強要する社会に人々は過剰適応した。異論発言や、自分で判断することを恐れる精神を強めた。
• 考えるということは、「本当にそうか」と異論を考えることから始まる。そして答えが出るまで考え続けることだ。
• 多くの日本人は異論発言を避けて同調することを目指し、自由な発言を控えることを繰り返した。そして自分で検討・判断し発言する、能力・熱意、自覚を後退させた。
• 与えられた情況と選択肢の中から、気分で選ぶだけの言動を日常化した。論理を軽視して気持ちで納得することを繰り返した。作られた状況に流されて判断行動をする体質を身につけた。自分の言葉で発言しないと情況に応じて気持ちはかわる。自分の判断を長期に覚えていることはできない。
• その結果、遅い状況変化は気づかず、状況に流されて判断していることに気づかない。それを問題と理解する能力も失う。
健全な社会とは
• 自由に安全に発言できない。異論を抑圧して強行する社会と、自分で判断して発言行動する能力・勇気・自覚の貧弱は原発問題に限らない。
• ほとんどの社会問題と個人の多くの苦痛の基盤になっている
• 人が大切にされる健全な社会とは、侮蔑・脅迫・恫喝・欺きを容認しない社会だ。
• まじめな発言を抑圧させず、敬意を持った論理的で、核心を外さない議論を楽しむ、知的で健全な文化と精神を育てたい。
• 人の誇りを尊重し踏みにじらせない健全な文化・社会・人格を育てたい
• そのためには
①優れた言葉の往復で発言・議論する自覚と能力
②相手に対する敬意、論理的議論を楽しむ知性と道義性・勇気
が必要だ。
優れた言葉とは
①打算をいれずにまっすぐ考える
②判断先送りしない真剣
③丁寧な思考
④相手に敬意を持った穏やかで論理的な言葉
⑤誠実
考え方・感じ方・判断基準・行動様式の社会の傾向が文化、個人のレベルでは人格です。
優れた人格を大切に育て、健全ですぐれた文化・社会を作りたい
• 言葉、論理、議論を大切にする自覚と能力を人と社会に育てたい。良い議論をしましょう
• 良い議論を行なうためには、共同で共通の認識や結論を作ろうという意思と、異なる意見の提示が不可欠です。
• 優れた異論を発言する自覚と能力を育てたい。
• 論理的な議論を知的ゲームとして楽しむ知性を育てたい
岡山博からのよびかけ
• 言葉、論理、議論を尊び、楽しむ自覚と能力を育てる文化運動を作りたい。
• 自覚的知識人が役に立てる運動です。
• 以前からの私の希望です。しかしできていない
• 日本をより良く変革するために、最も重要な課題のひとつです。
• そのような文化運動を作りませんか?
(日本科学者会議19回総合学術研究集会 発表要旨に帝国陸軍関係を一部加筆修正した)
「津波記念公園を」署名運動の呼びかけ
宮城、岩手県の津波瓦礫は莫大な費用をかける大規模焼却や広域処分は費用と時間を浪費し、合理的理由はありません。
岩手と宮城の津波がれきは仙台平野の被災海岸に全て山積み処分するのが、早く、安全、経済的で最も合理的な処分方法です。
がれきはごみとしてではなく津波犠牲者の遺品として扱い、大古墳のように整備して震災津波記念公園として整備します。
世界一の、地震津波資料館を併設することを提案します。
これまでの経過
この内容は2011年6月、河北新報持論時論欄で提案しました。
宮城県有力漁協の幹部の方から「これが最善の方法だ。実現するために県と交渉したい」というご意見や、都市再開発専門家やいろいろな方から賛同を頂きました。
私は多忙で、自治体や議員、関係者にほとんど働きかけることができませんでした。
「岩手・宮城の津波瓦礫は全て集め、山積み処分して津波記念公園に整備を。―津波瓦礫の合理的処分法―」の記事を本ブログ2012年3月25日に掲載しました。
「政府や自治体、関係者にこの要望を出すべきだ/出してほしい」「全国的な署名活動などをしてはどうか」など、賛同のご意見や提案を沢山頂きました。
しかし私は余裕が無く、実際には有効な活動はほとんどできませんでした。
署名活動を提案してくださったかたから、署名文面や、活動のし方など、何度も連絡を頂きましたが、私は多忙でそれにも十分応えることが出来ませんでした。
私は、提案を生かしてくださる活動に感謝し、支持するが直接は関与しないことにしました。
活動経験は無く、自分が表に出るのも困難であるにも関わらず、署名活動を立ち上げて下いました。
慣れないことも多く、若干の問題も生じました。
この署名活動を見て、さらに沢山全国の方から協力や賛同、助言を頂きました。
そこで、署名活動や政府、自治体に要望する活動を有効に行うためには、これまでの活動と、既に集まった数千の署名を引きついで、活動経験がある方が中心になることが必要と共通の意見に達しました。
活動を引き受けてくださると申し出てくださる方もありました。
そして準備をし、署名活動をの体制を造りました。
どうぞ署名にご参加下さい。
直筆署名、Web 署名どちらも歓迎です。
この目的の為に署名に加えて、有効な活動をしたいと望んでいます。
国や自治体、関係者に直接働きかけるために行動する力や余裕が不足しています。
署名と共に、この目的の活動を有効に行なうために、全国各地で活動されているグループの方、医師・科学者・政治家その他著名人の方、ご賛同ご参加いただけるよう呼びかけます。
新たに小グループを作って賛同団体に参加していただくことや、ご意見、ご提案もお待ちします。
直筆署名用紙、web 署名、賛同団体・賛同著名人登録窓口は
震災復興プロジェクト http://savechildproject.web.fc2.com/tunamikinen.html
をご覧下さい。
以下は要望書です。
ご賛同、ご協力いただけるようお待ちしています。
要望書・内容詳細
内閣総理大臣 野田 佳彦 殿
環境大臣 細野 豪志 殿
宮城県知事 村井 嘉浩 殿
岩手県知事 達増 拓也 殿
仙台市長 奥山 恵美子殿
宮城・岩手地区の津波がれきは、全て集めて山積みし、津波記念公園として整備を!
【提案主旨】
宮城県と岩手県のがれきは、湾内海底がれきも含め、一箇所に全て集めて山積み処分する。
三陸海岸は平地が狭いので、津波で被災し地盤沈下して塩害が残る仙台平野海岸に集める。
集めたがれきを古墳のように築いて、慰霊と決意の津波記念大公園として整備する。
【提案理由】
<山積み処分について>
津波がれきの焼却と広域処理は、がれき処理を早めることになりません。
津波がれきの焼却と広域処理は、費用と時間を浪費します。公費は全国や関係団体の利益や利権につなげず、直接、被災者と被災地復興に役立つように使うべきです。
津波がれきは低レベルであっても放射能汚染されているものがあり、焼却処理は環境汚染拡散につながることと、焼却灰と煙回収物は濃縮されてkgあたりの放射能が上がり、かえって安全な放射能処理を妨げます。
宮城や岩手の海底や海岸にある津波がれきの放射能は低いので、高度な放射能処理施設で管理しなくてもよいが、大量にあるので拡散させないように管理すべきです。
粘土やコンクリートなどで雨水が染み込まないように、山積みしたがれきの表面を被います。雨水の浸透を止めると、集めたときに含まれていた水が漏出した後は、汚染漏出はなくなりますから、土壌への放射性物質の浸透は、コンクリートなどで土壌への浸透防止床を作り、排水パイプを入れてその上にがれきを山積みするという安い費用の構造だけで管理できます。
本要望と並行して私たちは、環境から集められた全ての放射性廃棄物は、福島第一原発付近に放射性廃棄物最終処分場を設置して長期管理することを要望しています。山積みした初期に出る汚染水は、そこに運んで処理することを要望します。
宮城・岩手ではがれきの放射能よりも山野や田畑の枯れ草や落ち葉の放射能のほうが格段に多いので、放射性廃棄物の処理と汚染・被曝防止のためには、農地や山野の対策をより強化される事を要望します。その際に出た処理物は、福島地区要望書にある最終処分場に運びます。
津波がれきは山積み処分が早く、経済的で安全な最も合理的処分法です。
900m × 600mで、平均の高さ20mの丘に築くと、2160万トン収容できる(比重2として計算)。現実的な数字です。処分場を海岸に造るので、がれきを海上輸送できることも利点です。
<記念公園として整備することについて>
がれきは思い出と悲しみの遺品です。ごみとして処分するのは残念なことです。
集めたがれきは古墳のように山積みし、津波避難所をかねた震災津波慰霊の大公園として整備する。
津波の教訓や歴史、防災の世界的拠点として、世界一の地震・津波資料館を併設する。
世界一の資料館は、被災者と被災地の誇りを守り育てることを助けます。
世界最高の津波資料館は、観光・学術・文化施設として、被災地の経済復興と文化振興発展に有益です。広島平和公園と併設された原爆資料館・国際会議場が良い例です。
公園と資料館には、広域・焼却処理に考案した費用を充当すれば可能です。
■呼びかけ団体: 震災復興署名プロジェクトチーム
■提案者: 仙台赤十字病院医師・東北大学臨床教授 岡山 博
(追加) 津波がれきと並行して、「福島原発付近最終処分場 要望」の署名活動も開始しました。
2つの署名は全く別のものです。
片方への賛同を歓迎しお待ちします。
両方にご賛同協力いただける方はそちらもよろしくお願いいたします。
同HPに掲載しています。
岡山 博